DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第12章

 

「火」

 干し草でいっぱいの小屋のそばに、吸いさしのタバコを置き忘れたことで起きた火事に誰もが驚かされてから、200年以上の時が過ぎた。このあたりに住む奴隷の子孫でさえ、その結末は想像できた。さらにはテレビでは火事ですべてを失った者についてのニュースが流されたし、日曜礼拝のあとでも話題になった。またどんな理由があったにせよ、出火について弁解はできない。男の危険な癖について、その妻からの暗示がいつもあった。神に授けられた女の1日1日に、それが発せられた。

  「もしあんたが何か焼き払うようなことをしなければ、天の神様が助けてくれる。こういうことをしてれば、いつかあんたは死ぬ目にあうよ。いつの日にかね。あたしの言ったこと覚えておいで」

 そこに立っている男の表情にあるのは、それゆえに、驚きではなかった。また誰もそれを期待していなかった。

 男は妻のことを考えていた。妻は最近自由に動きまわることがかなわない年になっていた。美しく年をとることができず、聞くに耐えない口の悪さと同様、見るに耐えない静脈瘤が脚にはあった。しかし良い女ではあったし、この6月までの42年間、彼の面倒をよくみていた。女の信心は揺るぎないもので、もっと肉体を捧げてくれたらと(特に若かった頃は)思う男の望みも含め、どんな誘惑にも動じなかった。女は聖書を愛し、神を愛した。このあたりではみんながよく調理するナマズのフライの最高の作り手であった。この女は彼女なりに良い女だった。

 娘は問題なく育った。自分自身で決めて、学校を9歳でやめた。女は何も言わなかった。女の子は15歳で最初の子を持ったが、この辺りでは特に問題ではなかった。この子が街に出ていって、看護婦か何かになるために勉強するのもいいと、男は思っていた。テレビで見たことのある真っ白な制服を着た女の人だ。何によらず女の子は問題なかった。この子は教会に行っていてまともな、しっかり働いて酒を飲まない男を見つけた。一度だけ殴られたことがあるが、それ以降、尊敬をもって夫に接っするようにしたので、問題は起きなかった。 

 今、娘は男の隣りで、救出された動物たちとともに燃えたつ小屋をじっと見つめていた。娘の泣く声は、火から上がるごう音や火の粉のはじける音でかき消されたが、その苦しみがどれほどのものか男にはわかった。

 男の子はいい子だった。母と父を尊敬し、懸命に働き、動物にどう話しかけるかを知ってるように見えた。生涯で医者にかかったことはない。丈夫だったのだ。学校に行ったことはなかったが問題はなかった。農場で働いて、家計の助けをしていた。勇敢な子だったから、夜に不審な物音を聞きつけて、一人で畑や小屋まで行くのも怖くなかった。深くは眠らなかった。一度ヤギの乳を搾っていて顔を蹴られたときも、誰の指図もなく自分で学んだ。女はこの男の子を一番愛していた。

 男の生涯でもっとも後悔していることは、男の子を「息子」と呼ばなかったことだった。それはこの地域では普通のことだった。日曜日の夕方に、男の子とベランダに座ってコーヒーをすすっているとき、それを静かに下に置いて、「息子」と気のおけない会話をしたいと思ったことが何度かあるのを男は覚えていた。6時のテレビで家族ものの番組を見たあとなどには特に。しかしこの地域では、男の口から気の利いた言葉が出てくるのはめったにないことだった。

 これは燃える火の前で成すすべなく立ち尽くしていたとき、男が思い返したこと。そこに立っていて、様々な思いや記憶が心によみがえったが、心の大半を占めていたのはどうやって火が起きたかであり、どれほど男の子が火を消そうと必死になっていたかだった。これはこの男の残りの人生(死ぬまでの2時間14分を語る方法として、無益なことかもしれないが)で、考えることになる主たる二つの事柄だった。

 

K. ラブライス、超短編小説、1997年

 

 これを書いてから約10年たったよ、セミコロン、あのとき何が実際起きたのか、子ども時代の困難な経験をどうやって扱ったらいいものか、ある日座って考え、分析していた。安全な場所から真実を突くことで、自分の考えや感情を働かせる余裕ができ、子どもの自分が見たことを少しでも捉えることができた。ぼくを「息子」と呼ばなかったというのはもちろん、ぼくのパパのことだ。それにあの火事を目にしたのはこのぼくで、でもそれは小屋ではなかったし、火に焼かれたのは男の子ではなかった。

 ジャマイカの田舎で男の子が育てば、たくさんのことを見たりやったりする。いつもぼくが心を奪われることの一つは、鶏や豚を殺すときのやり方だ。鶏を殺すには二つの方法がある。一つは鶏の足をひもで縛って、それを木の枝に結びつける。そしてその頭を切り落とし、鶏がバタバタ暴れて血を撒き散らしている間、遠くに離れて待つ。もう一つの方法は鶏に穴の空いたバケツをかぶせて、頭だけ出るようにする。そして何か重いものをバケツに置いて、鶏の頭を切り落とす。この二つの違いは、あとの方はバケツの中で鶏のからだはおとなしくなって、最後の瞬間はその中に隠される。最初のやり方では、鶏がバタバタと暴れる最後のあがきを立って見ていることになる。

 豚については、やり方はまったく違ったものになる。最も効果的なやり方は、先の鋭い長い棒で豚の首のある部分を正確に突き刺す。そして豚と棒をしっかり固定して、死んでいくのを待つ。ゆっくり棒を豚の首に刺していくとき、豚はアラスカの犬が耳をピンと立てるような甲高い悲鳴をあげる。みんなが豚を捕まえているときのやり方を今でも覚えている。フリーダおばさんも、豚を押さえる男たちの中にいた。フリーダおばさんは大きなからだの人だったけど、だからといって、そういう人はゆるゆるの服を着るのが一番と言ってるわけではない。25年以上もたって心に突き刺さっていることは、もう500年も会ってない「外国から帰ったばかりの」いとこが、おばさんにはいるという会話の切れ端だった。

 「まあ、フリーダちゃん、どんだけ長いことあんたに会ってなかっただろうね。あー神様、時間というのはなんと速く過ぎ去ることでしょう。あんたが小さかった頃のことは、今でもよく覚えてるよ」

 これに対しておばさんはこう答えてた。「あらー、あたしが子どもだった頃のことを覚えてくれてるの? でも神様はご存知だけど、あたしが<小さかった>ことなどないのよ」 そう言って笑いあい抱きあい、再会を喜びあい、こんな昔のことを言い合えるのはよく知る友か親戚くらいだと心暖めている。

 話を戻すと、豚を押さえていたのはぼくのおばさんで、赤い海の一部になって、みんなの前をよちよちと歩いたり、レイランドの18輪トレーラーみたいに、早々に難行に疲れ果て座りこんでいた。

 あるとき、豚と棒がしっかり固定されたあとに、豚が逃げ出した。言うまでもなく、豚は死からは逃れられない。誰もが知るように、死を免れる者はない。どれだけ自分の謙虚さを言い立てたところで、それは変わらない。この豚はウサイン・ボルト並みに速く走り、血にまみれた殺戮に悲鳴をあげつづけた。

 真夜中にあの豚の悲鳴を耳にして、冷や汗をかいて目覚めることがあったが、目にするのは焼けただれたあの女の顔だった。ぼくの見たものの中で、最も残酷にして胸痛むものだ。ぼくはそのとき15歳で、彼女は年をとっていて正気じゃなかった。彼女もぼく同様黒人だった。黒人で貧しく正気じゃない。ぼくの家族みたいだ。

 あの狂った女に火を放ったのは、ぼくらの沈下地区の近くに住む10代の男子のグループだった。みんなはロドニーを責めた。金持ちの家の子で、16歳で車を運転して学校に来ていた。そいつらはみんなで彼女にガソリンをかけたことを告白したが、本当に火を放つつもりはなかったと言った。自分たちはただライター(ロドニーのライター)で遊んでいただけだ、と主張した。ライターの火が女の服の端を捉えたと思ったら、すごい勢いで広がって、みんなどうしたらいいかわからなかった。ぼくらがそろって裏庭を空にして現場に駆けつけたとき、ロドニーはそこに立っていた。警察もそこにいて、まだ髪やからだから煙があがっている焼け焦げた女のまわりをブラブラしていた。ロドニーの顔には後悔は感じられなかった。ロドニーの友だちもいて、心配そうにしていた。事件を見ていた人たちは、老女は豚が棒を突き刺されるときみたいな悲鳴をあげていたと語った。そのせいでぼくは、悪夢を見るたびに、焼け焦げたからだが豚みたいに逃げまわって、豚みたいに悲鳴をあげ、豚みたいに死んでいくのを目にするんだ。

 今はこういうことから逃れられて、ぼくは幸せだ、先生には感謝する。その医者が言うにはぼくが見る悪夢は、「夜のエクササイズやヘルシーな食べものでしか癒せない」ものだそうだ。