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DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第7章

 

『マウンド』

 

以前にぼくはある山に出会った

初めて経験する娼婦みたいだった

オトコにしてあげる、と約束してくれた上

ひどいヒリヒリ感を残していった

 

サイクリングに関する未完の詩より抜粋(1993年頃)

 1983年6月12日。人は精神的打撃を受けると、当の出来事だけでなく、その前後のほかの出来事もいっしょに覚えているものだ、と心理学者たちは言っている。その人たちが言ってることの多くは正しいんじゃないだろうか。
 ブライアンの惨殺の二日前、ぼくはクッキーとまたファックした。クッキーは当時まだ幼くて、純潔純粋で足の締まり具合は宣教師の心以上にきつい、とみんなが思ってるような年頃だった。だけど文明国と文明未発達の国では、女の子たちにすごい違いがあるということがわかってくる。この違いというのは、ときにすごく重要で、リンゴとヤギの違いくらいある。セックスへの対処を例にとろう。北米では女の子たちのクーチーは、男の子女の子両方が18とか21になるまで、信託ファンドみたいにしまい込まれている。ぼくらの沈下地区では、女の子が自転車に乗るようになればチンチンもそこに乗れる準備ができた、という風に理解されていた。
 大人とぼくら子どもを分けるものはわずかしかなかった。ぼくら子どもは大人に話しかけるとき、「ミスター」とか「マダム」とか言わなくちゃいけない。これを除けば、背の高さにおいても申告上もぼくらは大人だったし、大人のすることは何でもできた。で、ぼくらはいっぱいファックした、大人たちがしてるようにね。
 クッキーの本当の名前はシモーヌだったけど、他の子と同じようにニックネームがあった。クッキーがニックネームをつけられたのは赤ん坊のときで、理由はポチャポチャとまあるくてえくぼがあって、クッキーみたいだったからだ。前に日記に彼女の本名はシーモーン(呻き女)とか、できればシーファック(やられ女)の方がいいんじゃないかと書いたことがあった。でも想像するにそのような名前を赤ん坊につけるのは、両親の期待にそぐわないはず。生まれた赤ん坊が美しければ、その子の人生も美しいものになるはずと考えるのが自然(そう思わない親の方が変)。
 胸が大きくなってブラもつけ、でもまだ乳歯が抜け代わる最中だったシモーヌは、当時11歳くらいだった。惨殺の二日前、ぼくら男子5人はぼくの家に集まりドアの陰で彼女といた。シモーヌは新聞が詰まった麻袋の上に寝ていた。その麻袋は、ぼくがマンゴーが熟れるまで新聞紙につつんで隠しておく格好の場所だった。
 その日、彼女はすごくピンクだった、それをよく覚えてる。もちろん、ぼくはシモーヌと何回かやったことはあったけど、5人揃ってというのは初めてだった。その日ぼくはみんなの後ろに立って、他の子が順番にやるのを眺める機会があった。ぼくの兄さんがやり終えたところで、次に並んでるブライアンが思いやりを見せた。
 「ガーネット、ウェインをよんでこいよ、やつもやれるしな」
 ガーネットは、いま言うかと思いブライアンに言い返した。「なんでこのクソおまえじぶんでいかないんか」
 ぼくはみんなの背後に立って、大人が来ないか見張りをしていてソワソワして汗をかいていた。でもシモーヌのほうはと言えば、あえいだりうめいたりしてて、兄さんが股をこすりながら身を離したとき、すごいピンクのものが見えた。それを見ていたら耳がうずいてヒリヒリしてきたけど、その頃には小さな時とは違ってハアハアヒーヒーいう声にはわずらわされなくなっていた。
 シモーヌはぼくのいとこの一人だった。そこから次の十年かそこら、彼女はぼくらにピンクの股を提供しつづけ、さらなる男たちへと領域を広げていった。さらにまたさらにとデカくて年のいった男たちへと手を広げた。するとみんなが彼女を売春婦とか娼婦とか呼ぶようになった。ひとたび「あいつは簡単にやれる」という噂が広がると、安息香酸ナトリウム(保存剤)でさえ、その言葉を留めておくことができなかった。
 シモーヌはジョセフィーンおばさんの娘だった。ジョセフィーンおばさんの家は、ぼくの家から2軒先の通りの右側にあった。その家には8人が住んでいた。ジョセフィーンおばさん、シモーヌの姉さんのカルメン、3人の弟、2人の妹の8人だ。シモーヌのパパ(のっぽ)のことはよく知らなかった。それはシモーヌが小さかった頃、ジョセフィーンおばさんがのっぽを追い出したからで、理由はのっぽが想像以上に不誠実だったからだ。あとになってぼくがつなぎ合わせた事実は、当初ジョセフィーンおばさんはのっぽとの間に子どもをつくることを受け入れていたが、のっぽはよそで別の女との間にも子どもをつくっていた。しかしジョセフィーンおばさんの産んだ子どもが増えてくると、手に負えない事態になった。さらにはのっぽの女たちが、養育費をくれと子どもたちをおばさんの家に送りつけてくるようになった。
 ジョセフィーンの家に住むどの人間をとっても、それぞれに逸話はある。ぼくはその中から一人を選んで簡潔に書くことにする。カルメンにもシモーヌと同様の評判があった。カルメンが妹に手本を見せたという人たちもいた。何年もの間、カルメンがあちこちで男と寝ていたからだ。みんなは、近所にある氷工場の近くのバーでカルメンが働くようになってからそれは始まったと言っている。カルメンが男たちに安いサービスをするようになると、1月のうちに20日以上携わる習慣のようなものになった。男たちが連れていくところどこへでもカルメンはついて行った。それはバーの貯蔵庫だったり、ぼくらの敷地にある小屋にやって来ることもあった。小さないくつもの目が覗き込む家の中で狂乱が生み出された。
 男たちがカルメンのところに寄りつかなくなって少したつと、前にぼくが書いたように、それについての論争がはじまった。なんで男たちが寄ってこなくなったかには様々な見方があった。いとこたちの中には、カルメンの体重と下着(どちらも脱ぎ着が簡単)がそれぞれ別の道を歩むようになったからだ、と言う者がいた。彼女がどんどん太っていったので、寄ってくる男が減ってしまったんだ、とブライアンや仲間の男子は言っていた。しかし別の者たちは、本当の理由は男たちが淋病とかの性病にかかったんで来なくなったんだ、と反論した。あれにかかるとひどく痛いだけでなく、ペニスが抜け落ちるらしい。そののち、カルメンのクーチーは正式に非難の対象となって、関わるとろくなことはない、子どもであっても関わるな、という警告があちこちに広がった。というわけで誰もあそこにモノを入れようとはしない。さらにガーネットは(前にも書いたように)、カルメンのまんこは9回きりの命をやりつくしてるから今は死んでる、とつけ加えた。これが騒動になった論争のあらましだ。
 どれが本当の理由であっても、いくつかのことは真実だった。一つは実際のところ、彼女は巨大なからだになってて、毎日朝、昼、晩とポークスキンを食べまくっているみたいな体型だった。もう一つは男たちが寄ってこなくなったという事実。カルメンは来る日も来る日も、ママの家のベランダに一人すわっていた。年齢に関わらず、ぼくのいとこの大半は親の家に年がら年中同居していた(カルメンみたいに小さな隣接するあばら家か、シモーヌみたいに没収された家を自分のものにしていた)。カルメンには子どもが5人いて、どの子も彼女をママとは思ってなかった。自分の男もなく、自分の家もなく、犬さえいなかった。モノクロ写真が2、3枚タンスの上にあるだけ、どこかのビーチに遊びに行ったときの楽しい思い出として置かれている。あの頃、ぼくは日記帳に、一人小さな部屋で夜を過ごす彼女の物語を書きつけていた。ありきたりの恋愛ばかりの平凡な夢しかもたない彼女の一生。心に描くのは、朝には「朝食をありがとう、あとでまたね」、夕食の席では「これ美味しいじゃない、あなた、今日はどうだった?」、そして二人ともに満足しておやすみのキスをして眠りにつく、そんな程度の夢物語。ただの一度も、ぼくの物語では彼女がローマのことを考えたりはしない。カルメンは平凡な女で、小さな夢しかもっていないからだ。 
 カルメンがこんなような平凡な夢をもっていようと、あるいは旅することを夢見ていたとしても、ぼくの預かり知らないこと。でも彼女が何をしたかと言えば、普通はスポーツや政治に向けられる情熱を宗教に向けたのだ。ここの沈下地区の者たちと同様、アブラハムの胸の中にカルメンは居場所をみつけた。
 シモーヌの弟のジミーのことでも、あの家は人目を引いていた。何年もあとに、ジミーはママの家の前で銃で撃たれたんだけど、それより前に、彼はぼくらのところにやって来た最悪の悪霊の化身の仲間入りしていた。
 ここでシモーヌに戻ろう。彼女は本当に娼婦だったのか? いやちがう。みんなすぐにそこに行ってしまうけど、実際シモーヌは娼婦じゃなかった。少なくともファックしないと食べていけないのが娼婦だ、と定義するならば。彼女はママの家の食卓で自由にご飯が食べられた。それに加えて、子どもの父親たちからポツリポツリと仕送りもあった。この仕送りは年金みたいに安定したものではなかったけど、子どもたちが小さいうちは、そして「生きているうち」は継続が期待できた。だからシモーヌは娼婦ではなかった。それに彼女は、前にも説明したように、誰もがいつでも手をつけられるその辺の女というわけでもなかった。シモーヌはむしろ、女が男より非力で、男とコンドームが不仲だった時代の、村で働く男たちが乗り降りする通勤電車みたいなものだった。一言でいえば、それがシモーヌが子沢山である理由だ。
 最初の子は、シモーヌがまだ14歳のときに生まれた。
 ぼくがシモーヌの家の前を通りがかったとき、その子は生まれて10ヶ月だった。小さなベッドが一つ、ストーブが一つ、ラジオが一つ、窓が一つ、タンスが一つ、椅子が一つのあばら家はママ(ジョセフィーンおばさん)の家の脇に付随してる。シモーヌと寝ていた年配の男が、通りでぼくを見つけて、おれが待ってると伝えてくれと言ってきた(この糞男は50セントすら駄賃をくれなかったけど、そのときは金のことは心になかった)。ぼくはシモーヌの部屋に伝言をもって入っていった。ノックなど必要なかった。極貧地区の作法では、もったいぶった行為と受け取られるからだ。シモーヌはちょうど赤ん坊を風呂に入れ終えたところで、赤ん坊をベッドに置いてフレンチキスをしてた(当時それは「ディープスロート」と呼ばれていた)。こっちに目を向けたとき、ぼくがドアのところに立っているのを見てクスクスと笑い、これをやって欲しいかと訊いてきた。そして赤ん坊の小さなペニスをまた口に含んだ。あの頃はオーラルセックスが一般的になった時代で、シモーヌは新しいスキルを練習しているみたいに見えた。前の週に牧師が「信徒はどのようにひざまずいて祈るか」を教えたばかりだから、彼女がこのスキルをまだ仕事で生かしてないことは確実だ。シモーヌは教会に行ったことなどなく、仮に行ってたとしても、これとあれを結びつけることはなかっただろうけど。
 シモーヌの申し出は真面目なものとわかってた。彼女の家に来てやらせてもらうのは、誰にとっても自然な行為だったのだ。実際、彼女はぼくらに家に来てファックして欲しいと頼んでるように見えた。玄関の前で、トイレに行きたくてピョンピョン跳ねているみたいな彼女を目にするかもしれない。シモーヌはやりたがっていた。だからぼくは気軽な誘いに驚かなかったけど、せっかくリハーサルして、男が待ってるときに、どのタイミングでぼくとやるのかなと思った。でもぼくはそのとき別のことを考えていた。シモーヌに外で男が待っていると伝えた上で、ぼくの中に長らくあった質問をした。
 「シモーヌ、なんでこんな風にやつらにやらせてんだ?」 質問した理由は、彼女がいとこだったからで、シモーヌはぼくら家族の一員であり私有財産、なのによそ者が好きにしてるから。真っ黒で毛だらけのケツの男たちがシモーヌの脚の間に覆いかぶさっている図を思い浮かべると、耳が痛くなるからでもある。それにシモーヌにはいま赤ん坊がいて、置き去りにしないと、よそ者の男たちの相手ができないからだ。
 シモーヌの答えはこうだ。

 ケニー、あんたに欠けてるのはこの宇宙というものをちゃんと理解してないってこと、ものごとの本質がわかってない。地球は変わっていくけど、核の部分は変わらないの。あんたもあたしも、自分が何者か、なんのために生きてるのか知る必要がある。あたしは自分が何者かわかってる。何のために生きてるのかも知ってる。あたしはね、実存主義者がもつような不安に苦しんでるんじゃないの。それにあたしは自分の用途を理解してるから、誰もあたしを利用することはできないの。あたしは自分の膣の価値を知ってる、それは自分の持ちもので一番強力なものなの。あたしを憐れんだりしないでね。

 実際はシモーヌの口から出たのは次のような一言だったんだけど。
 「ケニー、あたしにいきかただてしらんか?」 翻訳すると「ケニー、これがあたしの生き方だって知らないの?」 いつだってこうなのだ。たった14歳の女の子のこの宣言が、それ以来ぼくにとりついてしまった。シモーヌはいつものようにクスクス笑っていたけど、彼女の1分前の申し出と同様、この答えも偽りのないものだとわかった。これが彼女の真実なのだ。
 シモーヌの人生は厳しいものになった。シモーヌは男たちが村を出たり入ったりするたびに、自分も出たり入ったりしていた。一番新しい子どもの父親と住むために、どこかよその町に移り住み、初めての(あるいは2回目、3回目の)暴力を受けて、2、3ヶ月すると村に戻ってきた。いつもシモーヌはここに帰ってきた。そのたびに別人のようになっていた。もう妹分のいとこには見えなくなって、ぼくらの祖父母たちに対しても、仲間内のような口をきける女性になっていた。
 シモーヌの恥の神経は死に絶えていた、完璧に。彼女はまだ子どもに過ぎなかったが、あらゆる場所から男たちがやって来ていて、それは誰の目にも明らかだった。背の高い男、背の低い男、ずんぐり男、金持ちに貧乏人、黒人もいればインド人もいた。それから教会の長老もいた。ぼくら子どもたちは、長老のブツは信仰心より固いと言い合った。締めくくりとして中国人の男がいた。そいつがパン工場と店をもっていたのを覚えてる。神様がこの世ににつくる気がなかったみたいに、すごく背が低くくて髪も短い男だった。この男は剣をもっているという噂があった。明らかに自分を守るのに、警察にも地元特産のオベアの黒魔術にも頼ろうとはしていない風だった。でも何かあれば、ぼくらにはいずれわかるだろう。
 とにかくシモーヌはこういった男たちと関わりをもっていた。そんな風にあまりにたくさんの男がいたので、ぼくらの敷地の犬たちも、シモーヌがいかに安い女か知っているという噂が流れた。あれだけのホモサピエンスがやって来るんだから、どうやったら彼ら(犬たち)も一口乗れるかという会議がもたれた。おかしな風にこの話は転がりはじめた。ある晩のこと、ベランダ話のときにガーネットがこう言った。「今日の朝、犬たち全員が集合して会議してるのを見たんだ」 ぼくの犬ラフィーはリーダーの器じゃないので、群れのうしろの方にいた。犬たちは自分たちも人間のクーチーの分け前を得る権利があるかどうかについて、熱い議論をかわしているように見えた、とガーネットは言った。二つの選択肢が提示された。(a)言葉の達者な選ばれた者たちが、セックス狂のように見える人間のところに行って、人間と「同等の権利と機会(1970年代の社会主義者が言っていた表現)」があることを主張する。(b)群れの中で最も強い犬たちがシモーヌをとらえ、草むらの中に連れこみ、そこで全員がシモーヌとやる。最終的に、ぼくらが知る限りは、シモーヌに何も起きることはなかった。だから犬たちの会議の結末がどうなったか誰も知らない。ぼくらがその話を笑って忘れ去ったのに対し、子どもたちの何人かは、2、3日の間、心配そうに事態を見守っている風だった。黄金の夜明け団*のように、白人にも「2010年5月に世界は終わる」と信じていた(破天荒な)人々がいたことを思って、自らを慰めるしかない。 
 当時はMatch.comもE-harmonyもない時代だから、この幼い女の子がいったいどこでどうやって男たちと出会っていたのか知りようがなかった。中でも金持ちの男たちは謎だった。近所の路地に車をとめて彼女を待ち、どこかに連れ去る。近くのバーでそいつらが(心配無用。当時は子どもが親の使いでバーに入っていって何か買うのは問題なかった)、まわりの者たちをジョークで(ジョークがわからない者も含め)ゲラゲラ笑わせているのを目にした。この金持ちたちはデカイ車、デカイ家、デカイちんちんをもち、デカイ笑いを放ち、でも財布はちっぽけだった。財布が貧相だったのは間違いなく、シモーヌがこいつらから手にしてる金はとても少なかった。それで彼女はクーチー年金を手に退職とはいかなかった。彼女がどう扱われていたかについては、かなりの手荒さだったろうということが、(a)シモーヌが車から降ろされたあとのアヒル歩き(b)どんな女も前戯なしで激しくやられるのが好き、というジャマイカで普遍的に認知されている事実、から判明できる。
 あのいまわしいクソッタレな村の思い出の中で、重要な役割を担う人物で、ぼくらのデカイ謎の一つである氷工場の経営者ミスター・ジャクソンまたはミスター・マンを紹介するためにも、シモーヌの名をここで再度あげる。あの二人がどうやって出会ったか理解するのはそれほど難しいことではない。それはぼくら子どもたちは氷工場に行くことがよくあって、あいつはいつもそこに、その事務所にいたからだ。さらにはミスター・マンは沈下地区から1キロちょっとのところに住んでいた。どデカイ家は『リプリーズの信じるか信じないかはあなた次第』だけど、庭師にプールボーイ、家政婦完備で、二人が会う機会はいろいろあったはず。
 さてここでミスター・マンについて何がわかるか上げてみる。ミスター・マンは、
 金をもっていた、しこたま。
 泳げるウールをもっていた(プールの脇に看板を掲げていて、「プールの<ぷ>がないだろ。このままにしておこう」と言って面白がっていた)。
 年端のいかない女の子が好き、という誰かの見立て(大人の男にとって珍しいことではなかった。実際のところぼくらの沈下地区では)があった。
 まあこれは
 「トミーが石をぶつけたとき、どんだけあの犬が速く走ったか見たかい?」
 とか
 「神様、カニを調理しようとしてミス・フリーダが家を燃やしそうになったのを聞いたでしょうか?」
 とか
 「あの小さなのシモーヌが大人の男とファックしはじめたのを知ってるだろう?」
 というような他愛ない、嬉々として伝えられる噂話のようなものだけど(話が脱線したけど)。 
 ミスター・マンはすごく小さな男だったから、異様に陽気にふるまうか異様に無愛想かのどちらかで、埋め合わせしていた。あいつは異様に無愛想なやつだった。またトイレには全自動洗浄装置を備え、自分で尻を拭く屈辱からも免れようとする男だった。
 こいつは45歳の誕生日に、自分でバースデーケーキをカットしたという。ぼくらはこれをこいつの家政婦(ぼくのおばさんの教会の尼僧でもある)から聞いた。この人はぼくらが知る必要がある金持ちの暮らしについての百科事典となった。ここで45歳の誕生日に自分でケーキをカットするとは哀れなやつだと早とちりする人がいるかもしれないが、あまり先を急いではいけない。のちに家政婦は、パーティにはきれいな女の子が2、3人はいたと報告した。おそらくミスター・マンはその場に2、3人の愛人を招いていたけど、そのうちの一人と一緒にケーキを切ろうものなら、互いの目を引っかきあうような、頭かち割り火花飛ぶ騒ぎになっただろう。昔も今もよくあることだ、そういうみっともないことは。
 というわけでミスター・マンについてぼくらは基本情報を得ていた。また彼がぼくらの謎の一部であることもわかっていた。先に進もう。
 シモーヌについての話のここからの部分は、ボブおじさんのことを改めてちゃんと紹介するのにも都合がいい。あれだけ長く生きて、あれだけうまいこと死んだボブおじさんのことを。おじさんは痩せた男で、自分で見つけてきた嵩と重量のある女たちの誰かれと、入れ替わり立ち替わり、ぼくの家の隣りで暮らしてた。多分、おじさんはひどく痩せていて、肉も脂肪もなかったから、そういうものをたくさん身につけた女をもつことで埋め合わせしたかったんだろう。問題は、その女たちがきまっておじさんを置き去りにすることだった。どの女も一人残らず。何ヶ月、ときに何年も、おじさんは自分の家の酸素を一人で消費していた。毎日、おじさんは家の外に出て、トタンのフェンス越しに外を見ていた。火を焚いて料理したり(どこかからか金を得た確かな証拠だ)、小さな子どもたちが遊ぶのを見ながら、死んだ兄のダピーを友にギネプの木の下ですわってた。でもたいていはただすわって、でかマリファナを吸い、アパッチ族が保留地で戦いの狼煙(のろし)をあげるみたいに、モクモクと煙を吹かしていた。おじさんが最高級のマリファナを手に入れる方法をもっていたのは確か。ぼくは知ってる。それを教えてくれたのはおじさんだから。ただそばに立ってるだけでハイになれる、と冗談を言う子たちもいたけど、ある日教会から出てきたところで、ぴったりなフレーズを思いついたのはぼくの兄さんだった。「初めに、葉っぱがあった。葉っぱはボブおじさんとともにあった。葉っぱはボブおじさんであった(創世記パロディ*)」 罰当たりな糞チビ、それがぼくらだ。でもボブおじさんの話に戻ろう。いい年まで生きたボブおじさんだ。子どもたちの中には、なんでこのおじさんはいつも、すわっているとき、いごいごと落ち着かないのだろうと思っている者がいた。でもぼくらは何度も再発する痔のためだと知っていた。一つぼくら全員が知っていたことは、食べようとしているケーキに自分の名前が記されているのに気づかなかったとしても、おじさんは世の中のことに通じた頭のきれる人だったということ。どのように世の中が動いてるか知っていた。車、橋、テレビ、船、原子爆弾、女の人、政治家の心、神の意図、悪魔のいたずら、そういったことの仕組がわかっていた。少しの時間、おじさんと過ごしてみるといい。とくに葉っぱをやったあとだ。ひとの想像力を大きく超える、その見識に驚かされるだろう。一度おじさんはぼくに特別な助言をしてくれたことがある。抗生物質をとった2、3日後の女のクーチーこそ吸いどきだというもの。それはそのときの女は、狂人の良心より純粋で浄化されているからだという。他の男子たちが言っていたことには反するけど、女の子のクーチーはどれだけ甘かったとしても、食べたことで糖尿病にはならないとおじさんは保証した。 
 ぼくら5人の男子がシモーヌに一発ずつ激しいのをやった日、ボブおじさんは塀越しにそれを見ていた。おじさんは5人の男の子が女の子一人といっしょに家から出ていくところを見た。そしてそこで何があったかわかるのに時間はかからなかった。でもおじさんは待った。1日たったブライアンの惨殺の前の日、おじさんは口を開いた。でもまず、からまった痰を払い、そしてぺっと吐いた。おじさんの咳払いは別のリストの第6位だった。最高に胸糞悪いことのリストだ。おじさんの咳払いはクソ長くて、サトウキビを積みすぎたトラックがギアをいっぱいに上げて急坂をのぼっていくみたいな音なのだ。そのリストの第4位は次におじさんがすること。人差し指で片方の鼻の穴を押さえてプッと鼻汁を出し、出た鼻汁を指ではじき飛ばす。[ 第5位に位置するのも鼻に関すること。それは指を鼻の穴の奥の奥までつっこむ人がいて、脳みそをひっかいているみたいに見えるから ]  シモーヌといっしょだった5人の男子、ぼく、兄さん、ブライアン、ジョージー、ガーネットの中で、ボブおじさんが何か言うために家に呼びつけたのはぼくだった。 
 「おまえらみんなして、家ん中にいたのを知らんと思ってるのか? どんだけ長いことあそこにいたか、知らんと思ってんのか? あそこでおまえらが何してたか、知らんと思ってるのか?」 おじさんはぼくが答えることなど期待してなかった。自分に向かって言ってるだけだった。その目はどこか遠くのくすんだ未来を見ていて、焦点があってなかった。そしてぼくの方に振り返ると、結論としてこう言った。「あの子のまんこは小さくて締まってただろう、ん?」
 この質問が誘導尋問だったのは明らかだった。おじさんがこういう誘導尋問を、会話の中で(ぼくとおじさんの)つかうのは初めてのことではなかった。またこれが最後でもなかった。
 ベルばあちゃんの言ったこと。「あの子が教会に通ってたら、娼婦になどなりはしなかっただろうよ」

*黄金の夜明け団:19世紀末にイギリスで創設された隠秘学結社。1865年頃に設立されたメーソン系団体英国薔薇十字協会の会員が創設した団体と言われる。

 

*創世記パロディ:創世記には「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」とある。ケニーの兄さんは、ことば(word)を葉っぱ(weed)に、GodをBobに変えてパロディにして悦に入っていた。

In the beginning was the Weed, and the Weed was with Bob, and the Weed was Bob.

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.

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