DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第1章

 

 4歳の頃から、両親はときどきぼくを家からしめだすようになった。1970年代のことで、家といっても、一間だけの「家みたいな」ものでしかなくて、両親と兄とぼくでそこに暮らしてた。妹たちはまだ生まれてなかったけど、ママとパパは家をなんとかしようと、しょっちゅう手を入れていた。

 ぼくと兄さんが家から出されるのは、両親の喧嘩、家での出産、親が急にセックスしたくなったときなど。兄のマーティンはぼくほど気にしてない風だった。ぼくはうんざりだった。

 「なんか他のこと考えろって」 これが兄さんの慰め方。

 家の窓はふつうの窓ガラスで透明なやつ。ちゃんとカーテンがしまってないと(いつものことだけど)、嵐のような喧嘩、死産の場面、ドタバタのセックスシーン、と中で起きていることが丸見えだった。そのときのやんやの大騒ぎ、大音響はいまも耳について離れない。ああもっと強く、ハアハアヒャー、てめえこのやろう、ほらがんばってほら、もう二度となしだからね、あーもうもうもう、、、押し寄せる感情と絶叫のかずかず。

 最初に家から追い出されたとき、ぼくはまだ学校にも行ってなかった。住んでいた地域(役所から「沈下地区」と見くだされていた)の子どもたちはみんな、6歳から学校に行っていた。その理由は、この地域の大人は、幼稚園など行っても役に立たないと思ってたから。ジャマイカの田舎は、歯が生える前から家庭教師を雇うらしい日本とはちがう。

  外に締め出されると、することがなかった。ビー玉やゴム鉄砲、ダンボールの車を仕上げるためのトウアズキの種探し、そんなことをする気になれなかった。だからぼくはただ外で立って、待っていた、雨が降っていてもだ。もちろん誰かの家に行くことはできた。マーサおばさんのベランダとか、木の下で待つことはできた。柳みたいなマモンという大きな木があったし、うちの裏庭にはマンゴーの木があって、大雨のあとでも、木の下はまるで濡れてなかった。雨が降ると、ぼくらは木の下に避難して、ビー玉をポケットにいっぱい詰め込み、つぎに何して遊ぶか話し合ったもの。木の屋根の外はビチャビチャで虫がわいていた。

 でも家から締め出されたときは、木の下に行かなかった。家の外に立って、ずぶ濡れになって、土の臭いを嗅いでいた。くちびるに落ちた雨は苦かった。あとになって、これは雨と涙と怒りの混じり合ったものだとわかった。そこに立ちつくし、苦いつばを飲み込み、その毒が腹をむしばみ焼け焦がすのを感じていた。すると自分は違うからだの中に住んでいて、これは自分じゃないと思えた。誰かの屍の中に囚われているのだ。そいつは自分のからだを生かすために来た。ぼくはそいつにからだを返したかった。だけど中にいる自分は、いま行く場所がないのだ。自分の番はまだ来ていない。だからぼくも、そいつのからだも、そこで立って待っている。

 隣りのビリーが、ある日、ぼくが雨の中、立っているのを見た。「ケニー、帽子貸してやろうか」と、いつもの間の悪い親切心でそう言った。ビリーは、ぼくが帽子をかぶろうにも、頭がないことを知らなかった。

しんせつビリー(9歳)

 自分は家に入る権利があると思ってた。それで家の前にずっと立っていた。そこから絶対離れなかった。ぼくがいることを知らしめたかった。ぼくはここで待ってる。それが理由で、最終的にそこを離れた場合も、遊びに加わったとしても、家の中の様子に耳をそばだてていた。音だ。ベッドがギシギシいう音。磨いた赤い木の床(はいつくばってヤシ殼のタワシでぼくが磨かされる床)をベッドがドスンと打つ音。このきれいに磨かれて輝いている木の床は、もっと広くて、ぼくら子どもがたまにそこで寝かされるなんてことがなければ、モダンで中流っぽく見えた。
 ぼくは自分の部屋がほしかった。自分専用の机があって、自分の名前が書かれた教科書に囲まれて、自分のラジオにつなげたヘッドホンを頭につけ、自分用の電気スタンドのもとで勉強する。なによりも、音のしない家が、秘密のない家、妙な人間のいない家、喧嘩のない家がほしかった。パパがいて、ママがいて、ぼくがいて、兄さんがいて、普通に、楽しい暮らしが送れる家がよかった。一人ずつ部屋があって、冷蔵庫には食べものが詰まってて、放課後に食べるブドウがある家。
 たぶん1979年のはじめのぼくが8歳になった頃が、自分たちのものとそうじゃないものがわかりかけ、自分の家がどんな状態にあるのかを、痛みとともに知るようになった年だと思う。ある日、家の近所を兄さんといとこのウェイン、ブライアン(どっちも年上)と歩いていたとき、今住んでいる一部屋だけの家は、本当は「自分たち」の持ち物じゃないことがわかった。その理由は、自分たちの土地じゃないからだ。前にも「私有地」と書かれた看板は何度も見たことがあったけど、その日、ウェインにどういう意味か聞いてみた。

 それでぼくらの家は私有物ではない、ということを知った。ぼくら(家族の一人残らず)は、他人の土地に居座っているだけだ、とウェインはぼくに言った。そこは金持ちが所有する土地だった。
 その日、ぼくは金持ちについて、その人たちがどのように暮らしているかについて、いろいろ学んだ。それは(このときわかったのだけど)、もう一人のいとこのブライアンがこの件のエキスパートだったから(ウェイン、ブライアン、ガーネット、トミー、カジョー、ビリー、この6人は子どもの頃いつも一緒だった連中)。ブライアンがまずぼくに話して聞かせたことは、金を「もつ」人間と、金で「ある」人間の違いだった。金を「もつ」人間というのは、偉そうに高級店に入っていってこう言う。「あれをくれ。それとあれも、あれも、あれも、あれも。それから、、、あれもだ」 この手の金持ちは「成り金」と呼ばれ、金持ちに成り上がった、思い上がったやつら。いっぽう、何世代にも渡って富を所有してきた金持ちは、成り金とは違うと見られ、尊敬をもたれ、大きな力と地位を確立していた。こういう人種を目にすれば、人々は大慌てでそのことを触れまわる。「ジョー、ほら、あの車の中にすわってるのがそうだ。金の男だ」
 1970年代の後半、ぼくらが住んでいる家の持ち主は、金である、と思われていた。その人に会ったことはなかったけど、何年かして、土地の返還を要求するために使いの者を送り込んできた。おばさんの家二つが取り壊されることになった。子ども時代のたくさんの思い出や、紙のように薄っぺらな安心感といったものが、小さなショッピングセンターに取って代わられた。以来「自分たち」の家は自分たちのものでなく、取って代わられるものだ、という恐怖感をもって暮らすようになった。
 70年代当時、ぼくの家は、一族郎党が身を寄せ合って暮らす敷地の中にあった。最初にとりあえずの排水管が庭に据えられ、電線が許可なく引き込まれた。少しずつ、人に知られない方法で、親族の誰かれが自分のところに電線をつなぎ、それを他の人に分けてやった。自分の家に何か加えようとする者がいるかと思えば、家のまわりにトタンや木材で囲いをつくる者もいた。家を又貸しする者もいた。でもウェインが言うには、誰ひとりこの土地の権利証をもっていたことなどなく、敷地内の一軒たりとも、コップ一杯の泥ほどの価値もなかった。
 おばさんの家が壊されてから、親族で分けあって住んでいるこの場所のことを、いろいろ考えるようになった。子どものぼくは、おばさんやおじさんの家に、砂糖や氷、トウモロコシ粉、サバに卵にお金、ワセリン、料理の油、鶏肉、コーヒーなどの貸し借りで使いにやらされた。すべてのものを(人間も)互いが分けあって暮らしているんだとわかった。1980年代半ばに、いとこの一人が、ぼくの家にやって来た。両親が移住してしまい、一人で市場を迷い犬のように歩いているのをママが見つけたのだ。
 また1970年代の終わりに、窓からの覗きでぼくが学んだことは、結婚式をして「添い遂げるのはこの人だけ」と誓ったとしても、法や慣習に関わりなく、ここに住む夫や妻は「私有財産」ではないということ。いとこの一人が「早く、ちょっと来いよ」とぼくらを呼びつけ、みんなして誰かの家の窓の下に行き、順番に中を覗く。ブライアンはクスクス笑い、いま見たことを手真似口真似でやって見せる。ぼくのほうは、ぼくのおじさんではない男が、毛むくじゃらの真っ黒のけつの穴をこっちに向けて、ぼくのおじさんの奥さんの広げた足の間で激しく上下しているのを見て、笑ったりしなかった。この人は、おじさんの私有財産を侵害している。
 「神様キリスト様、神様キリスト様、ご慈悲を、ご慈悲を」
 「ボンボクラ、ボンボクラ(くそったれ)」
 「そうだ、そうだ、クソックソッ」
 「ラスクラ、ラスクラ(くそったれ)、もっとだ、もっとだ」
 壁をバンバン、床をガシガシ、絶叫のフレーズが繰り返される。耳が痛い、釘を打ち込まれているようだ。怒りのブレーキで、時をとめてしまいたかった。そうすればこの盗っ人を尻から突いてやれる。残忍な思いが自分の中に芽生える。でもゾウというのはいくら大きくても、足が縛られていることもある。そうやって時は過ぎていった。
 この男がおばさんとの性交を終えたとき、窓の外から見ているぼくに気づくことがあった。そして汚い歯を見せてニヤつくことがあった。美容歯科が見たら卒倒しそうな歯並びだ。男はぼくの頭をなでようとしたり、アイスキャンデーを買う金をくれることもあった。絶対に触らせなかったし、絶対に金を受け取らなかった。
 だけどブライアンはそういうのは大歓迎で、お金を受け取っていた。ブライアンは自分の頭の空洞を埋めるため、そういった興奮を求めていた。それでいいものに出くわせば、ブタ級の天国に行ける。ぼくらにその場面を何度もしつこくやってみせて、頭がすっかり空になるまでやりつづけ、空っぽになったところで次の興奮を探す。ブライアンはいつも同じことをする。「ケニー、あれ覚えてるか?」 そう言うと左手の親指と人差し指で輪をつくり、右手の人差し指を出し入れするのだ。
 大人たちはときどき、マットレスを外に出して陽に当てる。するとブライアンはみんなを呼び集めて、そこにあるシミを見せる。どこかから手に入れた中古マットレスのこともあれば、救世軍からの払い下げのこともある。現代の科学捜査班をしても、このマットレスの上で性交した人間ひとりひとりの跡を追うのは難しい。
 もしアホ用の割引券があったとしたら、ブライアンは全部をただでせしめるだろう。16歳にもなって、セサミストリートのアルファベット売りのレフティ(シーッ、ちょっとこっちに。と、トレンチの前をあけて、「O」を買わないかい?というセールスマン)が、本当は子どもたちにドラッグを売ろうとしていると固く信じていた。ブライアンのユーモアのセンスは「ようケニー、23より面白いものわかるか? ヘヘヘ、、、24だよ。へへへ」といったものを超えることはない。この年になっても、屁をかまし、構えて次の一発を試み、ひとり爆笑する。ブライアンのユーモアのレベルはこんなものだった。
 前にぼくが食べているマンゴーを少しくれと言ってきたとき、ブライアンが真に求めているのは、神様からの愛だとわかるのに1分とかからなかった。それで問題は解決し、ぼくはマンゴーを一人で食べ終えた。マンゴーはぼくが世界でいちばん人と分かち合いたくないものの一つ。ほかには自分の家、自分のおばさん、それから、、、ママも。
 パパじゃない男の人と「話す」ため、ママはぼくの鼻先でドアをピシャリと閉め、カーテンを念入りに引いた。1週間前にママはぼくに本当のことを言わない、とわかったとき感じた怒りがこのとき再燃した。
 「自分のものに触ったりしたら、目が見えなくなるよ」 その前の週にママはそう言った。9歳くらいのときのこと。
 その日、ぼくはウェインにそのことを尋ねたら、ウェイン流の言い方で説明してくれた。「おまえはマヌケか。人の言ったことを全部信じてるのか?」
 その日ぼくは自分のものに触って、ママの言ったことが本当だったらとビクビクしていた。最後まで遂行して、そしていい気持ちになった。目はなんともなかった。そのあと、いろんなことがすごく変わった。倫理とは少数の人間が話す外国語にすぎないと知って、目が覚める思いだった。
 2年くらいしてウェインは、射精ばかりして「オイル」を排出していたら、背中が硬直して最後には麻痺してしまう、というのもウソだと教えてくれた。いろんな意味で、ウェインはぼくの専用百科事典みたいなものだった。
 また、ぼくの犬は、みんなの犬だということも理解しなければならなかった。ぼくの犬は家から家へと餌をもらってさまよい、丸一日姿を消し、あっちの庭こっちの庭と歩きまわり、夜の6時なって、外で食べれば家の食料を減らさなくてすむだろう、と言わんばかりの態度で帰ってきた。
 このことはぼくに別のことを思い出させる。
 先週コンゴにいたとき、犬を見ようとある動物保護施設に立ち寄った。住んでいるわけじゃないから、連れて帰るつもりなどなかった。そこの人に、1匹うちで 飼いたいと考えてるところなんですよ、と言ってみた。とても可愛い雑種の犬が2匹いて、まだ生後6ヶ月だと言われた。
 「この2匹は姉妹なんです。あっちの子は内気でね」と教えられた。でもぼくが手をのばすと、その犬はこっちにやって来た。腕の中におさまると、期待するような目でじっとぼくを見つめてきた。「自分の食べているものをあげてはダメです。ドッグフードをやってください。食卓で食べさせてはいけません」
 ぼくはにっこり笑ってうなずいたけど、それを認めたわけではなかった。これは、あの「私有財産」に当たるものだ。ぼくがずっと信じるのをやめていたものである。もしこれまでにマトモな犬を飼っていたとしたら、その犬は家の中で暮らしていただろうし、ぼくの食べている肉の骨を与えられただろうと思う。