DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第2章

 

棒や石で

骨を砕くことはできても

言葉がひとを傷つけることはない

というのは昔のことわざ

さあ、黒人を「ニガー」と呼んでみろ

ニガーにおまえのママは売女だと言ってみろ

おまえの妹のスカートに指を突っ込んだと言ってみろ

で、どこが痛いか聞いてみればいい

 

K. ラブレイス、1999年6月

 

 あの子のまんこはムチャクチャやられ過ぎて死んでるから、もう誰もあの子とはやりたくない、とみんなが言った。

 というか、本当は言ったのはガーネットで、他の男子たちはその肩をもっただけ。ガーネットの言葉はこうだ。

 「やり過ぎであの子のまんこが死んでるのを知らないってか? おまえらアホか? おまえらまんこは9回したら死ぬのを知らないてか?」

 これが理由で、ぼくのいとこのカルメンのまんことはもうやりたくない、とみんなは言った。ティーンエイジャーの男子によって、(この敷地内で)学術的な結論とみなされたものだ。

 近所に住む男子の一人、ガーネットはぼくのいとこたちといつもつるんでいて、クーチー(まんこ)は長いこと放置したり、空気にさらさないでいると「腐る」ものだ、という事実をぼくらに教示していた。ガーネットは自分のことを「モテ男」と言いふらす。また、強い口調で自分のちんちんは「6ヶ月」より長いと繰り返していた。ガーネットがこういうことを言いはじめると、他の男子(中でもぼくの兄さんのような年上の子)は笑いながらこうからかっていた。「こいつは豚の隣りで生まれたからな」 みんなと同様、ぼくもガーネットが豚肉好きだと知っていたけど、そのジョークが何を意味しているのかは、子ども時代の大半知らずに過ごし、笑って聞いていた。それが何だったのかといえば、ガーネットの自我は、中国製のワイングラス以上にもろいということで、このからかいのせいで騒動がよく起きていた。

 神様は、ぼくらの敷地で争いのない日など1日たりともつくらなかった。大人たちは賭け事か政治をめぐって言い争いをしていて、みんなはそれが豚肉以上に美味いと思ってた。当時、人々は政治好きで、自分のとこの「イヌ」が18歳になって、社会党か労働党に投票できるようになるのを指折り数えて待っていた。またここの人間は、JAMALなど無料の教育プログラムがあるのに、読み書きができず無学だった。ぼくのばあちゃんは、国の法令くらいで自然の法則は覆せないと言っていた。貧乏はいつもあたしらと一緒だ、「くそったれ無学」も同じように一緒だ、というのがばあちゃんの言ったこと。

 なんであれ大人たちのすることは、ぼくら子どももやったから、ぼくたちも言い争いをいっぱいした。ビー玉をやっていてとか、誰かが誰かの姉さんの悪口をいったりとか、話の中で自分のママのことを言われたりとか。たまにではあるけど、ぼくのいとこカルメンのクーチーのように、ひどい争いになることもあった。

 裏庭で起こったその騒動では、親や近所の人たちが出てきて、頭に血がのぼって腕を振りまわす子ども2人を無理やり引き離さなければならなかった。最終的にぼくら8人は、親から徹底的に尻をムチでひっぱたかれた。兄さんもぼくもぶたれることはわかっていた。このやり方は、子ども同士が喧嘩したときのジャマイカの田舎の風習だった。でもあれほど凄いムチ打ちになるとは予想してなかった。

 「マーティン、なんで喧嘩してんの? あんたに言ってんだよ? え、耳が聞こえないのかい? ケニー、あんたもなのかい? いいかい、ちょっと待ってな。ちょっと待ってな、わからせてやるから」 こんな言い方を何度ママから言われたか、覚えてないくらいだ。だから「待ってな」というのは、パパが家に帰ってきたらわかる、ということだと知っていた。

 その頃、ママは個人的な大恐慌に耐えていたんだけど、その話はまた別の機会に。あの騒動の日「堪忍袋の緒」がきれた、とママは言った。どれほどの怒りだったかということだ。ぼくは袋の口がほどけて恐ろしいものが中からドバドバ出てくるのを想像した。それはぼくらがしたことは、いつものベルトのムチ打ちでは不十分だということを意味していた。これが1982年に起きたことで、ママは、タマリンドの木から特別製の「更生用ムチ」をとってきてくれ、とパパに頼んだ。世界の終わり、極限の痛さだった。でも当時の感覚で言えば、それは子どもの虐待には当たらなかった。

 いま振り返れば、その極限のムチ打ちは、いとこのカルメンをめぐって起きた騒動に対する罰、ということだけでなく、深い闇につつまれた、奥地の村をおおう無学な世界に対しての激しい無念の思いだったのだと思う。