top of page

DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第37章

 これから書くことをすべて信じるか、あまり信じないか、どちらでも選べるよ、セミコロン。どっちを選んでも悪いことにはならない。
 そのときまで、その日はあらゆる意味でいい日だった。ぼくは妹たちと過ごしていた。ぼくらは日曜日のフライドチキン&ライスを食べて、充足していて、特に自己嫌悪などなかった。その理由はぼくはここを出ていくところだったから。このクソ忌々しい場所からね。ぼくが育ったクソったれな村だ。不潔で忌々しい共同体からだ。息ができないくらい恐ろしく忌々しいこの地域からだ。そこを出ていく。キングストンの小さな家の小さな部屋に帰る。自分の部屋だ。
 ぼくは車に乗っていた。お金を貯めて買った小さなスズキの車で、このクソ忌々しい国から出ていこうとしている女性から、かなり安い値段で買ったものだ。この不潔で忌々しい国から、その人は何がなんでも、ただただ出ていきたかった。このクソ忌々しい国に、クソ忌々しい車を置いて。その頃、ぼくらの国は下り坂をころがっていた。ぼくはその車をすごく安く手にした。
 ぼくは高速に乗っていた。あのクソ忌々しい場所を脱出して。そのときぼくは28歳だった。覚えやすい数字だ。それはそのときそこに4人いたからだ。算数で計算すると8÷2=4だ。ぼくの年齢は2と8からなり、そこには4人いた。
 ラジオが鳴っていた。その頃、中古車は日本から輸入されていて、車内の計器パネルはすべて日本語で書かれていた。「うどん、米、寿司」対「ジャークポーク、羊肉のカレー、オックステール」の戦いアゲイン。FMコンバーターなしで、周波数89.9に合わせればラジオを聴くことができた。たった一つのラジオ局だった。ぼくが聴いていたのもそれ。2台の車が後ろにいて、1台はタクシーだった。
 バックミラーに小さな車が現れた。距離のある間は音はなく、エンジンはちょろちょろとした川のささやき程度だった。ぼくは前の道を確認し、またバックミラーをのぞいた。突然、うなじに息が吹きかけられたような感触がきた。その車は急速に迫ってきていた。その瞬間、ぼくのすべてが、そして歌もストップした。
 真昼の燃え立つような、砂漠みたいな靄の中、その車がアウトバーンを走るポルシェのように猛然と、音もなく、亡霊のようにやって来るのを目にした。子犬エンジンの車とは違った。フードで身を隠した野獣は、充分発達し、腹をすかせ、唸り声をあげ、アスファルトを噛み砕きながら道を進んできた。
 ぼくの心臓はドキドキいいはじめた。子どものころ、灯りのない暗い道を歩いていると、からだの上を何かが這いまわり、幽霊にちがいないと思ったときのようだった。
 あっという間に、車は100メートル後ろにつけていた。その車は外側の対抗車線を走っていた。ぼくの車とその後ろの車を、一気に追い越すつもりだとわかった。その車の運転手はそのつもりで走ってきたのだ。
 そしてその車がぼくの脇にならんだ。
 車は新しかった。やつらは若かった。車は赤かった。やつらは4人だった。車はターボチャージャーだった。やつらもそうだった。トヨタの車だった。小さかった。大音響を発していた。ブルーン、ブルーン、ブルーン。でかい音だった。ブーン、ブーン、ブーン。でかい音だった。やつらは歌っていた、金切り声をあげていた、がなっていた、わらっていた、でかい声で。男子4人だった。窓を少し降ろし、ターボチャージャーの小さな車は、小さく美しいガタイに似合わない獰猛さで走っていた。トヨタのスターレットだった。ぼくらのダンスホール・シンガーたちがうたう歌では、「乗るのは簡単、でも気のないふり」とうたわれる車。理由はたとえ小さなものでも、クソ高いから。やつらは金持ちの子どもなんだろう。それで値の張るレーシングカーに乗ってる。
 突然の沈黙があり、何か具合の悪いことが起きたとわかった。すると脇を走るやつらの運転手がぼくを見た。まっすぐにこっちの目を見て、あわてた様子でこちらに何か要求する身振りをした。行く手を見ると対向車がこっちに近づいてきていた。そばまで来るとナンバープレートBB1897のヒュンダイ・セダンだとわかった。4人組はターボチャージャーの自分たちの車が、ぼくを追い越せると見誤ったにちがいない。ぼくの後方にいるタクシーは割り込みに応じず、真性のジャマイカ人スタイルを決め込み、ぼくの車との間にやつらを入れさせてやろうとはしなかった。それでやつらはぼくに、スピードを緩めて、車の前に入れさせてほしいと頼んできたのだ。しかし遅すぎた。
 それが起きた場所はよく覚えている。
 大きな看板に近づいたところだった。男の子2人、女の子2人の4人の健康そうなティーンエイジャーが、バーガーキングのハンバーガーにフライドポテトを食べ、ペプシを飲んでいる看板だった。
 その前に「葬儀屋は追い越し歓迎」と書かれた看板を通過していた。
 ぼくらはよく警官がスピード違反をチェックしているサンディ・ベイの歩道橋を通り過ぎた後だった。
 だけどサトウキビ畑のところまではまだ行ってなかった。そのことを覚えていたのは、サトウキビは甘いからだ。
 こんな話を思い出す。いろんな恐い話とともに、レーシングカーのことをよく聞いたもの。人気のレース場で、ターボチャージャーのスターレットと三菱ランサーで競争する金持ちの子どもたちの話だ。ターボチャージャーのエンジンに、ニトロを混ぜて、スピードとパワーをさらに上げる者がいる。そういう車をまだ見たことはなかったし、ターボチャージャーのエンジンの恐ろしいまでの唸り声に、ニトロをまぜたヒューヒュー、ゼーゼーいう音も聞いたことがなかった。
 でもぼくのバックミラーに映った車が、恐ろしいほどの優美さで走る瞬間を見た。
 永遠とも思えた数秒間のうちに、勢いのままに、止まることのできない二者が対面するのを見た。燃える速さのヒュンダイ・セダンが、猛り狂うトヨタ・スターレットと対面した。双方とも止まりたくとも不可能だった。何が起きたのか。そのときは考える暇がなかった。でも自分に何度も問いかけた質問であり、以来何年間もそれはつづいた。2台の車のスピードと位置関係のせいで、正当な答えは見つけられていない。何が起きたのか。2台の車は、同じ方向に、同じタイミングで、道を飛び出した。衝突は宇宙規模だった。金属、肉片、ガラス、骨、タイヤ、服。すべてが粉々になって、そこらじゅうが血の海になった。
 ぼくは衝突を身に感じた。フェラーリ+ジェット機の勢いで、ジョージーが顔に、パパの一撃を受けたときのような衝突を。
 車の中の4人はそこに1分間いて、半狂乱の目でぼくを見つめ、そしてみんな去っていった。
 これが起きたのは、おそらく、スピードを緩めてやつらを入れてやろうとしたとき、はからずも、ぼくの足がアクセルを踏んでしまったからだ。

bottom of page