ピアノとピアニスト
Bruce Duffie インタビューシリーズ(4)

マウリツィオ・ポリーニ | Maurizio Pollini

1942年生まれのイタリアのピアニスト。18歳でショパン国際ピアノコンクール優勝。1960年代~1970年代、作曲家のルイジ・ノーノの影響もあり、ソビエトのプラハ侵攻に反対してイタリア共産党で活動。古典、ロマン派作品に加え、シェーンベルクからノーノ、ブーレーズまで現代曲を積極的に取り上げている。

わたしのインタビューシリーズにマウリツィオ・ポリーニを迎えられることは、特別な喜びです。偉大な音楽家の一人として長く知られるこのイタリアのピアニストは、非常に幅広いレパートリー、多数のレコーディング、そして演奏会を厳選して行なうことで知られています。彼がシカゴを訪れることは(他の多くの都市もそうですが)、あまりないことで、非常に貴重ですべての人が待ちに待ったものなのです。

 

インタビューはわたしのお馴染みのやり方である「ハーフコンサート」として行なわれました。毎シーズンわたしは多くのシンフォニーやオペラを楽しんでいますが、状況と時間が許せば、演奏の前半を聴いて(コンチェルトの場合もあります)、休憩時間に楽屋に行って、後半のプログラムの間に、ソリストにインタビューします。1997年10月にポリーニにインタビューしたのは、そのようなケースでした。彼はシューマンのピアノ協奏曲を、ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団と演奏するためにシカゴに来ていました。そしてコンチェルト(協奏曲)の後で、ほんの数分間、話を聞かせてもらうことを承諾してもらいました。

以下がそのときの会話です。

(2006年12月 ブルース・ダフィー)

・一生弾きつづけたい曲をレパートリーにします

・芸術は人類への精神的な贈りもの

・将来もピアノがいい状態を保てることを願ってます

・聴衆も聴こうとする努力が必要

一生弾きつづけたい曲をレパートリーにします

1997年10月23日、シカゴ交響楽団ホールの楽屋にて

 

ブルース・ダフィー(以下BD):あなたは数百年もの間につくられたピアノのレパートリーから、演奏するものを選んでます。どのようにして曲を選んで学び、自分の手で弾き、心に留めるところまでいくのでしょうか。

 

マウリツィオ・ポリーニ(以MP):非常に単純なことですよ。(笑)ピアニストというのは、他のどの楽器より、膨大な、そして素晴らしいレパートリーがありますから。それはすごい量です。シューマンの作品を考えても、それだけやるのに一生を費やせるほどです。だからわたしの選び方はとても単純です。自分が関係を持ちたい作品、一生の関係を持ちたいと思う作品を選びます。どんなときも好ましく、飽きることがない、これを弾きたいというものです。何を選ぶかは、ピアノの楽曲の莫大さのため無限です。ピアニストにはこのような恩恵がさずけられています。

 

BD:でもその楽曲を実際に知る前に、それが一生ともにしたいものかどうか、どうやってわかるんでしょう。

 

MP:そうですね、わたしはピアノの楽曲を知ることを真摯に考えます。だから自分が好きなものについて、非常に強い思いがあるんです。わたしがとても好きな曲は非常にたくさんあります。でもどれもが自分の人生のすべてを捧げたいというわけではないですから。

 

BD:わかりました。あなたはそうやって選んだものを演奏する、そういう曲と一生を過ごすと。あなたが曲を知り尽くした、曲のすべてを洗い出したと思えるものはありますか? それともいつも何かまだ残っているんでしょうか。

 

MP:あなたが言っているのは解釈の過程のことでしょうけど、それは非常に複雑なものです。その曲の最終地点に行き着いたと感じることはあります。演奏会ではそうありたいですね。でもその1年後、その曲の新たな面を発見します。名曲というのはそのように作られているからです。すべてを知り尽くすことはできないんです。楽曲のもつすべてのニュアンスを手にすることは無理なんです。

 

とはいえ、どんなときも、解釈のプロセスというのは本当に素晴らしい、魅了される時間です。おそらく誰も、そのプロセスがどのように働くかは知り得ない。そこには非常に重要で特別な、二つのポイントとなる時間があります。まず、その楽曲を発見していく段階で、自分のものにするためにあらゆる細部を見ていく時間です。非常に困難です。これは非常に私的な時間で、音楽家は、中でもソリストは、全面的に自分と向き合います。そして非常に時間がかかります。

 

そして次に、それを演奏する瞬間が来ます。そこでは自分が学んだもの、発見したもののすべてを出します。でも自然発生的にです。理想は即興的に生まれるものですが、この即興性は偉大な楽曲の場合にしか、(わたしの考えでは)出てきません。背後に計り知れない作品性があるときだけ起きます。そうでなければ、単に表面的なものになってしまい、うまくはいきません。だから素晴らしい音楽には、この二つの経緯と瞬間が不可欠だと思うのです。そしてこれは非常に難しいことでもあります。

 

BD:ある曲を何年かしてまた演奏するとき、まっさらな楽譜を手にして、新たな気持で始めるんでしょうか。

 

MP:いいえ、記憶はいつも残っています。それを演奏していなかったとしても、心の中にはあるし、思い出したりもします。そして以前に弾いたときの感情がよみがえります。

 

BD:でもあなたは弾くたびに、何か付け加えますよね。

 

MP:最大限のものを加えようとします、その通りです。

 

BD:これとこれがということでないにしろ、あなたが取り組んだ作品で、行くところまで行ったと思って、それで終わりにするということはあるのでは?

 

MP:うーん、行き着いたと言うことはないでしょうね、偉大な楽曲については特に。シュナーベル*はベートーヴェンのソナタについて、彼のソナタはどんな解釈より優れている、いかなる解釈をも超えている、とね。この演奏家が、どのように音楽と向き合っているかがわかるでしょう。

*アルトゥル・シュナーベル:オーストリア生まれのピアニスト(1882~1951年)。

 

BD:あなたがベートーヴェンのソナタを演奏するとき、明らかにそれはベートーヴェンであり、彼がソナタを書いて以来、ずっとそうでした。ではそのどれくらいがポリーニなのか。

 

MP:これは演奏についての事実です。確かにどんな音楽も演奏家の感受性あって初めて生きることができます。演奏家は楽曲に何かを付け加えますし、それは作曲家のものではないです。さらにはこの感受性があることは正当です。それなしには、つまり演奏家のパーソナリティなしには、どんな解釈も、説得力ある演奏も存在しません。でもこれこそが演奏に違いを生むわけです。

 

演奏家はみんなそれぞれで、違いがあります。偉大な作品はいつも、歴史の中で違う解釈によって命を紡いできたのです。そしてこれはとても良いことではないでしょうか。

芸術は人類への精神的な贈りもの

BD:オーケストラとの競演とソロのリサイタル、この二つをどのように分けて活動しているのでしょうか。

 

MP:(しばし考えて)わたしはたくさんのコンサートをするわけではありません。限られた数のコンサートしかしてないのです。中でもオーケストラとは、あまりやっていません。

 

BD:どうしてでしょう。

 

MP:(深く息をついて)そうなったとしか言いようがないです。(両者、笑い)

 

BD:意図があったのでは、、、

 

MP:(間をおいて)うーん、説明はできないです。そうなっているとしか言いようがない。

 

BD:共演者をもつのと一人で演奏会をするのは、単に違うだけなのか、それともどちらの方がいいとか、悪いとかがあるのか。

 

MP:そうですね、共演というのはいつも挑戦であり、リスクでもあります。ときにとてもうまくいくこともありますからね。そうなったときは、大きな喜びとなります。たとえば、今晩のようなね。ダニエル・バレンボイムとシューマンの協奏曲をやったときのことは、ずっと忘れないでしょう。それはシューマンの作品が、その場で生きていたからです。そういうことはなかなか起きません。

 

BD:それであなたはバレンボイムとこのオーケストラと、共演をしたのですね。

 

MP:ええ、そうです。たった2回のリハーサルでした。充分なリハーサルではなかったけれど、ここでは音楽的な関係性が非常にうまくいったと思います。

 

BD:ソロのリサイタルをするときは、聴衆と共演してるんでしょうか。

 

MP:聴衆と共演、、、(しばし考える)いいえ、演奏家は当然ながら音楽に対するヴィジョンをもってます。ある意味、それを聴衆に課すのは厳しすぎます。その代わり、聴衆が演奏家とともに音楽を体験するように仕向けます。それがコンサートホールで起きることの一部です。しかし聴衆の音楽を聴く姿勢や、聴衆の存在によって与えられるものはありますね。彼らは音楽を聴く態度によって、演奏に参加しています。その参加の仕方によっては、ある種の演奏では、聴衆の存在がそこに刻み込まれることもあります。

 

BD:あなたはコンサートホールで、聴衆がいることをいつも意識していますか?

 

MP:わたしは音楽のことを考えています。音楽の中に没頭していますが、自分が聴衆を感じていることもわかっています。

 

BD:わたしたちはこの問題をめぐって行き来してますが、では率直に聞きましょう。音楽の目的とは何でしょう。

 

MP:(しばらく考えて、笑いをもらす)これはとても難しい質問ですね。ある人は芸術全般における目的を尋ねます、たとえば科学と比較するなどして。科学は人類にとって役に立つ、と多くの人は考えます。あらゆる技術の進歩は、科学の発達によってもたらされるからです。

 

芸術は何のためか。芸術の特性には、目に見える優位性はないのかもしれません。わたしは芸術の存在は、人類に与えられた素晴らしい贈り物の一つだと思っています。特別なにかをもたらすように見えなかったとしてもね。人類への精神的な贈り物であり、わたしたちが大事にし、よく理解することは非常に重要だと思います。誰でもがわかるような、実際的な利益がなかったとしてもです。

 

BD:では、音楽には役に立つようなことはあったほうがいいのか。

 

MP:(ここでまた、しばし考える。そして笑い出す)わかりませんね。

将来もピアノがいい状態を保てることを願ってます

BD:あなたは科学について触れました。現代のピアノにさらなる科学の進歩はあるんでしょうか。ピアノの技術に進化はあるのでしょうか。

 

MP:楽器制作において?

 

BD:はい、そうです。

 

MP:そうですね、あまりあるとは思いません。楽器の構造は何年も前のものと同じだからです。19世紀には目覚ましい進化があったと思いますし、20世紀初頭もです。でもその後、コンサートグランドピアノについて言えば、変わりはありません。正直に言えば、今の状態のままが望ましいですし、悪くならないことを願います。そうなるのは簡単ですから。人がやることですし、忍耐もいりますし、様々な問題もあり、材料についての経済的問題もあります。わたしたちがよい楽器を将来も持てることを願っています。これはいつも課題になります。

 

BD:あなたは街から街へ移動していますが、ピアノが自分のものになるのにどれくらいかかるんでしょうか。

 

MP:今回はアメリカにやって来ましたが、ピアノをヨーロッパから運びました。ニューヨークとここシカゴ、そしてボストンでそれを弾きます。

 

BD:なるほど。でも新しいピアノと出会った場合は?

 

MP:ああ、楽器が良ければ素晴らしいですね。(笑)挑戦ですね、どんな楽器も一つ一つ違いますから。それぞれに特性があります。自然の素材で、木でつくられているから、パーソナリティがあります。ピアノには個性があります。非常に興味深いですし、状態が良ければ、新しい楽器を弾くのは大きな喜びになります。

 

BD:では楽器が最初の共演者になるのでしょうか。

 

MP:ある意味では、その通りですね。

 

BD:ピアノの前にすわったとき、あなたがピアノを弾いているのか、それとも楽器があなたの一部になるのか。

 

MP:両方あるでしょうね。どちらもあります。

 

BD:あなたはたくさんのレコーディングをしています。コンサートのときと同じように、マイクロフォンの前で演奏するのでしょうか。

 

MP:音楽との関係性は、まったく同じです。スタジオでのレコーディングでは、聞いている聴衆はいません。それによって演奏は少し人為的な*ものになります。でもレコードを聴くときに聴衆はいるわけで、それを考える必要があります。そこには聴衆が存在します。

​*人為的な:聴衆がいないことでやや主観的になる、あるいは環境による自然発生的な要素が減るという意味か。

 

BD:ではのちに聴衆になる人のことを考えると。

 

MP:そう考えないことには、意味がないですから。楽器をただ弾くことは退屈なことです。誰かのために弾くことで、弾く意味が生まれます。でも自分のためだけに弾くことは、意味が薄れます。頭の中で音楽を想像できて、完璧に充足していて、そこに何の苦労もないという状態を想像してみてください。

ドキュメンタリー・フィルム「Maurizio Pollini A Musical Profile 2014」(53:32)

聴衆も聴こうとする努力が必要

BD:あなたは新しい音楽をかなり弾いています。今、鍵盤楽器のために書こうとしている作曲家に、どんなアドバイスを送りますか。

 

MP:どんなアドバイス? 新しい響きや特性において、ピアノ曲には、新たな可能性がまだ残されています。20世紀後半の現代作曲家の作品を演奏した経験から、わたしが何か言うということはできません。わたしが作曲家に言えるのは、「ピアノという楽器を、何度も何度も探索してください。そこから新たな可能性が生まれるでしょう」ということ。ピアノができることはすべてやりつくされた、とはよく言われています。19世紀という特別な時代のあと、ずっと言われつづけました。ところがそこにバルトークとストラヴィンスキーが現れた。ドビュッシーにラベル、シェーンベルク、ウェーベルンは言うまでもなく。そして現在、ブーレーズとシュトックハウゼンが出てきました。彼らはこれまで存在しなかったものを、新たな可能性をピアノという楽器に発見しました。だからこのようなことが続くことを願っています。

 

BD:新たなことを発見するのは、作曲家の務めでしょうか?

 

MP:そう思います、はい。

 

BD:では音楽の中に新しいものを見つけるのは、ピアニストの務めでしょうか。

 

MP:すべての人が一端を担うべきでしょうね。(笑)

 

BD:これから出てくる若いピアニストに、どんなアドバイスをしますか?

 

MP:大事なアドバイスとして、現代の音楽作品に時間をかけることをあきらめず、つづけること。作品が難しくても、プロモーターやコンサートの主催者があまり熱心ではなかったとしても、プロのピアニストとして重要な仕事です。聴衆の前で演奏すること、こういった現代曲をレパートリーの一部にすることをあきらめない、それが大事なことです。これがアドバイスの一つです。他にもいっぱいありますが。(笑)

 

BD:多くのピアニストは専門をもつように見えます。レパートリーの中で、得意なものをもつべきか。

 

MP:(しばし考えて)。自分にとって特別な音楽をもつこと、何に個人的な強い感情をもつか、そこには言うべきことがあるはずです。そうでないと音楽をやることにならないかもしれない。ピアノのレパートリーは、非常に多いからです。すべての楽曲を演奏する必要はないのです。

 

BD:(おどけて)どれもこれもやる人はいないという意味で?

 

MP:いないでしょう。(笑)

 

BD:だれかやってみるべきなのか。

 

MP:(笑)いや。

 

BD:聴衆にはどんなアドバイスを?

 

MP:(再び、考える)そうですね、聴衆にアドバイスはありますよ。聴衆は音楽を聴く努力をしないことがあります。中でも現代音楽については。それに対して、わたしは新しい音楽については、聞こうとする努力が必要だと思います。しかし同時に、(だからこのアドバイスが大切なのですが)過去の名作を深く理解することが求められます。だからわたしは聴衆に対して、聴くことにおいて、一定の努力を惜しまないことを勧めます。それによって、努力なしの場合と比べて、大きな報酬を手にできます。

 

BD:つまり彼らにもっと関わってほしいと。

 

MP:そうです。その通りだと思います。聴衆はもっと幸せになれると思います。

 

BD:音楽は、聴衆を幸せにするためにあるのでしょうか???

 

MP:そうですよ。その通り、その通り!(両者、笑い)

 

BD:最後の質問です。ピアノを弾くのは楽しいですか?

 

MP:それもイエスです。楽しいというより、単に楽しいという以上のこと、深い喜びがあります。非常に大きな喜びですが、同時に、多大な努力を受け入れる必要もあります。そうでないと楽しみは得られないでしょう。