ウィリアム・J・ロング著『クマさんの小さな弟分』より 訳:だいこくかずえ

動物たちの外科手術(3)

ヤマシギの外科治療

鳥が施した外科治療で、わたしの注意を引いたもっとも素晴らしい出来事は、別の章*で書いたように、ヤマシギが折れた足に泥のギブスをつけていたことである。

*以下に「ヤマシギは天才」の章を紹介する。

 

ヤマシギは天才

 

ヤマシギのことでびっくりしたことがある。それは習性とも言いがたいことで、仲間の中の独創的な1羽、2羽が、見つけたことではないかと思う。ケワタガモやクマ、ビーバーのように、ヤマシギも傷口を保護するための治療を自分でする。20年ほど前、ブリッジウォーターの森の小川で静かに座っていたら、ヤマシギが突然飛んできて、わたしの見ている前で、土手の上のドロドロした土の所に向かった。それは狩猟の季節の始まりで、狩りをする人々がこの土地に来ていた。わたしの最初の印象は、この鳥は銃に撃たれたあと、長いこと飛んでここまで来て、流れのところで水を飲むか、傷を洗おうとしているのではないかということだった。これが当たっていても外れていても、ちょっとしたあて推量に過ぎないのだが。しかしその鳥は昼の光の中で、奇妙な様子を見せたので、もっとよく見ようと流れの向こう側まで這っていった。それでもまだ、その鳥が何をしているのか確かめるには、わたしのところからかなり距離があった。

 

最初、彼は流れの端のところにくちばしを突っ込んで泥を取り、それを片方の足の膝のあたりに塗っているように見えた。そして片足ですぐ近くまで飛んでいって、小さな草の根っこと繊維を引き抜いて、それを塗りつけた泥の中に入れているように見えた。再度、彼は泥を取ると草の上に塗りつけにいき、わたしの目からもその部分が膨らんでいくのがわかった。たっぷり15分くらい、こちらが信じられない思いで注視している中、休むことなく、大変な熱心さでその作業を続けた。それから1時間あまり、あたりが暗くなって見えづらくなるまで、ヤマシギは芝土が突き出ているところの下で、じっと動かずに立っていた。その間彼がからだを動かしたのは、くちばしで泥のギブスをときどき撫でつけるときだけだった。そして泥が足のまわりでしっかり固まると、深い森の中へと飛び去っていった。

 

この信じられない出来事に対して、わたしはこう解釈してみた。ヤマシギは足を折ったので泥のギブスを患部につけ、骨がくっつくまでそれで支えようとしたのだ。しかし誰もこんな話は信じないだろうと、自分の胸に秘めておいた。

 

何年かの間、わたしは狩りをする人に近づいては質問したところ、撃ったヤマシギが、一度足を骨折しそれが癒えているところを見たという者が二人ほど現れた。彼らが覚えている限りでは、どちらのケースでも、足は完全に癒えて、湾曲することなく真っ直ぐになっていたそうだ。ニワトリが足を折って、曲がったまま接合されるようにではなく。わたしはあちこちの市場で何百羽ものヤマシギを探しまわり、折れた足が完璧にきれいに治っている1羽を見つけた。くちばしには乾いた泥の跡がはっきりと見てとれた。そればかりでなく、もう片方の足の下部を見ると、柔らかな地面の上でのみ餌を探していたことがわかった。この手のことは口にしても、他の人が信じられるわけもなく、ずっと誰にも言わずにおいた。そこから20年後の去年の冬、思いがけず、それを証明することに出会った。ブリッジポート現代クラブで動物について講演をしていたとき、全米でよく知られた弁護士の男がわたしのところにやって来て、その秋に見つけた興味深いことを熱心に語りだした。彼はある日、友人と狩りに出て、ヤマシギを撃った。犬に引かれてきたその鳥は、片方の足に硬い泥の塊をつけていたと言う。それが何なのか好奇心をかきたてられ、彼は泥をペンナイフで削り取った。するとそこには骨折してほぼ治りかけている、真っ直ぐに伸びた足が現れたそうだ。もし生きていれば、2、3週間後にはギブスを自分で外しただろうことは間違いない。そうなれば、このヤマシギをあとで見ても、なんの手がかりも見つけられないだろう。

 

だからここで見解を述べれば、ついに確かな証拠を手にしたことで得たのは、ヤマシギの習性がどうこうというのではなく、野生の動物や鳥類の精神活動について、いかにわたしたちが知らないかということだと思う。そして銃を置いて双眼鏡を手にし、わたしたちには見えない素晴らしい命のあり方を学ぶなら、新たに発見できることは少なくないのではないだろうか。

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