オオカミの生き方 | ウィリアム・J・ロング

Photo by Ralf Κλενγελ(CC BY-NC 2.0)

狩りとテーブルマナー

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 オオカミの冬の集団において、重要性という点から見たとき、最後にくるのが大人の雄オオカミである。オスの習性は単独行動であるが、自分の家族から遠く離れることは滅多にない。ときおり家族に仲間入りするとき、オスは大きな犬が子を扱うときのように、子どもたちを尊大な態度で扱う。この子たちが自分の子孫であるとは思わず、父親であることも考えになく、自分の母親か連れ以外のオオカミには何の忠誠心も持たない。

 

もし開けた尾根やぬかるんだ湿地で獲物を追い詰めたときは、雄オオカミは雌の呼び声に応えてやってくる。そして狩りの場で、全員が静かに扇状になる(母親と子どもを真ん中に、一年子とオスが広げた扇の端前方に位置して)。もし獲物の動物がうたた寝をし、やってくるオカミたちの扇の内に捉えられたら、そこから逃れるチャンスは非常に少ない。自分の背後で鋭い鳴き声が起きたとき、走って逃げようとはするが、この鳴き声を合図に、雄オオカミが端のいずれかから飛び込んできて、逃げ道を塞ぐ。

 

 しかしながらルールとして、大人のオスは単独で狩りをし、腹が満たされるまで、ネコのように身を潜めて人里離れた場所をうろつく。あまり餌がないときは、何かの方法で仲間の群れが腹が減っていることに気づき(ある種の家族間の無言のコミュニケーションが行き来しているという印象を、オオカミを追ってきた者はみなもっている)、自分一人のためにウサギやネズミを追わずに、もっと大物を狩りに出ていく。

 

 あの日の朝早くにわたしが見たように、雄ジカを倒して手にするかもしれない。そういうことがあれば、通常、仲間にご馳走を分け与えるために、声をかけるだろう。これは野生動物ではよく見られることだ。固有差はあるにしても。それは見た目や習慣において、そっくりなオオカミなどというのは、めったにいないからだ。

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 大人のオスがそうするように、他の群れのメンバーも同じように振るまう。獲物が分けるにはあまりに小さいときは、自分だけで食べる。もし大人のオスの獲物がネズミかリス、ライチョウであれば、群れの残りの者たちは自分たちで狩りに出る。冬の荒野でいくつものオオカミの集団を追った経験で言うと、大きかろうと小さかろうとどんなオオカミであれ、他の者から食べものを奪おうとしたところは見たことがない。

 

 しかし殺された獲物がみんなで分けるに足るほど大きかったときは、臭いを嗅ぎつけて、あるいは呼び声に従って即座に集合する。それを目撃すれば、そこにはガツガツしたところや、どう猛さなどないのがわかる。むしろ控えめで、調停の際、他のオオカミに対して、謙虚な態度を見せる。

 

 オオカミたちは獲物に突進したりせず、そのまわりを歩く。最初、ご馳走の主がいる場所の反対側のテーブルにつく。それから少しずつ歩み寄る。どのオオカミも同じ食い口から食べようとしているように見える。そして若いオオカミは、頭が大人のオオカミとぶつかりそうになると、「あ、失礼しました」とでも言うような態度を見せる。シカの死骸から食べたいだけ食べると(それは驚くほど少ない)、そのあと誰もその獲物の権利を主張するようには見えない。他の動物、クマやクーガーやフィッシャー(イタチ科、北米原産)のように、獲物の残りを隠したり、埋めたりすることは稀で、晒したままにしておき、番する者を置いたりもしない。ときに、2、3日後に戻ってきて、もう一回食べることはあるかもしれない。その間、獲物は晒されているので、腹の減った鳥でも動物でも、自由にその分け前を手にすることができる。

 

 別の地域にオオカミたちが狩りに出ている間、何度となく彼らが残していった肉を見てきたものの、この前雄ジカが倒されるのを見たとき以来、野生動物たちがどのように振るまうか、見るいい機会がなかった。オオカミたちが腹いっぱいになって満足して姿を消したあと、氷の上には残りの死骸が丸見え状態でさらされていた。食い口以外の三方はきれいなままだ。そこで1週間にわたって、わたしは風下に身を置いて、何が起きるか何時間も見張っていた。だからわたしに見られているとは、やってくる動物には気づかれなかったはずだ。

 

 たくさんの森の仲間たちが、こそこそとあるいは堂々と、ご馳走のところにやって来た。カケス、ワタリガラス、リス、キツネ、イタチ、そしてオオヤマネコが1頭、よそのオオカミの群れが一つ。しかし1匹のアカリスをのぞいて(この小さなひねくれ者は自分が食べているとき、あるいは味見かもしれないが、他の動物をおどそうとしたり、叱りつけたりしていた)、他の生きものを支配しようとしてガツガツしたり、どう猛さを見せたり、ケンカをしようとしたりする者はいなかったし、独占しようとする気配もなかった。

 

 実際のところ、人間がやっているように、ある動物が自分が必要とする以上のものを得れば、他の動物は飢えてしまう。このようなことは、オオカミと違うというだけでなく、生命やあらゆる自然の本能に反して見える。

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 わたしが見てきたオオカミの家族も、食料の少ない季節は、幾らか関係のある群れと、2つか3つの集団で結合することがあり、領域外に食べものを探しにいくために行動を共にする。ルールとしては、どの群れも自分の領域を守るものだが、飢えによってその習慣は破られる。広範囲に及ぶ探検に出るオオカミたちは、効果的に動くため団結していると思われる。

 

 そのようなとき、集団内に序列ができることはあまりない。それでも賢く効果的に、群れで狩りを行なっている。リーダーシップのようなものが必要とされるときは、成熟した雌オオカミによって行われているところが見られる。同じことがシカの集団にも見られる。その理由は、北の森でしっかり目を開けて観察していれば、誰にも推測されることだ。

 

 こういったわけで、湖の岸辺に水を飲みに(あるいは食料を求めて)やって来た雄ジカに、カヌーで静かに近づくと、姿を捉えられたと彼が感じれば大きな声で合図を仲間に送るかもしれない。しかし気づかれていないと思えば、声を出さずに、こっそりとその場を立ち去っていくだろう。そういった場所で雌ジカを驚かせたときは、それが敵かどうか判別できるところまで近づいてくる。そして身の安全のためにひとっ飛びする前に、他のシカたちに警告の声を発して危険を知らせるだろう。そして自分が安全なところまで逃げ出してからも、何度も警告を繰り返す。

 

 そのような出来事がよく起こると、雌ジカのリーダーシップのせいかもしれないと人は思う。雄ジカは普通もっと自分本位で、自分のことにかまけている。それに対して、雌ジカは生まれながらに、そして経験から、他の者を気にかけることも学んできた。このようなわけで、オオカミの群れの先頭に、あるいはシカやヘラジカ、カリブーの集団の前には、母親の姿を見ることになる。