DISPOSABLE PEOPLE
ディスポ人間
第17章
ぼくの過去は、ぼくのことをしょっちゅう考え、そうしたいときにはいつも、やって来る。ぼくの過去が出たり入ったりするために、ぼくの心はここにある。ぼくは麻酔薬のロヒプノールを盛られてレイプされてるみたいに感じることがある。
自分の罪がまだ幼くて、やっとハイハイしたり一人歩きできるくらいのときから、その存在に気づいていることを、ぼくの過去は思い起こさせる。ぼくは自分の罪が、まだ骨を形成している時分、みんなが可愛いと思ってる頃から知っている。
セミコロン、ぼくは誇りに思えないことをしてきた。ぼくはそういうことをし続けている。そういう気持ちがいつか変わることを、ただ望むばかりだ。
1985年7月
彼女の世界的な名声をもってすれば、いまのぼくらを見て、わざわざおならを吹っかけてくることもないはず。でもあの頃、彼女はまだ13歳だった。アリンコを食べたり、鳥やゴキブリやカエルの葬式をしてた。お医者さんごっこで遊び、部屋が二つしかない木の家で眠っていた。
彼女の名前とうたっていた歌の曲名は省略する。グーグルで検索すれば、彼女の名前は、ジャマイカの女性人気ミュージシャンのトップ10リストに入ってくるだろう。1曲か2曲、歌の題名もわかるだろう。彼女は1990年代に成功した女性レゲエ・シンガーの一人だった。告訴されても弁護士を雇えないから、ここまでしか言えない。
ぼくらは同じ人間をともに「ばあちゃん」と呼んで、いくつもの夏をいっしょに過ごした。
毎朝、ばあちゃんはぼくらの誰かをつかまえて、朝食の材料をタバコと一緒に買いにやらせた。同じことが夕飯のときにも繰り返され、買い物にはいつも料理油とタバコが含まれていた。
ある夏、ぼくがばあちゃんの家にいたとき、浄化は起きた。ぼくの兄さんもいた、そして未来のシンガーも。ぼくは15歳だった。
ばあちゃんは、ぼくらのちっちゃな尻の穴には、3枚以上ティッシューはいらないということにかけて、揺るぎない意見をもっていた。
3枚のティッシュー
これを元に、ぼくらはトイレに行くとき、新聞紙や葉っぱにこの量を当てはめていた。瓶ランプで足元を照らしながらトイレまで行って、しゃがんで用を足すとき、そこにトカゲやサソリやダピーがいるかどうか確かめられないので、ぼくは夜トイレに行くのがすごく嫌だった。
7月18日の夜、ぼくは一人でトイレに行かねばならなかった。
ばあちゃんの内縁の夫、スコット氏(未来のシンガーの父の父=祖父)は、市場でちょっとしたガラクタを売って生計をたてていた。針やピン、洗濯バサミなどを売って、どうやって家族を養っていたのか、ぼくにはよくわからなかった。ばあちゃんも同じ市場でこまごまとしたものを売っていた。ライムやカシューナッツをぼくらに1日採りに行かせ、それを市場で売ることもあった。また隣りの家との間で、麻袋4、5個分にライムを詰めたものと、ドラム缶やバケツ何杯分かの水を交換していた。隣りの人はばあちゃんの家までホースを伸ばし、ぼくらは自分でドラム缶に水を溜め、また風呂桶にも水を入れた。それとホースから直接水を飲めるだけ飲みもした。この水の利用は契約から外れていたけれど、あの頃の取り決めは厳しくはなかった。
ばあちゃんは夕飯の準備をするため、市場から一番に戻ってきた。スコット氏が家の外に木とトタンで調理場をつくり、そこに鍋かまと一緒にたきぎを置いていた。兄さんとぼくは未来のシンガーと一緒に、水を運ぶなど手助けをしたが、たいていは炉端でばあちゃんが料理するのを見ていた。小枝の上に乗せられたパン生地の一切れ、二切れがを焼けるのを待っていた。ばあちゃんは灯油の炉をあまり使うことはなかった。オイルが高いからだ。
7月18日の午後7時半、ぼくは腹具合がおかしくなった。夜6時には外は暗くなり、ぼくらは7時には寝ていた。ぼくが隣り部屋のドアをたたいてばあちゃんに急を知らせたのは、ベッドに入ったあとのことだった。
「ばあちゃん、ぼくトイレに行きたい。お腹がおかしいんだ」 ばあちゃんはまだ起きていて聞こえると思って、こう言った。
ばあちゃんのような昔人間は、物事に対して単純な対応をする。もし食べものが見えるところにあれば、全部すぐに食べきってしまうと思っていた。これが理由で、ビスケットやクラッカーはすべて食器棚の中にしまわれていた。それでぼくらはスリムで健康でいられる。ティッシューについても同じだった。もし見えるところに置けば、必要以上にそれを使うだろうと確信していた。それでばあちゃんはティッシューを自分の部屋にしまいこみ、ぼくらは必要なときもらわなければならなかった。あるいは新聞紙か葉っぱで済ますか。ずっとあとになってから、スコット氏もばあちゃんにティッシューを頼んでもらっていたのだろうかと思った。
さてばあちゃんは部屋から出てきて、自分のヴィンテージコレクションから3枚のティッシューをぼくに差し出した。よく知らなかったら、使用済みのものと思ったかもしれない。どこにしまってあるのか、単に湿っていただけだったのだが。ぼくは下痢しそうなんだから、これじゃ足りないと言った。家には新聞紙もなかった。でもばあちゃんはこれで十分と言って譲らなかった。
ばあちゃんと言い争っても意味がない。ばあちゃんは自分の考えを曲げない。出されたものを食べ、教会に行き、大人に言い返したりせず、言われたことに従い、渡された薬はすべて飲む。その夏の終わり、両親の家に戻る前、ぼくらは苦くて硫黄臭い虫下しと薬草を渡され、それでからだがきれいになると言われた。
普通はこういう話について特筆すべきことは、薬の苦くてひどい味なのだが、ある夏、ばあちゃんが虫下しをくれたあと、虫の連隊は大便の中に入って出てくるかわりに、鼻の穴から出てくることに決めた。虫たちがうごめきながら鼻から出てくるところをぼくは見て、叫び声をあげた。兄さんは笑っていた。ばあちゃんはこう言いながら立っていた。
「そうよ、そうそう」 まるで出産で妊婦を励ます助産婦みたいだった。
自分のからだから、生き延びようとしてニョロニョロ出てこようとするものを、みんな知らないだけだ。一年たったある日、兄さんがぼくを呼んでこう言った。
「ケニー、来て見てみろよ、、、もっと近くで」 兄さんは太陽の下に豚肉の切れ端を置いて、2、3時間放置した。時間が来たところでぼくを呼んだので、そこから虫がクネクネ出てくるところが見えた。その日以来、豚肉は食べていない。うじが自分の中で生きている悪夢を見るようになった始まりでもあった。
「わたしの知らないあなたのことを話して」
「ぼくの中でうじが生きている夢を見るんだ」 二番目の妻のレベッカが、デートのときに訊いてきた質問への答え。彼女はぼくの答えとその背後にある話のあれこれに気分を悪くした。そして彼女に関するぼくの知識を補うように、こう言った。
「あのさ、わたしトイレに行くとき、電気をぜったいつけないの」
「ぼくは目をつぶって行くよ」とぼく。ささいなことを若い恋人たちはあれこれ話すものだ。
「わたしのママはわたしを牛って呼んでた」 レベッカはさらにぼくの知らないことをつけ加えた。
「ずいぶん個性的な人だね。どうして?」
「よくわからない、意味はないのよ。あるとき誰かがうたった歌を覚えてるかとママが訊いてきた。で、思い出すからちょっと待ってと言った。思い出そうとして、わたしがうつろな顔になった。ママが何してんのって訊いてきたから、思い出そうとしてトランスに入ってるのよと答えた。そしたらママがわたしを牛って呼んだの。牛っていうのはつっ立ってうつろな顔をしてるから、とかなんとか言ってた」
「きみってママにそっくりだね」 実際、レベッカは自分の母親に似ていた。活力も献身の強さも、、、毒のある話し振りも。レベッカのことがときどき懐かしくなる。
「わたしのママってのはね、いつもこう言うのよ。わたしができることは、誰もができることだって。わたしにできるんであれば、それは簡単なことだからだそうよ」 そうレベッカは言ってたっけ。彼女のママがレベッカを自慢にしてたのは知ってる。最初の子どもで、働きもので一生懸命。2番目と3番目は怠けもの、末っ子はお腹にいたとき熱に焼かれてジョージーみたいに頭が鈍かった。レベッカが末っ子の弟のことを話すとき、みんながジョージーのことを言うときのことを思い出した。ぼくはジョージーのことをときどき考える。
さっきの話に戻ると、ぼくは瓶ランプをもってトイレに向かった。困ったと思ってた。でも葉っぱを集めたりはしなかった。
トイレはいつもある場所に立っていた。ジャックフルーツの木のすぐ脇だ。あまりに木のそばに立てたんで、トカゲや木の根っこが侵入してくる原因になっていた。以前に、新しいトイレをつくろうと、大人たちが地面を掘っているのを見たことがある。どれくらい深く掘る必要があるのか、どれくらいもつのかについて、そしてあまり深く掘りすぎると、安定性が悪いというようなことを話していた。安定性は重要だということになっていた。それは最後につくったトイレが、穴の上に木材とトタンが落ちて崩れ、中のものをそのままに潰れてしまったから。新しいトイレができるまで、ばあちゃんの家の裏のタロイモが生えてるところに、そのときそのとき浅い穴を掘らねばならなかった。2、3日できるのを待っているあいだ、ぼくらはそこにしゃがんで糞をし、上に土をかぶせた。何年もたってから、インドとバングラディシュに行ったとき、地面に掘った穴に人々がしゃがんでいるのを見て、「ようお仲間、久しぶりぃ」と言いたい気持ちだった。
ランプとティッシュー3枚を手にしゃがんでいるとき、トイレの小屋の安定性はぼくの重要項目に入ってなかった。トカゲが頭に落ちてくることや、終わって出ようとしてドアの掛け金に手をやったとき、サソリに触ってしまうことに怯えてもいなかった。ジャックフルーツの木が壁に影をつくり、ぼくのランプの揺らめきに合わせて踊っていたが、邪悪な空気はなかった。
また以下のことについて心配もしていなかった。
・アカアリがぼくのケツをかんで、3日間不快な噛み跡を残す
・小さなヘビがぼくのケツをなめるように通っていく
・ダピー(男でも女でも)が用足しにやって来て、ぼくを見つける(その結末は神のみぞ知る!)
・ぼくをトイレに連れ込もうとした悪魔が、地獄に引きずり込む
これらのことは、その時点のぼくにとってたいした問題ではなかった。
用足しが済むと、ぼくは3枚のティッシューをとりあえず使い、そこにしゃがんでいた。どの時点でその考えが浮かんできたのかはっきりしないが、5分後にぼくは立ち上がり、パンツを足首のところに引っ掛けたままカニ歩きをして、外の調理場の脇まで歩いていった。そこにはドラム缶とバケツに水が汲んであった。
躊躇はなかった。ひざの高さくらいのバケツを見つけ、そこに尻を落として冷たい水が肌に当たるのを感じた。ちょっとの間、親戚の誰かが死んだので、隣りに住む若いミス・ウォーターが手伝いに送り込まれてきた、みたいな感じだった。親切にしてくれ、慰めてくれ、心休まるよう、思いやりや優しさを見せてくれる人。ぼくの尻にとって、これまでの中で、最高の気持ちよさだった。
しかしながら、そのあと、自分のやったことに一晩じゅう苦しめられ、誰かに言うべきだろうかと考えた。
兄さんのマーティンに言うわけにはいかない、と思った。何が起きたか、ばあちゃんのところに即刻報告に行くにきまってるからだ。マーティンは、ぼくがムチ打たれるのが大好きなのだ。未来の大物シンガーは、ぼくと兄さんが夏にやって来ることを歓迎していなかった。彼女はいつもぼくらより自分の方がましと思っていたし、今もそうだろう。直接ばあちゃんのところに告白しに行くこと、うーん、それはダメだ、最低で愚かなことだ。ティッシューをばあちゃんがくれたときのぼくの態度を考えれば、モンスター級のムチ打ちがあるはず。
つまりこういうことだ。ぼくらは水を小さな入れ物から大きな入れ物へという順番で使う。鍋かまの水に始まり、バケツ、ドラム缶へと。次の日、家の者はバケツから水を使った。みんなは手を洗い、昼食や夕食の調理に使い、寝る前に足を洗うのに使った。それですべてだったなら、ぼくの魂は救われただろう。問題は、みんなが水を飲んだこと。
子ども時代には、ひどいいたずらをすることがある。害がないと知っていて、あるいは何か起きる前に見つかるだろうとわかっていてやる。コップにおしっこを入れて、いとこのクッキーにこれはシャンペンコーラだと言って差し出す。でもクッキーは臭いをかぎつけ、みんなでそれを笑い飛ばす。害はない。
悪い方向にいったときは、ただのちょっとしたいたずらだと見なしたり、貧乏のせいにしたり、誰かのせいにすることになる。ぼくにティッシューを充分くれなかったばあちゃんが悪いと言ったりする。
しかし。
これはぼくにとって、善悪の違いを身にしみて感じさせられた初めての経験だった。ぼくのやったことは、初めての、本物の秘密だっただけでなく、初めての根深い恥でもあった。
1日たって、ばあちゃんは理由のわからない胃腸炎の発作で死ぬ目にあった。ばあちゃんが病室でどんな様子だったかに留まらず、他のいくつかの病院のことや、出会った人々についても語るべきことがあった。
ところでセミコロン、ぼくはあるバスの運転手を知っていて(ハロー、ミスター・ウォーレス!)、その人はスピードを出し過ぎ、乗客の頼みも無視して走ったせいで、乗せていた乗客を何人も殺してしまった。彼がそうしているように、ぼくも自分の犯した罪とともに生きていく。