Photo by Fred Moore | CC BY-NC 2.0

コヨーテ霊と籠あみ女

メアリー・ハンター・オースティン

メスキートが生える砂丘地帯、そこを水のない川が走ります。籠あみ女は、その石だらけの涸れ川の土手下に住んでいました。悪い行ないをしたために姿を変えられてしまった元インディアンのコヨーテ霊は、涸れ川のはじまるブラックロックのあたりから、パーラナガットの丘の向こうの白い砂地の間をいつも行ったり来たりしていました。そして山羊娘は、自分の山羊の群れをつれてメスキートの草地を行くか、カンプーディ(インディアンの集落)のふもとの風の吹きわたるセージの茂みにそって歩くのが常でした。コヨーテ霊は昼の間、集落の近くに来ることはなかったし、山羊娘は、パーラナガットに日が沈むころには家へ帰ってしまったので、ふたりが出会うことはありませんでした。物語の登場人物はこの三人です。

 

 籠あみ女の仕事は、裂いたヤナギやユッカの根、枯れ草などで籠をつくることで、だれも一緒に住む人がいないので、一人暮らしをしていました。集落の人々からは、あの人は自分たちとはちょっと違うとささやかれていました。うわさでは、女は目が弱っていて、あらゆるものに虹の縁がかかって見えるので、なんでも実物より大きく、美しく、すばらしいもののように見てしまうと言われていました。そのせいで女の毎日は豊かさにあふれ、一握りの松の実もあきれるくらいのごちそうになりましたし、家の前を行く弓矢を背負った若者はみな絵に描かれた勇士となりました。根っこ掘りに来た老婆たちも、りっぱな羽飾りのまじない師にまけない見映えでした。カンプーディの人々の顔は、ブラックロック地帯の溶岩をまぶしたように浅黒く、労働と自然の厳しさで深いしわが刻まれていましたが、この変わり者の老女の目には、パーラナガットの夕日の中で美しく輝いて見えました。カンプーディの方にむかって開かれた女の小屋の扉からは、煮炊きするおいしそうな湯気が流れ、女は土手下の夕日の影の中で籠を編みながら、砂丘にかこまれた石だらけの川底を見おろし、花霞でおおわれた幻想的なメサや、いつもこんな場所で遊べたらなあと集まってきた、小道をふわふわ飛びまわる動物たちを眺めていました。

 

 すべてがそんな風だったので、籠あみ女のつくる籠がすばらしい出来とわかっても、驚くにはあたりませんでした。部族の人々はみんな、目くばせしたりじゅず玉で合図したりしながらも、シカの尻肉や籠一杯のメスキート粉を入れるために、うれしそうに女の籠を買っていきました。ときどき、籠のみごとな輪郭線や浮きぼりされた模様をなでては、ため息をもらし、籠あみ女が見させてくれる豊かさや輝かしさが、うんざりするような日常のかわりに、現実であったならと思うのでした。同情すべき点があるとすれば、女が他の籠あみの人々と比べものにならないくらい籠あみの技術にすぐれていたため、つくった籠が多少良くなくても、それをあえて言おうとする者がいなかったことでしょうか。

 

 こういうすべてのことに、籠あみはとんちゃくしないで、ただ幸せそうにしゃがんで籠をあんだり、沙漠の奥深くへ小枝や木の皮や染料をさがしてさまよい歩いては、虹の縁飾りの目を持たない者には見ることのできない、野生の世界の不思議を楽しむのでした。女は恐れるものが何ひとつなかったので、沙漠の奥深く静まり返った場所までどんどん歩いていき、その途中でコヨーテ霊に出会ったのでした。

 

 もと人間のコヨーテ霊は、しょっちゅう人間のことを考え、もう一度人間にもどりたいと思っていましたが、一方にコヨーテであり、オオカミ族の自分がいて、人を見れば食ってやりたいという思いが沸いてくるのでした。だから籠あみ女に出会ったとき、生来の悪い心があらわれて、こいつを食べてしまおうか、それともこいつに何か悪さを働こうか、とうずうずしました。最初に出会ったときは、女は目が悪いせいでコヨーテ霊を人間だと思い、枝編み細工の水さしをおろして飲むようにすすめてきたので、きまりが悪くて、ことをなすチャンスが見つけられませんでした。女はコヨーテをまったく恐れていないように見えましたから、そのことには本物のコヨーテだって面くらったでしょう。でも、コヨーテ霊が本物のコヨーテだったとしても、女はなにによらず、恐れたりはしないのです。インディアンは、荒れ地の犬どもと呼んでいる悪さをする獣(けもの)のなんであれ、大きく引き締まった体に尖った鼻づら、鋭くピンと立てた耳といった兆候を見せない限り、平気でした。悪い魂をもつ男が、変装してうろつき回っているだけと信じていたのです。このようなコヨーテ霊がメスキート谷やフューネラル山脈のむこうやパーラナガットのあたりにまで来ては徘徊していたので、学者たちは、この地域にいるオオカミの変種とも違うようだ、などと話していました。インディアンたちはそれが何なのか、ちゃんと知っていましたが。

 

 コヨーテ霊は籠あみ女のことを後になって思い出し、今度出会ったら、あらゆる不運がやつの身にふりかかるのは間違いないさ、と自分に言い聞かせました。「やつは知ってるんだ。ここがオレの領域だってことを。コヨーテ霊の地を歩くものは誰にせよ、処罰をうけなくちゃな。山羊娘とはおおちがいにな」。

 

 コヨーテ霊はこの山羊娘をパーラナガットの頂上からよく見ていましたが、この娘はいつも潜む場所もない開けたところにいたし、年老いた男たちが働くトウモロコシ畑のところから遠くへ離れることはなかったので、こういう娘は好きじゃないと自分に言い聞かせていました。コヨーテ霊は毎朝、その娘が葉に覆われた小屋からあらわれ、山羊をサボテンの葉茎やウチワサボテンの幅広い葉でできた囲いから放して、風の吹きわたる砂の丘まで連れていくのを眺めていました。その小さな丘の下には、メスキートの木が百年も前から生い茂っていて、てっぺんから青々した葉っぱや木の実の小枝を飛び出させています。またメサにそってビターブラッシュやセージに目を走らせることもありました。山羊娘はヤナギを編んで目のあらい籠細工をつくったり、暑い午後の盛り、山羊の群れがうとうとしている合間に、ネックレスや首輪を白、赤、ターコイズのビーズで編んだり、そうでもなければ砂の上に夢ごこちですわっていました。でも山羊娘は何をしていようと、コヨーテ霊からじゅうぶんな距離をいつも保っていました。

 

 さてコヨーテ霊ですが、籠あみ女と出会ってからというもの、女のことがいつも心から離れませんでした。籠あみ女の小屋はカンプーディからだいぶ離れていたので、毎朝コヨーテ霊は、ブラックロックのそばまで来て、まだ女がいるかどうか、女がそこにすわって思い浮かんだあらゆるパターンを籠に編み込んでいるかどうかを確かめるのでした。曲がりくねった涸れ川と小屋が編まれているとおもえば、ガラガラ蛇のまだら模様やウズラの頭の羽飾りのこともありました。

 

 そうするうちにコヨーテ霊は、ずいぶんと大胆になってきたので、だれも道を歩いていないとき、籠あみ女の小屋の前をうろうろしはじめました。籠あみ女が仕事から目をあげて、コヨーテ霊に季節の話題や部族の人々の近況を親しげに話すので、籠あみ女をおそってやろうという気持ちは、だんだんなえてきました。コヨーテ霊は悪い心で、自分はインディアンたちから「魔法やじゅもんをつかって、身を守らなければならない存在」という風に思われているわけだから、もしインディアンたちが自分に心を許し過ぎてひどい目にあったとしても、オレには責任はないんだ、と言い聞かせていました。籠あみ女にたいしては、「やつはオレの正体がわかっているようだが、もっとよく知るべきだろうな」と、籠あみ女の不思議な目のことも知らずに言うのでした。

 

 とうとうコヨーテ霊は籠あみ女に、パーラナガットのふもとに根っこ掘りにいっしょに行かないかと、誘う決心をしました。もし籠あみ女が承諾したとしたら、(籠あみ女は親切なのでもちろんいっしょに行くと言いましたが)、どうしてやるかコヨーテ霊の心は決まっていました。

 

 ふたりはメサの小道を歩いて行きました。風やわらかく花咲きみだれる、春の日のことでした。きらきらと葉をかがやかせ長いつえのような枝を交差させているクレオソートが、ふわふわとした鈴の花をいっぱいに咲かせて頭を垂れていました。シズクゼンマイからはハトたちのやさしい鳴き声が聞こえてきました。ふたりは、巣のそばに整列したフクロウの子たちの前を通り過ぎ、ウサギの子たちが浅いくぼ地で遊んでいるのを見つけました。籠あみ女は歩きながら楽しげに話しかけてきます。インディアンの女たち独特の低くやわらかな声でしゃべり、話のあい間に丸石の上を流れる水のようになめらかな笑い声をはさみました。女は、シカがえさ場をどうやって変えていったか、いい季節の兆しとして、ウズラがその年どれだけ早くつがいになったのかを話しました。コヨーテ霊の方がよく知っている話でした。ただ、あらためて考えてみたりはしないことばかりでした。籠あみ女が背中をみせるたびに、コヨーテ霊はするどい牙をなめては、食欲をそそらせていました。ふたりはてっぺんが平らなメサを通り過ぎ、ブラックロックのがれきを通り抜け、切り立った崖にはさまれたキャニオンにたどり着いて、深く暗いその底から真昼の星を見上げました。住む動物もなく、鳥も鳴かないような場所でした。女はゆっくりと静けさに同化していきました。コヨーテ霊はハラペコでくうくうした声でこう言いました。

Photo by Jeff Sullivan | CC BY-NC-ND 2.0

 「なんでオレがおまえをここに連れてきたか、わかるか?」

 

 「こんなに静かで美しい場所を、わたしに案内するためだろ?」と籠あみ女は言い、ここにきてもまだ、連れを恐がっているようには見えませんでした。

 

 「おまえを食べるためなんだ」とコヨーテ霊。コヨーテ霊は籠あみ女が自分の足元にひれふして震えだすのを、そして、おまえがオレのような者についてきたのがいけないんだぞと、言おうと待ちかまえていました。ところが籠あみ女は、コヨーテ霊をじっと見て、それから笑いだしました。女の笑い声は泡だつ泉のような音をたてました。

 

 「なにを笑っているんだ」とコヨーテ霊。あまりの当惑のため、まぬけのように口が開きっぱなしでした。

 

 「どうやってとって食おうっていうんだい?」と籠あみ女。「そんなことができるのは、獣だけだよ」

 

 「じゃ、オレは何だったいうんだ?」

 

 「はぁ、おまえはただの人じゃないか」

 

 「オレはコヨーテだぞ」

 

 「あたしに目がついてないとでも言うのかい?」と女。「こっちへ来てごらん」。籠あみ女は自分の目が変だとは思っていなくて、他の人々の目の方ががおかしいと思っていたので、コヨーテ霊を雨水池のところへ連れて行きました。この地方には、何千年と雨水に打たれてできた岩のくぼみがあって、その表面が鏡のようになっている場所があります。ブラックキャニオンの谷間にもそういう雨水池があり、籠あみ女はそのわきに今、立っていました。 

 

 コヨーテ霊たちが悪い行ないのせいで、そんな姿になってしまったというのは本当のこと。望めば元の人間の姿にもどる力をもっているとどうじに(そうは望みませんが。そうでなければコヨーテになんかならなかったでしょうから)、他の者がコヨーテ霊に人間の心、獣の心、どちらを見るかによって、それが姿形に投影されてしまうのでした。そんなわけで、籠あみがベールをかけた心でコヨーテ霊を見ようと企んだので、コヨーテ霊が雨水池に自分の姿を映したとき、コヨーテなのか人間なのか、見きわめることができませんでした。恐ろしくなったコヨーテ霊は、籠あみ女をその場に残して、走って逃げて行きました。三日三晩、自分が何者かわからない恐ろしさのために走りつづけ(それは考えうる最悪のものではないかと思われますが)、そのあげく、もう一度、籠あみにどう見えるかを確かめに戻ってきました。頭を籠あみ女の小屋のとびらにつっこんで、こう聞きました。

 

 「見てくれ。オレはコヨーテか、それとも人間か?」

 

 「はぁ、人間にまちがいない」と籠あみ女が言ったので、コヨーテ霊はパーラナガットの山へ行ってもう一度考えようと立ち去りました。そして一日二日して、戻ってきてこう聞きました。

 

 「こんどは、どうだ?」

 

 「人間だよ。毎日どんどん男前になってきてるみたいに見えるよ」

 

 それは本当のことでした。籠あみがそう言い出し、コヨーテ霊もそれを気にするようになって、コヨーテ霊の中から獣が立ち去り、人間が戻ってきました。ある晩、コヨーテ霊は山からカンプーディに、子山羊を盗みにやって来ましたが、人間はこんなことはしないという考えが浮んで、パーラナガットへ帰って根っこや木の実をかわりに食べました。これはコヨーテ霊が人間に返ったという確かなしるしでした。そして籠あみ女がコヨーテ霊に、家に来てごはんを食べていかないかと誘う日がやってきました。鍋からおいしそうな匂いが立ちのぼり、灰の中にはメスキート粉のケーキが、炭火の上には甘いユッカの芽がありました。元コヨーテの男はウサギ皮の毛布に横になり、いろり火がパチパチと楽しげに音をたてているのを聞いていました。なにもかもがとても気持ちよく、楽しかったからでしょうか、男の心に山羊娘のことがしきりに思い浮ぶのでした。

 「あの子はまっとうな娘だ」 男はつぶやきました。「いつも見晴らしのいい安全な場所にいて、家に帰るのも早い。あの子ならオレが何者か教えてくれるに違いない」 未だ自分に自信がもてないでいたからです。また、他の男たちと歩くことがあったので、籠あみの目のことを耳に挟んでもいました。

 

 次の日、男はとうもろこし畑からそう遠くない山羊の放牧場へやって来て、山羊娘がちっとも男を恐がっていないのを確かめました。そこで男は再びそこへ来て、三日目にこう言いました。

 

 「オレのこと、どう見えるかな?」

 

 「とても男前だわ」と山羊娘。

 

 「じゃあ、オレと結婚してくれないか?」山羊娘はちょっと考えていましたが、いいわと答えました。そうしたいと思ったからです。

 

 さて、元コヨーテだった男は籠あみ女の小屋で毛布の上に寝そべって、どうやって地面に掘った穴のまわりにヤナギを敷いていくのか、ポールはどのようにてっぺんで合わせるのか、かやぶき屋根はどうふくのか、注意深く観察していました。そして今までそんな風に小屋をつくったことはなかったのですが、パーラナガットの麓でためしに作ってみました。そして男は山羊娘と結婚すると、妻の部族の風習にしたがって、その小屋に妻を連れ帰りました。今では男は、妻に以前自分がコヨーテだったことが知れたら、ということ以外は、恐いことはなにもありません。結婚して一月くらいして、男は妻にこうたずねました。「石だらけの涸れ川の土手の下に住んでいる籠あみを知ってるかい?籠あみ女って呼ばれてる」

 

 「聞いたことあるわ。あの人から籠を買ったことがあるもの。なんでそんなこと、聞くの?」

 

 「いいや、なんでもない」と男。「妙な話をいろいろ耳にするもんだから。あの女はコヨーテ霊やそういう生き物たちの仲間だって」。男は妻がなんと答えるか、見守っていました。

 

 「もしそうだとしたら」と妻が答えます。「あまり会わない方がいいわね。注意しすぎるということはないんだから」

 

 その後、元コヨーテの男とその妻がカンプーディを訪ねたときも、籠あみ女の小屋の手前で涸れ川のところをまがって、別の道から集落に入っていきました。だから籠あみ女がふたりに気がついたかどうか、作者のわたしも知りません。

日本語訳:だいこくかずえ 

"The Coyote-Spirit and the Weaving Woman" from The Basket Woman: A Book of Indian Tales, by Mary Hunter Austin

 

メアリー・オースティン | Mary Austin

アメリカ、イリノイ州出身の作家、ナチュラリスト(1868~1934年)。カリフォルニア州南部の沙漠地帯に長く暮らし、そこで観察したこと体験したことを小説、エッセイ、詩集、童話などの題材とし、多くの作品を生み出した。シエラ・ネヴァダの東斜面に沿って細くのびる谷間、オーウェンズ・ヴァレーの小さな町を転々とし、この土地特有の野生のありよう(動植物、地形、気候風土など)に親しみ、そこで暮らすインディアンの人々や鉱夫、羊飼いたちと深く親交することで多くのことを学んだという。主な作品に「雨の降らない土地」(1903年)がある。