DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第25章

 

9:45 p.m.

親愛なるセミコロン、自分の人生が長い1日のように、なかなか進まないように感じられることがあるんだ。夜の魔力に刃向かっているみたいにね。でもやがて眠りにつくことはわかってる。ぼくの木曜日*はもうすぐだ。

 

今晩、ぼくは自分がバラバラになっている気分だ。ぼくは汚れていて、セミコロン、何をやっても汚れが洗い流せないように感じる。惨めな気分で、セミコロン、ホテルの寂しい壁もフェイスブックも助けになりそうにない。ところで、セミコロン、国連の連中に、この世界をもっと平和にしようとしてるなら、もっと意味あるものにもしてほしいと、頼むことはできるだろうか? 愛するセミコロン、暴力はぼくにも対応可能だし、貧乏はぼくのミドルネームだ。でも同じことを毎日して、同じものを食べ、同じものを見る退屈さはどうなんだ?

 

さらにことを悪くするのは、愛するセミコロン、今日地下鉄に乗っていたら、一人の男が説教をしていた。そいつが言うには、2014年5月14日に世界は終焉するそうだ。次のワールドカップの1ヶ月前だ! ぼくはどうしたらいいんだ。だってぼくはワールドカップが好きなんだ。

 

おやすみ、愛するセミコロン

ケニー

日記より(2011年6月28日)

 

*第11章の1組の老いた蝶が明日にも死ぬ(それが木曜日)ことを表している。

 

 ジョージーがぼくのいとこだということは知ってると思う。みんなが言うことには、ドレッタの場合と同様、ジョージーのママも妊娠中にお日様のもとで居眠りしていたらしい。そのせいでジョージーは頭がいいとは言い難い、というわけだ。38℃の暑さの中、ママのお腹で小さな脳みそが沸騰してしまったんだろう。

 宇宙にむかって笑みを送ったら、宇宙もそれに返してくれ、そればかりか話しかけてもらえる人々がいる。またこういう人々もいる。宇宙にむかって笑みを送ると、宇宙はただ軽くうなずきを返してくる。さらにこんな人たちもいる。宇宙に笑みを送ると、宇宙に暴言を返されるような人たち。「くそニッガがなに笑ってんだ!」という風に。

 ジョージーは生後3ヶ月のとき、宇宙に笑みを送るのをやめた。でもそれは始まりに過ぎない、ぼくらはジョージーの話を終わりからはじめた方がよさそうだ。 

 ぼくが最後に会ったとき、ジョージーはアキーの木の下で、根が生えたみたいにはだしの足を地面につけてすわっていた。両手をひざの上に置き、その手にはモノクロ写真が握られていた。ジョージーはパパによく似ていた。パパの心の内はひどく醜いものではあったけど、顔は、ベッドにいる赤んぼうの前に突き出したとき、泣かせてしまうようなものではなかった。背が高く、黒く、筋肉質で、固く尖った顔、目は灰のような色味だった。邪悪なものがいつも醜いとは限らない、という呑み込みがたい事実だ。

 あの日の午後みたいにジョージーがくつろいでいるのを見たことがなかった。みんなが自分を見ていることを承知で、そこに一人すわっていた。自分にも他人にも心を許しているように見えた。ジョージーに残されたのは、手にしているパパの写真だけだった。

 警察がやって来て、それ以降ぼくはジョージーを見ていない。今日にいたるまで。これがジョージーとの最後。じゃあここでジョージーについて話をしよう。ジョージーと他のやつらとの関係についても。

 シューという音からはじめよう。

 

『シュー』

 

あいつが今も見える、思い出の中

動名詞、現在進行形、現在完了形で

頭韻法と子音韻で

傷とGIジョー人形で韻を踏み

「ジョー、いまも行方不明なのかい?」

(動名詞のmissing

名詞として使われる、行方不明者、見つからない、噂をきかない。

動詞の「失った」「欠けている」ではない)

彼女の感情、

あるいは彼女の接近、抱擁、手ざわりが

くちびるから漏れる

歌のようだ

母親の優しい愛に満ちたキスを思い出す

「きみは傷をうけている、ジョー」

(完了形:

傷をうけた、傷をうける、永遠に傷をうけるだろう)

きみの手首の

ためらい傷、切り込み、深い傷跡

父親の甘ったるい猫なで声

「いいかな、次にはぜったい失敗するなよな」

「さあ、おまえの水浴びの時間だ、ジョー」

(頭韻法:

バケツをもってこい

そこに頭をつけろ

ちがう、ジョー、あっちじゃない、こっちだ

ラムみたいに熟成した

発酵して、プンプン臭う、濃い小便だ

「いけ、ジョー、いけ」

(現在進行形:

いく、それによって人生が進んでいくかのように)

いやいっそ、兵士よ、銃をとれ

猛烈な勢いで飛び出す固くむすばれた拳による

悪夢のような殴打をとめるただ一つの方法

「こわがることはない、ジョー」

(現在形:

ジョーの現在、緊張度はハイ)

だから思い出すな

シューのことは

湯気のたった熱いアイロンの吸いつくキスを

ジョージーは今よそにいるんだろうな

どこかに

今ではあいつも大人になってる

ジョージーにとても会いたい

そうできるものなら

 

日付のない日記より

 

 上の詩はジョージーについて書いた第2稿。これを書いたのは何年もたってから。単に感情をそのまま言葉に変えるのではなくて、言葉遊びをしたり、詩のように書こうと思っていた頃のこと。

 最初のバージョンはもっと直接的。こんな風。

 

『シュー』

 

思い出を語るとき、

これ以上悪いことを見つけられるだろうか?

母親の優しい愛に満ちたキスをしらないこと

より悪いことを

父親のにぎった拳をいやというほど感じること

より悪いことを

小便のはいったバケツに顔をつっこまされること

より悪いことを

自分の手首を切りつけるよう強制される

より悪いことを

今度は失敗しないと請け合うかと情け深げに問われる

より悪いことを

シューという

湯気のたった熱いアイロンみたいに吸いつくキス

より悪いことを

こういうことを思い出すなら

ジョージー、ぼくは長いこときみを探しつづけてきた

ぼくに手紙を書いてくれ

もしきみにそれができるなら

 

日付のない日記より

 

 見てわかるように、要素は同じだけど、構成がちがう。要素が変わらないのは、起きたことというのは、本質的に同じだから。つまりシューは真実。拳も真実。小便も真実。手首も真実。ジョージーには傷がたくさんあった。ジョージー以外のぼくらの傷跡は、やんちゃな子ども時代のトロフィーみたいなもの、裸足でカラテをやっていてガラスを踏んでしまったとか、古家の倉庫にひざをついて忍び込んで釘で怪我をするとか。ジョージーの傷は遊んでたり、探検していたときのものじゃない。すべてあいつのパパからの贈り物だった。

(ベルばあちゃんの言ったこと。「あの子が教会に行ってたら、こんなことは絶対に起きなかっただろうよ」

 このことがジョージーの心にぬぐえない傷跡になっていたのは知っている。でもぼくに強い印象を残したのは、footprint(足跡)だ。carbon footprint(炭素の足跡)。carbon footprintとは、地球環境におよぼす人間活動の影響の総和、二酸化炭素排出量のこと。

 少し前に戻って、これを話の文脈の中に置いてみよう。

 

 

ジョージーのママ

 

ジョージーのママは5年前に死んでいた。ママの死の中身は:

 

・一人の女

・自己尊重の異常な低さ

・15年くらいの極度の悲惨な暮らし

・20個かそれ以上の盛りだくさんの恥

・小柄な女の肩に負わされた重荷

 

 これを混ぜ合わせると、真昼のギラつく太陽のもと死んでいく、失望と病気で隙なく固まったボールができる。市場の中で、そうして気を失い死んでいく。そういうこと。口の端にためた泡が、彼女が人生で持ち得たどんな希望より長く、いつまでもしたたる。

 ジョージーのママが死んだとき、パパは人の期待に応えるため、涙を流した、と言う人たちがいる。でもぼくはこれを信じない。人生には、これは確かだと思えることが、いくつかあるからだ。ホテルの部屋にかかっている絵がすべて素晴らしいとは限らないと、ぼくらは知っている。それは画家の中には才能に恵まれない人がいるからだ。レストランで出される皿に不機嫌なコック(ぼくのいとこのウェインみたいに)の唾が混じってないとは言えないことを知っている。それはある種の人々は礼儀をわきまえず、自己制御ができないからだ。近所を歩いている人たちのすべてが、善悪の判断力やよい精神をもっているとは限らない、ということも知っている。これが人々がこの世界にやって来て、やがてそこを離れるやり方だ。

 ぼくのばあちゃんは以前に、ある忠告を言い放ったのだけど、みんなそれがジョージーのママに向けられたものだと知っていた。

 「男が最初に自分の女をなぐったら、その女は男がそのことを忘れないように何かしてやる必要がある。そうすれば男は二度と女をなぐったりしない。ジャクソン氏が、キッチンにいるミス・イレーヌを初めてなぐったとき、彼女はナイフをつかんで、ジャクソン氏を切りつけた。そしてチキンを揚げようとしてた鍋を手にとって、熱い油を男に向けてかけたんだ。油はかかりはしなかったものの、男はそのことを忘れなかったし、二度と彼女に手をかけることはなかった」 すべての女がそういう強さをもっているわけではない。

 

 

ジョージーのパパ

 

 ジョージーのパパのことをよく知らない人に対して、あいつが言いわけめいたことを言うのは簡単なことだ。一人の男の内には、さまざまな愛の形がある、と人は思うかもしれない。自己愛につづいて、自分の鉈への愛があり、ラムを飲みにいくバーの自分の席、履き古した靴への愛、そうこうするうちにその愛は品切れになる。そうだろうな。しかし、早急な結論に走らないよう、この男についてもう少し知ろうじゃないか。

 ジョージーのパパはジャマイカの珍しい果物みたいなもの、スターアップルと呼ばれているものだ。その名が示すように、スターアップルは木の高いところで、星に囲まれて育つ。完熟しても、そのまま手の届かないところにとどまっている。木の上で熟し、腐り、しおれる(その果汁を味わったことのある子どもが、それを見てがっかりするように)。ぼくらはスターアップルのことを「けちんぼうの果物」と呼んでいた。ジョージーのパパの愛情は、もしそれが開花したとしても、ジョージーの手の届かないところで、熟し、腐り、しおれてしまった。

 ジョージーは毎晩、パパがタイヤのホイールでしつらえたコンロで、夕飯をつくっていた。こういうコンロはよくあった。タイヤのホイールはコンクリート・ブロックの上に置かれた。パパは炭をもってきて、ジョージーはそれで煮炊きした。火が消えると、炭から出た灰が床に散らばった。炭素だ。足跡はこうしてできる。

 

『ジョージー』

 

すまいるジョージーすまいる

ちょっとでいいから遊ぼ

笑ってジョージー笑って

おまえはまだ子どもにすぎない

すまいるジョージーすまいる

わずかの間であってもあいつはどこか行く

そしてあいつが戻ってこないか

ビリーが見張ってる

息をしろジョージー息をしろ

あいつはまたすぐにおまえの頭を沈めるだろう

さあ息をとめるんだ

あいつはおまえに死んでほしいと心から願ってるからな

すまいるジョージーすまいる

水は今なくなってる

そして水がまた来るか

コートニーが見張ってる

しーっジョージーしーっ

あれが痛手をおわすことをぼくらは知ってる

はがねのブーツがおまえの頭蓋骨を

母なる沈黙の大地に押しつけてつぶす

あそべジョージーあそべ

本を読むために家に戻る必要はない

そして今度はクッキーが見張ってる

おまえに血を流させるベルトを

すまいるジョージーすまいる

ぼくらはおまえの傷を癒そうとここにいる

そして今度はぼくが見張り役だ

あいつが金輪際戻ってこないようにと

心の底から祈ってる

 

K.ラブレイス(1988年)

 

 ジョージーのパパが突然家に帰ってきたとき、夕飯の支度はまだ始められてなかった。よくあるように、子どもはときに、やるべきときにやらなくちゃならないことを忘れて、遊びに熱中してることがある。

 ジョージーはコンロのところに飛んでいって、火をつけた。パパがそのあとを追って、

 

ほらジョージーが走る。走れジョージー走れ。

 

床に散らばった炭素に足を踏み入れ、ジョージーを捉えた。そして仕事用ブーツで、ジョージーの頭を踏みつけた。

 ジョージーが悲鳴をあげた、で、それを見ていたぼくも悲鳴をあげた。ぼくらはジョージーのパパが、酷い仕打ちを息子にするのをよく見ていた。

 おかしなことに、ある種の子どもはいつまでも泣きつづけるの対し、黙ってしまう子がいる。ジョージーは黙ってしまう方の子だった。それ以来、ジョージーのパパが何をしようと、バックル付きベルトで叩こうが、ブーツで、片手で、両手で、壁や地面に叩きつけ殴ろうが、黙っていた。泣かなかった。でも叩かれるたび、ジョージーの目の中で、憎しみは強く固まっていった。

 以前に、いとこの一人が250日間、お腹で子を育て、生んで30分後にごみ収集バケツに捨て去ったのを見たことがある。子の重荷に耐えられなかったからだ。ジョージーについても、同じことが起きた。

 

『エリヤ』

 

エリヤのママは南から来た

でも料理するのにレシピ本が必要だった

そして恥と抑圧のすべてに立ち向かうため

さまざまな薬が必要だった

ママは、完璧に

役立たずだった。

エリヤのパパは男として珍しい種族で

自分より先に妻が死ぬタイプだった

そして人の期待を裏切らないためだけに涙をながした。

かわいそうな少年、エリヤは教会に行った、

新たな父の教えをもとめて

でもかわりに見つけたのは

ベッドの中で、服をぬいだ

グレイス

固く直立するものを

清く正しく待ち受けていた

燃える草むらと煙る尻のただ中で

神父を見つけるのは難しくはなかった

娼婦よりたやすかった

エリヤは何びとであれ選べた。

エリヤは宗教を見捨てた

それは卵のようにこわれやすい

燭台の足をもつ

でっぷりと太った女

良心の呵責を吹き飛ばし

エリヤは復讐を選んだ

家財のように所有されるなら

死んだ方がましと彼女(復讐)は言い

民主主義を、自由と開放を切望した。

それで父親は見つからなかったが

エリヤが家に戻ったとき

彼は、もう

一人ではなかった。

そして

教会の教え拒否し

エリヤは自分の罪を洗い流した。

 

K.ラブレイス(1989年)

 

 明らかにこのエリヤはジョージーのこと。ぼくはエリヤを詩の中で、宗教的な気分として使った。ジョージーの神への信頼は、ゆるんだ歯(パパのげんこつのため)みたいに揺れていた。ジョージーは問題を自分の手に引き寄せて、他の誰もできないようなこと(パパに笑顔をつくること)をしようとした。それはのどの奥から広がる、大きな笑みだった。ぼくがジョージーを見た最後の日、少年鑑別所に連れていかれるとき、ジョージー自身が笑みを浮かべていた。そういうこと、それ以上のことではない。

 ここには指摘すべきいくつかの関連事項がある。まずこれにより、ボブおじさんは三番目の弟をなくしたこと。これはすぐに皆の知るところにならなかった。なぜか。ぼくのいとこが言うことには、ボブおじさんがそれを聞いたとき、「おいこら、ハイチの子ども、走れ、走れ! どでかいハリケーンが来てるぞ。命が惜しかったら走れ! なんで走らない? こいつは5年前におまえの親を殺したやつよりでかいんだぞ。おいこら、2年前におまえの兄弟と友だちを殺したやつよりでかいと言ってんだぞ。こいつはおまえを殺すぞ。走れ! 走れ坊主走れ! おれの言うことが聞こえないのか? 走るんだ!」というような、冷淡さを見せたから。ボブおじさんはこう言ったらしい。「あいつはけりをつけた、ってことだろう」

 二つ目は、ボブおじさんの死んだ弟は、ぼくのおじさんでもあった。これはトーマスおじさん、ぼくのパパ、ブライアン、トミーといった人が死んだあとのこと。すべてほんの2、3年の間に起きた。

 三番目は、ぼくが店に料理油、パン、鳥の背肉450グラム、サバの缶詰、それにシロップを買いに出ていたとき、兄さんが起きたことを目撃した。兄さんはジョージーの家に着いた最初の人間の一人で、そこで死体を見た。

 ぼくはこれを書きながら笑みを浮かべてるよ、セミコロン、わずかの人間しかこの話を信じないだろうとわかっているからだ。話を捻じ曲げて、面白い結末にしようとしてる、と皆は言うだろうね。