シカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィーが聞く

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ユリシーズ・ケイ  Ulysses kay

Ulysses Kay, Columbia Digital Library Collections 

ユリシーズ・ケイ | Ulysses Kay

アリゾナ州出身のアフリカ系アメリカ人作曲家(1917~1995年)。ジャズが誕生した20世紀初頭、その草分け的存在として知られるコルネット奏者のキング・オリバーの甥として生まれた。叔父の勧めでピアノやサクソフォーンを学んだユリシーズ・ケイは、アリゾナ大学、イーストマン音楽学校と進み、イェール大学ではヒンデミットに、コロンビア大学ではオットー・ルーニングに教えを受ける。1949〜1953年、フルブライトなどの奨学金を得てローマに留学、滞在中の1952年、ローマ賞*を受賞している。結婚まもなかった妻のバーバラもローマに滞在、そこで長女が生まれている。帰国後は舞台芸術の構成を行うブロードキャスト・ミュージック社にコンサルタントとして勤務、そのかたわら作曲活動をする。1968年よりニューヨーク市立大学リーマン校の教授となり、退職するまでの20年間そこで教えた。

*ローマ賞:17世紀に創設された芸術を学ぶ学生のためのフランス国家による奨学金制度。受賞者は3年から5年、ローマに滞在して学ぶことができた。

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(the original text of the interview in English)

自分は「容易な音楽」を書いている、というユリシーズ・ケイ。20世紀の音楽が無調や十二音技法の「難解な」方向に傾いていた時代に、自らの音楽をそれとは違う方向に設定し、それを信じて楽曲づくりを進めてきた人と言えます。その底流には幼い頃、強い影響を受けたジャズの世界、その音楽の楽しみ方の影響があるのかもしれません。

(葉っぱの坑夫)

ここで話された話題 [作曲家にとって聴衆とは?/音楽産業における経済の問題/地域にとってのオーケストラのあり方/サラリーマン作曲家/演奏しやすく、理解しやすい音楽を/テレビ放映に合うオペラ、合わないオペラ ]

このインタビューはブルース・ダフィーのサイトからの翻訳です。

 

<1985年7月20日、電話によるインタビュー>

 

この地球に生きる人は誰もが、それぞれの試練や苦難とともにあります。人生には何か定められたものがあるのかもしれないし、またわたしたち自身が成し遂げることもあるでしょう。おそらくはその両方が混ざり合っている。それでも、どのような環境に人が置かれるかは、その人の成果や結果に影響を与えます。どこに生まれ育つかが、(無条件にではなくとも)その人の生きる方向性や機会のあるなしに影響します。また、いつこの世に自分が置かれるかも、生きている間に何が起きるかの大きな因子となります。

 

しかしながら最も重要な個々の人間の因子となるのは、自分の手で何を成すかです。個人の資質をどのように生かすか、どのように時を過ごすかが、その人の人生となります。ユリシーズ・ケイは持てる才能と、変わりゆく社会の環境の中で、自分の音楽を作り上げました。その音楽は、誰もを豊かにする創造的作品として今日存在していますが、彼の名前や名声は、同じような成果をあげた他の作曲家たちと比べれば、非常に小さなものです。

 

わたしは彼の音楽をラジオで放送するという幸運に恵まれ、さらには本人と1時間にわたり、その成した仕事について、電話で話をすることができました。とても楽しい会話だったのですが、途中で電話のそばで話を聞いていた奥さんが、自分の意見を差し挟むなんていうことも起きました!

 

以下が1985年のある午後に話されたことの内容です。

(ブルース・ダフィー)

 

ブルース・ダフィー(以下BD):まず何があなたを作曲家として成功させたのかからお聞きします。

 

ユリシーズ・ケイ(以下UK):素質と献身と努力でしょうか。

 

BD:生まれながらの能力が発揮されただけ、ではないと。

 

UK:そこにまずは足を踏み入れることで、人は音楽の能力を発揮します。音楽の中で育ち、それに惹かれ、その仕組や成り立ちを吸収するといったね。何かをするための方法としての言語です。あらゆる試みや芸術の形式やジャンルがそうであるようにです。まずはそれを好きになり、それを自分のものにするということです。

 

BD:そのどれくらいがひらめきで、どれくらいが技能なんでしょう。

 

UK:まずはひらめきでしょうか、音楽にその人間が惹かれるといったね。ひらめきか、努力か、技能かということについては、昔から問い続けられていますよね。わたしはこれについて考えたことがないです。わたしはいつも音楽に惹かれ、魅了されてきました。音楽を扱う技術を持つ必要があると言われる前に、もうそうなってました。

 

BD:そうでしょうね。あなたのような経験豊富で知識のある作曲家がもっている、見識や洞察力に興味があります。作曲家や演奏家は、そういうことをどれくらい聴衆に期待できるんでしょうか。 

 

UK:どんな感覚について?

 

BD:初演のときに、聴衆がその音楽をどれくらい捉え、理解できるかに対して期待できるんでしょうか。聴衆は初めて聞く音楽をちゃんと受け取れるべきなんでしょうか?

 

UK:それに答えるのは難しいですね。聴衆は誰なのか。誰に向かって曲を書いているのか。自分のために曲を書き、自分の中のアイディアであれ気持ちであれ、それを自分の伝達手段(わたしの場合音楽ですが)で表現しようとします。これはものを書く人でも絵を描く人でも同じでしょうね。

 

そしてさっきも言ったように最初の誘発や試みを超えて、音楽がその先の道を進んでいくことを望みます。それによって、音楽が人々に届いて、作品が演奏されることに関心をもつ者が出てきます。そうやって聴衆に作品が届くという感覚があります。

 

聴衆というのは不定形でしょ(笑)。聴衆というのは巨大な、大きなもので、聴衆が何かを言うのは難しいでしょう、ある意味。わたしはそういう風に聴衆を捉えませんね。わたしはコミュニケーションの問題を考えます。自分の書いた作品がもっている論理についてですね。論理といっても哲学のようなことじゃなくて、人に訴える力とか特質とかですけど。

 

技術面でいうなら、形式だったり、対比の見せ方だったり、作曲家が曲の中でやっているあらゆる構成に関する問題です。ただこういったことは、聴き手にとってはあまり大事なことではないですね、標題音楽でないかぎり。そうであっても作曲家は、曲のアイディアや作品そのものが、聴き手によく理解されて届くことを望むものなんです。

 

BD:では作品を書いているとき、あなたはどこかの聴衆のことは考えずに、自分のために作っている、と。

 

UK:そうです。すると、そこに別の次元が生まれます。その楽曲は誰に向けられているのかというね。依頼作品であるならば、ルイビル・シリーズ*であるとか、映画作品のために書いているとかであれば、人はそれがどんなメディアなのか、どんな市場向けなのかといったことを気にします。でもおそらく、商業的なものに関わらずに、コンサート音楽だけつづけるなら、それはいいことだと思います。

*ルイビル・シリーズ:ユリシーズ・ケイのルイビル・オーケストラ(ケンタッキー州)のための楽曲。ルイビル・オーケストラは1937年に指揮者のロバート・ホイットニーと当時のルイビル市長によって創設され、市民のためのコンサートを幅広く、精力的に行なってきた。

 

BD:では商業は音楽をどのようにしたんでしょう。

 

UK:音楽産業を考えるとき、ハリウッドはとても商業的です。そこで仕事をする人の中から、才能ある人間が排出されていますが、あなたはわたしの柱になるような作品群について聞いているのではないですか、いくつかの映画音楽のことではなくて。

 

BD:わたしはあなたの作品のすべてに関心があるし、現在の音楽をあなたがどう見ているかにも興味をもっています。あなたは創作活動をとおして音楽と関わりつづけていますから、自分が関わったかどうかに寄らず、思うところがあるのではないかと。

 

UK:そうですね。

 

BD:作曲家は音楽業界に関わるべきでしょうか?

 

UK:それはそうです! 楽曲づくりだけで生計がたてられるのは理想です。その目標は望み薄でしょう(笑)、音楽分野の現在の経済状況では。でも、もちろん望まれていることだと思いますよ。

 

BD:現在、優れた作曲家はたくさんいるんでしょうか。

 

UK:いますとも! 非常にたくさんの作曲家がいますよね、その多くは才能にとても恵まれていますよ。その人たちが商業的な作品でうまく順応しているというわけではありません。でも素晴らしい才能はあふれています。

 

BD:いつもいい作曲家がたくさんいるということですか?

 

UK:いると言うことはできると思いますよ。たとえばシカゴから出てきた人たちとかね。今生きている作曲家で、ここ5年あるいは1年でも、オーケストラが演奏したものがいくつあるでしょうか?

 

BD:1シーズンに1つか2つかもしれません。

 

UK:もし3つ見つけることができれば、よくやったことになるでしょう。理由はあるでしょうが、どんなに才能ある作曲家たちにとっても、マーケットに入る余地がないわけです。

 

BD:過ちがあるとしたら、どこにあるんでしょうか。大きなオーケスラがスタンダード曲ばかりレパートリーにしてるからでしょうか。

 

UK:いろんな問題ですね、ひじょうに厄介な問題ですよ! まず労力がかかること。指揮者は楽曲を研究する必要がでます。演奏家はそれを弾きこなさねばならない。リハーサルの時間も取られます。われわれの作品を演奏するときはコストもたくさんかかります。現代作曲家のほとんどの作品は、バロックからブラームスの時代の曲をやるより費用がかかります。

 

つまり経済的な理由がまずありますね。規模の小さなオーケストラで、指揮者の人と話せばきっとこう言いますよ。彼らから何度も聞かされましたからね。大都市でも地域レベルのコンサートでもそうです。「楽譜レンタル費として1シーズンで○○ドルの予算がある」と彼らは言い、それは300か400ドルくらいのことで、1シーズンに6回のコンサートをしている。で、こう言います。「もっとやりたいんだよね。でもブージー・アンド・ホークス(イギリスの音楽出版社)とかシルマー(アメリカの音楽出版社)なりに依頼すると、1つの曲に150ドルはかかるんだ。わたしの予算の半分だよ」とね。

 

BD:出版社は、それで自分のところの金のガチョウを絞め殺してないんでしょうか?

 

UK:出版社と話をすると、紙代がすごく値上がりしたと言います。でも書籍ジャンルを見てください。本は普通5.95ドルとか9.95ドルとかで買いますが、ここでは16ドルから始まって、18ドル、23ドルとなるんです。だからわれわれのせいでも、われわれの問題でも、地域のオーケストラの低予算のせいでもなく、一般経済の問題なんです。

 

簡単な答えはありません。そして聴衆の問題が出てきます。指揮者は自分が文化的啓蒙をしていると思ってます。多くの地域コミュニティでは、正式なコンサート経験があまりない聴衆がほとんどですから。

 

BD:あなたが言われるように、厳しい状況ですね。

 

UK:そうなんです。

Kay: Works for Chamber Orchestra By Metropolitan Philharmonic Orchestra 2007 Albany Records

BD:現代音楽の作曲家にとってレコードへの録音はいいことでしょうか?

 

UK:そう思います。作品のレコード化は、確実にプラスでしょうね。レコーディングする場合、たいてい準備により時間をかけます。1回演奏してはい終わりというのではなく、充分にリハーサルをします。そこを通過するわけです。レコードは永遠に残るものと思っているので、厳しいわけです。

 

BD:レコードは完璧なものであるはず?

 

UK:それについて考えたことはないです。

 

BD:指揮者の人と話していると、ホルンの音が割れたり、よく知られた曲にちょっとしたミスがあると、聴衆が愕然とすると言うのを聞くことがあります。家で完璧な演奏のレコードを聴き慣れているからだと。

 

UK:それはありますね。レコードが世の中に広まったので、ハイファイ装置で聴く人たちは、自分のコレクションを熱心に聞き込みますから。レコードで聴くのとは違う、ライブ演奏で音楽を聴く価値について、教育が必要かもしれません。シカゴやニューヨークのような都市部では、ライブ演奏を聴衆が尊重しているように見えますね。シカゴ交響楽団の演奏会などではね!

 

BD:確かにそうですね! われわれはもっとここシカゴで、ユリシーズ・ケイの音楽を演奏するようにしなくては。

 

UK:ジャン・マルティノン(フランスの指揮者、作曲家/1910~1976年)が1966年か1967年にわたしの作品を指揮しました。ルイビルの『オーケストラのためのセレナーデ』という曲です。ジャンは素晴らしい仕事をしましたし、もちろんオーケストラも最高でした。

 

BD:あなたの作品にとって理想の演奏だったということですか?

 

UK:そうです、まったくのところ!

 

BD:もし誰かがそのときのテープを聞いて、「理想的な演奏だ」と言ったとしたら、もっと小さな街の演奏集団は、その曲を演奏するにあたって、どう取り組んだらいいんでしょう。

 

UK:そうですねぇ、あなたたちは音楽をつくっているんですよ、ってね。どこのオーケストラもがニューヨーク・フィルやシカゴ交響楽団やクリーヴランド・オーケストラのようなレベルの演奏をすることを期待できません。自分のもてる力で演奏するのです。ルイビルは想像力ある地域グループや音楽家の人々にとって、最高のお手本になると思いますね。

 

BD:まさに。彼らは新しい作品をたくさんやってきましたね。

 

UK:素晴らしいことを成してきたんです。贅沢な楽器編成でなかったとしてもね。実際彼らはベートーヴェンサイズ*のオーケストラから始めたんです。あのような地域の支援と理解あるディレクターを得たことは、素晴らしいとしか言いようがありません。

*ベートーヴェンサイズ:古典派音楽のための総勢数十人程度のオーケストラ。ロマン派、近代と進むにつれ編成は大きくなる。

 

BD:それを長く続けてきましたね。その継続性こそが素晴らしいと思います。

 

UK:そのとおりです。

 

BD:『Markings』についてお尋ねします。これはレコード化された作品ですよね。

 

UK:デトロイト交響楽団がわたしに、夏の祭典、メドウブルック・フェスティバルのために何か書いてくれないかと依頼してきました。大きなものを書こうかと思いましたが、夏の野外コンサートということを考えて、標題音楽の方がふさわしいのではと思いました。ダグ・ハマーショルドの『Markings(道標)*』を何年か前に読んでいました。この本を知ってますか?

*Markings(道標):1956年スエズ、1960年コンゴ、数々の国際紛争の解決を試みたスウェーデンの国連事務総長ハマーショルドの著書。平和への想いを託した詩・箴言・黙示録など。原著は1964年出版、日本語訳は『道しるべ』のタイトルでみすず書房より1967年に出ている。

 

BD:本の存在は知ってますが、読んだことはありません。

 

UK:パラパラと拾い読みできるタイプの本なんです。短いエッセイや詩、様々な文章から成っています。想像力をかきたてられる作品で、これが楽曲を書く誘因となりました。

 

BD:デトロイト交響楽団が依頼してくるときに、どんな制限をつけてきたんでしょうか。それともただ「オーケストラのために何か書いてくれないか」だけだったのか。

 

UK:オーケストラのマネージャーはこう言ってました。「8月に(1969年だったと思います)メドウブルックでフェスティバルをやるんで、あなたに曲を依頼したいんです」 普通の頼み方でした。ときにどれくらいの長さがいいといった依頼もありますが、このときは何もありませんでした。主要オーケストラだったので、パーカッションを付け加えるなどする以外には、基本の編成でと、楽器編成については考えていました。ハーモニーにコントラバスを入れる余地があることもね。コントラバスが9つあることがわかったので、5声か6声をカバーするために分奏させることができました。実務的なことです。彼らはどんな編成のオーケストラなのか、わたしに示す必要がありませんでした。ホルンは六つとか、マーラーのサイズのオーケストラを、などと追加の楽器をわたしが頼まなかったので。

 

BD:あなたのパレットに使える色がたくさんあれば、より仕事がしやすくなるんでしょうか?

 

UK:そうですね、はい。大きな自由が手にできます。どんな楽曲のために書いている場合も、想像力を刺激しますし、新しい曲を書こうとしているときに、はじめる契機となることもあります。

 

BD:『Markings』はどれくらい書くのにかかったんでしょうか。

 

UK:6ヶ月くらいだったと思います。

 

BD:それだけに専念したのか、それとも他の仕事のためにも時間を取られていたのか。

 

UK:(笑)わたしはフルタイムの仕事をもっていたんです。9時から5時までのね。休暇をつかって曲を書いてましたよ。

 

BD:他のことに時間が取られることは、よかったんでしょうか、大変だったんでしょうか。

 

UK:時間の制限というのは、いつも苦労します。運がよかったのは彼らは早めに声をかけてくれたので、締め切りで苦しむことはなかったです。

 

UK:これまでに時間のないところで書かねばならない目にあったことは?

 

BD:ありますよ。昨年の春と夏、わたしは木管五重奏の曲をメリーランドの演奏集団のために書いていました。1983年に彼らは依頼してきたんですが、手をつけるのが遅くなって、3楽章のうちの2楽章しか、84年夏のタイドウォーター・フェスティバルまでに仕上がらなかったんです。わたしは引き続き最終楽章を書いていましたが、フェスティバルはまったく形式張らない夏のコンサート・シリーズでした。

 

BD:ではあなたは終わったところまでの2楽章を渡したんですか?

 

UK:彼らは2楽章分演奏しましたが、8分から10分くらいの長さでした。その秋までにわたしは3楽章を書き終えて、それを送りました。

 

BD:作業中の曲を耳にするのは、作曲家にとっていいことなんでしょうか。

 

UK:学生レベルであれば、それはとても重要です。しかしそれなりの経験を積んだのちには、書いているときに、自分の頭の中で曲を聴くことができます。これはオーケストレーションや楽器の経験であるとか、過去に自分の書いたものを聞いた経験からきます。

 

BD:では楽譜に書かれたものを音として聞いていると。

 

UK:そうそう、自分の耳でね。

 

BD:書いたものを取り出して、直したりしますか?

 

UK:めったにないです。書き直すより、新たなものを書きますね。曲を書き終えたあと、時間がたちます。翌月とかであるなら、ちょっと手を入れるかもしれませんけど、バランスとか強弱とかテンポとか、小さな調整ですね。でも1年とかもっと時間がたって、それを耳にするとか、目にして良くない場合、修正するには自分があまりにそこから離れすぎています。

 

BD:で、あなたはそのままにして、別のことに取り掛かるわけですね。

 

UK:そんなところです。

Markings by Dag Hammarskjold

published in 1964

Meadow Brook Music Festival 1969 プログラム

OAKLAND UNIVERSITY Libraries

BD:『Six Dances for String Orchestra』について訊かせてください。あれはどうやってできたのか、どういう曲なのか。

 

UK:CBSラジオにプロデューサーの友だちがいて、当時、局は生演奏するスタジオ・オーケストラをもってました。1950年代半ばのことです。「弦楽セレナーデ」という番組があって、20人編成のオーケストラで、日曜日の午後に生演奏していました。プロデューサーの友だちが「この番組に何か書いたらどうだ?」と言いましたが、こっちは考えたこともなかったです。

 

すると彼が「もし書いてくれたら、アルフレッド・アントニーニ*が指揮をするよ」って。それでわたしは舞曲を二つ書いたんです。日曜の午後の軽音楽の番組だったので、舞曲がいいんじゃないかと思ったわけです。彼らはオーケストラにスコアを渡し、この2曲を放送しました。わたしはスタジオに呼ばれて、演奏前にインタビューされたと思います。

*アルフレッド・アントニーニ:イタリア系アメリカ人の指揮者、作曲家。1901~1983年。

 

そのあともう2曲書いて、6ヶ月後にまた演奏されました。4曲というのは短いと感じて、もう2曲書き足しました。これは演奏されなかったか、わたしが知らないだけか。面白いのはひとたび人手に渡ると、曲はもうこちらの管理下にはないということですね。何年かして、この中の2曲がロンドンで録音されました。ロンドン・レコードから『Round Dance and Polka』のタイトルで出ました。わたしはこのレコーディングに一切関わってないです。それからずっと後になって、1970年代の初めくらいだったか、ポール・フリーマンが6曲すべてを録音しました。

*ポール・フリーマン:アメリカの指揮者。1936~2015年。

 

BD:それは正式な依頼だったのか、それとも「ちょっと書いてくれないか、演奏するから」みたいなことだったのか。

 

UK:後のほうじゃないかな。(両者、笑) わたしはフェローシップで外に出ていて、ちょうどニューヨークに戻ってきたところでした。ローマ賞を得て、3年間海外にいました。だからアメリカに戻って調子を整える時期だったんですね。楽譜になって放送されることに価値がありました、もちろん。ときに知り合いが「書いてくれたら、演奏するよ」と言ってきたりしますが、それが放送されることはあまりありません。また楽譜が大事にされることもね。たまたま1983年の1月か2月に、ヒューストン・バレエ団がこの『Six Dances』全曲ををつかって、バレエを上演しました。

 

BD:舞台は見たんでしょうか?

 

UK:妻といっしょにヒューストンに招かれましたが、若い振付家が生き生きとした素晴らしい作品に仕立てていて、非常に良い出来でしたよ。輝かしい若い集団で、非常によいオーケストラを抱えていましたね。

 

BD:そうなることを自分自身で考えたことはあったんでしょうか。その曲が踊られるといった。

 

UK:まったく考えてもみなかったことですよ! 振付家が中の1曲を聞いたそうで(ワルツではないかと思います)、ヒューストンで録音されてラジオ放送されたものです。バレエ団にはダンサーで振り付けもする若い振付家が3人いて、この中の一人が振り付けをしました。彼はレコードを手に入れ、それを何度も聴いて、そうやって振り付けたわけです。

 

BD:自分の曲を指揮したことはあります?

 

UK:映画音楽をやっているときに、少ししました。また別の機会にもやったことはありますが、わたしは指揮者向きではないですよ。

 

BD:自分の曲の演奏に関わって、リハーサルに参加したりするとき、指揮者があなたの楽曲にあなたが気づかなかったことを見つける、なんてことはあるんでしょうか。

 

UK:あー、それはよくあります。わたしがそれに全く気づいてなかった、ということではないですが。ある部分で、バランスや手触り感に関して何が支配しているかの問題だったりします。楽譜というのは不完全で、未完成なものですよね、だからある部分の強弱の表現やテンポは、最大限には表せない。どれくらい速く、どれくらい大きくと指示はできても、相対的なものです。

 

つまりわたしが感じているように指揮者が受け取るのは難しいことです。あるいはバランスや音域についての技術的な問題が、演奏を難しくさせ、演奏者は自分のやり方でそれを処理しようとします。そしてそれがよくないと思えば、作曲家は指揮者に伝えるわけですが、あるいは演奏が途切れたときに、指揮者が作曲家の方を見て、そこをどうするか知ろうとします。

 

BD:あなたはそこを変えることで対応します?

 

UK:その方がいいと思えば、します。

 

BD:指揮者があなたの作品を完全に間違って理解していた、なんてことに出会ったことは?

 

UK:ないですね。いつも彼らは非常によく理解していると感じてきました。それについて何度か口にして、眉をちょっと上げることはあったとしても、自分は容易な音楽を書いていると思ってますから。

 

BD:理解しやすい?

 

UK:そうです、演奏しやすくて理解しやすい音楽です。そこに何があるのか、演奏家たちが何をすべきかに対して、容易であると思っています。あなたはレコードでたくさん聴いているでしょうから、おわかりじゃないですか。

 

BD:そう思います。複雑でないという事実ほどには容易ではないでしょう。 

 

UK:ええ、そうですね。複雑ではない、たとえば、リズム的にね。ガンサー・シュラー*の曲とかね。

*ガンサー・シュラー:アメリカの作曲家、ホルン奏者、ジャズミュージシャン。1925~2015年。

 

BD:あるいはストラヴィンスキーとかね。

 

UK:そうですね、ストラヴィンスキーはとてもね。聴衆はストラヴィンスキーの作品を理解してきたけれど、ルチアーノ・ベリオ(イタリアの作曲。1925~2003年)やウィリアム・シューマン(アメリカの作曲。1910~1992年)の作品のいくつかはかなり難解です。わたしには難解に感じられます。リズムが自然でなく、音楽の流動性という意味でそう感じられます。

 

BD:しかしながら、あなたは容易なものを書こうとしているのではなく、自分の心に正直に書くとそうなる、ということではないかと。

 

UK:そう思いますね。以前に作曲家の委員会の席で、わたしが「あなたの問題は何なんです? わたしはわかりやすい音楽を書いてますけど」と言ったときは、自惚れてではないですが、そんな感じでしたね。(笑)

 

BD:作曲家の中には、難解じゃないと聴く価値がないという人たちもいます。

 

UK:そのとおりです。ミルトン・バビットとかドデカフォニストたちね。

 

BD:12音音楽家のことですか?

 

UK:そうです、彼らの音楽は簡単ではないでしょ。でも演奏家たちはこれに慣れてきてますね、都市部ではとくに。ニューヨーク近辺では、さっとやってみせる演奏家たちがいます。アメリカン・コンポーザーズ・オーケストラは、ニューヨークにいるトップレベルのフリーの演奏家を抱えています。年にたった6回しかコンサートをしませんけど、素晴らしいの一言ですね。

 

BD:彼らがやるのはすべて現代音楽。

 

UK:ほぼそうですね。古いものもときどきやるでしょうけど。ランドル・トンプソンとかハワード・ハンソンとかアーサー・フットとかいったね。

 

BD:とはいえベートーヴェンとかハイドンはないですよね。

 

UK:ないです。やろうと思えばできるでしょうけど。アメリカン・シンフォニー・オーケストラはスタンダードなレパートリーをたくさん、それに加えて現代曲をやりますね。でもこっちはほぼすべてが現代ものです。

 

BD:では『Short Overture』について聞かせてください。

 

UK:あの曲は自分のために書いたと思います。戦後すぐのことでした。ニューヨークに出てきて、軍隊を出てから書いた最初のオーケストラ曲だと思います。曲を書いているときに、ガーシュイン記念コンテストの話を聞いて応募しました。そうしたら優勝したんです。曲はタイトルの通りで短い序曲で、それ以上の意味はないです。

 

BD:でも、名誉なことだと思ってますよね。

 

UK:あー、それはそうですよ!

 

BD:このような楽曲がレコードになることは嬉しいでしょう?

 

UK:ええ、とても重要なことですよ。たとえば『Six Dances』は、あの若い振付家がレコードを聞いていなかったら、バレエになってなかったでしょうね。

Six Dances for String Orchestra

II. Waltz

BD:ではオペラの話にいきましょう。あなたは四つの作品を書いてますが、三つの短いオペラと一晩ものの長いオペラと呼んでいますよね。

 

UK:はい。

 

BD:まず一晩ものの『Jubilee(祝祭)』ですが、これはアメリカ建国200年記念祭のための依頼作品でした。この機会に書くことはあなたにとってよいことでしたか。

 

UK:それはそうです! プロジェクトの内容やテーマ、制作環境に価値があるとか、興味がもてるということであれば、機会を捉えて曲を書くのはいいことです。厳しかったのは締め切りでした。 

 

BD:200年記念祭は待ってはくれないですからね!

 

UK:確かに、そのとおり!

 

BD:(笑)締め切りに間に合いましたか?

 

UK:ええ、間に合いましたよ。でもわたしの妻は、それを書いていた2年半の間、わたしとめったに顔を合わせなかったと言ってますよ。

 

ケイ夫人:(電話の背後で)それだけの価値はあったわね! 待っている価値はありましたよ!(全員、笑)

 

BD:奥さんがそうやって支援してることは大事なことですね! シンフォニーやコンチェルトの依頼では起きないことで、オペラを書いていて出てくる問題はどんなことでしたか。

 

UK:音符が多いことです。

 

BD:そんなに多い?

 

UK:多いどころじゃないです。ひどい多さですよ! そのときまでに一幕もののオペラを三つ書いてました。そのうちの二つはステージを見ています。一つはアーバナ市(イリノイ州)で、素晴らしい地元のオペラ集団によって上演されました。『カピトリウム・ヴィーナス』という題で、マーク・トウェインの小説をベースにしています。

 

『The Boor(熊)』は最初の作品で、これは見たことがないですけど、オーケストラと二人の歌手によるコンサート版は見ました。なので依頼されたとき、怖気づくことはなかったです。それなりの経験があると感じたので、『Jubilee(祝祭)』に着手しました。しかしそこには(シンフォニーを書くことと比べて)、作曲家に負担のかかるたくさんの側面があって、テキストを扱わねばならないので、ステージ上で起きるタイミングの問題、セクションごとの関係性など大変でした。それを噛み砕くのは非常に困難で、ただただ入り組んで複雑でした。

 

どんな創作も難しいものですが、わたしを没頭させ、多くの時間を使わせ、ほぼ計算不可能と思わされたことの一つは、性格描写でした。わたしの考えでは、登場する人物にはそれぞれ、その特徴を表す音楽が必要です。だから機械的にはできません。フィリップ・グラス*の『Satyagraha』をみてください。2、3日前にラジオで聞いたんです。彼は弦楽器による豊かな響きのオスティナート*で始めて、その間は、律動的で、とても心動かされ、また面白くもありました。その持続はとてもいい感じで、するとそこにどこの言語とも知れない言葉による声が降ってきたんです。音楽は行き場を失いました。

*フィリップ・グラス:アメリカの作曲家。1937年生まれ。20世紀後半の影響力ある作曲家として知られ、その作品は、スティーヴ・ライヒなどとともにミニマル・ミュージックと呼ばれてきた。

*オスティナート:ある声部が一定の音型を歌いつづけること。

 

BD:意味のわからない。

 

UK:そうです。

 

BD:でも彼の音楽はすべてそうですね。

 

UK:理解する上で、ある部分とそのあとの部分の違いが聞き取れなかったわけです。登場人物が、そこで起きていることに対して、何を歌っているのかということがね。

 

BD:それであなたは、その先の展開が感じられなかったと。

 

UK:そうです。彼の音楽に対してあれこれ言う立ち場にはないですが、そこで何が起きているか表さなければならないとすれば、登場人物の歌を通してそれをわからせるために、正しい方法を見つける必要があるということです。

ローマ留学時代のユリシーズと妻のバーバラ​( ca. 1949–52)

Rare Book and Manuscript Library, Columbia University 

Ulysses and Barbara in Yard

Columbia Digital Library Collections

BD:『The Boor』についてお聞きします。チェーホフの小説を脚色した、あなた自身の台本ですね。作曲家にとって、自分が台本作者になることはいいことなんでしょうか?

 

UK:あー、それはもし可能なら、なにがなんでもね。それは脚色できるだけでなく、言葉と動きをうまく合わせることができるという優位性があります。その場面のすべてをピタリとね。チェーホフは最初のオペラ作品でしたから、また特別でした。ロシアの芝居の古典であり、皮肉っぽいコメディですね。英語版への翻訳は、ウラディミール・ウサチェフスキー*に依頼しました。そしてそれをわたしが脚色し、さらに大幅に刈り込みました。ですからわたしのやったのは創作ではないです。

*ウラディミール・ウサチェフスキー:電子音楽で知られるロシア系アメリカ人作曲家。1911~1990年。

 

BD:では創作的な刈り込みだったと。

 

UK:そうですね!(両者、笑)

 

BD:『The Juggler of Our Lady』はどうでしょう。ジュール・マスネ*のオペラ『Jongleur de Notre Dame』と関係があるんですか?

*ジュール・マスネ:フランスの作曲家。オペラでよく知られている。1842~1912年)

 

UK:いいえ、タイトルだけですね。マスネのオペラは見たことがないので、どんな風か知らないんです。

 

BD:1幕もののオペラで90分くらいの作品です。あなたのオペラのタイトルを見たとき、一晩にマスネを見て、それからあなたのものを見たらいいんじゃないかな、と思ったんです。一晩にあなたの短い三つのオペラを並べたら、いいと思いませんか?

 

UK:そう思いますね。テーマが三つとも対照的ですから。

 

BD:作曲家として、一晩にあなたの作品ばかりでやるのと、誰か他の人の作品と一緒にやるのとどっちがいいのかな、と。

 

UK:通常、こういう問題については、コントラストを考えてきました。他の作曲家の作品と一緒にやる方がいいのではないでしょうか。わたしはソロのためのコンサートをたくさんしてきましたけど、音楽プロジェクトでは、ジャンルのコントラストがあった方がいいように思います。

 

BD:あなたの考えでは、オペラはテレビに合うでしょうか。

 

UK:どうでしょう。わたし自身はたくさん楽しんできました。オペラという言葉を使っていますが、そこには二つのメディアの違いがあります。劇場でやるもの、それが一つ。みんなが昔から知っているオペラですね。それに対してテレビで見るオペラは、枠組のない、あるいは違った枠組のものです。あなたの質問の答えとしては、ある作品はテレビに合ってますが、合わないものもあります。

 

先々シーズンにワーグナーのオペラを見ていたとき、作品は静的だったのに、カメラはずっと動いていたことが気になりました。まずロングショットで見るわけですが、それから歌手のすぐ近くにぐっと寄ってきます。舞台を捉えるという意味で、実際とは違うように見えました。ブリテンの『Turn of the Screw』なら素晴らしくなるんじゃないか、と考えていたせいかもしれません。それは劇場で2回見ました。一つはとても質素な舞台で、もう一つは凝った作りでした。テレビでも素晴らしいんじゃないでしょうか。メノッティ*もうまくはまるでしょうね。でも大きな出し物になると、あまりうまくはいかないものです。

*メノッティ:ジャン=カルロ・メノッティ。イタリア出身のアメリカ人オペラ作曲家、台本作家。1911~2007年。

 

BD:では新たな上演の仕方をカメラのために考えた方がいい?

 

UK:はい、そうです。

 

BD:あなたのオペラはテレビでうまく上演できますか?

 

UK:1幕ものはうまくいくと思います。数少ない登場人物にスポットが当てられていますから、たいてい3人くらいですね。その他の歌手以外に。また大きな場面がそれほどないですし。『Jubilee』もうまくいくでしょう。ただ大きな場面が一つあります。ある場面で、町の広場で三つの合唱隊が出てきます。それをどう上演するか、ちょっとわかりませんね。ただ1幕ものはうまくいくと思いますよ。

 

BD:テレビでやろうとするプロデューサーがいるかもしれません。

 

UK:そうですね、そうなるといいですね。

 

BD:一般論として、あなたは音楽の未来に対して、楽天的でしょうか。

 

UK:はい、楽天的です。どんな意味合いで聞いてます?

 

BD:作曲に関する動向が前向きで、聴衆が新しい音楽に反応するという。

 

UK:作曲の動向についてはそれほど気にしてません。人は自分の書きたいものを書けばいいし、音楽は、さっきも言いましたが、道を見つけて進んでいくはずです。新ロマン主義*は成功してきたし、コミュニケーションに対する大きな学びを示してきたように見えます。うまくいっていると思います。わたしは音楽そのものや聴衆についてより、経済のことを気にかけています。よい作品をもたらせば、聴衆はついてきます。デイヴィッド・デル・トレディチ*はシカゴで大きな成功を収めたと聞きました。

*新ロマン主義:無調音楽などのモダニズムの作曲家たちに対して、19世紀のロマン派的な、感情豊かな表現への回帰を目指した音楽を指す。20世紀初頭、ストラヴィンスキーやヒンデミット、フランス6人組などが中心となって盛り上がった。

*デイヴィッド・デル・トレディチ:アメリカの作曲家。新ロマン主義の作品で成功した。1937年~。このインタビューシリーズの第10回に登場。

BD:そうです、「アリスもの*」の連作ですね。

*アリスもの:ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』から着想を得て作られたシリーズで、その中の1作はピューリツァー賞を受賞している。

 

UK:わたしは音楽に失望したりしませけど、経済については問題があると思います。

 

BD:今日、こうしてお付き合いいただいて感謝していますし、またあなたの音楽のすべてにお礼を言いたい気持ちです。あなたはたくさんの人々に大きな刺激を与えてきました。若手の作曲家や演奏家、さらにはあなたの音楽を楽しんでいる聴衆ですね。

 

UK:インタビューしていただいて、わたしも感謝してます。どうもありがとう。

 

ユリシーズ・ケイ | Ulysses Kay (つづき)

<音楽熱中時代>

12歳のクリスマスに、義理の姉からアルトサックスをプレゼントされ、すぐに友だちとクインテットを組んだ。ラジオで熱心に聴いていたデューク・エリントンやベニー・グッドマン目指して、演奏だけでなく、作曲やアレンジもこなしていた。高校時代はマーチングバンドやジャズバンドの他、グリークラブでも歌っていた。第二次大戦中は軍隊のバンドに所属し、サックスやフルート、ピアノなどを演奏し、作曲やアレンジも手がけた。

<ソビエト訪問>

1958年、アメリカ最初のソビエト文化使節として、ロジャー・セッションズ(作曲家)らとともに1ヶ月間、モスクワ、レニングラード、キエフなどに滞在。チャイコフスキー・ホールで、モスクワ交響楽団により、ユリシーズ・ケイの『New Horizons』が演奏される。

<生涯・家族>

生涯に約140の楽曲をつくり、オーケストラ曲から室内アンサンブル、ピアノ、コーラス、歌曲、オペラ、映画やテレビと幅広い創作活動をした。(このインタビューにも登場する)妻のバーバラは市民権活動家で、1961年、フリーダムライダーでの活動により逮捕、ミシシッピーで収監されている。ユリシーズとバーバラの間には、3人の娘がいる。

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