DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第34章

 8月21日のことだった。ぼくはくそ暑い部屋で、ベッドに寝そべって、葉っぱをやりながら面白みのない人生について思い返し、催眠効果が効いてくるのを待っていた。この知覚麻痺の中で、突然、叫び声を聞いた。
 「ケニー、ケニー! 早く、早く来て! マーティン、マーティン、早く来て!」
 ぼくは瞬時に跳び起きて、濡れた犬が水気をはらうみたいに靄(もや)を振り払って、出口に向かおうとした。叫び声はつづいていた。


+++


 「やつらあいつヲつかんだ!!」(彼らがあいつをつかまえた)、「やつらあいつヲつかんだクソーッたれ」(彼らがあいつをつかまえた、プラス罵りの言葉)。
 兄さんが外で走りまわっているのを聞いた。こう叫んでいた。「だれだ、だれがつかんだ?」 何も面白いことが起きない小さな村では、ちょっとした興奮も最大の出来事になる。次のようなことが予想された:

 2匹の犬が「やって」いて、はまってる
 ジョージーのパパがジョージーを殴っている
 ジョージーのパパが母と子の両方をいっぺんに殴っている(希少で興奮度が高い)
 ジョージーがまだ友だちと遊んでいるときに、ジョージーのパパが路地を歩いて家に向かっている
 誰かがマンゴーの木から落ちて、手か足を折る
 薄いトタン張りの家からうめき声が聞こえてくる(多くはシーモーン *第7章参照:だけど、他の人のこともある
 アイスクリーム屋の車がとおる(ぼくらはアイスを買う金はもってないが、アイスクリーム屋のあとを追うのは面白いし、ときにおじさんはアイスを分けてくれることがある)

 本物の大きな出来事は、泥棒が捕まったときだ(すでにそれが引き起こす面白い出来事を書いてると思う)。その日、誰かが捕まった。ぼくは他の子どもたちの後ろを、兄さんと「だれだ、だれがつかんだ?」と叫びながら走っていた。しかし他の子たちは笑いながら走って、ただ早く来いとしか言わない。泥棒か強姦魔のいずれかではないか、と思った。でも何泥棒なのか? ヤギ泥棒? それともニワトリ泥棒? ぼくの心臓は興奮でドキドキしはじめた。ひょっとしてブラックハートマンなのか? だれ一人、ブラックハートマンを捕まえたものはいない。だから他の子たちは誰なのか言おうとしないのだ。おそらくついにブラックハートマンを捕まえたんだ! あいつは小さな子どもを捉えて、心臓をくり抜き、魂を盗む。
 現場に到着すると、誰かが木に縛られているのが見えた。でも誰なのか見えない。そいつのまわりをたくさんの大人や子どもが取り囲んでいた。さらには、ぼくの視界は、小さかったことなど一度もないフリーダおばさんの圧倒的な尻でブロックされていた。
 そこにいるのが誰なのか見ようと近づく前に、ボブおじさんの冷たく乾いた声がこう尋ねるのを聞いた。「だれの心を盗もうってのかい?」 そしておじさんの手にした鉈が振り上げられ、降ろされるのを見た。金属が骨にあたる音がした。でも叫び声はなし。ぼくは足をとめた。叫び声はなかった。慈悲を乞う声もなし。ということはブラックハートマン以外に考えられない。この世にも恐ろしい生きものを見る前から、ぼくの血は凍りついた。
 そしておじさんの手が再び上がるのを目にした。そしてこう言いながら手が振り下ろされた。「その考えを誰に吹き込もうってんだ?!」 パンパン!
 ぼくは何か聞き違えをしたと思った。考えを吹き込む? ぼくは人の群れを強く押して中を覗いた。興奮は一気に冷め、木とそこにいたやつを見て感覚がなくなった。そいつは木の下にすわり、手をうしろできつく縛られていた。おじさんの鉈が何度も振り下ろされている間、ポカンとぼくらの方を見ていた。ぼくは背を向けて、歩き去った。ぼくがそいつにできることはなかったし、そいつがぼくにできることも今やなかった。みんなは、ぼくのこしらえたスーパーヒーロー「途方もない望み*」を殺していた。ぼくはそのときそいつを見捨てた。ぼくは以下のような教訓を得ていた。不可能と思われることが、単にまだ起きていないだけだと考えつづけることで、最終的に自分を傷つけしてしまう。だからぼくは「途方もない望み」にさよならを告げた。そうしながら自分は、このクソ忌々しい場所を離れられないことを、自分が何者にもなれないことを、ここから絶対逃れられないことがわかっていた。ここで生まれ、ここで育っていき、ここで年老いて不治の病となる。これは確かなことだとわかっていた。だからぼくはその場から背をそむけ、立ち去った。


+++
 

 子どもだった頃、ぼくらは恐ろしいくらいの量のマリファナを吸った。もちろん、葉っぱを吸う方法はいろいろある。ぼくは水ギセルでやるのが好きだった。聖杯と呼ばれることもある。またこれはぼくらの国のラスタファリアンに好まれている吸い方でもあった。水ギセルは、シーシャやフッカー(どちらも柔らかな長い管の水タバコ)を含め、いろいろなものを使ってやる。水の入ったジャーかボール、吸い込むための管、葉っぱ(あるいはタバコ)、それに火がいる。水ギセルは他の似たような道具と同様に、ボールの中の水を通して煙の泡を吸う。パイプを通し、肺に入れ、それが脳にいく。何を吸うか、どれくらい吸うか、どれくらいの頻度で吸うか、生活のために何もせずにただ吸ってるかによって、喫煙者の心への影響は変化し、ときに莫大な効果となることもある。また喫煙者の心の中で展開されるリアリティが、驚異的なものに発展することもある。人の頭の中にある想像力や記憶が、様々な方法によって、鮮やかでカラフルな形になって戻ってくる。しばしば一つのことが、ある記憶や想像力から発して(たとえば誰かのあるいは動物の目の中の優しさといったものが)、くっきりと際立つことがある。それは魚の目かもしれないし、自分のママの目ということもある。
 ぼくが葉っぱをやめ、水ギセルから離れたのは8月21日のことだった。その日のことをはっきりと覚えている。家に帰ってベッドに横になると、とんがり帽にヤギ髭の2センチくらいの小さな男がやって来て、ぼくのパイプの先っぽにすわり、ぼくの目を見てこう言った。「おまえは狂人じゃあない。これが真実でなければ、おまえに告げたりしない。オレを信じるんだ」 そしてそのとき初めて、ぼくがこいつを信じてなかったことに気づいた。またときに、ぼくらは生と向き合い、死者のもとを離れなければならないこともわかった。どれほどその目の中に優しさが溢れていたとしてもだ。ぼくらには、ただ、面と向かわねばならないことがあるのだ。誰もぼくをまた葉っぱに向かわせることはできない。

 

*「途方もない望み」とは、ケニーのこの村から出ていくという希望、もっといい生活ができる場所へ逃げだすという望み。