シカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィーが聞く

This project is created by courtesy of Bruce Duffle.

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ロバート・ヘルプス  robert helps

Photo by Dennis Kendall Hall from the CD jacket “ROBERT HELPS in Berlin” 

ロバート・ヘルプス | Robert Helps

 

アメリカのピアニスト、作曲家(1928~2001年)。独特の教授法で知られるアビー・ホワイトサイドにピアノを、作曲をロジャー・セッションズに師事。セッションズからの影響は大きく、しばしばその楽曲を演奏し、レコードにも残している。作曲家としてのヘルプスの作風は、現代音楽の様式と技術を語彙として使い、多様で自由なスタイルをとっていたと評される。作品には多くの室内楽曲の他、交響曲やピアノ協奏曲、ピアノ独奏曲がある。

 

演奏家としては、技術の高さに加え、作曲家としての視点が音楽の構築に反映され、現代音楽の演奏家として、中でも難曲で知られるミルトン・バビットの弾き手として名をあげている。つづきを読む >

(the original text of the interview in English)

ピアニストであることと作曲家であることが、非常にうまく混ざり合うことで、独自の音楽世界を築いてきたロバート・ヘルプス。誠実で率直な話しぶりには、様々な大学で教師として長いキャリアを積んできたことからくる人間性が現れています。

(葉っぱの坑夫)

ここで話された話題 [ロジャー・セッションズからの影響/聴衆を惹きつける二つの要素/演奏家で作曲家であること/『クァルテット』の伝説/作曲に必要な環境 ]

このインタビューはブルース・ダフィーのサイトからの翻訳です。

 

<1988年1月23日、シカゴ → フロリダ(電話)>

 

ロバート・ヘルプスは、1940年代末から1950年代初頭に登場した、アメリカの新たな音楽を演奏する小さなピアニスト同人集団に属していました。彼はまた、非常にオリジナリティのある作曲家でもあり、その作品はコロンビア-プリンストンの無調音楽派と新ロマン主義音楽*との間の失われた繋がりを結ぶものとして性格づけられます。ピアノ教師として人気が高く、師であるアビー・ホワイトサイドから受け継いだピアノ教授法*を具現化したピアニストとされています。同様に作曲においては、ロジャー・セッションズの影響が、キャリアの初期から晩年まで長く続きました。また師であるセッションズのピアノ音楽の世界的な伝道者でもありました。1980年から2001年11月に73歳でがんのため死亡するまで、フロリダのタンパに暮らし、音楽を教え、つくり、南フロリダ大学で教授として過ごしました。

*新ロマン主義音楽:19世紀の終わりから20、21世紀にかけてクラシック音楽に見られたロマン主義音楽の再生で、調性音楽を呼び戻したと言われている。

*アビー・ホワイトサイドの教授法:筋肉と肉体のリズムからの理論によるもので、同時代のピアノ教育の主流からは外れていた。

*ロジャー・セッションズ:アメリカの作曲家、音楽評論家、音楽教育者(1896~1985年)

 

ロバート・ヘルプスは自立した作曲家であり、また自作、他作を演奏するピアニストとして知られていることから、シカゴのわたしのラジオ番組(WNIB, Classical 97)に何度も登場しました。毎月プログラムを組むとき、どういう人々が一緒に演奏されるか、そしてそれを聴く人々が、登場する音楽の関係性をどう感じるかは、いつも興味のつきないことでした。

 

彼の作品が放送される一方で、ピアニストとしての演奏もときに紹介されました。中でもヘルプスの師であるロジャー・セッションズの曲が放送されるときには。そう、そのときにはニコラス・スロニムスキー(音楽事典編集者)のよく知られた駄洒落(ロジャー・セッションズの師弟のバイオグラフィーには必ず記された)「セッションズとセッションする」を口にしたものです。次の世代のことはわかりませんが、「ヘルプスからヘルプされる」人々が現れるんじゃないかと想像したりもします。またわたしは、作曲家フランツ・ドップラーに対して「ドップラーによる効果」も口にしますが、それに対してはリスナーからこんな電話を受けました。「まったく、クラシック音楽にはもっとあかぬけたユーモアはないの?」

 

1988年1月、わたしはロバート・ヘルプスに電話をかけ、インタビューをお願いしました。彼は「ずっとシカゴに行ってないけど、近いうちに行く予定もないんだ」と言い、電話によるおしゃべりが組まれました。わたしの(シカゴの)スタジオの、窓の外の冬の震える寒さと、彼が暮らしているお日様が輝くフロリダの気候を比べたのちに、音楽の話題にわたしたちは取り掛かりました。

(ブルース・ダフィー)

 

ブルース・ダフィー(以下BD):あなたは作曲家で、演奏家で、また教師でもあります。参考文献の記述では、この三つはどういう順番にすべきなんでしょう?

 

ロジャー・ヘルプス(以下RH):いつも悩まされる問題なんですよね。で、もうこれについてはあきらめました。大人になってから(これが何を指すかはおいて)は、多くの時間は作曲家とピアニストの半々ですよ、と言ってます。ただ最近は曲を書くより、演奏をたくさんやってますけどね。とはいえ、半々だと言ってますし、教えることは(そこから収入を得ているわけですが)付加的なものと思ってます。教えることはとても好きですよ。あまりに多くの時間が割かれない限りはね。こうなる理由として、鍵になるのは良くも悪くも、いつも同じことをやってるのが嫌だということ。頭がおかしくなっちゃうね。

 

BD:バラエティが欲しいんですね。

 

RH:そう、バラエティがね。同じ穴をずっと掘ってることができないんだな。

 

BD:教えてるのはピアノですか?

 

RH:主にピアノ、そのとおり。作曲を教えることからは離れていてね、それは大学で音楽理論を教えることの問題、そういったことに関わりたくないのが一つ。それをやりたい人がいれば、それは構わない。でもピアノを弾いて、作曲して、ピアノを教えてとやってて、それでもういっぱいですね。三つのやるべきことがあって、それだけあれば誰にとっても充分じゃないかな。それがわたしの論理ですね。

 

BD:あなたは演奏家でもあることで、より良い作曲家になれてると思います?

 

RH:わたしがより良いかどうかわからないですけど、違いはあるんじゃないかな。これについても、合ってるかどうかわからないけど。ただ、もし演奏してなかったら、やってたかもしれないことで、足を踏み入れなかったことは確かにあるよ。たとえば電子音楽とかね。わたしは自分が何年も何年も何年も何年も、演奏してきた楽器を弾いて、それを使って、、、とても幸せだった。わたしにとって、それを超えることはない、と言っていいね。それは良くも悪くもあるかもしれない。ピアノを弾くことで、そこから得られることで、鍵盤楽器に対する視点がもてたんじゃないか、と思う。よその作曲家たちはよくこう言ってるんだ。「ピアノ曲を書くって、なんて大変なんだ。この楽器は恐怖だね。どうやって書いてるんだい?」 わたしにとっては全く、なんの問題もないんだ。こいつに、すごく慣れ親しんでいるからね。そういう意味で影響はあると思う。

 

BD:じゃあピアノ弾きたちは、あなたのピアノ曲のスタイルが、よりピアノ的で弾きやすいと誉めてるんじゃないですか?

 

RH:そうですね、あります。そういう誉め言葉をもらいますよ。

 

BD:ときどきですか?

 

RH:わたしはときに、いつもではないですけど、極端に難しい曲を書くこともあります。それはピアノをわたしがよく知ってるからなんですが。もちろんそういう曲を書いているときは、演奏するのに限界を超えているのではないか、空恐ろしいものを書きつけてるのでは、という不安におそわれます。しかし同時に、自分で楽器を演奏しているときに、弾けないものを書こうとはしないと思いますね。ときに演奏が非常に難しい曲を書こうとするかもしれないけど、まったく演奏不可能というものではない、とね。

 

BD:では鍵盤楽器の楽曲については、これまでに達成できなかったものはない?

 

RH:そうですね。うーん、いつもではないですけど。何年か前に書いた『三つのエチュード』という組曲があって、これを練習するのはやめようと思った。非常に弾くのが大変な曲だったからで、それをやりたいと思わなかったんですよ。そのときに新進のピアニストでデイヴィッド・デル・トレディチ*という人がいて、シカゴでも演奏したから、ご存じでしょうけど。当時彼は17歳くらいで、卓越したピアニストだった。そしてこの組曲を練習してものにし、本当に素晴らしい演奏をしてくれた。だから「彼がこうやって弾いているのだから、わたしがそれを止める理由はない」とね。デイヴィッドはこの曲をデストレコードで録音もしてますよ。

*デイヴィッド・デル・トレディチ:アメリカの作曲家(1937年~)。1980年にピュリッツァー賞受賞。

 

BD:作曲者が弾いた方が、解釈として理想的なのでは?

 

RH:確かにそれはある、と言えます。自分にとって非常に個人的な曲というのが、1、2曲あって、わたし固有のピアノスタイルをもってる。そういうものを弾くときは、誰よりも自分の演奏が好きだとは言えます。たいてい非常にゆっくりした物悲しい曲です。ときに、わたしがスコアで何とか伝えようとしいることに考えが及ばない人たちもいます。自分ではもっとテンポを落として弾く曲を、彼らはそうしない。でも多くの場合、幸運なことに、演奏家たちはわたしの曲を、非常に素晴らしく演奏してくれています。ベヴァリッチ・ウェブスター、ビル・マッセーロスといった人々は、わたしの楽曲の素晴らしい演奏家ですね。そういう意味で、わたしは恵まれています。その理由の一端は、曲をたくさん書いていた時期、ニューヨークで演奏をたくさんしていたことにあると思います。わたし自身が演奏の場にいて、たくさんの演奏家と出会っていると、その人たちはわたしの曲をどう弾いたらいいか、わかるのだと思います。リチャード・グードがやってきて、わたしにピアノ協奏曲を依頼してきたけど、嬉しかったね。彼が弾いているのを生で聴くことはできなかったけど、テープで聴いたら、とてもいい演奏だった。

 

BD:あなたがスコアに気づかずに書いていたことを、演奏家が見つけ出すということはあるんでしょうか?

 

RH:ええ、あります。彼らが何かやろうとしているときに、起きることもあります。好ましいことです。たとえばわたしがスコアをふつうと違う風に書いた場合、彼らが自分に弾きやすいやり方を見つけて、それがうまくはまれば、素晴らしいなと思います。違った視点からの曲の演奏を耳にするのは、どんなときも嬉しいです。

 

BD:でもそれは、あなたの音符は単なるヒントだというわけじゃないですよね。

 

RH:彼らは音符を変えるんじゃくて、クレッシェンドやディミニュエンドなんかを変えるわけです。ときに速度を変えたり、ペダルを変えたりといったことですが、大きな違いを生みます。また演奏家たちは、面白いアイディアをもってわたしのところに来ることがあって、いつもわたしは喜んで耳を貸します。

 

BD:ではそういった試みのようなことを、あなたは促してるんですね。

 

RH:確かに、そうです、その通り。

 

BD:じゃあそういったアイディアをスコアに反映させることもある?

 

RH:わたしはスコアの最初のところに、特にピアノ譜の場合、クレッシェンドとディミニュエンドはその通りに弾くこと、と書くことがあります。わたしの楽曲には、他の曲よりフレキシブルなものがありますけど、その場合は「わたしの指示にいつも従う必要はない」と書いています。

 

BD:つまり「そこから音楽を引き出しなさい」と。

 

RH:「そこから音楽を引き出しなさい」、そうですね。

Hommage.png

Helps Web Monument(ウェブサイト)より

ピアノ独奏曲『3つのオマージュ』(1972年、第1曲:フォーレ賛、第2曲:ラフマニノフ賛、第3曲:ラヴェル賛)

画像をクリックするとページに飛びます。この3曲の全曲を試聴できます。

​それぞれの作曲家を思わせる書法で書かれ、ヘルプスの楽曲としては聴きやすいものです。中でも「フォーレ賛」はロマン派的な美しい旋律が特徴です。

BD:曲を書いているとき、あなたは誰に向かって書いてます? 演奏家のために、それとも聴衆、あるいは自分自身のため? 誰のためです?

 

RH:難しい質問だね。わたしの好みの答えは、わたしの師であるロジャー・セッションズが言っていたこと(彼はガートルード・スタイン*から聞いたらしい)で、「聴衆のために書いたり、彼らを喜ばすために書けば、それを好きになる人はいない。でも自分を喜ばせようと自分のために書けば、それが好きになるだろうし、おそらく他の人の中にもそれを好む人が出てくる」とね。なるほどと思うし、信用に足るように思う。たくさんの人がこう言っているの聞いてきた。「うーん、あの人たちを喜ばせるには、何を書いたらいいんだろうね」 で、それが奇妙に聞こえるのは、そういうものはどこにもないからじゃないかな。

*ガートルード:スタイン:アメリカの作家、詩人(1874~1946年)。ピカソやマチスなどの美術コレクターとしても知られる。

 

BD:迎合になってしまう?

 

RH:たぶん、自分がつかっている様式に強制的なものが働いたら、それは自分のものじゃなくなるかもしれない。それが自分のものじゃないなら、誰のものでもない。自分が書いているわけだから。よくはわからないけれどね。難しい問題だね。たとえば1人名前をあげると、コープランド*は難解な曲を書いたあとに、わかりやすいスタイルに立ち戻って、地元アメリカ的な音楽を書いた。人々は聴衆を喜ばせるために、あるいはお金を得るためにそうしているのかと思った。わたしは全くそういうことではないと考えてる。彼はただ、そういう音楽を書きたいと思ったんだと思うね。わたし自身の場合も、最初の数曲は、非常にわかりにくい、不協和音によるものだった。そしてシンフォニーを書くことになって、その第2楽章が協和音によるもの、正確に言えば変ロ短調のものに仕上がった。なんでそんなことになったのか、どこからそれが来たのかわからない。でもこうは言わなかった。「さてと、これからは調性感のある曲を書こう。聴衆は耳慣れた音楽を聞きたがってるからね」 そうじゃないんだ。そんな風に出てきたということであって。

*コープランド:アーロン・コープランドはアメリカの作曲家(1900~1990年)。20世紀アメリカを代表する作曲家の一人。

交響曲1番.png

Symphony no. 1 (1953-55)

I — Energico e marcato

II — Adagio

III — Allegro con moto

​ヘルペス最初の交響曲。ヴィジフ・トマソンの交響曲とカップリングでレコード化された。

​ジャケット画像をクリックすると、II-Adagioを試聴できるページに飛びます。(Helps Web Monument)

BD:曲を書いているとき、音楽を支配てしいるのはあなたなのか、それとも音楽があなたを支配しているのか。

 

RH:2番目の方に近いね。音楽は作者を捉え、導こうとする。作曲家は異なる時代に、それぞれ違った方法で書いている。でもわたしに関して言えば、曲がわたしを連れていくその方向にいつも驚かされている。そんな風にしようと思ってるわけじゃなく、つまりしようと思ってできるものじゃないからね。曲の形式やそれがどこに向かうのかは、楽曲のもっとも創造的な側面であり、そこで何が起きるのか見ている必要があるんだ。

 

BD:どれくらいあなた自身が準備できるものなのか。

 

RH:ほとんどないね、それがやって来てるときは。依頼作品がくると、依頼主はこう言う。「2台のピアノのための、10分から15分程度の曲を書いてほしい」 その時点でわたしは何もプランがない。いつものやり方で作曲をはじめる。そうやって曲を書いてきたし、そのように曲が出てくることを望んでいた。そして座って始めたところ、すごく大きな曲になることがわかった、1楽章でね。あるいは短い四つの楽章からなるとね。そして最終的に2楽章の曲になるとわかった。約20分のものになりそうだとわかって、運がよかったなと思う。でもそんな風にやっていると、依頼主が望むように、自分を制御することができるかどうか、いつも不安をもつことになる。そういうとき、どんな風にやればうまくいくのか、自分にはわからない。ただこういう風には言わない。「12分の曲を書こうと思ってるんだ。3楽章の構成で、1楽章がそれぞれ4分ずつになる」と言って、その通りに進める。

 

BD:そうはしない、と。

 

RH:しないですよ。全くしないと言ってるわけじゃなくて、そのやり方が普通ではないということです。わたしの場合、曲のどこから取り掛かるか、わからないからでもある。ヤマ場のコードから始めたり、終結部からスタートしたりするんです。『ピアノ協奏曲2番』を書いたときのことを思い出すと、これはリチャード・グードのためのものだったんですけど、カデンツァ(オーケストラのないピアノ独奏部)からたまたま書きはじめた。それでそのままその楽章の終わりまでいった。1楽章の曲みたいに進んでいったし、実際そうなった。その時点でわたしには、この曲がどんな風に始まるものか、全くもって手がかりがなかったんです。進めていくのにずいぶん時間がかかったけどね。そして最初の部分を最後の部分につなげるのに、大きな問題が出てきて。その後で、なんとかうまく収まったたけど。

 

BD:途中、大きな切れ目なしに?

 

RH:そう、その通り。

 

BD:曲をつくっているとき、これで終わりとどうやってわかるんです? ペンを置くタイミングはどうしてわかるんでしょう。

 

RH:ペンを置くかって? そうね、わたしが曲を書くときは、たくさんのスケッチがまずあって。ある部分を書き、それから別の部分を書く。そしてそれを繋げて、それから最初に戻って変えたり、あっちをやりこっちをやりと。わからないけど、すべての細部がうまく収まったか、それがわかるのは、自然な経過の中でのように見えますね。書き始めは、多かれ少なかれ、一般的にいちばん創造性が発揮されるんじゃないかと思いますよ。そこはアイディアに押されて書かれるわけで、そのときどこに向かうのかもよくわかってないし、すべてがバカバカしく感じられたりもするんです。書き終わりには、きれいに整えて、整理して、細かい部分に手を入れて、すべての要素が正しく配置され、すべての音が自分が望んだようにきちんと並んでいると、願わくば思えるようになる。だけどすぐにそうはできない。すぐそうなるには早すぎる。トリオを書いていたときのことを思い出すけど、5楽章ものになると思ってたんだ。三つの目の楽章を終えて、次の日にペンをとって次の章に行こうとした。「さてと、4楽章にいくかな」と言ってね。と、その直後に、曲は終わってる、と気づいたんだ。(笑) それで終わり。曲のゆくえにつき合ってると、いつもこんな驚きが起きるんだな。

Photographs from the website Helps Web Monument

BD:あなたはたくさんの依頼作品を受けてますね。どれを受けて、どれを断るかどうやって決めるんでしょうか。

 

RH:そういう問題は、わたしには全くないですよ。選択に困るほど、そこまで依頼が多いわけじゃないから。依頼はぼちぼち来ますが、たいていゆっくり程よい間で来ますから。ときにしばらく来ないこともあるし、それでもわたしは何か書いてますけど。ただわたしの場合、たくさんの人が待ちに待ってるという種類の作曲家ではないしね。最近ちょっと立て込んだことがあって、大学の吹奏楽曲を頼まれて、また打楽器合奏の人からも曲を頼まれ、というようなことがね。それでどれをやるか決める必要があった。

 

BD:こんな風に言うんでしょうか、「うん、面白そうだ」あるいは「いや、あまりやりたくはないね」

 

RH:まあ、そんなとこかな。一番最近書いた『Eventually the Carousel Begins』は2台のピアノのための依頼作品だった。National Endowment for the Artsを通して、タラハシー(フロリダ州)のマストロジャコモ・トリオからの依頼だった。それを書いてみたいと思った理由の一つは、わたしは2台のピアノというのがあまり好きじゃなかったから。書くのが非常に難しいんでね。わたしにはそう見える。で、やってみるのにいい機会じゃないかと。片手のためのピアノ曲はもう書いてるし、両手のものも書いてる、さらに連弾曲も書いている。だからカテゴリーの違う、2台のピアノのための曲を一つくらい書いてもいいかなと。それが引き金だった。で、いま、また別のカテゴリーの曲で、多分やってみると思うんだけど、ギターとピアノのための曲でね。わたしにはちょっとあり得ない組み合わせに思えるんだけど。(これはのちに『A Mixture of Time』という曲になった/BD)

 

BD:ピアノの屋根を閉めないと!

 

RH:(笑) その上を大きなラグで覆ってね。でも面白い挑戦になると思うし、とてもいいギター・プレイヤーがいてね、だからさらに面白いことになりそうなんだ。

 

BD:4手によるピアノ曲にもどると、実際のところ、1台のピアノでの4手と、2台のピアノでの4手とはどこが違うんでしょう。

 

RH:どちらにも似たような問題点があるね。どちらの場合にも、つかえる音符の数が非常に多い。変化をつけるのにね。それに対して、左手のためのピアノ曲というのは、まったく逆のことが起こる。ソロの曲の場合でも、指が届かない箇所を弾くために、空いてる鼻を使いたいこともあるからね。(笑) でもそれ以外のピアノ曲では、特に4手の場合は、鍵盤上で音域を広げることは可能で、よほど気をつけてないと、自動ピアノの演奏みたいになってしまう。そういう問題がありますね。そして2台のピアノの場合、わたしにとってはまた別の、音が重複する、という問題が起きてくる。2台のピアノが同じということはなく、2台のピアノの音がきれいに調和することはない。だからガサついた音質になってしまう。それは避けたいね。

 

BD:今までに、88鍵の鍵盤が二つあるピアノを設計した人はいるんでしょうか? 鍵盤が両側にそれぞれあって。 

 

RH:ダブルキーボード?

 

BD:弾く人が向き合うように鍵盤があって、でも二つの鍵盤は同じ弦を使うわけです。

 

RH:それは、びっくりだな。いいや、いないでしょう。そんな人はいないよ。面白い考えだと思うけど。

 

BD:2台で起きるチューニングの問題が避けられるんでは?

 

RH:ああ、そうだね、確かに。わたしが考えもつかなかったことを君は思いついたわけだ。

 

BD:ハンマーとダンパーは2セットあって、、、。

 

RH:そうするとダンパーが問題になるな。でも面白いアイディアだね、何か解決の方法はあるんじゃないかな。

Piano Trio No.1 "I. Mesto" - Atos Trio
00:00 / 00:00

Piano Trio No.1 "I. Mesto" played by Atos Trio
"Robert Helps in Berlin - Chamber Music With Piano"
2011 Naxos

BD:あなたは調性音楽、無調音楽と様々な方法で作曲してますが、現存の方法論のみなのか。

 

RH:そうです。まったくその通り。

 

BD:こういうものを使い尽くしてしまった、とは感じてない。

 

RH:そうは思わないですね。わたしがどんな音楽を書くのか、聞いてくる人たちがいますが、わたしが答えられるのは、こういうものだと示すより、こういうものではないということ。12音技法(オクターブ内の12の音を均等に順番に使用する作曲技法)の音楽ではない。セリー音楽(音列とともに、リズム、強弱、音色などの要素を秩序だててつくる作曲技法)でもない。ときに調性音楽ではない曲に取り組むこともあるけれど、ただそれは調性音楽に非常に近いものですね。ミニマル・ミュージックでもない。何なのかを説明するのはとても難しい。仲のいいミルトン・バビット(アメリカの作曲家)は、「文脈のある音楽」と呼んでいたね。これが何を意味するかは別にしてね。彼の見方では、わたしはある種の音の文脈を設定し、その中で作曲をするということらしい。それが調性的であったり、中心音があるものだったり、あるいはそうでなかったとしてもね。ただわたしは、数のシステムを使うといった、純粋に理論に基づいた作曲はしていない。わたしには合わないように見えたからね。

 

BD:一般論として、あるいはあなたの音楽にとって、芸術的な成果と娯楽的な価値のどの辺りにバランスがあると思うのか。

 

RH:自分としては、それをあまり考えることはないね。子ども時代のことを考えると、6歳、7歳、8歳、9、10、11歳くらいの年には、何よりも演奏者としての見方が強かった。聴衆のことを考えて演奏し、おそらくそれがある意味エンターテインメントになっていたんじゃないかな。意識的に自分にこう問うことはなかったと思う。「人を楽しませるための音楽を書こうとしてるのか、それとも学問としての音楽を書こうとしてるのか」といったね。わたしにとっては、どれも音楽だったわけで。そんな風だね。人々を楽しませることもあれば、全くそうじゃないときもある。またあるときは、少数の人たちを楽しませるけれど、他の人は全く楽しませていないというようにね。でもそういうもんじゃないかな。

 

BD:では非常に哲学的な質問をさせてください。社会にとって音楽の目的とは何なのか。

 

RH:難しい質問だね。またガートルード・スタインの話にもどれば、作曲家が何年もの間、曲作りを精力的にやり、演奏を何年も続けていると、その人は知らず知らずのうちに嗅覚が芽生え、何が人々を動かすのか、何が人の心を捉えるのかを感じるようになるんじゃないだろうか。音楽にとって重要なことが二つあるとすれば、それは歩調と気分。この二つがうまくいけば、聴衆の心に届くだろうし、聴衆を感動させるだろうね。それは気分が聴衆を動かすからだ。歩調というのは、一種の型だけど、創造的な形でもあり、人を捉え、引きつけ、今聴いている音に縛りつけるのではなく、曲のさらなる先を予感させることなんだ。別の言葉で言えば、真に素晴らしい音楽を聴いているときは、人は常にこう思う。「この先どうなるんだろう」 好ましい音の響きを耳にしているとき、聴いてる人はその場にとどまってはいないんだ。これはシェーンベルクの真実であり、ショパンの真実でもある。人はこう言うだろうね。「あー、とてもきれいだなあ。でもこの先の角を曲がったら何が起きるんだろう」 両方で人を捉えるわけだ。現在で人を捉え、さらにその先の未来で人を捉える。非常に音楽的な人というのは(これが何を意味するにしても)、全身全霊でこういうことを求めていると思う。

 

BD:音楽に偉大さをもたらすものについて、わたしたちは話しているんですよね。

 

RH:そう思うね。ある曲がそうなっているとき、曲の気分が人々を捉えるとき、それがドラマチックであれ、繊細なものであれ、芝居がかったものであれ、人はそれに導かれていって、興味をなくすことはない、決して興味を失わない。次に何が来るか待ちかねている。面白くない曲にはならない。そういうことを言ってるんでしょ?

 

BD:まさに。そうです、その通りです。

 

RH:ヘンリー・ジェイムズ(1843年~1916年、アメリカ生まれでイギリスで活躍した作家)の小説を思い出したよ。714ページもある話で、全編の中で、最初と最後でただ一つだけ違うことがある。たった一つの出来事しか起きないんだ。ある人間が死ぬんだけどね。それ以外は、最初のところと全く変わりがない。だけどわたしにとっては、小説を読んでいる間ずっと、次に何が起きるのか待ちかねていたんだ。なんにも起きないわけだけど。これをやったヘンリー・ジェイムズはすごい芸術家だなと思ったよ。

 

BD:それは芸術なのか、技能なのか。

 

RH:どちらもあるだろうね。技能というのはいつもそこにある。でも技能に非常に意識的である場合(別の言葉でいうと、自分にとっては曲の形態を予め考え、所定の形式をつかうこと)と、経験豊富で自然に取得して来たことを発展させた技能、この二つには違いがあると思う。もちろん完璧に自然発生的な技能と、非常に考え尽くされた技能との違いを言うのは難しいとは思うけど。このようなことすべてが、一つ曲の中で起きるのだと思う。最初にすべて出てくるとは思いたくない。曲はしばらく置いておきたい。それからこう言うところに達する。「さて、これでこのプロセスは終えたな。ここからうまくはまらない箇所、ちょっとした欠点をすべて洗っていくぞ」とね。だからどちらも必要なことだと思う。

 

***

 

BD:あなたの音楽解釈について、再度聞かせてください。あなたは自身が作曲家であることで、他の人の曲の良き演奏者だと思いますか?

 

RH:あー、そうですね。これって奇妙な具合に作用するもんなんだな。たとえば、いちばん好きな曲を自分がうまく演奏できるとは限らないわけで。奇妙なことに思えるんだけどね。例として、これは全く自分の考えにすぎないんだけど、他の人はそうは思わないかもしれないことだけど、わたしはフランス音楽をとてもいい具合に演奏できる、と思ってる。ベートーヴェンやシューベルトはそのように演奏していないと感じてる。ときにうまく演奏することはあるかもしれないけど。いっぽう、もし最も偉大な作曲家は誰かと聞かれたら、ベートーヴェンなのか、シューベルトなのか、ドビュッシーかラヴェルか、答えに困るけど、おそらく最初の2人と言わざるを得ないだろうね。でも彼らの曲を残りの2人よりうまく演奏できるという風には思わないんだ。何でなんだ? わたしにはわからないよ。

 

BD:あなたはいつも、新しい曲をハンティングしてます?

 

RH:いいや、してないね。向こうがこっちを見つけ出すからだよ。なんらかの方法で、曲がやってくる。折に触れ、そういうことが起きる。ときにこんな風に言うだろうね。「まったく違うものがやりたいんだ」とね。そうそう、2年前のことだけど、アルベニスの曲がわたしの家にやって来た。こういうのは、まったくやったことがなかった。とても美しい曲だった。そのときはそれが何なのかも知らなかった。18分の作品で、1楽章もの、アルベニスっぽいものじゃなかった。わたしはその曲を学ぶことが楽しかった。これまでにしたことのない経験だったね。取り組んでみて、ちょっとばかりスペイン人の血をかきたてて、弾くことが楽しかったね。

 

BD:おや、それはまた別の題材ですね、、、あなたの音楽は、つくる曲は、アメリカ音楽なんでしょうか?

 

RH:いや、まったくそうは思わないね。わたしは2種類のスタイルで書くことが多いと思う。一つはフランス音楽の影響が強いもの、あるいはスクリャービン*的な響きとさえ言えるもの。いや、そうとも言えない。こう言うのは気が進まないけど、そういう音を出しているわけじゃないからね。でも質感的に似てるところがあると思える。そしてまた、わたしは、かなりの不協和的な荒削りな曲を書く。この二つがわたしが書いている曲だね。

*スクリャービン:アレクサンドル・スクリャービン(1872~1915年)、ロシアの作曲家、ピアニスト。

 

BD:以前のスコアを見て、直すことはありますか?

 

RH:ほとんどない。ひとたび終わったら、そういうことはめったにしない。

 

BD:それはよかった。嬉しいですよ。(笑)

 

RH:わたしもね。つまりそうしなくても充分だという意味でね。(笑)

***

 

BD:ではあなたが録音した音楽について話しましょう。まずは、2枚組ボックスセットの『New Music for the Piano』について。様々な人々による、たくさんの小さな曲がたくさん入っている、こんな風に曲を集めるのは楽しいことでした?

 

RH:実にね。ジョセフ・プロスタコフがアルバムの編集をして、ローソン・グールドが出版した。数年前にジョセフが作曲家たちのところに行って、小さな曲を書いてくれるよう、あるいは短い曲が手持ちであるか聞いてまわったんだ。楽譜として出版するのにちょうどいいようなね。そんな風にして楽譜ができた。そして楽譜が出版されると、ジョセフは誰かが演奏して録音したらどうだろうと考えた。それでわたしに出来るかどうか聞いてきた。それでこう答えた。「もちろんだよ、聞くまでもない、ジョセフ、やりたいよ」 彼はこんなプロジェクトをやりたい人が見つかるとは、夢にも思ってなかったらしい。そして驚いたことに、というのは作曲者の一人で、ジョセフの仲のいい友だちであるモートン・グールドが(悲しいことに死んでしまっているけど)、RCAヴィクターとの関係をつかって、すべての曲が録音できるよう導いた。10年間、彼らのカタログに入っていたよ。その後、CRIが引き継いだ。あなたがCRIの白いジャケットのものを持ってるのか、赤いヴィクターのものを持ってるかわからないけど。どっちでもかまわないけどね。

 

BD:RCAのもはラジオ局(WNIB*)にあって、白い方は家にありますよ。この二つに違いはあるんでしょうか?

*WNIB:Classical 97としても知られるブルース・ダフィーの番組の局。

 

RH:いや、まったく同じものだよ。ただわたしにとっては、いつもと全く違うプロジェクトになったね。こんな風に24人もの作曲家の作品を演奏する場合、自分で選んだ曲ではないわけで、とても好きになりそうな曲、まあ大丈夫と思える曲、あまり好きになれない曲、あるいは全くダメな曲というのが当然出てくる。あまり好みじゃない曲を弾くという経験がなかったから、そういう意味でかなり面白いプロジェクトだったと思う。あまり好きになれない曲は、時間をつかって練習する必要があるとわかったね。自分が好きになれる方法を見つけ出そうとしたんだ。

 

BD:で、そう思えたんでしょう。

 

RH:そうだね。(笑)そこがポイントだね。退屈してしまうのは、問題だからね。

 

BD:あ、そこからまた別の、後で聞きたいことが出てきましたけど、今聞いちゃいましょう。コンサートのプログラムを組むとき、どの曲を入れてどの曲を入れないか、どうやって決めます?

 

RH:独奏のプログラムはあまり好きじゃないな、うん。何か一つのテーマがあって、プログラムにしたいと思わない限りね。そのテーマっていうのも、「背反的」なものになるかもしれない。でも曲から曲へと心をつかまれて弾きつぐといったものでない限り、普通はそういうのはあまりやりたくない。そんな風だから、わたしはよく変なプログラムを組むんだ。2年前に、かなり短いプログラムをやったね。18分のアルベニスの曲と、セッションズの『第3ピアノソナタ』で、どちらもあまりプログラムに載らない曲なんだ。でこう言った。「おそらく誰一人、この宇宙で、地球ではなおのこと、このプログラムをやった者はない、と言えるだろうな」 1年後に、ニューヨークにいる友だちの一人が、まったく同じプログラムを組んだんだ。これにはもうびっくりだったよ。(両者、笑) 

 

BD:偉大なる心は似たことを考えつくのかな。あきらかに面白いアイディアだったわけですね。

 

RH:そうじゃないかな。わからないけど。

 

BD:あなたの演奏プログラムには、たいてい自作を入れようとするんでしょうか。

 

RH:いいや、それはない。自分の作品を弾くことはあるけど、通常は、誰かがぜひともと言ってこない限り、プログラムには入れない方が多いね。

 

BD:どうしてなんです?

 

RH:自作にこだわってるように思えるからかな。それに自作を演奏する機会はそれなりにあるから、むしろ他の作曲家のものを弾くほうが楽しいよ。

 

BD:だけど何か1曲くらい、小さな曲でも、演目に自作を交えるのが普通じゃないかな、と思ったんですが。

 

RH:自作をいつも弾くことはないよ。わたしはそうはしないんだ。実は去年、7回つづけてある学科のためにリサイタルをしなくちゃならなくて、わたしのところの姉妹校でなんだけど、シューベルト、フォーレ、ラヴェル、その他もろもろでプログラムを組んだ。その中の一つが「オール・ヘルプス」プログラムだった。それが最初で最後、1回だけの機会だったよ。

 

BD:現代音楽への興味から、いつも新しい楽曲とか最近のものをやろうとしたりしますか?

 

RH:ええ、やりますよ。他に何かテーマがある場合でなければね。

Robert Helps in Berlin - Chamber Music With Piano
2011 Naxos
Postlude、Fantasy、Piano Quartet、Piano Trio No.1 & No.2、Shall We Dance他を収録。

New Music for the Piano
1971 Anthology of Recorded Music. Inc.
21人の作曲家による短い楽曲をヘルプスが演奏している。

BD:次にあげるレコードはデストから出ている『Music of Robert Helps』です。デイヴィッド・デル・トレディチによる『Three Etudes』、ロバート・マッセロスが弾く『Recollections』、そしてあなた自身の演奏で『Quartet』が入ってます。聞くところによると、あなたは『Quartet』ではピアノを4分割*して、22鍵ずつの曲にしたとか。

*ピアノを4分割:通常ピアノの鍵盤は88鍵ある。

 

RH:困ったもんですよ、これについては。たとえそれをやったとしてもだけど、音楽誌でそのことを読んだときは、まったく身に覚えがなくてね。あの曲を注意して見返してみましたよ。自分に「そんな手の込んだやり口を、無意識のうちにやってのけるなんてことがあり得るだろうか?」と聞いてみたね。自分ではどうにもわからなかった。四つの異なる質感で進んでいく場所があるのはわかるし、もちろん、鍵盤上でパートが分かれていることもある。でも4分割したままで曲が進むなんてことは、考えられないよ。

 

BD:では実際のところ、その発言は根拠のない仮説にすぎないと。

 

RH:わたしの考え得るところでは、そうだね。それを言った人が、わたしに立証しないうちはね。わたしには全くわからないよ、その人は楽曲を、わたしには理解できない、全く違う見方をしてるってことなのか。それを書いた人間はすごい人で、リチャード・スウィフト*っていうんだけどね。

*リチャード・スウィフト:アメリカの作曲、音楽学者

 

BD:その人に連絡をとったことはあるんで?

 

RH:いいや、それを読んだ後には、会ってないね。

 

BD:一体全体、何を言ってるのか、聞いた方がいいのでは。

 

RH:(笑)電話をして、「リチャード、あの発言はいったいどういう意味なんだい?」と、聞いてみようと思ったことは何度もある。でもあの発言については、かなりいろんな人たちの口から聞くんだ。それは『ニューグローヴアメリカ音楽大事典』の中にあるからなんだ。だからみんな、同じことを言うわけで、わたしに関しての解釈になってるんだな。いろんな人が顔を見れば、「どうやってあんなすごいアイディアを思いついたんだい?」と聞いてくるよ。そういうときは即座にこう答えることにしてる。「いやあ、どっかに落ちてたんだろう、ぼくのじゃない」(笑)

 

BD:印刷されてるものだから、ずっとつきまとわれるでしょうね。ところで、あなたは自分の曲の演奏を、基本的に満足して聴いてるんでしょうか?

 

RH:満足なこともあるし、そうでないこともあるけど、これについては、多くの人より自分は恵まれていると言っていいね。それは自分の楽曲の演奏を聴くとき、いつも理想的な演奏ではないとしても、あるいは理想的な演奏会でなかったとしても、あるいは何か予期しないことが起きたとしても、通常はとても素晴らしいと思ってるからなんだ。

 

BD:ではもう一つの側面として、あなたは自分の楽曲のレコードには満足しています?

 

RH:たいていは、中でもピアノ曲の場合はね。デイヴィッド・デル・トレディチの演奏には、とても満足してるよ。実際のところ、あのレコード*は、いろいろな面で、わたしの楽曲を入れたレコードの中で好きなものでね、すべてがわたしの曲だからというだけでなく、どの曲も演奏がとても素晴らしいからなんだ。

*あのレコード:『Music of Robert Helps』のことと思われる。

BD:もし『Quartet(四重奏)』が22音の4つのグループから出来ていないなら、タイトルの意味は何なんでしょうか?

 

RH:タイトルの意味はかなり漠然としているね。もう少しで『Sonata』とつけるところだったし、いろんな意味で、そうしなかったことを悔やんでるよ。作ったときはどうしたわけか『Quartet』というタイトルが浮かんでね、それはとても単純なことから来ていて、あれは4つの曲で構成されていて、またたくさんの4声の部分からできているからなんだ。わたしの他の曲に4声のものが少ないというわけではなくて、単に二つの事実、あの曲が4つの部分から成っていて、4声で書かれたところが多い、その二つの要素からあのタイトルは来てるんだ。それとわたしはちょっとひねくれ者なんだな。「クァルテット」という言葉を聞けば、たいていの人は四つの楽器による曲だと思うだろう(でも実際はピアノのソロの曲)。タイトルを変えてもいいかもとも思うけど、でもそうはしないだろうね。

 

BD:もう1枚はデストから出ている『Portrait』なんですが。

 

RH:ああ、『Portrait』ね、ありますあります。わたしの作品としては親しみやすいものだと思うね。実際のところ、あれは大衆的と言ってもいいくらいのものですよ。あれを自分で演奏したり、他の人が演奏するのを聴いたりするとき、たいてい聴衆からはいい反応がきます。あまり現代曲をあまり聴かない人たちから、いい反応が得られるんです。それが利点になるのか、それとも命取りになるか、わからないけどね。

 

BD:あなたのカノンとしては、でも、ちょっと違うタイプの曲でしょうか?

 

RH:そうですね。

 

BD:あなたが外に出さない理由ではない?

 

RH:いやいや、去年自分で弾きましたよ。

 

BD:それから『交響曲第1番』がありますね。CRIの再録版と昔のCBSのディスクと、何か違いは?

 

RH:ないですよ、まったく同じ。

 

BD:片方がもう一方より音がいいとか?

 

RH:その点について、わたしは研究不足だけど、そういうことをよく知る人は、CRIのプレスの方が好きだと言ってます。新しいボックスセットについては、RCAのプレスがいいと思ってるけど、CRIのプレスもとてもいいしね、大きな違いはないですよ。どれも素晴らしいプレスだね。

 

BD:作曲家にとって、自作がレコード化されるのは重要でしょうか?

 

RH:そうですね、今の時代、作品が1回きりの演奏で終わるのではなく、ずっと保存されることは、大事ではないかな。楽曲が世界中で14回素晴らしい演奏の機会をもつことと、レコードになること、今の作曲家のほとんど全てにとって、選択肢はないだろうね。レコードを取るでしょ。助成金を欲しいとき、奨学金や基金を得たい場合も、商業的なレコードをもつことが障害にはならないようだし。こういうことをやろうとするときも、かなり効果があるのでは。それに作曲家がレコードを作れば、人にあげたり、図書館に寄付したりできてとても便利だと思う。

 

BD:さらにはCRIのレコードで『Gossamer Noons』があります。これは声とオーケストラのための作品ですね。これについて少し聞かせてください。

 

RH:あれを持ってるとは、嬉しいね。あれはわたしの親しい友人で、ニューヨーク在住の小説家のジェームス・パーディによるテキストでね。15分かそれをちょっと超える作品で、べサニー・ビアズリーのソプラノ、ガンサー・シュラー指揮によるアメリカン・コンポーザーズ・オーケストラで録音されたんです。ニューヨークで1回だけ演奏されて、そのあとレコーディングされた。とてもいい録音で、自分のレコードの中でも好きなものの一つだね。あと『The Running Sun』のニュー・ワールド・レコード版があって、5つの歌からなる小さな作品で、これもジェームス・パーディのテキスト、べサニー・ビアズリーのソプラノで、わたしのピアノで録音されている。あのレコードに関しては、片面全部をビアズリーとわたしの二人だけで演奏してる。主に20世紀初頭の作品で、レコーディングの最後になって楽曲が足りなくなって、わたしの曲も入ってる。 

 

BD:声のための作品を書く、喜びと悲哀について教えてください。

 

RH:(笑)また言うけれど、歌ものについては、たくさんコンサートがあって、ラッキーだったね。とてもいい歌い手に恵まれていて、べサニー・ビアズリーとかいろいろね。その結果、わたしの作った歌ものは、ソプラノのために書かれている。ときに「テノールの曲はありませんか?」と聞かれるけど、「もうしわけないけど、1曲もないんですよ」と答えてる。歌ものは素晴らしいとは思ってるんだけど、あまり書いてこなかったからね。単に書いてこなかったというだけだけど。あなたの質問にはあまり答えてないかな。

 

BD:誠実な答えですよ。わたしが求めてるのはそれですから。

Robert Helps: Orchestral Works
The University of South Florida Symphony Orchestra, William W. Wiedrich
2009 Albany Records
Symphony No.1、Symphony No.2、Gossamer Noons、Quintetを収録。

amazonサイトで試聴できます。

BD:曲をつくるのは楽しいですか?

 

RH:それは言葉の定義によるね。曲を書いているとき、「楽しい」と呼べるような感情を抱いていると思うよ。自分は正しいことをやっている、という感情だね。曲を作っているのはいい気持ちだけど、書いているときは、それに縛られて、社会的に引きこもる。どこにも行きたくないし、何もしたくない。書いているときは始終、ハリケーンの真っただ中にいるみたいではあるけど、いい気持ちではある。だけど楽しくないことも実はある。多くの作曲家に賛成してもらえると思うけど、こうしてすわって新しい作品を書いているんだ、と自覚することが、とても助けになるんだ。それは楽しくはないんだ。曲を書きはじめたら、それに取り憑かれてしまうことがわかってるからね。で、それはすごく長い時間ということになる。友だちのジェームス・パーティがこう言ったのを覚えている。「最初はバカバカしいと感じるんだよな」 書きはじめには何もわかってない、と思う。こんな風にと始めてみたら、それは違ってた。じゃあこれをとやれば、それも間違ってる。うまく行くまでに長い時間かかるんだ。うまく行きはじめたら、それは楽しいと言えるけど、走り出すまでのことを考えると楽しくないね、少なくともわたしにとっては。その結果、わたしは他の人にはできることができないんだ。朝の9時から10時半までを1年間のあいだ毎日(あるいは1週間毎日)、そのための時間を確保して曲を書き、それから教えに行って、コンサートで演奏するといったやり方がね。ストラビンスキーはこれを非常にうまくやっていたけど、わたしはそういうタイプじゃない。曲を書くときは、自由な時間をたっぷりもっていたい。そんな風にしていて初めて、曲がわたしのからだに行き渡るんだ。意識して曲のことを考えていないときにもね。そんな風に感じてる人は、たくさんいると知ってるよ。 

 

BD:そういった時間の中ではじめて触発されると?

 

RH:自由になる自分の時間が必要で、それはたっぷりしたものでないと。四六時中ではなくてもね。料理をしたり、買い物したり、出かけたり、用事を済ませたり、そういうことは好きでやりますよ。でも教えて、演奏して、曲を書いてと一度にやろうとしても、うまくいったことがない、そういう意味です。

 

BD:アレをやり、コレをやるのはいい、だけどいっぺんにはダメと。

 

RH:これを一つ、あるいは別のことを一つ、でも両方一度にはだめ。つまりは、わたしはたいていの場合、マーラーみたいに「夏の作曲家*」だってことですね。(笑)

*グスタフ・マーラーはコンサートホールが閉まっている夏の間のみ、自然環境の豊かなオーストリアの山間にある家に引きこもって作曲をしていたことで、そう呼ばれていた。

 

BD:作曲する時間は充分にあるんでしょうか。

 

RH:ええ、基本的にはあります。もし自分がこうでなかったら、カタログにもっと多くの作品を載せられたとは思うけど、これが自分のやり方だから。そうやって生きるしかないだろうね。

 

BD:あなたの60歳の誕生日が近づいてますけど、自分の音楽でも一般的な音楽についてでも、あなたが気づいた、もっとも驚くべきこと、喜ばしいことは何でしょう。

 

RH:うーんそうだな。まず頭に浮かぶこと、このような質問に一番いい答えになることは何かな。一番驚くことは、いま音楽がどこ向かっているかという、その方向性でしょうね。わたしが25歳くらいのときは、ポスト・バルトーキアン*の時代で、まだシェーンベルクの影響もあり、今書かれている音楽のようなとてつもない多様性について、まったく予測できなかった。いろんな意味で、主流になるような音楽はないでしょ。いいことかもしれないけど。当時は、規定のある、ある意味制限のかかった方法で音楽を我々はつくってたように思える。それもまた、いろいろな意味で悪くなかった。今は非常にいろいろな方法が使われていて、中心になる人はそう多くはいないと思う。今現在、そういう人がいるようには見えない。いるのかもしれないけれど、あるいはいつか出てくるのかもしれないけど。わたしの知る人で、わたしがそういう風に見てないだけで、中心人物になる人がいるのかもしれないけど、セッションズとかシェーンベルク、バルトークのような作曲家には見えないね。そういう中心的人物には見えない。わたしにとって、非常に強力で中心的な人物が現れていないことは、ちょっとした驚きだね。それがいちばんの驚きと言っていいかな。一方では、たくさんの違う音楽が同時に存在する、とても興味深い時代だとも思うよ。 

*ポスト・バルトーキアン:ハンガリーの作曲家、バルトーク・ベーラ(1881~1945年)が死んで間もなく、音楽的な影響が色濃く残っていた時代のこと。バルトークは晩年にアメリカに移住し、そこで死亡した。

 

BD:これから出てくる若い作曲家たちに、どんなアドバイスをしますか?

 

RH:自らの考えに従って進むこと、徹底的にね。

 

BD:このアドバイスはあなた自身が実行してきたことですか?

 

RH:ええ、そうですね。もちろん自分の考えというのは、いつだって、教師からの影響とか、自分が成してきたこと、どのような心構えでいるかによって変わるわけだけど。それでも、自らそこに飛び込み、コトを起こすことが、唯一の道だと思うよ。

 

BD:あなたは自分が、作曲家たちの系列の一部に属していると感じてますか?

 

RH:そういうことについて、あまり考えたことがないね。セッションズから受けた教えと1940年代、50年代のセッションズのグループとの関係はとても強いと思う。また、彼の音楽に対する考えに、わたしは強い忠義を置いているとも思う。時がたつにつれ、わたしの音楽が彼のものに似ているとは思わなくなったけど、わたしの発言には、作曲に関しては、セッションズとの関係がかなりあると思う。作曲についてわたしが語るとき、彼の考えとまったく違うということはないと思う、どうであれね。彼が偉大だったことの一つは、長年に渡って、この国有数の音楽教師だったということ。なぜ彼が教師として素晴らしかったかの理由は、自分の生徒に、音楽の様式を押しつけることがなかったからなんだ。セッションズはいつも、生徒がそのとき手がけている曲を熟考して、音楽にとってその始まりが正しいかどうか指摘してるように見えたね。セッションズは自分にとっての正否には関心がなかった。彼が興味を惹かれたのは、その音楽が、書いている人間にとってどんな意味があるか、ということだけだったんだ。

 

BD:偉大な教師とはそういうものなのでしょうか?

 

RH:そう思うね、作曲について言えば。偉大な教師が生まれないとしたら、それは生徒にある様式を押しつける場合だと思う。それはためにならない。シェーンベルクがかつて言った言葉がとても好きなんだ。大切なことは、生徒が学ぶ必要のあることを教えるのであって、教師が知ることを教えるのではない、とね。

 

BD:あー、なるほど。でもそれを知っている人はあまりいないでしょう。

 

RH:なかなか得られない能力だからね。特に、教師が生徒の曲の様式が好きでなかった場合にね。そういうことはよく起きるし、セッションズの場合にも、それはあったと思うけど、それでも彼は生徒の曲を熱心に見ていた。決してこうは言わなかったよ。様式のせいで、「これはダメだな」というようにはね。

 

BD:今日の午後をこうしてわたしとの時間に割いてくれて、お礼を言いたいです。

 

RH:ありがとう。あなたと話すのはとても面白かったですよ。質問に刺激を受けたし、じっくり考えたり、普段あまり気を向けないことを聞かれてね。

ロバート・ヘルプス | Robert Helps (つづき)

ニューイングランド音楽院、カリフォルニア大学バークレー校、サンフランシスコ音楽院、プリンストン大学、スタンフォード大学など多くの大学でピアノ教授を務めた。1980年より死の年まで音楽学部の教授として就任していた南フロリダ大学には、ヘルプスの特別コレクション(楽曲の草稿、校正楽譜、出版楽譜、演奏会プログラム、新聞等の批評、レコードやヴィデオなど)が所蔵されている。また同大学によりヘルプスの名を冠した、若手作曲家のためのコンペティションが設けられている。

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