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ウィリアム・J・ロング著『森の秘密』より 訳:だいこくかずえ

森の動物たちは、人間が彼らに感じる以上に、わたしたちに興味津々である。あなたが森の中でひとり静かにすわれば、ニューイングランドの田舎町に見知らぬ人間がやってきたときと同じざわめきを起こすことになる。こちらがじっとしていれば、彼らの方の我慢は限界をこえる。あなたが何者で、何をしているのか、きっと覗きにくるだろう。そうなればあなたの勝ちだ。彼らが好奇心を満足させようとしている間は、いつもの恐怖心が消え、あなたの目の前で、興味深い生態の一コマをあれこれ見せてくれるだろう。これは他の方法では得られないものばかりだ。

『森の秘密』(Secrets of the Woods)まえがきより

原著のタイトルKeeonekh The Fishermanとカワウソのがz画像

かわうそキーオネクは釣り名人

かわうそと出会える場所

 

 かわうそキーオネク*と出会う場所には、三つの特徴がある。人里離れていて、美しく、冬でも凍らない水辺があること。またかわうそキーオネクに出会うということは、近くに良い釣り場がある印でもあるのだが、残念ながらこちらにとってあまり利益はない。キーオネクが水場に駆けつけたあとでは、フライや釣り餌をなげても無駄なのだ。大物はすでにやられているし(氷の上か近くの岸辺には、魚の骨やヒレの一つ二つが落ちているだろう)、小さな魚は驚いて岩陰に隠れてしまっている。

*かわうそキーオネク:キーオネクはインディアンたちのカワウソの呼称。

 

 逆にいうと、この三つが揃ったときには、そこにキーオネクがいる可能性が生まれる。あなたがその印を正しく読むことができればの話だけれど。そこが町の近くであったとしても、何十年もカワウソの姿が見られなかったとしても、用心深い荒野暮らしのカワウソたちを見つけることは可能。彼らは危険を知らせるどんな音も印も決して見逃さないので、人がすぐそばを通ったとしても、目にすることができないのだ。

 

 身につけている毛皮を利用されるために、いつもいつも罠にかかったり狩られてばかりいる動物はいない。しかしキーオネクは、その中でも捕らえるのが難しく、その学びは早い。家族がまるごと捉えられたり、お気に入りの流れから追いやられたカワウソがいれば、別のカワウソが冬の釣り場探しの途中で、すぐさま見つけ出し、不注意な仲間がそこで罰をくらったとわかると、用心深く自分たちの居をさだめ、そこを見つけた運の良さを喜ぶ。

 

 春になるとそのカワウソは、素晴らしい住居に連れ合いを連れてきて、一緒に住む。若い二人は間もなく、素晴らしい釣り場に出ていき、流れを何キロも上ったり下ったりするようになる。しかしカワウソというのは非常に用心深く、野生的で隠れるのが早いため、川をくだるマス釣り名人たち、氷上の釣り名人たち、春に立金花(リュウキンカ)を集める子どもたちは、この川の居住者がすぐそばにいて侵入者を見張り、腹を立てていることに全く気づいていない。

 

 ときに木こりが雪の中の道なき道を渡っていくと、下に滑りおりていく、まるで丸太が引きずられたような見映えの削れた斜面の跡を見つける。しかし木こりもまた我が道を行くのみ、森に残された奇妙なものを不思議に思うだけで、奇妙なものが残していった跡を理解することはない。でも木こりたちはその道の最終地点(水場に達するところ)まで追っていくことはないし、氷の上のキーオネクの釣り跡を見つけることもない。

立金花の写真

立金花(リュウキンカ): by Sam Saunders (CC BY-SA 2.0)

住居発見!

 

 子どもの頃、住宅地から4、5キロのところにある二つの池の間を流れる川で、わたしはカワウソの家族とその巣を見つけた。この地方でカワウソが目撃されたり、捕らえられたりしたのははるか昔、今では年老いたハンターでさえカワウソの記憶はない。

 

 春のある日、わたしは岸辺の草むらで静かにすわって、アメリカオシドリをじっと待っていた。アメリカオシドリはすぐそこにいたけれど、茂みがぎっしり生えていたので、わたしが彼らを脅すことはなかった。彼らはいつもわたしが来るのを聞き取っていた。そして水草の中に消えていく姿をちらりとわたしに見せて去っていくか、わたしが立ち去るのを静かに草陰に隠れて待っていた。だからあの美しい姿を目にするには、じっと静かに隠れて、彼らが見張り人を忘れて姿を表すまで、何時間でも待っている必要があった。 

 

 そうして待っているとき、大きな生き物が素早い身のこなしで流れを上ってきた。見えているのは頭と、その後ろの長い尻尾だけ。それは力強く、着実に、糸を張ったように真っ直ぐに突き進んできた。波紋ひとつ作らず、頭から尻尾まで油をぬったように、水の中を滑るように進んでくるのがとても不思議だった。わたしのすぐ近くで水中に潜ると、再び姿を見ることはなかった。そいつがまた現れるのを、流れの上下を集中して見ていたのにである。

 

 そんな動物はこれまで見たことがなかったが、おそらくカワウソではないかと思った。そしてもう一度この珍しい生きものの姿を見たいと思い、もっと後ろに下がって隠れた。すると今度は別のカワウソが現れて、流れを上ってくると、全く同じ方法で姿を消した。しかしその後ずっと見張っていたにもかかわらず、二度と姿を見ることはかなわなかった。

 

 こうしてその場所にとりつかれてからは、家を出られるときはいつも、川岸まで這っていき、長い時間そこで横になって身を隠した。カワウソがそこに住んでいることはもうわかったし、知らなかった彼らの暮らしぶりを何度も目にしていたからだ。

 

 少ししてわたしは彼らの住処をみつけた。そこはわたしが隠れている場所の反対側の岸辺で、入り口は大きな木の根っこの間、水に浸かっているところにあった。カワウソたちが道を示しでもしないかぎり、誰にも見つかりそうもない場所だった。戻ってくるときは、巣から充分離れたところで水中に潜り、見られることなく住処の入り口まで行く。また出ていくときも非常に慎重で、しばらく水中を泳いでいってから、水面に現れる。ここに来るようになって何日かしたころ、水中を泳いでいく彼らのかすかな波紋をわたしの目が捉えた。そして住処の入り口まで追っていった。そこが浅い場所でなかったなら、おそらく巣を見つけることはできなかっただろう。彼らは素晴らしい泳ぎ手で、さざ波一つたてず、同じ重量の魚の半分も水面を泡だてない。

 

 ここでの観察は、これまで森で過ごした日々の中でも最高に幸せなものの一つだ。獲物は非常に大きく、めったに目にできないものだった。わたしはこの素晴らしい発見を独り占めした。1、2キロ向こうの草むらでニオイネズミを捕まえようとしたり、小川でカエル狩りをするミンクを夢中になって追っている男の子、男たちの半分も、ここに素晴らしい毛皮があることを知らない。

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