DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第4章

「ぼくは自分の変革をやりそこねたようだ。すごい長いことそれを追いかけてきたけど、もうやめねば。自分がいまどこにいるのかわからなくてもだ」

 

K. ラブレイス 2010年9月

 

 「本当のことを話すのに、外が暗かったり、雨が降ってたり、曇っている必要はない」 これはぼくが育ったジャマイカの田舎で、当時よく言われていた物言い。これをノートに記したことはなかったし、17年以上こんな言葉はすっかり忘れていた。2度目の妻(彼女もジャマイカ人)が、ぼくに送りつけてきた人生最悪のノートのはじまりの部分に、これが書きつけられていたのを読むまでは頭から飛んでた。1枚の絵で幾千の言葉を表せるとしても、このはじまりに続く652語の彼女の言葉を表せる絵は思い描けない。だけど2、3日前にヒースロー空港にいたとき、この言葉を思い出したのは、彼女のノートのせいではなかった。それにロンドンにいたとき、外は雨でも曇りでも、暗くもなかった。

 ぼくは空港のラウンジで、シークレット・エイジェントのピウピウピウと会う前、しばらくそこにすわっていた。彼女は重要なことがいっぱい記された、誰にも見つかっちゃいけない書類を(安全性を確保した上で)手にしていた。ピウピウピウはシークレット・サービスの一番若いメンバーで、自分の名前をまだ記すこともできず、極秘な存在だったため本部がその存在を認識していないくらいだった。ピウピウピウは非常に恐ろしい悪者たちと戦っており、彼女の恐れ知らずの勇敢さは筆舌に尽くし難かった。「ピウ!ピウピウピウピウ!」 ピウピウピウは悪者たちに発砲した。

 ぼく自身子どもだったころ、こういう瞬間はあった。自分の超人的なパワーがあれば、征服できないものなどないと思ってた頃のことだ。こういう瞬間が、ぼくの子ども時代にもっとあったなら、人生は違ったものになっていたかもしれない。

 でも実際は、本当のところ、ぼくが子どもだった頃は、あらゆることで自分を恥じ、ためらい、もうそれは恐怖のレベルに達していた。特別恐ろしいものがあったわけじゃない。ジャマイカのど田舎に住む、貧しくて痩せっぽちのけちな二グロの子には、恥ずかしいものだらけ、人もラバも同じ信仰のもと生きていた時代には、子どもは自分の影にさえ怯えてた。

 エホバの証人の女の人が、ぼくの魂を気づかって差し出したパンフレットを読むまでは、不幸せだと感じることも多かった。「この地上は、なんでこんなに不幸せなんでしょう。いいですか、それはここはあなたの住む場所ではないからです」 ワォー、謎がとけたぞ。啓示だ。それ以来、不幸は葬って、自分の恐怖と向き合うことができるようになった。

 あとになって激しい衝撃を受けたのは、恐怖というのはいかに深く根づくものなのか、ということだ。たとえ30年後であれ、空港のラウンジでゆったりと座っているときに、何千キロも離れた場所で生じた、自分の人生で一番恐れたものを目にし、確認すれば、いとも簡単に子ども時代の恐怖心がよみがえってくる。

 つまりこういうことなんだ。10歳だったころ、秘密の「世界最大の恐怖トップ10リスト」というのをつくっていた。グローバルサミットへの参加予定もなく、壊れたビルの下敷きになった人たちを助ける用事もない日に、ぼくは手製の日記帳に、その最終稿を書きつけていた。覚えてるのは、どの恐怖をこのリストに入れるべきか、どういう順番にするか、でひどく悩んだことだ。1週間後、満足いくものができた。その後にリストに手を入れたのは、3ヶ月後になってから。ナンバー1に入れてたものを消して、ヒースローでぼくの面前にあったものと入れ替えた。

 核戦争は1980年代の人たちにとっては、恐怖のリストのトップだった。毎日のように、とくに7時のニュースのあとに、ロシアやアメリカが、ジャマイカを社会主義の中に、あるいは資本主義の中に留めるために何をするか、みんなが議論するのを耳にした。キューバには何がなされたか。いまアメリカはグレナダに何をしようとしているか。グレナダではジュエル運動のグループの一つが政権を手にし、ロシアと手を結ぼうとしていた(ずっとあとになって、「ニュー・ジュエル運動」の名を政治学の授業で知った)。大人たちを夢中にさせるのは、アメリカとロシアのどっちが最初の核爆弾を落とすほどに邪悪かという話題で、話はそこに集中していた。

 でもこの避けがたいように見える、人類の終わりになるかもしれない戦争が、ぼくのトップ10リストに入ることはなかった。それは核戦争のことを、漫画に出てくる終末メッセージのように思ったからでも、戦争のことを理解するには幼すぎたからでもない。まだ10歳であっても、核爆発がどんなものか、それで人間がどうなるかははっきりイメージできたし、スーパーマンが 終末を救うために現れるわけじゃないことも充分わかっていた。ぼくの人並みはずれた想像力は、草の中に身を隠して追ってくるヘビみたいに、カリブの海底をこっそりやって来るロシアの潜水艦の姿をはっきりと捉えていた。この手の話を理解していたから、ぼくは大人たちの話に熱心に耳をかたむけた。軍事作戦には二つの組織が関与していた。一つはスパイと思われる共産主義者たち、もう一方はジャマイカにいるCIA諜報部員たちだった。そいつらがジャマイカのどこに隠れ家をもっていて、クソニッガたちがぼくらの国に何をしようとしているか、すべて知っていた。10歳だったけど、ぼくは情報通だった。

 ぼくがこのような夜毎の話題を、キングコング・アイスキャンディーとともに消化し、夜寝るときも、とくに心配することなく漫画のトゥイティーのことなど考えていたのは、ロシア人や潜水艦や核爆弾をこの目で見ることになるとは思ってなかったからだ。本当にあり得そうなことからは、すごくかけ離れていた。

 それとは違って、ぼくを震え上がらせるもののトップ10リストは、リアルに思えることやあり得そうなことで占められていた。

 たとえば第10位には、うちのパパがひどい機嫌の悪さで家に帰ってくることがあげられている。かなり機嫌のいいときでも、パパの目つきの険しさと面と向かうことは、終身刑よりおそろしい。パパが怒っているとき、太陽は雲の影にかくれ、昼は闇となり、家の周辺ではみんなの表情が曇る。ぼくのパパというのは、家に酔っ払って酒臭い息で帰ってくるような男ではない。だからパパが怒って帰ってくるとき、そこで起きる暴力は、頭がおかしくなってるからでも、言い訳のためでもなかった。パパはささいな苛立ちを押し殺すときに、手をかけるところがあった。

 近所の人たちもパパが帰ってくるのを目にすると、なにやら忙しそうなふりはしてたけど、みんなこれから起きることに興味しんしんだった。ぼくは家の中にとどまり、おとなしくしていた。そして理由もわからずに泣きだしそうになっていた。パパの怒りの嵐が立ち去るのをただ待った。なぜこの恐怖がリストの上の方にないのか、理由はただ一つ、リストの順番は救済法や身の守り方があるかどうかを基準にしていたからだ。ぼくがバカなことをして隠れていると、パパは怒って帰ってきて、家の脇でタバコか葉っぱを吸って怒りを鎮めていた。そんな風にしてパパのタバコ臭い怒りを嗅ぎはしたけど、味わうところまではいかなかった。

 第9位はでかくて灰色をした食いつきそうなトカゲで、いつも家の中に入ってきて天井まで登っていって、夜になると上から落ちてきそうだった。ズルズルと鼻や耳から入ってきて、ぼくの脳を味わおうというのだ。ぼくには身を守る方法はわずかしかない。兄さんを壁の方に押しやってなるべくベッドの真ん中で寝るか、もし兄さんが屁垂れでぼくを壁に押しつけようとしたら、その晩は眠らないようにするかだ。

 第8位は三本足の馬で、夜に棺桶を引いて村を走るのを村人がよく見ていた。夜遅く一人でいるとき、この馬につかまれば、その棺桶の中に自分が入ることになる。ぼくはこれから身を守る、簡単な方法を実行していた。夜遅くには家の中にいるようにするのだ。

 何日も何日も、夕飯のテーブルに何も乗らない理由、それが第7位にくる。母さんがたまたま忘れたというわけじゃないから、だんだんぼくは恐ろしい気分になった。1970年代の終わりには、うちの家族は「貧困層」の仲間入りしたんじゃないか思うようになった。近所からの借りものが増え、食べるものが減っていくのは、まだましなうち。夕飯に自分のつばでも飲んでおけと言われるようになれば、さらなる悪い状況、親子の会話も終わってる。朝食のパンにせめてバターを、できればもっと高タンパクなおかずをなどと口にするより、「ラスクラ(くそったれ)な口を閉じておく」方が賢いと学ぶのに、時間はかからなかった。

 10歳になったときには、自分が「労働者層」に放り込まれたことがはっきりしてきた。毎朝、バケツをもって、家族が水浴びしたり、料理したり、掃除したりするための水を汲みにいくのだ。そのために何キロか歩かなくちゃいけない。その道々、できれば会いたくない(特に女の子)の家の前をとおる。毎朝早めの時間に、途中の家の人たちに「貧乏人」と見られたくないと思いながら、頭の上にバケツを乗せて歩いた。

 自分たちは貧乏で、もっと貧乏になっていくということが身にしみてわかった頃、ママが現金の束をハンカチに包んで胸に押し込んでいるのに気づいた。それはママが平日も週末も、あちこちの市場でものを売って稼いだ、わずかばかりの金だった。お祈りのとき神様に見せて、これを増やしてくれたら家族を養えるとお願いすればいいのに、なんでママが小さくなるばかりのお金の束を胸に隠そうとするのか、理由がわからなかった。「聖書の中で、神様が5匹の魚でやってみせたことだよ」とある日ぼくは言った。そしたら耳をひどくぶたれた。

 その頃、ぼくは、牧師が神様の言葉と言ってたアラム語を、ママは学ぶ必要があるのでは、と思うようになった。ママがますます思い違いをするようになってて、神様とのやりとりが無駄に思えたからだ。

 朝の自分が肥えてないのは確かだった。夜にはさらに痩せていた。「骨と皮」や「虫けら」というのは、序の口に過ぎない。何が悲しいって、こんな風になったことを否定できないばかりか、止めようもないから。ぼくには自分の家の貧しさを直すことも、そこから身を守ることもできなかった。貧乏がリストの上の方に来なかったのは、単にもっと恐ろしいことが他にあったからに過ぎない。

 ドラキュラ伯爵はぼくを震え上がらせる。ぼくら子どもは毎晩、誰かの家のベランダで吸血鬼の話をした。そのあと、ベッドのそばにある窓からコウモリを見て過ごし、中に入ってもいいかと聞いてくる声に耳を澄ました。とはいえ、ドラキュラは第6位より上にはいかなかった。それは1日の終わりに、にんにくさえ手に入れれば、ドラキュラの金タマを握ったも同じだからだ。

 ブラックハート・マンは第5位だ。それはドラキュラよりパワーはないけど、もっとリアルだから。よく耳にしたのは、子どもが草むらの中で殺されて、心臓をむしり取られたという話。そんなわけで、ブラックハート・マンが待ち構えているかもしれないから、ぼくらは一人で草むらを歩いたりしないし、近道をとおって家に帰ったり絶対にしない。ぼく自身ぜったいに近道はしないってこと。

 クーリー・ダピーと呼ばれるインド女の幽霊は第4位、リストの中で一番ゾッとするやつ。本当にいるんだ。見た人がいる。悪霊の中でも、一番みすぼらしくて邪悪なやつ。生きてる上、クーリー(インド人)は怠け者として知られ、ひどい嘘つきにして盗っ人なのだ。男のクーリーはクリケットをするのが好きだけど、そうであっても、女のクーリーの邪悪さを埋め合わせることはできない。家の中をひどく汚くしている女クーリーについては、股の間にあるものと、カレーが少しだけ埋め合わせる。股の間のものについては、女クーリーは「白い肝臓」をもっていると知られていた。セックスのときのすごいスタミナはそのため。黒人の男たちがクーリーたちと寝る理由になってる。今となっては隠す理由もないので言っておくけど、のちにぼくは住んでいたペトリ・ディッシュアパートで、観察のために、クーリーのサンプルを2、3とったし、さらに重要なこととして検査にもあたった。黒人の女性と比べて、毛深さを除けば特に違いはないとわかった。

  死臭漂うクーリーにまつわる気味の悪さは、何千倍にも増幅された。クーリー・ダビーは騙しのプロだ。祖母のふりをして現れたり、夜道で仲間が欲しいと感じてるとき、自分の前を歩く人間として出てきたり、飼い犬として現れることすらある。クーリー・ダピーは人間の声をつかって人の名を呼ぶので、つい「はい」と答えてしまい、そのせいで家までついてこられてしまう。ひとたびクーリーを家までつれていけば、そこから恐ろしいことが起きはじめる。そうなればクーリーを追い出すのは至難の技となる。そいつのパパは仕事を失い、足を折り、そして病気になってやせ細り、いずれ死んでしまう。 

 「燃える子牛」は第3位にくる。これは「子牛」なんかじゃなくて、大きな黒い雄牛だ。目の中で燃える火がうねってる。この邪悪な霊はめったに現れないが、出てくるときは、夜すごく遅い時間ときまってる。こいつに見られたら、どんなに遠くからであっても、逃れることは不可能。すぐさま頭が膨張し、舌が厚ぼったくなって下あごにへばりつき、目は飛び出し、足が重たくなって動けなくなる。みんなが言うことによれば、すぐに動きがとれなくなって、口もきけず、目を閉じることもできなくなる。だから口に出すのも恐ろしい、これから起きることを見てなきゃいけなくなる。この邪悪な霊が自分にすること、腹わたから何からなにまで食い漁るところを見るんだ。考えただけで背筋がゾッとした。家の裏に「燃える子牛」がいるのは確かだ、という夜は何回もあった。静かに火を燃やし、ママがぼくに水を一杯汲んできておくれ、と頼むのを待っている。身を守る方法はあった。古い鉄の棒をつかって守る方法だけど、ぼくは家から出ないという方法が、一番簡単で一番安全だと思ってた。

 第2位は赤ん坊霊、またの名はベイビー・ダピー。悪魔をのぞけば、これ以上邪悪なダピーはいない。誰かの家の玄関前で、本物の赤ん坊の姿でよく現れる。でも同時に、人をだますために、赤ん坊以外の何にでもなれる。夜、家の外でベイビー・ダピーの泣き声がするのを耳にするだろう。誰かがやって来て、抱き上げ、家の中につれていくのを待っている。

 クーリー・ダピーが家の中に居座って、悪運や邪悪なことを持ち込むのに対して、ベイビー・ダピーの方はその場で仕事にとりかかる。人の背中に飛びつくと、命をチューチューと吸い上げる。敵意に満ちた前妻みたいに、カラカラになるまで命を吸い尽くす。気も狂わんばかりにからだを振っても、壁や床に打ちつけようとしても、払いのけることはできない。取り憑かれれば、死ぬまでに何週間もかからない、数日のうちに死ぬ。ベイビー・ダピーからのただ一つの救済法は、強力なオベアマン(呪い師)で、ベイビー・ダピーをすぐさま払いのけるための強力で特別な「入浴法」を知っていた。

 ベイビー・ダピーをつかって、誰かが自分を襲うことも心配の種になる。意地悪で不快な、妬みをもつ、汚くて、役立たずの、執念深いやつが、オベアマンのところに行って、ベイビー・ダピーを仕掛けるように頼むかもしれない。自分の持ち物(くつとか、ソックスとか、櫛とか)を夜に家の外に置き忘れないようにするのが一番だ。くそったれニッガがそれを見つけて、オベアマンあのところに持っていって、ダピーに渡したりしないためだ。それがあれば、ダピーはその人間が世界のどこにいようと、見つけ出してしまう。

 ここまでがトップの9個。ベイビー・ダピーは以前は第1位だったけど、いまは9個の恐怖を合わせた以上に恐ろしいものが、その位置についている。

 1980年代、夜になるといつも、大人たちが選挙や戦争の話をしているとき、年上の男子が代わる代わる、誰かの家のベランダでみんなに話をして聞かせた。そこで話されたことは、ぼくら年少の男の子をちびりまくらせた。

 そしてそのあと、夜遅くにママがきまってこう言いだす。「ケニー、外に行って水を一杯汲んできて」

 ぼくはすぐにこう返す。「マーティン、水汲みに一緒に、、」と言いかけたところで、いつものぶっきらぼうな言い方で、マーティンは「なんでこのクソッタレが自分一人で行かないんだ」と返す。で、ぼくは足をすくませ棒立ちになって、ムチ打ちが来る覚悟をする。心の狭い兄さんが決してついて来てくれないことをぼくは知っていた。兄さんはママの頼み、外の暗さ、連れがいないことがどんな窮地を呼ぶか、完璧に理解していた。くそニッガはぼくがムチ打ちを受けていたとき、それを楽しんでいた。

 リストをつくってから3ヶ月くらいたったある夜、ぼくはついにベイビー・ダピーを第1位の座から下ろした。コートニーがぼくらにある話をしたあとのことだった。その話はそれ以来ぼくから離れることがなかった。こんな話だ。

 

 昔々、スリゴビルというところに、一人の男が住んでいた。その男には息子と娘が一人ずついた。男の名前はジョセフで、14歳の息子はリトル・ジェイと呼ばれていた。娘のパメラは5歳だった。男は妻を2年前に亡くしていた。妻を乗せたロバが市場からの帰り道、山で足を滑らせたのだ。

 ある朝のこと、ジョセフはリトル・ジェイに市場に行ってヤムイモ、キャッサバ、胡椒、豚肉を夕飯のために買ってくるよう言いつけた。ジョセフはいくらかの金とライム一袋を渡し、リトル・ジェイを市場に送り出した。リトル・ジェイは市場につくと、食品店に行ってヤムイモとキャッサバを買った。それからトムおじさんの店に行って胡椒を手に入れた。ジェイのパパはトムと仲のいい友だちだったから、胡椒を多めにくれたり、玉ねぎや甘唐辛子をつけてくれることがあった。ジェイの家では、ライムと胡椒の交換をトムとしていた。

 肉売り場に歩いていく途中、リトル・ジェイは一人の女が自分の店の脇に座っているのに気づいた。そこは今日はじめて気づいた一角だった。老女のように見えたが、女の姿ははっきりとは見てとれず、売っているものもわからなかった。老女は一人のようだった。リトル・ジェイのママはいつも老人には親切にするように言っていたので、ジェイは老女の店まで行って、何を売っているのかみようと思った。この老女から何か少し買っても、パパは怒ったりしないだろうとジェイは思った。そうすればこの人は、自分の子どものために使うお金が手に入る。年配の人たちは、小さな男の子や女の子と話すのが好きだから、自分が行ってあいさつをしたら喜ぶにちがいない。リトル・ジェイはとても礼儀正しい子だった。

 リトル・ジェイは豚肉を買わずに、こちらに背を向けてすわっている老女の方に歩いていった。そして礼儀正しく声をかけた。「すいません、おばさん、何を売っているんですか?」(この時点で、この話は『ジャックと豆の木』ではないとわかった。)

 老女はゆっくりとリトル・ジェイの方に向きなおった。そのときリトル・ジェイは、スカートから出ている老女の足が、ヤギの蹄のように二つに割れていることに気づいた。リトル・ジェイは後ずさりしたが、遅かった。老女はこちらを向くと、ジェイの顔を驚いたように見つめた。その目は深いブルーだった。

 老女が話しかけてきたとき、一瞬でリトル・ジェイは固まってしまった。リトル・ジェイは食料品の入った袋もお金もその場に残して、パパのいる家まで一目散に走って帰った。パパの腕の中に飛び込むと、大声で泣きはじめ、僕は死んでしまうと言いたてた。ジョセフは何があったんだい、と訊ね、リトル・ジェイは悪魔に会って魂を取られそうになったと訴えた。リトル・ジェイは市場にいた老女の話をし、その女が自分を見てひどく驚いていたと伝えた。ひとたび女の目を見たら、自分を追いかけて来て、スリゴビルから遠く離れたところに連れ去るに違いない、とリトル・ジェイは言った。ジョセフはいったい何が起きたのか、どうしたらいいのかわからなかったが、息子がひどく怯えるようなことが起きて、とても怖がっているのはわかった。ジョセフは、ロバで遠く離れたトレローニーに住んでいる祖母のところに、急いで行くように言った。リトル・ジェイは家から飛び出すと、何ももたずにロバに飛び乗った。そしてトレローニーに直行した。

 リトル・ジェイが家を出てから1時間後、ジョセフは市場で何があったのか、息子が何を見たのか、自分の目で確かめようと出かけることにした。市場についたジョセフは、店の脇にすわっている老女を探して、長いことあたりを歩きまわった。ほとんどあきらめかけたとき、店の脇に一人すわっている老女を見つけた。今まで見たことのない一角だった。

 ジョセフは背中を向けてすわっている老女の方に歩いていった。「すいません、奥さん、わたしの息子が今朝、市場に来て老女と会ったと言いまし、、」

 「そのとおり、リトル・ジェイに会ったよ」と老女が、質問をさえぎって答えた。これを聞いて、ジョセフはこの老女はどうやって息子の名前を知ったのかと思い、ひどく不安になった。ジョセフはさらにこう言った。「息子が言うには、あなたは悪魔で魂を取りにやって来ると、ひとたびあなたの目を見てしまったら、その人間は死ぬというんです」

 老女はするとこう言った。「そのとおり、あの子の魂を取りに来たんだ」 ジョセフはこの気味の悪い老女のことが恐ろしくなってきた(コートニーは老女の声色をつかって言ったのだけど、ゾッとするものだった)。 さらに何か言おうとしたジョセフは、息子が言っていたとおり、老女の足がヤギの蹄のように二つに割れているのを目にした。ジョセフは後ずさりしながら、こう訊ねた。「しかし息子は、あなたは息子を目にして驚いていたと言っていた。それは本当なのか?」

 3回目の「そのとおり」を老女は口にした。しばし口をつぐんでから、こう言った。「今朝、リトル・ジェイを見てわたしはびっくりした、ジョセフ。それはあんたに会いたいと思ってたからだ。今晩トレローニーでリトル・ジェイに会うつもりだ。そこであの子の魂を盗むだろうよ」

 そこで老女は振り返ると、ジョセフを邪悪なブルーの目で見つめてきた。

 

 この話は、2ヶ月間、ぼくの心を締めつけた。一つににはこの話が、どこに行こうと自分の運命からは逃れられないことを示していたから。もう一つには、5歳の娘を置き去りにして、男とその息子を連れ去るという、悪魔の冷酷さ、残酷さ、卑しさのため。さらには、親切に振舞おうとした男の子に、まったく哀れみを見せなかったことだ。この世に悪魔がいることをはっきりと示したコートニーの老女の声色に寒気がした。それがいったい誰なのか、何をしてくるのか知らされなくとも、どうやっても止めることができないことだけはわかってた。ぼくは女の人の足を見ることをなんとかして避けようとした。市場に行くことができなかった(たくさんのムチを受けた)。どこに行くときも、常にうしろを振りかえって見た。自分の影が動くのにもビクビクするようになった。おばあちゃんの家で寝てもいいかとママに訊いた。その家はガラス窓がないから、夜、何も、誰も見えない。

 これは30年前のこと、人生で一番ぼくが恐れたものは、深いブルーの目をもつ人間の姿をした悪魔だった。

 子ども時代の記憶は追いやることはできても、影のようについてまわるものだ。子ども時代の恐怖感や恥というのは、いとも簡単によみがえる。どこにいようと、クローゼットをあけて、今日着るシャツを選んでいるとき、顔を出す。

 2011年のヒースロー空港に戻ろう。エージェントのピウピウピウと出会ったあと、自分の席の少し向こうにいる、北米人ぽい母親のそばで、ぐずぐず言って泣いて寝てしまった6、7歳の女の子を見た。

 寝入る前の娘と母の会話:

 「ママ、もし海の上を飛んでるとき、飛行機が壊れたらどうなるの?」

 「飛行機の人が浮く道具をくれるから、、、ライフジャケットとか、水の中でつかうものよ」

 「地上におりれるようにパラシュートをくれたりしないの?」

 「いいえ、ライフジャケットかそれに代わるものをくれるの」

 「でもマミー、海にいたら、サメがやって来てあたしたちを食べちゃうよ! そうやって殺されちゃうの?」

 「いいえ、サメはわたしたちを食べたりはしないの。ちゃんと救出され、、」

 「だけどなんでパラシュートをくれないの? サメがあたしたちを食べちゃうよ! 海に入れられるのはいや、サメに食べられちゃう」

 涙がボロボロ、それからシクシク、そして寝入った。この女の子は休暇の帰り道で、水族館でサメが牙を剝くのを見たか、ディスカバリーチャンネルをその前に乗った飛行機で見たかしたのだ。

 西ヨーロッパ風の女性を見たのは、そのあとのことだった。彼女は白人で、中国人のような子どもを抱いていた。2、3年前に成立した中国の(トシヨリビンボーデブオタクはお断りの)キビシイ養子縁組制度に変わる前に、きっとこの子を養子にしたのだろう。ぼくは母子のやりとりを少しの間見ていた。それは西洋式子ども操縦法の標準的なもので、子どもは笑い、走り、母親はそれを見てにっこりし、声をかけ、子を励ます、といったものだった。

 この母子から目をそらしたとき、母親の隣りの席に置かれたラップトップの上にあるマッキンゼーのラベル付きフォルダーに気づいた。彼女のものでないことは明らかだった。目をあげると、かつて見たことのある、人間の姿をした深いブルーの目のモノがそこにいた。冷たい汗が首筋をつたい、手がブルブルと震えた。ぼくの中の何かが大声をあげていた。ぼくはもう大人だ、わかってる、でもこういうことは消えることなく増幅するのだ。

 ブルーの目のイグナシオはスペインのバルセロナから来ていた。彼はグローバル・マネージメント・コンサルタント企業のマッキンゼーで、戦術顧問をしていた。3年間、ノルウェーの支局で働いていた。母親がスカンジナビア人であるのが理由の一つだった。母親は氷のように冷たい、大陸棚の暗い海のようなブルーの目の由来でもあった。

 イグナシオはFTの本(ビジネススクール卒業生の標準的教科書)をもっていたが、サイモン・ウィンチェスターの「クラカトア」に心を奪われていた。彼は「まとも」に見え、本に没頭していた。

 若いコンサルタントがみなそうであるように、イグナシオは働きすぎにちがいなかったが、リラックスして寛いでいた。おそらく彼の良心に曇りはない。多分恐れるものもなかった。こいつは大陸を越えて追ってくる過去の恐怖から、魔除けで身を守る必要などなかった。飛行機の中で毛布と追加の枕をもってこさせて12のFとDの席に陣取り、自分の搭乗を待ち構えている子ども時代のいやな記憶などなどかった。ラウンジで誰かがやって来て、「おい、おまえの妹はベランダに座って煙突でうんちして、通行人に手を振ってただろ?」と訊いてくるかもしれないなどと心配する理由がなかった。それは彼じゃない。この男は故郷からはるか離れたところを、幼い頃から、飛行機で旅する暮らしを送っていた。こいつは空想上の車に乗って学校に通う必要などなかった。冬にはスキーに行き、春には草地で犬を遊ばせた。その犬が帰り道を忘れてしまえばいい、などと心の内で思ったりしなかった。イグナシオは自分の皮膚の内で快適に生きていた。サイモンとガーファンクルが「適切なタイミングで生まれた」と歌う男の子そのものだった。

 ぼくは会話を開始した。自分の恐怖を克服するのに、これまでに試して成果のあった方法だった。イグナシオはインドネシアのジャカルタで、1年の任務につく途上だった。ぼくもそこに向かっていた。

 「きっとインドネシア人の素敵な奥さんと子ども2、3人に恵まれるんだろうね。そのことでどでかい太鼓っぱらのオーストラリア人に殴られなきゃね」 ぼくは最上のユーモアをもって言ってみた。「さらには躾のいい小さな犬を連れて散歩に出たときに、犬がムスリムに吠えついたりしなければだけどさ」 イグナシオが笑った。ぼくは窓の外で飛行機が着陸するところを見たくて、彼から目を逸らしていた。パイロットは、ナイトクラブで黒人の男が「ヘイ、ベイビー」と誘うときの口調みたいに、素晴らしく滑らかに飛行機を着陸させた。

 ぼくはイグナシオが、バンコクに仕事で行くときも結婚指輪をしているような、子ども2人に犬1匹ファミリーの真面目男なのだろうかと考えた。それともさらなるクソ真面目男か。おそらくそういったクソ真面目男なら、ジャカルタの悪名高いMブロックのあたりを何時間もうろついて、なにやらわけのわからないものを探検して歩くかもしれない。 

 ぼくはまたこう考えていた。ぼくら2人(ジャカルタに向かう2人のコンサルタント)は、表面上は似ていても、一方は女の子宮にいるヤギのようだ(場違いのところにいる)と感じている。一人は賞賛の嵐の中、オリンピックの金メダルをもらう男。もう一方は2年後に、誰かがメダルを剥奪されて代わりに手に入れる男。そうであっても金は金だ、という人はいるが、ぼくはいつもその違いを感じていた。ぼくらは同じじゃない。暗黒物質について理解してたとしても、周期表に並ぶ元素の95%を土壌にもつ国々を旅してきてたとしても、違いは生まれないと知っている。自分は自分でしかない。

 イグナシオは20代後半に見えたけど、年配の人のように賢く、穏やかな調子で話した。パーティや女の話はしなかった。最新のiPhoneやブラックベリーのことをほのめかしたりもしなかった。しょっちゅう機上にいることや、ゴールドやプラチナ、セネターカード、あるいは現金でラウンジに入れることをを吹聴したりしなかった。趣味のいい服を着て、シャツはパンツの中にきっちり入れ、爪も短くきれいに手入れされていた。髪は刈りたて、プレーンな白いシャツを着て、想像するに、その日にマッチするワード入りの純白のサタデー・トランクスをはいている(に違いない)。

 イグナシオは話の中で、神様に敬意を表していた。ばあちゃんが生きてたら、イグナシオに話しかけたりはしなかっただろう。それは古い世代の奴隷の子孫として、肌の色や階級に対する見方がぼくらとは違うからだ。でもばあちゃんは、礼儀正しい孫のためにとってある特別な笑顔をイグナシオに見せるかもしれない。あるいはイグナシオが本当に神様だったら、その手に触れようとしたかもしれない。

 ぼくとイグナシオは、ほとんどの時間、スペイン市民戦争の話を、それが人々に、地域の人や友だち、家族に何をもたらしたかについて話していた。イグナシオの父さんは、フランコ時代の話をたくさん彼にしたそうだ。ぼくらはその話と、ぼくがボスニアについて知ってることとを比較した。ぼくは2、3年前、仕事でボスニアに行き、市を取り囲む丘陵地帯にある墓地を観光で見てまわった。ぼくらのガイドは昔、博士号を取得したサラエボの学生だったけど、戦争のあとはタクシーの運転手になり、副業として観光ツアーのガイドをしていた。彼はとても知識豊富だった。ガイドの墓地の選び方で(それが示すものはやや露骨だった)、彼が説明する戦争の歴史、どうやって戦争が起きたのかの話はぼくにも理解できた。ぼくらがそこで求められたのは、まわりを見まわしてどのように戦争が終わりを迎えたかを知ることだった。それが彼の観光案内の落としどころだった。

 ぼくはその日ガイドから聞いて学んだことをイグナシオに話した。でも多くの時間は、イグナシオからスペインの話を聞いていた。彼がパパから聞いた話は、どれも誠実に語られたに違いないと思った。ぼくはイグナシオの中の父親を感じた。父親はイグナシオのことをよく「息子」と呼んでいたんだな、と思った。

 イグナシオは市民戦争時代のことをもっと知るために、映画「パンズ・ラビリンス」を見るよう勧めてきた。ブロックバスターでDVDを探して見てみるよ、といつもの調子で言いそうになったけど、やめた。コンサルタント業をする者として、約束を守る時間的余裕がどれくらいあるかくらいわかってた。人に勧められた本を買ったり、来週「ランチでもしよう」と誰かに電話をしたり、銀行口座をつくろうとする時間のことだ。つまりビジネススクールの「人間の心理と行動」の授業で教わるようなことだ。イグナシオの勧めに対して、ぼくは「面白そうだね」とだけ返した。

 イグナシオは自分の不眠症のことに触れた。コンサルタントとして、ぼくらはいつも決まって、どれくらいの量の仕事をして、いかに寝てないかを話しあう。不眠症はいまわしい。ぼくもひどくなってる、と返した。イグナシオは自分の不眠症は夜遅いことと、時差のある国々を行ったり来たりするせいだと思っていた。時差ボケを防ぐメラトニンを飲んだところで、大した差はなかった。イグナシオは何が時差ボケを起こしてると思うか、と訊いてきた。よくわからないけど、自分の中で市民戦争が起きているみたいな気分だよ、と答えた。

 クスクスと口元で笑うとイグナシオは「自分は何と戦ってると思うんだ?」と訊いてきた。

 「そうだな、ほんとによくわからないんだ、、、何なのかいまも考えてるよ」 本当のことはたった二言なんだけど。それは、ぼくの、過去。

 「市民戦争みたいにか? 僕の父さんは、市民戦争ってのは好戦家のマスターベーションみたいなものだ、と言ってたな」 そう言うとイグナシオはまたクスクスと笑った。

 そう言われた瞬間、イグナシオが何を言おうとしてるのかわかった。自分を探索することは結構イタイことなのだ。おそらく回想録を書くような感じじゃないか。

 

オベアマン:

ブードゥーとか黒魔術とか魔力とかの話には、オベアが出てくる。オベアはいろいろある黒魔術の中のジャマイカ版で、奴隷船の船底で生まれてアフリカからカリブ海にもってこられた。これを持ち込んだ人間は、旅の間に体重を落とさなかった唯一の奴隷で、ムチで打たれることもなく、長旅の間じゅう働くことなく座っていても、白人の誰かが目を向けてくることのない者だった。ウソじゃない、そいつはオベアマンだったんだ!