ポール・ボウルズ * paul bowles
From the book cover of "Yesterday's Perfume:
An Intimate Memoir of Paul Bowles" by Cherie Nutting
ポール・ボウルズ | Paul Bowles
作曲家、作家、翻訳家。ニューヨーク生まれ(1910~1999年)。映画『シェルタリング・スカイ』(1990年公開)の原作者としてその名を知られる。17歳のときアーロン・コープランド*と出会い、その後コープランドの元で作曲を学ぶようになる。20代、30代の間、ニューヨークの劇場のために音楽を書いて生活をする一方で、ヨーロッパ、北アフリカ、南米、メキシコと世界中を旅する生活を送っていた。1931年にモロッコのタンジールを訪れたのがきっかけで、1947年よりそこに居を構え永住する。つづきを読む >
*アーロン・コープランド:20世紀アメリカを代表する作曲家。アメリカの広大な風景や開拓者精神を音楽で表現したとされる。『ビリー・ザ・キッド』『ロデオ』『アパラチアの春』などのバレエ音楽で知られる。1900年~1990年。
質問者の言葉に対して、一つ一つ意味を考えながら答えを返しているところは、作家ゆえなのか。
物事の核心を捉える鋭敏さが心打つ、ボウルズ晩年(81歳)の貴重な応答。(葉っぱの坑夫)
ここで話された話題 [モロッコに住むこと/書くこと、作曲すること/ブロードウェイ/作曲家の系列から離れて/理想的な演奏とは/音楽の目的、人生の目的]
このインタビューはブルース・ダフィーのサイトからの翻訳です。
<1992年5月、シカゴ → タンジール(電話)>
すでに成功した作曲家が、別のジャンルの創作活動に手を染め、(音楽を続けつつ)そこで世界的名声を得ることはそれほど多くはありません。ポール・ボウルズはそれをやってのけ、充分長く生きたことで、彼のメロディックな音楽への関心を再び呼び覚ましたことは、我々にとっての幸運でした。
ポール・ボウルズは1910年12月30日、ニューヨークのクイーンズに生まれ、よく知られる場所から人のあまり行かない場所まで旅してまわり、モロッコのタンジールに52年間住んで、そこで1999年11月18日に死にました。詳しい経歴や写真、音源、カタログ、リンク、ボウルズに関する資料は、こちらのオフィシャルサイトを参照ください。
1992年の5月、わたしはポール・ボウルズと電話で話すという、特別な恩恵を手にしました。それより前に、彼の親しい友である作曲家のフィリップ・ラミーとシカゴで会って、インタビューをしており、その際、ボウルズについて尋ねました。ラミーは近々タンジールを訪問するので、ボウルズとの対話を調整しましょうと言ってくれました。で、日時が決まり、わたしは電話をかけることになりました。その当時はまだ、電話の回線の繋がり方がいいと言えず、ラミーもその事情をわたしに伝えていました。ボウルズとの会話の中で、ときに片方が相手の返事をしばらく待つこともあり、またもう片方が聞こえていないこともありました。しかし聞こえなかった部分は、再度言うことで解決し、うまく会話はできたと思います。聞き損なったところはおそらくないでしょう。ボウルズは言葉を慎重に選び、伝えたいと思ったことは強調して述べ、会話の間よく笑っていました。
文章化の過程でわずかな部分を調整はしましたが、あの日、7000キロ隔てて「会って」話した内容のほぼすべてがここでお読みいただけます。(ブルース・ダフィー)
(発信音、ダイヤル式電話が鳴る音。しばし休止。続いて2回呼び出し音が鳴る)
フィリップ・ラミー(以下PR):どなた?
ブルース・ダフィー(以下BD):フィルだね!
PR:そうですよ、ブルース・ダフィーなのかな?
BD:シカゴのブルース・ダフィーですよ。はい。
PR:ここに彼はいますよ。
BD:ああ、それはそれは。ありがとう。
PR:この回線だと、一回に一人しかしゃべれないと思うよ。両方一度にはしゃべれない。片方の声は切れてしまう。よく覚えておいて。(そう言ってクスクス笑う) じゃあポールを呼んでくるから。ちょっと待ってて。
BD:わかりました、ありがとう。
PR:[ 受話器を置いて声をあげる] ポール! [少しの間] じゃ、彼に変わるね。
BD:ありがとう。
ポール・ボウルズ(以下PB):もしもし?
BD:ポール・ボウルズさんで?
PB:はい?
BD:シカゴのブルース・ダフィーです。
PB:はいはい、おはよう。
BD:おはようございます、お元気で?
PB:ええ、元気ですよ。いまコーヒーを飲んでたんですよ。
BD:それはそれは。いまお話ししても大丈夫ですか?
PB:そうですね、いいと思いますよ。
BD:よかった。わたしとの会話のために、時間をとっていただいて、とても感謝しているんです。
PB:こちらも楽しみですよ。
BD:タンジールのことから質問させてくださいね。そちらでかなりの年月、暮らしていますよね。仕事をするのにいいと思ったんでしょうか?
PB:ええ [小さな声で、当たり前でしょうとでもいうように] 、もしここにいなかったら(クスクス笑い)何一つできなかったでしょうね。1931年からずっといるんですから。何年かな、61年?
BD:タンジールで仕事する意味は何です?
PB:[笑い。そんな質問がくるとはと驚いた風に] なんでしょうね。何年かの間に多くのことが変わりましたよ。ここ最近は、ものすごくたくさんの人が、毎日のようにわたしに会いにここに来るんでね、仕事をするにはあまりよくないね。わたしはいつも一人でいたんでね。静かなんですよ。ニューヨークよりずっとね。
BD:一人でいるほうが好きなんですね。
PB:ああ、そうです、もちろん。そのとおり。
BD:あなたは音楽と文章と両方仕事にしている。やっていて両者の違いは感じますか?
PB:ええ、もちろん![クスクス笑い] この二つは違いますよ、心の違う部分を使いますから。でも片方をやっていて疲れたら、もう一方をやるんです。あっちをやり、こっちをやりとね。
BD:ということは、音楽と文章と両方をいちどきにやることがあるんですね。
PB:[強調気味に] そのとおり。ほぼいつもそうで、アメリカにはもうしばらく帰ってないですけど、、、前回行ったのは1968年でしたから。ここで劇場の音楽をやってました。[タンジールの]アメリカンスクールのための劇音楽で、骨の折れる仕事でね、まあブロードウェイほどではないかもしれないけど。
BD:[クスクス笑い] ブロードウェイからこんなに離れたところで、あそこのために作曲はできないとは思いませんでした?
PB:いやいや。距離は関係ないですよ。ここでスコアを書いて、ニューヨークの劇場に行ってリハーサルをすることはありましたよ。だけどわたしは、ここのアメリカンスクールのために劇音楽をずっと書いてきたんです。彼らはなかなかの演劇科をもっていて、難しい作品を取り上げています。ギリシアものとかね、、、古代ギリシアの作品ですよ。今年はエウリピデスをやっていて、すべてアラビア語でやってる。どう聞こえるかわかりませんけど、楽しいんじゃないかな。イヴ・サンローランが衣装を担当してて、視覚的にもいいものができそうで。
シャウエン, モロッコ
by Mark Fischer / CC
(Attribution, ShareAlike)
ポール・ボウルズ(80歳頃)/映画『シェルタリング・スカイ』より
ベルナルド・ベルトルッチ監督(1990年アメリカ公開)
BD:タンジールにいて、新しい作曲家たちのことを知ったり、聴いたりできるんでしょうか?
PB:いいえ。[クスクス笑い] 現代音楽の潮流からはかなり切り離されてますよ。孤立してますけど、かまわないんです。かまうべきかもしれないけど、わたしは多くのことから切り離されていますよ。今現在は映画もないですし、香港でつくられたものを除けばね。ここでは誰も望んでないから。何であれ文化的な生活はない。それが助けになってます。
BD:切り離されていることが、助けになるんですか?
PB:そう。
BD:どんな具合に?
PB:人は自分の文化を出すもんでしょ。[クスクス笑い] でもここにはそういうものはないですから。
BD:[笑] じゃあ、すべての発想はあなたの内から湧いてくる?
PB:そのとおり、確かに。いいですか、人はアイディアは自分の中からやってくると思ってますけど、わたしはそれに疑いをもってます。人がすることはすべて、その人の記憶からくるものだから。潜在意識です。つまり、発明というのはそれほどないんじゃないかと。
BD:つまり継承と適応、脚色であって、発明ではないと。
PB:そうだといつも思ってます。言い換えれば、地上に新しいものなどないということ。それは過去の経験からくるものなんですよ。それ以外に、いったいどこからやって来るんでしょう。
BD:ナディア・ブーランジェ* からは何を学んだんです? (*1887~1979年、フランスの作曲家、指揮者、教育者。20世紀の主たる作曲家の多くを指導し、世に送り出した)
PB:何も学んでないですよ。彼女に教わったことはないんでね。みんなわたしが学んだと言ってますけど、そんなことはないと返してますよ。(パリにある)エコールノルマル音楽院で彼女のクラスに入りました。対位法のクラスでしたけど、わたしは出席しなかったから。わたしはどうしてもスペインに行きたくてね。で、そうしたんですよ。学ぶ機会を逸したと思いますけど、そうはしなかった。彼女には学ばなかった。
BD:ではあなたの音楽についてですけど、曲作りにおいて、誰からの影響が大きいんでしょう。
PB:[しばらく考えて] 難しいな。[さらに考える] わかりませんね、おそらくモーツァルトかな。[クスクス笑い]
BD:それ以上のものはないと。あなたは作曲家の系列の中にいると感じてます?
PB:いや、ないですよ。まったくそうは思ってない。[しばし考えてから] わたしはアメリカ人だから、アメリカ音楽の一部であると考えられてると思う。でもね、わたしの作曲の時間のほとんどは、ニューヨークの劇場のためにつかってるんで、自分の音楽を書いてる時間があまりない。しかし自分の音楽を書くことは重要ですよ。ディレクターやプロデューサーを喜ばせる音楽をつくってるよりね。でもショーを制作している人間を喜ばせることもしなきゃならない。
BD:これは自分の音楽だと思えてる作品はありますか?
PB:あー、もちろん、たくさん。あるある。だけど作曲をはじめたときから自分のものを書いていたら、もっとたくさん書けたね。でも当時稼ぐ必要があったし、それはとてもうまくいってました。すべてを投げ打って、突然ここにやって来るまではね。ここに1930年代の初めに来たんでね。[ボウルズが最初にタンジールを訪れたのは、1931年8月のことで、アーロン・コープランドと一緒だった] そして1947年に住むために戻ってきたんですよ。
BD:あなたの音楽に対する関心が、ここのところ復活してるようですが、嬉しいですか?
PB:あー、もちろん! 当然です。そりゃね、そうそう。[クスクス笑い] 猛烈な関心ではないけど、人々は興味をもってくれてるし、ときに演奏もしてくれる。もちろん喜んでますよ。
BD:基本的に、誰かが演奏したものや録音したあなたの曲を聴いて、満足してます?
PB:[少しの間考えて] 「基本的に」という副詞はなんの意味?
BD:ええと、基本的に嬉しいものかどうかという。
PB:そうね、そうであるもの、そうでないもの。いくつかは満足だし、いくつかはそうでない。それぞれですよ。すべての人が理想的な演奏者とはいかないから。
BD:じゃあ名前はなしで、理想的な演奏家というのはいます?
PB:どうでしょう。いないんでは。いい演奏家がいても、ある人はどこかに批評の対象を見つけるでしょうね。いいや、おそらく、、、しかしその前に、「理想的」という言葉がよくないかもしれない。理想的なものなどないでしょ。「理想的」というのは達成不可能なものだから。たとえば、、、何みたいなかな、、、「民主主義」みたいな言葉じゃないでしょうか。一つの考え方ではあるけど、あり得ない [笑いながら] 、、、存在。
BD:では、理想的な演奏というのは、われわれがそれを求めようとすることなのか?
PB:そのために時間を使いすぎることに価値があるとは思えないね。いやいやいや、そういうことじゃないね。大切なことは演奏しようとしている曲を理解して、作者がこうして欲しいと望んだものになるべく近い演奏をすることでしょう。それは卓越した演奏よりも、素晴らしいんじゃないですか?
BD:これは演奏家にあなたが与える助言なのでしょうか、作品を理解してもらうという。
PB:そうですね、まずは演奏家は、自分の力で作品を理解しなくてはならない。だけど理解してない、たいていは。彼らの改変には [クスクス笑い] 目を見張らされるね、ときどき。テンポの指示は彼らにとって意味がないし、強弱も無視されている。それは彼らにはこうするべきという考えがあるからなんだけどね。たくさんの指揮者が、ストランビンスキーは自分の曲を指揮する仕方を知らないと言ってますよ。でもわたしはそれを1ミリも信じないね。彼自身の指揮は、他の人のものよりずっといいですよ。だからわたしには理解できないね。求められることは、理解ですよ。知性で理解するだけじゃなくて、全般的な理解であり、また心情的な理解でもある。
BD:あなたの歌がうたわれたり、ピアノ曲が演奏されたりするとき、演奏者の解釈を期待することはあります?
PB:そうね、期待もしなくちゃならないし、受けいれることも必要でしょうね。自分の嫌いな解釈であってもね。わたしがその解釈は適切でないと思っても、どんな人も自分の考えというものがあるでしょ。
BD:とはいえ、どの演奏もが「最良の演奏」のカーボンコピーみたいに同じというのも嫌でしょう?
PB:そうね、もちろん、そうですよ。いやですね。でもそこに何が書かれているか、演奏家が注意を払ってくれるとき、とても嬉しい。
BD:[笑] あなたはスコアにいろいろ指示を書き込むほうですか、それともきれいなスコアのまま?
PB:あー、指示は書かないですね。[クスクス笑い] 通常、曲や楽章のあたまに置かれる主要な指示は、厳格なテンポです。リタルダンドはなし、でね。わたしは好きじゃないんだ。19世紀の音楽に使われてるものは、すべてなしですよ。
BD:これは器楽曲についてのことだと思うんですが、歌についても同じでしょうか?
PB:[しばし考える] いいや、そうではないですね。歌の場合、歌い手はもう少し自由が許されるべきでしょうね。彼らが感情移入したり、歌詞に深く共感したりした場合はね。自由が与えられれば、歌い手はより叙情的になれるんじゃないかな。
BD:人間の声のために曲を書くときの喜びと悲しみを教えてください。
PB:まずはいい声が必要ですね。いい声こそが喜びをもたらします。解釈がどれだけ素晴らしいか、あるいは酷いかは問題にならない。声がなかったら、何もないのと同じ。現代音楽をやりたいと思ってる人たちに、あまりいい声の持ち主がいない。それが喜びをもたらさない原因ですね、実際。それが主たる悲哀ですよ。声がよければ、それを聴いて、なんて素晴らしいと思える。でもそうならない。素晴らしい声の持ち主は、現代音楽に近寄らないんです。彼らはクラシックの歌曲のあれやこれやを歌いたがる。それで今の時代に起きていることから置き去りにされてしまう。
BD:作曲家として、あなたの曲に興味を惹かれるいい声の持ち主を得る方法はあります?
PB:いいや、ないね。タンジールにはまずいないし! ここにいて、できることは多くはないんですよ。何であれ作って、ここから送り出さない限りはね。でもどんな風にそれが演奏されるかは、言うことができない。ずっと遠くで起きてることだからね。タンジールからは何も言えない。ヨーロッパの続きのように思ってるかもしれないけどね、スペインの一部みたいに。だけどまったくもって違うんだよ。
BD:だけどそれがあなたを惹きつけている理由では?
PB:まさに、そのとおり!
From ”Complete Piano Works 1” 2016年、Naxos
I. ピーター・グレイ、V. アン岬、VII. ケンタッキーの密売者
ピアノ:Oksana Lutsyshyn
BD:では重要な質問をひとつ。音楽の目的とは何でしょう?
PB:[クスクス笑い] それが重要な質問なんですね。人に楽しみを与える、知性を巻き込みつつ楽しみを与える、ということかな。人の感情にのみ影響を与えるものと思われてるけれど、それは嘘だと思うね。人は音楽を心で聴くものだけど、そのとき初めて、音楽は真に楽しめるものになるんだ。でも多くの現代音楽作曲家が、音楽は人々に楽しみを与えるものでは全くない、と思ってるのをわたしは知ってる。じゃあ、何だと彼らが思ってるか、わたしにはわからないね。
BD:でも、あなたにとっては楽しみを与えるものなんですね。
PB:それがわたしの気持ち、そのとおり! あらゆる芸術の目的は、楽しみを与えるため、生活をより楽しくするためのように思えますよ。そこには文学や絵画、あらゆる視覚芸術が含まれ、音楽もその一つ。これらのことはみんな、楽しみを与えるものでしょう。哲学だって、楽しみを与えるものじゃないですか。
BD:どんな風に?
PB:もし人生の不思議さを説明できたら、それを知りたい人に楽しみを与えられるでしょう? じゃあ、人生の目的とは何なんでしょうね。 [しばしの間。修辞学的な疑問への答えを待つかのように] そんなものないでしょう、違います?
BD:答えが見つかったんですね?
PB:ええ、イエスです! これが答えです。目的はない。
BD:あなたは音楽と文章と両方書きますよね。歌を書いているときに、小説の一章を書き終えたときと、同じ満足感が得られます?
PB:[しばし考えたのちに、きっぱりと、ややぶっきらぼうに答える] いいえ。その理由は、耳で聞くことができないからです。つまり書き終えた文章は読み上げることができます。それでどう仕上がったかわかる。しかし音楽は、それを耳にするまで、どんなものになったかわからない。書いているときには、自分で聞けないでしょ。それにここに住んでいるかぎりは、ずっと聞くことができないんです。20年後かもっと先に、聴けるかもしれないけどね。
BD:心の耳で、歌を聞かないんでしょうか?
PB:ああ、確かにね。でも実際に音として聞くのとは同じじゃないんです。ええ、同じものだと
は思いませんね。
BD:心の耳で聞けたら、理想の声で聴くことができるのでは、と。
PB:[笑い。この見方に面白さを感じてる様子] そうね、だけどすべてが想像の範疇でしょ。
BD:だけどすべてはそこからやって来るんじゃ、、、その想像力によって。
PB:そうそう、そこから来ますよ。でも演奏されたり歌われたりするまでは、それが存在してると思えない。耳に聞こえるように演奏されなくちゃね。人の想像力には罠があるから。
From ”Complete Piano Works 1” 2016年、Naxos
I. しずかに、II. 優雅に、VI. quarter note=54
ピアノ:Andrey Kasparov
From ”Complete Piano Works 1” 2016年、Naxos
I. Strict tempo
ピアノ:Invencia Piano Duo
BD:あなたは音楽は頭をとおっていくと言われたけれど、ハート(心)の近くには来ないんですか?
PB:[はっきりと拒絶] いや、いやいや。違う![クスクス笑い] 体の構造上のことを言ってる?
BD:いいえ、ハートと言ったのは感情に関することで、知性よりもという意味で。この二つのバランスはどこにあるんでしょう。
PB:知性で音楽を理解できなかったら、感情など得られないですよ。そうじゃないなら、ただ音楽を浴びてるだけになる。それは音楽の聴き方じゃない。頭の中をただ通すだけのこと。一瞬一瞬なにが起きてるか正確に理解できたら、もっともっと楽しみは大きくなるでしょうね。感情であれなんであれ得るものは大きくなる。
BD:では、今日あなたの音楽を聴く人々は、音楽をそのレベルで受け入れる用意があるんでしょうか?
PB:[確信をもって] いいえ。[笑] まったくないですね。かつて聴衆がそうであった時期があったとも思いませんけどね。一般の聞き手について言えば、ない、ないですよ。精鋭の小さな集団であれば、あり得ます。だけどこの人たちのために書く作曲家はないでしょ。もっとたくさんの人たちのために書くからね。
BD:ではあなたの音楽が誰にも語りかけるものだといいと思ってる?
PB」当然です。そのとおり。誰にでも、、、ね。[クスクス笑い] 大変な課題ですけどね、でもそれは理想的でしょう。この言葉(理想的)をまた持ち出すなら。
BD:[クスクス笑い] じゃあ最後の質問です。作曲は楽しいですか?
PB:[迷うことなく] イエス、イエス。わたしにとっては楽しみです。あとでできたものを聴くのと、同じくらい楽しみですよ。できた曲は聴く必要がありますからね。そのとおり、楽しいですよ! もちろん大変な作業ですけどね。おそらく文章を書くより、大変な作業だと思います。なんといっても、文章を書く場合は、何千何万もの小さな音符を書かなくてもいいでしょ。やるべきことは、[クスクス笑い] 言葉をいくつか書けばいいんだから。頭は目一杯使うだろうけど、(音楽は)肉体的な作業量がかなりあるからね。[残念そうに] わたしがあきらめてここに来た理由の一つはそれでね。大変な時間がかかるんです。すり減らされます。
BD:でも最後には喜びがもたらされるんでしょう。
PB:そのとおり! そうでなければ、やらないでしょう。たしかに、それを耳で聞くときは特に、演奏がよければなおのこと、大きな満足感があります。それで初めて完成します。曲を書き、それが演奏され、それを聴いて満足する。それが作曲家が期待することのすべてですよ。
BD:すべて終わると解放されますか?
PB:[いぶかしげに] 解放? いいや。それはその前に緊張があるってことですね、いいえ、ないですよ。解放はないです。それにわたしは解放感などほしくないし。[クスクス笑い]
BD:何がほしいんです?
PB:音楽から生まれるもので?
BD:ええ。
PB:そうですね、音楽で言おうとしたことが汲み取られ、演奏されるのを感じること、わたしが書いてるときに意図したことが、そこで表現されることかな。
BD:なるほど。わたしとこうして話すために、お時間をとっていただいたこと、とてもとても感謝しています。
PB:とんでもない。電話ありがとう。
From ”The Music of Paul Bowles” 1996年
ガルシア・ロルカの詩によるライト・オペラ(1943年初演)からThe Mask & the stenographer(仮面と速記者)
*この時代にボウルズは、バレエやオペラなどの舞台作品を数多く作曲している。
ボウルズと親しかったCherie Nuttingによる写真と文章によるメモワール。
民謡前奏曲集(Theodore Presser Company) :Sheet Music Plus
"Yesterday's Perfume: An Intimate Memoir of Paul Bowles"
Potter Style (2000/11/21)
ニューヨーク・ヘラルド・トリビューンに寄稿した音楽批評集(1935〜1946)。
6つの前奏曲(Theodore Presser Company): Sheet Music Plus
"Paul Bowles on Music"
Univ of California Pr (2003/9/1)
Let It Come Down “The Life of Paul Bowles”より
"Let It Come Down - The Life of Paul Bowles”
Directed by Jennifer Baichwal
Farrell Conian Media
ブルースのインタビューの最初に出てくる作曲家のフィリップ・ラミーをはじめ、ウィリアム・バロウズ、ガートルード・スタイン、アリス・B・トクラスなどの姿がある。
Let It Come Down “The Life of Paul Bowles”より若き日のボウルズ
"Night Waltz-The Music of Paul Bowles" directed by Owsley Brown III
撮影はおそらくボウルズ最晩年のものではないか。フィルムの最後に挿入されているモロッコ人(と思われる)青年とのシーンが印象的。
ポール・ボウルズ | Paul Bowles (つづき)
師であったコープランドとは、友人、同僚として世界各地を旅している。ボウルズは異郷的な場所やものに強く惹かれる傾向があり、自身の音楽には世界各地のメロディーやリズムの影響が見られる。作曲家としての仕事以外に、モロッコ各地を訪れローカルの音楽を録音、収集し、レコードとして残している。
またフランス語をはじめ、語学に長けており、モロッコ文学の翻訳もしている。ガートルード・スタイン、テネシー・ウィリアムズ、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズなど当時の人気作家たちとの交流も多い。
Complete Piano Works Vol.2(2016)
Piano: The Invencia Piano Duo
About the quotation of the images of the composer:
I believe the images in this project are used within the copyright law and personal rights. But if any should not be displayed here, let us know, so we will remove it immediately. Or if any need credits, tell us and they will be added. (Kazue Daikoku: editor@happano.org)