インタビュー with 20世紀アメリカの作曲家たち

シカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィーが聞く

(4)

​スティーヴ・ライヒ --3 --

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BD:音楽は純粋に耳で聞くものです。あなたのコンサートやその他のものでも、テレビで放映されるべきなのか。

 

SR:いろいろな点で、普通のコンサートをテレビで見ても、すごく退屈だね。議論の余地はない。上等なスピーカーで聞いたとしても、音として聴くことと比べて、メディアとして大きな問題があると思う。わたしについて言えば、いくつかのコンサートはビデオで見たことがある。ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージックでパフォーマンスをしたとき、彼らはアーカイブとしてすべてを録画した。で、わたしはそれを見た。またハーバードのサンダース・シアターでコンサートをしたけど、彼らはステレオ音声で録画をした。あとでわたしはそれを見た。見ていて少しして、退屈になってきたんだけど、しばらくの間はなかなか面白かった。

 

BBCとオーストリアのORFでテレビ番組をやったことがあるんだけど、最近、アメリカのやるプロジェクトについて、ちょっとした議論になってて。わたしの音楽は、議論の合間に挟まれるとテレビではまるんだ。わたしが音楽でやってることと似てるんだ。テレビというのは人の顔を大写しにして、話すところを映すのに最適だからね。心理的に最高の、個人的で、親しみのあるメディアなんだ。クラシック音楽、コンサート音楽、わたしの音楽はテレビにとって持続性があり過ぎる。ときどき入るカットなしには、退屈なものなんだ。カットを入れるのは、面倒な作業だろうけどね。(両者、笑)

 

BD:じゃあ勝ち目がないんだ!

 

SR:いや、「楽興の時」をただただ演出したいだけというなら、勝てるよ。曲のごく一部をやって、それについての議論を混ぜるのは、面白いものだよ。見てる人はそこから何か受け取って、実際のものに(レコードとか、ライブのコンサートとか)に触れたいと思うかもしれない。

 

テレビが進化して、レコードやビデオや音楽ビデオといったメディアが進んでいくと、コンサートホールへの影響が起きる、もうすでに始まってるとも考えられる。将来のいつか、わたしがミュージックビデオのために何かすることもあり得るね。どういうものかはわからないけど、そういうものをやることは想像できる。ダンサーと一緒かもしれないし、演劇の人とかもしれないし、ポップ・ミュージックがやってるようなやり方で、音楽ビデオをつくるんじゃないだろうか。

 

いくつかのポップ・ミュージックのビデオは素晴らしいね。ひどいものもあるけど、成功のキーになってるのは、時間が3、4分だってことだ。

 

BD:われわれはコンサートホールでも、これをやったらいいのか。ちょっとした討論とか何か言葉で訴えるとか。

 

SR:いや、それはダメだ! コンサートホールの死滅だよ。それを断ったことで敵を作りそうになったよ。ニューヨーク・フィルハーモニックが、1970年代初めにそれをブーレーズでやった。演奏を少しして、それについて話すというアイディアは、曲やコンサートにどれだけ魅力があろうと、すべて追い払ってしまうだろうね。

 

BD:でもそれは過去のこと。議論をして、それから演奏すればいい。あるいは図解で説明して、それから演奏するとか。

 

SR:だめだ、どっちのやり方も致命的だ。コンサートっていうのは、コンサートにはじまり、コンサートで終わる。ホールに来て、席について、演奏がはじまる。それを聴く、それに愛着をもつ、あるいは嫌う、家に帰る、終わり。

 

コンサートのあとに、あるいはずっと前に、でもできればあとでがいい、次の日とかね。わたしのアンサンブルがツアーをしているとき、やっているのがそれ。自分がコントロールできる場合に、こういうことを頼まれたときにやっていることだね。あなたがX大学、あるいはY市にいるとしよう。コンサートの次の日の午後、わたしはプログラムになかった曲のレコードをかける。そしてプログラムにあった曲、かけたレコードの楽譜を配り、それからあらゆる質問に答えるんだ。

 

たいていはこの方法のほうが、自分が聞きたい曲なのかどうかはっきりしてない人々に、自分の考えを伝えるよりもずっといい。こいうことをするのは楽しいよ。音楽について多くのことが語れる。だけどコンサートで二つのことをするのはダメだ。コンサートを殺してしまうし、コンサートで伝えようとしてることをぼかしてしまう。言葉で語ることよって感情を支配してしまい、情報の伝達にならない。考えられる最悪の事態だね。聴衆はなにも学ぶことはないし、コンサートでの楽しみも持てない。

 

BD:プログラムには大量のノートがあった方がいいのか。

 

SR:わたしはプログラムに大量のノートを書くよ、その理由はノートはいたって静かなものだからね。何か話しかけてくるわけじゃないし、パフォーマンスの間も口を閉じてる。こういうものに興味がある人は中身を知ろうとするけど、自主性にまかされていて、読みたいときに聴衆は読める。演奏者が聴衆と差し向かいになったあとで、場が急転回して、ホールはレクチャーホールになる。

 

BD:あなたは自分の音楽について語るべきなのか。音楽自身が語るにまかせない方がいいのか。

 

SR:そうね、うん、でもプログラムを読むのは面白いと思うよ。わたしは作曲家がラジオで語るのを聞くのを面白いと感じてる。もしわたしの興味ある人なら、彼らがレクチャーで話したり、質問に答えたりするのも面白い。何となく興味をもっている以上の人にとって、さらにもっと知りたい人の興味に応えるものじゃないかな。

 

同じことが、本を書く人や絵を描く人にも言えるかもしれない。どれもその作品自身が自立していなければならない。疑問の余地はない。選択肢はない。作品自身が自立している、あるいは死んでるか、で決まり、それで終わり、はい次。だけどその作品が好きで、面白さを見つけた場合は、その作者に質問したり、答えを聞くのは興味深いことになるんじゃないかな。

Quartet_1.Fast(2013) - Colin Currie Group
00:00 / 00:00

From ”Steve Reich: Pulse / Quartet - EP”

2018 Nonesuch Records Inc.

(Original data:6:46)

◀︎ ”Steve Reich: Pulse / Quartet - EP” by Nonesuch Records Inc. in 2018

BD:『砂漠の音楽』を聴く前に、聴衆は何を知っていればいいんでしょう。

 

SR:聴く前に知っておいたらいいことは、言葉が何を発しているかだね。この曲のテキストはウィリアム・カーロス・ウィリアムズが書いたもので、わたしはこの詩人を16歳のときから好きだった。わたしは売れ残りの詩集を売る本屋に入っていって、この1冊を手に取った。その理由は著者の名前が前も後ろも同じだったから、それだけの理由だった。『パターソン』という本で、以来ずっと彼の詩を読んできた。

 

『砂漠の音楽』の詩は、連なる詩の全部ではなくて、あちこちから引っ張ってきたものなんだ。最初から最後まで、自分が本当に言いたいと感じと言葉だけを入れたかったんでね。自分でつくりだす必要があった。ウィリアムズの作品が好きだけれど、自分の行き着きたいところに到達するために、少し違った順番で置く必要があった。だからわたしが抜粋したものは、ある意味でサブテキストだった。

 

すべての詩は、ウィリアムズの最後の10年に書かれたものなんだ。彼はニュージャージーのラザフォードとパターソンで医者をしていた。ひじょうに仲のいいエズラ・バウンドがヨーロッパに発ったとき、ウィリアムズ医師は故郷にとどまった。彼の多くの詩は、アメリカの話し言葉のリズムから生まれている。『砂漠の音楽』のテキストは、2、3の詩から引いたものだ。その内の一つは『オーケストラ』という題で、これが基本題材になっている。

 

BD:オペラを書こうとしたことはあります?

 

SR:これまでのところ、ないかな。(笑) オペラの作曲家になることはないだろうね。一つか二つオペラを、あるいは音楽劇のようなものを書くことはあるかもしれないけど。

 

BD:何がちがうんでしょう?

 

SR:違いは、そうだな、ワーグナーとストラビンスキーの差のようなものだ。片方はオペラの作曲家、もう一方はオペラ『放蕩児のなりゆき』やバレエ『狐』、歌劇『マヴラ』を書いた作曲家。 

 

BD:オペラと音楽劇のちがいは何なんですか?

 

SR:今の時代では、かなりちがうね。MTVは音楽劇スタイルだよ。テレビでいうと、ローリー・アンダーソンがその中間のところでやってるね。

*ローリー・アンダーソン:アメリカのアーティスト、パフォーマー(1947 - )。アヴァンギャルド・ポップやマルチメディアのプロジェクトで知られる。

 

BD:MTVを見るんですか?

 

SR:ときどきね、見るよ! たしかに見てる、イエスだ。夜遅くに、ベッドにいく用意ができたら、つけてみる、ときどきね。あるいはホテルにいて、見れる場合にね。テレビの前に何時間もすわってることはないけど。部屋の壁紙みたいにして見てるティーンエイジャーがいるけど。身のまわりで何がはやってるかに興味があるんだよ。

 

嫌ってる人がいるのはわかるし、たしかに90%はそのとおり。だけどそれは一種、自分の身のまわりの生活の鼓動のようなものだと思う。現実に目をつぶりたくはない。そうやっていて得られるものはないと思うよ。すっかり拒否することはできるし、実際のところ、最高のもうけの種ばかりだろうね。でも自分の目で見てから拒否する方がずっといい、そういうものがあると聞いて、ゾッとさせられるに決まってると考えるよりね。まあ実際そうなるんだろうけど!(笑)

 

「音楽劇」はそれ以上のものだと思う。新たに出てきているスタイルのものすべてを取り入れられる表現形態で、それにオペラという名前は、合ってないように見える。わたしはモーツァルトからワーグナーに至るまで、個人的にオペラを楽しめない、それ以外のものもね。楽しめるオペラは『放蕩児のなりゆき』と『三文オペラ』、それに『青髭公の城』、モンテヴェルディのものを少し、そんなものかな。

 

BD:メト(メトロポリタン歌劇場)で連日かかってるようなものじゃないですね。

 

SR:ちがうね、メトで毎日かかってるようなものじゃない。そして歌唱スタイルも、『三文オペラ』がそのいい例だけど、意図的にベルカント唱法を避けたり、かわしたりしている。だから音楽劇の楽曲として考える最初のものは、その唱法になるだろうね。それは増幅されたスタイルのもので、議論に値しないような単純なことを扱うんじゃないかな。

 

具体的なプロジェクトがあるわけではないけど、もし誰かが5年前に「50分もかかるようなコーラスとオーケストラの曲を書こうとしてるんですか、それもアメリカの詩人を題材に?」と聞いてきたら、「なんだって、頭がおかいんじゃないのか?」と答えてただろうね。なのに、ほらここにあるわけだ(『砂漠の音楽』のこと)。(両者、笑) わたしの作品で、最も重要なものになるかもしれないし。除外することはないよ。今まだそういうプロジェクトがないだけさ。 

 

BD:あなたの作品で『砂漠の音楽』が最大の作品ではなくなるのを期待してるんでしょうか。

 

SR:「最も重要な」と言ったのにはいくつかの理由があるけど、大きな作品だから最良と思ってるわけではないよ。大部隊をつかうことは考えてないけど、そういうことも起き得るね。大きなアンサンブルをつかって成功させることの良さは、どんなことも可能だという感覚が得られるからだね。自分が扱えないものはないというね。それは個人的に満足の得られることなんだ。究極的には、自分以外の誰にも興味をもたれないけど、今こうして話しているみたいに、「すごいぞ、なんだってできるぞ!」って、これからも言うんじゃないかな。

 

そういう気持ちというのは、いいものなんだ。次の作品が大きなものになるということではないけどね。実際のところ、次にやるのは打楽器と2台のキーボードのための六重奏曲で、ネクサス・アンサンブル用のフランス政府からの、そしてダンサーで振付家のローラ・ディーンからの依頼によるものなんだ。

 

そしてもう一つはリチャード・ストルツマンのための『ニューヨーク・カウンターポイント』で複数のクラリネットの楽曲(ライブ演奏とテープによる)。ランサム・ウィルソンがフルートでやった『ヴァーモント・カウンターポイント』につづくものだ。わたしのアンサンブルがやる楽曲が他にもあって、それは小さな曲だよ。室内楽団でしかできない曲というものがあって、それは89人のオーケストと27人の合唱隊ではできないものでね。そういう細部こそが、わたしにはとても重要なんだ。

 

試してみることができる曲があって、小さな文脈の中ではそれがうまくいって、大きな曲でそれが役立つと思うわけだが、絶対満足いくものにはならない。オーケストラとやって、それがうまくいくことはないんだ。今わたしはオーケストラ曲をセントルイスのために書いていて、あそことカーネギーホールで演奏されるだろうし、セントルイスのあとには、来年はサンフランシコ交響楽団の75周年記念コンサートで、マイケル・ティルソン・トーマスの指揮で演奏されることになってる。

 

BD:依頼ではなくて自分のために曲を書くことはあるんですか?

 

SR:『八重奏曲』までの楽曲はすべてそうやって書いてきたよ。でも率直に言わせてもらえば、わたしのやってることは、自分のやりたいことは何かを形にすることなんだ。そしてどこかに行って、依頼してくれる人を見つけ出すんだよ。

 

BD:それがいい音楽を生むことになるんでしょうね。

 

SR:そうそう、そのとおり。それができてることに、とても感謝してるよ。それは自作のことを頭に、依頼を得ようと出かけていくと、「ここで演奏すればいいじゃないか」と言われた時期があったからなんだ。基本的にやりたいことに対して、報酬が支払われることは素晴らしいね。

 

BD:政府から芸術への助成金がもっとあるべきでしょうか?

 

SR:そうだね、これは直接的にラジオにも関係してくることだよ。ここの人間の収入は、ヨーロッパと比べて75%から80%くらいじゃないのかな。これはわたしのやってることに対して、彼らに洗練された感覚があるからでも、アメリカ人が粗野なためでもなく、最近友だちのピーター・クランシーと話したんだけど、ケルンの西ドイツラジオの音楽番組の予算はどの年度でも、アメリカ政府のNEA(全米芸術基金)の予算よりかなり多いということ。レーガン大統領の前の何年間の、もっと基金が多かったときと比べてもね。どこからお金は来るのか。それは税金からだよ。

 

BD:ワォ!

 

SR:イギリスに住んでいる人間であれば、 年間一人当たり75ドルになると思う。もし結婚していれば、ラジオとテレビをもっている場合、一世帯につき150ドル払う。それを2億人あるいは1億世帯に掛けたら、莫大な金が公共のあるいは民間ラジオ局に落ちるんだ。こういう金でヨーロッパのラジオ局がやってることが可能になる。そしてその街にコンサートのある暮らしをもたらす。

 

『砂漠の音楽』はBBCプロムスで演奏されたんだけど、これはロンドンで毎夏開催される8週間にわたるクラシック音楽のコンサートなんだ。アルバート・ホールで、1ヶ月を超えるコンサートのプログラムをもつ。7000席の大きなホールだよ。BBC交響楽団はイギリスで最良のオーケストラの一つで、ブーレーズも指揮をしている。この企画はすべて税金によって賄われているんだ。

 

アメリカにはそれがない。トスカニーニの指揮によるNBC交響楽団がこれに近いかもしれない。もちろんこっちは民間企業のサポートによるものだったけど。これは音楽の実務家として気づいた、最も大きな違いだ。わたしのアンサンブルをカリフォルニアに連れていくより、ドイツのケルンに連れていく方が簡単だし、過去においてもそうだった。理由は向こうには我々の知るスポンサーがいるからだよ。これはシュトゥットガルトでもベルリンでもロンドンでもアムステルダムでも同じだ。これがNEA以外の支援が期待できないカリフォルニアでは無理なんだ。

 

NEAはいいんだけど、非常に質素だ。著名な民間企業を探すことになる、とてもアメリカ的な方法だね。そこからわたしは利益を得てはいるけれど、もっと西ヨーロッパから学ぶ必要があると思うよ。わたしはリアリストだから、近い将来それがアメリカで実現するとは思わない。現政権(レーガン)のもとでは絶対にね。

*NBC交響楽団:トスカニーニの指揮による演奏をラジオ放送する目的で編成されたオーケストラで、1937年から1954年まで存在した。

Duet for two Solo Violins and String Orchestra - クリスチャン・ヤンヴィル
00:00 / 00:00

From ”Steve Reich - Duet” 2016 Sony Classical

​指揮:クリスチャン・ヤンヴィル

(Original data:5:35)

◀︎ ”Steve Reich - Duet” by Sony Classical in 2016 指揮:クリスチャン・ヤンヴィル

BD:若い作曲家があなたのところにやって来て、「作品を書きたい」と言ったら、どんな助言をしますか。

 

SR:何をつくるにしろ、とにかく続けなさいと言うね。途中でやめることなく、一つ作品をつくりあげること。一つを書き終えたら、新たな紙を出して次を書きはじめること。決まり文句のように聞こえるだろうけど、特に若い作曲家にとっては非常に重要で、それは作曲家というのは常に書きつづける必要があるからだ。

 

そしてある時点で気づく、そしてこう言う、「あー、あいつはあそこでやってるな、彼女はこっちだ。彼らは一連の作品をつくりあげている」とね。そのあとに、自分の作品の演奏にかかわるよう、彼らには言ってるよ。もし自分の作品を封筒に入れて、どこかの演奏集団に送るという受動的なやり方をした場合、そしていい返事が来ますようにと願って待ったとして、たいてい失望することになる。

 

その代わりに、自分の作品を自分で演奏するだけでなく、自分の友人たちに目を向けて作品を書くんだ。たいていの作曲家志望者は音楽学校にいる。わたしがジュリアードに行っていて起きた最良のことは、学校のカフェテリアに行って、弦楽カルテットをつくれることだった。そこにはたくさん音楽家がいる、これが音楽学校や音楽大学の本領だよ。気軽に学生同士でパフォーマンスが組める、学生にとって是非とも必要なことだね。

 

プロの音楽家になった場合も、同じことが言える。重要なのは作品が演奏されることなんだ、自分のつくったものを耳にして、書いたものにどんな問題があるか見つけるんだ。どんな音がしたか聞いて、それを正面から受けとめ、次の作品を書くことだ。こういうことがどんどん起こせれば、さらによくなるし、これこそがわたしが自分のアンサンブルでやってきたことだ。わたしがやったのは、いっしょに学んでいた仲間を集め、その仲間たちは、わたしのつくったものを演奏したいと思ってくれたというわけ。それ以外には誰もいなかった、そういうこと。

 

BD:そしてそれが演奏方法になった?

 

SR:それをつづけた。わたしは50年代後半から60年代にかけて育ったんだけど、それをやってどういう道が開けるのか、想像できるほど大人じゃなかったね。母親がこう言ってたのを覚えてるよ。「ポップソングを書いたらどうなの? その方がうまくいくんじゃないの」

 

BD:(笑)

 

SR:答えようがなかったね。適当な答えはもってなかった。自分のアンサンブルは商業的な可能性はゼロという、純粋に音楽への愛による行為だと思ってたから。1972年(36歳)になるまで、自分の音楽を演奏することで、部屋代を払ったり自分の生活を支えることができなかった。

 

BD:あなたのお母さんが「ポップソングを書いたら」と言ったことに驚いてるんです。「どこか行って、仕事を見つけてきなさい」ではなくてね。

 

SR:(笑)たしかに。彼女はポップシンガーだったんだよね。『Love is a simple thing』という曲を書いて歌ってたんだ。ブロードウェイの劇場に出ていたよ。30年代、40年代、50年代の「New Faces」と呼ばれたショーにね。だからあんな風に言ったわけで。父親の方は、あなたが示したような考えを持ってただろうし、実際言われたよ(両者、笑)

 

BD:あなたが作曲家でいてくれて、感謝しますよ。

 

SR:ああ、そう言ってくれて、ありがとう。

 

BD:作曲家の人たちと話すと、いつも大きな楽しみが得られます。特別なんです。

 

SR:嬉しいね、そんな風に思ってもらえて最高だよ。みんながそう感じるとは限らないんでね。(笑)

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1976年4月24日、ニューヨークのタウンホールで、スティーヴ・ライヒとミュージシャンズによって演奏されたライブの録音です。(12'06")

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