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Photo by WordRidden(CC BY 2.0)

どうするカタカナ

ピーター・バラカン

 イギリスでは自分のことを笑えることが大変重要で、逆に自分のことを笑えないやつは野暮といった雰囲気がある。英語でself-deprecating(セルフ・デプレケイティング)という、ぼくはそんな感覚を日本語で表現する時は"自嘲的なユーモア"と言っているが、この"嘲(あざけ)る"という漢字が持つニュアンスがよくないとの指摘をうけたことがある。

 たしかにdeprecateという単語は、他人に対してなら日本語と同じ意味を持つが、対象が自分自身となるとむしろ肯定的な印象を与える。これはイギリスと日本の文化そのものの違いかもしれない。

 長年東京で暮らしているにもかかわらず、自分自身の笑いの感覚はやはりイギリス的だなと、改めて感じた。そんなことを念頭におきながらお読みいただけると幸いです*

 それから、選んでいる作品の表記について、日本語のアルバム・タイトルや曲名をどうするか、著者と編集者の間で相当の議論が展開された。原稿を書いた時点でどのアルバムもCDで入手できることを条件に選んでいるが、国内盤で簡単に買えるものもあれば、輸入盤しかなく、しかもかなり探しにくいものもあるわけだ。

 しかし、本が出たあとに初めて日本盤が出たり、あるいは逆に日本盤が廃盤になったり、状況がいつどう変わるか分からないので、そういう区別を一切せずに表記することにした。邦題がつけられたことがあるアルバムや曲名は、ぼくの反対意見が押し切られて、その邦題で表記された。その代わり、巻末に、付録のような形で英語の原タイトルもすべて掲載したので、参照していただきたい。

 また、この本に登場するミュージシャンや作品の名前はすべて外国のものだ。これらの名前をカタカナで表記するにあたって、ぼくは大きな悩みを抱えた。それは、日本で通常使われている表記が間違っている場合が多いからだ。残念なことに、レコード会社は間違いに気づいても「もうこれで通っているから」と、たいてい直そうとはしない。

 しかし、人の名前を正しく発音しようと努力することは、その人に対する最低の礼儀だとぼくは考えている。したがって、この本では人名の表記は原語にできるだけ近いものにしている。見慣れないものもかなりあると思いますが、ご了承ください。

 もし、徹底的にやれば、たとえば「ロバートソン」は「ロブツン」に変わってしまうので、ある程度は日本の習慣を尊重したが、「アレサ」を「アリーサ」に直したり、存在しない「グラハム」を「グレアム」に直したりはした。ちなみに、「アコースティック」というのも「アクースティック」でなければならない。「ブルース」も「ブルーズ」だ。

 どの辞書を見ても正しい発音がちゃんと書いてあるにもかかわらず、日本の音楽業界は間違ったつづりを使い続けており、ぼくが「朝日新聞」に書く原稿も、本人が説明しているのに改められるほどだ。

 もう一つ、ぼくはこの本のタイトルを「マイ・ジェネレーション」(もちろんザ・フーの曲名にちなんで)にしたかった。それは、ここで書いている内容を最もうまく表現したものだと思っていたからだ。自分が長い月日をかけて書いた本だから、それが世間でどのように呼ばれるかについて当然かなりのこだわりがあるが、残念ながら実現しなかった。愚痴のように聞こえるかもしれないが、読者の皆さんに自分の気持ちを知って欲しい。

 

1998年9月

Copyright 1998 by Peter Barakan

 

この文章は、講談社+α文庫刊のピーター・バラカン著「ぼくが愛するロック名盤240」まえがきの中の『読者のみなさまへのお断り』より転載しました。英語版はピーター・バラカンさんが葉っぱの坑夫のために書きおろしてくださったものです。

注釈
ピーター・バラカンについて

ピーター・バラカン

1951年8月20日ロンドン生まれ

1973年、ロンドン大学日本語学科卒業

1974年、来日、シンコー・ミュージック国際部入社、著作権関係の仕事に従事。

1980年、同退社

このころから執筆活動、ラジオ番組への出演などを開始、また1980年から1986年までイエロー・マジック・オーケストラ、後に個々のメンバーの海外コーディネーションを担当。

1984年、TBS-TV「ザ・ポッパーズMTV」というミュージック・ヴィデオ番組の司会を担当、以降3年半続く。

1988年、10月からTBS-TV で「CBSドキュメント」(アメリカCBS制作番組60 Minutesを主な素材とする、社会問題を扱ったドキュメンタリー番組)の司会を担当。音楽番組以外では初めてのレギュラー番組。 2010年4月からTBS系列のニュース専門チャンネル「ニュースバード」に移籍、番組名も「CBS 60ミニッツ」に変更。 2014年3月終了。

1986年から完全に独立し、放送番組の制作、出演を中心に活動中。
ラジオ:Radio Switch(J-WAVE) 奇数月第4週のみ「Barakan Switch」となり出演する。2018年10月-
テレビ:音楽と旅するアメリカ (CS旅チャンネル) 2014年10月-

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