DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第14章

 

「いま何時、ミスター・ウルフ。ウォウォーーッ」

「カバくんのとこにいく時間だよ、ミスター・フォックス。わん」

「あいつはどこに住んでんだい、ミスター・ウルフ。ウォウォーーッ」

「海の底のガラスの家だよ、ミスター・フォックス。わんわん」

「じゃあ家に石を投げることはできないね、ミスター・ウルフ。ウォウォーーッ」

「そのとおりだ、ミスター・フォックス。わんわん」

「であいつの家にはどうやっていくんだい、ミスター・ウルフ、ウォウォーーッ」

「ミルクリバー温泉から潜水艦タクシーでいくんだよ、ミスター・フォックス。わん」

 

(注釈:なんでぼくらが狼に犬の声をあてて、キツネに狼の声を出させてたのか、今じゃ全然わからないけど)

 トミーは小さな男の子で、小さな男の子はトミーだった。トミーはやせっぽちだったけど、たっぷり期待のもてる子だった。トミーはいい子で、励ましがあれば、わんぱくにもなれた。トミーはただの男の子だった。トミーは繰り返しのない歌だった。

 トミーとぼくは小さかったころ、よく遊んだ。トミーはミスター・ウルフになりたがった。

 だけどどうやってトミーのことを話したらいいんだろう。

 1970年代と1980年代の初め、トミーとぼくは住んでいる敷地の中で一番の仲良しだった。(あとから出てくるショーンは、学校で一番の相棒だった)

 ジャマイカの古いことわざに、「あまり長くものをとっておくと、主は二人になる」というのがある。子どもの頃、よく言われていたことだ。その意味は、何かを使ったり食べたりするのに時間をかけすぎると、よその人が代わりに使ったり食べたりしてしまうということ。

 これは誰もが知ることわざで、それはぼくらが家族やいとこ、友だちと、わずかな食べものでテーブルを囲むことがあったから。自分の分をさっさと食べないと、そばにいる者がそれをつかんで代わりに食べてしまう。それで笑ってこう言う。

 「あまり長くものをとっておくと、主は二人になる」 ぼくもこのからかいをやった。マジで食べものを取ろうとする人がいるときに、それを「からかい」と呼べるならだけど。ぼくらみんなこのからかいをやっていた。

 2、3年前に、ニューヨークのネグリル・レストランでジャマイカ人たちと夕食をとった。そこはすごくいいジャマイカ料理の店で、よくある味だけはうまいという種類の店ではなかった。最近出会ったばかりのジャマイカ人たちは、ぼくが正真正銘のジャマイカ人かどうか知ろうとした。質問の砲火の中で、ジャマイカの田舎育ちのジャマイカ人に兄弟姉妹があるかどうかを見極めるのに、どんな「テスト」を行なうかと質問してきた。これは簡単な質問だった。答えは、

 「その人たちを夕食に招待して、それぞれの皿には食べものを少しだけ置く。それでどんな風に食べるかを見るんだ」 そこにいた者はみんな、わかった風に笑った(カニの鉤爪みたいに腕を張って自分の皿を囲む者は、兄弟姉妹がいる証拠)。

 この話をしたのは、トミーのことを説明するのにすごく役に立つから。

 トミーは小さな男の子で小さなケツの穴の持ち主だった。トミーのケツの穴はだいたいこんな大きさ。

 

 

 トミーはまた、短い人生しかもてなかった。その人生はだいたいこれくらいの大きさ。

 

 

 数学的に説明すると、トミーのケツの穴と人生の関係はこうなる。

 

 

 トミーの人生は糞みたいなものだった。

 で、トミーは短い人生しかもてなかった。問題は人生をはじめるのにあまりに長く待たねばならかったこと。それで他の者がトミーからそれを取り上げた。トミーは死んだ、そういうことだ。(ベルばあちゃんの言ったこと。「あの子が教会に行ってたら、あんなことは絶対に起きなかっただろうよ」)

 「そういうことだ」は、ぼくの好きなジャマイカの表現の一つ。本物のジャマイカ人なら「そういうことだ」ったんだよ、と言えば誰もが意味を理解する。それ以上のことは訊いてこない。こんな風に使われる。「ねえねえ、あの子は銀行から金を盗んで、逃げたってさ、そういうこと」 明快、簡潔、決定的。

 あるいはダラダラととりとめのない長々した話でも、「そういうことだ」になる。約18年前、ぼくがキングストンで学生だったころ、いとこの一人がぼくに電話してきて、ぼくの(ただ一人の)金持ちのおばさんの家に前の晩、泥棒が入ったと言ってきた。詳しく話していくけど、まずはおばさんがどうやって金持ちになったかだ。おばさんはかあさんの側の親戚で、まったく違う環境の地域に住んでいた。おばさんは自分の努力で金持ちになったのではなかった。ぼくが聞いたところでは、おばさんは高校卒業後、地元の役所に仕事を探しに行った。そこで面接官が次のように訊いてきた。

 「あなたの性格で、仕事に悪影響を与えそうなことは何ですか?」

 で、まだ娘っ子だったおばさんの答えはこうだ。「そうですね、わたしは寝るのが好きで、昼ごはんのあとなどすごく眠くなります。そうなるとどんなこともできなくなります」 

 当然と思われるが、彼女が眠気といかに「戦う」かをさらに詳しく話すうちに、面接官は呆れかえってしまった。それでぼくらはこう言っていた。モンテゴベイ(ジャマイカの観光都市)にあるおみやげ屋の主人と結婚するという運があったから金持ちになれた、と。こう言う人たちもいた。夫は前の妻の葬式から帰る途中でおばさんと結婚した。すでに二人は愛人関係にあり、男はひとりきりになりたくなかったからだ。おばさんの夫の店は、モンテゴベイのホテルが立ち並ぶ一角にあり、(もし行く機会があったなら)貧しい黒人の国にある金持ち白人の植民地を見つけた気分になるだろう。おばさんの夫の店というのは、ジャマイカ特産やレゲエを売りにしたもので溢れる近頃のおみやげ屋の一つで、実際は中国製なので、本物が欲しいときはよくラベルを確かめたほうがいい。それから店にあるものは何によらず、地元民であれば買うことができないような米ドルで値がつけられていた。また1970年代、社会主義政権ではあったものの、商売はうまくいき、金を稼ぐことができた。二人は自分たちの富をなんとか隠そうとした。

 さてと強盗の話に戻ると、義理のおじさんは「ハトランタ」まで短い休暇で「ハメリカン」フードを食べるために行っていて(ジャマイカ人は「ア」を「ハ」となまって発音する癖がある)、まだ戻っていなかった。それでおばさんは1週間ひとりで家にいた。いとこのウェインが教えてくれたことによると、午前2時に泥棒に入られている間、おばさんは寝室に鍵をかけてこもり、何度も何度も警察に電話をかけた。強盗は3時間近くそこにいて、ゆっくりと仕事をし、手に入れたいものをすべて持っていった。ウェインは、近所の人も警察に電話をしたと言った。その間に強盗はおばさんの家からすべてを盗み、トラックに積み込み、おばさんのアレルギーだけ盗まず残し、そこから立ち去った、とまあそういうことだ。この話を聞いたとき、ぼくは「警察は泥棒をつかまえたのか?」とか「なんで警察は来なかったんだ?」とか「どうやってやつらは逃げおおせたんだ?」とか訊かなかった。いとこのウェインもそんな質問は予期してなかった。なんであれ、ぼくはあり得る答えのすべてがわかっていた。それは次のようなものだ。

 

・警察署は閉まっていて、電話をとる人がいなかった。

・警官が一人いて電話に出たが、もう遅いから明日の朝かけなおしてくれと頼んだ。 

・警官が電話に出て、いま車がないので、おばさんか誰かが人に頼んで警察まで車で迎えにきてくれないか、そうすれば強盗を逮捕できる、と答えた。

・警官が電話に出て言うには、いま署には自分しかいないので、「自分すなわち警察署」でなければならない。そこで非番の警官になぜ電話しないなどと訊けば、こう返されるだろう。「いま何時だと思ってる、この糞真夜中に!」

 

 とまあこんな風だ。誰も考えなかった答えは、警察はすぐにやって来て泥棒を捕まえた、あるいはあとで泥棒を捕まえた、というもの。だから話を聞いたあと、ぼくは単純にこうおうむ返しに言った。「で、そいつらはおばさんから盗んだんだな、そういうことだな」 それは自分の聞いたことの承認だ。単純にして単純、そういうことだ。泥棒は盗み、それを持って去った、そういうこと。暴徒はゲイや男の子を切り刻み、そこから逃げ去った、そういうこと。

 だから極貧のトミーのようなチビが死んだ理由は山ほどあった、そういうことだ。捜査なし、裁判なし、誰も驚かず、関心もなし。ただ死んだだけ。そういうこと。CIAかイルミナティ(秘密結社)による犯罪だったのかもしれない、とぼくらは思ったりした。

 どうやってトミーが死んだか、説明は簡単だ。少なくとも二人、じかに見た証人がいたから。ぼくの兄さんとガーネット(トミーの兄さん)だ。

 トミーは、前にも書いたように、基本的にいつも食べるものがほとんどなかった。誰かが「どうしても『ロー&オーダー』が見たいんだ」と言ったとき、そいつは見なくてもあと2、3日はもつと考える。でもトミーの場合は、なんとしても食べものを必要としていた。トミーは外に出ることが許されれば、いつも誰かの家か、サトウキビ畑か、マンゴーの木か、オレンジやココナッツの木といったところで長時間過ごして、食べものを探した。 

 それ以外にチビっ子トミーがよくやっていたのは、トラックのあとを追いかけることだった。最初のタイプは、サトウキビを積んで村を通過していくトラック。ぼくら男の子たちは、トラックを追いかけてサトウキビを荷台から引きずり降ろそうとした。みんなこれをやったけど、トミーの場合は遊びというよりは生き延びるためだった。

 もう一つのタイプは、ぼくらが純粋に遊びで追いかけたトラックで、氷を売るために運んでいた氷工場のもの。当時、氷冷蔵庫をもっている人たちがわずかながらいた。

 ぼくらは氷工場をよくうろついていた。男たちが氷をトラックに積むところを見たり、そいつらの話に耳を傾けたり(ほとんどはキツキツのクーチーの女と寝た話)、ときに小銭をねだったりした。それに対して男たちは、ぼくらも中国製じゃなかろうかと検閲するみたいに、首根っこをつかまえると(服を着ていた場合)、軽く平手打ちをくらわすか、ときに2、3ドルをくれた。首根っこをつかまえるのは、そのあとの行動のいかんによらず、手順の一つになってる。そのことをぼくらはよくわかっていた。だからぼくらは氷工場に通いつづけ、おねだりをし、平手打ちかお金をもらっていた。

 トラックに氷が積み込まれると、男たちは鉄の取手につかまってトラックの荷台に飛び乗った。それを握って、氷を降ろしたりもする。トラックが出発すると、ぼくらはあとを追いかけた。トラックの荷台に乗った男たちは、ぼくらがジャンプして飛び乗ろうし、トラックのどこかにしがみつき、ちょっとの間そのまま乗ってまた飛び降りるのを、面白がって見ていた。この男たちはわずかばかりの金しかもらえず、氷工場では教育程度の低い労働者たちだった。一番下の階級だ。男たちはぼくらと同類、よく一緒に笑ったものだ。ぼくらを叩き、金をくれもした。おそらくあの男たちも、自分たちがトラックのあとを追いかけた日々を覚えているのではないか。

 それに対して運転手はこういうことを楽しむ人種ではなかった。もっと給料がよくて、おそらく高校を脱落した者か、あるいは出世しようと考えてる人間だ。そして彼らはトラックがあって、この職場にやってきた。多分、この人たちはぼくら悪童がトラックにしがみついてる光景を見て、自分の子ども時代を思い出し、いやな思いをしてるんだろう。だから運転手たちはいつもぼくらを怒鳴りつける。いつも大人の言葉でぼくらにしゃべる。男たちはいつも、人間を正当に扱うのはアメリカだけだ、と言ってぼくらを脅す。

 トミーの話にもどろう。あの日、トミーが追いかけていたトラックの運転手は、突然車を止めた、、、、そしてバックさせた。たったそれだけのこと、で轢き殺しの現場が生まれた。(ベルばあちゃんの言ったこと。「あの子が教会に行ってたら、こんなことは絶対に起きなかっただろうよ」)

 目の前に何も障害物がなかったのに、なぜあの時、運転手は車をバックさせたのかについて、熱い議論が起きた。彼は運転経験が豊富だったし、さらには前の持ち主は女性で、車はきちんと整備されていたから、スラムの女の子みたいに楽々乗れた、と言う者もいた。しかしこれは些細でつまらない言い分だ。本当の理由は、このトラックは前にも後ろにも動くように設計されていて、運転手の男はバックを選んだのだ。というわけ、そういうことだ。ぼくの兄さんとトミーの兄さんがこれを目撃し、家族に伝えにもどった。

 もちろん、ぼくらは悪いニュースが路地を(人よりたくさん土地があっていっぱい税金を払っているかのような)我が物顔で歩いていくのには慣れていた。でもトミー抜きでぼくの兄さんとガーネットが頭を垂れ、路地をゆっくり歩いてくる姿は、あそこでビクトリア・シークレットのミニ・ウェッジブーツを履いたデカケツの太った黒人女を目にする以上に奇妙な光景だった。普通じゃなかった。

 ではなぜ、トミーはいつも食べるものがなかったのか。その理由はまたしても単純なものだった。それはトミーのパパがトミーに食べさせたくなかったから。それだ。

 ガーネットとトミーはいろんな面で違っていたけど、食習慣について特にその違いは大きかった。ガーネットはがっつきのクソガキで、目の前に置かれたもの何でも食べようとした、「まんこ以外はな」と言い放ち。トミーの方はその反対で、繊細で沈んだ感じの子で、食べるものがあっても少ししか食べなかった。しかしママが昼の間働きに出ているとき、世界の男女平等化に大きな貢献をしようとするパパが子どもたちと家にいることが、トミーの運のなさにつながった。一日中スツールにすわって葉っぱをやり、血走った赤い目で(喫煙のせいか、他の者へのねたみからなのかは不明)仕事もなかったが、ただ一つチビっ子トミーが食べず、遊ばず、笑わずにいるかどうか監視していた。トミーにパパが優しい言葉をかけるのを耳にするより、リオミーニョ川にクジラを見つける方がまだたやすい。

 ある日、トミーのパパは息子が近所の家に行ってそこで、遊ぶでもなく、マンゴーの木に登るでもなく、何をするのでもなく、ただ食べものを乞うところを見つけた。自分の名を汚す不名誉。自分の家を汚す不名誉。恥であり不名誉この上ない。それを見つけたパパはトミーを2、3日間家に閉じ込めた。チビっ子トミーが家から出てきたとき(どうやって生き延びたのか)、別人になっていた。くちびるは干上がり、粉がふいて黒ずんでいた。トミーの内部の何かがへし折られてしまったように見えた。トミーの手足は木の燃えさしみたいにカラカラだった。これが起きたのはトミーの死の2、3ヶ月前だった。

 あートミー、トミー。きみは沈黙に対する後悔みたいな存在だね、ちがうかいトミー。そうじゃなかったのかい、バカなトミー。バカなトミーは食べものを期待した。バカな食べものだ。手に入らないバカな食べものだ。トミーの影さえもが腹が減ってるように見えた。トミーのそばにいるとき、ハレルヤの合唱が聞こえることがあった。天使がトミーを連れに舞い降りてきたんじゃないかと、あたりを見まわすこともあった。

 なんでなんだ、愛するセミコロンよ、トミーのパパがあん風に扱ったのはなぜ? これと関係することを話したら、少しは説明になるだろう。

 トミーの死に方が、17歳のぼくの兄さんとガーネットに強烈な印象を残したことは確かだ。そしてボブおじさんに与えた印象というものがある。何が起きたのか知ったあとで、ボブおじさんのところに出来事を話すために行ったけど、興奮して話すぼくに、おじさんは何の驚きもみせなかった。もっと正確に言うならば、まるでぼくは、信仰復興論者たちみたいに熱のこもった声で歌い、瞬きひとつしない信心深いカトリック教徒を改宗させようとしてるみたいな感じだった。ボブおじさんはすわって口の端からマリファナの先っぽを垂らし、ぼくの言うことなど聞いておらず、ただ1970年代のジャマイカの民主社会主義政党の歌をブツブツと唱えていた。聞き取れたのはこんな歌詞。

 

私生児どこももういない

私生児どこももういない

みんな合法

 

 翻訳するなら、すべての人は合法的であり、もう私生児はいないという意味。これは歌の一部で他にも歌詞はあるけど、ボブおじさんはこの部分だけ歌ってた。おじさんはトミーが私生児だと思ってるんじゃないか、でも確かなことはわからない。それにもっと強烈なことがいっぱい起きてるときに、なんでこれが問題なのか、ぼくには理解し難かった。 

 ボブおじさんはぼくに、オルガスムは1日もたないが、下痢はもつと言ったことがあった。これは人生における歓喜と悲惨の相対的な重さについてのおじさん流の言い方だったんだろう。トミーが死ぬことを予期してたのはおじさんだけでなく、他の者たちもそう思ってたように見えた。