ピアノとピアニスト
Bruce Duffie インタビューシリーズ(4)

フランツ・モア | Franz  Mohr

巨匠ホロヴィッツ専属の調律師として知られたスタインウェイの主任調律師。ホロヴィッツ以前にはルービンシュタインやルドルフ・ゼルキンのピアノの調律も任されていた。ドイツ出身の1927年生まれ。20代前半に手を痛めるまで、バイオリン奏者だった。夢は断たれたが、音楽の仕事ができて幸せだったと語っている。

サポート要員として働く多くの仕事人と同様、ピアノ調律師も、演奏会で何か起きないかぎり、忘れられた存在です。フランツ・モアは、スタインウェイのコンサートピアノの主任調律師で、注目に値する話から日常的なことまで、多くのエピソードを語れる人物です。

 

モアはバイオリン奏者としてキャリアをスタートさせましたが怪我をし、しかしそのまま音楽業界にとどまりました。そして舞台裏でピアノをピタリと正確に調整し、最も信頼され尊敬される人物となりました。スタジオと舞台の両方でピアノを調律し、演奏者が音楽のことだけに集中できるよう調整します。一つ一つの音やニュアンスに、微妙な色彩感に、楽器が応えられる方法を熟知しているのです。

 

ピアノ界のビッグネームたちが、モアに調律を依頼し、その腕に完全に頼ってきました。ヴァン・クライバーン、アルトゥール・ルービンシュタイン、そしてあのウラディミール・ホロヴィッツ*などです。この巨人へのモアの献身により、ホロヴィッツの死後も、彼のピアノは完璧な状態に保たれていました。それで他のピアニストたちが彼の楽器を弾き、レコーディングまでしています。1992年には、スタインウェイ社は、「ホロヴィッツのピアノ・ツアー」を組んだので、モアはホロヴィッツとよくしていたように、この楽器と演奏旅行に出ました。演奏ツアーがシカゴにやって来たとき、スポットライトの当たらない舞台裏にいることが幸せだ、というこの人物と話す機会を得たのです。

 

わたしたちはシカゴにあるスタインウェイ製品のみを置くショールームで会いました。モアはユーモアのセンスのある人で、わたしたちは笑ったり、つつきあったりしながら会話を進めました。

 

ウラディミール・ホロヴィッツ:ロシア生まれのアメリカ人ピアニスト。世界的な巨匠ピアニストとして知られる。たぐいまれな技術と素晴らしい音色、そこで生み出される興奮によって高い評価を得ていた。1903~1989年。

 

(2010年 ブルース・ダフィー)

・ホロヴィッツとともに歩いた調律師人生

・舞台裏にいるのがわたしの幸せ

・ピアノは調律をする人の腕にかかっています

・調律師はどのように音を聞いているかが大事

​・わたしはバイオリン奏者でした

ホロヴィッツとともに歩いた調律師人生

1992年5月、シカゴのスタインウェイのショールームにて

 

ブルース・ダフィー(以下BD)あなたはスタインウェイの主任調律師ですね。

 

フランツ・モア(以下FM):その通りです、何年にもなります。でもスタインウェイの調律師はわたしだけではありません。我々はとても大きくなりました。わたしが始めたころは、調律師はたった二人でした。

 

BD:二人の調律師で何台のピアノをみてたんでしょう。

 

FM:ニューヨーク周辺で、コンサートグランドを50台かそこらですね。

 

BD:それはコンサートで使用されるものであって、個人の家に売られるものではない?

 

FM:そうです、その通りです。すべてコンサート用です。わたしが1962年にドイツからやって来たとき(ドイツでもこの仕事をしていました)、ビル・ハッファーのアシスタントになりました。当時彼はコンサートピアノの主任調律師でした。ビルは伝説的な調律師でした。長い期間その名をほしいままにしていて、パデレフスキーやマイラ・ヘスといった大物ピアニストの調律をしていました。彼はまた、ラフマニノフ*と生涯にわたってツアーをしていて、その後はホロヴィッツとそうしていました。そしてビルが引退したときに、わたしがそれを引き継いだのです。

 

ラフマニノフ:ロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者。1873~1943年。

 

BD:それはいつのことでしょう。

 

FM:アメリカに来て2、3年後のことで、1965年あたりかな。わたしはビルからそういった演奏家のすべてを引き継いたわけです。ルービンシュタイン*、ルドルフ・ゼルキン*、ホロヴィッツとね。

 

*アルトゥール・ルービンシュタイン:ポーランド出身のピアニスト。80年に及ぶキャリアの中で、特にショパンの演奏で高い評価を得ていた。1887~1982年。

*ルドルフ・ゼルキン:ボヘミア出身のアメリカ人ピアニスト。20世紀のベートヴェン演奏家として非常に高く評価されていた。1903~1991年。

 

BD:彼らがあなたの調律になじむのに、少し時間がかかったんでしょうか。

 

FM:その通り、まったくのところ!

 

BD:あなたが彼らに馴染むのにも時間がかかった?

 

FM:その通りですよ! ホロヴィッツのことは特に覚えています。今日に至るまで、毎月、ホロヴィッツの家でわたしは彼のピアノを調律しています。誰も弾きませんが、スタインウェイ社は調律をつづけています。

 

BD:あなたは彼がかつて要求していたように、そのピアノを調律しているんでしょうか。

 

FM:その通りです、まったくのところ。でも最初は、ビルがわたしをそこに連れていきました。何回か行きましたが、ホロヴィッツは顔を出しませんでした。当時彼は、レコーディングはしていたものの、引きこもっていましたから。まったく姿を見せないわけではなかったけれど、聴衆の前では演奏しなかったので、沈黙の時代と思われていました。何ヶ月かたって、わたしが彼の家で調律をしていると、突然、彼が現れたのです。彼がわたしを気に入ってくれたことは運がよかったし、そのとき以来、わたしが調律を終えたのを耳にすると、いつもすぐにピアノ室に降りてきました。やって来て、わたしと話したり、ピアノを弾いたりしましたね。

 

BD:ホロヴィッツがツアーするときとレコーディングのときと、違うピアノを使っていたというのは合ってますか?

 

FM:そうです、そうです。何年かの間に、そうですね、彼は6台のピアノを使ってました。

 

BD:すべてのピアノを同じ状態に保っていたのでしょうか。

 

FM:いいえ。いえ、いえ。少なくともスタインウェイについては、2台のピアノがまったく同じということはないです。不可能ですしね。似通うことはあったかもしれませんが、ホロヴィッツも何年かの間に、好みが変化しています。たとえば、すばらしく輝くような音を好んでいた時期があり、それをもっと憂愁をおびた音に変えるなど。

 

BD:とはいえ、あなたは彼のタッチに調整しますよね、どのピアノを彼が選ぼうと。

 

FM:あー、それはそうです。でもホロヴィッツのピアノがもっているのと同じタッチを、すべてのスタインウェイに与えることはできません。それは不可能です。ピアノには持って生まれたものがあります。ピアノは感じ、音を出し、人はそれに従うしかない。

 

BD:ではホロヴィッツは、彼が望んでいるものに一番近いピアノを選んで、それをあなたが調整すると。

 

FM:その通り、その通りですよ。彼がほしい音を生み出すのにはさらなる道がありますが、ピアノには持って生まれたものがあって、そこにあるものに働きかける必要があります。

 

BD:ホロヴィッツが何が好きか、ルービンシュタインは何を好むかあなたは知っていて、その他のピアニストについても、、、

 

FM:ええ、そうですね。たとえばルービンシュタインは、ホロヴィッツのピアノをまったく弾こうとしませんでした。彼にとっては弾いたときの反応が良すぎる、あまりに軽いわけです。弾く先から音が逃げていってしまう。それを彼はコントロールできなかった。それに加えて、ルービンシュタインは、かなり違った音色を求めてもいました。

 

BD:つまり弾くことはできても、ルービンシュタインの音ではないと。

 

FM:そうです、まったく違います。どっちの方が優れていると言っているわけではありません。ルービンシュタインは素晴らしいピアニストですが、ホロヴィッツとはまったく違います。ルービンシュタインは弾いたとき、少し抵抗感があるようなピアノを求めていました。そしてより温かみのある、幅広い音、あるいは深く、暗い音を求めていましたね。ホロヴィッツのピアノは、もっと焦点が絞られた、非常に輝かしい音です。

フランツ・モアが調律をした20世紀を代表する名ピアニストたち

ウラディミール・ホロヴィッツ 

Photo by VanWiel(CC BY-SA 3.0 NL) 

アルトゥール・ルービンシュタイン
Photo by Materialscientist (CC BY-SA 3.0)

ルドルフ・ゼルキン
Photo by Materialscientist (CC BY-SA 3.0)

舞台裏にいるのがわたしの幸せ

BD:街から街へとピアノを運ぶ場合、荷造りして、輸送して、それを調整して、とどれくらいの時間がかかるのでしょうか。

 

FM:あー、そうですね、比較的短い時間ですよ。落下させたりしない限りは、ピアノに何か起きることはないですから。(両者、笑い)

 

BD:普通の手荷物のように扱う、という意味でしょうか???

 

FM:もちろん、そうではないですよ。ホロヴィッツのピアノと旅していたときは、特性のピアノの箱を用意し、非常に大きな輸送用の箱ですが、そしてその中に固定できるピアノ用の区画をつくります。そこには予備の道具や弦や必要になるかもしれない様々なものを入れます。とはいえ、ピアノが損害を被ることはないです。凍るような寒さとかでないかぎりはね。非常に寒い冬の夜に、ヒーターのないトラックに積んだ場合とかでなければ。もちろんそういうときは、ピアノが温まるまでかなりの時間がかかりますが。

 

BD:スタインウェイはそういうことが起きないよう、充分手当てをしていると思うのですが。

 

FM:そうですね、それでも起きます。

 

BD:新しいホールにピアノがセッティングされたら、調整するのにどれくらいの時間がかかるのでしょう。

 

FM:それほど長くはないですよ。大きな違いがあるわけではないですから。それでも2、3時間は必要でしょうか。ホロヴィッツについて言えば、本番までの流れに法則があるので、その意味で調整は非常にやりやすく簡単です。ホロヴィッツは週に一度、日曜の午後にのみコンサートをします。リハーサルは土曜日です、素晴らしいでしょう。とても簡単にすみます。本番当日は、彼はまったく弾かないんです。

 

BD:あなたにとって、それが簡単なんですね。

 

FM:そうです、とてもね! その週の間、わたしは観光してられるんですよ。(両者、笑い) ツアーに妻や娘を同伴することもありました。

 

BD:他のピアノも調整していたのですか、それともこのピアノのみを扱っていた?

 

FM:わたしはホロヴィッツのためだけに仕事していました。もちろんスタインウェイのためにピアノを見るとか、音楽家に手を貸すとかしますけれど。それと日本では、ピアノの調律を教えたりもしました。日本中の調律師が集まりました。

 

BD:ピアノの調律の学校はいまあるんでしょうか。

 

FM:ありますね。ドイツにはとてもいい学校があり、アメリカにもいくつかあります。ボストンに一つ、それ以外にも数箇所あります。年々よくなってきました。現在は学びたいと思えば、できる場所があります。

 

BD:聴衆があなたの存在に気づかないのはいいことなのか、それとも気づいてほしいですか?

 

FM:あー、わたしは舞台裏にいるのが好きなんですよ、ブルース、とってもね!

 

BD:(ちょっとつついて) プログラムに自分の名前が載ってほしくない?

 

FM:ノー、ノー、ノー、ノー! ないです、まったく。舞台裏にいるのがわたしの幸せなんです、信じてくださいよ。たった1回だけ、コンサートの間、席にすわって聞いていたことがあります。ここシカゴのオーケストラ・ホールでした。そうすべきではなかったのですが、そうしたんです。ホロヴィッツは1年間の休止のあと、カーネギーホールで弾いて大成功をおさめました。そしてこう言いました。「シカゴで演奏したいんだ。あそこのホールはよかった」 彼はいつも音響には非常に敏感です。音響がよくて、自分のピアノが用意できて、自分専用の調律師がいること、それが必須でした。そうなれば気持ちよく演奏できる。ホロヴィッツはオーケストラ・ホールのことを話しました。そしてここで弾くのが好きだったので、シカゴにやって来ました。ただその当時、リハーサルのときでさえ緊張感がありました。ホロヴィッツは自分の成した莫大な名声に応えなければ、という思いがありました。

 

ある日のこと、彼はわたしにこう言いました。「きみのためのチケットがある。ピアノは万全。特等席にすわってほしい」 もう絶対に忘れることができないでしょうね。日にちまで覚えてないですが、67年か68年のことだったと思います。わたしは席にすわっていましたけれど、緊張が大きくて楽しむどころではありません。ところがホロヴィッツが最初の曲を弾いて、ハイドンのソナタでした、スカルラッティでさえなかった*。最初の曲を弾いたあと、ホロヴィッツは舞台裏に引っ込んで、そのあと長いこと舞台に出てこなかったんです。わたしは落ち着きませんでした、その間。案の定、客席のうしろのドアが開いて、ホールの人が「ピアノ調律師の方はいますか?」と言いました。で、わたしは舞台裏までの長い道のりを走っていきました。ホロヴィッツは逆上してました。「音をたくさん間違って弾いてしまった! 誰かがわたしの椅子に触ったんだ! 椅子が高すぎた、高すぎたんだ!」

 

*ハイドンのソナタは一般にシンプルで、技術的には難しくないことを言っていると思われる。

 

BD:じゃあピアノじゃなかったんですね、椅子のせいだった。

 

FM:ピアノじゃなくて椅子だったんです。それでこう言いました。「マエストロ、わたしに何をお望みでしょうか?」 彼がこう言いました。「低くしてくれ、低くしてくれ!」 わたしが返しました。「でもどれくらい?」 するとホロヴィッツは指で数ミリ、わたしに示したんです。それでわたしは舞台に出ていって、椅子を低くしました。聴衆がどう思ったかわかりますよね。演奏家はいつも舞台に出てきて、聴衆は拍手します。わたしはお辞儀をしたんです。(両者、笑い) わたしは椅子の調整をして、以来、聴衆の中に入ることはありません。いつも舞台裏にいます。ホロヴィッツがわたしを必要としたときのために、そこにいる方がずっと居心地がいいんです。それ以来、カーネギーホールでホロヴィッツが弦を切ってしまったときを除いて(舞台裏にいたので、出ていって弦を取り外しましたけど)、何か困ったことが起きたことはないですね。

 

BD:弦を取り替えたのでしょうか、それとも外しただけ?

 

FM:いやいや。彼は引き続けようとしたんですが、続けられなかった。弦がブンブンいってね。他の弦の上に乗ってたもんで。ホロヴィッツはとても良くしてくれて。一生忘れません。そのときの様子を撮った写真があるんです。カメラを持っていた人がそれを撮ってました。いまわたしは『ピアノの巨匠たちとともに』という題の本を書いています。来月出版されます。そのときの写真は本の中に出てきますよ。わたしが舞台を退くところが見れます。ホロヴィッツは作業の間、ずっと良くしてくれました。わたしを楽にしてくれました。彼のそばでひざまずいて、道具を出しているとき、こう言ったんです。「フランツ、大丈夫だ、心配するな、大丈夫だよ」 わたしの緊張を解こうとそう言ってくれたんです。「すべてやり直せばいい。心配しなくていい」 なんて親切なんでしょう。それでわたしは弦を外して仕事を終えました。

 

BD:それは二つにまたがった音の弦*だったのか、それとも2本弦の音だったのか。

 

*ピアノの弦は最低音部には1本、その右の中低音部には2本、中部から高音域には3本の弦が張られている。3本の弦の場合、1本の弦をUターンさせて2本とし、3本目の半分(Uターンさせた残りの弦)は、隣りの音に使う。「2つにまたがった音」というのは、1本の弦の半分をUターンにより隣りの音に使用することを指している。

 

FM:低音部の弦でした。忘れることができません。変イ音の弦でした。2本弦があります。それで切れた方を外しました。やったのはそれだけです。それしかないでしょう! 誰にもできることです。

 

BD:音に影響はなかったんでしょうか。その音の響きは良くなかったでしょう?

 

FM:ええ、でも実際にその違いを聞き取れる人はいないでしょう。もちろん弦1本なので、音自体が弱くはなりましたが。

ピアノは調律をする人の腕にかかっています

BD:あなたは舞台裏にいるのがいいとおっしゃいましたが、自分のピアノを、それも大きな質の高いピアノを持つ人は、ピアノを調律して良い状態に保つ必要があると知っていなくてはね。

 

FM:そうそう、その通りです。素晴らしいピアノを持っている人が、たとえばスタインウェイのピアノなどですね、あまり手入れをしていないのを知ると胸が痛みます。ピアノの先生だったりもするわけです。

 

BD:なるほど。普通の家庭で普通のピアノを持っている場合、どれくらいの頻度で調律すればいいのでしょう。

 

FM:ピアノの置き場所にもよります。窓のところや暖房機のそばはだめです。部屋の内部の壁に置くのが一番です。そこなら大丈夫。

 

BD:気温に左右されない?

 

FM:ええ、気温が一定で、変化がないことが大事です。それから湿度がありすぎたり、乾燥しすぎたりもだめです。これも非常に大切です。いつも「湿度計を手に入れて、何をおいても部屋の湿度を計ること」と言っています。

 

BD:どれくらいならいいんでしょう。

 

FM:45から65%くらいの湿度ですね。人もそれくらいが快適じゃないですか。(両者、笑い)それに従えば、いつもそれくらいに保てば、ピアノにとってどれだけいいか、信じられないくらいですよ。こんな話があります。スタインウェイはニューヨークのメトロポリタン美術館にコンサートホールを持っています。あそこほど温度湿度が管理されている場所を他に知りません。あそこでは、人が一日中気温や湿度をチェックしています。そこに一人の男がやって来て、ピアノをチェックする。が、そのピアノは調整されたときの状態を保っている。信じられないことです! 最後にコンサートがあったのは3ヶ月も前のこと、そのピアノを見れば、状態がとてもいい。何もする必要がないんです。いい状態のままそこにある。すごいことですよ。しかしピアノを窓のところにでも置けば、、、

 

BD:常に湿度も温度も変動する?

 

FM:あー、どれくらい変わってしまうか、信じられないでしょうね。普通の状態だと、ピアノは少なくとも年に2、3回は調律するべきなんです。そして普通にピアノを使うなら、まあ1日2、3時間弾くなら、4、5年に一度は調整(整調*)されなければならない。調律のエキスパートが1日かけてやる仕事になります。

 

*調律は音の高さ(ピッチ)を基準に合わせることで、整調は鍵盤の深さを整えるなど、主としてタッチに関わる調整をする。

 

BD:しかし普通そうはしませんよね。

 

FM:しないですね、残念ながら。

 

BD:コンサート・ピアニストは自宅のピアノをそうするでしょうけど、コンサート用のピアノも、すべて?

 

FM:そう、そうです。

 

BD:自宅に素晴らしいピアノを持つピアニストで、ツアーには持っていかない人について、どうですか。ピアニストにとって、よそのピアノを弾くのは難しいんでしょうか、、、

 

FM:ああ、それはそうです、確かに、確かに、自宅とは違うピアノに合わせなければならないですからね。

 

BD:あなたのような調律師が、ホールのピアノを彼らの家のピアノのように調整してあげることは可能でしょうか。

 

FM:あー、それはできますよ! かなり手助けすることは可能です。自分のやっていることがわかっていれば、限られた時間の中でも、ピアノにできることがあるのを自分でも驚いています。びっくりすることだし、とても重要なことです。このことを調律師たちにはいつも言っています。ピアノと対面したら、それを査定して、何が必要とされているか、どんな状態にあるかを見なさいとね。そして時間の許すかぎり、それが3時間であれ8時間であれ、手をつくす。そして一番重要な問題が出てきます。この8時間で、自分は何を成し遂げただろうか。もし3時間しかなかった場合、それでもかなりのことができますが、そこまで重要じゃないことは省かねばならない。重要度として二次的なことですね。多くの調律師がこのことを真に学んでないのには驚きますよ。限られた時間内では、できることを最大限にやらねばならない。行った先の地元のピアノを使うピアニストとツアーしたことがあります。たとえばかなり前ですが、スヴャトスラフ・リヒテルとかエミール・ギレリスとかね。彼らは地元のピアノを使います。その地元のピアノを使う場合、たくさんの調整がいります。最高のスタインウェイは、調律をする人の腕にかかっています。これは真実なんです。ときにわたしは、夕飯抜きで、残り数分まで調整しています。通常はピアノを調律して、おいしい夕食をいただき、ホールに戻るのが楽しみなんですけどね。

 

BD:コンサートが終わるまでいるんでしょうか?

 

FM:あー、います、それは。調律した自分の楽器を置いていくことはできませんよ。

 

BD:「あなたの」楽器なんですね?

 

FM:そうです、その通り、確かにね! わたしが責任者ですから。ホロヴィッツとツアーしているときは、このピアノの世話をできるのは、唯一わたしですから。1ヶ月おきかそれくらいに会ってますよ。ボストンにいたときは、ボストンでこのピアノに会ったし、2、3週間前は、インディアナポリスで会いました。そして今はシカゴにいて、昨夜はこのピアノと何時間か過ごしました。インディアナポリスでは、まる1日ピアノと過ごしましたね。とはいえ、もちろん他の人も触りますけど、それは構いません。

 

BD:他の人が触るんですか?

 

FM:ええ、でもピアノの中ではなくて、整調をするわけではないです。ただの調律です。わたしは良い状態を保ちたい、それはわたしの義務です。ホロヴィッツの好むようにピアノを調整するのが、わたしの目的です。

 

BD:どうしてです?

 

FM:「ホロヴィッツのピアノ」とされているもので、そのようになっていなくてはならないからです。

 

BD:では誰かがそれに触れば、ホロヴィッツが感じたものがわかる?

 

FM:ホロヴィッツが感じたとおりのことがね。

 

BD:新進の、あるいは熟練したピアニストにとっても、ホロヴィッツが感じたものを感じて、それを自分の演奏に取り入れることは重要なんでしょうか。

 

FM:いえ、いえ、そうじゃないです。そうするのはよくない。それをやろうとした人を知ってます。うまくはいきません。

 

BD:ホロヴィッツのレコードを聴いて、それを真似た方がいい?

 

FM:いえ、それも無理でしょう。人は誰も、自分自身でいなければ。

調律師はどのように音を聞いているかが大事

BD:素晴らしいピアノは何によって生まれるのでしょう。

 

FM:さっきも言ったように、ピアノは一つ一つ違います。調律師であるわたしは、自分がどう感じるかを重視してます。新しいピアノがわたしの元に来たら、たとえばコンサートグランドですね、長年この楽器とともに歩んできたことによって、わたしはその楽器の可能性がすぐにわかります。「これは大編成のオーケストラと競演できる、ラフマニノフが弾けるピアノだな」というようにね。

 

BD:リサイタル用の小さめのピアノではなく?

 

FM:そうです、そういうことです。それはすぐにわかります。またそれとは違うピアノ、もっと小さな編成の室内楽に向いた、愛らしいピアノがあります。もしこのようなピアノ、あまり大きくはないもの、大きなオーケストラ用じゃない楽器に、大きな音を出させようとすれば、なんとも酷い音になってしまいます。ピアノによっては無理なんです。違う場面であれば、とても楽しみがあるピアノなのに。多くの場合、ピアノはすぐに舞台にフィットはしません。できたばかりのピアノが、すぐに手に負えることはめったにないです。わたしたちはこう言うでしょうか?「あー、このピアノはすぐに舞台でつかえる!」 いいえ、そんな風にはなりません。ピアノは成熟しなければなりません。使いこなされる必要があります。そのピアノはいったん脇に置きます。わたしは運に恵まれていましてね。わたしの所属するスタインウェイのコンサート部門では、音楽家が夕方やってきて、手慣らしをします。わたしは隅に置いておいたピアノを彼らに弾かせるんです。そして2、3ヶ月たつと、それを持ち出して、調整して、こう言います。「準備OK」あるいは「まだだな」と言ってまた隅に戻します。

 

BD:ピアノに何が起きるんでしょうか? 生きものじゃないでしょ、木とスチールでできているのに!

 

FM:わたしにもわかりませんね。確かに木ですが、何というかよくわかりませんけど、ピアノ内部の部品が混ざりあうんでしょうね。ピアノが成長していくのにはびっくりします。2、3週間前のことですが、コロンビアのボゴタの人から、ボゴタの劇場に寄付があって、劇場用のコンサートグランドを選んでもらえるか、と聞かれました。そのピアノは初めてのコンサートで使われることになっていて、それは7月の何日ということでした。それでわたしはとても神経をつかいました。スタインウェイ社には12台の新しいコンサートグランドがあって、そこから選ぶわけです。わたしはほぼ準備ができていると思った1台を見つけました。そして2、3日、そのピアノの調整をしました。

 

BD:コロンビアの気温や湿度を考えたのでしょうか。

 

FM:ええ、もちろんです。その通りです! わたしは向こうがどのような状態か、質問を送りました。驚いたことに、寒冷な地域でしたが、湿度はありました。それを踏まえてわたしはピアノを選びました。そのピアノを調整して、それからスタインウェイ・ホールで政府要人たちの前でコンサートをしました。外交官などで、みんな第一級の音楽家をともなってやって来ました。そのピアノで小さなコンサートをしたわけです。そして今、そのピアノはコロンビアのボゴタに向かっています。

 

BD:そのピアノをあなたは再び見ることがあるんでしょうか。

 

FM:ええ、行きます。契約の一部ですから。最初のコンサートのために、向こうに行って調整をすると約束しました。1週間後にはボゴタにいるでしょう。

 

BD:向こうであなたは、何人かの人に調律を教えたりするんでしょうか。

 

FM:はい。彼らはもしわたしが構わなければ、向こうの第一級の調律師たちがわたしの仕事を見て、さらには彼らに教えることができないか、と頼んできました。ぜひともやりたいですね! わたしは自分のやることに秘密をつくったりしません。自分の学んだこと、経験したことを他の人と分け合うことに幸せを感じるんです。

 

BD:でもそこにはあなたのありあまる知識と耳と嗜好があるでしょ。

 

FM:そうです、確かに。

 

BD:それは伝えられないですよね!

 

FM:ええ、わかるようになるには時間がかかります。わたしは自分のところの調律師全員に教えてきました。ニューヨークのスタインウェイにはいま、7人の調律師がいます。そしてこれからたくさんのコンサートが予定されています。さっき話したように、30年前はたった2人でやっていたのが、いまは7人です。それだけじゃないんですよ、ブルース、シーズン中は金曜から日曜の夜にかけて、35回以上のコンサートをニューヨーク周辺で請け負うこともありますからね。

 

BD:7人でそれを担当する?

 

FM:そうです。みんな昼も夜も、あっちのホールこっちのホールと走りまわるんです。

 

BD:「あっちにフィガロ、こっちにフィガロ、上にもフィガロ、下にもフィガロ*」ですね。

 

*イタリア語からの英語訳「Figaro Here, Figaro There,  Figaro up, Figaro down」は、ロッシーニの『セビリアの理髪師』の中でフィガロ役によって歌われる大アリアの有名な一節。自分の重要性を示すため、あっちでもこっちでも需要があると言っている。そのセリフをここで引用している。

 

FM:その通り。でも私自身はもうやってません。今はあちこち走りまわることはないです。

 

BD:では他の人を走りまわらせてる?

 

FM:ええ、他の人が走りまわります。わたしがやってたのは何年も前のことです。

 

BD:ピアノ調律師になりたい人に、どんなアドバイスをしますか?

 

FM:アドバイスはしょっちゅうしてますよ。その人間がどのように音を聞いているかチェックします。それが最も大事なことだからです。もしその人がピアノ調律師になれる聴力をもっていれば、数分のうちにわかります。また手も器用でないとね。スタインウェイは素晴らしい学校をいくつかもってまして、いつもそこで教えてるんです。工場にも学ぶコースがあって、調律師がやって来ます。それに加えてコンサート・セミナーがあって、そこではコンサート用の仕事をすでにしている人が来て、わたし、もしくはわたしの仲間と1週間過ごします。

 

BD:調律師になりたいと思ってから、実際に仕事を始められるまでに、どれくらいかかるんでしょうか。

 

FM:しばらくかかります。進歩の早い人もいます。進歩の遅い人がよくないと言っているわけではありません。とても早く習熟する人より、うまくなる人もいますから。

 

BD:それは数ヶ月のことなのか、数年のことなのか。

 

FM:コンサート用ピアノの調律師になるには、年単位でかかります。

 

BD:学校の練習室のピアノの仕事なら、どれくらいでしょう。

 

FM:ちゃんとした仕事をするために? そう、数ヶ月かな、いい耳を持っていれば。それがあれば調律はできます。

 

BD:調律師は充分な数いるんでしょうか。

 

FM:(笑)充分に優れた調律師はあまりいないです。これが問題です。遠慮なく言うことはできませんが、胸が痛くなることがありますよ。2、3年前にある街に滞在したとき、(スタインウェイ所属ではない)調律師が、コンサートピアノの調律をしていました。それでわたしがピアノの査定を頼まれました。そこはアメリカでも音楽的に重要な場所の一つでした。で、わたしはそこに出かけていって、ピアノを見ました。ハンブルグ製のスタインウェイとアメリカ製のスタインウェイがそれぞれ何台かずつありました。数分間、わたしはピアノを見てこう言いました。「いまの調律師でつづけてください。いい仕事をしています」とね。それが2年前のことです。同じ街に2、3週間前に行きました。アメリカでも重要なオーケストラがいる、重要な街です。信じられませんでしたよ。調整はよくなかった。で、尋ねました。「何が起きたんです?」「あー、あの人がいなくなったんです」 わかるでしょう、ピアノの価値は、調律師の腕と同等なんです。胸の痛むことです。そこには素晴らしい音を出せるピアノはあったけれど、状態がよくなかった。調律もです。かなり狂ってました、一つ一つの音でさえね。わたしは聞きました。「いつ調律しました?」 するとその人はこう答えました。「調律したところです。昨夜、コンサートがあったんです」 そんなに早く調律が狂うことはありません。われわれ調律師は、ピアノがめいっぱい叩かれても、コンサートのあと、コンサートの前と同じように、音が保たれているように調律するんです。

 

BD:なるほど。コーダ(終結部)はプレリュード(前奏曲)と同じくらいの音がしなければいけない。

 

FM:そういうことです! それで初めてコンサート調律師と言えます。こういうことはツアーの間に何度も見たことがあります。ほんの数ヶ月前、ブラジルのサンパウロにいました。わたしはロシアのピアニスト、ラザール・ベルマンにコンサート会場で会いました。わたしたちは仲がいいんです。何度も彼のために調律をしてきました。彼はわたしがそこにいることが信じられないようでした。でもわたしは役たたずの友でした。彼はプログラムの演奏をはじめました。ピアノはちゃんと調律されていましたが、だんだん狂ってきたんです。休憩があって、わたしは居ても立っても居られなくなりました。この調律をした人は、ちゃんとした調律師じゃなかったんです。ピアノは演奏会の間、いい状態が保たれなくてはいけません。あとで彼に会うと、こう言ってました。「フランツ、ピアノに何が起きたのかわからないんだ。弾きはじめたときはよかったんだけど、終わったときは狂いまくってた」

Photo by pelcinary(CC BY-NC-ND 2.0)

わたしはバイオリン奏者でした

BD:あなたはスタインウェイのみの仕事をされています。ボールドウィンやベーゼンドルファー、ベヒシュタインなども調律できるのでしょうか。

 

FM:ああ、できすますよ! できますとも。ピアノは違っても同じ手順ですから。個人的にはスタインウェイに愛情をもっています。

 

BD:スタインウェイの何に惹かれるのでしょう。

 

FM:あー、それはスタインウェイのようなピアノは他にないからです。わたしにとって、スタインウェイは人間が生み出したピアノの最高峰ですね。イバッハというドイツの古くからある素晴らしいピアノ製造会社でわたしは調律を学びました。ピアノの構造のあらゆる面を学び、ツアーに同行する調律師になりました。それ以上のことは学べないというくらい学びました。そしてわたしはコンサート調律師の仕事を求め、それを得ることができました。もう40年も前のことですが。コンサートのマネージメント会社はわたしを演奏会の調律師として雇いました。どこへ行っても、会場のピアノはスタインウェイなんです。それでスタインウェイのピアノで仕事を始めたわけですが、すぐにこの並外れたピアノに夢中になりました。

 

BD:しかし何がそんなにあなたを惹きつけたのでしょうか。音、感覚?

 

FM:音であり、感覚であり、パワーです。こんなピアノは他にありません。

 

BD:あなたはピアニストに最初なろうとしたんですか?

 

FM:わたしは音楽家としてスタートしました、この業界の多くの人と同じようにね。優れたピアニストが調律師になってますけれど、わたしはバイオリン奏者でした。音楽の勉強はもちろんしました。

 

BD:よい調律師になるために、いいピアニストであることが求められるのでしょうか。

 

FM:もし演奏ができるのなら、そして音楽分野の出身であれば、非常に助けになります。わたしの場合も、音楽教育を受けたことがとても助けになりました。音楽を学び、バイオリンを学びました。通常バイオリン奏者はよい耳をもっています。自分の聴力をつかう必要があるからです。聴音能力が高ければ、調律師は調律を自分のものにできます。

 

BD:調律師が、あるいはピアノの調律をしようとしている人が、小さな電子チューナー(チューニング・メーター)を使っているのを見て、困惑するのでしょうか。

 

FM:(やや興奮気味に)ああ、それはそうですよ! 非常に頭にきますね、たくさんの人が使っていますけれど。道具自体に悪いところはありません。機械は完璧ですが、それが調律の際に告げることは、まったく別の話です。自分の聴力(鍵盤のタッチ、調律用ハンマーの締め具合と出ている音との関係)を使って、調律ピンを調律用ハンマーで調整することなしに、ピアノの調律はできません。

 

BD:どうしてでしょう。

 

FM:それはピッチが正しいかどうかについてのみ、チューニング・メーターは言ってくるからです。それでよしとして、調律用ハンマーを調律ピン*から取りはずし、次の調律ピンに行きます。しかしちゃんと設定していないので、合ってはいません。チューニング・メーターを見ることで視力は向上するかもしれないけれど、聴力は向上しません。目に頼ってしまい、耳を使っていないからです。調律の耳をもっているかチェックするときは、ユニゾン*のチューニングをやらせます。オクターブを聞いているか、一方の弦が外れているときユニゾンにできるか見るためです。それですぐにわかります。

 

*調律ピン:弦をピアノ本体に張るために刺してあるピン。調律ピンを調整することで、音程を合わせる。

*ユニゾン:同じ音高で、1本の弦に対して、他の弦の音程を合わせること。

 

BD:でもあなたは平均律で聞いていたわけでしょう。完全音程では聞けないはずです。

 

FM:どんな音程も、5度や4度だけでなく、純粋には合いません。それは不可能です。加減が必要です。だから平均律と呼ぶわけです。すべての調の音階で合う必要がある、五度圏*を通してね。調律師は歴史上の音律について知っています。知識をもつのは非常に良いことですが、今の時代のピアノには合いません。

​*五度圏:12の長調あるいは短調の主音を完全五度上昇あるいは下降する様に並べて閉じた環にしたもの。(Wikipedia

 

BD:もしコンサートが『ゴルトベルク変奏曲』のみだったら(シェーンベルクやウェーベルンなどの現代曲ではなくて)調律の仕方は変わりますか。

 

FM:いいえ、変えないでしょうし、これまで違う音律で調律することを依頼されたことはないです。まったく、ないですよ!

 

BD:レコーディングのときは、調律は変わるのでしょうか。

 

FM:いいえ、でもそこにいて、わたしの耳には、そこにすわっていて、少し外れているように聞こえることはあります。ヴォイシング*において音が少しやかましいといった。

 

*ヴォイシング:整音。個々の音色の不揃いや全体の音色を整える作業。弦を打つハンマーの硬さなどを調整する。

 

BD:で、あなたはテイクの合間に行って、手を加える?

 

FM:えー、そうですね、テイクの間に直します、はい。わたしはいつも聞いています。ときに演奏家がわたしに「フランツ、これで大丈夫かな?」と聞いてきます。

 

BD:ホールで聴くのか、それともコントロール・ルームで聴くのか。

 

FM:コントロール・ルームです。レコーディングの中身はそれですから。

 

BD:ではホールでどんな音がしているかは、コントロール・ルームでスピーカー越しにいい音であれば、問題にはならない。

 

FM:その通り。あー、そうそう、ミラノで問題が起きたことがあります。ホロヴィッツがジュリアーニ指揮のスカラ座のオーケストラでモーツァルトを弾いたときのことです。問題になるのはいつも、Gシャープの音でした。ホロヴィッツはプロデューサーのトム・フロストとやりあっていました。ホロヴィッツはこう言いました。「フランツ、この音が充分じゃないな。もっと大きくして、もっと大きく」 トムはいいでしょうと言い、わたしは舞台に出ていきました(オーケストラのそばにすわってることもあったくらいです)。そして音を少し大きくするよう調整をしました。しかしそれでも充分な音量ではなかった。するとトム・フロストが「わたしの耳には突き刺さるような音だ。フランツ、これ以上は無理だ。少し音を下げて」 それでわたしは音量を下げに行きました。ところがホロヴィッツにとっては、それでは充分ではない。それが何日か続きました。わたしはこう言いました。「トム、あなたがホロヴィッツに言ってくださいよ。あなたはプロデューサーですから。仲立ちばかりやってられません!」(両者、笑い)

 

BD:あなたは65歳になりますね、、、

 

FM:そうです、65歳です! 公式には10月1日で引退しますが、スタインウェイにはPRの仕事やいくつかの重要なコンサートの調律をすると約束しています。それとレコーディングの手助けや教えることですね。

 

BD:あなたは自分の人生を非常に楽しんできたように見えます。

 

FM:あー、そうですね、とても楽しんできましたよ。それははっきり言えます。わたしはバイオリン奏者にとてもなりたかったし、二つの場所で学びもしました。

 

BD:ソロの演奏者、それともオーケストラの団員?

 

FM:ソリストです。でもわたしは左の手首に大きな問題を抱えていました。しばらく休んで治療をし、その結果、結論に至ったのです。23、24歳にもなって、弦楽四重奏団で演奏したのちに、あきらめなければならくなった。新聞で、イバッハの工場で見習いを探しているという広告を見ました。それで音楽と関係する仕事が、他にもあると思ったのです。それでそこに行き、その仕事を愛するようになりました。自分の手をつかい、自分の力で登りつめました。さっきも言ったように、わたしはとても幸せですよ。

 

BD:長い間、素晴らしい音楽家のために手助けをしていただいて、ありがとうございます。

 

FM:もう一つ、ホロヴィッツのエピソードを言わせてください。わたしたちはロチェスターにいました(音楽の街というわけでもない場所でのことです)。コンサートの直前、ホロヴィッツは非常に神経質になっていました。わたしは舞台の袖で彼の手を握るはめになりました。彼の手はとても冷たくなっていて、こう言うのです。「あなたの暖かい手はありがたい。手を包んでくれ」 そして舞台の上のポツンと置かれたピアノに向かって歩いていく直前に、わたしを見てこう言ったのです。「フランツ、あそこは世界で一番、孤独な場所だよ」 わたしはこう返しました。「あー、ありがたいことだ、神様、一介のピアノ調律師でよかった! あそこで仕事をしなくていいんだから!」

 

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