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モニカ・アラク・デ・ニェコtop
Selling bananas in Kampala, Uganda, 2013.jpeg

Photo by Trust for Africas Orphans (CC BY-NC-ND 2.0)

その子の名前はナルレだった。みんなはナアルと呼んでいたけれど、同じ団地の男の子たち(午後になるとつるんで、女の子をからかって過ごすようなバカな連中)は違った。その子たちはナルレを「チビ」と呼んでいた。小人みたいだと言うのだ。足が短くて太いと。ふくらはぎの太さはキムボコーヒーの缶みたいだと。ナアルの頭皮には二十房くらいの髪しかないとも言う。でもどれも本当ではない。ナアルの髪は細いけれど、黒くて美しかった。ふくらはぎはツムペコのマグくらいのものだ。

 

ナアルは家族とともに、わたしの家の一区画先に住んでいた。団地の家番号G.16がナアルの家。わたしとナアルの家はとてもよく似ていた。家の大きさは、台所と食料庫、居間と寝室が一つずつ。家の色は、茶色のタイルの屋根にクリームと赤の壁。裏庭だけが少し違っていた。ナアルの家の裏庭は何もない。草も生えていないし、ブーゲンビリアもとげの低木もなく、侵入者やその辺のごろつきが入ってこないための赤いユーホルビアの柵囲いもない。わたしのところの裏庭は、スズメノヒエ草が青々と茂っている。花も咲いている。雨季になればダリアやハイビスカスが咲いたし、バラやソフォルニテラ、コスモスやケマンソウのツタもはっていた。家の前を通る人々はみんな、色とりどりでいい匂いのする庭を誉めていった。「どういう秘訣があるの?」と訊ねたものだ。マーは精出してやってるだけと言ったけれど、わたしが思うに、それは愛情と熱意なんだ。

 

うちの庭はこの団地内のどの庭とも違っていた。みんなはマーが特別な才能をもって生まれたんだと思っている。どの花とどの低木と会わせたらいいかとか、縁どりに植えるにはどんな葉の木がふさわしいか、どの植物のつたが美しいか、というようなことを生まれながらに知っていると。でもマーのガーデニングの知識は、アワー・レディー・オブ・グッド・カウンセルというカソリックの女子校時代に覚えたもの。そのかわりマーの家事は義務的で、料理したりパンを焼いたりは好きではない。奇妙な病気かと思うような、わけのわからない名前の材料をつかっての料理を覚えるなんて、意味がないと言う。マーはガーデニングがとにかく好きなのだ。マーいわく、家というのは庭にはじまる。庭がどんな風か見れば、その家に入りたいかどうかがよくわかる。

 

ガーデニングといっても、カソリックの寄宿学校では植物を育てられる環境にあるけれど、現実の世の中では事情が違った。この団地内では、じゃがいも畑とキャッサバいもの木くらいしか成長は望めない。そういうものは見た目がさえない。おバカな男の子たちも興味をもたないし、敷地内をうろうろして窓ガラスや手にかけやすいものを壊して遊ぶ子どもたちも同様。ところが垣根や花は違う。色とりどりだし、自慢げだ。見る人を魅了する。そういう意味で、うちの庭は人目にさらされていた。何も邪魔するものがなくて、いわば門のない家のようなもの、誰でも自由に入ってこれた。それでよく人が足をとめて、庭の様子をじっくり見ていったり、花を一つ摘んで髪にさしていったりした。こういう人々はたいした問題はない。マーは大目に見ていた。マーがどうしても耐えられなかったもの、それは市場の物売りたちだった。

 

毎日、朝日が顔を見せ始め、買いもの客たちがまばらになったかと思うと、物売りたちは市場を離れる。物売りたちは、市場と団地の間を通っている団地通りを渡って、うちの庭にやって来て座りこむ。この物売りたちは好んでここに来るのだ。この区画の他の庭にはぜったい行かない。彼らはまっすぐにうちの庭にやって来て、汗くさい疲れた尻を落とすのだ。うちの庭は、物売りたちにとって、市場のことや売れ残ったじゃがいもやバナナのことを忘れさせてくれる場所であり、うわさ話に興じたり、誰かを大声で笑いとばす場所だった。うちにやって来る品のいいお客たちに対しても、そういうことをした。

 

中でもある一人のお客は物売りたちの爆笑をかっていた。おそらくその客の気質が、笑いを引き起こす原因だったのだろう。あるいは鉢のようなドイツ風髪型のせいだったのかもしれない。よく独り言をいう癖を見られた可能性もある。その男の名前はパトリック・アクルといった。わたしにとってこの男は、同じ教会にいるちょっと変な小男というものだった。やせて、控えめで、用心深そうな静かな男だった。男のふるまいは何かにびくびくしているようで、この人は学校時代、いじめっ子たちの餌食になっていたんじゃないか、と思わせられる節があった。

 

初めてパトリック・アクルがうちに来たのは、マーの強い誘いのためだった。市場の物売りたちは、パトリックを見ると目に涙をためて笑い転げた。手を打ち鳴らし、なかなかやめようとしなかった。パトリックが物売りたちの前を歩いてくるのを見てすぐ、わたしは玄関のドアを開けた。そして居間に案内した。気持ちをなだめようと、アクルおじさんと呼んでもみた。でもアクルおじさんはこちらを見ようともせず、マーの金色のクッションカバーにも、新しいカーテンにも、切りたてのバラの花を生けた花瓶にも何の興味も示さなかった。

 

アクルおじさんの二度目の訪問は次の日だった。物売りたちはまた彼を見て笑ったが、この日は前の日ほどひどくはなかった。アクルおじさんは居間に座った。わたしがお茶を入れようと台所に行くと、マーがついてきた。お茶を入れる手伝いのためかと思ったけれど、そうではなく話をするためだった。マーはわたしにパトリック・アクルを「アクルおじさん」と呼ぶなと言った。「アクルにいさん」の方がいいというのだ。それはキリストの家である教会で、わたしたちはみな兄弟だからという。それでは日曜学校の子どもたちに反対される、とはマーには言わなかった。教会の子どもたちはパトリック・アクルをレッドデビルと呼んでいた。目が悪魔のトウガラシ色だし、話し方が火を口の中でかんでいるみたいで、ウガンダ・テレビに出てくるデビルそっくりだというのだ。

 

レッドデビルは毎日来るお客になった。毎夕、商工地域で輸出用の魚の皮をはぐ仕事を終えると、自分の家ではなく、わが家にまっすぐやって来た。レッドデビルは茶色のポリエステルのスーツを着ていた。スーツのポケットには二色ペンが二本ささっていた。黒、青、緑、ピンクの四色。わたしにはそのペンは何かの警報に見えた。そしていつも、レッドデビルの脳は正しく配線されていないのではないか、という不安に襲われた。夕食のとき、レッドデビルがパンにマーガリンをこてこてに塗ることや、お茶を飲むときフーフーするのも耐え難かった。マーがわたしのほおを何度もたたいたことがあった。そんなことはお行儀の悪い子しかやらないと言うのだった。

 

今やレッドデビルは毎日の来訪者になったので、マーは夕飯に彼の分を入れて準備するようになった。トウモロコシ粉を買うときは、レッドデビルのために四分の一キロ分余分に頼んだ。肉を料理するときは、おたま三杯分のスープを追加した。夕食を食べているときには、レッドデビルに自分の考えや意見を話すよう促した。マーは彼が家族の一員の気分で話せるよう働きかけた。ある日レッドデビルがわたしをびっくりさせるまで、夕食の時間はそんな風だった。レッドデビルはいつも、マーが話のきっかけをつくってくれるまで、待っているものとわたしは思っていた。自分の考えを話す前に、マーが道をつけてくれないかと待っているのだ。ところが二、三週間たったころ、レッドデビルの自信はこれまでになくぐっと増したのだ。

 

ある日遅めの夕食の席で、レッドデビルは訊かれてもいないのに、市場の物売りたちについての話しを始めた。その話題に触れるとき、レッドデビルが慎重に口をきろうとしているのにわたしは気づいた。レッドデビルは話を始めるとき、皿に手を落とした。皿をむこうに除けたりしなかった。ひとかどの男がするように、招かれた夕食の席で皿に手をそえて、市場の物売りたちのことをマーの目を見ながら話しを始めたのだ。

 

「おたくの庭は美しいですね」とレッドデビル。「でもあの物売りたちはちょっとうるさくないですか。草の上に紙を散らかしていっているの見ました? バラの花を引き抜いてるのご存知ですか? あの人たちがあなたの美しい庭を汚していくのは、なんとも耐えがたいですよ」

マーはすぐに答えなかった。そして口を開くとこう言った。「たしかに、そう、話すべきことだわね、ブラザー・パトリック」

チッ、わたしはナンセンス、と思った。

マーとレッドデビルが話しているとき、わたしはたいてい黙っていた。でも今回は、もし黙っていたら事態は悪くなるに違いない、という思いから口を開くことにした。事が悪い方向に進みそうな気がしたのだ。凶運のお告げでもくだされるみたいに。ヨセフがパラオに七年間の飢餓の準備をするよう告げたときのように非情な何かが。

 

「あの物売りたちはなんとかする必要がありますよ、シスター。なんとかしたほうがいい」とレッドデビル。

「あの人たち、ぜったいどかないわよ。ここに居座るつもりだもん」とわたし。

レッドデビルは皿から手を離した。テーブルにひじをついて、両手を握り合わせた。人生への深い洞察でも語り始めるように、わかった風に頭をうなずかせた。そして微笑んだ。

「ん? アミト。神がこの世でできることを知ったらきみも驚くだろうね」 そう言ってまた微笑んだ。

「あなたは正しいわ、ブラザー・パトリック。指摘することはいいことよ」とマー。

マーは即座に彼を支援し、勇気づけた。マーは肩入れが過ぎた。マーはいつも言っていることを忘れていた。誰かに即座に賛成するような人は、愚かな悪魔からの救済を神さまに頼まなくては、と。そういう人は悪魔払いが必要なのだ。

 

マーはすぐにレッドデビルに賛成はしたものの、忠告に従うことには慎重だった。レッドデビルが物売りたちに何か手を打つことを提案した日から一週間がたっても、何も起こらなかった。マーの人柄を知っておくべきだった。あの人は救済も悪魔払いも必要じゃないのだ。

 

それから三、四日後、マーは物売りたちと顔をつきあわせた。マーは印刷所である仕事場を早めに出て、家に向かっていつものように歩いてきた。そして家に入る前に庭のところで立ち止った。物売りたちはマーを見て驚いたものの、嬉しそうにしていた。少なくとも、十人を超える物売りがそこにいた。草の上で身を正して、生徒が先生にするようにマーの言うことに耳を傾けようとしていた。でも彼らは行儀が悪いので、マーが愛想を見せようとしたのではないとわかると、すぐに気を散らした。いつものように気にすることなく大声で好きなように話し、成りゆき構わず道を通る女の子たちに声をかけ、売女呼ばわりし、それで誰かに文句を言われるとは思ってなかった。わたしは居間の窓のところから、好奇心でじっと見ていた。この成りゆきはどうなるのだろうと。その夜、レッドデビルがやって来ると、マーはうまくいってると告げた。

「あなたはいいことを言うわ。弁護士にでもなればよかったのに」とマー。

「うーん、シスター、今からでも弁護士になれますよ。神さえいれば、不可能なことはありません。そのようにマルコ伝には、我らがよき主のことが書かれています」

チッ、なんてナンセンスなんだ。

 

その晩の夕食の席では、マーとレッドデビルは間断なく話していた。二人は大人の話しを、ばかなわたしには理解できないだろうとでもいうように、見境なく話していた。神について、神の未来への考えについて、二人は話していた。わたしたちが独り者になったのは神のご意志だ、と二人。明日がどのようなものになるかご存知なのは神だとも。

「シスター、聖書のソロモンの歌は神と教会の関係についてですよね。でもそれ以上のことをわたしに教えてくれました。とてもたくさんのことをね」とレッドデビル。マーは笑った。マーは笑って笑って、唾でのどをつまらせるほどだった。

「アミト、もうそろそろ寝る時間じゃないの」

 

その晩、ベッドの中でマーのためにお祈りするべきじゃないかと思った。感染しやすい病気について、みんなが言っていたことは本当だ。レッドデビルはマーに悪いものを移してる。今やマーの頭の配線は、正常に配置されていないようだ。

 

次の日、わたしはマーの帰りを窓のところで待っていた。パイナップルを手にしたマーが、市場の喧噪の中をやって来るのが見えた。マーは庭のところに着くと驚いて立ち止った。二十人はくだらない物売りたちがいて、何人かは草の上で眠り、残りは階段のところにいた。スズメノヒエ草の上には、花びらが撒き散らかされていて、誰かが庭を飾ろうとしたみたいな見映えだった。紙くずと市場のポリ袋があちこちに散らばっていた。紙パックの牛乳や段ボール箱、バナナやトウモロコシの皮もあった。

 

物売りたちを脅かして追い立てることをせず、マーは一直線に家に入ると、しばらく寝室にいた。やっと部屋から出てきたマーは、黒い服に着替えていた。長靴を履き、くわを手にしていた。マーが庭に行くと、物売りたちは幸せそうに笑ったり話したりしていて、なんの問題もないように見えた。マーは物売りたちに向かって話しかけようとした。物売りたちはマーに注意をむけず、マーが怒鳴りだしてはじめて気づいたようだった。マーの短い腕はふるえ、かつらが頭の上でゆらいだ。ここから戻ったら、マーの偏頭痛がまた始まるだろうと思った。マーは夫を失ったときの状態に逆戻りするんじゃないか。処方薬をもらいにクリニックに行き始めるんじゃないか。レントゲンやスキャンをしに病院に通い始めるんじゃないか。福音派改革運動に加わって、腫れた足の治療や腹痛、潰瘍や腸チスフ、はたまた悪霊やら恨みを負わせる魔女から救われようと、助けを求めるようになるのではないか。

 

「出ていって。今すぐ、あんたたちみんな、わたしの敷地から出ていってちょうだい」とマー。

「あんたの敷地?」 物売りの一人が言った。他の者たちも声をあわせ、マーがそれ以上しゃべれないようにした。マーがお金持ちみたいに暮らしたいなら、この場所は間違っている。トラックを頼んで、家財道具いっさいを積んで、カムパラの丘に向かったほうがいい。もっと大きくて二階建ての家に住んで、犬を飼い、人が入れないように壁をまわりに張り巡らせるのだ。

「わたしはどこにも行きませんよ。ぜったいに。ここはわたしの家なんだから」とマーは繰り返し言い放ち、地面を指差してここは自分の場所だと宣言しながら、この戦いに負けない意地をみせた。

「あんたの家だって? ここがあんたの家だって思ってるわけか?」

物売りたちはマーを黙らせるため、引き下がってはいなかった。おれたちの誰ひとりとして、ひとかけらだって、人の家なんかに入ったと思っちゃいない、そう言った。物売りたちはマーのことを売女と言った。マーは夫のいないふしだらな女だと、狂信的クリスチャンだと、セックスに飢えた雌犬だと言い、野蛮で礼儀に欠けた者たちの住むもっと北の方に移り住めばいいと言った。

 

わたしはレッドデビルがやって来ないかと願った。もしあいつが来て、マーを守ろうとしたなら、物売りたちは歯という歯が抜け落ちるまであいつを打ちのめすだろう。あいつがムラゴ病院に長く入院すれば、マーもあいつのことを忘れ去るだろうに。でもあいつはラッキーだった、レッドデビルめ。マーからあとで事の顛末を聞いただけだ。やつはレッドデビルなので、こう言ってのけた。「ふんふん、もしわたしがあなたの立ち場なら、あいつらをここから永遠に葬るでしょうね。ここはあなたの家なんだから、あいつらはそれを知るべきです」

 

事件があってから三日め、マーは職場から遅い時間に戻ることにした。一日も終わり夜になろうという時間だ。昼の物売りたちがいなくなって、そこにそれほど厄介ではない夜の物売りたちがいたのならよかったのに。夜の物売りたちは人の家の庭には近づかなかった。その人たちは市場や団地通り沿いにはびこり、テーブルに山盛りのパンや牛乳を置いて売り、サイザル麻の袋の上にトマトを積み上げ、灯油ランプで明かりをともし、牛足のスープを入れた大きな鍋で調理し、贓物やらパンケーキ、ローストした肉、揚げたカッサバを並べ、道路際を生活の臭いでいっぱいに満たした。団地周辺の商工地域や市場、工場などからやって来た労務者たちが、ベンチにすわって食べものがくるのを待っていた。マーはいつも、この男たちは家族にはナスばかり食べさせておいて、自分はここで鶏や牛を食べて腹を肥やしていると言っていた。

 

わたしはマーが帰ってくるのを窓のところで待った。マーが心配だった。うちに帰り着く前に、物売りたちがいなくなっていてくれればいいのにと願った。でも彼らはそこから動かなかった。マーが帰ってきたとき、昨日と同じくらいの物売りたちが陣どっていた。

 

「あんた。あんたが遅く帰ったからって、もうおれたちがいないだろうって? おれたちが帰ったって思ってんだろ」 物売りたちはマーが団地通りを横切る前にもう声をかけてきた。マーは物売りたちを見ないようにして、家へと急いだ。彼らはマーをそのまま行かせる気がなかった。口笛を吹き、声をあげ、指をさし、呼びとめ、手を打った。市場にいるみんなが何が起こっているのかと足をとめた。マーも立ち止った。そして振り返り、「何なの?」と言った。

「あんたが始めたんだよ。あんたがね。それでなにか、おれたちに何なのって訊くのか」

マーはきびすを返した。物売りたちはまた声をあげ始めた。その中の一人の声が際立って響いた。それは片頬に大きなケロイド状の傷のある男だった。炭を売っている男だ。多分、目と歯だけがきれいなのは炭のせいなのだろう。その男は、おれたちにそんな口をきける女はどこにもいない、マーはなおさらのことだと言った。何の価値もない女だと。マーにはひとかけらもいいところなどない、と言った。さらに、マーのお腹から生まれ落ちる子はひどく醜く、頭は洗面器くらいあって、鼻の穴には男の握りこぶしだって入れられると。わたしには兄も妹もいない。侮辱はわたしに向かって言われているのだ。わたしは窓のところからしばらく動けなかった。

 

その夜遅く、わたしは自分に言い聞かせた。あんな無学な物売りたちの言うばかな言い草などに惑わされないこと。物売りたちはやって来てはいなくなる存在、そのことが市場で知れることもない。でもわたしには、もっと素晴らしい未来が約束されている。カムパラの丘のマケレレ大学に行くことになっていたし、その後海外にだって出るかもしれない、友だちのナアルがいつも話しているような場所へ。ナアルが言うには、ロンドンは行くのにちょうどいい街でたやすく行けるし、そこの人はみんな金持ちだと。彼らは乗ってる車が気に入らなかったら、道端に置き去りにするんだと。毎朝、市役所は早朝勤務について、不要の物品を通りから一掃しているそうだ。

 

翌朝わたしは朝早く目が覚めた。昨日の晩のことは頭から消え去っていてくれればと願った。でもたちの悪い病のように、いやな気持ちと不安がまとわりついていた。学校でその日一日じゅう、気づくと握りこぶしを鼻に当てている自分がいた。授業中も、先生がウガンダテレビでやっているディディ刑事のコメディのことで冗談を言っても、わたしは笑えなかった。わたしは自分に友だちがあまりいないのは、自分のせいなのだと思った。自分はかわいくない、容姿がいいってことは何をするにも前提条件じゃないか、クラスで一番の成績をとるためにだって。

 

その日の夕方、家に帰る途中、わたしはナアルを団地通りの端で待っていた。ナアルはもう一つ別の学校に行っていて、わたしたちはいつも墓地のそばで落ち合っていた。その日ナアルといっしょになると、わたしを不細工だと思うか、と訊いた。思うよ、とナアル。そしてわたしが真面目だと気づくと、いったいどうしたのと訊ねた。

 

「いいのいいの」とわたしは言ってから、うちの庭にいる物売りたちは追放されるべきだと訴えた。もうたくさんなの、とわたし。

「まあ、それは問題だわね」とナアル。でもナアルは手助けすると言ってくれた。父親が家にいないときなら、何でも思いついたことをいっしょにやろうと。

 

次の日の午後、わたしは墓地でナアルを待っていた。一時間過ぎたころ、わたしは心配になってきた。でもイライラしはじめたそのとき、ナアルが墓地に向かって突進してきた。わたしのところまで来たけれど、とまらずそのまま走り続けた。わたしもナアルの後を走った。半キロくらい行ったところ、市議会病院のそばでナアルが足をとめるまで、わたしも走り続けた。

「誰かに追いかけられてるの?」とわたし。

「ううん、でも何かのときのために走ったほうがいいと思って」とナアル。そしてこう付け加えた。「あいつら、何かしてくるかもしれないから。これは戦争なんだから、戦争なんだよ」

 

太陽はまだぎらついていて、日暮れは遠かった。ナアルとわたしは団地通りを歩いて、居住区の敷地に入っていった。そしてわたしの家より一区画左手前にあるママ・ベンジャの家のところにたどりついた。ママ・ベンジャはエホバの証人で、自分の家の垣根を高く、分厚く、物売りたちを寄せつけないようにしてあった。ママ・ベンジャの庭にはコブラの家族が住んでいて、ママ・ベンジャはそれを手なずけ、餌をやったりしている、と噂されていた。もし誰かがママ・ベンジャに何かしたら、コブラを仕掛けるのだと。わたしはそんなバカ話は、市場の物売りたちくらいしか信じないだろうと思った。

 

安全と思われるママ・ベンジャの垣根のところから、ナアルとわたしは石を投げてみた。その日、うちの敷地中央にある「傘の木」の下には九人の男たちがいた。その木は小さかったけれど、午後になると日陰がうまい具合にできて、物売り数人くらいならその木の下で寛ぐことができた。三つくらい石を投げてやっと、物売りの一人が気づいてみんなに知らせた。みんなが次々に立ち上がった。物売りたちの自転車やバイクが、へしゃげた花や芽が出かけているマーの赤いユーホルビアの上にのしかかっていた。一人の物売り(あのケロイドの傷のある男だ)が、分厚い垣根からこちらを覗こうとやって来そうにみえた。

 

ナアルとわたしは走り出した。ママ・ベンジャの区画の角のところで、わたしは転んでひざを擦りむいた。ナアルは走り続けた。そして大きなジャムブラの木のところでやっと止まった。一番実り豊かな時期でさえ、何も実をつけず、かわりに大きな毛虫をはべらせる木だ。その毛虫の臭いことといったら、腐ったキャベツみたいだった。この毛虫はここら辺ではよく知られていた。毛虫に皮膚を触られたりしたら、大きな腫れものができ、何度も注射をしなければならないはめになる。

 

わたしは起き上がり、ママ・ファロウクの黄キョウチクトウの垣根を走り抜けた。この薮木は大人の木なのに幹のところが細くて、年のせいでぼろぼろになっていた。どんなに丁寧に手入れをしてもこの哀れな垣根は救いようがなかった。アフリカ・ハゲコウのように痩せこけていた。この木の下で遊ぶ子どもたちは、幹のせいで背中を茶色によごしたが、緑の葉っぱと黄色の花の方は、しみ出る樹液でノートや破れたお札を貼り合わせることができた。

 

ジャムブラの木のところにいるナアルに追いつくと、ケロイドの傷の男がママ・ベンジャの家の角に姿をあらわした。またわたしたちは走り出し、壊れたガラスやプラスチック瓶、ポリエチレン片など土に帰らないゴミを溜めた穴のところを通り過ぎた。そこを過ぎると、土は黒々としてつややかなトマトが育っていた。

 

次の区画までの道は急坂だった。でもナアルとわたしはその丘を息をハアハアいわせながら登った。わたしたちは交番の建物のところで足を止めるまで、一度も後ろを振り返らなかった。そこでしばらく、休んでいたかった。二人でマンゴーの木の下にすわって、暗くなるまで車の数でもかぞえていればよかったのだ。でもナアルは父親が家に戻っているかもしれないと心配し、汚れた足やあざのできた膝のことを気にし、また団地を通って帰るときに昔の給水所のそばを通らなければならないことを按じていた。

 

ある時期、この給水所はこのあたりの重要な水源だった。経年と使用が減ったことで、蛇口はさびてしまい、廃棄するしかないように見えた。ところが水を止めてしまわないよう、ナアルの父親(団地地区の役員で、ささいな諍いを収める役割を担ったり、紹介の手紙を書いて認証の申請書に判を押すことで小額の賄賂を受け取ったりしていた)は、給水所を修繕し、新しい蛇口をつけるための資金を調達した。一ヶ月の間、水の供給が戻ってきた。人々はいいことだと歓迎した。半キロ先のルゴゴまで水を汲みに行かなくて済む。ところが朝の六時前に、大きなプラスチック缶をもった人々が列をなし、誰が先か順番を争うことになった。主婦たちは給水口の前で仁王立ちになって言い分を主張したので、今度のさびは女たちの臭いのせいだと後で男たちに言わしめた。というわけでプラスチック缶は、ちゃんとラベルが貼られていても、温めたナイフで名前が刻んであっても、いつもなくなってしまうのだった。次に蛇口が壊れたときは、市場の方まで水浸しになった。勢いよく水はあたりに撒き散らかされ、子どもたちは人口の雨に浮かれ、裸になって走りまわった。そういうことがあってからは、誰も給水所のことを持ち出すことはなくなった。

 

ナアルが恐れていたとおり、わたしたちが給水所の前を通ろうとしたとき、ナアルの父親が建物のドアのところにいるのが見えた。父親はそこに立ってレックスのタバコを吸い、煙の輪がその大きな黒い影から草木にむかって放たれていた。ナアルの父親はわたしたちの方を見ていなかったので、給水口のあるコンクリート壁の方に退いて、見つからないようそこを通り抜け、別の道をみつけてそれぞれ家に帰った。

 

初めてのナアルとわたしの物売り追放作戦が終わり、次の日の夕方がやってきた。ナアルは聖ユダ学校の制服は着たままだったけれど、学校カバンは家に置いてきていた。

ナアルが興奮で少しびびっていたので、わたしは早くしなきゃだめと告げた。「こういうことはササッとやんなくちゃ」とわたし。わたしたちはうちの家の中にいた。

 

「そうね、ササッとね」とナアル。

台所からわたしは水の入ったバケツをもってきた。夕べ魚を洗うのに使った水だ。水は臭くなりかけていた。発酵したような腐った魚の臭いがして、家の中が魚の処理場みたいだった。

 

マーはまだ仕事場だ。すぐには帰ってこないだろう。それでも急がないと、マーが戻ってきて魚の臭いが残っていれば気づくだろう、と気が気じゃなかった。だからナアルには、急いで急いでとせきたてた。

「急がなくちゃ急がなくちゃ」 そう言いながらナアルは恐がっていた。

「ナアル、急いで急いで」 わたしはそう言って、二人でバケツをもちあげた。

物売りたちはうちの庭にまだいた。日光浴をしながら、マーとの次なる衝突を今か今かと待ち構えていた。ナアルに助けられて、わたしは台所から居間へバケツの水を運んだ。

裏口のドアまで来ると、「ここから先は、あんた一人で運べるんじゃない」とナアルが言った。わたしはナアルを見て眉をひそめた。脅迫メールでもナアルに送ってやりたい気分だった。でもナアルが不安と恐怖でそこに立っているのを見て、これは魔術をつかっても一緒に外に行くのは無理だとわかった。

 

わたしはドアを開けて、一人でステップを降りて、水のバケツをゆっくりと運んだ。草の上に出て、バケツを男たちがいる傘の木の方に向けた。男たちがわたしの行動に気づいているかわからなかったけれど、わたしの方を見ていることは確かだった。どうしてかというと、男たちは一瞬会話をとめて、また続けたからだ。男たちはマーの庭の輝きの中で、お日様を浴びていた。

草の上に立つと、わたしは自分が逃げ出すんじゃないかと心配になった。でもこれは良くない考え、わかっているんだ、頭の中にある恐れからくる考えなのだ。わたしはバケツをぐっと引いた。こんなに怯えていてやり遂げられるだろうかと思った次の瞬間、わたしはバケツを持ち上げていた。バケツは重かったけれど、想像していたほどではなかった。わたしはバケツを男たちがいる傘の木の方に向けた。そして水をぶっかけ、走って逃げた。ステップを駈けあがりながら、わたしは「ハレルヤ、ハレルヤ、神をたたえよ」と唱えていた。家に入って、ベッドの下に隠れると、その夕方いっぱいそこにいた。頭に浮かぶのは「ハレルヤ、ハレルヤ、神をたたえよ」の言葉だけ。

 

マーがこの騒動のさなか(物売りたちは石やれんがを手にしていた)家に帰ってきた。マーはうちの入口の階段のところに立っているナアルの父親の姿を見つけた。ナアルの父は自分は地域の長として事を収めに来ているのだと、みんなにわからせようとしていた。

 

何年かのち、マーはよくあの晩のことを話した。それについて話すとき、マーはナアルの父親について触れるのが常だった。仕事から戻って、うちの玄関のステップのところでナアルの父親がみんなを制しようとしているのを見たときは、喜んでいいのか怒っていいのかわからなかったと言った。うちの近所では、マーとナアルの父親が互いによく思っていないことは広く知られていた。ナアルの父は、北部から来た人間はこの国で起きる良くないことをいちいちしつこく言いたてる、と思っていた。クーデター、道路の悪さ、薬のない病院、砂糖の高値、彼のようなニコチン中毒者、国が内陸部にあることに至るまで。一方、マーがこの男を嫌いな理由は単純だった。ナアルの父親はカソリックで、自分の学校時代の厳しい修道女たちを思い出させた。民主党支持者であることも理由の一つだった。それに加えてこの男は、自分の庭を占領しているあの物売りたちと同じムガンダ族だった。マーに言わせると、この三つは不治の病であると。カソリックは偶像崇拝をする。民主党は死に体の政党、とんまな年寄りに統率されて無為な取引にあけくれやり遂げたことは何もなし。さらに、マーはムガンダ族はイギリス統治時代から、国を高値で売りさばいてきた売国奴、と思っていた。マーがよく言っていたのは、ムガンダたちは忠誠心を笠に金を貯めこんでいるということ。あの人たちは後ろを向いている間に、こっちの手を盗もうとする、とも言った。ムガンダはバナナ喰らいだ。彼らはムトゥーケ・バナナを主要食として食べる。マーいわく、あんなものは役立たずの食べもの、1パーセントの空気と99パーセントの水でできているんだからと。マーはムガンダは弱い人たちなんだ、と考える。対立や衝突を恐れ、公正さや明晰さ、率直さといった高貴な道を選ばず、たやすい方へと流れていく人々だと。わたしとナアルの友好をマーがなんとか許しているのは、わたしたちが一緒にひとつの皿から干し魚とキビを分けあって食べているのを見たからだ。マーはナアルにおいしいか、と訊いた。

「うん」とナアル。

「それはよかった」 マーはそう言ってから付け加えた。「お父さんに会ったらそのことを言ってごらん。お父さんに最近はバナナよりキビをよく食べるってね」

 

そのとき、うちの庭にいるナアルの父親は、マーとの進行中の対立のことは忘れていた。ナアルの父は物売りたちのことに集中していて、熱意をかたむけて雄弁をふるっていた。そこに集まった人々に、市場と団地とは異なる集団でありテリトリーだ、と述べていた。ここでは両者がともにカムパラ市議会に属していることはどうでもよかった。もしこの物売りたちがいい加減な言い分をここで通そうとするなら、こちらとしても市議会へ行って野営を張り、議長にわれわれの市民としての権利を訴えねばならない、とナアルの父親。この男たちがマーの庭であれ、団地内のどこの庭であれ、やって来て居座るのをやめないなら、わたしはこの件について市場管理者と話し合う用意がある、そう訴えた。

 

その晩、新しい規則が公表された。ベニヤ板に炭で書かれ、大工が急いで取り付けたものだ。それはマーが新しく植えた赤いユーホルビアの垣根のすぐそばに設置された。この敷地に入ってこようとして見つかった者は、2万シリングを課せられる。このボードをうちの窓から覗き見たわたしは、きっとすぐに外されてしまうのでは思った。でもこの標識は数年の間、雨からも犬からも、物売りやトラックからも侵されず生き延びた。

 

レッドデビルは、ナアルの父親が事を静めようとしているまさにそのとき、うちにやって来た。レッドデビルは意気揚々とうちに来ていたこの数週間あまり、マーに代わってこの件に介入しようとしていた。誰かがレッドデビルの茶色のスーツのポケットからペンを二本抜きとって、その頭をポツポツとつついた。みんなはレッドデビルに口をきくなと命令した。ここで何か言う権利などないと。レッドデビルをよく知る一人の男が、みんなの前で恥をかかせる機会を得た。その男が言うには、レッドデビルはクリスチャンなどではない。神のことなどどうでもよくて、単にクリスチャンの女性にとりいって、マルコ伝やソロモンの歌からの詩節を披露しながら淋病を移してるだけなんだ。レッドデビルは魚工場に職などない、何人もの私生児と結婚の申し込みを待っている女たちがいるだけだ。そう言った。

 

そのあと、わたしはレッドデビルの姿を見なくなった。ナアルまでも姿を消した。何日間か、わたしはナアルの形跡を探して、彼女の玄関口や庭、外便所などをうろついた。やっとナアルが姿をあらわしたのは、市場でのことで、家の使いで料理油を買いに来たときだった。ナアルはやたら急いだ風で、スカートの縁に火でもついたみたいに走り去っていった。わたしがついてくるのに気づいたナアルは、油も買わずに脱兎のごとく市場から立ち去ったのだ。ナアルは振り返ることもしなかった。きっとアブラハムの甥、ロトみたいに、振り返って、塩の柱に変えられてしまうのを恐れたのだろう。サッカーの平坦なフィールドを走るみたいな調子で、急坂の舗装道を駆け上がっていった。そのときがナアルを見た最後だった。マーはあれ以来ナアルの父親と話すことはなく、ナアルの弟のンビイリもわたしに話しかけることはなかったので、ナアルのことを訊くことができなかった。団地に住んでいるおバカなガキたちが、何か答を知っているように見えた。何を知ってるのか教えてもらえるまで、何回も訊かねばならなかった。その子たちが言うには、ナアルの父親は、わたしがナアルを役立たずでキビ喰らいの野蛮な北部人にしてしまうのを恐れて、カソリックの寄宿学校に入学させ、生涯の沈黙と孤独を誓う狂信的な修道女たちがいるカルトゥジオ会に入信させた、ということらしい。

 

チッ、とわたし。ナンセンス。でも本当はナンセンスなんかじゃない、だってナアルは二度と戻ってくることがなかったのだから。

 

 

 

初出:AGNI online        

日本語訳:だいこくかずえ

モニカ・アラク・デ・ニェコ

モニカ・アラク・デ・ニェコ

モニカ・アラク・デ・ニェコはウガンダの作家。1979年生まれ。マケレレ大学(ウガンダ)とフローニンゲン大学(オランダ)で教育を受ける。マケレレ大学在学中は、ウガンダの女性作家NGO組織であるFemriteで活動。2007年、短編小説「Jambula Tree」でケイン賞(英語で書くアフリカの作家に与えられる短編小説への賞)を受賞。「Jambula Tree」は二人の十代の少女が恋に落ち、そのために社会から反目を受ける話。他に知られた短編として「Strange Fruit」があり、ビリー・ホリデーの同名の楽曲との関係が見られる。(2012年1月公開時のバイオ)

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