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ウィリアム・J・ロング著『クマさんの小さな弟分』より 訳:だいこくかずえ
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動物たちの外科手術

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野生のシカの救命術

 病気のネコが草を食べていたり、お腹の具合の悪い犬が雑草を探して、それを貪っているところを見たことのある人は多いだろう。18世紀のイングランド国教会の司祭、ジョン・ウェスレーの健康法についての指南を読んだ人もいるかもしれないし(そこに書かれたことに、心から従ったということはないにしても)、彼の主張に驚きと興味を覚えたかもしれない。ウェスレーは、その時代に一般の人や医者が使っていた薬は、動物が病気を直すために見つけたものだったと書いてる。「それが動物に効くなら、人間にも効くだろう」というのが、ウェスレーの揺るぎない根拠である。

 

 また別の人々は、インディアンや民間伝承をたよりに、部族の人々が使っていた薬草について学んだかもしれない。中でもリューマチや赤痢、発熱、ヘビに噛まれたときの治療法は、動物から直接的に得た知識だ。老いてリューマチにかかったクマがシダの根っこを掘って探したり、硫黄温泉の温かな泥に浸かったりしているのを見たり、ヘビに噛まれたとき、熱に冒されたとき、野生動物がどんな植物を食べていたかを熱心に観察することで得た知識だ。

 

 またギリシアから伝わる初期の医術に魅せられる人もいるだろう。それは東からやってきたもので、ギリシア神話に登場する医者アスクレーピオスに沿った治療術、アスクレピアデスの秘儀を読んだかもしれない。そこには多くの簡便な治療法があり、その効果は野生動物の間で最初に証明されたものだ。古代ギリシアの医者ヒポクラテスは「医学の父」の名の下、アラブの国々をとおって遠い砂漠地帯にまで知られていた。彼の箴言の多くは、彼自身やその先祖が野生動物を観察したことで発見した治療法に負っている。これを聞いた人々は、おそらく動物たちはどの程度知っていたのか、中でもそれをどうやって知ったのかについて、不思議に思ったのではないか。

 

 これらのことを、今の時代に照らし合わせてみよう。一匹のシカが犬の群れに追われて一日中走りまわり、冷たい川の中に逃れたとしよう。シカは川を泳いで渡り、疲れきって対岸にたどり着き、雪の中でからだを休め眠ろうとする。人間であれば、それは即座の死を意味する。その夜、シカは眠り込むことをせず、短い間を入れながら歩きまわるに違いない。そして次の朝にはだいぶん疲れがとれ、さらなる走りが可能になる。その同じシカを温かな納屋に閉じ込めて眠らせれば、動物園で何度か試されたことであるが、朝には死んでいるのを見つけることになる。

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 これが治療における自然の法則であり、ギリシア人やインディアンの間で気にとめられていたら、極度の寒さと疲労を扱う術として、あるいは筋肉の麻痺を招く中毒症状を扱う術として、すぐさま取り入れられていたことだろう。そのやり方には荒っぽさがあったとしても、化学的な治療薬やスコッチウィスキー、あるいはエーテル臭のする(強壮)丸薬の知識がない人々から、畏怖の念をもって充分な効果があると見なされたかもしれない。

 

 動物たちが自然の医薬を見つけ、自分で治療していることは間違いない。これについての疑問は、どうやってそれを知ったのかということに尽きる。それは本能だろうと言っても、疑問は残る。動物たちがやる多くのことが、本能の範囲を大きく超えていることを見れば、その疑問の半分以上は愚かしい。さっきのシカの場合、ぐっすり眠って死を呼ぶのではなく、動きまわることで命を救ったことは、いくらかは本能があるかもしれない。しかしわたしの見立てでは、多くは経験から来るものだ。同じ状況下に置かれた子ジカであれば、母親がそばにいて歩きまわることをさせない限り、横たわって眠り、死んでしまっただろう。それ以上に、多くの動物が生まれてからやってきた、あるいは訓練されてきた、瞬時の衝動(状況判断)に従うことが大きく関係しているように見える。それは本能とは違うものだ。バークレー(ジョージ・バークレー:18世紀のアイルランド人哲学者)の思想に影響されて、本能がいつも動物を管理すると見なさない限りは。

 

 いくらかの動物に見られる治療や手当ての知識は、広く多種の動物に行き渡っているというより、本能と同様、限られた動物内のものに見える。この知識(とこれを呼ぶならば)は、ときに共有され、動物同士のコミュニケーションで伝えられる。そのやり方は、わたしたちにはわずかに感じられるだけのもので、それについてはまた別の機会に書こうと思う。これを書く目的は、どうのようにしてという質問に答えるためではなく、さらなる細かい観察を基本とした、わたしが森で見た一つ二つのことを提示するためである。

 

 もっとも単純な手当ては、骨折したとき足を切り落とす方法で、しょっちゅうやることではないが、患部の腐敗やハエにたかられて化膿したり、からだ全体に危険が及んだとき施すことだ。これを紹介するのに最も適しているのが、知力ある動物の中でも高い位置にいると思われるアライグマだ。アライグマは足を銃弾にやられると、すぐさま切り落とし、流れの中で切り口を洗う。炎症を抑えるためであり、消毒するためであることは疑いない。良くなってくると、犬がするように、アライグマは舌で傷口をなめたり(おそらく消毒しているのだろう)、舌で優しくマッサージすることで、腫れを抑え、痛みを減らしている。

つづく

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