カワウソのトリック [ 1 ]
一方、カワウソのキーオネク(インディアンがつかうカワウソの呼称)の方は気ままな生きもの、ブラブラ歩きが好きな散歩族、昔の人が放浪の天才と呼ぶような輩だ。自分の住処を手にするために、荒野をまるごと所有する。とはいえその世界は自分にみあった広さに過ぎない。多くの野生動物と同様、ほとんど超えることのない明白な 境界があり、そこを超える場合は食料が得られないときだ。湖は氷で封印されている。とはいえ大きな湖には一つや二つ空気穴があり、また流れが速ければ、氷の割れ目はあちこちにできる。夕飯のために魚をとるとき、キーオネクはどこかの割れ穴に近づき、入ったところから出てくる。しかしキーオネクはどこかの穴から入って、そこからは見えない遠い別の穴から出てくることがある。これがカワウソが習得した氷の下の息継ぎの術で、他の生きものが真似すれば窒息してしまうだろう。
トリックはいたって簡単なものだが、キーオネク以外にこれを使える者はあまりいない。水面下で空気穴から離れているとき、カワウソは氷を下から押し上げ、肺にためこんだ空気をゆっくりと吐く。すると鼻のまわりに大きな泡ができる。それを鼻に付けたまま、泡を氷と水の間に挟むようにして泳ぐ。そして泡の中の空気を吸うのだ。キーオネクは次のひとかきで、別の穴のところに到着する。そこで満足げなウィーーッという声とともに長い息を吐き出す。そしてまた氷を押し上げて、同じことを繰り返す。
カワウソの冬の旅は広い範囲にわたり、決まった順路を行き、かなり正確な間隔で帰ってくる。直径20キロくらいの範囲で、シカよりも広くオオカミより狭い。湖から湖へと、自分の歩く道筋をもっている。通常この道筋は、目的地まで行きやすいルートをとり、直線距離をいく。しかし途中に水場があれば、ちょっと水浴びするために寄っていく。あるいは近くに急な丘や土手があれば、向こう側の斜面を滑りおりるために、そこを登っていく。平らなところでさえ、カワウソは楽しげに同じことをする。2、3度跳んで勢いをつけると、からだを投げ出し、お腹を地面につけて滑っていく。カワウソの旅の楽しみの一つは、何か変わったことや面白い遊び、あたりを見物することにあるようだ。もう一つは、おいしい魚がどこで冬越ししているかを知ることだ。そのように難しいことを、カワウソはうらやましいほどよく知っている。もしカワウソがいつも漁をしている場所をみつければ、そこで釣り糸を垂れれば間違いない。
キーオネクは美食家で、ほかの野生の住民とはかなり違っている。太ったマスがその先にいると知っていれば、水っぽいチャブがたくさんいても通り過ぎる。甘いウナギを優先して、ホワイトバスの幼魚やザラザラした肉づきのいいバスを無視する。2度に分けて同じ魚を食べることはなく、大半を残したまま去っていく。死んだ魚には目もくれず、罠の餌や腐肉にも手を出さない。新鮮な魚、生きている魚だけを食べたいと思う。おいしい魚は忍び足で、あるいは飛びつくようにして、その日の気分やまわりの状況によって手に入れる。
キーオネクは正体をうまく隠し、獲物と見れば矢のように近づき、ぼんやりしていたマスが危機を察知する前に捉えてしまう。魚が危機を感じて逃げれば、キーオネクは頑丈な尻尾で舵をとりながらからだを右へ左へとゆすり、水かきのある力強い前足をつかって静かにあとを追う。そうやって狙った獲物を追い、完璧なスキルと忍耐力で最後には手にいれる。素晴らしい漁師であり、比較の対象になるのはアビのフクウィーム(インディアンの呼称)くらいのものだ。フクウィームは小さな魚しかつかまえないので、いつも大きな魚をとらえるキーオネクに劣るかもしれない。キーオネクの食べ残しを見れば驚くこと請け合いだ。同じ湖や川で釣りをし、最良の技術と最高の用具をつかっていたとしても、彼が残していった頭と尻尾を見れば、これまで目にしたそこで獲れるどんな魚より上物であることがわかる。
夏であればすべてが簡単にいく。湖に氷はなく、光に満ちている。しかし湖が氷におおわれる冬は、 餌を食べて快適に暮らそうとすれば、カワウソはより慎重なふるまい、鋭い目とすばやい動きが必要となる。魚たちは、深くて見つけにくい場所に身を潜めている。彼らはほとんど食べものを口にせず、静かに暗い水中にとどまり、充分に近づかないと物陰に隠れて姿すら見つけられない。キーオネクが氷の下で魚を見つけても、いつもやってるように空気の泡から息を吸うことができない。ツルツルした魚が口の中で邪魔をするからだ。魚をそこに放置するわけにもいかず、素早く近くの空気穴まで行く必要がある。空気穴にたどり着いても、水の中で食べることはできないので、氷の上にそれを出す。そしてそこに骨や鱗といった食べたものの記録を残していく。数百グラムを超える食べきれないくらい大きな魚をつかまえ、食べ残していくこともある。そのような印を見つけたら、近くにいい釣り場があるという証拠だ。カワウソはとらえた魚をひとたび置けば、その場所から絶対に動かしたりしない。
キーオネクは片側の口が開いた氷の穴で、冬の釣りをすることが多い。そこからなら獲った魚を簡単に岸辺まで運ぶことができる。滝がつくった氷棚の下に食事室を隠しもっているのだ。湖の釣りでは、キーオネクは湧き水の口か川の入江付近をつかう。そのような場所で水に入る姿を見つければ、(こちらの姿を見られていない限り)またそこに姿を表すことは確実だ。安全と見れば、キーオネクは素早く釣り場を巡回し、入った口からテラテラした頭をぬっと突き出す。次の瞬間、氷の上に出て、背を丸めてとらえた獲物に食いつき、ミューと歓喜の声をあげることもある。何も見つけられなかったときは、頭を出したときにウィーフと声をあげる。口が獲物でいっぱいのときは、そのような声は出せない。そしてその穴のそばで少し待ってまた挑戦するか、いそいそとよその釣り場に出かけていく。
カワウソのトリック [ 2 ]
湖が小さくて、岸から岸の間が固い氷でおおわれていれば、キーオネクはさっさとそこを通過する。おいしい魚が氷の下にはいるかもしれないが、中に入って捉えることは難しいからだ。湖の入江のような、片側が開いている氷の穴にカワウソが入っていき、何時間も姿を現さないのを目にして、不思議に思うことがある。
冬に動物のあとを追いはじめた頃、1匹の動物が氷の穴の中を素早く泳いでいき、氷の下に姿を消したのを見たことがある。かなり遠くにいたので、それが何かは確認できなかったが、稲妻のような身のこなし、大きな頭に隠れた耳、手幅ほどの水を引いて泳いでいく後ろ姿、そのすべてがカワウソであることを物語っていた。こんな風に泳ぐ動物はほかにはいない。カワウソはわたしに気づいていなかった。通りすぎたとき、わたしはじっとしていて、風もわたしを味方した。わたしは意気揚々とカワウソが再び姿をあらわすのを待っていた。キャンプに上等の毛皮をもちかえれるかもしれない、などと考えていた。わたしはその水場をよく知っていた。そこ以外には、開いた口はなかった。入江は湧き水の上にあり、そこからはるか1、2キロ湖は凍りついていた。だからわたしの獲物は必ず姿をあらわすはずだった。どんな動物も、氷の下で長くはいられない。
10分がたち、わたしはカワウソの強靭な肺活量に驚いていた。1時間がたち、困惑が増すばかり。暗い水中に命の影もない。氷と雪のせいで、水はインクのような色をたたえるばかり。その午後はけっきょく無駄におわった(よくあることだが)。わたしは自分の見たものを疑いはじめていた。そして入江を歩いていたとき、キーオネクの通り道を岸辺で見つけた。わたしは再び隠れて待つことにした。夕方になった。森ではフクロウが鳴いていた。嵐の気配を感じさせる風が唸り声をたてはじめた。しかしカワウソは出てこない。あたりが闇におおわれ、何も見えなくなって、わたしは家にもどった。
その夜、数センチほど雪がふった。夜が明けて、わたしは昨日の入江にもどった。そこにはあのカワウソの新しい足跡があった。のんびりとした、人をバカにするような足跡で、湧き水の口のところからはじまっていた。急いだ様子もなく、やすやすと水から上がって、旅を続けていたのだ。わたしが予想したとおり、彼は外に出てきた。しかし長いことどこにいたのか。
わたしの結論
このような場所で、カワウソを追っていくことができたなら、彼が魚を探し出し、息を止めて追跡したあとそれをものにし、矢のようなスピードで食べる場所まで持っていくところを見れるかもしれない。それは岸辺にあるカワウソ自身の住処かもしれないし、ビーバーの家の下にあるトンネルかもしれないし、水から突き出た岩の上で固まった氷塊の下にある洞穴かもしれない。カワウソやミンク、ジャコウネズミが食べたり休んだりするのに安全な、ゆったりと広い場所だ。岩の床に、氷の屋根。あらゆる天敵の目から免れることができる。このような場所で、キーオネクはビーバーと出会い、反感を買うことになったのではないか。
想像しうる冬の喜劇とは、こんな風ではないのか。ビーバーが冬につかっている湖に、キーオネクが入り、影のように自分の餌場をすべっていく。入江を離れた深いところで、カワウソは獲物を見つけ、氷の下の暗い水の中をあっちへこっちへと追いかける。そうやっているうちに、入った口から遠くまで来てしまっている。しかしそんなことは気にしない。自分の能力と土地勘に自信があるのだ。このあたりの巣穴や氷上の空気穴を熟知することは、カワウソの務め。オオカミが数十キロ圏のウサギの溜まり場やシカの草地を知るのが仕事であるのと同じだ。このような知識によって、命が支えられているからだ。窒息せんばかりになって、キーオネクは魚を口に、近場の息ができるところで頭を出し、水からあがってビーバーのトンネルに出てくると、そそくさと食事室に入っていく。
ビーバーの方は、トンネルをバタバタと登って来る足音を聞きつけ、あわてて上の部屋に逃れる。争いごとは嫌いなのだ。森の仲間たちがみんなそうであるように、なんとか争いごとを避けようとする。しばらくして、一番からだの大きなビーバーが、通路のところまでそろそろと様子を見に行く。しかしビーバーがホールにたどりつく前に、キーオネクがそこにいて道をふさいでいる。
カワウソというのはいつも、捕らえた獲物をおろした場所で食べる。地面にいるとき、獲物を運ぶことはない。魚を食べているカワウソを脅せば、それを置いて逃げていく。また捕まえればいいと思っているのだ。しかしキーオネクはここの家主を恐れていないので、上の階からのハムーサビクの怒りの声も、ギラギラした恨みがましい目も無視して、玄関ホールで背を丸めて獲物を食べつづける。キーオネクは、ハムーサビクの清潔な家に、臭い魚を持ち込む礼儀知らずの野蛮人ということだ。
いやな臭いはビーバーをもっとも憤慨させるのだ、と思う。ジャコウの匂いに満ちた部屋で、心地よく暮らしているのだから。このような嗜好において、ビーバーは興味深い動物だ。ジャコウの匂いを運び、家をその匂いで満たしはするが、新鮮な空気を吸うために外にも出ていく。ジャコウ以外の臭いは、たいてい受けつけない。彼らが通る場所や足でさわるようなところに、カーバイドランプの中身や臭いの強いものを撒けば、住処やダムからビーバーを追い払うこともできる。人がつかっている道が、ダムのせいで水浸しになったときなどにそうすることがある。
さてこうして事態は活況を呈する。キーオネクはひとの家で魚を食べるだけではない。ビーバーががまんできない臭いを鼻先で放つのだ。この邪魔者を追い払うことはできず、怒りは沸騰する。大人のカワウソは、ビーバー1匹分に匹敵する。通路は一度にビーバー1匹しか通れないから、家族全員で追い払うことも不可能だ。通路は肩の上に食べかすを乗せたキーオネクが遮断している。動物はみなそうであるように、カワウソも、自分の食事が邪魔されれば戦う用意がある。それでキーオネクは、最初に置いた場所で魚を食べ、鱗、皮や身のかすといった不快な汚物をビーバーの玄関ホールに残して行く。カワウソが出て行ったあとにビーバーが最初に考えるのは、残された不快ブツを取り除くことだ。臭いを追い払おうにも、家にはドアも窓もない。ただ一つできることは、不快なものを歯でくわえ、水中のトンネルを通って捨てにいくこと。ゴミ掃除をするビーバーの気分がどんなものか、こんなものを残していった悪党にどう仕返ししようとするかは想像できる。
こんな風に想像をたくましくして、ちょっとしたコメディを頭に描いてみたが、与太話に至る印やヒントがなかったわけでもない。20年もの間、ビーバーとカワウソの抗争を観察してきたわたしは、ある日、インディアンのシモーとビーバーの住居のところに立っていた。主が夏の旅に出て、放置された家だった。湖は自然のもので、ビーバーがつくったダムはなかった。深い水の中には、魚がたくさん残っていた。ビーバーたちはそれを取り除いていなかったのだ。家がたっている土手の下の水を覗きこむと、魚の骨、エラ蓋、その他もろもろの魚の残骸があり、シモーはそれはカワウソが残していったゴミだと考えた。最初その考えは奇妙に思えた。カワウソはいつも地面の上で食べるのに、ゴミはビーバーのトンネルの出口近くの水底に散らばっていたからだ。内装を見るためにビーバーの家を切り開くと、シモーが玄関ホールのすき間に乾いた魚の鱗を見つけて指差した。
「見てみろよ」とシモー。「ほら、これのせい、見てみろって! あっかましいカワウソ、この冬ココきたね。ビーバーの家でサカナ食べた。ビーバーの鼻先でね」
ビーバーの怒りの動機を想像するなら、これが(少なくともあるケースでは)カワウソに恨みをもつ理由かもしれない。シモーいわく、「これのせい、ビーバー、カワウソ見る、それで腹たてる」