Sissy
「殺し屋」とレッテルを貼られたシシー
シシー。1968年タイ生まれの雌のゾウ。体高2メートル60センチ、好物はマズリーペレット(ドライフード)。2000年1月26日よりサンクチュアリの住人。
タイヤで遊ぶシシー
シシーは生後1歳のとき、タイの森で捕獲され、母親や家族と引き離されて、アメリカに売られました。1969年、アミューズメント・パーク「シックス・フラッグス・オーバー・テキサス」で初めて展示されます。このアミューズメントパークの5代目の赤ちゃんゾウでした。
シシーはその年のうちに、テキサス州ゲインズヴィルにあるフランク・バック動物園に売られます。ゲリーという名の21歳のゾウが死に、その代わりに送られたのです。「ゲリー2世」の名で、シシーはここで30年近く、主要な展示動物として過ごしました。フランク・バック動物園では狭い檻に入れられ、たった1頭で育ちました。賢い動物がそうであるように、ここで良い行ないも悪い行ないも覚えました。たとえば人間からからかいを受けたとき、それを止める方法です。どこの動物園でもゾウは人気者ですが、ここの施設は適切なつくりになっていなかったため、来場者が容易にゾウにさわることができました。
悪気はないけれど間違った情報をもったある来場客が、シシーにさわったり、鼻を引っ張ったりしました。最初のうちは注目されたり相手にされることを楽しんでいたシシーも、すぐにそれがいやになりました。保護柵がないため、来場客の手から逃げる方法はなく、シシーは鼻をぶらぶらさせてその男のほおを打って追い払いました。この動物園にいる間に、こうやって人を追い払うことが、シシーの悪い癖になりました。
のちに飼育員が死ぬという事故が起きたとき、多くの人がシシーは故意に攻撃したと判断しました。誰も目撃者がいなかったため、ことの真相を知るのはシシーのみでした。でもそれは事故だった可能性がありました。シシーはコンクリート製のごく小さな小屋に住んでおり、非常に怖がりなところがありました。もし誰かが突然小屋に入ってくれば、シシーはびっくりして小屋の中を暴れまわって歩き、その結果、人間を壁に押しつけて殺してしまうこともあり得ます。シシーによくない癖があり信用されていなかったとしても、「殺し屋」というレッテルを貼られたのは残念なことです。
このことがあって、シシーはフランク・バック動物園を出て、ヒューストン動物園に送られることになります。そこには危険なゾウたちを扱う施設がありました。ヒューストン動物園には、調教されたゾウたちが住んでいて、シシーはうまく仲間入りができませんでした。シシーは他のゾウを怖がり、慣れない施設に警戒心をもち、そこで働く飼育員たちを信用しませんでした。シシーは食べることをやめ、体重を減らし、他の雌ゾウたちと交流をしませんでした。そして庭や小屋の中を、行ったり来たりする行動で抵抗を示しました。
ここからエル・パソ動物園に送られることになったシシーには、さらなる困難が待ち受けていました。この動物園はゾウと飼育員が傷つけあうことがないよう、門とフェンスのある保護エリアを準備していました。このように接触のかぎられた施設であれば、シシーを管理する際、危険が減るということでしょう。シシーは施設が完成したら、そこに入れられることになりました。
エル・パソ動物園に着いたシシーは、小屋に入ると鎖につながれました。間をおかず、シシーは飼育員に攻撃をしかけました。すぐさま3人の飼育員によって、肉体的な罰がくだされました。シシーの激しい抵抗と攻撃は1時間つづき、その様子は、飼育員の教育目的のためにビデオに撮影されました。1年たっても、シシーは他のゾウたちに受け入れられませんでした。実際のところ、地面に突き飛ばされ、クレーンで立ち上がらせなければならないこともありました。さらにことを深刻にしたのは、シシーの鼻は検査手術の後遺症で、麻痺したままの状態でした。4ヶ月間、飼育員たちは手で餌をやることになりました。一口一口の栄養が、飼育員の手をとおして与えられました。シシーは体重を減らしましたが、鍼治療を受けることで鼻の一部の機能が回復しました。それで食欲も少し戻りました。自分で餌が食べられるようになると、シシーの状態は改善し、飼育員との関係も良くなりました。そして飼育員を脅すこともなくなりました。飼育員たちは手で餌をやっていた期間に、シシーは本当は感受性豊かな、優しいゾウだとわかったのです。
シシーがやっと平穏な暮らしをするようになった頃、エル・パソ動物園でシシーが虐待を受けている映像がメディアに流れました。それを見た地元住民が異議をとなえ、市議会を動かしました。動物園はシシーをエレファント・サンクチュアリに送ることを決めました(それを決める市議会投票の前に、エル・パソの役所からサンクチュアリへの連絡は全くありませんでした)。役所は投票をして結果が出ると、サンクチュアリにシシーを引き受けられるか聞いてきたのです。
シカゴ・トリビューン、2000年1月31日の記事より
エル・パソ動物園にやって来た1998年10月、シシーは足に鎖を巻かれ、手鈎(てかぎ)をもった飼育員たちにより、命令に従うよう1時間以上たたかれた。
動物園の職員によって撮られたと思われるビデオ映像が、1999年11月、ニュースメディアの手に渡ったことにより、それを見た地元民の反発が起きた。米司法省はこの件を調査し、エル・パソ市に2万ドルの罰金を課し、動物園の園長は辞職させられた。
シシーのサンクチュアリ行きを邪魔しようとする者たちもいましたが、動物園の管理者やスタッフ、市の職員の中には、この輸送をうまく運ぶために力を尽くした人々もいました。エル・パソ動物園からの搬送は、サンクチュアリの正規輸送機関であるランドスター・ライゴン社がトレイラーと運転手を準備し、事に当たりました。チャック&レイズ・パンコーから借り入れた資金でゾウ専用に改良したトレイラーが動物園に向い、ゾウ舎のわきに止められました。2、3週間の準備期間を終えて、シシーは旅立つ準備ができていました。サンクチュアリの創設者の一人、スコット・ブレイスがエル・パソまで出向き、シシーのトレイラーへの乗車や輸送全般を指揮しました。すべての準備は、シシーが旅を快適にできることを第一に進められました。
2000年1月24日午前7時10分、シシーの旅が始まりました。サンクチュアリのあるテネシー州ホーヘンウォルドまで、2日半の旅程です。シシーは旅の間、よく食べ、飲み、快適に過ごし、攻撃性を見せることはありませんでした。この旅は、スコットとシシーが知り合うよい機会になりました。トレイラーの運転手、マイク・ノウレスはシシーの輸送を買って出ただけでなく、自ら宿泊先のモーテルに予約を入れたり、シシーの途中休憩のために進んでトレイラーを止めていました。また添乗員たちが休憩できるよう配慮したり、シシーを休ませるため、道からはずれた場所でトレイラーを止めるなど、いろいろな気づかいを見せました。1月25日の夜には、アーカンソー州フォレスト市のコンフォート・インの経営者は、飼育員たちの部屋と、シシーのトレイラーをとめる静かな場所を無料で提供してくれました。運転手のマイクの手配が助けとなり、シシーも飼育員たちも、安全で心地よい旅ができたのです。シシーの餌や水のためにトレイラーをとめるたび、マイクは車から飛び降り、水飲み用ホースの準備や干し草をやる手伝いをしながら、車にガソリンを補充するなど忙しく立ち働きました。マイク・ノウレスは真の「ゾウ友」の名に値する人物です。
シカゴ・トリビューン、2000年1月31日の記事より
シシーは水曜日の昼すぎ、ナッシュビルから南西約160キロにある、雪におおわれた田園地帯のサンクチュアリに到着した。あたりはオーク、ヒッコリー、プラタナス、ポプラなどの緑豊かな森に囲まれている。
1月26日、シシーの到着は数人のメディア関係者とサンクチュアリのスタッフに迎えられました。トレイラーの後ろのドアが開けられてから15分のうちに、シシーは新しい自分の家に入りました。少しとまどい、慎重な様子は見せたものの、攻撃的なところはありません。少しして同じアジアゾウのバーバラが、シシーの小屋に送られました。バーバラは脅さないよう静かに入り、シシーが緊張を見せれば、立ちどまってそれが和らぐのを待ちました。2、3分すると、シシーはバーバラが鼻でさわることを許しました。最初は横腹を、次に肩、そして顔と鼻にもさわらせました。この最初の交わりは、これから先の2頭の関係のはじまりとなりました。それから他の仲間のゾウたちもやって来ました。シシーはからだを横に向けて、仲間のゾウたちが、鼻でさわってあいさつするのを受け入れました。そのあと、シシーが鼻をのばすと、3頭のゾウたちは喜んで自分たちの鼻をからみあわせました。
バニー、ジェニー、シャーリーがシシーに鼻で挨拶
サンクチュアリの支援者たちが帰ると、シシーは世話係たちにさわってほしい様子を見せました。くるりとお尻を向けて、後ろ足をそっとあげました。これは初めてのゾウと出会ったとき見せる、はにかみのポーズです。サンクチュアリの世話係たちは、シシーの誘いを嬉しく思いました。2、3日後、サンクチュアリの創設者キャロルが、シシーと滞りなく交流を果たしました。シシーはむら気のあるゾウでしたが、自分の気持ちを他者に率直に表すので、誰もがそれを理解できました。気分がよくて、自分の好きな人間がやって来ると、鼻の先をパタパタ振って挨拶し、ポンポンという音をたてます。それからの毎日は、小屋の外に出て昼寝をしたり、草を食べたり、仲間のゾウたちと少しずつ交流するようになりました。まだ不安があるのか、小屋から遠くまでは出ていこうとしませんでしたが、スコットかキャロルがいっしょであれば、まるで子犬のようにあとをついてまわりました。
最初のうちシシーは、身を守るためどこに行くにもタイヤを運んで歩きました。長い期間、動物園で1頭だけで暮らしていたことの名残りです。でもシシーはやがてサンクチュアリの敷地内を探索し、他のゾウたちの仲間入りをするようになります。シシーは元気いっぱいで、世話係の乗る園内用トラクターが草地にやって来ると、タラやバニー、シャーリー、ジェニーといっしょにそのまわりをはしゃいで歩きました。天気のいい午後に、草地をあちこち冒険するのはゾウたちのお楽しみです。サンクチュアリの谷あいには、トランペットのようなゾウたちの鳴き声と歓声が響きわたりました。近隣に住む人たちは、午後のひとときをポーチにすわって、彼らの「歌声」を聞くそうです。
ウィンキーとシシー(右)
数週間すると、シシーが横になる姿が目撃されました。動物園の飼育員たちは、シシーが自分で横になる姿など見たこともなかったと言います。いつも立ったまま寝ていたそうです。2、3ヶ月して、ウィンキーがウィスコンシンの動物園から到着すると、すぐさまシシーは彼女と友だちになりました。ウィンキーも人間に対して攻撃的な「危険な」ゾウという評判でした。ウィンキーとシシーはどちらも、「反社会的なゾウ」として、他の者とうまく交流できないと言われていました。でも両者の仲の良さやアジアゾウ居住区での暮らしぶりを見ると、それは当たっているとは言えません。
シシーのお昼寝スポットとして知られる場所でウインキーと(2013年12月)
さらに素晴らしい成果があらわれたのは、4月27日の午後4時のことでした。キャロルとスコットの乗る園内用トラクターをシシーが追っているとき、小さな川にさしかかりました。シシーにとって流れる水は恐怖を起こさせるものでした。フランク・バック動物園にいたころ、記録的な洪水を経験し、1日半の間ずっと水につかったまま、鼻を水上に出して息をして生き延びたことがあったのです。しかし信頼する二人の励ましにより、シシーは浅い流れの中に入っていきました。その目はキラキラと輝き、水に入れたことが大きな自信になったようでした。
でもその帰り、同じ流れをわたろうとしたとき、また立ち止まってしまいました。自信をなくし、川底を歩くかわりに別の(水のない)わたれる場所を探しているようでした。シシーが川の前で行ったり来たりしていると、バーバラがやって来ました。シシーはじっと立ち止まり、バーバラの方を見ました。バーバラはちょっとの間ちゅうちょしていましたが、水に入っていきました。シシーは怖くはありましたが、それを乗り越えたいと、バーバラのあとに続きました。これがシシーに起きた素晴らしい出来事です。サンクチュアリのEleCam(ライブカメラ)には、シシー(とウィンキー)が、アジアゾウ居住区にある池で泳いだり、水浴びして遊んでいるところが記録されています。
サンダーポンドで遊ぶシシーとウィンキー(2014年8月19日)
雨が降りはじめたのでスタッフは池のそばのEleCamに注目。するとウィンキーがシシーを従えて現れた。ゾウたちは水が大好き。池の中では浮力のせいで、あの大きなからだが自由に動かせるからかもしれない。
シシーは鼻の一部が麻痺した状態で、自由につかうことができません。そうであっても、シシーはちゃんと自分で餌を食べたり水を飲んだりできます。世話係がホースで水をあげようとすると、シシーはホースを持ち上げて、口に水が入るようにします。まだ水を飲む準備ができていないときは、鼻をつかってホースから水が流れ込まないようにもできます。
シシーは鼻の先を前後にパタパタさせて、ポンポンという音を出してコミュニケーションをとることがあります。最初にこの行為が観察されたのは、新しい仲間がサンクチュアリにやって来て、出会ったときでした。今もこのポンポンはよく聞かれます。ウィンキーと交流しているときや、何か面白い遊び道具が持ち込まれたときなどです。
生まれ故郷のゾウたちと似て、シシーはからだが長いことで識別できます。顔と耳は色が薄いため、そばかすのような斑点ができています。耳が大きく、ゆったりパタパタとはためかせます。シシーはアジアゾウ居住区の「第2パイプライン」のあたりを歩いていることが多く、また「南広場」の太陽の下で、ウィンキーとともに昼寝しているところがよく見かけられます。
*このテキストは、エレファント・サンクチュアリのウェブサイトとTrunklines(サンクチュアリの不定期マガジン)2000年6月号「シシー特集」のテキストを翻訳、編集したものです。
Elephant SanctuaryサイトのElecam(Asian Habitat)でシシーの姿を見ることができます。
サイト内にあるELECAMをクリックすると、リアルタイムのライブ映像ページにいきます。テネシー州ホーヘンウォルドの日本との時差は14時間(夏時間)。日本時間の朝7時がサンクチュアリの前日午後5時、日本時間夜9時がサンクチュアリの同日朝7時となります。