世界消息:そのときわたしは

地球のどこかで起きたこと、起きていることを、その場所から記者や作家、学者、写真家たちが自分の言葉で伝えます。

4. ラオス奥地への旅

テキスト:ダニエル・ハドン(Daniel Hudon)

メコン川:Photo by Prince Roy

メコン川。川の左側がタイ、右側がラオス。タイの道路は舗装道が主体だがラオスは未舗装の泥道が多く残る。              Photo by Prince Roy (cc)

1.ロシア語の教科書

南ベトナムでサイゴンが陥落した1975年、ラオス人民民主共和国が成立すると、社会主義政策の流れによって、ロシア語が一気に流入し、植民地時代のフランス語に取って代わった。現在は学校教育でも、英語が主体となっているようだ。

2.ホーチミンルート

ベトナム戦争時の、南ベトナム解放民族戦線(1960年に結成された、反アメリカ、反帝国主義、反サイゴン政権の武装政治組織)への陸上補給路。北ベトナムから、中立国のラオス、カンボジアを通って、南ベトナムに至る。

3.タイ人が米を植え、、、

ラオスの人は、あくせくせずのんびりしている、という例えだろうか、良くも悪くも。『稲を植えるのがヴェトナム人、稲の育つのを眺めるのがカンボジア人、そして稲の育つ音を聞いているのがラオ人である』という言いまわしもあるようだ。

4.ラオス内戦

1953~1975年。左派パテート・ラーオとラオス王国政府による内戦。左翼と右翼による政治闘争を越え、冷戦中の大国からの支援を受けた代理戦争に発展した。ラオスはベトナム戦争の交戦国にとって隠れた戦場となっていた。ラオス区域の支配権を巡って争う北ベトナム、アメリカ、タイおよび南ベトナム、フランスの軍隊が直接的に、あるいは非正規の代理人を通して関与していた。北ベトナム軍は、南ベトナム侵攻の通り道かつ最大の戦場となるホーチミン・ルートを占領した。

5.ワット・プー

ラオ語でワットは寺、プーは山。この地には5世紀頃にはすでに寺院が存在していたようである。現存する建物はそれより新しく、11~13世紀のものと言われる。

6.クメール・ルージュ

カンプチア(カンボジアの旧称)共産党を支えた、かつての政治勢力および武装組織。北ベトナムのベトナム人民軍の分派として生まれた。1975~1979年まで、ポル・ポト、ヌオン・チアなどに率いられたカンボジアの与党だった。ポル・ポトの死後(1998年)衰退、消滅。

この紀行文は1997年に著者がタイ、ベトナム、ラオス、インドを6ヶ月かけて旅したときの記録の一部です。

 

1. ターケーク

 

 

 

メコンにはあきることがない。ここを旅する間いつも、穏やかで頼りになる友として僕のかたわらにいる。そしてこの国の暮らしが、ゆったりと流れていることを僕に教えてくれる。三週間というもの、何マイルもの旅をしているのに、たった二回かしかメコン川の日没を見損なっていない。ガイドブックにも書かれていない、秘密の名所のようだ。いま太陽は、雲の神殿に隠れようとしている。そして眠りにつく前、女神が輝く髪を梳く。

 

町についたあと、自分以外の外国人、オランダからやって来たリンダと知り合った。彼女はここの水産プロジェクトで働いている。ターケークで足を止める外国人はあまりいない。リンダは僕を見て驚いていた。彼女とビールをともに飲み、ここにいる互いの理由を打ち明け合った。リンダはこう言った、プロジェクトが終わり資金がなくなれば、仕事も研修もなくなってしまうのが心配だ。彼女が外国人としばらく話していないのは明らかだった。僕の質問が、彼女のたまっていた不平不満を引き出してしまったようだ。ここの水産事業所では、30人分の仕事を90人でやっている。50人から60人の森林事務所で働く者には仕事がない。それはラオスは森をタイ人に売ることに忙しいからだ。タイ人は自国の森はもう切りつくしてしまっていた。そして1冊の(ロシア語の*)教科書を300人の生徒で分け合っているとき、道路や橋の建設といった国連開発計画の一大プロジェクトが展開されていた。リンダはそんなものよね、とでもいうように明るい笑みをみせた。

 

川を超えたタイ側では、雲がピンクから紫になって広がっていく。レストランで隣りの席にすわっていた背の低いフランス人の男が、堤防の上にいる僕のところまでやって来る。写真を撮るベストタイムはいつか、いっしょに見積もる。互いのラオス旅行の成果を交換する。彼の十代の子どもたち二人は、この旅を存分に楽しんでいるらしいが、ここで生まれて10歳のときに両親を殺されて国外に出た彼の妻は、子ども時代のつらい思い出に苛まされているらしい。ガイドブックを読んで、ラオスがこの地球のどこよりも、爆撃を多く受けた国だと僕は知っている。アメリカ軍がベトナム戦争時に、言い尽くせないほど大量の爆弾をこの地に落とし、ホーチミンルート*を壊滅させ、ラオスの共産主義者を一掃しようとした。紫から琥珀へと雲の色が変化し、フランス人の男は写真を撮り終え、家族のいるレストランへ戻った。

 

今朝、ビエンチャンを出るバスの最後の2席を、大柄なドイツ人と僕がものにした。そしてすぐに、さらなる乗客を乗せ、バスはいっぱいいっぱいになった。僕がどこから来たかを告げると、きついドイツ語なまりの英語で彼はこう言った。「カナダをバイクで横断するのが夢なんだ。十代の頃からの夢だった」 水田に目をやれば、カナダははるか彼方に遠のいた。広大で、バスもこんなに混み合わないあの国は、架空の土地のように思えた。多くは舗装された道路だったけれど、未舗装の道は大きな窪みがいくつもあって、乗客はみんな席から飛び上がった。以前に何人かの旅行者から聞いた悪道のことを思い出した。荒れた泥道はどれもラオスのものだった、という事実。大ジャンプが起きると、ドイツ人は豪快な笑いを発した。

 

8時間の道のりの大半は気分がいいとは言い難かったが、ここの日没は価値あるものだ。空が燃えあがる。ガイドブックからは無視されている、と思うのだが、ここの夕日は旅人自らの発見のたまもの。地平線を見れば、積乱雲の上で稲光が広がる。一時間のカラフルな光のショーを終え、いまは地平線上に紫色のリボンを残すのみ。

 

僕は預けてあった荷物を取りに道を渡り、レストランに戻って食事代を払う。フランス人の男は家族とまだそこにいた。奥さんに気持ちを込めてあいさつをする。子どもたちは元気いっぱいでおしゃべりだったが、彼女は疲れきった様子。子どもたちが僕にあれこれ質問をしてくる。僕のフランス語はどんどん酷いものになっていく。でも一生懸命答える。そして彼らの休暇が楽しいものになるよう願う。ゲストハウスに戻る途中、地平線に残光が少しでもないかと探す。真っ暗で何も見えない。

 

 

 

 

 

2.パークセー

 

 

 

こんなことわざがある。タイ人が米を植え、ベトナム人がそれを売っているとき、ラオ人は米が育つ音に耳を澄ます*。一抹の真実があるように思える。

 

スコットランド人カップル、ジョンとローラと共同で車を借りて、近くを見てまわることにする。何らかの理由で、僕らは自分で運転することはできず、運転手も雇うことになる。朝になって、ホテルまで車がやって来たけれど、運転手はすわっているだけで、どこに行きましょうとも、どこに行きたいのかとも言ってこない。レンタカーの会社から来たのか、と二度尋ねたけれど、応答なし。通訳も雇うべきだった。45分後、運転手は走り去る。

 

僕らはレンタカー会社まで歩いていって、あの男は本当に僕らの運転手だったのか、料金は変更になったのか訊いた。やる気のなさそうな営業マンに言い立てても無駄だった。「ボスに言ってくれ」と、そのボスは英語がだめなことを知っていて彼は言うのだが、こちらもラオ語を話せない。他の会社二つにも当たってみたが、交渉は我慢比べ。すべてのレンタカー会社は、(政府公認の)行き先ごとの同価格の値段表をもっていて、こちらが値切ると不思議なことにさらに上げてくる。他に客がいるわけでもなく、そこにいる誰も、僕らが車を借りようと借りまいと気にしていない風なのだ。

 

「ラオス最後の日だというのに」とジョンがローラに言う。ジョンの声はさらに高まる。僕らは何一つまだ見ていない。

 

「タクシーが使えるんじゃない」とローラがその場を盛り上げるように言って笑顔をみせる。「パークセーでタクシーが拾えないかしら」

 

のちに地元民がこう言っているのを耳にした。「明日かあさってか、まあいつかだな」 こんな調子だということをもっと早くに知っていたら。最後には、なんとか車と運転手を見つけ、僕らは出発する。

 

***

 

 

なんだか居心地が悪い。運転手を車で待機させて、僕らはボーラウェン高原のカツ村を訪ねる。二人の若い男が、藁葺きの竹の小屋のまわりをぶらぶらしながら、何者かとこちらを見ている。歓迎されていない、という感じではない。というか、なんで僕らはこんな所に入り込んでしまったのかという気持ち。交換したりあげたりするものも手元にない。通訳を雇わなかったせいで、村人と話すすべがない。無断侵入しているようで、写真を撮りながらも落ち着かない。

 

村の習慣として、死ぬずっと前から、家族のために木の棺をつくる。ある小屋の床下には、数個の棺が重ねてある。いくつかは小さいサイズ。子ども用の棺だ。

 

とある家のそばで、ジョンが円筒形の植木鉢を見ていて、それがアメリカ軍の砲弾だとわかる。日付と通し番号が辛うじて読める。1967年。ラオス内戦*の期間だ。ターケークで会った10歳で孤児になったというラオス出身のフランス人女性のこと、国境近くで会ったアメリカ人エイミーのことを思い出す。彼女はここに来て得た人々との親交に胸を熱くしていた。そしてため息をついた。「あんなに優しい人たちに、わたしたちは何をしたのか」

 

村を出るときに、一人の女性が家の脇で機織りをしているのに気づいた。やっと僕らはここにやって来た理由が見つかったように思った。布地を買うのだ。女性は休憩に入り、入り組んだ模様の仕上がった布を僕らのために広げる。僕らは感嘆の声を上げてみせる。そして笑顔でこう言う。「いえ、買うんじゃないんです。見てるだけです」 そして礼儀正しく失礼する。

 

 

***

 

 

やっと、探していた滝を見つける。ここでは僕らは何をすべきかわかってる。高台の岩棚から押し出される水、少なくとも神殿三つ分の幅の滝がなだれ落ちる。ジョンと僕は12個ある滝口の一つを選び、下の岩場まで降りていくが、ダイブする前に、流れる水に叩きつけられる。(ローラは水着を忘れてきたと言い、僕らがいくら誘っても水に入るのを拒んだ)

 

毎日からだを洗っているとはいえ、シャワーは冷たいバケツの水2、3杯を頭からかぶるだけ。ここの滝は本物のジャグジー風呂だ。水は冷たく、流れはきつい。水のマッサージみたいに、僕のからだをもみほぐす。バスでかぶった何重もの埃がからだからこそげ落ち、骨が正常な場所に音をたてて戻っていくの感じる。長い長いバスと船のきつい旅から、ゆっくりとからだが解放される。

 

少しして、ラオスのあちこちで鉢合わせしてきたロベルトが、魔神のように現れて、ラオラオ(米の酒)を取り出して注ぎはじめる。滝のまわりの靄の中でしばらくすわって、太陽でからだを温める。

 

 

 

 

 

3.ワット・プー(チャンパーサック県)

 

 

 

山の寺。あるいはその残骸。この廃墟は約1400年前のもので、国境の向こう、カンボジアのアンコール・ワット(=巨大な城郭都市)に先行する。2、3日前に、僕は両親に電話をした。そしてカンボジアのシハヌーク国王がテレビで、クメール・ルージュ*の最近の活動を理由に、外国人に来ないよう警告していたと聞いてがっかりした。それでなんとかしてワット・プーに来ようとした。アンコール・ワットは一番行きたい場所だったから、ここに来ることは少しの慰めにはなった。

 

しかし、高台の森の中にひそむ風雨にさらされた石の建造物を一目見るや、僕の心は踊った。長方形のため池に挟まれて、神王に召喚される自分を想像しながら、行者の道を歩く。両側のため池では村人が魚を釣る。急勾配の古代の階段は、ラオスの国樹プルメリアの天蓋に覆われている。その勤勉実直な根が岩を割いて伸びる。苔がいたるところに生えている。午後も遅い時間で、旅行者はわずかばかり、僕はだまって階段をのぼる。

 

中腹に陥没した屋根をもつ砂岩の神殿が二つ立っている。際立ったファサードのある長い建物で、蒸気をあげて山から平原に向かう機関車のようだ。柱はあっちに傾きこっちに傾きしている。僕は門を昇って通り抜け、崩れ落ちた石のブロックの上をピョンピョンと跳んでいく。生えている背の高い草が神聖なものであるかのように、触れないようにしていく。ホイットマンの詩の「墓に生える伸び放題の美しい髪」のように神聖な草。さらなる急勾配の階段が、頂上にある本堂へと導く。寺の創設時からあるヒンドゥーの神々を彫った門。インドラが三つ頭の象に乗り、シバが女を二つに割き、パルヴァティはなまめかしくも美しい。アプサラスが、何世紀も前に神王のためにそうしたように、今日は僕のために、乳首を尖らせて石の中で踊る。いくつもの彫刻を施した門を通り抜け、寺が廃墟となったのち神々はどこに消えたのかを探しながら、さらなる深みを彷徨いあるく。壁は空にむかって口を開けている。近年に置かれた二、三の仏像が、中央で鎮座し、瞑想している。

 

寺の背後には切り立った崖があり、ジャングルを征服する木々からは蔦が垂れている。僕は景色を楽しむ。眼下の景色、そこから長い歩道が僕のところまで上り詰め、池の縁に立つ釣り人たちの姿が小さく見える。見渡す限りの大きく広がる平原に木々が点在する。巨大な白い雲が地平線上に集まり、ふと過去の王国の盛衰の中に存在した、巨大で活気あるものを感じる。

 

 

 

 

 

4. ドン・コーン島

 

 

 

2本のロウソクが燃える。小さな夜の祭壇。一匹のハエがロウソクの火に巻き込まれ、熱いロウにその身を捧げる。さよなら、ハエさん。ロウソクの火と百万の星が一斉にまたたく。そしてたくさんの虫。何千匹ものアブラ虫が鼻にやって来る、蛾が頭のまわりを飛びまわる、蚊が僕の皮膚を探してブンブンいう、ブヨが脚や首やメガネの上を跳ねまわる。発電機はとまり、僕以外の旅人たちはみな寝に行った。僕ひとり、2本のロウソクと百万の星と過ごしたかったのだが、島じゅうの虫どもがこうやって仲間入りしてくる。仲間なし、値引きなし、金もなし。明日の滝見物を値切ることすら、ここのマダムにはできなかった。食事はコースメニュー、宿代は値引きなしのマダムだ。ノン、ムッシュー、ジェディ…(いいえ、ご主人、言いましたでしょう)。横柄で、金もうけしか頭にないここの女主人。

 

一匹の蛾がロウソクに飛び込んで、片方の羽が熱いロウに触れるのを見ている。一瞬、蛾はそこで張りついたようになった。茫然自失。そしてロウソクの根元に滑りおちた。ロウがすぐに固まり、蛾は身をよじる。もう一方の羽をバタつかせ逃れようとする。僕はペンで、蛾を押してやったが、それが助けになったかはわからない。飛んで逃げるには、ロウが羽につきすぎている。彼を苦境から救ってやるべきだろうか。ロウの熱が心臓をつきさした。ロウの小さなひと刺し。星明かりのひと突き。

 

マダムの犬が、僕の足もとで眠る。ゲストハウスは静まりかえっている。ブヨがさっきからノートの上を、脚の上を跳ねまわり、鼻のところまでやってくる。一匹の蚊が耳元でキーンとうなる。虫除けを塗るべきだったが、僕はそれが嫌いなのだ。

 

ロウソクからロウが垂れる。それがはねれば、あるいは蛾が抵抗をつづければ、いずれ熱い中心部に落ちるだろう。空で、星が見守る。

 

遠くで、茶色いメコン川がゆったり、音もなく流れる。船とジープで2時間かかる、下流のカンボジア国境近くで、川はなだれ落ちる滝に突っ込んでいく。そこでも、コオロギが夜を刻む。

 

祭壇の火を消して、眠りの中に孤独をみつける時間だ。

 

蛾は動きをとめた。彼はロウのひとはねをくらったのか。いや、つつくと羽をバタつかせる。どうしてほしいんだ?

 

 

 

 

 

5. コーンの滝

 

 

 

泡立つメコン川の河口。一万もの水の舌が岩々を舐め、急流がゴボゴボ泡をたてながら険しい岩場で唾液を流す。ここの滝の一つはコーン・ヤイ(メコンの声)と呼ばれる。チベット高原から流れ落ち、途中で拾い集めた秘話をもらす。精霊の口車にのって、ブッダの教義、洗濯女たちの噂話、漁師の奇談、年寄り連中の笑い声、新たな冒険に乗り出した旅人の夢、子供たちが遊ぶ声が吸い上げられる。

 

昨夜、水に浮く供物を見た。ロウソクが葉っぱの上で灯り、火を揺らめかせながら川を下っていった。祈りが川に捧げられた。いまはどこの辺にいるのだろう。燃え尽きて気化し、風となり、空に昇っていった? あるいは川が耳にした話についていって、世界じゅうにまきちらした? それとも、岩にひどく打ちつけられて、言葉も声も破片となったか。

 

下流では、メコンは再び静まり、カンボジアまで泳いで渡ることもできる。

 

 

(香港発の文芸誌Asian Cha 2008年11月号より翻訳)