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インタビュー with 20世紀アメリカの作曲家たち

シカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィーが聞く

(4)

​スティーヴ・ライヒ --2 --

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BD:ではここで、わたしの好きな質問をしますね。音楽は芸術なのか、それとも娯楽なのか。

 

SR:わたしの見方から言えば、芸術的に優れた音楽は、いつも楽しめるものだと思う。わたしはアルノルト・シェーンベルクを手本とするタイプじゃない。むしろバッハに惹かれるし、ヴィヴァルディにさえね。コーヒーショップに行って、カプチーノを頼むと、店内で(バッハの)ブランデンブルク協奏曲が鳴っている。心地いいよね。その場にぴったり合ってるんだ。人と話をしてたり、音楽が鳴ってるのに気づきもしてないかもしれない。聞いていたとしても、注意をはらってるわけじゃないんだけど。

 

別の文脈でいうと、この楽曲は西洋文明の最高地点に到達している。それを書いた者は、ヨーロッパやアメリカを含む、この地球にかつて存在した中で、最高の音楽家なわけだ。音楽の耐久性という点で、シンセサイザーで演奏しうる素材、バックグランドミュージックとして流せる素材、古楽器でも現代の楽器でも翻訳可能な素材というのは、音楽の偉大さの究極の証明になると思う。そして娯楽として楽しめるか、イエス、その通り! 

 

モーツァルトへの熱狂は、音楽が楽しめるものだからで、だからといってその価値がおとしめられることはない。粗野で品のない部分、最高に洗練された部分、最も深淵な部分といったすべてのレベルが働きかけてくるわけで、そのすべてが一斉に機能すれば、シリアスで難しいとされる部分だって、ついには高揚感につつまれる。わたしにとっての理想であり、自作がそこに近づくことができれば、成功と言えるんだ。

 

BD:では自分の曲がエレベーターでかかっていたとして、異論はない?

 

SR:チャック・ベリーの歌にあるよね、「どんなものを使ったって!」(両者、笑)

 

***

 

BD:音楽は世界共通語と言われてます。あなたはガムランのような東洋の音楽を取り入れているし、すべてを合体したりもする。あなたの音楽は、西洋の影響下にだけあるのではなくて、もっと普遍的であるといっていいのでしょうか。

 

SR:いや、そうは思わないね。単にわたしの音楽がアフリカやバリ島の音楽の影響を受けているというだけのことだ。1973年、1974年の夏に、シアトルでバリ島の音楽を勉強したんだ。その夏は、自分の音楽について学生たちに教えた年でもあって、わたしの音楽が演奏されたとき、聴衆の中には、バリからの先生たちもいたし、南インドのバイオリニストのサブラマニアムと弟のシャンカールもいて、彼らは最近になって名前がよく知られるようになった。面白かったのは彼らの反応で、わたしの曲に肯定的だったんだ。たくさんの技術がそこで使われていることを、彼らは理解していた。しかしここで再度、音楽の質にもどろう。バッハの音楽は受け渡し可能なものだ。このような音楽は、西洋人の心だけでなく、非西洋人の心にも届いている。そして心の広い西洋の音楽家たちは、バリ島やアフリカ、インドの音楽に面白さを感じてる。

 

BD:つまり西洋は東洋に面白さを見つけている。では東洋は西洋に面白さを見つけてるんだろうか?

 

SR:東洋から来た演奏家たちのコンサートを見てごらん。「小澤征爾」の名を出さずにいられない、これが質問への答えになるね!(両者、笑) それに彼は氷山の一角に過ぎないんだよ。

 

BD:ルー・ハリソンにインタビューをしたことがあるんですが、彼はヨーロッパのことを「北西アジア」と呼んでましたね。

 

SR:ルーは面白い人で、エキセントリックなところのある紳士だね、わたしはすごく好きだよ。わたしは彼がやってることとは、かなり違うやり方で仕事をしてるけどね。彼の場合、そして彼の世代(ライヒより約20歳上)の作曲家たちの場合、インドネシアの音を取り入れることに関心があった。タック・ピアノ(画鋲や釘を仕込んで金属的な音を出すようにした変造ピアノ)や様々な西洋的なものを代用させたり、さらには自分でガムランを作ったりもしてた。

 

わたしはそれは避けようとした。わたしはそれをやらないよう、そこから少し離れた。こういうものを使おうとするときのことで言えば、わたしの非西洋音楽への興味は、そこから学ぶことであり、どうやって使うか考えることであり、わたしの音楽に入れ込む方法を見つけることであり、その組み立てについて探ることだったりする。わたしから見ると、我々の多くは、音楽の響き、音階や楽器による音色などを、ごく小さな頃から学んできた。まだ歩けないくらいの年頃からね。わたしたちにはピアノの鍵盤上の音階がプログラムされている。ピアノやバイオリン、エレキギターといったまわりにある音が、組み込まれている。自分で音楽を演奏したり、何か言ったり、意識的になにかやったりするずっと前にね。

 

そういうことが、本能的なレベルで言うなら、アフリカやバリ島の楽器に心地よさを感じない、とわたしに思わせる。彼らの楽器はとても見事なんだけど、物語をもっていると感じさせるんだ。その物語とは、この楽器はどこそこで生まれたもので、それはここ(アメリカ)から遥か遠い場所で、非常に広大で古い音楽の歴史の一部だということ。そしてその楽器にとって心地いい場所であり、属している場所であり、適応している場所なんだ。

 

アフリカからベルを持ち帰ったとき、どうやってチューニングしたものか、考えはじめたんだ。そしてヤスリを使ってる自分の姿が思い浮かばなかった。ある種の音楽的なレイプじゃないかってね。で、代わりに、わたしのアンサンブルのメンバーに、ベルを鳴らすパターンのいくつかを教えてみた。スカルラッティの曲を学ぶみたいにして、アフリカの楽器でアフリカの音楽を演奏するわけ。わたしの持っているシステムを使おうと思ったんだ。自分の持っているアイディアの多くは確認済みだった。

 

たとえばわたしのやっている音楽では、二つの繰り返しパターンを並べるので、下拍(強拍)が同時に鳴らされることはあまりない。それはアフリカ音楽の中で、よくやられていることなんだ。サウンド的には大きく違うけどね。アフリカ音楽から聞きとれるものと、わたしの『砂漠の音楽』から聞きとれるものは、遠く離れたものではないはずで、構造における共通性があるんだよ! 

 

構造というのは少し大きくなってから学ぶものだ。生後3ヶ月のときに、カノンやソナタ・アレグロの形式を学んだりはしない。早熟な子どもは4歳とか5歳で学ぶかもしれないけど、それは特別な場合だね。普通は十代になってから触れるもので、まさにその理由で、こういった形式は容易に伝わっていく。なぜなら形式というのは、音を組織化することだからだね。たとえばカノンというのは、模倣対位法*の基本的な考え方だ。13世紀頃の『Sumer Is Icumen In(夏のカノン)』に使われていて、バロック期を通して聞くことができる。ウェーベルン*の『Symphony』にもこのカノンがある。バルトーク*のカルテットやピアノ曲にも聴くことができる。わたしの音楽でも使われている。

 

これらの音楽のサウンドは非常に違うものだが、カノンという技術はどこにでもはまっている。一個のグラスみたいなものだ。ワインを入れてもいいし、ペプシコーラを入れてもいい。サウンドの中身には関係ないんだ。単なる抽象的なアイディアと言える。そして非常に耐久性がある。これこそがわたしが非西洋音楽の中に見つけようとしてるもので、カノンと同じように、そこにはたくさんの手法があるんだ。

 

*模倣対位法:ソプラノ、アルトなど複数の声部に分かれた音楽で、ある声部の主要な楽想を他の声部が模倣すること。

*ウェーベルン:アントン・ウェーベルン(1883 - 1945)はオーストリアの作曲家、指揮者。師であるシェーンベルクとともに、新ウィーン楽派の中心人物。無調や12音技法の主導者の一人。

*バルトーク:バルトーク・ベーラ(1881 - 1945)はハンガリーの作曲家、ピアニスト、民族音楽学者。民族音楽の収集と分析により、民族音楽というジャンルを創設した功労者の一人と認められている。

3.Octet(八重奏曲/1979)

BD:あなたは耐久性のある手法や技術を探してる?

 

SR:対位法的な組み立てのアイディアとして、作曲のやり方を探してる。それはわたしたちが以前に学んだ方法とは違って、西洋には伝わらなかったものだからね。アフリカ音楽のオーバーラップするドラムパターンは、純粋な対位法と言える。バリ島のガムランでは、ある旋律と鉄琴類は、対位法的に演奏されるけど、それは模倣的な方法で、だからカノンに近いんだ。

 

BD:じゃあ、あなたはいつも古くからの手法を使ってるんですね。今の作曲家たちの多くは、どうしてホイールを再発明しようとしてるみたいに見えるんでしょう。

 

SR:最近の作曲家たちは、19世紀後半のものをまた発明することに興味をもっているね。そのうちのいくらかは非常に成功してる。デイヴィッド・デル・トレディチはひじょーに才能ある作曲家だね。最近のジョン・アダムスの『Harmonielehre』の後半部分だって、とても近いものがあるし、ここまで話してきたペロタン(12~13世紀のフランスの作曲家)なんかよりずっと、マーラーやシベリウス、リヒャルト・シュトラウスやブラームスに近いとも言える。

 

わたしは例外的な存在と言えるかもしれない。今わたしたちは、ドイツのヴォルフガング・リーム、ウィーンのHK・グルーバー、ここアメリカのジョージ・ロックバーグの世界に生きていて、フレデリック・ジェフスキーでさえ19世紀のロマン派の音楽に興味を寄せている。わたしはまったくそこから外れてるけどね。

 

わたしにとっては、それじゃ戻り足りないってことだ。(両者、笑) わたしが目覚めるには、1750年以前まで戻らなくちゃならかったってことだ。あるいは1900年以降にね。わたしはコーネル大学で音楽史をウィリアム・オースティンから学んだんだけど、彼は非常に優れた音楽学者だったよ。彼は20世紀の音楽が専門だったんだけど、グレゴリオ聖歌まで戻って、そこから1750年のバッハの死へと進んでいった。で、そこでドビュッシーまでジャンプして、ジャズやシェーンベルク、ストラビンスキーを通って現在に到達した。そこでまた止まり、ワーグナーを通ってハイドンまで戻った。そこからわたしがどれだけ学んだことか! そんな狂気の歴史学習の中にたくさんのメソッドがあったんだ。

 

BD:コンサートであなたの曲が、ベートーヴェンのシンフォニーやハイドンの序曲と一緒に演奏されたら異議を唱えますか?

 

SR:すでにそういう曲と演奏されてるよ。わたしには全くそれをコントロールする手立てはない。作曲家にできるのは書くことだけだ。今言ってるのはわたしの感じ方であり、自分の創作から学んだことだ。オーケストラ曲を書くということは、プログラムで他のオーケストラ曲と組まれることで、プログラムに関して作曲家が言える立ち場にはない。で、最初に言ったことに戻ると、自分にできる最良のことは、最良の作品を書くこと、丁寧に手を入れ、できる限りインスピレーションに満ちたものを書き、それが最高であることを願うことだね。

 

BD:あなたは自分の音楽が50年、100年、200年、300年と、もつと考えますか?

 

SR:それを見届けることはできない、よね。わたしのできることは、自分の最高のこと、最大のことをして、人間の歴史がある限り、わたしの曲が永らえることを願うばかりだ、ということかな。人間の歴史がつづくこと、そしてわたしがその一部であることを望んでいるよ。

 

BD:シアトルのアラン・ホヴァネス(アメリカの作曲家)の自宅で話をしたんですけど、彼はわたしに、作曲家は未来のために書かねばならないということを、初めて気づかせてくれた人なんです。それが作曲家にできるすべてだとね。

 

SR:そうねぇ、それについてはわからないけど。あなたは今生きていて、作品を書いて、それを聴く。そこから楽しみが得られないとしたら、あなたの未来の可能性は非常に狭いものだ、とわたしなら言うね。ある者は歴史に注目し、ある者は未来を予想する、しかしそこにはバランスが必要で、ただすわりこんで音楽の歴史の中に自分を投影するというのは、実に奇妙なことだと思うよ。人は現在に生きてる。人は現在の中で力を得る。音楽のインスピレーションは過去からだけ得られるものでもない。

 

わたしは1950年代後半から60年代初めにかけて、音楽学校に行っていて、アカデミックな音楽界は、暗い世紀末ドイツの空気をまとった1912年のウィーンみたいだった。みんなブーレーズやシュトックハウゼン、ベリオからのアカデミックな音楽の手がかりを得ようとしてた。その彼らはといえば、ベルクやシェーンベルク、ウェーベルンから手がかりを得ていたんだ。こういったヨーロッパの作曲家たちはみんな偉大だし、彼らが生きていた世界の、そのときの現実に応えていただろうと思う。

 

彼らの真似をしようとした50年代、60年代のここアメリカでは、ジャズやロックンロール、安いハンバーガーやテールフィンの車に囲まれていたけど、自分たちが本当にいる時間や場所ではないところに生きてる風に装っていたんだ。それが理由で、またそれによるいろんな影響もあって、わたしは学究的な場から離れた。音楽的にわたしがやりたいことへの答えがそれだった。いろんな意味で、当時、社会的な空白があったと思う。

 

BD:あなたは自分自身や自分の過ごす時間に正直でありたい、と思ったということですね。

 

SR:まさしくそうだね。わたしはジャズで育ったんだ。イーゴリ・ストラビンスキーやヨハン・セバスチャン・バッハと同じように、ケニー・クラークやマイルス・デイビスに夢中だった。トラップ・ドラムを学び、演奏し、深く心を傾けていた。ジュリアードの教師たち(名前は伏せるけど、ヴィンセント・パーシケッティではないよ)から受けたより、ジョン・コルトレーンからより多くのものを得たと感じてた。

 

BD:そうでしょうね。

 

SR:かなり面白いと思うのは、ヨーロッパ人は、つまりヨーロッパのラジオ局はという意味だけど、それから音楽家をやとったり呼んで演奏させたりする立場の人たちは、わたしや同時代のライリーやグラス、その前のジョン・ケージでさえ、ジャズ・ミュージシャンの仲間と思っていたんだ。ヨーロッパの人たちは、アメリカ音楽の中に、アメリカ独特のもの、ヨーロッパ文化の焼き直し(それにはうんざりしたり、見当違いと感じてる)ではないものに反応するんだ。それで彼らは、わたしたちの言う「実験的なやり方」に興味をもつんだ。

 

彼らはケージのような人に興味を抱いている。彼らは(ヘンリー)カウエルのような人に関心がある。(チャールズ)アイヴスやホレイショ・パーカーみたいな作曲家にひどく興味をそそられている。パーカーはアイヴスの時代には広く受け入れられていたけど、今では霞んでしまって、現時点ではヨーロッパ人にもアメリカ人にも無用のものになってしまったけどね。

 

BD:ホレイショ・パーカーにはコンサートで演奏される機会はもうないと?

 

SR:パーカーはアイヴスの先生だったんだ。すごくいい人だったんじゃないかな。彼がある面で、アイヴスに素晴らしい教育をもたらしたのは確かだと思うけど、彼自身は脚注みたいな位置にとどまった。彼に娯楽的な要素があったとは思わない。対してアイヴスは娯楽性に富んでいて、すごい音楽家だね。

"Double Sxtet": featuring by Ensemble Parmirabo and Thin Edge New Music Collective

この曲でライヒは、2009年にピュリッツァー作曲賞を受賞。フルート、クラリネット、ヴィブラフォン、ピアノ、バイオリン、チェロの六重奏 X 2で演奏される。

BD:レコーディングについてお聞きします。自分の作品がプラスチックに埋め込まれる気分はいかがなものでしょう?

 

SR:大歓迎! 今の時代においては作曲家にとって起こり得る、いちばんの重要事項だね。作曲家を集めて聞けば、みんな楽譜が出版されるより、レコーディングされることの方が重要だと言うだろうね。わたしはレコードとともに育った。録音された音で育ったんだ。

 

ストラビンスキーの『春の祭典』は、ライブで聴くより先にレコードで聴いていた。『ブランデンブルク協奏曲』もライブより先に、レコードで聴いていた。チャーリー・パーカーもマイルス・デイビスもケニー・クラークもライブより先にレコードで聴いた。だから音楽のサウンドに対する感じ方は、レコードで聴いた印象にすごく影響されている。

 

わたしがアンプで増幅させたコーラスを好きな理由を物語っているかもしれない。小さな声が増幅された音やその繊細さが好きなんだ。ベルカントで大声で歌われるものよりね。

 

BD:録音された音をコンサートで再現しようとしますか?

 

SR:そういう傾向はあるね。わたしの音楽歴における好みとも言えるかな。ベルカント唱法のオペラに興味のない者にとって、あるいはマーニ・ニクソン(様々なミュージカル映画で「ゴーストシンガー」として活躍したアメリカの歌手)みたいな人が昔うたっていた歌声(ビブラートのかからない小さな声)をいいと思っているような者にとっては、『砂漠の音楽』の中のコーラスのような音に惹きつけられるんだ。『テヒリーム』もそうだね。歌ってるのは、ムジカ・サクラの人たちやウェーヴェリー・コンソートなど、ニューヨークで古い時代の音楽をやってる人たちだ。こういう人たちをずっと長いこと、音楽で使ってきたんだ。

 

ヴァン・ハーミスはカリオペ(蒸気やガスを送り込んで鳴らす鍵盤楽器)をやってた人で、わたしのアンサンブルにいた。カリオペのような音をたくさんのパーカッションの中で使おうと思ったら、アンプ増幅が必要になる。ある種の補強設備と見られるかもしれない。わたしが聞きたい音そのものだと思ってる。

 

レコーディングによって出る音の細部は、パフォーマンスをするときに出したい音と言っていい。わたしの音楽はとても入り組んでいて、レコーディングの際はマルチトラックでやっている。マルチトラックの手法(元はロックンロールのもの)については、ノンサッチ・レコードのピーター・クランシーとずいぶん話したよ。『砂漠の音楽』みたいなオーケストラ曲を録音するには、最高の手法だと気づいたんだな! 

 

あの曲では50個くらいのマイクを使ったね。RCAスタジオA(ナッシュビルにある録音スタジオ)をやっていたポール・グッドマンは、このスタジオでやった最大のセッションだと思うと言ってたね。そのとき116人いたけど、最大というのは人の数じゃなくて、マイクの数でね。音にムラは出なかった。マイクに向かってやるんだ。弦楽器を演奏しているすぐそばで、音の細部を採る。

 

ある種の音楽、なかでも19世紀の音楽であれば、そのやり方は嫌われる。深みのある、ボワっとした、暗くてエッジがぼかされた音楽がいいと言われるからね。その種の音楽で求められる、音の豊かさだよ。19世紀の音楽にふさわしいだろうね。でもわたしがやってる音楽には合わない。わたしが欲しいのは、自分を取り囲む、大きなアンサンブルの音の細部なんだ。指揮者の位置で聴いているみたいな音だよ。

 

BD:あなたは曲を書いたら、コンサートよりまず録音をするんでしょうか?

 

SR:いや、そういうことはない。だけど計算上で言うと、コンサートで人が聴くより、ずっとずっとずっとずっとたくさんの人がレコードで聴くわけで、たとえその曲がいろんなところで演奏されたとしてもね。コンサートで聞いてもらえる数は、とうていレコードには及ばない。おそらくブルース・スプリングスティーンみたいに大きなコンサート会場で、たくさんの聴衆を集めている人でもそうじゃないかな。

 

わたしはレコーディングからいくつかのことを学ぼうとした。一つはアンプの使用で、細部の音の動きを前面に出すことができる。『砂漠の音楽』のライブでは、コーラスが増幅され、木管楽器も増幅される。それは木管楽器がコーラスを支える重要なパートだからだ。わたしはこの両者がよく混じり合うようにしたい。もし木管が生音のままで、コーラスだけ増幅されたら、混合はうまくいかない。問題は音量だけじゃない。音色の混ざり具合もね。楽器から出てくるアコースティックな音、うしろのスピーカーや舞台の前面にあるスピーカーからの音がうまく混ざるようにね。

 

BD:この方法で新しいタイプの名人芸が生まれるでしょうか? 名人芸的なテクニックの。

 

SR:技術のある演奏家は、もちろん重要だ。あなたにはそういった人の名人芸と、ある楽器をうまく演奏するための名人芸の区別ができないでしょ。『砂漠の音楽』を書いていたとき、ブージー・アンド・ホークス(イギリスの大手クラシック音楽の楽譜出版社)の人たちと、ある状況に陥ったときの演奏の難しさについて話し合った。例を挙げると、そこではイングリッシュ・ホルンが3個必要だったけど、第一奏者に倍の音を出してもらうよう頼めば、文字どおり喉を搔き切ることになる。それを頼むよりも、4人の演奏者を呼んだ方がよかった。(両者、笑)

 

BD:かつてのバスーン奏者として、どれだけそれが大きな問題を引き起こすか、よくわかります。 

 

SR:一方、むこうは、24個のマイクや大きなミキシングボードを用意するのは簡単と思ってた。わかるよね。彼らは正しかった。最近サンフランシスコ交響楽団の人たちとこれについて話し合ったんだ。木管楽器をどう扱えばいいか、についてね。まったく同じ感情なんだ。「木管楽器の第一奏者に音を2倍の大きさで出すよう頼むな。でも電気的増幅を使いたいなら、勝手にどうぞ」何とか解決するだろうね。問題はないと思う。電気による増幅はね、マイクロフォンを通すことに過ぎない。洗練された、装飾的な音楽の話をしてるんじゃない。コンサート会場で、「拡声装置」と呼ばれているものは、浸透してると思う。不愉快だと思う人もいる、適合しない音楽に当てはめたら、その通りだろうね。

 

BD:もちろん、正しく適合されるべきでしょうね。で、名人芸的演奏者が生まれるかにもどりましょう。

 

SR:そうだね、音楽的に感性豊かなテクニシャンということなら、イエスかな。いい耳をもったテクニシャンということ。モーツァルトの交響曲は、3000人収容のホールのためのものじゃない。バロック時代の音楽もそう。オリジナルのオーケストラは、今のホールを埋めるだけの音の大きさをもっていない。

 

で、解決には二つの方法がある。力学的に、あるいは電気的に小さなアンサンブルを増強するか、モーツァルトの交響曲をマーラーをやるオーケストラに演奏させるんだ。わたしなら最初の方を選ぶね。小編成の楽曲を大きなホールで演奏しなければならないなら、メカニカルなやり方のどちらかを考えるね、

 

ある種のバンドシェル(半円形の反響のための壁)を置くとか、客席を動かすとか、音を和らげたり強めたりする装置を天井から吊るすとか。モーツァルトの交響曲に、マーラーの18人の第一バイオリン奏者をつかうんじゃなくてね。むしろその反対のことをするかな、少なくとも、音楽にとって自然な音を取り出そうとするだろうね。そっちの方が演奏にとって正しいと思う。

 

BD:未来にわれわれの身を置いてみましょう。今から200年後に人々がこのインタビューを聞くこと(読むこと)ができたら、あなたが自分の音楽をどう演奏されたいか、わかりますね。

 

SR:(DJタイプのマイクの方に身を乗り出して)いま聞いてくれ、みんな、どこにいるにしてもだ、このチャンネルに合わせてくれ! 

 

BD:(笑)また違ったセットアップになるでしょうね。人々は月にいるかもしれないし、あちこちに散らばっているかもしれない。あるいは人々が大きな集団に、あるいは小さな集団にかたまっているかもしれない。どんな器楽編成にしたいですか? あなたの増幅装置を変えるのか、改造するのか。

 

SR:こういうユーモアある質問は、そうとう割り引いて聞かなきゃな。

 

BD:たぶん目一杯ね(両者、笑)

 

SR:そうそう、全面的に。クリストファー・ホグウッド(イギリスの指揮者、チェンバロ奏者)のやり方を当てはめてみようか。わたしの過去に書いた短いエッセイを読み返し、楽譜を見てみて、ノンサッチやその他のレコードが、かつてどうやっていたか見てみよう。わたしは古楽器で演奏するバロック演奏者たちと同じなんだな。

 

グレン・グールドは素晴らしかったし、ピアノのあるべき姿*を証明してみせた稀有な存在だ。わたしは古い音楽がオリジナル楽器で演奏されるのが好きだし、それに伴う精神的なものも好きだ。アーノンクール(ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者)のような人が音楽にもたらす熱狂が好きだね。彼みたいにモーツァルトの交響曲をやれば、ある人たちの耳には、ストラビンスキー以上に新しく聴こえるんじゃないか。

 

*ピアノのあるべき姿:グレン・グールド(1932 - 1982)は、バッハの音楽に斬新な光を与えたとされる、20世紀最大の人気を誇る個性派ピアニスト。その演奏は現代的かつ前衛的というイメージが強いが、ハープシコードなど古楽器がもつ、透明感のある響きをピアノで再現しようとして、ピアノの改造まで行なっていたことが知られている。現代のピアノは大きな音量や華麗な響きを出そうと打鍵を深くしており、かつてのピアノの長所を犠牲にしている、とグールドは考えている)

 

BD:楽器のチューニングについても、本来のものに戻った方がいい?

 

SR:うん、ちょっと面白い問題だよね。ピッチの合わせ方は1750年以来、実質的に変わっていて、上がりつづけてる。ベルリン・フィルハーモニーは444、446と変えてきてると聞いたことがあるけど、これに終わりはないんじゃないかな。面白いことだ。

 

わたしは関心をもってなかったけど、なぜ西洋では音楽家たちが弦楽器のパートをより鋭い音にしてきて、その結果オーケストラ全体のチューニングもそうなってきたか、という精神物理学的な分析があったんじゃないだろうか。わたし自身はそんなことあまり考えてこなかったけどね。そういう風になっていくのは、緩くなっていくことと比べたら、あり得ることに思えるよ、今の世の中では。でもなんでそんなに先へ先へと進むのか。理由は演奏が輝いて聞こえるからさ! ある意味、ファウスト的*な発想だね。

*ファウスト的:《ゲーテの「ファウスト」の主人公の言動にちなむ語》自己の可能性追求のために、人生のあらゆる幸福と苦痛を体験したいとする衝動。(デジタル大辞泉より)

 

BD:じゃあ、わたしたちの聞くニ短調は、モーツァルトが聞いていたニ短調と違うと?

 

SR:そのとおり、まさにそう、それが問題だね。初期の創作物は半音低く記述されているのでは、と主張する者もいる。

 

BD:では『ドン・ジョバンニ』*が(半音低い)嬰ハ短調ではじるまるとか! (両者、大笑い)

*モーツァルトの歌劇で、序曲はニ短調で始まる。キーを半音下げると嬰ハ短調になる。調性にはそれぞれの色があり、変えると違うムードになることもある。

 

SR:多くの演奏家たちは、こういった歴史的な検証を好まない。演奏前に、スコルダトゥーラ*をしこたまやらない限りね。

*普通とは違う響きを出すための弦楽器の変則調弦のことで、たとえばヴァイオリンの第1弦を通常のEより半音下げて調弦したりする。バロック時代にも見られたが、近代のサン=サーンスも、交響詩「死の舞踏」にこれを用いている。

 

BD:あなたの音楽がもっとポピュラーになったら、それを喜びますか?

 

SR:ポピューラになるとはどういうことかな? もし人々が『砂漠の音楽』を、通常の聞き慣れたオーケストラ編成だからという理由で聴くとしたら、たしかにそれは聞きやすいものにはなるだろうね。わたしの初期の作品は、主として打楽器で演奏されているから、よりエキゾチックで変わったものに聞こえると思う。音楽的な手法は近かったとしても、最初に耳にする楽器の違いは大きいものなんだ。

 

だけど正直に言わせてもらえば、わたしの音楽が何なのかの歴史的な手がかりを探している人々がいるとしたら、わたしのすぐ前にいる作曲家たちのことは忘れてほしい。ヨーロッパのベリオやシュトックハウゼン、ブーレーズなどの12音技法の音楽をね。たしかにベリオからわたしは学びはしたけど。また素材への系統だったアプローチに似たものを見つけたとしてもだ。

 

そうではなくて、もっと前の時代の、バロックとかルネッサンスとか中世とかを見てほしい。そこにこそ、わたしの音楽と似た手法や技術的なものがあるんだ。ジョスカン・デ・プレ(ルネッサンス時代のフランスの作曲家)によるミサ『武装した人』と最近出会ったことを思い出すね。彼はこれを二つ書いている。グレゴリアンの6番目の音階で書かれ、最後には『アニュス・デイ(神の子羊)』で、低音部(テノールとバス)が行ったり来たりして、ひじょうにゆっくり歌う。その上を女性たちが非常な速さで、間をおかずに歌っていく。今わたしたちが8分音符と呼んでいるもので、カノンだ。

 

技術的に言うと、わたしの『八重奏曲』で使われているものなんだ。ピアノはひじょーに目の詰まったカノンで、非常に速い8分音符で走り、その下をバイオリンが10小節をゆったり、ゆっくり動き、これもカノンだ。この二つ(ライヒとデ・プレ)はまったく違って聞こえるけれど、多くの点で、手法や取り組みにおいてよく似ているんだ。最終的な仕上がりは非常に違ったものだけど、スコアを目にすれば、すぐにわかるだろう。

 

西洋の音楽史において、音楽家や作曲家が何を学ぶかと言えば、いつもすぐ前の時代のものからであるとは限らない。たしかに、自分の前の世代のものを聴くことになるだろう。そこから何か引き出したり、それに反応したりするかもしれない。わたしがやってきことは、おそらく、自分の前の世代から離れることだったんだ。

 

わたしは12音技法やセリー音楽*を居心地悪く感じてる。ジョン・ケージ*の音楽も落ち着かない。わたしはこういった音楽を尊重しながら育ってきたわけだけど、私自身は彼らとは全く違うということがわかったんだ。それでわたしが惹きつけられる音楽は何かといえば、西洋音楽では、非常に早い時期の音楽であり、それ以外では、ベラ・バルトークやイゴール・ストラビンスキー、ドビュッシー、ラヴェルといったものになる。

*セリー音楽またはセリエル音楽:戦後、シェーンベルクの十二音技法を契機に、同時代の作曲家たちによって発明された無調音楽の手法。作曲において、音高、リズム、強弱、音色などの音楽要素の秩序づけ(繰り返しを否定するなど)をした。

*ジョン・ケージ:アメリカの作曲家、音楽理論家(1912 – 1992)。不確定性の音楽、電気音響音楽、音楽用ではない楽器の使用のパイオニアとされている。沈黙(無音)を音楽素材にした『4分33秒』は有名。 

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