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DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第23章

 

「日記帳さま

世の中は変わるけど、芯の部分は変わらないことをみんな知ってる」

K.ラブレイス(2001年)

マーティン・ラブレイス(1991年)

 会話の細かい部分までは思い出せないけれど、おおよその話は覚えている。家の外の風呂場でバケツを手に、兄さんの風呂が終わるのを待っているときに聞こえてきたものだ。兄さんはからだを洗っている最中で、バケツの残りの水をかぶり終わっていなかった。それが風呂の終了の合図。待っているとき、兄さんが中で誰かと話をしているのに気づいた。誰かとはマーティンだった。二人のマーティンが話し合っていた。二人の話はこんな風だった。

 

マーティン:「ママが死んだとき、おまえどこにいた?」

兄さん:「仕事に行ってたって言ってんだろ。何回訊けばいいんだ」

マーティン:「それはおまえがママのことを気にしてなかったからだよ」

兄さん:「気にしてたってば」

マーティン:「いや、してない。おまえは何に対しても、誰に対しても冷淡だ」

兄さん:「そんなことないって、気にしてたって」

マーティン:「ラフィを気にしてたか?」

兄さん:「ラフィ? いいや、ラフィは犬じゃないか!」

マーティン:「トゥイーティーはどうだ? あの子が飲み込まれちまったときだ」

兄さん:「トゥイーティー? あれはただのアニメの鳥だろが!」

マーティン:「グレンロイのことを気にしてたか?」

兄さん:「そのくそグレンロイって誰だよ?」

マーティン:「おれらがこれまでに食ったマンゴーのことを考えたか?」

兄さん:「なにー!? そんなもんないよ。ただのマンゴーだろが」

マーティン:「ほらな、何によらず気になどしてないってことさ」

 

 あきらかにマーティンは兄さんに勝っていた。兄さんは頭にきてた。だけど、、、マーティンはぼくの兄さん、ただ一人の兄さんだ。

 兄さんは正気を失っていた。あまり人には知られていなかったけれど。何年もの間、人に気づかれてなかった。兄さんの場合、あとになって診断がくだされ、そのときになってみんなは「ああ、だからあの子は、、、」と言い始めた。過去の出来事が、いまになって説明されてる。ぼくらにとって、そして兄さんにとっても、未来は今となっては、すっかり台無しでどうにもならなかった。いつも見上げる存在でいてほしかった兄さん、そうはできなくなった。

 家族に起きたこの手のことの衝撃を理解できる人は少ない。それを知るには自分で一度体験する必要がある。ぼくらが自分の経験をつかえるのは、友だちか家族の誰かが「鍵が見つからない」と言ったとき、その人間をからかいつつ、鍵を探すのを手伝うところまでだ。ぼくと妹たちにとっては少し違っていた。兄さんがぼくらの方を見て突っ立っているのに気づくようになって、兄さんは口には出さなかったけれど、その目を見て何が起きているかわかった。「自分がみつからない」 兄さんがなくしたものを、どうやって一緒に見つけたらいいか、ぼくらにはわからなかった。

 兄さんは相変わらずぼくより三つ年上だったけれど、年だけのことだ。背も知性もぼくより低くなっていったけど、からだのある部分については、年に比例して能力を発揮していた。自分の赤い自転車に乗るのが好きで、その後女の子に乗るようになった。ずっとあとになって、3人いた子どものうちの2人を愛した。

 兄さんは1992年にバハマへ逃亡した。そしてその2年後、電話をよこした。

 「よう、ケニー」

 「やあ、、、マーティン?」

 「みんなに言ってくれ、おれが愛してるってさ。順調になったら金を送るよ」

 「マーティン、どこにいるの?」

 「みんな元気か? そうか、じゃあな、バイ」

 「マーティン?」

 19ヶ月後の電話。

 「よう、ケニー」

 「マーティン?」(そこでぼくは止めた)

 「金を送ってほしいか?」

 「いいや、ぼくは大丈夫、ぼくは、、」

 「ケニー、おれおかしくなってると思う。でも先生はよくなるって、もうすぐだ、、、

 5

 4

 3

 2

 1

 今はいいんだ。で、おれに金を送ってほしい、、」

 「マーティン、どうしたんだよ」

 「みんなに言ってくれよ、おれが愛してるって。ケイはどう?」

 「マーティ、、」

 「わかったよ、じゃあな」

 無限の彼方へ。それでおわり、それ以上はなし。

 ちょっとイカした書きようじゃないかな? プレート理論による移動、大陸棚にはまる、ものごとの変化は2度と同じようにはならない?

 これがぼくの知ること。最初に兄さんの心がどこかに行ってしまったのは、ママが死んだあとのこと、その前にパパが死んだ、その前にトミーが死んだ、そしてブライアンも死んだ、その8ヶ月あとにトーマスおじさんが死んだ。わずかの年月の間にたくさんの人が死んでいった。このすべてがぼくらに、まわりの人たちに起きたとき、ぼくらのような人間にとって激しい衝撃となった。おそらく起きたことは、まだ少年だったマーティンに、より大きな衝撃を与えたんだろう。

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