ポッツィ・エスコット * Pozzi escot
ポッツィ・エスコット | Pozzi Escot
アメリカの作曲家、音楽誌の主幹。1933年、父親の赴任先のリマ(ペルー)に生まれる。5歳よりフランス在住、17歳のとき父の出身地であるアメリカに移住した。ニューイングランド音楽院などで教鞭をとる他、世界中をレクチャーしてまわり、アメリカの現代音楽を精力的に紹介している。音楽誌『SONUS』の主幹をつとめ、音楽と数学の関係性を論じた多くの記事を発表している。また国際ヒルデガルト・フォン・ビンゲン研究協会の執行委員も務める。
Cazar Truenos - Programa No 53 (23-01-2013)
Especial Olga Pozzi Escot
コンサートには(自作が演奏されても)行かない、他の作曲家たちと交流しないと聞けば、隠とん者かと思うかもしれないが、世界中を、音楽の領域を超えて活動の場にし、さらにはアメリカの作曲家を世界に紹介している類い稀な作曲家である。(葉っぱの坑夫)
ここで話された話題 [音楽と数学の関係/生活とインスピレーション/音楽の役割、機能/ヒルデガルト・フォン・ビンゲン/ヨーロッパから見たアメリカ音楽/シュトックハウゼン ]
このインタビューはブルース・ダフィーのサイトからの翻訳です。
<1987年4月、シカゴにて>
音楽は多くの人々にとって、いろいろな意味をもちます。万人のものとなり得るのは、その多様性にあります。それぞれの人に音楽を聴く理由があるように、それを取り入れる耳も様々です。そして多様性をたもつためには、幅広い領域での創造性が必要になります。21世紀にはいって、わたしたちの社会は、創造においても消費においても、過剰にある方向に傾いています。それは楽しくて、感情に訴えるもので、ときに芸術的とさえ言われます。わたしたちがよく聴く音は、シンプルで直接的で、ときに巧みに操られてもいます。
しかし我々が、音楽の領域のもう一端に目をやったらなら、献身的な創造者と熱心なリスナーの小さな集団があることに気づきます。この普通とは違う、あまり人気のないことに挑戦する人々は、他では得られない貴重な作品を生み出します。それは誰が聴いても楽しめるものではなく、またたくさんの人のためのものでもありません。理解しにくい音や聞き慣れない不快ともいえる音響を追求することは、孤独で危険な道を歩むことです。とはいえ、そこで生まれた音の世界が理解されたとき、その報酬は非常に大きなものとなって返ってきます。
数少ない人のために音楽をつくることは、通常避けて通りたい道ですが、そこを行く者たちにとっては、視界良好であり、遮るもののない景色が広がります。ポッツィ・エスコットは理解からはるか遠く離れた音を作る精鋭の一人であり、そのことが理由で、賞賛され、感謝されています。彼女のもつ勇気と変わらぬ信念は、真の創造性と洞察力とともに、欠くことのできない資質と言えます。
エスコットは世界を旅します。生地であるペルーからヨーロッパ、アジア、北米大陸へ。1987年4月、彼女はカンファレンスのため、シカゴのエバンストンを訪れました。そしてそのとき、わたしは彼女にインタビューすることができるという、大変名誉な機会を得ました。このときのインタビューは、シカゴのWNIB(クラシック音楽のラジオステーション)のClassical 97で最初に放送されたあと、何度も再放送されました。またエスコットの方からも、彼女の主宰する音楽誌『Sonus』の発刊10年号(1989年秋)にこれを記事にしたいと依頼があり、掲載されました。
彼女が参加したカンファレンスは多くの作曲家が参加しており、そこを訪れたわたしは、あの人、この人と、たくさんの人々と旧交を温めたのでした。
ブルース・ダフィー(以下BD):ジョーン・タワーから、あなたによろしく、と言われました。あなたに会うのを楽しみにしてましたよ。
ポッツィ・エスコット(以下PE):彼女が教えてるバード大学の夏の修士課程クラスで授業することを依頼されて行ったけど、そのときはジョーンは不在だったの。実際のところ、作曲家たちとはあまり会わないわね。
BD:どうして?
PE:わたしはいろんな分野を行き来してるから。世界中をまわってて、様々な分野の人に会うんだけど、作曲家はあまりいない。
BD:作曲家たちに会おうとはしない?
PE:そうね。
BD:作曲活動が活発な人は、互いによく会うのかと思ってました。
PE:わたしは作曲家でたくさん曲をつくるけど、音楽誌『SONUS』の主幹エディターでもあるんです。あと文章を書いたり、講義をしたりもするけど、対象になるのは音楽家とは限らないの。
BD:あなたについて書いたものを読んだんですが、そもそもは数学を勉強してたんですよね。音楽と数学の相互関係がよく見られますけど、どうしてなんでしょう。
PE:そこには相互関係があって、それは深く根ざしたものなの。馬鹿げてるように聞こえるかもしれないけど、よく言われるのが、世の中には3種類の天才しかいない、とね。作曲家と数学者と物理学者。そこで強調されるのが、数学が共通項ということ。音楽は数学ですよ。中世には音楽は数学の領域の一部だった。そう教育されていたの。実質的に言って、音楽のあらゆる側面は数学だと言える。
BD:じゃあ、あなたが新しい曲を書いているときは、数学的な思考と音楽的インスピレーションはどういう均衡なんです?
PE:インスピレーション? それはまさに生活のこと。暮らしの中でやっていることのすべてがインスピレーションなの。どこかに向かおうとして、片方の足をもう一方の足の前に置こうとすること、それが正にインスピレーション。生活する、教える、友だちをつくる、本を読む。どれくらいのインスピレーションを自分がもつかは、序列や程度の問題なの。どれくらい愛着をもち、深く関与するかの問題。だけど比率的に違いがあるということじゃないの。自分を前に押し進める力としては、生活の中でやっていることのすべては同じだと思う。生活の中で何かに愛着をもつことなしに生きていける、という風には思わない。それがビジョンであり、目標であり、インスピレーション。実質的な成果と実現に対する意欲の間には、バランスとして比率的な違いはないと思う。この二つを分ける方法はないの。どちらもが成果を生まないとしたら、「インスピレーション不足」ということかもしれない。また両者が素晴らしいときは、生成物は優れていることになる。
BD:あなたはおそらく、特別な才があるんですね、やっていることすべてにインスピレーションがもたらされるのは。
PE:まあ、そうならいいですね。
***
BD:音楽について少し話しましょう。あなたの生活において特別なものですよね。
PE:そうだとは言えないかな。わたしは音楽をバックグラウンドとしてしか聞かないことも多いですよ。コンサートに行くのは好きじゃないので。生活のすべてが、わたしには特別なんです。デスクで何かすること、研究したり、本を読んだり、雑誌や講義、料理の準備をしたり、わたしの生活はこういったことで活きてます。料理のレシピを考案するのが好きなんです。自転車に乗るのも特別な時間。自転車の修理をするのも好き。生活はわたしにとって特別なもので、音楽はその一部にすぎない。
BD:あなたがやらないことって、何かあります?
PE:ええ、ありますよ、泳げないの。
BD:時間をどのように配分してるんですか? 作曲、講義、編集といった中で。
PE:それは規律とマネージメントの問題ね。毎日の生活の中で、何を優先的にやるか。わたしは朝が早いから、1日が長いの。それはそうとわたしは教えてもいて、二つの場所でやってます。ホイートン大学では正教授として、ニューイングランド音楽院では単体で授業をもってます。映画や劇場に行っていた頃、わたしには時間があった。今はそうはしてないですね。わたしの生活は極限まで規律化されていて、制限がかかってます。わたしの楽しみとして欠かせない重要なことからね、つまり数学、音楽、物理です。
BD:あなたは具体的にいうと、何を教えているのですか?
PE:大学院で、数学的体系と重要理論展開の二つのゼミをやってます。実際の作曲に適用する技術と根本原理を取り扱う学問です。ピタゴラス、テアノ、聖アウグスティヌス、ボエティウス(6世紀のローマの哲学者)、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(中世ドイツの作曲家、女子修道院長)を学び、それから音楽における、理論発展に多大な影響を与えた様々な出来事を追っていきます。また学部生に、複数分野にまたがる研究、音楽理論、解析、作曲といった授業もしてます。
BD:それって3人分くらいの仕事量ではないですか? 作曲をどうやって教えるのか、わたしに教えてください。
PE:難しいことですね。本当に作曲を教えてる人は、わずかしか知りません。重要な作曲家になるために必要なことを、わたしたちは教え損ねています。作曲をどんな風に教えられるでしょうか? ある意味、教えられることではないのです。聖アウグスティヌスはこう言ってます。音楽を理解するには三つの手順がある、と。一つは音楽の本質を知ること。次にそれを適用すること。三つ目はそれを判断すること。わたしには、作曲は、音楽に関するあらゆること(理論、曲作り、解析)の背骨となるもののように思えます。その本質を知る必要があります。それからそれを適用するのです。本質を知れば、わたしたちはそれを元にどのようにでも適用することができます。でも作曲には、これと関連する別の要素がいります。想像力、発明・創案力、情報、広い心、十分な知性。こういったものを受け入れる能力ですね。作曲家は人から受け入れられる人間である必要があり、冒険や実験の精神がたっぷり必要です。教師としてできるのは、対比による展開、バランス、技術を得るための指針を提供し、そして自分の経験を話すことくらいでしょうか。
BD:これが偉大な作曲家を生む方法でしょうか? 作曲家の中にある様々な要素が違いを生むといった。
PE:あなたの言ってることは正しいと思うわね、ブルース。作曲家というのは非常に完結した人間なの。わたしたちはそれを認識してない。考えることは、大学に行って、ピアノを弾いて、ばかばかしい博士号をとって、それで作曲家のできあがり、ってわけ。間違ってると思う。
BD:今の時代、たくさんの作曲家を生み出しすぎてると?
PE:作曲家ではない作曲家をたくさん生み出しているのは確かね。たくさんの領域の中で起きていることだと思う。そして本当に特別なわずかな人を見つける。そしてこう自問するの。必要としているのは特別な人たちだけなのかってね?
BD:聴衆にとって、新しい曲のどれもが名作であることを期待するのは悪いことですか?
PE:それはマチガイだわね。いわゆる「名作」を判別できる聴衆さえ手にしてないわけだから。一番困ることは、誰にとっても意味があるとは思えない曲がたくさん演奏されていること。
BD:それが理由であなたはコンサートに行かない?
PE:わたしが行かない理由はいろいろある。コンサート・ビジネスというのは、単なるビジネスにすぎないから。こういう状況下にある音楽に興味はないの。音楽を読んでる方がましね。
BD:で、理想的な創作物を自分の耳で聴くわけですか?
PE:そういうこと。
BD:自分の作品が演奏に含まれているコンサートにも行かない?
PE:ええ、行きません。ニューヨーク・フィルハーモニックに演奏された曲があって、会場に来るよう頼まれた。で、聴衆が拍手している間、わたしは会場に入ったの。
BD:一流のアンサンブルによって演奏される曲を聴くことは、作曲家にとって特別な体験ではないかと。
PE:これは自分の曲を耳にするのが好きじゃない、ということとも関係してるわね。ひとたび書き終えたら、それはもう知ったものになる。再体験することに価値はないの。
BD:聴衆があなたの音楽を好きになることを期待します?
PE:ええ、しますよ。すべての人である必要はないけどね。でもわたしには生きることの責任がある。それはとても強力なものだと思うし、そこには成果を計るものがあって、わたしのまわりにいる人々に対して、どう表現するか、どう差し出すか、それを負っている。大きな人生の一部であり、そこにあるべきものなの。でもひとたびそこに存在すれば、もうそれに関わる必要はなくなるの。それはもうそこを通過してしまったから。
BD:スコアを読もうとして、自分の過去の作品に目を通すことはありますか?
PE:いいえ。ひとたび終わったら、そういう時間は必要じゃない。
From "Escot: Events Dancing” 2011年、Music and Arts Program of America
演奏:Boston Composers String Quartet
(Original data:4’27”)
BD:あなたは依頼を受けて曲を書いているのでは?
PE:この20年間、依頼によってのみ曲を書いてますね。
BD:この依頼は受ける、この依頼は断ると、どうやって決めるんです?
PE:断ることはありません。
BD:いつ作曲をするんでしょうか? 一度に少しずつ、毎日、1週間ずっと、1ヵ月間なのか、あるいは気持ちが乗ったとき書くのか。
PE:作曲は仕事なので、時間がとれたとき書きますね。研究のある年はなかなか難しいですね。それに加えて教えているので、スケジュールはかなり厳しいです。今月は二つの会議に5つくらい講義があります。次の月曜は、ケンブリッジに戻ったあとすぐに授業を一つやって、そのあと1週間内には、ザ・ホリー・クロス大学で、ニューイングランド地区から40名以上の作曲家が参加する作曲家会議を運営・指揮します。
BD:あなたは自分のやっていることに、かなり縛られていると感じてますか?
PE:いいえ、健康を保っていられるうちは、とても刺激的に暮らしてると感じてますよ。同時に、補助金が得られたらいいなとは思いますけど、それには自分は無党派すぎますね。
BD:つまりあなたはゲームには参加しない、と。
PE:しませんね。非常に強く、過激と言ってもいいくらいの高潔さでやってます。ときに臆病になりますけど。計り知れないほどの恩恵を受けてます。フランス、ドイツ、南アメリカ、中国といった国々の学者たちがわたしを招聘してくれます。世界中の大学教育センターが、わたしの仕事や努力に価値を置いてくれ、またわたしの学生たちもそうです。こういったことのすべてが、生きていることの喜びへとつながります。だから自分が縛られているとは感じないですよ。何かの犠牲になっているとは感じてません。むしろ挑戦の連続ですね、前に進むために必要なことです。日々、さらに遠くまで行くことを考えて。ここ、シカゴに来る前、先週ですけど、『オーディトリアム』という韓国のアート雑誌にインタビューを受けました。なんでこれほど仕事をし、なんでそのことに悲鳴をあげないのか、と聞かれました。わたしはただ曲がつくりたいのです。叫ぶことはできますけど、そうはしません。わたし自身がこの生き方を選んだからです。
BD:あなたがその生き方を選んだ? それとも人生があなたを選んだ?
PE:たぶんどちらもあり得ますね。おそらく人生が、わたしのためにそれを選んだんじゃないかな。わからないですね。いろんなことが周りにあって、圧倒されています。いったい誰が動かしているのか、それともただ動いているだけなのか。あまりにたくさんのことが起きて、不可解としか言いようがない。わたしは自分の人生について時々考えます。他の作曲家たちのように生きることもできたはず。教えるけれど、とても貧しい方法でやり、誰もが聞きたがるような、そして誰でも演奏できる曲をつくるといったね。8割の作曲家が「実用音楽(Gebrauchsmusik)」と1930年代に呼ばれたものを書いてる。わたしにはできないし、なぜそうなのかもわからない。でも確かなことは、ここまでの生活を見れば、いろんな意味でわたしはラッキーだったと思う。子ども時代の音楽教育はフランスのもの、そのあとジュリアードに行って、理学士と科学修士を得て、ドイツの大学院で研究生活を送り、そこで当時一流の教授とされていたフィリップ・ヤルナッハの教えを受けたんです。
『ソニック・デザイン:音と音楽の特質』
ポッツィ・エスコット、ロバート・コーガン著
朔北社、2009年、小藤隆志訳
非常に刺激的でユニークな、新しい時代の音楽理論・解析書。クラシック音楽と言われる西洋音楽のみを対象としない、他の文化の音楽にも適用できる音楽理論を使って、多くの楽曲を例としてあげ、詳細に分析している。世界には和声学や対位法、楽節の形式では解析できない音楽がたくさん存在することに気づかされる。解析の対象は、中世音楽からショパン、モーツァルト、シェーンベルク、、、さらにはズーニー族、古代中国、インドにまで及ぶ。音楽を学ぶ人、音楽愛好家を対象として書かれている。訳者はアメリカの大学でコーガンに教えを受けた作曲家の小藤隆志。
BD:あなたは思索家だと思うので、ぜひとも聞きたいのですが、音楽の究極的な目的とはなんでしょう。
PE:人類学者たちは、人間の集団において、五つの重要な役割がある、と言ってます。一つはハンター、食べものを配る人。2番目はヒーラー(治療する人)、3番目はシャーマン、あるいは宗教者。4番目は法を定める人、5番目はストーリーテラーでこれは音楽家のこと。わたしたちが生活における必要不可欠なものを考えるとき、音楽はそれなしには人が生きられないものとして定められるんです。音楽はいつも存在します。人間にとっての真の機能なんです。何が歌われいていたとしても、わたしたちはその反映なのです。音楽はそこにあります。何かが動けば、音楽、あるいは音が生まれます。人間はそれを模倣し、それを自分のものにします。
BD:あなたは音楽のこれから、その未来について楽観してますか?
PE:ええ、楽観的です。どんな文化の中でも、音楽は存在していくと思います。まわりを見まわして歴史の一部になっている作曲家について考えてみるとき、存在する者と存在しない者がいるのはなぜなのかと思うんです。いくつかの特例をのぞけば、たとえばの話、歴史は女性の作曲家を無視してきました。そこを生き抜いたものは、たいてい素晴らしいもの、意味あるものだと思うし、おそらくこのようなことは起き続けるでしょうね。
BD:女性の作曲家に対して、今も差別があると感じてますか?
PE:いいえ、ある意味では。アメリカのラジオやテレビが差別をしているとしてもね。そもそも、わたしが思うに、教会こそが女性を差別してきた。教会は人々の生活のあらゆる側面で、ヨーロッパの歴史を押しつけてきました。ヒルデガルト・フォン・ビンゲンはこういった力に抗してきた人です。ドイツ薬草学の祖とも呼ばれるビンゲンは、1098年に生まれ、77曲の聖歌と一つの劇をつくりました。作曲家として、学者として高く評価されていました。クレルヴォーのベルナルドゥス(12世紀のフランス出身の神学者)は、彼女の同時代人であり、ビンゲンを非常に尊敬していました。彼女の音楽についてのわたしの調査、研究では、彼女をしのぐ作曲家はあの時代にいなかったと感じました。今日ではビンゲンはよく知られるようになりましたね。彼女の文献資料は広範囲におよび、各国語に翻訳されてます。彼女の書いたものは研究の対象となり、時代を超えて存在しています。薬学や医学についての本も書いています。またヒルデガルト・フォン・ビンゲン研究の国際組織があり、法律家や作曲家など多様なメンバーが世界中から集まっています。
BD:あなたもその一員で?
PE:はい、執行委員会にいます。
BD:女性の作曲家たちは、このところ評価を受けるようになってきたように見えますが。
PE:そうだとは思います。女性だけでなく、アメリカの作曲家全体が評価されるようになりました。そう言えるのは、だいぶん前に、アメリカ研究の分野でザルツブルクのセミナーに招かれたとき、ヨーロッパの学者たちはわたしたちの音楽を笑いものにしてましたからね。彼らはアメリカの音楽を「愛想ばかりの音楽」と呼んでました。今でもそれはあります。残念ですね。わたしたちアメリカの音楽家はヨーロッパの音楽に大きな賞賛を送ってきたし、彼らの音楽をここに持ち込むことで自らの道を開き、それをこだわりなく演奏してきたわけで。彼らはわたしたちに受け入れられたんです。ヨーロッパのアート業界は国家的努力によって支えられていて、各国政府はあらゆる芸術を保護し、奨励し、支援してます。
BD:ではわれわれはヨーロッパ人にアメリカの音楽を売ったほうがいい?
PE:そうしたいですね。いろんな理由でできないけれど。ヨーロッパ人は買わないでしょう、なかなか。わたしたちが支持してきたような凡庸なものを買わせるには、彼らの分別が許さない。わたしたちは音楽制作に関して、アメリカのものに誇りがもてていないですよ。ドイツ人を例にとれば、シュトックハウゼンはアメリカの今いる作曲家に相当するような人だけど。でも彼は20ものレコーディングをしている。ここまでにアメリカ人作曲家は彼に洗脳されてきて、ヨーロッパ人にも区別がつかないくらい似てる。シュトックハウゼンはとても著名でしょ。彼がニューヨークに来れば、学生たちは彼に会いたくて群がってる。オーケストラも室内楽団も彼の曲をやりたがる。ここシカゴでは、ラルフ・シャピーがいて作曲を教えてる。わたしはいつも彼はすごい作曲家だと思っていて、でも一部の人をのぞいてほとんど知られてない。だけどヨーロッパでは、肉屋さんでもシュトックハウゼンを知ってるし、ドイツではテレビ、ラジオ、出版物などがすばらしく売れている。わたしは大学院の卒論を4年以上ドイツでやっていたから、あそこではどんな風に音楽が機能してるかわかってるの。ラルフ・シャピーを誰が知ってる? 大学院のわたしの生徒や同僚ですら知らないかもしれない。
BD:ではシュトックハウゼンの成果は、音楽そのものなのか、社会で機能しているだけなのか。
PE:多くは政治的、社会的な関係性でしょうね。ボストンで、ゲーテ・インスティチュート(ドイツ政府による国際文化交流機関)からの電話を受けたことを思い出したわ。シュトックハウゼンがこの地域に来ることになっていて、すべて有料だけど、わたしの機関で彼を呼べると言われたの。ドイツ政府が世界中で彼のツアーをやっていて、あらゆる出費を払っているわけ。ドイツ政府にとって、自分たちが得られる優位性とか成果を考えれば、たいした出費じゃないんでしょうね。
BD:シュトックハウゼンはカゴの鳥みたいに、見せびらかされているんじゃないのかな? あなたはそんな風に連れまわされたくはないでしょ。
PE:さあどうでしょう、でもこういうツアーは非常に実りが大きいんです。
BD:では価値があると?
PE:価値はありますよ。ヨーロッパに行って、こう言いたいですね、わたしたちにはシュトックハウゼンもあれば、ブーレーズも、ベッツィ・ジョラスもありますよって。そういうことを粘り強く言っていきたい、でも支援や後ろ盾してくれるものはここ(アメリカ)ではほとんどない。彼らはアメリカの作曲家について知らないから、爪痕をつけることから始めないと。
BD:で、あなたがその先駆者に?
PE:もうやってますよ。ロバート・コーガン(作曲家、音楽学者でエスコットのパートナー)とわたしは、アメリカ合衆国広報文化交流局(USIA)のために、ドイツ中をまわって、ミルトン・バビット、ジョン・ケージ、エリオット・カーター、ロジャー・セッションズ、ラルフ・シャピー、チャールズ・アイブスといったアメリカの巨匠たちについて、レクチャーをしているの。これをやった結果、当時USIAの音楽部門長だったイーガン氏に呼ばれたの。彼のオフィスにすわって話を聞けば「あなたがたがドイツでやったことの素晴らしい評価を聞いてますよ。それであなたがたにお願いしたい、世界中をまわってほしいんです、でもそちらが紹介した作曲家たちではなくて、バーンスタイン、コープランド、、、」といってリストを渡されたの。そこにあったのは、わたしたちにとって凡庸な人たちだった。だから答えはノー。
BD:彼が望んでいたのはもっと美しい調べの作曲家たちだったんですね。あなたはバーンスタインやコープランドを本当に凡庸だと?
PE:秀でた芸術のために、わたしたちは挑戦や未来、理解、オリジナリティ、技術の結晶といったものを手にする必要があるの。アートは人を眠たくさせてはいけないの。アートは時代を超えた意味を差し出すべきなの。幅広く深い知性で、音楽の世界をしっかりつかまなくては。繰り返しはだめ。そして最終的に、一つしかない新しい合成物、統合体を提供すべきなの。コープランドやバーンスタインは、実用的で多目的な作曲家。コープランドはバーンスタインと分けた方がいいかな、コープランドはいくつかの素晴らしい曲をつくってるからね。
BD:次の世代の作曲家に、あなたがさっき名前をあげたような、バビット、シャピーと同レベルの人たちは出てきてますか?
PE:何人かいますよ。バー・ヴァン・ノストランドは才能に恵まれた作曲家です。彼はマイアミで孤独な生活を送ってます。ロバート・コーガンは50代で、彼も類い稀な作曲家、ボストンにいます。卓越した作品を聴いたことのある作曲家たちが何人かいるけれど、表舞台から消え去ってしまったわね。ポーリン・オリヴェロスは『サウンド・パターン』でガウデアムス音楽大賞を1962年に受賞してますね。サルヴァトーレ・マルチラノは、ドイツでとても美しい楽曲を聴きました。わたしの選択は少し高尚すぎるんでしょうか、、、。
BD:あなたはコンサートに行かないわけで、スコアを手に入れてそれを読むんでしょうか?
PE:コンサートに行かないからといって、何が出てきているか知る妨げにはならないですよ。まったくね。わたしは楽曲を判定する必要に迫られますし、補助金の申請に対して審査することもあります。また作曲家フェスティバルを企画、開催もしてます。2年ほど前に、中国に招かれてそこでレクチャーをしました。そのときに、たくさんのアメリカ人作曲家のスコアに目を通したわね。
BD:でも音楽を耳で聴かずに判断するということが、もう一つわからないですけど。からだの内部で音楽を聴く喜びとは?
PE:スコアを読むことで得られる喜びはありますよ。またコンサートに行かないといっても、家でラジオやレコードを通じて、新しい楽曲を聴きますからね。
BD:じゃあ、音楽を聴くわけですね。
PE:ええ、ホールに足を踏み入れることが嫌なだけです。わたしは人の集団やそれに対するビジネスが好きじゃないのです。すでに知ってる音楽を聴くためにお金を払うこと、たった1時間リハーサルして、スコアを変えて演奏されるものを聴くこと。ばかばかしいコンサートのために、着飾ることもいやですね。
BD:自分のやり方でやりたいと?
PE:自分のやりたい方法で、わたしのできるやり方で。
BD:グレン・グールド症候群みたいに、遡れば。ではあなたは自分の作品のコンサートにも行かなくて、でもレコードで聴く、それは楽しめますか?
PE:手に入れたたくさんのレコードは楽しませてもらってます。わたしの楽曲が、足を運ぶには遠すぎるところで演奏されることもあります。フランスのニースであった国際フェスティバルとか、最近ではBBCで、ロンターノ・グループがわたしの『Visione』(1964年)を演奏しました。彼らの演奏には心から満足しましたよ。
From "Escot: Events Dancing” 2011年、Music and Arts Program of America
演奏:Robert Schulz, Tamara Brooks, New England Conservatory Women's Chorus, Rosemary Vecere & Jennifer Hillaker
(Original data:3’01”)
BD:電子機器をつかう作品についてぜひ聞きたいですね。楽しんでやりますか?
PE:もしハンディなものがあればやるでしょうね。
BD:エレクトロニクスはあなたのパレットに色を添えると思います?
PE:すでにある機器(楽器)で、素晴らしい色彩を得ていると思いますよ。それらの機器の音は無尽蔵です。わたしはエレクトロニクスには慎重です。すでにたくさんの作品がつくられているけど、貧しいものばかり。ミルトン・バビットの初期のものには絶妙なものがあるし、シュトックハウゼンの『Gesang der Jugenlinge in Feuerofem (かまどでうたう若者たちの歌)』は、秀逸な作品だと思う。ただエレクトロニクスをつかう多くの楽曲は、作曲家じゃない人によってつくられてる。機器を手にしたことで、誰もが数日で、あまり意味のないものを生み出すことが可能になったから。
BD:あなたがエレクトロニクスを使うとき、人間の演奏と連携して、それともエレクトロニクスのみで?
PE:連携して使います。
BD:声についてはどうです? 人間の声はあなたの心を捉えますか?
PE:あなたの思ってるようなレベルでではないです。あらゆる種類の音は、わたしの心を捉えます。たとえば、わたしの作品『Sands』(1965年)は、ニューヨーク・フィルハーモニックによって初演されましたけど、17のバイオリン、9つのコントラバス、5つのサキソフォン、エレキギター、バスドラムによるものなの。わたしのやろうとしてることが、これでわかるんじゃないかしら。
BD:その演奏のテープを最終的に聴いたんですか?
PE:ええ。
BD:演奏家たちは、あなたが気づかずにスコアに書いたものを見つけ出したりしてません?
PE:いいえ。でもあなたは彼らが難しさを感じながら演奏してたかを聞いてるのかな。わたしは自分のスコアをデザイン、設計します。わたしのスコアは幾何学なんです。実際のところ、わたしはそのデザインに輪郭を与える人々に楽譜を売ってるわけです。
BD:あなたはスコアを難しく書くんですか?
PE:いいえ。なぜ曲を書くかと言えば、わたしの創造性を表現する唯一の方法だからです。これってカントール(ドイツで活躍した数学者)、クールボアジエ、ゲーデル(オーストリア・ハンガリー帝国時代の数学者)、キュリーへの質問のようなものね。彼らは自分の内に膨大な情報があって、それをとてつもないアイディアと想像力によって吐き出したわけ。そういうことが起きるとしたら、難しくなるのは運命だわね。挑戦されるべき運命なのよ。
BD:それは若い作曲家たちへのあなたからのアドバイスなんでしょうか?
PE:人生においてアドバイスというものがあるとすれば、ただ前に進んで、学ぶこと。発展しつづけること。意志もある、精神もある。それを開いていくの。できる限り食べて、飲んで、匂いを嗅ぐの、広く見知らぬものをね。
BD:できるだけ聴くということ?
PE:あのね、生活が複雑になればなるほど、創造性も豊かになっていくの。生活にいろんなものが含まれれば含まれるほど、新たに自分を統合することになる。そうするとそれは満足に変わるの。なぜならそれはゴールを示し、探してきたものを手にする可能性を差し出すから。わたしはアルコールを飲む必要がないんです。嫌いですね。いま手にしている計り知れない生活のすべてが、わたしにとってのアルコールなの。
BD:生活でハイになる?
PE:そうよ。友だちをつくり、対話をし、友人にして哲学者である人とすわって議論を交わす。ところで最初のところでわたしに、なぜ他の作曲家たちと会わないのかと聞きましたよね。コンサート会場での音楽と作曲家たちと会うことについては、わたしは隠遁生活をおくってると言っていい。ボストンではそれをすることはないわね。
BD:あなたが今回シカゴまで来てくれて、とても嬉しかったですよ。最後の方のあなたの話を聞いていて、なぜ他の作曲家たちを避けるのか理解できました。多忙な生活の中の一部として、あなたが作曲活動をしていることに感謝したい気持ちです。
Your Kindled Valors Bend (Pt. 3) by Pozzi Escot
Null Set
2015/10/23 に公開
ディスコグラフィー:(左/上)ジャケットをクリックすると試聴ページに飛びます。(右/下)iTunesで試聴できます。
Escot: Events Dancing - Missa Triste - Mirabilis I - Jubilation - Cogan, R.: Gulf Coast Bound - Fierce Singleness
2011年、Music and Arts Program of America
Robert Cogan & Pozzi Escot
Piano Concerto I, Piano Concerto II, Piano Concerto III, Your Kindled Velours Bend他/2011年、Music and Arts Program of America
About the quotation of the images of the composers:
I believe the images in this project are used within the copyright law and personal rights. But if any should not be displayed here, let us know, so we will remove it immediately. Or if any need credits, tell us and they will be added. (Kazue Daikoku: editor@happano.org)