オオカミの生き方 | ウィリアム・J・ロング

Photo by Ralf Κλενγελ(CC BY-NC 2.0)

オオカミの仲間意識

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 ハイイロオオカミについての先入観をくつがえす最初の気づきは、ここまでに見てきた通り、狩りの際、彼らが協同して働き、獲物を争うことなく分け合うことだ。そして冬を通して彼らを追えば、それ以外のオオカミのやり方、(激しい競争ではなく)仲間意識も学ぶことになる。

 

オオカミが突然、見えないところから銃で撃たれると、どこから何にやられたのかわからずに大声で吠えたてるが、腹の減った仲間のオオカミたちがやってきて撃たれたオオカミを貪るようなことはない。それはわたしたちに伝えられた嘘の話だ。

 

 それとは対照的に、仲間のオオカミは撃たれたオオカミの元に集まり、深い関心を寄せる。そのような瞬間を目撃すれば、集まった仲間たちはいったい何が起きたのか知ろうとしているように見える。傷を負ったオオカミは頭を持ち上げて悲しみの声をあげ、逃げ場を求めて、動ける分だけ仲間の輪から離れていく。すぐにまた仲間たちは彼を取り囲み、ある者は鼻から尻尾まで鼻を寄せて臭いを嗅ぎ、他の者たちは猟犬が見失った獲物の跡を追うように、雪の上を探しまわる。

 

傷を負ったオオカミが移動すると、仲間たちはいたぶることなくその後につづく。そして彼が立ち止まって鳴き声を上げると、仲間全員が灰色の頭を空に向け、ともに声をあげて鳴く。

 

 オオカミの興奮が血の臭いによって引き起こされるものなのか、他のもっと深い要因があるのかは議論の余地がある。連れ合いをめぐる他のオオカミとの闘いによって血が流されたとき、わたしの知見では、他のオオカミたちは彼に何の反応も示さない。オオカミたちは静かにそこを通り過ぎ、血を流しているオオカミが自分の意思でついてこれるようになるまで放置する。しかしそのオオカミが彼らのまっただ中で傷を負い、その意味が理解できない、あるいは特に危険を感じられないときは、活発な関心を寄せる。

 

 オオカミたちは襲われた者のまわりに集まっては離れ、声をあげ、また集まる。こうして野生のドラマは湖の上で展開される。傷を負ったオオカミは、本能に従い身を隠し、傷を癒そうと森に逃れる。他のオオカミはその意図を理解しているように見え、彼が姿を見せている限りはそのそばにとどまるが、身を隠す場所へと消えれば、背を向けて自分たちの狩りへと出かけていく。

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 この傷を負ったオオカミのあとをつけてみよう。しかし追いついたり、姿を見ようとしてはいけない。自分が風の音でもない限り、そして陽の光が充分でない限りしてはならない。このオオカミは隠れ家を探している。誰も来ない、自然に埋もれた場所、そこで体を丸め、眠りに落ちる。もし傷が致命的なものであれば、彼はそこでただ眠りに落ちるだろう。そこで何日か静かに横たわり、回復の兆しが見えてきたら、まずは食料を手にすることを考える。

 

 このとき自分の弱った体を狩りに使うことはない。仲間の群れがその地域を走りまわって餌を得てくる。彼は仲間たちの行き先を追うわけでなく、またその必要もない。人間にはわからない何らかの方法で、オオカミはいつも、仲間たちがどこにいるか察知しているように見える。たとえ1週間、仲間の姿を見ていなくとも、そして仲間たちがその間、森の中を何キロも走りまわっていたとしてもだ。

 

回復期にあるオオカミが空腹を感じると(野生動物であれ荒野にいる人間であれ、食欲が回復の最初の印となる)、隠れ家を離れ、自分の仲間が狩りに出て、狩った動物の肉を残していった場所へとまっしぐらに向かう。

 

 このようなことが、雪に残された足跡を追って静かな森の中を行くとき、少しずつわかるようになる。しかしこのオオカミはどうやって仲間のいる場所が、あるいは彼らが狩りをした場所がわかるのか。仲間たちは何日ものあいだ、丘を越え、知覚の届く範囲を超えてさまよっていたのに。これは雪に残された足跡が教えてくれないことの一つだ。仲間たちは充分な伝達の印を残しているのだ、と思う。しかし、それが何なのか考えてみる必要はある。

 

 繰り返しになるが、見知らぬ同士の2頭のオオカミが出会った場合、人間が想像するような、吠えたてたり、相手の喉元に噛みついたりといった無作法な態度はとらない。それとは対照的に、行儀のいい犬がするように礼儀正しく挨拶し、相手が最近どんなものを食べたか嗅ぎ合い、そしてそれぞれの道へと歩をとる。もし片方が最近シカの肉を食べていて、もう一方が腹をすかせていれば、後者はすぐに自分もそのご馳走にあずかろうと、相手が来た道をたどるだろう。

 

 もし両者とも成果の少ない季節を送って腹が減っているときは、一緒に出かけていくかもしれない。狩りのできる場所へと、手に手を携えて走っていくだろう。しかし獲物に近づくときは、片方が少し前に出る。この習癖は知性の見せどころのように見える。なぜなら1列になった方が、並んでいるより目の前の獲物から目立たないからだ。しかしこれも、おそらく雌オオカミによる訓練のたまものだろう。母オオカミはいつも、子どもたちを自分の背後に置いて狩りをするからだ。

 冬の終わりごろ、1頭のオオカミを追っていて、その足跡が反対方向から来た別のオオカミと出会ったのを見つけた。追っていたオオカミは東に向かっており、もう1頭は西に向かっていた。ところがこの2頭は出会ったのち、南へと向かった。いかにも2者が未踏の地へと狩りに出かけたように見えた。何キロも何キロも、わたしはこの2頭のあとを追って、岩棚が突き出た尾根の近くまでやってきた。

 

 そこはわたしの野営地から遠くない場所で、キツネたちが昼に休む場所であることを知っていた。岩棚に間隔をとって2、3の巣穴があり、若いキツネたちが、仲間たちがよくしているように、夜の狩りを終えたあとに、自分の生まれ育った場所の近くに戻ってきて休むのだ。あるいは同腹の兄弟が、夜の間、離れ離れになって狩りをしたのちに、夜が明ける前に、互いによく知る場所に集まって過ごすのかもしれない。事実は明快だが、動機は確かではない。

 

 キツネの巣穴のある尾根のふもとで、2つのオオカミの足跡が、通って間もないキツネの足跡と交差し、そこから先はより注意深く、ゆっくりした歩みになっていた。そして雪の上にしゃがみこみ、風の臭いを嗅いだ。1頭が隠れ家の小さな入り口のそばに忍び寄り、そこから通り道を監視した。もう1頭は尾根の背後に向かい、頂上へとゆっくり登っていった。このオオカミを音か臭いで察知した1匹のキツネが、巣穴から道へと出てきた。目の前の道に目をやり、一度立ち止まって背後に聞き耳をたてた。このキツネは、入り口近くで待ち構えていた方のオオカミの口元へまっしぐらに飛び込むことになった。

 

 同じような協同作業は、オオカミの群れがムースを殺すときや、カリブーをものにする際にも見られる。どちらの場合も、オオカミの通常の能力や手法では間に合わない。成熟したムースは非常に強じんで、前足の一撃は正面から闘うには危険がともなう。

 

オオカミは他に獲物が見つかれば、このような危険を犯すことはない。しかし激しい空腹に襲われたときは、それが大きくても小さくても最初に目にしたムースを襲う。そしてコリー犬のように、そのムースを群れから分離させるか、ムースの冬の居住地から追いたてる。そしてムースが怒って突進してくるのを避けつつ、休んだり食べたりするチャンスを捉えようと、しつこくその1頭を追いまわす。そしてムースを走りまわらせ、休んだり食べたりさせないようにする。

 

ムースはついに疲れ果て横になり、オオカミたちは素早くことを済ませる。

次回「オカミの自然、人間の野生」は10月後半公開予定。