Elephant Stories

サンクチュアリに住むゾウたちの物語

Winkie

苦難を乗り越え、最愛の友と生きた最後の17年

ウィンキー。1966年ミャンマー生まれの雌のゾウ。体高2メートル44センチ、好物はマンゴー。2000年9月12日よりサンクチュアリの住人。20017年5月11日没。

アメリカに来た頃(1歳)

頭に干し草を乗せて

ウィンキーは生後1歳の頃、ミャンマーの森で捕らえられたのち動物商人の手に渡り、ウィスコンシン州マジソンにあるヘンリー・ヴィラス動物園にやって来ました。そこで昔ながらの人間の支配下におかれる扱い(ゾウと人間が直接かかわる管理法。体罰も含まれる)を受けたことで、まわりの人間に対して攻撃性をたびたび見せるようになります。30年以上に渡る動物園生活のうちに、ウィンキーは「危険なゾウ」という評判をとるようになりました。

 

ウィンキーがサンクチュアリーに来るまで(2000年6月のTrunklines他より)

 

2000年、動物園でのゾウの展示が時代遅れで不適切なものになってきたことで、また資金難もあり、ヘンリー・ヴィラス動物園はウィンキーをよその施設に送ることを決めました。一時的な移動なのか、もう一頭のゾウ、ペニーとウィンキーを別々に収容するか、などの検討がなされましたが、最終的に若いペニーはAZA(アメリカ動物園水族館協会)の繁殖プログラムに送られ、そこで他のアフリカゾウたちと暮らすことになりました。サンクチュアリーはウィンキーに適した最良の生活を申し出ましたが、認可動物園に移すべきだという意見が優勢でした。しかし最終的にウィンキーはそれを免れ、動物園の仕事からの引退が許されました。そしてサンクチュアリーにやって来ることになりました。

 

ウィンキーは多くの飼育環境にいるゾウと同様、飼育係や観客に攻撃性を見せることがありました。13歳の頃から、ウィンキーは飼育係が変わるたび、攻撃性を見せていたと報告されています。それに加え、ウィンキーには脚の病気が昔からありました。飼育環境のゾウ舎が脚の健康に関与していることは明らかです。コンクリートや硬く固めた土床は、ゾウにとって不自然なものであり、脚の病気を慢性化させたり、ときに命にも影響を与えます。ウィンキーの健康記録を見れば、長年にわたって感染と脚の痛みに耐えてきたことがわかります。自然環境のあるサンクチュアリーに移動してくれば、脚の状態は改善されることが予想されました。

 

2000年9月11日、ウィンキーは晴れてサンクチュアリー7番目の居住者となりました。

 

ウィンキーのサンクチュアリーへの旅(2000年10月のTrunklinesより)

 

サンクチュアリーへの旅は、ウィンキーにとって人生2度目の移動でした。そのときウィンキーは34歳。最初の旅はミャンマーからアメリカへの移動で、1歳になるかならないかのときでした。以来、ヘンリー・ヴィラス動物園でずっと暮らしてきました。何頭ものゾウたちが来ては去っていきました。ラシャもその一頭。まだ幼いラシャはやって来たと思ったらすぐ去りましたが、また 戻ってきました。しかしその後すぐにまた去っていきました。ウィンキーは混乱したと思われますが、他のゾウがやって来たとき、たとえ去っていってもまた戻ってくるのではという希望になりました。ただラシャは戻ってきませんでしたが。 

 

ウィンキーは動物園で、アフリカゾウのペニーとルームメートになりました。ペニーはまだ少女期のゾウで、ウィンキーの興味をひきました。ペニーに対して表だって愛情を示すことはなくても、ウィンキーはペニーに心を傾けていました。

ヘンリー・ヴィラス動物園にいた頃のウィンキー

ウィンキーとペニー(ヘンリー・ヴィラス動物園)

2000年8月15日、ペニーはウィンキーを残して、ヘンリー・ヴィラス動物園を去っていきました。AZA(アメリカ動物園水族館協会)の繁殖プログラムで仕事をするためでした。関係者はウィンキーの反応を心配しました。ウィンキーはペニーの不在を悲しむだろうか、そのことで飼育係の手にあまるようになりはしないか、気落ちや不安を表しはしないかなど。ペニーが去った翌日、ウィンキーは用心深げな態度をとっていました。自分のゾウ舎から離れようとせず、不安を表してはいましたが、正気を失っている風ではありませんでした。

 

次の日には、だいぶ通常の態度に戻りました。ここをよく訪れる観客はペニーを失ったウィンキーがどうなるか心配していましたが、その様子を見てホッとし、ウィンキーの機嫌がよさそうなことを喜びました。ペニーとの別れを克服したウィンキーの態度は、ゾウが見せる精神の強さの一つと言えるでしょう。ゾウたちは逆境に強く、我慢強さ、順応力、処理能力は、野生のゾウと同じように、飼育されているゾウたちにも見られる長所です。

9月9日、ゾウの輸送用に改良されたトレイラーが、動物園のゾウ舎の庭にバックで入ってきました。ヘンリー・ヴィラス動物園がつくられたとき、ゾウが乗り降りできるだけの大きさのドアがついたセミトレーラー(荷台車)は配備されませんでした。そこでウィンキーの乗車を助けるため、庭の正面に、堀をわたす臨時の橋がつくられました。それでトレイラーがウィンキーの小屋のドアまでバックでつけることが可能になりました。

 

その日ずっと、飼育員たちは庭に停められた見知らぬ物体(トレーラー)の中を探索するよう、ウィンキーに声をかけつづけました。ウィンキーはこの物体に興味をもち、探索に時間をかけていましたが、鼻がとどく範囲に限られました。何時間か過ぎて、ウィンキーはやっと前片足をトレイラーに乗せ、それからもう片方も乗せました。そしてご褒美に大好きなスイカをもらいました。次の日の朝、ウィンキーはまた探索をはじめました。その日の午後にはからだごとすっかりトレイラーの中に入り、そこで静かに干し草やご褒美を食べました。飼育員たちはウィンキーの進歩に驚き、喜びました。ウィンキーは自分からはトレイラーに乗らないのではないか、と心配していたのです。しかしサンクチュアリーのスタッフは、ウィンキーの知性と好奇心、そして食べもの欲しさも加わりうまくいくだろうと思っていました。もちろん安心感をもてるかどうかは重要で、動物園の飼育員たちがその助けをしました。ウィンキーは自分の意思でトレイラーの中を探索し、乗ったり降りたりしました。

 

次の朝、食事と水を取り、水浴びをしたのち、ウィンキーはまたトレイラーの探索を始めました。すべてうまく運べば、トレイラーは朝9時にはサンクチュアリーに向けて出発する予定でした。ところがマジソンに大嵐がやって来て、1時間に200mmという豪雨となりました。ウィンキーは雷の音に不安を感じたようですが、しばらくして静かにトレイラーに乗りました。トレイラーの前部から飼育員がご褒美の食べものを差し出し、サンクチュアリーのスコットが静かにケージのバーをスライドさせました。トレイラーの後ろのドアが閉められると、ウィンキーは戸惑った様子を見せましたが、やがて安心した様子で食べものを取りはじめました。

 

土砂降りの雨の中、午前10時、飼育係たちとともに、ウィンキーはサンクチュアリーに向けて出発しました。トラック運転手のマイク・ノウレスが、今回で2度目になる輸送の旅を支援しました。運送時にマイクが見せる様々な気づかいで、みんなリラックスして旅をつづけることができました。予想されたように、ウィンキーは旅に順応し、興奮したり、攻撃的になったり、不安を見せたりすることはありませんでした。旅の間、ウィンキーは水をたっぷり飲み、夜トレーラーが停車すると食べものをきちんと取り、ゆっくり休みました。スコットはトレイラーの小部屋に待機し、夜の間ウィンキーを見守り、食べものを与えました。

 

次の日の午後、トレイラーはサンクチュアリーに到着しました。マイク・ノウレスがトレイラーの大きなドアのところに立って、ウィンキーが新しい家に入っていく手助けをしました。タラはゾウ舎の奥で心配そうにウィンキーの到着を待っていました。ドキュメンタリーを撮るためイギリスからやって来ていたパートリッジ・フィルムなど、いくつかの集団がウィンキーを迎えました。ロード・キング・マガジンの編集長は、マイク・ノウレスの優れたゾウの輸送技術についてインタビューしようと待機していました。地元メディア、サンクチュアリーの運営委員会のメンバー、友人たちなどたくさんの人々がウィンキーの到着を歓迎しました。

 

ゾウの到着に慣れているはずのサンクチュアリーのスタッフも、興奮気味でした。ウィンキーはトレイラーから降りるのに尻込みし、2時間かかってやっとサンクチュアリーの地に降り立ちました。トレイラーを降りるとウィンキーは、野生のゾウがそうするように、テネシーの土と数百匹のハムスターが寝ぐらをつくれるくらいの量の木くずで、泥浴びをしました。そのあと、野菜と干し草の詰め合わせのご馳走を見つけました。小屋の中を探索し、仕切りのバー、床マットなどの臭いをつぎつぎに嗅ぎ、水飲み場も見つけました。驚くほどの好奇心を見せ、始終落ち着いた様子でした。

 

最初にウィンキーに自己紹介をしにいったのはタラでした。タラはウィンキーとの出会いそのものより、ウィンキーの食べているものに関心を寄せていました。それでウィンキーはタラを観察する時間がもてました。タラはウィンキーの食べものの大半を食べつくすと、仕切り棒越しにウィンキーの顔に触れてきました。予測していなかったウィンキーは後ずさりしました。タラはまた食べものの方に関心を向けました。落ち着きを取り戻したウィンキーは、鼻をタラの方に向けると、タラの鼻や顔に触れてあいさつをしました。

 

次にあいさつをしたのはバーバラでした。バーバラが近づいてきても、ウィンキーは警戒心を見せず、互いに顔や口を触ってあいさつしました。この2頭は長い時間かけて、鼻をからませたりしながら互いを確かめ合っていました。その夜遅く、シシーが仕切り越しにウィンキーと対面しました。シシーはウィンキーを見てとても興奮し、喜びを表すポンポンいう音を鼻から出していました。一晩中、シシーとウィンキーはそばにいました。どちらも横になって眠らず、立ったまま短い眠りをとっていました。

 

次の朝早く、シャーリーとジェニーが小屋のドアのところで、ウィンキーを見ようと心配げに立っていました。小屋のドアが開けられると、すぐにジェニーがウィンキーの方に寄っていき、優しくウィンキーのからだを隅々までなでました。ウィンキーもそれに答えました。シャーリーが次にウィンキーのところに行きました。シャーリーが自己紹介すると、なんとも面白いことが起きました。ジェニーとシャーリーが計ったように、ウィンキーの両サイドに位置をとり、優しく、しっかりと小屋のドアに向かってウィンキーをエスコートしたのです。この様子を目撃していた者はみんな、その意味の重要性に気づきました。ジェニーとシャーリーは、ウィンキーが自分たちの仲間であることを宣言し、小屋の外に連れ出そうとしたのです。残念なことに、ウィンキーはまだ外を探検するほどここに慣れていませんでした。2時間ほどジェニーとシャーリーの誘いはつづき、そこで休憩がとられました。2頭は小屋を離れましたが、この日はずっと小屋のそばで過ごし、何回も小屋に戻ってきてはウィンキーに外に行こうと誘っていました。ジェニーとシャーリーが小屋に戻ると、ウィンキーもすぐに2頭のそばに寄っていきました。そして小屋の外までついていこうとしました。でも最後のところで、おじけづいていました。その晩、ウィンキーはバーバラと二つ分の仕切りの中で一緒に過ごしました。

 

サンクチュアリーのスタッフは、ウィンキーがサンクチュアリーの敷地内を探検してくれればと願っていましたが、彼女自身のタイミングや決断を尊重しました。34年間もの間、自分で決定することのなかったウィンキーにとって、自信をもてるようになるまでに時間がかかることは理解できます。ジェニー、シャーリー、バニー、タラは、ときどき丘のふもとに立って、ウィンキーがやって来るだろうかと小屋を見上げていました。バーバラは1日に数回、小屋までウィンキーの様子を見に戻りました。シシーはウィンキーが近づいてくると、喜びを露わにしていました。彼らはいま互いを知ろうとしています。やがて家族のような関係になり、互いの生を豊かなものにしていくことでしょう。

シシー、バニー、ウィンキー、ジェニー、タラ

サンクチュアリーでの暮らし

 

ウィンキーは7番目の居住者としてサンクチュアリーで暮らし始めます。2、3ヶ月前に来たばかりのシシーと、ウィンキーはすぐに意気投合し、終生の友となります。シシーもウィンキーも、社会性がないゾウという評判のもとサンクチュアリーにやって来ました。どちらも他のゾウと行動を共にすることが難しい、と言われてきたのです。しかしこの2頭はここに来て以来、互いの存在を深く認めあっているようでした。何年か過ごすうちに、ウィンキーはアジアゾウ居住区の他のゾウたちとも社会性を築くようになります。シシーとは敷地の中をずっと遠いところまで、いっしょに探検もしています。

シシーとウィンキー

シシーとウィンキー

2006年、ウィンキーはサンクチュアリーの世話係の死亡事故に関与しました。何がこの事故を引き起こしたのか確証がないものの、飼育環境にいるゾウの複雑な性向と関係があることがわかりました。また悲劇は予測不可能なものでもありました。サンクチュアリーは以降、PCと言われる「保護下のコンタクト」にゾウの管理体制を変えます。これはゾウと人間の間に、常に両者を分かつフェンスのような障壁を置くことを意味します。これにより、両者が接する際、互いにとって安全が保証されます。

*現在、動物園のゾウの扱いには三つの方法がある。「保護下のコンタクト」以外には、「フリー・コンタクト」(昔ながらの人とゾウが直接接して管理する方法。不慮の事故の可能性あり)、「放置管理」(人間とゾウが全く接することのない、管理しない方法。ゾウと人間の間には関係性が成り立っていない。一部のサファリパークなど)がある。

 

ウィンキーは「早期燃焼型」のゾウであると言われることがありました。世話係たちの観察によれば、興奮しやすいところがあったからです。

 

ウィンキーは「フーーッ」という特徴ある音を出し、鼻から「プループループルーー」と息を吐き出します。マンゴーが好物で、まるごと口に収め、食べ終わると種をペッと吐き出しました。ご褒美でオレンジをもらうと、鼻でじょうずに皮をむき、ジューシーな実の部分だけ食べました。

 

ウィンキーは濃い肌色をしており、頭にはフサフサと毛が生えていました。シシーといっしょに、「第2パイプライン」や「ドクター・スコットの池」のあたりで過ごすことが多かったといいます。その池や小屋近くの池で、2頭が泳いでいるところがよく目撃されました。別行動をとることは少なかったといいます。

散策中のウィンキーとシシー

シシーとウィンキー

ウィンキーは2017年5月11日、51歳の生涯をとじました。アジアゾウ居住区の世話係リーダーだったケイトリンはこう言います。「ウィンキーは情が厚くて、いたずら好きで、バカげたこともするゾウでした。何よりも、世界でいちばん、シシーのことが好きでした。シシーが昼寝をしているときなど、そばに立って見守っていました。シシーが興奮したり、元気をなくしていれば、そばまで飛んでいきました。池でいっしょに泳いだり、敷地内のどこへでもシシーの行くところ、ついていきました。ウィンキーはわたしの心の特別な場所で、これからも生き続けるでしょう。ウィンキーを知る者はみんな、彼女がいなくなった寂しさを抱えて生きていきます」

 

最後の年、ウィンキーとシシーは敷地内に新しくできた保温小屋や「第2パイプライン」で多くの時間を過ごしていました。世話係たちは、餌やりをする前の朝早くに、この2頭が楽しげに遊んでいるところを観察しています。シシーがポンポンという独特の音を鼻から出すと、ウィンキーがその音を真似ようとしていました。その前年の秋の初めには、タラがこの2頭の保温小屋までの遠出に参加しました。そこにウィンキーは、自分が見つけた石やオレンジの皮を隠していました。

 

今年(2017年)の最初の頃の報告によると、ウィンキーは飼育環境でよく見られる慢性および進行性の、加齢による症状がいくつか見つかっています。腎臓疾患、貧血、骨関節炎、脚の腫瘍、結核の兆候などです。またいくつかの食べ物への激しいアレルギー症状も見せていました。

 

獣医とハズバンダリーのチームは、ウィンキーの健康状態を回復させるための特別なケアプランを立てました。栄養士と相談しながら、ウィンキーに必要な、そして彼女の嗜好に合った食べ物を選んでいきました。ウィンキーはそれに対して食欲を見せ、体重も回復しました。世話係たちによれば、活動のペースは落ちたものの、敷地内を散策し、日常の活動をつづけていたそうです。

*ハズバンダリー・ケアとは、ゾウの負担を減らす治療法やからだのケアをいう。

 

この年の2月、ウィンキーは定期血清検査で、病状に変化が見られました。すぐに他のゾウや世話係の健康を守るための指令が出て、隔離が行なわれました。2017年4月の最終週、鼻洗浄により、結核感染が活発であることが外部の検査機関の結果でも確認されました。

 

さらに血液と尿による検査で、腎臓疾患も認められました。投薬により、食欲増進と症状の緩和が進められました。世話係たちは、電解質改良水による経口補水療法を行ない、最近好物になったバナナと玉ねぎをウィンキーに与えました。

 

ウィンキー最後の日々

 

慢性の病状が進行すると、ウィンキーの衰弱と不快感は促進されていきました。獣医とハズバンダリーのチームは、腎臓機能低下による症状を緩和するため、食べ物の改良や薬物投与計画を向上させ、昼夜なしに働きつづけました。しかしウィンキーの健康状態や生存の質は目に見えて下降しつづけました。食べ物や水分への欲求をなくし、活動も非常に低下している、という世話係たちの報告がありました。最終的に人道的安楽死をさせる決断がとられます。2017年5月11日、ウィンキーを愛し、世話をしてきた人々に見守られて、ミャンマーからやって来たこの雌のゾウは静かに一生を終えました。シシーには、その後ウィンキーと対面する機会が与えられました。

 

サンクチュアリーで死亡したゾウにいつもしてきたように、死体解剖が行われました。ジョージア大学の獣医学部から、ニコール・ゴッデンガー医師とチームメンバーがやって来て、サンクチュアリーの獣医、スティーブン・スコット医師とリディア・ヤング医師と協働して検死を行ないました。「ウィンキーの急激な衰弱は、進行性の腎不全と他の慢性病の影響によるものだということが予備検死でわかりました」と、サンクチュアリーの獣医監督官のスコット医師が報告しました。検死での知見は、飼育環境にいるゾウのケアや治療に多くの情報をもたらします。最終的な検死結果は、この時点(2017年5月)ではまだ審理中です。

 

サンクチュアリーは、サーカスや動物園を引退したゾウたちの我が家になることを目指して活動してきました。やって来る多くのゾウが慢性病や行動上の問題を抱え、個別のケアや治療を必要としています。サンクチュアリーは、日々の観察をもとにしたケアや、健康状態の変化に応じた個別の手当てをつづけています。終末医療や安楽死もそこに含まれています。