DISPOSABLE PEOPLE
ディスポ人間
第27章
そこのあなた、そうあなただ。私の本を読んでる、エイジングクリームを顔に塗ったあなた。そう、あなたです。あなたの考えを教えてほしい。大丈夫、盗みゃしませんから。あなたに見せたいものがあるんです。あなた、心配してるんですね。あなたの考えを教えてくれればいいんです。どんなことでもかまいません。いや、だからあなたの考えを傷つけたりしませんから。約束しましょう、いただいた状態のままでお返ししますよ。ちょっとした手品を見せたいんです。
そうです。よかった。では進めましょう。さて、みなさんは、私の手の中にある考えが見えますか?(両手をつけて開き、考えはその中に収まっている) すべてが今、わたしの手の中にあるということがわかりますね。
さて、私がやろうとしていることを証明してくれる助手がいります。どなたかいませんか? ああ、お願いします、こちらにどうぞ。お名前は? スティーブ。よろしくお願いしますね、スティーブ。あなたと握手しますけど、見ての通り、考えは手の中にあります。じゃあ、もっと近くに来てください、スティーブ。わたしの手の中にある考えがちゃんと見えますか? で、それに触れてもらえますか、スティーブ。そうすれば、ここで見ている方々が本当にあることがわかります。そして同じものだということもね。この考えが実物だと確認してもらえますか、スティーブ。そうです。
さあ、みなさん、ようく見ていてくださいね。いいですか、わたしは長袖のシャツを着ていません。上着もなしです。あるのは素手のみ。この考えはここ、わたしの素手の中にあります。
ではゆっくりと両手をこうして閉じていきます(両手を閉じる)。そしてこうして手を開いていきます(ゆっくりと手が開かれる)。
見てください! 考えはまだここにありますね。ほーらあった。みなさん、考えが消えてしまったと思ったでしょう? でも消えてはいません。で、みなさんは心の中でこう考えているでしょう。「じゃあ、マジックはどこにある」 いいですか、見ててください。もう一度やりますよ。
ではもう一度、ゆっくりと手を閉じます、いいですか(両手を閉じる)。そしてまた、ゆっくりと手を開きます、ほらね(手を開く)。では見てください。なくなりました。みなさんの目の前で、消えました。
「じいちゃん、じいちゃん。ぼくだよ、ケニーだよ。だいじょうぶ、じいちゃん? ぼくに何か言ったよね」
「じいちゃんはほっといてやって、ケニー、一人にしてやって」
アインシュタインが、時間と空間は相対的であるという理論を広めて以来、これについてたくさんの論文が書かれた。ぼくにはこれ以上の見識はない。代わりに、自分の経験から、時間と空間、そしてたくさんの事象が互いに関係をもっていることを立証しよう。別の方法でこれを提示しようと思う。相互関係は、生きている中で起きるものごとに意味を与える。
たとえば、華麗な映画スター、アンジェリーナ・ジョリーみたいな人がアカデミー賞のレッドカーペットに立っているとき与える印象は、メディアに言わせれば「官能的でなまめかしい」だ。しかし同じような顔つきのキングストンのスラムの女の子は「好色な娼婦」としか見られない。
これと同じような法則が、人が「驚く」ということにも当てはまると思う。たとえば、アメリカのリンチバーグ(バージニア州)の警察署にいる警官のことを考えてみよう。4台の車に分乗した、高性能の武器を携えた男たちに警察署が攻撃された、と警官が気づいたとしよう。その警官が非常に「驚いた」としても納得がいく。半狂乱になってレシーバーに飛びついて、「たたたいへんだ!」と声をあげながら応援を頼めば、無線の向こうでは「どうした、マイク。どうしたんだよ、おい」 しかしキングストンのスラムの警官は、まったく同じ状況下で、「驚いた」という風には見えず、自分の高性能の武器を取り出して、静かにこうつぶやく。「ああ、またおまえら戻ってきたんかい。おれが今日なにしてやるか、見てろよ」
同じことがきみにも起こったんだ、セミコロン。ぼくが小さな家で育ったことはすでに話したよね。だけどきみがそれを知った夜に話し合ったように、小さいというのも相対的なものなんだ。きみがニューヨークに所有するアパートのことを思い出せば、4頭の牛に1頭のヤギを楽々飼える充分な広さがあるってわかるだろう? これが相対性の原理だ。
ぼくはこの相対性原理とコンテクストの問題に関して、かなり長いこと考えてきた。7歳の子どもが、自分のじいちゃんがたびたび、自分が誰かわからなくなることを簡単に理解し、驚いたりしないということの中に、納得いく筋道があるのかどうか、まだ解明できていない。じいちゃんの心に起きた不思議な現象に対する医学用語を知るずっと前、まだ素朴なままの7歳の男の子がだ。
さてと、これはママの方のじいちゃん1で、ずっと昔に、ぼくらに面白い話をいっぱいしてくれた人。二度目の心臓発作とがんになる前のことだ。それ以降、じいちゃんは年配の日本人の男から聞いた、砂金をパンツの中に入れると、血液の循環を促して睾丸を元気にするという話を毎日何度も繰り返していた。じいちゃんはぼくらみんなに、日本人移民に手紙を書いて、砂金を一箱送ってくれるよう頼んでほしいと言っていた。そのあと、じいちゃんは何も言わなくなった。
ぼくのじいちゃんは早すぎる死を迎えた。繰り返す心臓発作とがんのせいで、じいちゃんは蝕まれ、不動産取引みたいにバラバラになった。がんがじいちゃんの腹を蝕んだのに加えて、何かが脳と記憶も蝕んでいた。このことが、兄さんの心に何か起きはじめたことと関係があるのか、ぼくにはわからない。あるいは単に偶然の一致なのか。死んだとき、じいちゃんは55歳だったとみんなは言っていた。でも誰も人の正確な年齢など言えない。それはお粗末な記録のせいと、キリスト教徒と科学者のいう年齢は違うからだ。