Bruce Duffie インタビューシリーズ(3)

音楽家と音楽業界を後押ししたスペシャリストたち

This project is created by courtesy of Bruce Duffle.

Music Publisher

Hans Heinsheimer

ハンス・ハインスハイマー

20世紀の音楽出版に多大な影響を与えた出版者。ウィーンのユニヴァーサル・エディションのライセンス部門(舞台作品)に勤務し、のちにオペラ部門のトップとなった。クルト・ヴァイルの『三文オペラ』、アルバン・ベルクの『ヴォツェック』の初演に携わる。アメリカに亡命後は、ブージー&ホークスでバルトーク、コープランド、ブリテンなどのプロモートをして活躍。1977年に音楽業界を引退、その後は音楽評論やドイツの音楽百科事典への寄稿に力を注いだ。(1900~1993年)詳細

インタビュー 1986年4月14日、電話にて

(書き起こし:2011年、ブルース・ダフィー)

 

スポーツにたとえて言えば、指揮者はヘッドコーチ、あるいはフィールドマネージャーのようなものです。指揮者はオーケストラやソリストを、コーチが練習でするように、リハーサルで訓練します。今日のスター指揮者は、世界中で引っ張りだこですが、コーチングスタッフはチーム内にとどまります(チームが負け続けない限りは)。しかし本部に行けば、ジェネラルマネージャーは通常目につきませんし、表に出てくることもありません。リーグ本部の最上部の人々は、ことがうまく進んでいる間は、背後に控えています。

 

ハンス・ハインスハイマーは、ほとんど人に知られない表に出てこないプロフェッショナルですが、その人なしには全体のシステムが崩壊してしまう、といった部類の人間です。出版界で、ハインスハイマーがトップに居続けられた理由は、世に出すべき作品を見つける才覚でした。何がうまくいき、何がそうでないかを見分ける鋭い嗅覚が、20世紀中期における楽曲選択に大いに貢献しました。彼の選んだ作品は重要なものになりましたし、新たな世紀を迎えた今も、その多くが演奏されています。

 

インタビュー時、出版ビジネスを退いてからすでに数年経ってはいましたが、彼から話を聞くことには大きな意味があり、電話によるインタビューが、1986年4月に組まれました。わたしは彼の記憶やクラシック音楽界についての洞察を、彼の生涯にわたる仕事や所見をつうじて引き出すことができました。

 

常に最高のものだけを受け入れる人であるハンスハイマーは、しばらく会話をしたのちに、わたしが彼の答えに満足しているか、と聞いてきました。もちろんですよ、とわたしは請け合いました。特別な視点を持つ人と話をすることは、最高の啓発になるんです、と。通常のインタビューのゲストは、作曲家だったり演奏家だったりするわけですから、その意味で彼は特別でした。わたしはまたこうも伝えました。彼のものの見方をラジオや雑誌で、多くの人に伝えられるのを楽しみにしている、とも。ハンスハイマーはとても喜んでいるように見えました。

 

ブルース・ダフィー(以下BD):わたしはあなたと出版ビジネスについて、音楽について、書くことについて、その他いろいろなことについて話をしたいと思ってまして。

 

ハンス・ハインスハイマー(以下HH):そうですか、あなたが聞くことに、できるだけお答えしましょう。

 

BD:わかりました、とても嬉しいです。あなたは何年にもわたって、ユニヴァーサル・エディション*のオペラ部門の政策決定者でしたね、合ってますか?

*ユニヴァーサル・エディション:1901年ウィーンで創業された音楽出版社。リヒャルト・シュトラウスに始まり、現代音楽の作品を積極的に出版し、バルトーク、マーラー、シェーンベルク、ウェーベルン、ベリオ、ブーレーズ、クルターグ、シュトックハウゼンといった20世紀の重要な作曲家の作品の出版を多く手がけた。

 

HH:そうです。わたしはあそこのオペラ部門の部門長でした。また当時、わたしの指揮下で、重要なオペラのすべてを受け持っていました。かなりの数でしたね、アルバン・ベルクの『ヴォツェック』、ヤロミール・ヴァインベルゲルの『バグパイプ吹きシュヴァンダ』、これは大きな成功でしたね。エルンスト・クルシェネクによる『ジョニーは演奏する』、それからクルト・ヴァイルの『三文オペラ』『マハゴニー市の興亡』ね。それ以外にもいろいろあったね。

 

BD:ええと、お聞きしたいのはこういうことなんですが。どのオペラを出版してどれをしないか、どうやって決めていたんでしょう。

 

HH:五感あるいは六感がいりますね。嗅覚が教えてくれます。決定についての実用的な方法というのはないのでね。作曲家が演奏してくれて、曲を聞くこともあるでしょう。たとえばクルト・ワイルね、彼がウィーンにやって来たときはすでに名の知れた音楽家だったけど、私たちのために新しいオペラの一つを演奏してくれたね。わたしはすぐに、その場でこれはよくないと言ったけど。

 

BD:本当ですか???

 

HH:彼にそう言ったんだ。残酷だったね。いつもわたしはズケズケと本心を言ってきた。最初彼はがっかりしてたし、当然だね、でも私たちのアドバイスを聞いて、そのオペラを出版することはやめたんだ。だから知られていない。別のケースとして、ヤロミール・ヴァインベルゲルの『バグパイプ吹きシュヴァンダ』のことを話そうか。プラハの翻訳者マックス・ブロートから呼び出されて、彼のところに行って曲を聞いてくれと言われた。わたしは聞いてすぐにこう言ったよ。「これはヒットするぞ!」ってね。それがわかったんだ、当時の大ヒット作になったよ。これは持って生まれたものだね。学んで得られるものじゃない。人に伝えることができないものなんだ。それを持っているか、持っていないか、いずれかだね。

 

BD:あなたの判断に反して、作品が成功を見たり見なかったりしたとき、驚くんでしょうか。

 

HH:ああ、そうだね! いくつかの失敗や敗北はあるよ。リリエンという名の、名の知られていない作曲家によるオペラがあって、大きな期待をもって受け入れたことがあった。それが大失敗だった。そういう事態にも備えておかなくちゃね。

 

BD:それを失敗作にしたのは、耳を貸さなかった聴衆だったんでしょうか?

 

HH:いや。わたしは聴衆に対してそこまで注意は払わない。劇場のディレクターが受け入れなかったんだ。それで進行しなかった。

 

BD:ではディレクターたちがチャンスを与えなかったと。

 

HH:そのとおり。彼らはそれが素晴らしい作品だとは思わなかった。私たちものちにそれを認めた。

 

BD:劇場のディレクターの評価は正しくて、彼らが聴衆の意見をつくるんでしょうか。

 

HH:(しばらく考えてから、迷いつつ答える) そうね、プロデューサーは気にいるか、気に入らないか決める必要がある。もし彼らがいいと思えば、それを受け入れる。そうじゃなければ受け入れない。彼らが聴衆の意見をつくるかどうかについては言えないね。プロデューサーは通常、経験豊かな人々で、正しい道を取るはずだと思うよ。

 

BD:オペラはひとたび人気が出て、その後、廃れたように見えます。聴衆の趣味に合っていたけれど、その後合わなくなった。聴衆は正しいですか?

 

HH:聴衆はいつも正しいよ。いつも正しい。それは彼らを馬鹿にすることはできないからね。あるものは何年間か、素晴らしい成功をみて、あなたの言うように、その後、流行遅れになって消え去る。ただ10年、20年経ってから、また戻ってくることもある。アレクサンダー・ツェムリンスキーという名の作曲家がいた。彼の生きていた時代には成功しなかったけど、いつかそうなると彼自身は信じていたんだ。1942年に死んだんだけど、今、彼の作品は演奏されているよ。

 

BD:でも多くの若い作曲家はこう言っているように見えますけど。「今成功しなくても、死んだあとに成功すると思う」とね。

 

HH:多くの人は、そういう期待や希望は捨てた方がいいだろうね。(両者、笑) 才能のない人間にとって救いなんだろうけど、そんな期待はすべきじゃない。

 

BD:では若い作曲家の人たちにどんなアドバイスをします?

 

HH:作曲をすること! 作曲をして、それが演奏されるよう努力すること。指揮者と知り合うべきだし、プロデューサーや出版者と知り合うべきだね。そうしたらうまくいくか、いかないかがわかる。多くの才能ある人間は成功している。ある時点までは、大きな成功にはならないけれど、今は昔よりずっと可能性がある。ラジオがあるし、テレビもある。アメリカだけでも、60とか80の新たな作品をオペラ団体が目にしている。ニューヨーク・フィルハーモニックは今、『Horizons』と題したコンサートシリーズを準備している。現代曲だけのコンサートが五つもあるんだ! チャンスが巡ってきている。

 

BD:現代音楽だけのコンサートがあることはいいことでしょうか?

 

HH:とてもいいことだね、聴衆は、特にニューヨークでは、経験があるから。一般社会では、現代曲の多くは歓迎されていないけど、クラシックのコンサートには行かないという聴衆もたくさんいるんだ。彼らはベートーヴェンの第五を50回も聞きたくはない。新しい音楽に興味があるんだ。フィルハーモニックはこのようなコンサートをやって、すでに3年目でね、素晴らしい成功を納めているよ。もちろん助成金は必要だけどね。それを助けるスポンサーがいくつかある。ピエール・ブーレーズさんをパリから迎えたところだよ。

 

BD:わたしは彼がシカゴに来たとき、素晴らしいインタビューのときを持ちました。

 

HH:うん、彼は一般大衆のための音楽家ではないけど、支持者はたくさんいるね。ニューヨークでいくつかのイベントがあったんだけど、すごく成功したよ。

 

BD:『Horizons』のコンサートと、彼の『Rug Concerts』はどう違うんでしょう。

 

HH:まったく違いますよ。彼のコンサートの方は新しい音楽だけやるんじゃない。彼らのプログラムでは、聴衆はラグの上に座るんだ。椅子が用意されてない(取り外されている)。すごく寛いで、とても親しみあるやり方で、あらゆる音楽を、古いものも新しいものもね、やったわけだ。『Horizons』とはコンセプトが違うね。

 

BD:少し前にわたしたちは現代音楽のコンサートについて話していました。スタンダードな作品と新しい作品を両方やるコンサートより、そっちの方がいいでしょうか。

 

HH:そちらがいいとは言わない。通常のコンサートの登録者というのは、現代ものを聞きに行こうとしないので、こういうものも時に必要になると言っているわけだ。ブーレーズがこちらに来ていて、自作の『マラルメによる即興曲』を演奏したとき、わたしはコンサート会場にいたんだけどね。この曲は三つのパートからできていて、一つ終わると、聴衆の一部が出て行く。それを止めることはできない。そういうものだね。

 

BD:現代音楽で聴衆を楽しませる方法、あるいは受け入れられやすくする方法はあるんでしょうか。

 

HH:うん、もちろんあるよ! こういったものをときどきやる必要があるのは確かだね。バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督だったとき、ちょっとしたスピーチを聴衆にしたんだ。すぐにきれいだとか、ロマンチックだと思えるような音楽を期待しないで、とね。1970年のことだった。音楽はいまや以前とは違うことを表現している。そこから何か感じ取るには、何回も聞いたり見たりしないといけない。あるところまで聴衆を教育することは可能だけど、定期会員の多くはそういうものは聞きたくないっていうわけだ。オペラも同じ状態だね。たとえばシカゴで1978年に、クシシュトフ・ペンデレツキの『失楽園』があったね。聴衆が集まらなかった。

 

BD:そうです。いい作品だと思ったんですけどね。わたしは3回行きましたよ。

 

HH:ああ、もちろん、わたしもいたよ。

 

BD:聴衆が新作に対して、いつも名作を期待するのはまちがってますか?

 

HH:その通りだね。もしそうであれば、こんなナンセンスなことはないよ。過去のことを考えたって、モーツァルトの交響曲、ベートーヴェンの交響曲があるのと同時に、何百曲もの駄作があったわけで。少なくともその他の作曲家による、さほど重要ではない作品はあったんだからね。名作というのはほんの少し、わずかしかないんだ。たまにしか現れない。バルトークの『管弦楽のための協奏曲』はあなたも何度も聞かれたと思うけど、あれは名作と呼んでいいものの一つだね。

 

BD:その通りです。

 

HH:ライナー*が指揮したね、いろんな人がやってたけど、あれほどの名作がどれくらいあるだろうね。10曲やそこらは数えられるかもしれないけど、それ以上ではない。

*フリッツ・ライナー:1888年~1963年)は、ハンガリー出身の指揮者。シカゴ交響楽団音楽監督。

 

BD:では聴衆は名作じゃないものにどれだけ耐えなきゃならないでしょうか。

 

HH:聴衆はそれを聴いてこう言う、「これはそれほどの曲じゃないね」と。でもとりあえず聴くわけだ。名作というのは、あるいは重要な作品は、聴衆がどう思おうと、最終的に評価を受けるはずだ。バルトークの『管弦楽のための協奏曲』はあらゆる人から受け入れられた古典的な作品だね、プロコフィエフの『交響曲第1番』やリヒャルト・シュトラウスの作品同様ね。こういう作品は名作だ、そしてそれ以外は名作ではない。聴衆は名作ばかり求めてはいけないってことと、聴衆はそれが名作かそうでないか、判断することはできないと思う。

 

BD:いま書かれている名作というのはあるんでしょうか。

 

HH:(しばし考えて)『ニューヨーカー』の著名な批評家のアンドリュー・ポーターは、ブーレーズの『レポン』のことを話していて、あれを名作と言っていた。まあこれは彼の意見だけどね。わたし自身は何とも言えないね。あの曲を聞いたことがないけど、多くの人がそうは思わないようだ。何が名作でレパートリーとして残るかというのは、時間の経過が証明するんだろうね。これはとても重要なことで、一度や二度演奏されることに大きな意味はない。レパートリーとして残らなくては、そしてさらに発展していくか、そうでないかだね。

 

***

 

BD:一般的な音楽、中でもオペラは芸術なのか、エンターテイメントなのか、どう思われます?

 

HH:どちらも、と言いたいよ。どうして芸術がエンターテインメントにならないだろうか? 『フィガロの結婚』は愉快な台本で、同時に過去に書かれた中でも最高の作品の一つだね。ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』はエンターテインメントだ。あれは悲劇じゃないし、素晴らしい作品だよ。エンターテインメントと芸術になんの違いもないと思うね。わたしの考えでは、素晴らしい芸術は楽しませるものがある。もちろん質のいいミュージカルも、芸術でありエンターテインメントだ。芸術かエンターテインメントかといった疑問があるとは思えないよ。両方あるべきなんだ。

 

BD:ではバランスはどこにあるんでしょう。

 

HH:いくつかのエンターテインメント作品は、おそらくそこまで芸術とは言えないかもしれないけど、それを判断するのは難しいね、とても難しいと思うよ。

 

BD:そうですね。あなたはオペラ制作の最近の傾向を見てきたと思います。オペラにおいて、プロデューサーが優位に立っていることを喜んでいますか。

 

HH:重要だと思いますよ。たとえば、パトリス・シェローのプロデュースによるバイロイトでのワーグナーの『ニーベルングの指環』を例にとるなら、あれはみんなを困惑させたでしょ。テレビでしか見てないけれど、その場にいなかったんでね、素晴らしいパフォーマンスだったと思うね。彼は、時間経過とともに退屈なものになっていく作品に、新たな意味を、新たな生命を与えようとしてるわけだ。もし5回、6回、あるいは8回とあの『ニーベルングの指環』を聞いて、そこで何も起きなかったとしたら、聴く価値のないものになってしまう。でももちろん、あなたの言ってる意味はわかりますよ。多くの場合、やり過ぎて、滑稽なものになってしまっているから。でもプロデューサーの中には、シェローとか、ジャン=ピエール・ポネルとかベルリンのゲッツ・フリードリヒのようなね、彼は素晴らしいプロデューサーだね、彼らはこういった作品で非常に面白い試みをしているでしょ。

 

BD:やり過ぎはないんですか?

 

HH:いくつかは行くところまで行ったね。

 

BD:ではどこからが行き過ぎなんでしょう、境界線はどこに?

 

HH:それはセンスの問題だね。それ以上行くか行かないか、決めなければならない。才気あふれるとは言えない人たちがいる。その人たちはふざけまわった挙句、よく理解もしないまま、それをやるだけのセンスもなく、何かやろうとするわけだ。ポネルもいくつかヘマをしたけど、素晴らしいものもやっている。

 

BD:プロデューサーの中にはスコアに背いて仕事をしているみたいな人がいますし、またスコア通りやろうとしている人もいます。

 

HH:その通りだね。あなたの言うことは全く正しいね、スコアに背いて仕事する人は、たいてい駄作に終わる。オペラは何にもまして、音楽だからね。

 

BD:あなたはテレビで『ニーベルングの指環』を見ていたときのことを話してました。一般論としてオペラをテレビで見るのは、効果的でしょうか?

 

HH:うまくいくとは思わない、でもオペラが広まるにはとてもいい方法だね。メトロポリタンが「メトからのライブ」放送をやるようになって、何百万人もの人たちが、世界中であそこのオペラを見てるんだからね。これなしには、4000人の人が劇場で見るだけだ。だから理想的ではないけれど、非常にうまく広がってきたと思う。素晴らしいプロデューサーや技術者を得てね、要するに彼らはオペラをどう扱ったらいいかよくわかっている。今更口に出して言うことでもないね。いまもう、ここにあるんだから! すでに起きたことであり、これがなくなることはない! なくなるんじゃなくて、もっともっと盛んになるだろうね。

 

BD:というわけで、あなたはこの広がっていくことを喜んでいるんですね。

 

HH:そうだ、そのとおり。とても重要だ。

 

BD:別の角度から聞きますが、オペラは翻訳でうまくいきますか?

 

HH:ものによるね。いま新しい作品があるんだけれど、それは字幕付きだ。だから翻訳の必要はない、その場で訳が出るからだ。これは驚くべき進歩だね。(このインタビューは1986年のもので、字幕装置は始まったところだった) シカゴでもやってる?

 

BD:やってます、いま実験的にやっていて、去年一つやって。今年は二つか三つ、あるんじゃないでしょうか。

 

HH:たとえばヒューストンでは、すべてのオペラ作品に字幕を付けてる。ニューヨークのシティ・オペラでは、英語のオペラの場合も、字幕を付けてるよ。言葉が理解できないからだ。それはドミニク・アルジェントの新作(「カサノヴァの帰郷」)で、大変な成功だった。私はそれについてドイツの新聞に寄稿したよ。翻訳はある程度までは機能する。ヨーロッパでは、私が育った時代は、すべてがドイツ語の翻訳で上演されていた。オリジナルの言語ということはなかった。それをみんな受け入れていたね。だからもし英語で何かやるとして(「フィガロの結婚」をシティ・オペラが英語でやった)、とてもいいパフォーマンスだったけれど、英語であっても(うまく聞き取れず)理解が難しいことがある。だから字幕は、それを解決するいい手段だと思うね。

 

BD:英語によるオペラの死を意味するんでしょうか。

 

HH:それが死を意味するとは言わないが、かなりそれに近いね。それは問題ではない。私の書いた記事で言ったんだけど、悪いのは翻訳者なんだ、理解できないのは彼らのせいに過ぎない。

 

***

 

BD:批評家の役割はなんでしょう。

 

HH:良い批評家は(今はいい人材がたくさんいるね)、非常によく準備されたものを書く。音楽批評協会は数百人のメンバーがいて、彼らはみんな適任者だ。いい批評家は、聴衆の理解を助けるだろうし、ある程度まで、聴衆は批評家が考えることに従うだろうね。批評家が信用できるなら(多くがそうだろうし、自分が話していることに自覚があるはず)、誰にとってもいいことだね。批評家は、アーティスト、演奏家と聴衆をつなぐ非常に重要な機能だね。ここニューヨークでは、人々はニューヨーク・タイムスを読んで、もしすごく悪いレビューが載れば、行かないだろう。たいてい批評家の見解はあっているしね。

 

BD:でも批評家はそういった影響力を、振りかざすべきなのか。

 

HH:うん、そうすべきじゃないだろうね、でもそうしてるよ。批評家がどうすべきか、答えを出すことはできないね。影響力の強い新聞がある主張をするとき、聴衆はたいていそれに従う、という事実がある。それが悪いことだとは思わない、なぜなら批評家は平均的な聴衆よりも、よく知っている、あるいは知っているべきだからだ。

 

BD:スロニムスキーの「名曲悪口辞典」をご存知ですよね。

 

HH:もちろん知ってますよ。

 

BD:あそこに書かれているようなことが、現在あると思ってるんです。批評家がこき下ろした作品が、最終的に名作となる。

 

HH:まあ、ときにね。あれは軽い本でしょ。スロニムスキーは私の親しい友人だけど、彼はあれをあまり重くは見てないね。ベートヴェンを調べて、バカバカしいことを見つけて、第5交響曲について悪く言うのは、簡単だからね。意味のないこと、実際にね、まったく意味のないことだから。

 

BD:でもいい作品を悪く言ってきたのが、バカな批評家じゃないとわかることもあると思いますけど。

 

HH:そうかもしれないけれど、基本的に私は、ワシントン・ポストのポール・ヒュームみたいな、あるいはシカゴ・デイリーのヘナハンさんとか、私の知る多くの批評家を一定のところまで信用しているよ。彼らは非常に慎重だね、とっても慎重だよ。彼らは自分たちが間違っているはずがないとは言わない、歴史が彼らは正しいと証明するわけだ。

 

BD:大学で作曲は教えられる、あるいは学ぶことができるものなのか、それとも作曲家が元々持っているものなのか。

 

HH:いやいや、違うね、学べるものだよ。もちろん才能というものはある、でも作曲の道具になるものは、学べるはずだ。対位法、和声、作曲に必要なすべてのことは、確実に学ぶことができるし、学ばねばならない。人は「生まれながらの作曲家です」とは言えない。バカげてるね。小さな子どもが「メリーさんの羊」をピアノで弾いてるときに、父親がこの子は天才だ、と言っているのと同じだよ。(両者、笑) なんの意味もない。人は音楽学校なり大学なり、個人の先生のところに行って学ぶはずだ。音楽事典を見れば、誰にも学ばなかった作曲家など一人もいないとわかる。すべての作曲家がだ! ベートーヴェン、モーツァルト、ハイドン、誰もがそうだったし、現在も同じだ。

 

BD:技術とインスピレーションのバランスはどこにあるのか、関心をもってるんです。

 

HH:技術を学べば、インスピレーションはそれによって出てくるし、技術によってそれがコントロールもされる。しかし最低限の技術なしでインスピレーションだけもっても、まったく役に立たないだろうね。今日の作曲家を見てみよう、エリオット・カーターですら、師匠から学んでるよ。ベイカーズ・ディクショナリーを見てみよう。どの作曲家もみんな重要な教師がいた。

 

BD:わたしたちは今、特にレコーディングに関してですが、知られていない作曲家の発掘と、その作品を演奏するプロセスにあるように見えます。これはいいことでしょうか。

 

HH:もちろん! とてもいいことだね、人々は混乱の中にいるからね。時は過ぎていく。バッハは、メンデルスゾーンが彼の『マタイ受難曲』を演奏したことで、再発見されたわけだ。非常にいいことだね。取り上げるだけの価値のないものもあるが、明確に価値のあるものもある。面白いことだね。今ここニューヨークでは、『コサ・ララ』という非常に面白いオペラが2週間後にあるね。この作品は『ドン・ジョバンニ』の中で提示されている。誰もこのオペラのことは知らない。『ドン・ジョバンニ』の中の引用があるから、知られたんだ。それでそれを聞けるわけだ。すべてのチケットは売り切れてる。みんな聞きたいと思ってるからだよ。どれだけいいものか、わたしは知らない。来週行って見るだけだ。これはよく知られていることだ。夕食のとき、舞台の楽団が演奏すると、レポレッロが「ブラヴィ! コサ・ララ!」と叫ぶんだ。ついに、今になって、我々はそれを聞くことになるんだ。とても楽しみにしているんだよ。

 

BD:あまりに期待し過ぎているんでは?

 

HH:いいや、わたしはそれがどういうものかで判断するよ。

 

BD:このような旧作を掘り返しているときに、隠れた名作を発見することになるんでしょうか。

 

HH:あり得ることだけど、わたしは疑うね。「名作」というのはもったいぶった表現だよ。信じないね。

 

BD:レコーディングについてお聞かせください。音楽がレコーディングされるのはいいことでしょうか。

 

HH:もちろんだよ、いいことだね。非常に重要なことだね、音楽を広めるのに最もいい方法だからだよ。人々に音楽の楽しみや演奏を提供するわけで。我々の時代、今日ではレコーディングは必要不可欠なことだね。

 

BD:新しい楽曲をもっと聞かせることができる。

 

HH:もちろんだ、そのとおり。

 

BD:大曲の再レコーディングで、溢れんばかりじゃないですか?

 

HH:そうかもしれないけど、それはレコード業界の問題であって、わたしの問題じゃない。(両者、笑)

 

BD:もし今日の新しい作品がたくさんレコーディングされるとして、それが小さなレーベルであってもですが、録音物が利用できることで、あるいは図書館で見つけられることで、今から100年経って再演奏される可能性が減ってしまうと感じますか?

 

HH:減ることはないだろう。もし録音があれば、助けになるんじゃないかな。誰かがそれを取り上げて、それを演奏し、リリースする。

 

BD:わたしはもし録音物があったなら、たとえば『コサ・ララ』の録音がね、そしてそれが評判になって、今日の聴衆を惹きつけるかどうかと。

 

HH:おそらくそれはないね。きみは正しい。そうはならないだろう。

 

BD:今の出版業界はいかがでしょう。健全ですか?

 

HH:わからないね、本当に。もう長いこと、そこから離れているから。1977年にリタイアしてて、もう直接のコンタクトはないんだ。一つ興味を引くことと言えば、多くの出版社が売られたことかな。20年、30年前にはおそらく30から40の音楽をやる出版社があった。今は12かそこらじゃないかな。みんな合併したり、互いに売り買いしてきた。だから健全かどうかと言えば、そうじゃないと思うけれど、よくはわからない。答えることができないんだ。もう出版業界にいないんだから。

 

BD:出版界にいる人に、何かアドバイスはあります?

 

HH:(少し考えて) 20年くらい前に、出版協会がニューヨークで50周年記念をやったとき、わたしはスピーチを頼まれた。わたしは「あなたたちの好みじゃないですよ」と言った。彼らは「どうであれお願いしたい」と答えた。それでわたしは、私たちが若かった頃(スピーチから50年も前)、今レパートリーになっているような曲をたくさん出版していた、バルトークの『コンチェルト』、ラヴェル編曲による『展覧会の絵』、プロコフィエフやコダーイの作品とね。つまり我々は、レパートリーをつくっていたんだ。わたしはこう言った。「今、あなたたちのカタログを見れば、このような古い楽曲、20世紀のクラシックを除いたら、会社は成り立つかな? 成り立たないでしょう」とね。「一つ言うなら、わたしの息子は気球乗りだということだね。音楽出版の仕事をしていない。それをわたしは喜んでいるんだ。これがあなたたちへのメッセージだね」そう言った。

 

BD:彼らは次の世代のための、さらにその次の世代のための基礎づくりをしていないように聞こえます。

 

HH:そうだろうね。

 

BD:しかし皮肉ですね、今、作曲家が爆発的に増えているんですから。

 

HH:確かにいるね、でも優良なものかな? ある意味爆発だね、あらゆる人が作曲家になれると思ってるんだから。でも本当にそうなのか。もちろん彼らは演奏される。150以上の交響曲をやるオーケストラがアメリカにはあるからね。そこで一度演奏されると、その人間は素晴らしいと言う、演奏されたんだから作曲家だと言う。だけど本当に価値あるものなのか。何度も繰り返し演奏されるだろうか。この爆発現象は、あなたの言うところのね、おそらくとても危険なものだ。あらゆる爆発が危険であるのと同じようにね。

 

BD:ではあまりに多くの作曲家を育てすぎていると。

 

HH:そのとおりだ。

 

BD:では私たちはどうやって、平凡な作曲家から才能豊かな人々を引き抜けばいいんでしょう。

 

HH:我々がやるんじゃない。時間によって淘汰される、あるいは自分で気づくことで、あるいは気づかない場合も、除外されていく。いずれにしてもたくさん演奏されることはないし、楽曲が出版されることもない。途中で挫折するだろうね。するとヴィトルト・ルトスワフスキのような男が現れて、我々は偉大な作曲家を手にするわけだ。コープランドという作曲家がいたけど、その他の成功しないたくさんの者がどれだけいたか。エリオット・カーターは今、重要な作曲家だ、あと2、3いるね、でもいったいどれだけいる? 今いる作曲家たちを見てみよう。名前は言いたくないけど、多くの作曲家が聴くに値しない。卸売業みたいなことをしている。

 

BD:あなたは音楽の未来に、楽観的ではない?

 

HH:楽観的だよ。でも爆発現象には楽観してない、あなたが言うところのね。音楽は続いていく。もっと他の作曲家が現れるだろう。過剰に楽観的ではないよ、実際のところ、音楽はピークに達したと感じることがある。私たちは1500年代くらいからの音楽を重要としてきた。それ以前にも音楽はあったが、本当に始まったのはたった300年か400年前のことなんだ。長い時間とは言えないね。おそらく自然の経過をたどってきた。最終的に、音階におけるたくさんの調性を持つことになった。あとどれだけ生み出すことができる? わたしには確信がある、オペラハウスやオーケストラを見れば、99パーセントが「クラシック」音楽だからね。

 

BD:では私たちは可能性を使い果たしたと?

 

HH:そうだ。本当にそう思うね。

 

BD:死にゆくものなんでしょうか、それとも変質していくのか。

 

HH:死ぬことはないだろうね、クラシックのレパートリーは莫大だし、あなたも言っていたように、いくつかの古い楽曲はよみがえっている。しかし新しい音楽については、オペラやオーケストラのプログラムを見れば、そういうものが演奏されているだろうか。非常に、恐ろしいほど少ないでしょ、演奏されることが。

 

BD:もっと演奏されるようにする道はあるのか、人々をコンサートに呼び入れる方法はあるのか。それとも無駄な努力なんでしょうか。

 

HH:わたしにはわからないよ。お茶があって、人々を呼び寄せるものがある。ただやり続けて、うまく行くよう願うしかないと思うね。

 

BD:私たちはクラシック音楽とポピュラー音楽の間に、境界線を設定してきたんでしょうか。

 

HH:感覚の問題だね。そういう感覚を持つかどうかだ。ヨハン・シュトラウスを見てみよう。『こうもり』はクラシックかな、ポピュラーかな? ある意味クラシックではあるだろう。だけど境界線上のものだ。同じような様式の他の曲は、みんなポピュラーだ。とはいえレオ・ファルのワルツを、ヨハン・シュトラウスの偉大なワルツと同じようには扱えないだろう? 自然に収まるところに収まるものじゃないだろうか。

 

BD:ロックンロールはどうです?

 

HH:縁がないね。まったく知らないよ。

 

BD:どんなものであれ、興味がないと?

 

HH:ないね。まったく聞かない、だからこれについて何も言えない。

 

BD:商業主義の大爆破のもう一つの面のように見えますが。

 

HH:うん、それは構わないけど、クラシック音楽の分野に入ってくることはないね。コンサートホールで、ロックンロールを演奏はできない。

 

BD:でもときにやろうとする人が、、、

 

HH:できるかもしれないが、大きな成功には至らないと思うね。

 

BD:今もコンサートに行く楽しみを持ってますか?

 

HH:ああ、それはもちろん。できる限り行くし、それについて書きもする。楽しんでいるね。

 

BD:あなたは三四半世紀近く、歌手や演奏家、指揮者を見てきました。今日の演奏家は技術的に良くなっているんでしょうか?

 

HH:ピアニストとヴァイオリニストは驚くほどの進歩だと思う。ニューヨーク在住のある老ピアニストが(もう亡くなったけれど)、今の若いピアニストは自分の若いころより技術的にはるかに優れている、と言っていたね。驚くほどの技術だとね。我々は今、第1級の演奏家をたくさんに手にしている。ちょっと考えただけで、25人の第1級ピアニストの名前を言えるよ。昔とはまったく違う。リストはいたけど、他にいない。

 

BD:(笑いながら、いたずらっぽく)タールベルク(ジギスモント・タールベルク:1812-1871年)もだめ?

 

HH:ああ、タールベルクね、確かに。(両者、笑)

 

BD:つまり現在の演奏家は技術的には優れていると、では彼らは音楽家としても優れているのか。

 

HH:(しばし考える)そうは言えないかもしれないけど、ただ彼らはいい音楽家だね。とても優れた音楽家だよ。彼らの方がより優れているかどうかはわからないが、イツァーク・パールマンのような人は完璧な音楽家であり、完璧な技術を持っている。他にもたくさんいるね。我々はとてもハイレベルな音楽生産の時代に生きている、非常にハイレベルなね。そして指揮者だ。ああ本当に超一級の指揮者をたくさん手にしている。

 

BD:これは励みになりますけど、多くは昔の音楽のためでしょう。

 

HH:もちろん、非常に重要な指揮者はどんな音楽でも可能だ、やりたいのが新しい音楽でも、聴衆がついてくるからできる。音楽制作、音楽生産の全体像はとても明るい。その面ではとても素晴らしい時代だね。

 

BD:新しい音楽に挑戦するよう、指揮者をどうやって励ましたらいいんでしょう。セルゲイ・クーセヴィツキーとかトーマス・ビーチャムがやったみたいに。

 

HH:たくさんはできないだろうね。ビーチャムはやったクーセヴィツキーもやった、フリッツ・ライナーもやった、他にもたくさんいるね、ゲオルク・ショルティでさえやっていた。ときに彼は新しい作品をやっているよね。指揮者はスコアを見て興味を持てば、演奏する。トスカニーニは晩年、何一つやらなかったけれど、他の者はやっている。気づけば、ここアメリカには50人くらいの第1級の交響曲をやる指揮者がいる、非常にたくさんいる。彼らは新しい楽曲もやっている。

 

BD:私たちはいい音楽家を持ちすぎる、ってことはないのか。

 

HH:その心配があるとは思わないね。もし過剰にたくさんいるなら、仕事を得られなくなるが、それはない。アメリカの地図を見れば、シンフォニー・オーケストラのない街はない。そして今はオペラもそうだ。

 

BD:あなたはこれからも書きつづけるんじゃないかと。

 

HH:うん、書くよ。

 

BD:それはいいですね。コンサートの批評を書くだけなのか、それとも他に重要なことが? 4冊目の本を待ち望んでいるんです。

 

HH:多くの人が同じことを言ってくるけど、ざっくばらんに言って、85歳にもなれば、自分の限界というものを知るべきだと思う。記事を書くし、この番組みたいに放送で何か言うこともある。ベルリンで番組を持っていて、そこではドイツ語で話している。またいつもたくさんの記事を書いているし、すべてわたしがやりたいことなんだ。さらなる本を書くという野心は、持ってないよ。

 

BD:(がっかりして) う~ん。

 

HH:(慰めるように) そう言ってもらって嬉しいですよ。ありがたいね。

 

BD:わたしは欲張りなんでしょうね。あなたの書いた3冊の本が素晴らしかったからなんですけど。

 

HH:そうね、でも充分だと思うよ。

 

BD:あなたがこれまでに書いてきたものに感謝の言葉を言いたいですし、あなたが新しい音楽のために出版社で成してきたこと、その影響力にお礼を言いたいです。あなたなしには、あなたの影響力なしには、音楽界はずっと貧しいものになっていたでしょう。

 

HH:そうですか、そう言ってもらえて嬉しいですよ。

 

BD:そして今晩、こうしてわたしとおしゃべりしていただいて、それにもお礼を言いたいです。

 

HH:ありがとう。素敵な時間でしたよ。

ハンス・ハインスハイマー(1900~1993年)

ドイツの大学で法律を学び、ユニヴァーサル・エディション(UE)のライセンス部門に勤務、のちにオペラ部門長となる。アルバン・ベルクの『ヴォツェック』、クルト・ヴァイルの『三文オペラ』の初演に携わる。ナチスによるオーストリア併合の際、訪問先のニューヨークに留まることを決意、ブージー&ホークスのアメリカ支社のトップになる。無名だったコープランドのプロモートやブリテンのアメリカへの紹介などで活躍。1977年に引退したのちは、音楽評論やドイツの音楽百科事典への寄稿に力を注いだ。

 
 

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