DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第26章

 

 ジョージーの話の中で、はっきりさせておきたいことがある。牧師がベッドでグレイスといたのを見たのは、ジョージーではなかった。グレイスというのは「神の恩寵」とか「美の女神」ではなくて、その人の名前だった。牧師の教会に通っている女性で、牧師の家に夕食を届けに行ったんだ。ぼくはこの出来事の2、3週間後に一編の詩を書いた。

 

『牧師』

 

ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ

アーメン、アーメン、アーメン

言葉は熱い想いにあふれ

血とともに流れおちる

唯一、ただ一人の神の

聖霊に満ちて

ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ

アーメン、アーメン、アーメン

聖なるグレイスの

翼に乗って

天国のようなその場所で

乳と蜜を味わうため

ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ

アーメン、アーメン、アーメン

彼はまたやってくる、兄弟よ

彼はやってくる途中だ

強力なるハレルヤを歌いながら

いつかやって来るだろう

でもその日が来るまでは、シスター

あなたは元気にしてるだろう

あなたの小さな甘い場所

たっぷりした甘いお尻とともに!

覚えておくんだ

彼は完璧だ、シスター

でもぼくらが死ぬ運命にあるなら

あなたは救済をのちに見つけるだろう

でも今はなるがままに!

 

K.ラブレイス(1989年)

 

 ぼくはこの牧師もグレイスも知っていた。グレイスはまだ15歳だったけど、伝道者のペニスを受け入れるには充分な年だった(誰もベルばあちゃんに、グレイスが教会に行っていて、たくさん説教を受けていた事実を問うことはなかった)。 

 ぼくがこのことを言うのは、ちゃかしたり知ったかぶりをするためではない。ぼくらが手にしているのは、またしても、大の大人の男がペニスを女の子の股につきつけていること。歯にフロスをかけて、その臭いを嗅いだりするのと同じくらい普通のことだ。と同時に、ぼくらは教会に対して信頼を置いてもいる。そう、ぼくらはよく教会に行くし、誰かが見たら、ぼくらは非常に信心深いように見えただろう。確かにそうかもしれない。でもぼくらのは寛大なタイプの信仰心で、うそをついたり、人をだましたり、盗みをはたらいたり、姦通したり、レイプしたり、不倫したりが許されている種類のもの。でも意味(ピシッ)なく(ピシッ)神(ピシッ)の名(ピシッ)をつかって(ピシッ)はならない(ピシッ)。

 どれだけのものを本当にぼくらに提供してくれることができるのか、この牧師たちは。ある牧師は、神は家の玄関前に立って中に入れてくれるのを待っている、一方悪魔は裏口から逃げ出そうとする者を待っている、とぼくらを納得させるのに何年もかけていた。この牧師の見方では、ぼくらはバスに飛び乗って、ライオネルタウン、ヴェレ、スポルディング、チャペルトンに行くこともできれば、たやすく地獄へと向かうこともできるということ。

 別の牧師は銃を携帯し、神は自分で困難を切り抜け、身を守る者を助けると言っていた。

 また別の牧師は、これまでに起きたことを見れば、犯罪は割に合わないと言っていた。 

 また別の牧師は、北米のある神学校で高度な教育を受けていたが、貧困を理解するため、世界銀行の報告書を読んで聞かせ(うまくいくのか?)、三菱パジェロの最新モデルに乗って仕事していた。そして良心の呵責をやわらげ、神への罪を減らそうとやって来る黒い人たちが集まる信者席で、黒い人々と世間話をする。

 それ以外の牧師は、40年、50年と人生を耐え抜くよう励まし、ぼくらにこの先の富を約束した。

 この件で最後の一撃になったのは、神のサドカイ人への返答に関する牧師の解釈(マタイ22章)だった。このくだりを読んだあと、牧師は、死後の世界には結婚も(ぼくはシーシーと歯を鳴らした)、恋愛も(むかついた)、セックスも(教会から出ていこうと思った)ないことを暗示した。その日、牧師はぼくや兄さん、いとこたちの天国に行きたいという欲望に、否定の烙印を残した。

 ぼくらが賛美歌をうたうよう促されたとき、ぼくの声は参列者の黒い肌の中でうねり、うつろな骨のようにカタカタ鳴った。そして頭をあげたとき、神をたたえる声を抑え、従わないことを示した。教会には何も得るものはなく、空虚だけが存在していた。