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Susan Nigro

スーザン・ニグロ コントラバスーン奏者

オーケストラの管楽器の中でもっとも低い音が出せるとされる木管楽器、コントラバスーン。ソロで演奏されることのあまりないこの楽器を、より多くの人に身近に聞いてほしいと願って奮闘する、自称「コントラバスーン活動家」。Bio→

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ブルース・ダフィー*インタビュー・シリーズ(2)

●クラシックの変わり種、マイナー楽器の奏者たち●

This project is created by courtesy of Bruce Duffle.

<1997年3月24日、シカゴにて>

 

これまでに1600人におよぶインタビューをしてきましたが、ゲストの多くはわたしのよく知る人や尊敬する人、そして将来有望な若手音楽家たちでした。何人かの人はその後も引き続き、わたしとの交流の輪に残っていますが、スーザン・ニグロはそうした特別な友人の一人であり、それをとても嬉しく思っています。

 

わたしも彼女もここシカゴで育ち、暮らしてきましたが、特別にわたしたちを結びつけているのは、共通の楽器(ダブルリード属の中で最も低い音を出す)によっています。さらには、同じ先生(シカゴ交響楽団のウィルバー・シンプソン)に習ってもいました。彼は最初そこでコントラバスーン奏者として演奏し、その後すぐにセカンド・バスーン奏者となり、45年間演奏をつづけました。

 

ハイスクールでわたしはバスーンを演奏しており、その後大学に行きました。修士をとるため、ノースウェスタン大学の音楽史学科にもどったとき、何か楽器をやることが必要になり、ウィルバーに電話をして、コントラバスーンをやらせてもらえないか頼みました。彼はそれを聞いて面白がり、喜びもして、わたしの吹く楽器を一緒に探しにいき、校内に所蔵されているフランス製の古いコントラバスーンを手に入れました。二人でそれを鳴り響かせましたが、ときに彼はスーザン・ニグロの話をしました。これまでに見聞きした誰よりも、彼女はコントラバスーンにいれ込んでいると。ウィルバーは彼女の進歩を喜んでいて、この先きっとこの大きくて手に負えない怪物楽器の注目株になるだろうと見込んでいました。

*ノースウェスタン大学はイリノイ州エバンストンある研究を主たる目的とする大学で、整備された立派な音楽院を持っている。

 

ラジオ番組をやっている間、ずっとウィルバーとは親しくしていましたし、CSO(シカゴ交響楽団)の100周年シーズンには、それを口実に彼にインタビューもしました。彼はいつもスーのことに触れ、彼女のキャリアの急成長ぶりを喜んでいました。

 

わたしも彼女のことでは喜んでいましたし、彼女がレコーディングをはじめると、わたしのラジオ番組のプログラムに組んで宣伝につとめました。そして当然のごとく、インタビューが組まれ、昔ながらの友人として、1997年に会っておしゃべりすることになりました。彼女は生真面目さとお茶目なところが入り混じった独特の個性の持ち主ですが、話がコントラバスーンへの情熱におよぶと、全身全霊といった感じになりました。これは彼女の信念であり、この楽器に徹頭徹尾、身を捧げていました。

 

あれから10年以上たって、彼女はいくつものレコーディングをし、ウェブサイトには過去の成果、これからの仕事がずらりとリストされています。

http://www.bigbassoon.com/

 

いまもCSOの定期演奏会で、ときどき彼女に会いますし、メールなどで連絡も取り合っています。こうやってラジオでのインタビューを書き起こし、自分のウェブサイトに投稿することは、特別な喜びです。

 

以下があの午後に話した内容です。

(2008年、ブルース・ダフィー)

 

 

ブルース・ダフィー(以下BD):あなたは自分のことを「信念のコントラバスーン奏者」と呼んでますけど、信念というのは何なんでしょう。

 

スーザン・ニグロ(以下SN):信念というのは、コントラバスーンをソロ楽器として、みんなに聞いてほしいということね。尊敬をもって聞いてほしいし、少なくとも聴く機会をもってほしいなって。コントラバスーンのことを、ある種、ロドニー・デンジャーフィールド*みたいに考えているわけ。誰からも尊敬を受けることなどないから、わたしのやり方で何とかしたいと思ってる。だってすごく美しい楽器なのよ。とてもいい音がするし、ぜひとも聞いてほしいの。

*ロドニー・デンジャーフィールド:アメリカのコメディアン、俳優、声優。1921~2004年。

 

BD:なんでみんなは聞かないんでしょう。

 

SN:そうね、まず、この楽器のために曲が書かれることが少なくて、ソロの曲については本当にそう。大きな問題だわね。あとは多くの場合、あまりうまく演奏されていないと思う。たいていコントラバスーンは、バスーン奏者によって演奏されることになってて、そのセクションの第4奏者*に割り当てられる。当然ながら、その人は憤慨するわけ。だってこの楽器についてよく知らないし、気にもしてなかったわけで。不運なことだけど、バスーン奏者にとって、これも役割の一つなの。

* 第4奏者:主要オーケストラでは通常バスーンは4人いて、首席奏者、第2、第3(兼首席補助)、第4とつづく。第4奏者はコントラバスーンを担当することも多く、またバスーンとコントラバスーンの両方を一つの楽曲の中で担当することもある。

 

BD:それであなたは、あの楽器に別の光を当てようとしていると?

 

SN:それがわたしが主にしてきたことね。コントラバスーンでリサイタルをやろうとしてきたし、それによってこの楽器がソロ演奏という文脈の中で、オーケストラの一部じゃなくてね、聴くチャンスが生まれる。多くの場合、オーケストラの演奏では、コントラバスーンの音をみんなちゃんと聞いてはいない。オーケストラの中でみんながソロと呼んでいるのは、たとえばラヴェルの『マ・メール・ロワ*』とか『左手のためのピアノ協奏曲』のような曲だけど、あまりにちょっとだし。

*マ・メール・ロワ:マザーグースの詩による組曲で、コントラバスーンは『美女と野獣の対話』の野獣を表現している。

 

BD:もっと効果的につかえると。

 

SN:そう、そうなの。とても表現力豊かな楽器だと思う。すごくいい音が出せるし、みんなが気づいてない技術的な可能性もたくさんある。チューバみたいな無骨な楽器じゃないの、チューバを見下すつもりはないけど、あっちはバルブ(弁)があるとか。

 

BD:それにバスの弦楽器のリサイタルに行く人もあまりいないですよね。プロのベーシストの中には、いろいろ活動している人がいるのに。

 

SN:そうそう、ゲーリー・カー(コントラバス奏者)のような人ね。素晴らしい演奏家よね。

 

BD:彼が街に来たときなんかは、二人で会って慰めあったりするんでしょうか。

 

SN:(クスクス笑い) 意外に思うかもしれないけど、実際のところ、彼とはやりとりはあるんだけど、会ったことは一度もないの。いつか会いたいものだわね。

 

BD:コントラバスーン奏者っていうのは、いい人、いい仲間なんでしょうか。

 

SN:えー、そうよ、コントラバスーン奏者っていうのはみんな素晴らしい人たちよ。だいたいゆったりした、親しみやすい、ストレスのない人たちだわね。パーティの盛り立て役みたいに見えるところがあると思う。

 

BD:(クスクス笑い) バスーンは「オーケストラの道化者」と言われますけど、コントラバスーンは「大道化」なんでしょうか。

 

SN:そうかもね。ある意味、わたしの趣味でもある、音楽で冗談をやるのにいいかな。楽器自体がおかしいというわけじゃなくて、コントラバスーンを演奏する場合、始終吹いてるわけじゃない。たくさん暇な時間があるわけ。演奏のない時間がね。だから他のことをする時間ができる。冗談を考えたり、人とそれをやり取りしたり。それもこの楽器の一部なのよ。

 

BD:なるほど。じゃあ、あなたはコントラバスーン・ジョークの長い長いリストをつくってるわけですね。

 

SN:ジョークはコントラバスーンについてだけじゃない。音楽に関することなんでもだし、指揮者とかオーケストラとかいろいろよ。それは時間がいっぱいあるってことなの、ジョークを集めたり、それを人に話したり。コントラバスーン奏者っていうのは、生れながらの趣味人なの。わたしの知るコントラバスーン奏者はみんな、最低でも一つや二つの趣味をもってて、みんなすごく熱中してるわね。その理由はそれをする時間があるからよ。

BD:あなたはバスーンとコントラバスーンと両方演奏しますね。この二つの楽器には演奏の際、大きな違いはあるんでしょうか?

 

SN:大きな違いではないわね。バスーンを演奏できるなら、ある程度まではコントラバスーンも演奏可能。コントラバスーンの場合、いくつか必要なものがあって、大きなリードがいるわね、当然ながら、空気をいっぱい必要とするから。一番の違いは、指づかいだと思う。技術面のあれこれを除けば、オクターブのキー構造は、この二つでは正反対なの。バスーンにはピアニッシモキー(ウィスパーキー)と呼ばれてるものがあって、低い音域を出すためにそれを押す。それによって小さな穴がふさがれて、低い音が出るわけ。コントラバスーンの方は、サキソフォンやオーボエに似た操作になるの。二つオクターブ・キーがあって、音を上げるには一つを押す。下げるんじゃなくてね。だから慣れるのに少しかかる。特にマーラーのシンフォニーみたいに、第三か第四バスーンとコントラの両方を扱うときにはね。楽器を取り替えるのにちょっと時間がかかるし、そこで頭の切り替えが必要になる。そうしないとミスをしてしまうかもしれない。今どっちをやってるか、しっかり意識してる必要があるわね。使い分けなくちゃいけない。それからもちろん、マウスピースも少し違う。そういったちょっとした違いはいろいろあるわね。だけど大きな違いは、オクターブのキー構造だと思う。これは正反対だから。

 

BD:ではヴァイオリンからヴィオラに変える以上の開きがあると。

 

SN:そう、そのとおり。コントラは大きく指を伸ばすし、高音域の指づかいは、普通のバスーンとはまったく違うと言える。

 

BD:なぜなんでしょう。

 

SN:倍音を多く持ってるからかな。コントラバスーンには低い音域を響かせる追加のキーがあるから、低い方の音が違ってくるの。普通のバスーン、「小さなバスーン」ってわたしたちは呼んでるけど(両者、笑)、そっちではそれはない。コントラはまったく同じ指づかいで、位置が離れてる音がいくつかあるけど、まあ、そんなに多くはない。だから大きな問題にはならないわね。慣れるのにちょっとかかるだけよ。

 

BD:3メートル近い管(かん)がある普通のバスーンのことを、まじで「小さなバスーン」って思ってるんでしょうか。コントラバスーンはどれくらいあるんです?

 

SN:ちょうど2倍あるわね。5.5メートル(18フィート4インチ)。自分がコントラバスーン奏者だと思ってる人間は、普通のバスーンのことを「小さなバスーン」って思ってる。で、主にバスーンを吹いてるバスーン奏者はたいてい、コントラバスーンのことを「大きなバスーン」って思ってるわけ。自分にとって何が普通かってことに過ぎないわけで、わたしにとって普通なのはもちろん、コントラバスーンよ。だから普通のバスーンは「小さなバスーン」とか「テノール・バスーン」ってことになる。

 

BD:じゃあ、オーボエは高域バスーンとか?

 

SN:(クスクス笑い) オーボエはコントラバスーン属の中のソプラノ要員って感じね。

 

BD:(笑)あなたの最初のレコードですけど、『大きなバスーン』というタイトルですね。そう呼ばれることに誇りをもってます?

 

SN:思うわね、でもわたしが名づけたんじゃない。このタイトルはクリスタルレコードを率いるピーター・クライストの提案だった。最初にこれを提案されたとき、実のところ、わたしはどうかな、と返した。わたしはタイトルに「コントラバスーン」と入ってることを望んでいたからね。でも彼が言うことには、2、3年前にバストロンボーン奏者のレコードを出したとき、『大きなトロンボーン』ってタイトルにしたら、非常に売り上げもよく、話題にもなったんだって説明してきた。ジャケットに大きな楽器を抱えた奏者の写真をつかったらしいんだけど、ピーターはそれが売れたポイントだって言っていた。だから『大きなバスーン』っていうタイトルは、さらに興味を惹くんじゃないかって。もし「コントラバスーン」っていうタイトルだと、それを見たり聞いたりした人は、それ以上の興味はもたないってね。「大きなバスーン? 何なの?」 人の興味をかきたてるってこと。だからタイトルを見て通り過ぎてしまうことなく、「普通のバスーンなの? コントラバスーンなの? いったい何?」ってなって、手にとってみることになる。

 

BD:冗談かなにかなのか、それとも本当にそういう楽器があるのかといった?

 

SN:そうそう、そういうこと。まさにね。で、2枚目のCDが出るときに、わたしたちはちょっと大げさに言うことにした。タイトルは『大きなバスーンのための小さな調べ』にした。それはどれも短い曲ばかりで、もちろんこの大きなバスーンで演奏したわけで、前のタイトルを使い倒したってこと。で、それは効果的だった。

 

BD:コントラバスーンは規格化されて、こっちのコントラバスーンはあっちのコントラバスーンと同じ、というようになってます?

 

SN:バスーンほどじゃないけど、かなりそうなってるわね。自分のとは違うコントラバスーンを手にとって演奏してみて、いい具合よ。ただし違いはいくつかあるわね。小さな違いだけど。キーの形が違うとかね。中央のE♭(フラット)に、補助的なE♭のキーがあるけど、普通のバスーンみたいに、人差し指と薬指でE♭を押すことはできない。コントラでは機能しないの。だから余分のキーが必要になってそれを薬指で押すか右の親指で押すか、ときに右の人差し指を使うかだけど、それはその楽器によって変わってくる。そういう小さな違いはあるわね。コントラバスーンの場合、普通のバスーンがやってるみたいな、F♯(シャープ)がどっちもできなかったりする。あとオクターブ・キーの構造が、楽器によって少し変わってくると思う。

 

BD:いま話してるのは、すべてドイツ流の指づかいの標準ですよね。

 

SN:そうね、もちろんビュッフェ*のコントラバスーンであれば、ビュッフェの小さなバスーンみたいになるわけで、その場合はフランスの指づかいになる。わたしには他の仕組の楽器の経験はそれほどないけどね。

*ビュッフェ:ビュッフェ・クランポンというフランスの木管楽器の製作会社のこと。

 

BD:あなたの使っている楽器は、ベル*の部分が折りたたまれているから、フランス型のように上に突き出していないわけで、その方がいい?

*ベル:管楽器の音の出てくる口の部分。

 

SN:そうね、この大きくて長い楽器を演奏してると、後ろの席にいる奏者から文句がくるからね。わたしはこのデカイ楽器を演奏してきたわけだけど、バランスを取るのが難しいの。頭でっかちだし、簡単にひっくり返りそうなわけよ。ただ支えるだけで、左腕にすごい負荷がかかるの。その上、後ろの席からは文句がくるしね。「おっと、もっと左に寄せてくれないかなぁ」とか「右に寄って欲しいんだけど、指揮者が見えないんだよね」みたいにね。うっとうしい楽器になるわけ。「オペラ型」と言われる短く折れているものがあって、オペラピットで使われてるからなんだけど、そっちは他の人をイラつかせないという意味で、便利なものよ。バランスを取る点でも、重さの点でも演奏しやすいわね。

 

BD:こんな管楽器奏者のジョークがありますよね。「もうちょっと寄ってもらえます。指揮者から見えちゃってるんで」

 

SN:(クスクス笑い) そうそう、それもあるね。

 

BD:(いっしょに笑う)

***

BD:あなたはコントラバスーンのためのソロ曲を書くよう、働きかけてます。オーケストラの曲でも、コントラバスーンの素晴らしいパートを書くことを勧めてますか。

 

SN:それができる立場だったらそうするでしょうね。今はそこまで大きな影響力はないですよ。何人かの作曲家と、コントラのソロ曲を書くことはしてきた。もし彼らがオーケストラ曲を書くことがあったら、コントラのパートを入れてもらえるよう最大限の努力をするし、それがいい状態で入ってるか確かめるでしょうね。チェロに重ねたりとか、チューバに重ねたりで、全然聞こえないような「使い捨て」パートではないかね。それじゃ意味がないから。

 

ブラームスは交響曲で正しい使い方をしていたと、いつも思ってるの。彼はコントラバスーンかチューバか、いずれかを使った。コントラバスーンは交響曲1、3、4番で、チューバは交響曲2番で使われてる。コントラとチューバが混じることはないの。『大学祝典序曲』でブラームスは両方の楽器を使ってるけど、それぞれ独立した使い方なの。両者は同じ音やメロディーを吹くことがほとんどない、だからこれに関して、彼はすごく賢明なんだと思う。マーラーも同じような考えをもっていた。わたしの好きなマーラーの交響曲は第4番で、その理由はチューバが入ってないから。室内楽より大きな作品だし、コントラはちゃんと聞きとれる。だけどもっと大きな楽曲でコントラとチューバの両方がある場合も、マーラーはそれぞれを独立して使おうとしてる。だから響きの違いが聞きとれるの。それに彼はこの両者を違う機能として使ってるわね。

BD:それでマーラーは心から共感できる作曲家だと。

 

SN:そうね、そう思う。コントラのパートを書く多くの作曲家っていうのは、どれだけパートのことを考えていたとしても、他の楽器といっしょに投げ込むだけで、誰かがやっているパートに重ねさせるわね。それじゃいい結果は生まれない。

 

BD:バスのラインでがっしりとした音を鳴らすことにはならない?

 

SN:彼らはそうなると思ってる。わたしにはわからない。最大のフォルテのところで金管楽器がそろって吹き鳴らしたら、コントラバスーンの音はたぶん全く聞こえないと思う。聞こえるとはとても思えないわね。全体の響きの中で、コントラの影響があったとしても、ぜんぜん音が聞こえないと思う。

金管楽器各種
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BD:でももしコントラを取り去ったら、音響的に軽くならないですか?

 

SN:たぶんね、たぶん。だけど席にすわって2倍、3倍のフォルテで吹いてても、自分のまわりの人の音にかき消されてしまうって、もどかしいことだわね。そういうのは報いがほんとないわけ。

 

BD:それでソロ曲を書いてもらうよう努力してる?

 

SN:コントラのために曲を書いてもらおうとするのは、オーケストラ曲に書かれる場合も、たいていの場合、音が埋もれてしまってイライラするからね。ドヴォルザークの『管楽セレナード』みたいな室内交響曲でないかぎり。あれはすごくいいわね、コントラバスーンの音が聞こえるから。あるいはモーツァルトの『13の木管楽器のためのセレナード』なら、もしコントラバスーンのところをコントラバスに置き換えることをしなければね。多くの人がそうしてるけど。この曲もとてもいい、それはコントラに独立したパートがあって、同じ音域で他の楽器と競う必要がないからね。わたしが協調性のない人間ということじゃなく、人と何かを分かち合いたくないっていうんでもない。誰にも聞こえないものが書かれるってどうなのかってこと。

 

BD:誰かに曲を書いてくれるよう頼むとき、ただ「曲を書いてもらえない?」という以上のことを何か言うんでしょうか。

 

SN:いいえ。コントラバスーンという楽器について話して、これまでの自分のレコードを 渡すわね。それを聞いてもらうわけ。もちろん最初の段階で、バスーン奏者とか、バスーン奏者を知ってる人とか、木管楽器にいれ込んでいる人とか、バスーンに共感をもっている人に近づくのが普通かな。その人たちにちょっと話してみて、この楽器のためにソロ曲を書くという考えに馴染んでもらう。彼らがすぐに賛同するということではないから、来て演奏を聴いてもらって、あるいはテープを渡して、自分の耳でこの楽器の音を聞いてもらうわけ。

 

すると向こうからたくさんの質問がくるでしょ。「この楽器の音域はどれくらい?」「ダイナミクスではどんなことが可能?」「速い音符も演奏できる?」といった様々な質問ね。で、作曲家と仕事にかかる。多くの場合、作曲家はスケッチを書いてそれをわたしに送ってくる。わたしはそれを見て、吹いてみて、コメントを返す。曲想に関してではなく、吹いた感じについてね。

 

ときにわたしはカセットをセットして演奏することもある。作曲家が、自分の書いたものがこの楽器でどんな音になるか、わかるようにね。書いたものが有効かどうか、曲としての側面からではなく、演奏するときの実際上の面でどうかという。作曲家は演奏しにくいもの、あるいは響きの悪いものは書きたくない。2、3人の作曲家とそんな風にして仕事をしたわね。その人たちはわたしの提案をうまく受け入れてくれたし、わたしが作曲の手助けをするのを受け入れてくれた。とはいえ、曲は彼らのものでしょ。わたしは作曲家では全くないわけで。自分の限界は知ってるつもり。

 

BD:とはいえ、あなたのプレイヤーとしての経験が、彼らの仕事を助けてる。

 

SN:それは確かね。コントラバスーンという楽器は、他のものと比べて、あまり知られてないでしょ。学校でも作曲の授業で、教えてないし。少なくとも、ソロ楽器としての可能性についてはね。誰もこの楽器に何ができて、何ができないか、そういう知識を持ち合わせてないの。

 

BD:コントラバスーンを最上部に置くために、そういう人と(作曲とか音楽学の教師とか)、近づきになる必要があるのでは。

 

SN:できるだけのことはやってきたと思う。シカゴ周辺の小さなオーケストラと一緒に作品の初演をしたら、わたしはたいてい終わった後で作曲家にこう言う。「あなたは本当に素晴らしいコントラバスーンのパートを書いたわね。とても楽しく演奏してる。コントラのためのソロ曲を書いてみるつもりはないかしら?」 受け入れてくれるときもあれば、そうじゃないときもある。だからそんな風に声をかけて、相手を脅すことなく売り込む必要があるの。それは多くの人は、率直に言って、この楽器のためにソロを書くなんて考えたこともないわけだから。

 

BD:だけどもし彼らが貧弱なものを書いてきたときに、これじゃ面白味がないとか、退屈だったとか言えます?

 

SN:そうね、うまく話すように努めてる。彼らが書いてきたものに、まずは良いところを見つけようとするし、取り上げようとするわね。「もうちょっと良くなりそうな感じがしてるの。うん、もっとよくなるんじゃないかしら」とか「すごく面白いアイディアだけど、この楽器でやるとうまく機能しないわね」 作曲家に対して非難の言葉を浴びせたりしないよう、充分に心してる。それは彼らのやる気をそぐんじゃなくて、応援したいからよ。彼らに不愉快な人間と思ってほしくない、一方的に決めつけるようなね、彼らはわたしのために曲を書こうとしてるわけだから。手助けする存在でありたいし、楽観的にふるまって、彼らを励ましたいの。

“.... if they try to write something for me.  I wanna try to be helpful and try to be upbeat and be encouraging to them.”

***

 

BD:あなたが演奏している多くの曲は、コントラバスーン用に書かれたものじゃないのでは?

 

SN:そのとおり。編曲ものをたくさんやってるわね。最初に出たCD『The Big Bassoon』はわたしのために書かれたもので、例外的。2番目のCDに入ってるのは、ほとんどがバスーンのために書かれた曲か、他の楽器用の曲を編曲したもの、それか元の楽譜をそのままコントラで吹くかね。3曲はアルトサックス用の曲だったわね! これは簡単に使える。音符記号*と調号*を変えて吹けばいいだけ! 大変なことじゃない。使えるものよ。あとバスーン用の曲、これも問題なく使える。

*音符記号:ト音記号、ハ音記号など五線譜上で、基本になる音符の位置をあらわす記号。

*調号:ト長調、ニ短調など楽曲の調性を示す記号。♯または♭で表す。

 

BD:ヴィヴァルディのピッコロ協奏曲とか、そういったものを試したことはあるのかな?

 

SN:まだないけど、ヴィヴァルディのバスーン協奏曲ならいくつかやったことあるし、とても楽しんで演奏したわね。いまはバッハが書いたフルート曲ができないかと、真剣に見てるところ。近いうちにオール・バッハでプログラムを組みたいと考えていて、可能であればやると思う。 

 

BD:(ちょっとふざけた口ぶりで) コントラバスーンでバッハとは!

 

SN:そうよ、できるはずよ。バッハがコントラバスーンで何ができるか知っていたら、曲を作ろうとしたかもしれない。でも彼は作曲家だし、あの楽器より前の時代の人だから。とはいえ、彼がそれ以前の時代の人だったかどうか、わたしにはわからない。ヘンデルはこの楽器のために書いてるからね。ただバッハが書いていた分野(教会音楽やカンタータ)では、使おうとはしなかった。そのことでバッハを責めることはできないわね。それに当時の楽器は、まだ未発達で洗練されてなかった。技術的な性能が高かったわけじゃない。いつもヴィヴァルディ*のバスーン協奏曲には驚かされてる、当時の楽器の性能を知ればね。たった9個か10個のキーしかなかったのに、限られたキーを駆使して、あのような難曲を演奏することができた人たちには感嘆するわね。

*ヴィヴァルディ:1678~1741年。バッハは1685~1750年、ヘンデルは1685~1759年。

 

BD:弁のないホルンやトランペットとよく似た状況ではないでしょうか!

 

SN:そうね、そのとおり! 彼らがやってたことはすごかった。

 

BD:バスーンやその後のコントラバスーンが、今のように標準化されたのはいつ頃なのか。

 

SN:おそらく1800年代の前半から半ばまでの頃じゃないかな。古典派後期、ロマン派前期の時代までに、現在と同じようなものになったと思う。

 

BD:この二つは一緒に進化したのか、それとも先にバスーンが進化して、その後コントラにいったのか。

 

SN:最初にバスーン、それからコントラでしょうね。コントラは実際、バスーンほどに進化してはいない。いけるところまでは行ってると思うけど、バスーンがもってるほどたくさんのキーはないし、バスーンのような交互の指づかいや機能はないわね。その理由はコントラバスーンにはそこまでの技術的な性能が必要とは思われなかったからよ。そういう必要性があまり求められなかったということね。

 

オーケストラの中のコントラバスーンのパートは、普通のバスーン、つまり小さなバスーンより単純なものが多いの。一番下のパートを吹くか、チェロに同じ音を重ねるわけ。ごくたまにメロディーラインを担当することもあるけど、そうは言ってもたいていはさほど難しいものじゃない。悪い意味で言ってるんじゃないけど、この楽器を作ってる人たちは、普通のバスーンにあるようなベルやホイッスル笛のすべてが必要と見てないと思う。だから作ってこなかったわけ。

 

アメリカのフォックスというバスーン製作会社は、いくつかの機能を加えてる。ローラーをいくつか加えて、オクターブを吹くのに2、3のオプションを与えてもいる。それから前に話したE♭キーもね。だけどバスーンにあるA♭キーの押さえ方のどっちも、世界中どこを探してもコントラバスーンにはないわね。必要ないと思われてるんじゃないかな。だから作らない。

 

BD:それがあったらいい?

 

SN:もちろんよ。それがあれば、吹いてる曲の調によって、もっといろいろな指づかいが可能になるからね。いつも使うというわけじゃないけど、あれば重宝するわね。

 

BD:自分の楽器に何か変更を加えたことは?

 

SN:楽器をオーダーして、自分の欲しい特性のキー操作にした。わたしのコントラバスーンは1977年に作られたものなの。今年の5月で20年になる。もうすぐ誕生日なわけ。この楽器にさせたいことの全リストをつくったんだけど、多くはそれができた。加えられない機能がいくつかあって、それは持てなかったけど、予備のトリル・キーと予備のローラーが付け加えられた。今わたしがやろうとしてるようなことを考えてのことじゃなかった。20年前には何も頭にはなくて、ただ技術的な可能性を広げるために、できるだけたくさん機能を付け加えたかったわけ。

 

BD:それで少しずつ、あなたは毎年、あるいは5年ごとに改良を加えているんでしょうか。

 

SN:2、3年前に、オクターブ・キーに変更を加えたんだけど。キーを大きくして少し位置を下げたの。技術的な理由からではなくて、左の親指が腱鞘炎になったからなんだけど。そうなった理由は、指をすごく伸ばすからなの、大きくね、オクターブ・キーに届くよう指を大きく伸ばしてたからなわけ。そのせいで左の親指に大きな問題を抱えることになった。それでキーを大きくして、オクターブを抑えやすいように少し下げたの。それで望むような位置にキーをもてるようになる。こちらの状態に合わせて、調整したわけ。

 

BD:楽器会社は「スーザン・ニグロ」モデルのコントラバスーンを作ったらいいんじゃないかな。 

 

SN:(笑いながら) いいでしょうね、でもそうはなってないわね。

 

BD:名前は言わなくていいけど、あなたの他にソロのコントラバスーン奏者になろうっていう人はいるのかな。

 

SN:南アメリカに若い女性がいて(ブエノスアイレスのモニカ・フッチ)、向こうのオーケストラの一つで吹いていて、そのオーケストラと協奏曲を何回かやってるわね。アメリカにも協奏曲をやってる人たちがいるのを知ってる。たとえばガンサー・シュラーのコントラバスーン協奏曲は、1978年に、ワシントン・ナショナル交響楽団のコントラバスーン奏者、ルイス・リプニックによって初演された。これは彼のために書かれた曲だった。彼が委嘱して自分で初演したの。そこから2、3年たって、ピッツバークでもそこのコントラバスーン 奏者によって演奏された。ドナルド・アーブはグレッグ・ヘネガーのために協奏曲を書いてる。今はボストンにいるコントラバスーン奏者で、以前はヒューストンに住んでいて、1984年にそこでこの曲を初演をしたの。

 

だから曲を委嘱して演奏してるプレイヤーは何人かいる。わたしがやってきたみたいに死に物狂いでやってる人がいるか、わからないけどね。わたしの場合は、オーケストラよりリサイタル・スタイルでやってきた。わたしがどこのオーケストラの正メンバーでもないから、ということだったにしてもね。わたしはシカゴ周辺のフリーランス奏者で、小さめのオーケストラと一緒にやってる。もしわたしが協奏曲をやらせてくれと言うことができるなら、是非ともやりたい。でもそういうことはめったに起きないわけで、わたしにできるのはリサイタルを代わりにやることになる。

 

BD:でもあなたはシカゴ交響楽団ともやってるでしょう、彼らが必要とするときには。

 

SN:そうね。彼らはわたしに年金を払うって冗談を言ってる。22年間、あそこの補欠要員をやってるのよ!(笑) まあ長期雇用とは言えるかな。でも正メンバーではないから、シカゴでポジションを得ているという感覚はないわね。あそこだけじゃなく、どこにしろね。ソロをやらせてくれという感じではない。彼らに提案することは可能だし、何ができるか伝えることもできる。それで彼らがわたしにやって欲しいってなったら、ウァオ、そりゃすごいわね、でも、、、

 

BD:、、、でもそれによって、彼らと定期的にやれるレベルにあるっていう名声が得られるんじゃあないかな。

 

SN:(控えめに)それはそうだと思うけどね、、、

 

BD:プロの演奏者であるなら、嬉しいんじゃないでしょうか。

 

SN:あー、もちろんよ。それはその通り。それに間違いないし、自分の基準を高めることにもなるでしょうね。いつも質の高い音楽家たちと演奏していれば、自分の演奏も常にいいものになる。伝播するものだからね。2年前にとてもいい機会を得たの。1995年の春に、ガンサー・シュラーの『コントラバスーン協奏曲』をシュラーの指揮でオマハ交響楽団とやるっていうね。演奏基準っていうことで言うと、作曲者その人が指揮台にあがって、自分がその曲を演奏するっていうね。素晴らしい体験だったし、とても楽しめたわね。

 

BD:シュラーはあなたとの演奏を喜んでました?

 

SN:そうだと思う。彼はあれこれ賞賛の言葉を並べたてるタイプの人じゃないの。もし何か気に入らないことがあれば、それを伝える。それについては間違いない。彼があれこれ言わないときは、彼は満足しているっていうことだと思う。

 

BD:あなたは、演奏において何か見つけることはできたのか、そして彼に対して予想以上の演奏を、あるいは曲のある部分で、特別に輝かしいものを見せることができたのでしょうか?

 

SN:いくつかの楽章で、カデンツァ*について少し話し合って、どう演奏したらいいかアイディアを検討した。彼はわたしがやりたい方法でかなりやらせてくれて、それはいい印だと思う。彼は緩徐楽章をすごく、とてもとてもゆっくりやった。だからわたしは最初に考えていたやり方と違う、もっと息が続く方法をとる必要があった。だけどこれはわたしたち二人にとって、両者が協調する努力をしたということなの。そして二人にとって、それぞれが学ぶ経験をもったんだと感じたわね。わたしが彼に曲について何か教えたという意味じゃなくて、コントラバスーンという楽器について、その演奏のされ方について伝えたってこと。

*カデンツァ:協奏曲の中で、ソリストが単独で演奏する部分。もともとは演奏家の即興によるものだったが、19世紀になって作曲家が書くようになった。

 

BD:そのゆっくりの部分で、循環呼吸*をしなかったんですね?

*管楽器の奏法で、演奏中に口から空気を吐き出しながら鼻から息を吸い込むことで息を循環させ、音を切らさない演奏法。

 

SN:してない、それをやったことがない。空気量を最大限まで使えるよう、アーノルド・ジェイコブス*に3年くらい習ったの。それで4.5リットル超えの空気量を扱うことができるようになった。大量に空気を必要とする楽器というのは大変なわけ。オーボエみたいに、一度に少量の空気を吐き出す楽器では、もっと簡単だけどね。頰を使ってやるわけだけど、それを続けていって、口から息を出しながら鼻から息を吸う。でもコントラバスーンとかチューバのような大量の空気を通す楽器の場合は、実用的ではないと思う。それをやるのは簡単じゃない。

*アーノルド・ジェイコブス:アメリカのチューバ奏者。シカゴ交響楽団で長く首席チューバ奏者を務めた。1915~1998年。

 

BD:コントラバスーンを吹く場合、チューバと同じくらいたくさん空気を必要とします?

 

SN:チューバほどじゃないけど、小さなバスーンよりはたくさんの空気が必要ね。バスーンとフルートは、必要とする空気量の点でよく似ていると思う。それはフルートは吹いているとき、上から空気がもれて、たくさん外に出てしまうから。すべての楽器でそれが起きるわけじゃない。バスーンはコントラほどたくさんの空気はいらない。コントラはかなり空気量がいる。みんなが知る楽器で言うなら、サキソフォンをわたしは少しやるんだけど(趣味の範囲でね)、バスーンとテナー・サックスは、ほぼ同じくらいの空気量を必要とすると思う。コントラバスーンの方は、演奏時に必要とする空気量の点で、バリトン・サックスにより近いわね。

 

BD:バリトン、あるいはバス・サキソフォンの奏者、あるいはコントラバス・クラリネットの奏者も、ソロに挑戦すべきなのか。

 

SN:その人たちがどうすべきかは言えないけど、やったらいいと思う。どんな楽器もそれぞれ特別な響きがあって、演奏される価値があると思う。もしその楽器のために曲を書く人がいて、それを演奏できるなら、やったらいい、できないことはない。どんなコンサートに行っても、ソリストはいつもバイオリン奏者か、ピアニストか、ときにチェリストやフルート奏者か、、、あるいはフレンチ・ホルンとかで、ちょっとがっかりさせられる。それに対してトローンボーンのソリストとか、ビオラのソリストはめったにないし、コントラバスーンやアルト・クラリネットならもっと少ない、っていう風でしょ。そうことは起こらない、ってことよ。たとえば、わたしはドニゼッティの『イングリッシュ・ホルン協奏曲』が大好きなのね。あかぬけなくて、ちょっと変わってて、でも素晴らしい曲なの。どこに行ってもこれがプログラムにあることはないわね。こういう楽器に演奏のチャンスがないってことが、ただただ残念なわけ。

“Any instrument has its own individual timbre and certainly deserves to be heard, and if people can write for it and people can play it, I don't see why not.”

BD:大きなオーケストラでコントラバスーンを演奏する人たちの間には、仲間意識はあるんですか。

 

SN:ええ、あるわね。あると思う。わたしにもあるし。オーボエ奏者とバスーン奏者がつくった国際ダブルリード協会というのがある。毎年カンファレンスとかいろいろやってて、バスーン奏者の素晴らしい友好会になってるの。コントラバスーン奏者にとっては格別そう。数があまりいないからね。オーケストラのオーディションにわたしが行ったときには、いつも同じ顔ぶれがいて、そこで座っていっしょにあれこれ話したり、情報を交換したり。本当の仲間って感じに見える。わたしたちは数があまりいなくて、だから知り合いになるし、互いが競争相手っていう感じじゃなくて、演奏仲間なわけで、それはいいものよ。例外はあるし、そういうところに入らない人もいるけど、概してコントラバスーン奏者はけっこうのんびりした人が多くて、わたしたちの間にはすごく仲間意識があるわね。

 

BD:もしそういった仕組をもたなかったら、挫折してしまいそうですね。

 

SN:そうね、確かに。わたしがこれまでに会ったコントラバスーンの奏者はとてもいい人が多くて、付きあいやすい人たちね。競争が厳しい楽器に見られるような、ギスギスした感じがあるように見えない。それってコントラという楽器によって引き出されるものじゃないかな、って思うわけ。

 

BD:その人の個性の一部であると。

 

SN:そういう個性の持ち主がコントラバスーンを選ぶんじゃないかって、思うときがあるわね。あるいはコントラバスーンという楽器が、人をそういう風にするのかなって。わからないけどね。昔から言うでしょ、卵が先かニワトリが先かって。わたしは自分自身をおおらかでこだわりのない人間だと思ってる。競争意識が高くてピリピリしてるっていうんじゃなくてね。そういう意味で、この楽器はわたしに合ってるのかもしれない。

 

BD:あなたはバスーンから始めて、それから大きい方に移ったんでしょうか。

 

SN:まさかと思うかもしれないけど、わたしはフルート奏者としてスタートしたの。それが最初の楽器だった。フルートは素晴らしい楽器だけど、わたしはあまりいい奏者とは言えなかった。わたしに合った楽器じゃなかったわけ。誰もがその人に合った楽器を見つけるもので、わたしの場合、バスーンに出会うまでの2、3年間、フルートを吹いていた。そしてバスーンに出会ったとたん、こっちに乗り換えたっていうね。

 

ちょっとしたおかしな話があるの。高校生のとき、シカゴ地域の青少年オーケストラにいたの。わたしはバスーン・セクションの末端でコントラに張りついているバスーン奏者だったわけ! こういうことはよくあると知ってはいた。でもひとたびこの楽器を吹きだしたら、やめられなくなったというのが真相。この楽器のことがとても理解できたからよ。コントラバスーンが心から好きになったし、これで何かできる、楽しくやれるに違いないってわかった。そんな風な出会いだったわね。わたしはオーケストラの下っ端で、誰かがリヒャルト・シュトラウスの『死と変容』でコントラを吹かなきゃいけなくなって、それがわたしにとって最初の曲になったの。そんな感じで始まった、ずっと昔にね。

 

BD:で、以来、ずっとこの楽器をやってて幸せだったと。

 

SN:そうよ。その通り。ソロでやることはかなり長い間なかったわね、それはそれができることに気づいてなかったからよ。オーケストラで要員が必要になったら、コントラバスーンを吹けるっていうことだけだった。みんなはバスーンの第1奏者をやりたがっているように見えたから、そのことでわたしと折り合いをつける必要はなかった。こっちはコントラバスーンを吹くことこそが楽しかったわけで。それがわたしのやりたいことだった。ソロを体験したのは、ノースウェスタン大の学生だったとき。木管アンサンブルがヘンク・バーディングスの曲をやったの。バスーンとコントラバスーンと木管アンサンブルのための曲だった。当時その曲はまったくの新しい曲で、わたしはコントラバスーンをやりたがる唯一の人間だったから、コントラのソロを吹くのがまわってきた。それがきっかけで、コントラバスーンという楽器が、ソロで演奏できるんじゃないかと考えるようになった。だけど当時はこの楽器のための曲が書かれてなくて、実際にそうなるまでにとても長い時間がかかったわね。

 

BD:自分でコントラ用に編曲することはあるんでしょうか?

 

SN:ある程度までやるわね。サクソフォンのところで言ったみたいに、すべてを変える必要がないものがたくさんあるの。やる必要があるのは、音符記号と調号だけね。飛んでる音は音域内に収まらないこともあるけどね。バスーン用の曲でそのまま演奏できるものはある。高い音域まで使う音がなければだけど、その場合はコントラに向かないわね。バスーンほど高い音域まで吹けないし、極端に高い音域は音を出すのが難しいの。バスーンの曲で高い音域で書かれた箇所を、オクターブ下げて吹いたり、何らかの調整をすることもある。でもさっき言ったように、わたしは作曲家ではないから、調整する場合も、細部に限ってになる。

 

BD:でもあなたはこの楽器のプロフェッショナルで、何がうまくいくか知ってるでしょ! そうであっても、作曲家があなたの方を見て、「とにかくやってみて」と言ってきたりするんでしょうか。 

 

SN:うん、そういうことはあったわね。でこう返すの。「できるだけのことをやるけれど」って。それができることのすべてね。「お客様はいつも正しい」みたいにね。作曲家はいつも正しいわけ。もし彼らが変えたくない、ということであればね。作曲家によるわね。ある作曲家が何か曲を書けば、それは彼の作品。提案や意見は言えるけど、最終的に作曲家のものであるってこと。

 

BD:あなたのために書かれた曲を、基本的に気に入っていますか。

 

SN:気に入ってるわね。まだできてないこともあるけど。ジャズの要素があるコントラ用の曲を見てみたいと思ってる。コントラバスーンはジャズの曲をとてもいい感じにすると思ってるの。バリトン・サックスとか弦のベースより、ジャズ・アンサンブルに合うんじゃないかと思ってきたわけ。ああいう音だから、ちょっとしたソロもいいし、まだ誰もあの楽器のそういう側面を見たことがないと思う。みんなもっと生真面目な楽器だと思ってて、それはそれでいいんだけど、面白いところもたくさんあって、スウィングもできる。そういう曲を作曲家がわたしのために書いてくれたらなあ、って。ジャズに熟達してるってわけじゃないけど。ものにしなくちゃいけない面は確かにあるけどね。バスーン奏者、コントラバスーン奏者として、即興演奏をわたしはしないし、ジャズの演奏もあまりやったことがないから。だけどこの楽器にはその素質があると思うの。

 

BD:それで踊れたらいいね、で、一つ重大な質問をします。音楽の目的とはなんなのか。

 

SN:おやまあ、うーん。音楽の目的、、、音楽は普遍的な言語でしょ。言葉で言えないことを表すことができる。自分で感じてること、だけどうまく言い表せないこと、音楽はそれを可能にする。わたしはそんな風に感じてるわね。音楽は語ることができる。わたしは子どもたちに長いこと音楽を教えてきたけど、子どもたちもそのことを聞いてくるわね。わたしはこう言ってる。「これを聴いて、何が起きるか考えてみて」ってね。あるいは「この音楽に何を感じる?」 すべての音楽が標題音楽ではないけど、音楽は何かしらの雰囲気とか、気分とか、何かを考えさせるものを与えてくれる。言葉ではうまく表せないものを伝えるの。基本的に、そんな風にわたしは考えるわね。

 

BD:あなたが演奏する音楽は、あらゆる人のためのものであるべきでしょうか?

 

SN:ううん、いいえ、そうは思わない。あらゆる人が演奏を楽しんでくれればいいとは思うけど、文化的な違いというものが聞く人の間にはあるでしょ。たとえば、わたしはインドのシタール音楽が好きなの、だけどそうなるまでに長い時間がかかった。彼らは微分音*を使うし、音階も違えば様式も違う。その人の出自と異なる音楽に心を寄せることは、難しいことでもある。インドからやって来た人が、わたしのコントラバスーンの演奏を聴いたとして、そこに楽しみを見出せないとしても驚かないわね。それは何もかもが違うからよ。違う様式の音楽を聴くことは大事だけど、すべての音楽を好きになる人はいないでしょ。自分で好きなものを選びとらなくちゃね。

*微分音:音階の中で、西洋音楽の半音よりさらに細かく分けられた音。アフリカ、インドなどの民俗音楽にみられる。

Joplin Tunes for the Big Bassoon:2014年リリース。このCDでGlobal Music Awardsを受賞。

BD:あなたは自分のキャリアにおいて、いま立っている場所に満足でしょうか?

 

SN:(ちょっと考えてから) もっと先に行っていたかったかな、あるいはいまもっと若かったら、このどちらかね(笑)。もうちょっと早くに始めていればと思うけど、基本的にはここまでのことには満足してる。もう少しことがトントン拍子に進んでいればな、とは思う。誰でももう少し先に進みたいと思うでしょ。わたしは2、3年前に思っていたより、ずっと先まで来てると感じてるけどね。ここ2、3年に起きたことはとても素晴らしくて、それにはとても満足してるわね。

 

BD:レコーディングとか?

 

SN:レコーディングは、進むべき道としてとても大きかったわね。もっと早くにできていれば、でも思い返せば、、、

 

BD:(言葉を遮って)もっと早く、というのが正しかったかどうか。

 

SN:それはそうね。時期が早いのがよかったとは思わないし、早い時期に準備ができていたとも思わない。わたしがやった時期について考えると、もし5年とか10年前にそれをやっていたら、音楽的な成熟がまだ足りなかったと思うし、技術的な能力も今のようではなかったでしょうね。だから自分が10年、15年早く進歩していたら、もっと早くに始められたってことになるわね。

 

BD:こういうことはオペラ歌手ではいつも起きてますね。バスの人は遅めに進歩して、でもそのあととても長く活躍しますよ!

 

SN:その通りだわね。100歳までなんとか生きたいものだわ。まだ先はとても長いし、ずっとずっと吹いていたい。健康を保って快調でいるために何でもしたいわね。そうすれば演奏しつづけられる。持ち運ぶのにすごく大きい楽器だし、演奏にもエネルギーがいる。健康で、精神もクリアにしてないと。からだも精神も健康に保つことはとても大切なこと、そうすれば最大の能力が発揮できる。そうすれば長生きもできる。

“I fully intend to live to be 100.  I have a long ways to go and I wanna play for a long, long time.  I do everything I can to keep myself healthy and in good shape so I can play the instrument.”

BD:レコードはあなた自身の考えなのか、それとも誰かからの提案だったのか。

 

SN:1枚目はわたしのアイディアで、それがまわりまわって実現した。「コントラバスーン活動家」って自分で言うようになる前は、「初演コントラバスーン奏者」と呼んでいたのよね。それはたくさんの曲を初演していたからで、すべてがわたしのために書かれたものじゃないけど、いくつかはそれもあった。で、書かれたけどまったく演奏されてない曲を、わたしは初演してきたってわけ。それから突然気づいたの、CDを埋めるだけのわたしのために書かれた曲があるってね。1時間分くらいの曲は揃ってるって思った。う~ん、作曲家たちにとっても嬉しいんじゃない、これが最初に思ったこと。曲がレコーディングされれば、多くの人が聞けるでしょ。同時に楽譜も出版したの、みんなが買えるようにね。わたしにとっても悪いことじゃなない、CDになることはね。つまりみんなにとってWIN-WINなわけ

 

BD:でも自分を最後に置いてるのは面白いですね。

 

SN:演奏者がメインになるってことはないの。それは作曲家で、彼らがいなければ音楽はないでしょ。それと楽器はいつも、わたしにとって一番の存在なの。人々にコントラバスーンを聞かせるっていうね、わたしの演奏を聞かせるんじゃなくてね。わたしはこの楽器の背後にいる人間なわけ。楽器こそが中心ってこと。

 

BD:あなたは楽器の一部なのか、それとも楽器があなたの一部になるのか。

 

SN:(深いため息) コントラとわたしは離れられない仲なわけ。あまりに楽器と深く関わりすぎることに対して、人は警告を発してくる。楽器と自分を同一視するのは、よくないってね。だけどわたしはそういうところまで行ってる。もし誰かがコントラバスーンのことを悪く言ったら、自分が言われたみたいに感じてしまう。ある意味、健全じゃないかもしれないけど、わたしはこの楽器にそこまで深く関わってるから、自分の一部みたいになってる。自分のことをコントラ抜きで語ることは、不可能に思える。

 

BD:そうは言っても、脇に置くことはあるだろうし、夜にはケースに入れてふたを閉じるでしょう。

 

SN:あー、それはもちろん。そうだわね。映画に行くだろうし、どこかに出かけて何かしたり、楽しいことをしたりする。でもいつも心にコントラはいるし、いつもわたしの一部なの。そうである必要があったのね。多くの音楽家は、あるところまで行くと、そんな風になるんじゃないかしら。多分、わたしほどの度合いではないかもしれない。それはコントラが普通の楽器じゃないからよ。それに多くの人はこの楽器についてあまり良く言わないから、自分はかなり防衛的になってるって思う。

 

コントラバスーンはオーケストラの中でも、一番知られてない楽器でしょ。どんな音がするか、誰も知らない、それは聞く機会がないからよ。絵を描けと言われて、描ける人は少ないんじゃない。人にほとんど知られていないってことね。オーケストラの普通の楽器の人に対して、コントラバスーン奏者は一種、壁の花なの。

 

BD:確かにね。みんなピッコロは知ってるし、バス・クラリネットも知ってる、、、

 

SN:そう、イングリッシュ・ホルンもね。だからコントラ奏者は前に押し出そうとするわけ、多分ちょっと押しつけがましくね。そうすればみんなはこの楽器に気づくし、音を聞く、少なくともそこにこの楽器がある、ってことがわかる。もしこの楽器が嫌いなら、それはしょうがない。でもどんなものなのか、まずは知らなくちゃ、チャンスくらい与えてくれてもいいでしょ。初めてこの楽器を聴いて、聴いたあとであまり好きじゃないとわたしに言うのはかまわない。だけど聞きもしないで、嫌いだって言わないでほしい。

 

BD:聴衆が家に帰ってから、「なんてこと、、、今晩はコントラバスーンがいなかったのよ!」って言うようになったら、あなたの試みは成功でしょうね。

 

SN:それって素晴らしい! そうなったら素晴らしいわね。現在、オーケストラ曲の中で35%しかないらしい。どこか読んだんだけど、だから3曲に1つってこと。あるいはどのプログラムにも、コントラの入った曲が一つは含まれているってこと。コントラバスーンのパートがまったくないプログラムも、もちろんあるわね。ロマン派や現代曲ではもっとあるけど、たいていコンサートのごく一部で、オーケストラにとってのビジター奏者なわけ。

 

BD:常連ビジター奏者。

 

SN:常連ビジター奏者。そうね。

 

BD:標準的な設定として、コントラバスーンの曲が書かれるといいですね。

 

SN:そうなの。オーケストレーションの授業では、スコアの用紙を学生に渡すとき、コントラバスーンのための場所がいつもあるの。いいことよ。とても重要なこと。室内楽でもコントラを入れることを考えるようになってきてる。これもいいことね。

 

BD:コントラバスーン二つを必要とする曲が2、3あるのを知ってますよ。

 

SN:そうなの! そうそう、実際のところ、(シカゴ)交響楽団は『火の鳥』完全版のバレエを2、3週間先にやろうとしてる。それはコントラバスーンが二つ入ってるの。『春の祭典』もそう。エドガー・ヴァレーズの『アルカナ』と『アメリカ』の2曲もそう。シェーンベルクの『グレの歌』もね。全部で5曲、いま思いつくものとして、二つの独立したコントラバスーンがある曲ね。 

 

BD:コントラバスーンによるデュエットっていうのはどうです?

 

SN:ドナルド・エルブがコントラ二つのための『ファイブ・レッド・ホット・デュエット』を書いてるわね。

 

BD:コンビネーションはいい?

 

SN:そう思う! わたしは好き。面白いコンビネーションよね、エルブの楽器の使い方がね。彼は第一奏者をかなり高い音域で書いてる。第二奏者はなるべく低い音域に留まるようにしてるの。だから二つの違う楽器でやってるみたいに聞こえるわけ。すごく賢いやり方よね。吹くのが難しい曲、とても難しいの。 

 

BD:思うに、あなたはピッコロ奏者を見つけてきて、デュエットをやったらどうでしょう。

 

SN:(クスクス笑い) そうね、何が起きることやら。ベートーヴェンのクラリネットとバスーンのための二重奏に興味のあるクラリネット奏者を探してきたのね。バス・クラリネットの奏者ならいるんじゃないかと思って、でもまだ見つけられてないんだけど。どうなるかしらね。コントラバスーンは、それ用に書き換えられたものを吹かなくちゃならない。コントラバスーン用の曲はもっと書かれていくでしょうけど、コントラ用に書かれたオリジナル曲は充分には持てないと思う。

 

これを始めたばかりの頃、わたしはすごく頑固だった。リサイタルをやり始めた最初の2、3年は、コントラ用に書かれたもの以外、何ひとつ演奏しようとしなかったの。原理主義者みたいだったの。でも2年たったら、曲を使い果たしてた。ゲーリー・カー*は、コントラ用に書き換えられたものをやることを勧めてくれた人。彼にわたしの録音を送って、吹く曲がないという不満を書いた。そうしたら彼は、「いいかい、そこを超えなくちゃ。この楽器でソロをやりたいんだったら、書き換えの曲を使うのを避けてちゃだめだ、他の楽器のために書かれた曲を吹くんだよ。それしかないよ」ってね。彼はわたしの心を正して、もっと広い世界へと連れだしてくれたわけ。

*ゲーリー・カー:アメリカのコントラバス奏者。1941年~。20、21世紀最高のコントラバス奏者の一人。コントラバス初のソリストとも言われている。

 

いまはルイジ・ケルビーニとかロッシーニ、モーツァルトの曲をコントラバスーンでやろうって考えられるようになった。それが、すごくいいわけ! すごく合ってるんだけど、オリジナルの楽器でやってるんじゃないということを、いつも考えてる必要がある。これには他にもいいことがあって、知られている曲を吹くことになるからね。聞いたことがある曲なわけ、バッハのチェロ組曲からの2、3の曲とかね。誰か他の人が(他の楽器で)演奏したのを聞いたことがあるから、みんな音楽がわかるの。いつも真新しい曲じゃない、みんなの知らない曲ではないってこと。聞いたことがあるけど、でも違う文脈で聞くことになる。だから聞く人は、楽器に集中して音楽を聴くようになるの。ただ単に音楽を聴くんじゃなくてね。そのこともとてもいいと思ってる。

“It's something they've heard before, but in a new context, so they can actually concentrate on listening to the instrument, not just the piece of music, which I think is good. ”

***

 

BD:さっきの楽器の一部になるというところに、ちょっと戻りますけど、あなたが吹いているとき、楽器をとても特別な親密さで抱きかかえているように見えます。

 

SN:そうね! 楽器を包みこむみたいな、そんな風だわね。演奏のためにすわるとき、片足を床の釘の後ろに置くと滑らないでしょ。もう片方の足は楽器の前に置く、楽器を支えるようにね。だから楽器をからだで揺らすような感じになる。そして片腕で楽器を抱えて、もう一つの腕でそれを支える。そんな感じで楽器を抱きかかえるのね。

 

BD:半分アスリートで、半分軽業師ですね。

 

SN:もしすごく太っていたら、ちょっと困るかもしれない。楽器を充分に抱きかかえられないからね。もし敏捷性があまりなかったら、それも問題になるかも。それに加えて、楽器をあっちへこっちへと持ち運ぶ問題がある。大きくて重いでしょ、7キロ近くあるからね。それはケースの重さ抜きでね、ケースも7キロ近くあるから。つまり適正な肉体が必要ってこと、ブツを持って階段を登ったり降りたりできなくちゃ。

 

BD:ボーリングのボールが7キロくらいですね。

 

SN:ほんと?

 

BD:ええ。だからあなたはボーリングのボールを二つ抱えてあちこちへと。

 

SN:そうね、たいしたエクササイズだわね。いっしゅ循環作用ね。からだを保つためにそれをするのはいいことであり、それをやってるからからだが保たれるという。肺にとってもいいわね。コントラは相当量の空気がいるから、演奏するのに息のコントロールは大切でしょ。セラピーみたいなもので、吹けば吹くほど、肺活量が増えるという。バスーンを吹こうとすると、息つぎしないで長いこと吹いていられるってわかったの。すごいなって!! なんでもないことなの。

 

自画自賛しようっていうんじゃないのよ、コントラをいっぱい吹いてると、相当量の空気を扱うのに慣れるっていうこと。息継ぎでは毎回、めいっぱい空気を入れ込むから、その結果として、小さな楽器を吹こうとすれば、それほど空気を吸わなくて間に合うの。まだまだ大丈夫、まだまだいけるって。

 

BD:エナジャイザー・バニー*みたいに?

*電池メーカー「エナジャイザー」のキャラクターのピンクのうさぎ。「まだまだいける!」のセリフでおなじみ。

 

SN:そうそう。

 

BD:コントラのリードを普通のバスーンに使ったことはあります?

 

SN:ある。すべての音が半音低くなる。だからコントラのリードを入れると、バスーンで低いAを出せるの。でも響きはあまり良くないし、音が不明瞭になるわね。

 

BD:カール・ニールセンの『木管五重奏曲』は、最後のところで、低いAを出すために、(小さなバスーンの)ベルに何か入れる必要があります。コントラバスーンで音を少し低くするために、そういうことをすることはあるんでしょうか。

 

SN:やったことないわね。まずベルは下の方に向いているから、もし何かそこに入れようとすれば、止めるものがないと落ちてしまうでしょうね。低いAまで下げられるように作られたコントラバスーンはあるの。ヘッケルは取り外し可能なベルのコントラを作ってる。だから短くて真っすぐなベル(低いCまで出せる)を選ぶこともできるし、取り替えて低いAまで出せるものにしてもいい。それが一つの方法ね。

 

BD:バストロンボーンに管を足すような。

 

SN:そう、まさに。だけど問題になるのは音階を狂わせてしまうこと、それと響きもずいぶん変わってしまう。それに加えて、追加による連携で、低い音域ではいくつかの音が少し外れてしまう。オーストリアにソロ演奏を少しするコントラバスーン奏者がいて、その人は自分で楽器を作ってA♭まで出せるようにしてる。持ち運びするのに大変だと思うけど。B♭からAに、さらに半音低い音を加えるわけ。つまりA♭まで、もう50cmくらいいるでしょうね。それに価値があるかどうかわからないけど、彼にはそれをやる理由があるんでしょうね。

 

BD:ベーゼンドルファーのピアノが、低い方に鍵盤を足してますけど、それと同じようなことでしょうね。

 

SN:そうじゃないかと思う。わたしはリサイタルでそういう楽器と張り合ったことがあるの。コントラバスーンでリサイタルをやって、そこでそういうピアノを使った。もちろん低い音域を強化したんだけど、わたしにとって最悪の事態になった。ピアノと張り合うことはできないのよ。

 

BD:(クスクス笑い) でも最終的に、そのすべてに価値があるとなったらいいですね。

 

SN:それはそう。そのとおり。これがわたしの人生になったわけで、本当に。他の人がわたしをただのコントラバスーン奏者だと思うことに腹をたてていたけど、いまはそんな風に考えてる。人が自分を「大きなバスーン奏者」と思うのが嫌なの。わたしが「大きなバスーン」をやるようになってから、向き合うことになった問題ね。

 

BD:あなたがわたしの留守電に残していくメッセージが好きでね。「ハーイ、スー・ニグロだけど、コントラバスーンのニグロよ」 あなたの信念の表れですね。この世界にはコントラバスーンっていうものがあるの、忘れないでね、っていう。

 

SN:もしわたしが何かこの世に残せるものがあるなら、この楽器にもっと注意を向けさせること、そしてもっと聞きたいと思ってもらうことね。好きにさせると言っても、わたしが無理やりそう仕向けることはできないけど、彼らが好きになることを願うことはできるし、できるだけこの楽器で素晴らしい音を出せば、いい印象をみんなが持つようにはなると思う。

 

BD:今日のこの会話をありがとう。とても感謝しています。

 

SN:こちらこそ!

Bio Nigro

スーザン・ニグロ | Susan Nigro

 

1951年、シカゴ生まれのシカゴ育ち。ソロ奏者として、リサイタルやレコーディングをする数少ないコントラバスーン 奏者。アメリカ全土をはじめ、ザルツブルク、モンテビデオ、ローマなど世界各地で演奏活動をしてきた。これまでに50曲以上を委嘱や初演で世に披露している。初のアルバム『The Big Bassoon』 (1995)からラグタイムのスコット・ジョプリンの楽曲を収録した『Joplin Tunes for the Big Bassoon 』(2014:このCDでGlobal Music Awardsを受賞)まで、8枚のアルバムをリリース。オーケストラでの仕事も多く、クラシックのみならず、Chicago Jazz Philharmonicでも演奏している。ロンドンの国際音楽博物館のアーカイブに経歴が載るなど、コントラバスーン 奏者として国際的に名前が知られている。

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