Photo by Laura Camp | CC BY-NC 2.0
ブライト・ウォーターの草原にやって来る前、砂糖松はひと夏の間、親木の松のとがったマツカサの中で、ぶらぶら揺れていましたが、ある日風が増水した雪解け水の上にやさしく落としてくれたので、やっと木になるための成長をはじめました。砂糖松は、自分がいま生きていて大きくなろうとしている、ということ以外、なにひとつ知りません。それにまだ生まれて一年目のこの木は、ブライト・ウォーターに密生しているパーナサスのチビ草たちほどの背の高さもないのです。実際のところ、シモツケソウ、ファイアーウィード、背たか百合、トリカブト、オダマキたちを見おろすようになるまでには、何年もの年月がかかります。こういう境遇の中にいる間は、自己主張もかないません。
砂糖松は花を咲かせることもないので、この子供時代の日々を、ずっとくやしさの中で過ごしました。見た目かたくるしく、くそ真面目、深緑一色で、針葉だってどれもこれもいっしょ、蜜取りたちだって来やしない、そんな砂糖松。草原いちめんがバラ色やむらさき色の花々で埋まったとき、砂糖松はからだを震わせ、透明な樹脂の涙をにじませました。みんながそうやって美しく咲きほこるので、なおのこと悲しくなったのです。ハチドリさえ、空中を矢のように飛んで来て、砂糖松を目にした瞬間、あからさまに引き返していってしまうのです。でも礼儀だけは正しくて、「あら、失礼っ。花があるかと思ったんで」。若い砂糖松にとっては、無視されるほうがまだましでした。
「ねえ、花を咲かせてみたらどうなの?」シモツケソウが言いました。
「簡単なことなのに。こう、すればいいのよ」いい香りのする雪の吹きだまりみたいな花を広げて言います。砂糖松は自分が変われないこと、おかたく地味な緑だとわかっていました。でも新しい樹液がザワザワうずうずする感じが毎年毎年あって、何かいいことが起こりそうだと思っていました。
「思うんだけど」とある日、砂糖松は言いました。「ボクは、きみたちとは違う風に、なるんじゃないかな」。
「はん、もったいぶった連中が言いそうなことだわね」とファイアーウィード。「いつだって、自分にとって不都合なことは見ないようにして、人より優れてるって考えてるんじゃないの。みんな、あんたがいつも知った風な顔してるって思ってんのよ」。
小さな砂糖松はため息をつきました。「優れてる」って言ったんじゃなくて「ちがう」って言っただけなのです。でも年を重ねるごとに、砂糖松は言っていたように、自分がなっていくのがわかりました。
「もっと、自然にふるまったら」とシモツケソウ。「そんなカチカチしないで。そうすれば、そんな真緑のあんただって、ちっとは人に愛されると思うよ」。
そこで砂糖松は手をのばして、花たちと混じり合おうとしましたが、とがった針葉は花びらを裂いてしまうし、自分の固い枝は優雅な身のこなしをする花々のゆれに合わせられないしで、結局あきらめました。実際、それ以上、砂糖松が仲間にはいろうとしたならば、もっと悪いことになりそうでした。
「あんたがそんな風に、ハグレものじゃなかったらねえ」と花たちが声をそろえました。その草地にいる若い草木たちは、松は固いものだということを、知らなかったのです。
とはいえ、砂糖松はいつもいつも、つまらない日々を送っていたわけでもありません。ブライト・ウォーターの名のとおり、この小さな谷間の草地をさらさらと流れていく小川が、ヒョウ模様の砂利の上できらめいているのを見つけたり、山の上から降りそそぐ光が川面に美しく反射するのに見とれたり、そういう日々がありました。風あたたかく、空まっ青に晴れわたり、草地のへりに生えている松の樹液の匂いが、若木のところまで甘い夢のように漂ってくる頃になっても、まだ、砂糖松は自分が何ものであるのかわかっていませんでした。ただ、夏の花々の饗宴をたのしみ、冷たい雪の感触を味わっては、春の兆しがやって来る日を夢見て暗い静かな場所にじっとしていました。そして、その草地が砂糖松のことなんか忘れてしまったみたいになったころ、小さな木はもの思いにふけるようになり、時が過ぎていくのを楽しみはじめました。
「こういうことかなぁ」と砂糖松は考えました。「他の草木のように花が咲かないボクは、かなしい。だけど、もしああいう生き方をしていたら、ボクにもすぐに終わりがきて、それには満足できないと思う。つまり、だれも、あれもこれもは、無理なんだ。精いっぱい、自分を生きることなんだ」。
早い時期に、若木は仲間の中で自分だけが、冬の間もずっと緑のまま成長しつづけていることに気がつきました。ひそかに、そのことに誇りを感じてもいたのですが、花々たちは自分たちの意見を押しつけようと世話をやくのです。
「キミは、自分がちょっと特別な存在だって思われたいだけなんだよ」とオダマキ。「みんなのうわさほど、キミが自分のことを好きじゃないことは見てればわかるよ。言わせてもらえば、そんなふるまいをしていたら、あんまり見込はないんじゃないかな」。それからは、小さな木は、平凡な夏の花を咲かせる、ありきたりの雑草になることより多くは望まなくなりました。
「だけど、ぼくは草じゃない」と小さな木。「ちがう、ちがう。もしみんながぼくのやり方を認めてくれるなら、ぼくだってもっと良くなれるのに」
その夏、若木はシモツケソウと同じくらいの背の高さになり、松の親木が品のいい枝ぶりでバランスを取り、天に向かってひらいた冠の中に太陽の光を集めている、その辺りまで見わたすことができるようになりました。親木の松は立ったまま居眠りでもしているようにぐらぐら揺れていましたが、ぶら下がっている黄金の松かさもろとも大枝をひと振りして、やさしい吐息を送ってよこしました。それを見て、ばかにされ続けだった小さな若木はからだ中にゾクゾクと快感を走らせ、枝という枝をブルッと震わせました。そして百合の花の間から、嬉しいような照れくさいような思いで、おじぎを返しました。まだよくは信じられなかったのですが、自分があのすてきな砂糖松の仲間だと知ったのです。その後は、もう、花の仲間になろうなんてことを考えるのはやめました。シモツケソウにむかって、そのことを打ち明けもしました。
「そう。もしそう思うのが気持いいんだったらね。でも、だれにもそんなこと、言わない方がいいよ。自分のことを取り違えてるみたいに思われるからね。友達だからこそ、こんなこと言うんだよ」とシモツケソウは言いましたが、実は自分の方が取り違えていたわけですが。
それから、その一帯では、あの陰気なおかたい潅木が自分を松だなんてうぬぼれている、という噂がたち、その噂は嘲笑とともに走り回り、牧草をうなずかせながらブライト・ウォーターの果ての年老いたハンノキの所まで達しました。ハンノキはシモツケソウが覚えているよりもずっと前から、小川のところに生えていて、いろいろなことの成りゆきを見てきていました。
「そんなに、すぐに笑い者にするんじゃない」とハンノキ。「この草地で見たことより、不思議なことはいろいろあった」。とても年をとっているハンノキは言います。
「わたしたち、ずっと、あの木のことを見てきたけど」とファイアーウィード。「何一つこれといったこと、してないわ」
Photo by Laura Camp | CC BY-NC 2.0
若い松にとってとても耐え難いことばかりでしたが、いいことがやって来ました。その夏、森林警備隊のレンジャーが仲間の学者を連れて、馬でブライト・ウォーターにやって来て、花々をほめたたえた上、花の総数と種類を数えていきました。花たちがいかに、身繕ろいし、自尊心をみせつけたことか。
「きみの言うとおり、どの花もとても美しいね」。学者が、松の木のそばで連れのレンジャーに言いました。「この花々も地面をおおうことである役割を果たしているんだが、山にとって本当に大切なのは木なんだ。ほら、ここにあるべき木の若木があるじゃないか。こいつに、幸運を与えてやらなくちゃな」と言うと、木の回りに咲き乱れている花々を引き抜きはじめました。
「それは何なんです?」とレンジャー。
「砂糖松さ」と答えて、「たぶん、向こうにあった松の若木として素晴らしい見本になる」。学者は太陽と空気があたるよう、地面をきれいにしていきました。
「いやー、だけど、許可を得なくては」とレンジャー。「このみすぼらしい若木のために、きれいな花々を刈ってしまうってことを」。
「はー、五十年、六十年って待つのかね」と学者。「それくらいかかって、どんな形に成長するのかがわかるんだ。この種の松は、二、三百年かかってやっと全盛期になるんだから」。二人は話ながらトレイルに馬を走らせました。
そこで話されていたことが、草地中にひろがり、騒ぎをもたらしました。年老いたハンノキのところにその話が届いたとき、ハンノキは年老いた頭をふりました。「ほー、そりゃよかった」とハンノキ。「言ったとおりだろ」。
「わたし、この目で見るまでは信じない」とファイアーウィード。「花たちは、前から知っていたのかもしれないな」。若い松の木はため息をつきました。「そして、ボクがこの同じ草地で育っていっていることを誇りに思っていたんだ、きっと」。
しかし、そうではありませんでした。花たちは何ごともなかったかのように、満開の花々をみせびらかしました。若木は言われていた通り成長していき、草地の端の大きな松の木たちは、風にのせて声援を送ってよこしました。砂糖松の若木はまだとんがり型の樹形を保ったままでしたが、時が過ぎていくのをがまん強く待っていました。自分の中に、これからの自分のあり様が感じられました。五十年、六十年の後、森林警備隊の人が言っていたとおり、若木は松かさをつけたりっぱな大枝を突き出し、嵐や吹きすさぶ風にうたれてできたしなやかな曲線を保ちながら、花々の群れの上を保護するようにおおって立っていました。リスたちが幹を駆け上がっていって、風の吹く木のてっぺんで楽しげに仲間を呼んでいます。
「あの木は、ここで育ったお隣さん」と背たか百合たち。「みんな、あの木が若木のころを知っている。そして今、松の中でも背の高さは一番」。
「たぶんね」とファイアーウィード。「でも、松の木の喜びってなにさ?」
砂糖松は聞いていませんでした。草地の小さな連中のはるか上の方まで成長していましたから。そして百年間のあいだ、成長を続けました。その高い高いところの枝に太陽をいっぱい集め、ゆさゆさとそれを揺らしました。砂糖松は、自分らしく、おだやかな口調で、仲間の木たちとおしゃべりをするのでした。
日本語訳:だいこくかずえ
"The Sugar Pine" from The Basket Woman: A Book of Indian Tales, by Mary Hunter Austin
メアリー・オースティン | Mary Austin
アメリカ、イリノイ州出身の作家、ナチュラリスト(1868~1934年)。カリフォルニア州南部の沙漠地帯に長く暮らし、そこで観察したこと体験したことを小説、エッセイ、詩集、童話などの題材とし、多くの作品を生み出した。シエラ・ネヴァダの東斜面に沿って細くのびる谷間、オーウェンズ・ヴァレーの小さな町を転々とし、この土地特有の野生のありよう(動植物、地形、気候風土など)に親しみ、そこで暮らすインディアンの人々や鉱夫、羊飼いたちと深く親交することで多くのことを学んだという。主な作品に「雨の降らない土地」(1903年)がある。