DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第45章

 ロンドン警視庁からやって来た、犯罪取締りの長、警視正マーク・シェールズは、発見されたものを見て、カメラに向かって叫んだ。「なんだこの銃は!」

 セミコロン、マイラブ、大きくなるにつれ、ぼくらの無知や迷信の闇はじょじょに、科学への信頼に置きかえられていく。ぼくはもう、子どもじみた世界の見方から卒業している。もしキリストが死んで再び生き返るとしても、それはキリストに限ってのことだと思う。墓行きになったその他の死体は、そこにずっととどまり、キリストがよみがえったときにだけ、生き返るだろう。こんな風に書かれているように。

 「主自らが、天から、一声とともに、大天使の声、神のトランペットとともに降りてくるだろう。そしてキリストの中の死者が最初によみがえる。そしてわたしたち生きて残る者は、その者たちと一緒に雲の中に集められ、宙にいる主と会うだろう。だからわたしたちはいつも主とともにいる」

 聖書、テサロニケの信徒への第一の手紙 4:16、17

 

 地上を歩く幽霊はいない。だから子ども時代の墓地は、ただ死体が埋まっている場所に過ぎないとわかっている。もしそうすることが必要なら、どこかの墓地に入っていき、墓石にさわることだってすると思う。もう、子ども時代の墓地への恐怖などないからだ。

 しかしぼくが恐れているのは、大人になってからの墓地だ。ぼくを恐がらせるもの、それは墓地の中を歩きまわる魂のない生きものだ。

 ボスニア内戦が終わって2、3年後にボスニアに行ったとき、前にも書いたように、ツアーガイドがぼくを墓に案内した。博士号をもつ、感じのいい男だった。戦争が始まる前は、化学技術者だった。パブで仲間とウィスキーを飲み、ときどき馬に乗って遊び、やわらかな子牛の肉が好物で、というような生活だった。今は、傷つき、タクシーを運転し、講演で銃弾のことが話されたり、メールで銃撃戦に触れられると神経が高ぶるとぼくに話した。ぼくがジャマイカから来たと知って、ボブ・マーリーをかけて、「ワンラブ」をいっしょに歌ったりした。

 死体が埋まっているだけの墓地を、ぼくはもう恐がったりはしなかった。しかし彼が案内してくれた墓地は、どこか奇妙なところがあった。そこには予想したとおり、内戦で死んだ人々の遺体が何百と埋められていた。兵士に、大学教師に、技術者に、敬虔な信仰をもつ人に、母たち、父たち、以前の隣人たちに殺された人々のものだった。死んだ人たちの墓石の列が並び、墓石には19  年と、92年から95年の間の年号が刻まれていた。

 ぼくが奇妙に感じたのは、内戦終了後の2年間に死んだ人々の暮石だった。

 あとでぼくは、ボスニア人のコンサルタントをしている友人に、何でこの人たちは死んだのか尋ねた。この質問をして、納得いく答えが得られそうだったから。彼によると、戦争の間、多くの人が持てるものすべてを失い、愛する者すべてを失ったという。年老いた夫が妻を、年老いた妻が夫を、母親が子どもを、恋人が愛する人を、友だちは仲間を失った。何もかも失った人もいる。家族、友だち、家、車、犬、信頼、希望、信仰。生きる目的をなくした人々は、そのために死んだ、と彼は言った。自殺した者もいるが、多くの年老いた人々は生きる希望を失い、それで死んだ。

 希望を失い、絶望することは、強烈な感情の痛手。ビクトール・フランクルの本で、生きる意味を探ることについて読んだことを思い出す。その中で、ナチの死の収容所の拘留者のことを書いていて、早くに死んでしまう人は、生きる意味を失ったように見えた人だったという。この先に何も希望がない人である。生きることに何の目的も、意味も見い出せない人である。収容所の人々がガス室に歩かされていくとき、その目の中にそのことが読み取れたと言っている。

 生きる意味が見い出せないと感じている状況で、自己を見つめるとはどのようなことか、とぼくは思案することがある。自分の中が空洞になってしまったとき。魂や精神が死んでしまったとき、肉体だけが歩いていく。

 なぜこういうことを書いているかというと、もう子どもじゃなくなったとき、キングストンやスパニッシュ・タウンで、そしてあのクソ忌々しい場所のそばにある墓地でも、墓から遺体が取り除かれ、邪悪なものがそこに居座るようになったからだ。

 

自分が殺した者の墓の上で眠る。

 

 これはただの歌の歌詞ではなかった。13歳、14歳の銃を手にした者たち(ガンマン)が、夜、眠っている墓があった。そいつらは墓から遺体を取り出し、銃を中に隠した。警官が市内にある彼らの家を襲撃しても、銃器もガンマンも見つからなかった。腹をすかせたブタや犬が墓地に漁りにやって来て、その肉や骨を食べた。

 1980年代後半にこのようなことが始まると、鋼のように冷たく、心をなくし、死を内に抱えた、銃器を持った子どもたちが、夜の墓場でドラキュラのように増殖した。誰であれ目をつければ殺しに行った。コーヒーを口にしないと1日を始められない人がいる一方で、殺しをしないことには1日が終わらない人間がいるようにみえた。1990年代になると、昼日中に出ていって、同じように仕事をした。

 こういう子の一人をぼくは知っていた。きみとあそこに戻ったとき、そいつに会ったね、セミコロン。

 この子は慎みも礼儀もなかった。ジャマイカの田舎で育った子どもにしては、珍しい欠陥だ。ぼくの子ども時代には、もし誰かの足を踏んでしまったら「あ、ごめん、うっかりしてた」と言った。誰かに会いにいったときは、「おはよう」とか「こんにちは」と時に応じて言う。どうしてこれが大切かって? こういった礼儀を欠けば、よその人に叩かれるかもしれない。家に帰って両親に、知らない人に叩かれたと話し、叩かれた理由が知るところとなれば、親も同じように叩いてくるかもしれない。でもこの少年はそのような品性も礼儀もなかった。真夜中に、この子が誰かの家の門のところで外から声をかけ、「おやすみ」の言葉もかけずに、銃を取り出し、人生の公正さを考えるその人間の頭をぶち抜いた、と皆は言っていた。その男を死なせた。間違った人を殺してしまったと気づいたあとも、その家族に謝りの言葉をかけることを拒んだ、とも皆は言った。今にいたってもだ。他人を勝手気ままにに、傷つけ、殺した。品性も礼儀もなかった。 

 この子はもう12歳ではなく、16歳になっていた。今もワルの仲間やチンピラたちとうろついていた。パパからもらった古い折りたたみナイフを今も持ち、それだけではなく物騒な銃や武器類も手にしていた。夜暗くなって一仕事しに出るまで、それを墓地に埋めてあると皆は言っていた。ガーネットの息子。いっぱしに大きくなっていた。

 このような話は1980年代の初めにはじまった。この手の話は、ぼくに関わる話でもあり、仕事を終えて路地を逃げていくガンマンや盗っ人を、ぼくらが目にするようになった頃のことでもある。警官がこの子たちを追いかけることもあった。撃ち合いがあって、ぼくらが家に逃げ帰ることもあった。1980年代初めにはそれほど起きなかったが、起きたときは、何ヵ月も話の種になった。顔を見た者はいるか、どんな銃だったか、警官からどうやって逃げたか、ここの敷地で撃たれそうになった者がいたか、警官がつかまえる手伝いをしようとしたのは誰か、というようなこと。次に、誰がもっとも邪悪で、極悪で、タチの悪いガンマンかの話になり、押し殺した声でいろいろな名前があげられた。最初にあげられたのはコパーとサンドカン、そしてナッティ・モーガン、ホウコウシジキ、それからモーチョの丘に住んでいて、誰も見たことのないような銃をもっているやつ。そして指名手配トップリストにいるやつ。キューバまで逃げてそこでしばらく身を隠し、そいつの赤ん坊のママが嘘をつき、ベッドの下に皆を隠した。「乱暴者」とか「ズル野郎」などそれほど恐ろしげではない名前をひっさげ、ささいな盗みを働くまだ幼い非行少年たちだった。その中のいくらかが、突然変異を起こして血に飢えたガンマンに育っていった。

 1950年代のジャマイカの殺人は、10万人に5.7人の発生率だった。特に指摘する必要も、他の国と比べる価値もない数字だ。しかし2000年代初頭までに、ジャマイカは世界の殺人都市の一つとなり、新聞の見出しでは「1680件の殺人事件、過去最悪の年」と叫ばれた(この数字は、10万人に57人を超える発生率。この見出し、きみに見せたよね)

 時代は変わった。昔は悪名高いガンマンは少なく、出会うことなど想像もできなかった。1990年代末になると、彼らに出会わないことが想像できなくなった。スーパーマーケットを襲い、学校に盗みに入り、警備員を裸にして互いのからだに触らせてみたり、教会の金や椅子、信仰を盗み、葬式の家に押し入り(この見出しもきみに見せたね。「遺体となっても警戒が必要」)、ATMまであとをつけ、そこで盗み、殺すと思えば、空港から旅行客のあとをつけ盗みをする。ネコとネズミのゲームは変わり、ネズミがネコを追っていた。警察本部長は、犯人は充分に武装していると発表し、犯人は警察に殺されたすべての仲間のために、警官10人を殺すと宣言した。そして犯人たちの警察官狩りがはじまった。このことで人々はカリプソニアンに、その口を閉じてクソな歌をうたうのをやめろと言った。皆が言うことには、音楽はもう甘くもなんともない、と。ラジオや大学の講演会では、音楽が暴力を引き起こしているのか、それとも単に音楽は現実の反映なのかという議論が交わされた。

 そして誰もが早く家に帰り、窓や扉を閉め、泥棒よけの横木を下ろし、警報器をセットし、ちょっとした物音にも外を覗き、ガンマンが家までついてきて、外で暗くなるのを待っているのではないかと心配した。

 ガーネットの息子は今やその一味だった。こいつはぼくの子ども時代を追いかけ、草むらにこっそり身を隠し、ぼくの姿を見失わないよう足を速めながら、ずっとつけてきた。

 マイラブ、きみも覚えているように、ぼくは自分の過去と和解するために、そしてこの敷地の皆と会うために、きみといっしょにここに戻ってきた。

 2010年12月18日。自分の家を出たのち、ぼくらはジョセフィーヌおばさんのところへ行き、家の前の椅子にすわっていた。おばさんは64ヘクタールくらいの土地にレウイシア・レディビバ(多年草の花)を植えていて、それを収穫する人手を必要としていた。おばさんは以前と変わらなかったけれど、年をとっていた。

 ぼくがそこで椅子に腰かけているとき(ぼくはジョージーの家を通り越しに見ていて、ジョージーのことを考えていた)、おばさんは、ぼくが来ていると、いとこの誰かを呼びにやった。ぼくはジョージーがどこにいるのか、強い酒を飲んで、耳を傾ける者がいれば、本心を語っているのだろうかと思った。バーのスツールに腰かけて、自分の人生を切開し、カエルにするように解剖し、跳ね返る血で顔を染め、子ども時代の記憶に目をたぎらせているのか。ぼくはジョージーに何が起きたのか探りあてたかった。

 きみがジョセフィーヌおばさんと話している間、ぼくはすぐ脇にあるクッキーの小さな納屋に行った。彼女とのこの会話は、きみは聞いていない。

 「本を書こうと思ってるんだ」

 「ほんとう? 何を書くの?」

 「ジョージーのことだよ」

 おばさんの小さな家が、親戚や路地の反対側からやってきたぼくの知らない人たちに囲まれはじめた。クッキーのところのドアは開いていたから、彼女と話している間も外が見えた。5歳、6歳、7歳くらいの小さな子どもたちがドアのそばに立って、ぼくに気づいてほしいらしく、ときどき手を振ってきた。もう大人になったデイブもそこにいて、その後ろに立っていた。ぼくがもっと若かった頃、デイブはぼくに、雷がぼくに落ちることを毎日祈っていたと告げたことがある。それはぼくが彼に何かしたからだ。年をとって、前のように可愛くなくなったいとこのジェニファーもそこにいた。まだ彼女が十代だった頃、ぼくと2、3の男子はときどき、クッキーにしていたように、「彼女の本の真ん中のページをとっていた」。ジェニファーは今や5人の子がいて、末っ子の男の子は4歳くらいだった。彼女がバケツでその子にお湯をつかわせているとき、ぼくはハローと声をかけた。ジェニファーの手は休むことなく同じ動作を繰り返し、表情も変えず、まるで皿でも洗っているようだった。それを終えると、彼女はやってきて、他の人と同様、ぼくを見て笑いかけた。ぼくは目を逸らした。

 クッキー(最近は自分を「シモーヌ」と呼ばせているが、ぼくにとっては「クッキー」以外の何ものでもない)が、ジェニファーに目をやりながら、ぼくを見た。「ジェニファーはチキン・ピルをやっているの、それでお尻があんなに大きくなってる」と笑いながら言った。「セント・メリーから来た自分の男が、お尻のデカイ女が好きで、尻が小さいと言われたくなくて、ニワトリのピルをつかってるんだ。あの子の胸みて、なんか入れたみたいだろ? 胸もそのせい。それにこのニキビづら。どうやっても治せないんだから」

 クッキーはこれをあけすけな口調で言った。聞いているのはぼく一人。ジェニファーのニキビ苦難の歴史はみんなの知るところだった。そばにいた2、3の子が彼女の方を見て笑った。ジェニファーが仕事を探しにいったところで、ニキビと大きな尻と役立たずなところばかりが目につくのではないか。この苦難から逃れるため、どこかの国際組織に「世界ニキビ解放デー」を設けることを請願したりしてないだろうか。それでぼくは2度目の妻が、アキュテインという名の薬のことを話していたことを思い出した。彼女は、ニキビは痕になるだけだけど、アキュテインは人を殺すかも、と言っていた。どうしてそんなことを思い出したのか、よくわからない。

 「何か飲む?」とクッキーが訊いてきた。その飲みもの代はぼくが飲んでも飲まなくても、こっちの支払いと思われた。それはぼくが「外国」から来ているからで、彼女のいとこでもあり、現金をもっているからだ。ぼくは申し出を受けて、彼女は一番下の息子を、路地の3軒向こうにある家で、ソーダを二つを別々に買うよう送り出した。詳しくいえば、ぼくのいとこのデボラの家で、彼女はいい年の男と暮らしていた。クッキーはあの二人は、同じものを売っていると言った。ソーダとかタバコとか。そして人がどっちの店で買うかで喧嘩すると言った。同棲相手の男は緑内障で、誰かやって来てもよく見えなかった。それでいとこのデボラは男が察知する前に、そっと家の外に出ていって、商品を2、3手にして、それを売ろうとした。

 クッキーとは何年も会っていなかったけれど、ぼくらの間にある気安さは変わりなかった。ぼくらは家族だった。ずっと以前の忘れていたことを取り出して、その続きの会話をしたりした。自由気ままに話せた。彼女が突然言い出した。

 「あいつらあたしにひどいファックしたよ」 誰のことを言っているかわかったけれど、なぜそれを持ち出したかはわからなかった。「あれはいやだったね」

 子どもたちはまだそこにいて会話を聞いていた。クッキーが娼婦だと皆が思っていたのは事実だったのか。前戯なしでやった? 彼女の井戸を激しく掘った?

 「舌にジャム乗せて入れてくるやついたよ。すごいヤだったね」 そんな話は聞いたことなかった。「のっぽがあたしにいつもやってた、知ってる?」 知らないと答えた。「やったんだよ」と彼女。恥ずかしさなど微塵も見せずに言った。「7歳のときからだよ」 

 のっぽはクッキーのパパだった。当時ジョセフィーヌおばさんは、夜遅くまで、年配の夫婦の世話をする仕事についていた。夫の方は医者だったが、60代の初めに脳卒中にみまわれ引退した。同じく60代でからだが弱かった妻が、夫の世話をするはめになった。助けが必要となり、ジョセフィーヌおばさんが雇われた。それ以来、おばさんはいつも仕事に出ていた。

 のっぽはいつも彼女のまだ幼い胸を、吸い上げて空にしようとしているみたいにしゃぶった、とクッキーは話した。クッキーのクーチーもなでまわした。その部分は好きだったと言う。それをしているとき、クッキーはのっぽの髪の毛で遊んでいた。のっぽはクッキーにキャンデーをよく持ち帰った。自分がパパのお気に入りのように感じた。ことのすべてをぼくに話しているのは、ぼくが本を書こうとしてると言ったからだとわかった。

 見えているところで、クッキーは少なくとも2本の歯がなかった。また別の抜けた穴も2、3、見えるところにあった。肌はぼろぼろで粗く、脂ぎっていた。ブラウスの脇のところが黒く汗でシミになっていた。彼女が11歳のときファックした自分は、39歳になった彼女がどんな風か考えただろうか、という思いが胸をよぎった。

 クッキーの家は昔と同じ木の床だった。板が一枚はずれ、そこから地面が見え、アリの隊列が上がってきていた。床にはマットレスが二つあり、隅にシーツは束ねられていた。服はあちこちに散らばり、小さなテーブルや二つの椅子にもかけられていた。

 家の外では、ロト買ってくるぞ、という声が聞こえた。「オレもうけの10%でいいわ、それかおまえの妹か、娘か、ヤギと一晩かな、オスのヤギはだめだぞ」 変わってないな、ここは。

 バイクの音がして、誰かがビン(セント)が昼ごはんに戻ってきたよ、と言った。皆はフフ(アフリカ由来の芋で作られる主食)が用意出来ていますようにと願った。もし用意が出来ていなければ、ジョージーに起きたことが、ビンセントの妻にも起きるのだ。

 クッキーの部屋の窓からジョージーが住んでいた家が見えた。

 ソーダは思っていたより炭酸がきいていた。クッキーがグラスと氷はいるかと訊いてきた。ぼくはいらない、これで充分と言った。

 「ジョージーを覚えている?」とクッキーに尋ねた。クッキーは覚えているはずだ。ぼくの兄さん、マーティンは今もバハマのどこかにいて、心は「どこにあるのか」状態。ブライアンは、当然ながら、よみがえるための「最後のトランペット」が鳴るのを待ちわびていた。トミーも同じだ。ガーネットはずっといない。ウェインはトロントのレストランで働いていて、今も客に出す料理につばを吐きかけていた。足の指を切断したカジョーは、ウェストモアランドで自分の子のママと暮らしていた。チビのティムはその辺にいるだろうけど、ジョージーのことやそれにまつわることを覚えているには、まだ小さすぎた。ぼくらの仲間の輪は小さくなっていた。

 「あいつのブツはちいさかった」 クッキーは自分だけが知ってるという理由から、そんな風に話をはじめた。「あいつのパパいつもひどくぶったたいてた」 クッキーからまとまった考えを期待できないことはわかっていた。「あいつがパパをころしたのおぼえてる?」

 すべてぼくの知ることだった。クッキーがジョージーをどう思うか、ジョージーはどんな風だったか、少年院にいたとき何が起きたか、そこから出たあとのことを覚えているか、ということを訊きたかった。ジョージーのパパの話から、クッキーは自分のパパの記憶をよみがえらせた。

 「あのさ、あたしがセックス好きになったのは、のっぽのせいなんだ」 クッキーは自分の物語を語りたいようだった。自分の番がまわってきたと思ったが、世界の歴史が書かれたとして、自分の国やボブ・マーリーは出てきても、自分の名前が出てくることはないだろうと感じていたのだ。クッキーは自分の物語が語られることを望んでいた。クッキーはぼくの本に登場したかった。

 空が雨が降りそうに曇ってきた。ぼくはあたりを見まわして、よく雨宿りした一本の木に目をとめた。ちびのティムは喘息もちで、いつ雨が降るか言えるとぼくに言っていた。風の匂いで雨がわかるのと同じだ。ティムの気管支は、いつ家の中に入るべきかわかるようになっていた。

 舞台はそのときまでにすべて完備していた。ぼくらのまわりには、裏方、小道具係り、スタンドイン、役者がそろっていた。またいとこだ、と教えられた者はドアのところに立って、赤んぼうをあやしていた。その子の髪の毛は真っ白で、子どもが若白髪になってしまったみたいに奇妙な感じだった。その子の性別はわからかなったけれど、団子の生地をこねている母親の足元に立っていて、あたまに粉が降りかかったのだろうと思った。あるいはフケだったのかもしれない。別のいとこがそのそばに立って、「幽霊屋敷の邪悪な執事」の気味悪さで、ぼくをじっと見ていた。 

 クッキーからは期待するほどの情報はさほど得られないとわかった。クッキーと話をしたあと、きみがいるところに戻って、ジョセフィーヌおばさんとカルメンにさよならを言った。このとき、きみも覚えているように、それが起きた。ぼくらは別の親戚を訪ねようとしていて、ジョセフィーヌおばさんの門のところにいた。

 きみが感じていたかどうかわからないけれど、ぼくはあいつを見る前に、その存在がわかった。自分とあいつには関係があるみたいだった。潜在意識の中で、そこに彼がいるとわかっていたみたいな感じだった。

 こいつは何か悪いことを(また)やって、警察に(また)追われているとき、「雲隠れする」とクッキーが言っていた。今こいつは表に出てきて、腹をすかせ、近所をあさりまわる狂犬病の犬になっている。

 人々が通り道をあけ、そいつがぼくの後ろまでやってきたのを感じた。うなじにやつの息を感じた。死体と寝ていたような、腐ったような悪臭だった。そして「ケニー」と、乾いた冷たい空洞のような声がぼくを捉えた。

 ガーネットの息子とぼくは会ったことがなかったが、こいつがぼくのことを聞いているのは確かだった(まだ幼なかったまたいとこ、そのまたいとこも、今ではみんな大きくなってるんじゃないか)。ここを逃げ出したことで、ぼくは有名になっていたからだ。皆はぼくの車や服を目にし、逃亡者の臭いをかぎつけていた。だからやつはやって来た。自分のパパと遊んだ、トミーと遊んだクソ忌々しい敷地に、自分と同じように、昔ここに住んでいたケニーを見にやって来た。

 「2000ドルくれや」 これは頼みではなく、脅し以上の言い方だった。きみも聞いたと思う。だからぼくがどうしようとしたか、わかると思った。2000ジャマイカドルは大きな金ではない。30米ドルにも満たない。重要なのは金の額ではなかった。

 やつがぼくの後ろから近づいてきたとき、カルメンの目に恐れが走り、それがぼくのスイッチをカチリと入れたのかもしれない。一瞬のうちに、ぼくはもう、この場所であれ、人であれ何であれ、恐れなど持つものかと思ったからだ。しかしそのような感情に火をつけたのは、彼女の目のせいだけではなかった。

 またやつの脅迫に驚いたわけでもなかった。ぼくの受け取った手紙には、こいつについてあまり書かれていなかったが、わずかな言葉から、どんな生きものになったかを知るには充分だった。 

 その後何ヶ月もの間、あれが起きた瞬間とぼくの子ども時代の出来事とを結びつけようとした。ぼくとまわりの人々に起きたことの関係についてだ。すると同じところに戻ってくる。つまりこういうことだ。ぼくの中の何かが、あいつの要求に抵抗した。その瞬間、あいつの意味することをすべて理解していたわけではなかった。

 ぼくは大学時代の友だちカールを思い出した。彼についてあれこれ考える余裕はなかったが、その必要もなかった。よくわかっていたからだ。カール。当時すでにカールの髪は薄くなっていて、彼の脳は精神、肉体両方の重みに耐えられなくなっていたみたいに見えた。カールは、店に入るときはいつも、両手を後ろにまわしていたと言っていた。それは手を自由にさせておくと、店主は何か盗もうとしていると疑いをもつからだ。それは彼がそういう容姿だったから。カールが中流家庭の子であっても、クラスで最初に電話を手にした者だったとしてもだ。カールの人生や行動につきまとうババだ。教室でのひやかし、からかい。いつも完璧に不器用にふるまった。そしてカールはドロップアウトした。

 ローデンクァイとは違った。めったに騒いだりせず、いつも機嫌よく、いつも笑っていて、いつも答えを(どんな質問に対しても)知っていた。それがローデンクァイ(これは彼の姓だけど、外国語っぽいファーストネームよりは発音が易しいので、みんなこっちで呼んでいた。それに名前の方は今じゃ覚えてない)。いつも何事もがんばる。すごく細い中国人っぽい目をしていて、そのせいで笑うと、「目がなくなる」と思われていた。

 この二人が出てくる夢を一度見たことがある。二人は水を求めて砂漠を歩いていた。夢の中で、カールが照りつける太陽のもと何キロも歩いているのを見た。そしてひざをつき、頭を落とし、そこに横たわって死んだ。そしてローデンクァイを見た。彼の黄色い肌はカールほど日射に強くはなかったが、かまわず歩きつづけた。同じ照りつける太陽のもと、何キロも何キロも、歩いて、歩いて、歩きつづけた。そしてひざをついたが、手を地面につけると這ってさらに何キロか進んだ。そして頭を地面に落とした。しかし顔を地面につけて転がり、さらに何メートルか進んだ。そしてもう転がることができなくなると、目を閉じて瞑想をはじめ、からだは死につつも、魂を水のところに送っているのを見た。この夢を見た2、3週間後、カールはもう大学にいなかったが、ローデンクァイはまだいて、他の者たちが脱落したり、退学したり、落第したり、留年したりしているときに、ちょっとした中国の冗談を言っては控えめに笑い、良き生活を志していた。それはぼくにとって、ターニングポイントとなった。何が人生にとって大切か、理解した瞬間だったと思う。 

 さてここにいるのはガーネットの息子、カールほどの努力もせずに、「おれは砂漠など歩かない。おまえが行って、おれに水をもってこい」と言うやつだ。

 ぼくはやつと面と向かった。それが皆の言うナイフがどんなものか見た瞬間だった。

 やつがどんな風だったか、敷地の家々がどんなだったか、いとこのカルメンがどんな顔をしていたか、あの日がどんなものだったか書きあらわすことはできる。しかし今日は木曜日で、真夜中まであと15分。ぼくはこの話を午前0時までに終わらせねばならない。それにそのような細々した説明は、ぼくらの暮らしの背景に過ぎない。問題は人々のことだ。その人たちがしたことであり、その人たちに起きたことだ。あらゆる意味で、家という家はただの家であり、カルメンはカルメンのようであり、その日はだたの1日だった。人々、木、鳥、匂い、すべてがその目的を果たし、いつも人々がやっている普通のやり方で振る舞った。色も、匂いも、他のどんなものも、あのとき(それ以外のときでも)起きたことにおいて何の重要性もなかった。

 ぼくはやつを見た。その目をじっと。そしてきっぱりと「ダメだ」と言った。それはぼくが悪魔に同意した、まさにそのタイミングだった。だからその瞬間、悪魔はぼくの魂を奪った。

 これがあの日起きたこと。こんな風に起きた、そういうこと。

 ボブおじさんはよく言っていた。「宗教は人を癒しもしないし、守りもしない。だから迷信などない」

 同様にぼくもきみを守れなかった、残念だよ、マイラブ。

 これがすべてのことだ、起きたことで思い出せることのすべてだ。日記帳に書いたメモ書きや手紙や詩も引用した。いくつかは今まできみに見せたことがなかった。あるいはそうする機会がなかった。きみが起きているときに書いたものもあるし、きみが眠ってから書いたものもある。すべてがぼくのこれまでを物語っている。

 ぼくがもっと熱心に時間をかけて探せば、もっと重要なことが見つかるかもしれない。世界がそれに気づき、それに導かれて、利益を得られるようなことが。「われわれは、われわれそのものだ」とか「なるようになる」以上のものがね。だけど今日は終わりに近い、もう真夜中だ、マイラブ。

 14.95ドルというのは、ぼくの本にぴったりの値段だ。

 きみと出会ってから、他の女性はまったくいない。

 きみがいたから、愛がわかった。神を愛する以上に、きみのことを愛してきた。

 おやすみ、すぐにまたきみと会いたい。

 

 最良なるきみのトロトロより