DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第28章

 

 2009年3月のこと、世界経済は、ぼくのじいちゃんの生え際以上に深く、後退していた。

 ぼくは朝早い時間に目が覚めた。朦朧としてはいたものの、何年もの不眠症とつきまとう不安に追われて、3時15分前の楽しげな時計盤の表情はおなじみのものだったから、そうとう早い時間だということはわかった。心の中でいつもの会話をはじめた。ずっと昔は、彼に対して気楽な感じだったから、苦もなく話し合うことができた。「今週末、天気はもったな、ん?」という具合に。すると彼はなめらかな口調で「あー、結局のところ、そうだったな、うん」 あるいは「おい、あのどう猛なハリケーンがバハマに来たのを見たかい?」と言えば、彼は気楽な調子で「たしかに、毎日見れるようなものじゃないよな。本物のモンスターだな、あれは」 そんな風にゆるい会話がつづく。でもあの日以来、何かが起きて、ぼくらの会話は緊張をはらむようになった。

 あの朝、ベッドから出たあと、いつものオートミールとバターにクリームやパテを塗ったトートストを、胸糞わるいマンゴーを装った輸入果物といっしょに食べた。スプレッドには5つ以上のラベルが貼ってあって、心臓病との関連がこれでもかと書かれていた。

 それからウェストチェスターからペンステーションに行く電車に乗った。

 1週間前のニュージャージーのドーバーからペンステーションに戻ったときの体験とは、まったく違う。そのときのことについてちょっと説明させてほしい。とても大切なことだから。

 ぼくはドーバーにコンサルティングの仕事で行っていた。そしてドーバー線に乗って、ニュージャージーの典型的な(閉鎖した工場群や運搬用トラックが並ぶ)灰色の街並みを見ながら戻るところだった。ぼくの目が車内の人々に移った。一人の男が『健康診断ゲージのガイド』を読んでいた。別の男のiPodの画面がはっきりと見えた。アンドレア・ボチェッリのアルバムを聴いていた。ヒッピーまがいの格好をした変な女が、車両から車両を移動していた。寒くてしかたがないというように、背をまるめていた。でも寒いんじゃないとぼくにはわかった。まだ冬とはいえ、ぼくは寒くなかったからだ。車両にはニグロはぼく一人だった。よその男が同じ女を盗み見ているのがわかった。そいつはこっそり見ているようだった。もしその男に妻かガールフレンドがいたら、よおくこの男を見張っていたほうがいい。だけど態度から、こいつはシングルだと思った。

 ぼくの脇にすわっていたのは素敵な家族で、母親と二人の娘、一人は6歳、もう一人は9歳。父親は明らかにどこかに行っていない(出張? 不倫? 墓の中? どれかな)。9歳の子が母親にゲームをしないかと訊いた。6歳が母親のかわりに答えていた。

 「ジェニン、答えはダメ、だよ。マミーはうんざりなの。それにダンナさんにいてほしいの。マミーは話し相手がいないの。抱いてくれる人もいないし、寝てくれる人もいないの。笑わせてくれる人もいないの。あたしたちみたいに、ダディにいてほしいの、だから遊べないの」

 これを言っている間、その子は冷淡なまなざしで窓の外の草っ原を見ていて、母親のほうは会話に無関心で、バッグの中をゴソゴソかきまわしていた。こんな口の利き方は6歳の子にはあまりないことだと思った。でも彼女はそう言ったのだ。

 この家族は小さな旅行カバンの中に猫を入れていた。猫がくしゃみをしたので、ぼくは「この猫にお恵みを」と心の中で言ってしまった。すぐに、意味のない迷信を信じている自分を呪った。

 電車は途中でラテン系の人を拾った。そしてコンベント駅で白人の男が新聞を手に、ぼくらの車両に乗ってきた。そのときぼくは、ニューヨークに家をもつ余裕がないのでニュージャージーで我慢しているんだ、と思った。さらに気づいたのは、NYタイムズのかわりにNJスターレッジャーを買ってること。この選択は、この男が野心を捨てたこと、自分の居場所に満足していることを表していた。

 そしてもう一人、乗っている間じゅう、口をあけて眠っている女の子がいた。この子は呼吸に問題を抱えているか、うっ血しているんじゃないかと思った。

 ここにいるのはジャージーから来た雑多な乗客だ。ありふれた並みの集団、白人に黒人にラテン系といった。

 さて、ここにいるぼくはウェストチェスター(ニューヨーク州郊外)からやって来た。ぼくは車内にいる一人の男に気づいた。彼がぼくを見ていたからだ。男はさびついて、「カナダの冬を楽しむのに充分なくらいの白さの」年寄りで、この先起きることより過去の思い出をずっと大事にしてるタイプ。ぼくの方を見ると、その目が伝えていた。「おまえは弱肉強食の世の中の例外的なニッガに過ぎない。どれだけいい服を着ていようと、教養があろうと、ただの黒人で、ここには属してない」 この男が、やせっぽちで腹の出た二グロが教養をまとっている、という見た目の不一致を感じていることは明らかだった。そして自分の読んでいたウォール・ストリートジャーナルに戻ると、鼻で笑った。第一面のニュースを読んで? オバマケア政策を? ソニーの配当金が減った? 何を笑ったんだ。ぼくが目にしたのは、純血主義で栄養充分、整った身なりが見せる敵意だった。夜ごとベッドに入るたび、憎しみがやってきて、布団をはがし、男の横にぬくぬくとすり寄った。

 ぼくが次に見た男の顔は、ここで話しておきたいタイプだ。その男は電車でぼくの向かい側にすわっていた。彼もまたウォール・ストリートのような新聞を見ていた。朝早くから仕事に行き、帰りはすごく遅いというタイプだ。自分の子どもの成長を目にするのは、ベッドで平たくなっているときだけ。犬用の薄型テレビをもつほど金持ちじゃないが、「ニッガ、おまえの子どもの内臓をいくつ売ったらそういう服が買える?」レベルのビジネススーツが着れるようなタイプ。

 この男は酷く悪いニュースを聞いたところみたいに見えた。会社が破産したとか、仕事を失ったとか、財産かもっと重要なものがあったとして、それをなくしたとか。それが何であれ、彼の顔には深い苦しみが現れていた。とはいえ、その男は金持ちだった。テリー・アンの父親みたいに(テリー・アンとその父親についてはあとで話す)。だからぼくは男の苦しみの表情を見たものの、同情する気はなかった。

 その横に女が一人いた。すごく魅力的な、成熟した女性。アメリカ中西部の美人コンテストで優勝できそうな、普通の意味で魅力的というのではなかったが、レバノンとかブラジルでは、あの人は美容整形したと噂されるような見映えの美人。いや、彼女は、金持ちのウォール・ストリートタイプが世界のどこか(ウクライナとかベネズエラとか)から輸入してくるような「本物」だった。

 すぐにこの二人は連れだとわかった。男は女より背が高かったが、ほんの少しだ。女は男より痩せていたが、ほんの少しだった。しかし二人の違いには莫大なものがあった。一つある共通点は、二人とも繊細な人間だということ。ヤギが食べたり出したりするものはおいしいからという理由で、ルッコラとヤギのチーズのサラダを口にするような種類の人間。でもヤギそのものには絶対さわらない。皿の真ん中にちょびっと料理が乗ってるような食事をしてるやつらだ。ウサギ料理も同じように楽しめるだろう。いずれにせよ。

 電車がいつもと同じように、ある駅でとまった。女は立ち上がりながら持ち物をかき集め、ニューヨーカーがコーヒーと呼んでいる香り高い熱い液体を手に、電車から降りようとした。そして降りる寸前に、男の髪にやさしく手を入れ、整えた。男は自分ではそんなことをしないから、彼女が自分の髪を整えた、という表情だった。自分では髪などもう整えたりしない、という顔つきだった。この顔つきは、ケンタッキーのトイレから出て来たある男のものとは全く違うものだった。三つの重要な状況証拠から、この男はたった今、どっさり糞を出してきたことは確かだった。すなわち、トイレに一人きりでいたこと。何かがここで死んだと思われる臭いから。個室から出てくるときのパンツの引き上げ方(尻の割れ目以上にケツが見えていた)から。

 こいつのケツはこんな風。 

 この男はシャツを着てなかった。個室から出てきて、手を自分のズボンでぬぐい、蛇口とペーパータオル、ハンドドライヤーの前を通り過ぎていった。この男の顔つきを見て、あの電車の男は自分のことに構わない、というわけじゃないとわかった。誰のことも構っちゃいなかったんだ。ただのクソ汚いやつだったということ。こっちの男の顔つきは、違うものだった。こいつは自分自身に興味がないだけだ。

 女は電車を降りるとき、小さく「愛してる」と言った。彼女は、その場に合った言葉が選べる女たちがそうするようにこれを言った。「じゃあね」とか「またあとで」といった言葉は、ふさわしくなかったと思われる。彼女は自分たちの状況がどのようなものであれ、きっぱりでも不安げにでもなく、より適切な表現を知っていた。男は何も言わなかった。また女の顔を見ることもなかった。ぼくは女はこの男の妻だと推定した。二人はもう長いこと結婚生活をしていて、男は女の顔をいくらでも見てきた。その日また見ようと思えば、あとで見ることができるのだ。

 彼女が降りたあと、男は二つの兆候を見せた。まず、男は自分の白髪に指をゆっくり通した。これにはちょっと驚かされた。ぼくは、この行為は妻のしたことを取り消すためではないと考えた。男の表情には、そのような意図的なものはなかった。それにそんなことはそもそも不可能だし。これは彼がそれなりの地位を築いてきた投資銀行での、長年の癖の反映なのだろうと考えた。

 そして次の兆候とは、電車が進む中、男が顔をゆがめ目を見開くのを見たことだ。何か考えごとをしているか、自分を深く傷つけたことを思い出しているか、そのように見えた。 

 男はひどく苦しんでいるように見えたんだ、セミコロン。あの男の目の中にあったものを、絶対忘れはしないだろう。彼の痛みを目にして、自分がどんな笑みを浮かべたか、それも忘れはしまい。どんだけあいつを憎んだことか。

 少ししてぼくが電車から降りたとき、これはこの日最後の憎しみだと思ったのだが、そうではなかった。次の電車を42番街で降りると、さらなる憎しみの対象をみつけた。地下鉄で。道端で。デリカテッセンで。そいつらのiPodに、iPhoneに、そいつらのまわりにある「すべてを閉ざすアイ」に。それはぼくのまわりに満ちていた。ぼくはスターバックスで足を止め、彼らをしばらく見ていた。どいつもこいつもそれぞれ憎々しかった。互いに寄りかかっておしゃべりする二人は、明らかに誰かの不貞や刺激的な噂話に興じていた。別のバーガー好きの肥満体でしょぼしょぼした涙目のやつは、自分と会話しているように見えた。スターバックスに入ってきた一人の女は、自分の使えないブラックベリーにいらついていた。明らかに、世界との重要な会話を邪魔されているようだった。彼女は若くなかったけど、それに抵抗していた。政治家の笑顔と同じくらいフェイクなブーツにもかかわらず、あからさまに見せている胸の谷間は、中年の娼婦の夢のように崩れはじめていた。

 そして彼女がここに登場する。

 

『ゴージャスでセクシーな靴』

 

「もしあたしが人質になって、助かるためには服か靴のどっちかしか選べないとしたら、靴を選ぶしかないと思う。ゴージャスで、はき心地がよくて、セクシーなやつ。テロリストたちは、靴といっしょに、パールのネックレスくらいは許してくれるはずだわ」と彼女は女友だちに嬉しそうに言った。「あーこれよ、いつもの」カフェ・マキアート(スキムミルクに砂糖一つ)を注文しつつ。

 

彼女は非常に魅力的な女で、カンサスで美人コンテストに選ばれるような通常のタイプの美人ではなく、レバノンかベネズエラで美容整形してきたに違いないと噂されるようなタイプの美人だった。正真正銘の美人。そしてときは春。長ったらしくて、ぼてぼてと重く、のっぺり覆っていたものが取り去られ、吹く風さえもが、彼女のスカートを興奮気味に吹き上げ、もっと身軽になればと誘いかけていた。彼女のワンパターンさは見間違いようがないものの、日曜気分で連れているファラオ・ハウンドが、彼女がブロンクスにある「可愛くてちょっとしたもの(スーパーの高い棚に置かれてはいるが、その気になれば、誰もの手にとどくもの)」ではないということを、見知らぬ人に理解させる助けになっている。この女は、外国通貨を手にしたり、公の場で口をきいたりする男のみが近づけるような女なのだ。

 

彼女が結婚したのは、ばかでかい贅沢なリング。アフリカ育ちで、そのあとアッパーイートサイドのティファニーにやって来た。輝きを放つ美しいダイアモンドは、正式に夫である男からのプレゼントだった。男は結婚したときすでに「屁の出る年頃」で(ポーチで一人でいるとき火山の爆発みたいな一発を噴火させ、溶岩も吹き出したかもと思ってクスクス笑いしたことを、思い出しては自分でおもしろがっている)、晴れた日には中国まで見渡せるくらいの分厚いメガネをかけていた。銀行家として働き、銀行に勤めていたが、そうでなければ、まったく彼女にはふさわしくない男だった。男は、犬が与える毎日の自分への評価に、「おはようございます、ご主人様、今日はご立派な見栄えですね」という執事からの言葉に、自分の誕生日をあらわすプレゼントに、ときおり妻が見せてくれる夫婦間の気づかいに、奇妙な形でありがたさを感じていた。それ以外では、男は銀行での仕事に深い満足感をもっていた。彼女の方は、女友だちと飲んだり、マディソンでデイ・スパに行くこと以上に価値あることは、リング、そして言うまでもなく靴だった。

 

人間であれば、誰もが欠点の一つや二つはあるものだが、彼女の場合、普通の食べ物屋に姿を現すことを厭わないことがそれだった。彼女がいつも行っているレストランでは、上等なシャトー・ムートン・ロスチャイルドとともに、ジムの個人トレーナーから勧められたキュイジーヌを頼む。それと同様においしいウサギ肉も。しかし時々、スターバックスのマキアートに抵抗できないことがあった。この日、彼女は、火曜の午後の女友だちである「かわいいステファニー」といっしょに、スターバックスに入っていった。ヘルムズリーから、お気に入りの洗練された42番街をちょっとぶらついたあと、二人は2番街のスターバックスに入っていった。ステファニーはスターバックスは初めてで、あとから店内に入った。ステファニーはうしろから誰か来ているか見ることなく、ドアが閉まるままにした。おそらく、もしあなたがそうしたなら、自分の出自を公の場で見せてしまっていることになる。彼女のすぐうしろから来ていた製薬会社ファイザーの社員は、人生でたくさんの面白いこと見つけていた。

 

彼女の爪は73番街の「あらー、見にいったのね」フィリップで、マニュキュアしてからさしてたっていない。金持ちがするマニュキュアやペディキュアは手足が使いものにならなくなるとして知られ、無礼な言い方をすれば、その爪でバッグの中を雑種犬にも劣る不器用さで、がさがさと懸命に財布あさりをすることになる。最終的に、「イヴ・サンローランはこれほどエレガントなものは作ってないでしょ」のエルメスのバーキンの特注財布を見つけ出す。

 

女はスターバックスの新聞置き場のそばに立っていた。そこにはいつものようにNYタイムズがあって、客はそれを読むには金を払わねばならないことに気づいていない。第一面の下の方の見出しには、財政困難に陥った会社のCEOが、緊急援助資金をもとめているが、自分は辞めないことを断言していた。

 

「黄色い虫だ、やっつけろ」 リセ・ケネディの制服を着て、父親の手を握っている小さな男の子が、自分の見つけたものを指して、二人のセクシーな女性をじっと見つめる父親のしょうもないパブロフの犬反応をいいことに、嬉しそうに声をあげていた(パブロフの犬とは違い、この子のパパは餌はもらえない)。女は男の子を目で追い、自分には子どもはいないし、この先ももたないだろうと思う。

 

女が自分のバッグに目をもどすとき、その目線の中にある靴にまた目を向けるのは自然な行為だった。これが新たな驚きと、「ねぇ、これいいでしょう? わたしはこれに首ったけ。秋の新作に彼が何を出してくるか、待ちきれないの。ゴージャスよね、そうじゃない?」というさらなる刺激を誘い出す。

 

カウンターにラテン系の男が一人いた。名札には「ホルヘ」とあった。彼の父親は「ポン引き」で、地元仲間は「ドンファン」だった。ホルヘが14歳のとき、父親は息子といとこの一人を連れてメキシコ国境を超えた。彼は(自分の家族は貧乏以外のなにものでもないという)自分の過去と現在を見て、充分、自分をわかっていた。それにもかかわらず、ホルヘは自信に満ち溢れてもいた。女の子に熟達していて、同郷仲間のリーダー的存在だった。もちろん、ほぼ新品の超スピード・スポーツカーの持ち主でもあった。メキシコの村カンポ・アレグレにいたとき、ウィルスのせいで(ミルウォーキーの食人鬼ジェフリー・ダーマーにやられたみたいに)ひどく具合が悪くなり、真夜中に目覚めると、ベッドのそばで、男やもめになったパピート(自分の父親)がすわって自分を見おろしていた。口に出されたことはなかったが、ホルヘにはわかっていた。あの夜、自分が見たものは愛だったと。このようなささいなことが、一人の男に自信を与えるのだ。

 

男であり、メキシコ人、ラテン系であり、人参食いの視力の持ち主として、ヒジョ・デ・プタ、ケ・カロア! ディオス・ミオ! オスティア! ケ・トレメンダ・ムヘル!(この野郎、なんて熱いんだ! 神よ、主よ、たいした女だ!)な女が店に入ってきて、自分のすぐそばに立っていることを、人から指摘される必要などなかった。彼女が注文をするために、バッグから目をあげたとき微笑みがこぼれたのは、先に記したような(視力は別にして)彼のDNAのせいだった。

 

3年前、ホルヘは2004年型のツードアの明るい黄色のムスタングGTを買い、サイドに燃えるイナズマの赤い線を自分で入れた。夜半や週末に、同郷の仲間を乗せて、イースト・オレンジ地区をそれで走った。いろんなムラタ(白人と黒人の両親の間に生まれた女性)の女の子をつかまえ、なかでもたやすく手に入るガテマラやエルサルバドルの子は格好の相手だった。彼女たちはアルゼンチンの子と違って、イタリア人をつかまえるのに時間をかけるより、メキシコ人でよしとする。でもホルヘの場合、自分の成功はラテンタイプに対してのみと知っていた。マジョリティのアッパークラスの白人の女の子たちに効くものではなかった。

 

ホルヘはまた、ゴルフではなくサッカーをやっていることで、42番街のスターバックスで接客している多くの人々とは、違う社会を知っていた。しかしこれはただの生き方の問題だ。

 

同郷の仲間を乗せて道を飛ばしているとき、熱いムラタの女の子(なかでもマミーみたいな大きな胸の、彼の好きなタイプ)を探す夜は確かにあった。ヤッホー。そして一人宿に引き返すこともよくあった。24歳でスポーツカーを運転するのに必要な付加保険にすべての現金を使っていたので、TENやプレーボーイチャンネルの追加パッケージを申し込む余裕はないとわかっていた。そういう夜は、以前に採っておいたビーチフィットネス・ビデオで、女の裸のいいショットを楽しんだ。確かにこんなものに手を出すのは「ミエルダ!(くそ)」ではあるが、別にこれは普通のことで、決定的な欠陥があるわけではないと思っていた。

 

ホルヘは自分の人生、出自、民族、クラス、男と女の関係、これらのすべてを理解していた。しかし目の前のゴージャスな女が、レシートと釣銭を取り、振り向くまで、これまでの人生で、自分が人の目にとまらない存在だと感じたことはなかった。

 

短編小説『スターバックス』、2009年3月、K.ラブレイス

 

 ぼくはあいつらに囲まれていた。そいつらの顔は全部同じだった。で、ぼくはそいつらを憎んでた、セミコロン。ぼくは心から、とてつもなく、あの木曜日(ドーバーから電車に乗った日)、あいつら全員を憎んでた。39歳で、セミコロン、そんな憎しみをぼくは抱えてた。なぜかは、いくらかはわかってる。自分のプライドとアイデンティティと関係していると思う。憎しみはずっと昔にはじまった。それがいつなのか、正確にはわからない。でもそれを感じた一瞬を、はっきりと覚えている。それがそこにあり、ぼくの皮膚の下で脈打っていたことを知っている。