Photo by Governo De Sergipe (CC BY-SA 2.0)

ピアノとピアニスト
Bruce Duffie インタビューシリーズ(4)

マリア・ジョアン・ピレシュ | Maria  João  Pires

モーツァルトやショパンの演奏、レコーディングでよく知られるポルトガルのピアニスト。一時期、ブラジルのサルヴァドールを活動の拠点にしていた。古典的な曲を得意としているが、ヘアスタイルや衣装はときにパンクっぽくもあり、右手首にタトゥーがある。2018年のツアーをもって引退する。

1991年3月、マリア・ジョアン・ピレシュはショパンのピアノ協奏曲第1番をシカゴ交響楽団と演奏するため、シカゴに来ていました。指揮はクリストファー・キーン、全4回の演奏が行なわれました。

 

シカゴ滞在の間に、ピレシュさんはわたしと話す時間をとってくださいました。インタビューの一部は、何度かわたしの担当するClassical 97で放送されました。そのすべての会話がここでお読みいただけます。

(2018年 ブルース・ダフィー)

・小さな手では弾けない曲がある

・この曲が弾ける、と感じるときがやってくる

・ヨーロッパとアメリカの聴衆はちがうと感じる

・農場をもってます

・現代音楽は自分では弾かない

・レコーディングはリラックスして演奏できる

​・音楽は自然であり、超自然でもある

小さな手では弾けない曲がある

1991年3月、シカゴにて

 

ブルース・ダフィー(以下BD):今回、シカゴで演奏するのはショパンですが、あなたはモーツァルトの演奏で特別な評価を受けていますね。モーツァルトを演奏する秘訣を教えてください。

 

マリア・ジョアン・ピレシュ(以下MJP):そんなものをわたしが持っているとは思いませんよ。わたしはとても小さな頃、モーツァルトの演奏でキャリアをはじめました。最初の協奏曲を弾いたのはモーツァルトで、8歳のときでした。モーツァルトを弾くことの理由はそれほどありませんでした。ソロで弾くレパートリーはかなりたくさんありましたけど、オーケストラとの競演には制限がありました。その理由は手が小さく、体重も少ないからです。(笑) それでモーツァルトの協奏曲をたくさん弾いたんです。

 

BD:27のコンチェルト全部を弾いたのでしょうか?

 

MJP:いいえ、20くらいかな、でもモーツァルトのすべてのソナタをレコーディングしました。モーツァルトはわたしがたくさん演奏する作曲家ですけど、だからといって他の作品よりモーツァルトが好きというわけではないんです。そういう風には言えないけれど、たくさん、そして深く勉強した音楽だとは言えます。だからモーツァルトとは特別な関係があります。

 

BD:モーツァルトを演奏するとき、特別な喜びをもつのでしょうか?

 

MJP:他の作曲家以上ということはないかな。わたしの手が小さいから、という馬鹿げた理由からそうなっているだけで。モーツァルトはより深く学んだし、音楽をより知っているから、強い関係性はずっとあります。全てを知ることは無理でも、わたしがモーツァルトでいい仕事をしてきたのは事実ですね。

 

BD:小さな楽器、たとえばハープシコードとかフォルテピアノのような楽器をつかうことを考えたことはありますか? 少し鍵盤の幅が狭いですよね。

 

MJP:ないです。わたしは3歳のときからピアノを弾いてますし、ハープシコードを弾いたときには、小さ過ぎると感じたんです。ピアノに慣れているし、レパートリーをピアノ曲から選びたいし、弾くことが可能な曲を選んでいきたいです。ブラームスやリストの曲はとても好きだけど、こういう曲はわたしには弾くことができないですね。

 

BD:あなたはショパン、ベートーヴェンと非常に広い範囲のレパートリーをもってます。

 

MJP:そうですね。ショパンは小さな手でも、それほど苦労はありません。音楽として、ショパンはピアノにとってとてもよく書かれた作品です。つまり彼はピアノという楽器を非常に深く知っていたから、小さな手でも大きな手でも、弾けるようになってます。もちろんいくつかの曲は、ポロネーズの一つ二つ、あるいは2、3のエチュードとか、わたしにとって少し難しい曲はありますけど、通常はショパンには大きな問題はないです。

この曲が弾ける、と感じるときがやってくる

BD:非常に幅広い可能性の中で、どうやって自分の弾く曲を決めるのでしょうか。

 

MJP:わたしはたくさんのコンサートをしています、ちょっと多すぎるくらい、自分が望む以上の数をやってます。毎年新しい曲に取り組むために、練習したり、学んだりする時間を少しとる必要があります。通常は毎年2、3曲の新たなソロ曲かコンチェルトを一つ学びます。ときに2、3年かけて学びたいものがあるけれど、そういう時間はとれません。そうすると突然、1ヶ月の自由を得ることがあって、そのとき実行できたりします。でもどうやって曲を選ぶかを説明するのは難しいです。自然に決まると思います。ある曲を弾く準備ができたと感じたり、まだ充分じゃないと感じたり。何にでもタイミングはあるでしょ。ある曲がとても好きになって、弾けたらいいなと思っても、まだその時じゃないと感じることもあるし。楽譜を手にとって、読んで、そして数年そのままにするといった。そして突然、感じるんです、この曲が弾ける、とね。

 

BD:その曲を充分に理解している、と?

 

MJP:そうです、それと自分の年齢とも関係します。20歳のときに演奏して、よく理解できない曲というのがあります。演奏してみて、いつかもっと違う風に弾けるだろうと考える。そしてそうなるのです。自分に無理をさせたくはないです。それとあまり好きになれない曲をレパートリーにいれることも、したくはないですね。そういうことはしません。演奏したいという情熱を持てるものが、わたしには必要です。誰かがこれを演奏すべきだ、という曲を弾くことはできません。あるいはこういうものが流行っているからという理由でもね。そういうことは、わたしにはできない。演奏する曲との強い関係性を感じることが常に求められます。そしてそれが弾くのに正しいときなのです。これは秘密でもなんでもなくて、みんながそうしてることだと思います。説明しがたいことですね。自然にそうなるといった。

 

BD:でもあなたは、とてもたくさんのやってみたい曲をお持ちでは?

 

MJP:もちろん、そうですね。

 

BD:で、一つ一つ、少しずつ、やっていくわけでしょうか。

 

MJP:もちろんです。ピアノというのは、一生かけても弾ききれないたくさんの楽曲があります。いくらやりたいと思ってもね。ただただやるだけですよ。(笑)

ヨーロッパとアメリカの聴衆はちがうと感じる

BD:コンチェルトとリサイタルと、どのように分けてやっているのでしょう。

 

MJP:だいたい半々と言っていいと思います。オーケストラとたくさん演奏する年が何年かあったとしても、2ヶ月、3ヶ月とリサイタルをつづける年もあります。だから状況によってだけれど、だいたい半々ですね。そういうことを決めるのはわたしじゃないから。スケジュールを決めたり、どことどこでやるか考えるのもエージェントだから。わたしが選ぶわけじゃない。わたしはそれに賛成するかしないか、ですね。

 

BD:新しい街にやって来て、新しいオーケストラと出会うのは刺激になるのでしょうか。

 

MJP:ええ、もちろんです。シカゴにいることをとても楽しんでますよ。今回が初めてで。4年前にリサイタルをするために来ることになっていたのだけれど、インフルエンザになってしまってキャンセルしました。だから今回が初めてなんです。ここの人たちはとても親切だと感じてます。シカゴがどんな場所か、来てみてちょっと驚いているんです。

 

BD:想像していたのとちがった?

 

MJP:ええ、とても。ヨーロッパ人はシカゴのことを騒がしい街だと思ってて、いるんな意味で都市汚染があったり、騒がしくて、汚くて、といったね。でもまったく反対のことを感じてます。とても気持ちがよくてオープンで、美しく、きれいな湖や親切な人たちに溢れてて。とても静かだし、いいところですね。ニューヨークよりずっと楽しめます。

 

BD:われわれのシカゴに万歳!(両者、笑) 街によって、国によって、聴衆は違うと感じますか?

 

MJP:ヨーロッパでは、国ごとの違いは大きくて、同じ国でも街によって違ったりする。アメリカは、とても均一です。違いというのをそれほど感じません。

 

BD:ヨーロッパでは何が大きく違うのでしょう、街によっても。

 

MJP:人々が音楽を愛し、音楽をよく知っている国、ドイツのようなね、それは伝統があるから。北部の国々、スイスなどもそう。学校で音楽を学ぶから、誰もが音楽のことを知っているし、愛してもいる。でもその愛を見せることについては、冷たいところがあります。聴衆はとても形式的なところがある。暖かさというのはあまり感じられない。そうかと思うと、あまりコンサートには行かない人たちの国があって、南の方とか。北部のような伝統をもっていないと思うけれど、聴衆はとても暖かいの。だからコンサートはとてもやりやすい。

 

BD:より熱狂的であると。

 

MJP:より熱狂的ですね、とても。でもどっちがいいとか悪いとかの問題ではないの。単なる違いであって。アメリカでは、シカゴとダラスの違いは感じないし、ニューヨークとロスアンゼルスの違いもね。

 

BD:同じような暖かさ?

 

MJP:そうね、同じ種類の意思の疎通がある。

 

BD:わたしたちはヨーロッパと比べて、暖かいのか冷たいのか。

 

MJP:多分、少しだけ冷たいかな、冷たさがあるというんじゃなくて、少し距離がある感じ。説明するのは難しいです。

 

BD:それはヨーロッパの人に比べて、わたしたちは長い伝統がないからでしょうか。

 

MJP:そうね、でもヨーロッパには様々な文化があるでしょう。伝統をもたない国、あるいは少ない国があって、でも人々は反応してくる。とても自然発生的な反応を見せる人たちがいるの。

 

BD:レコード業界はこのことで非難を受ける、と感じますか? レコードがどこででも聞かれ、ありがたがられているという意味で。わたしたちの反応が画一的になってしまう原因として。

 

MJP:わかりません。アメリカ人の生き方であって、わたしたちヨーロッパ人とはとても違いますね。人々がどのように振る舞うかはとても違うし、多分アメリカでも街によって違うのでは。でも大きな違いは感じない、それはわたしがよく知らないからだと思う。

自宅でショパン「ノクターン op.9」を弾くピレシュ(2020.6.21)

農場をもってます

BD:あなたはヨーロッパで過ごすことが多いのでしょうか。

 

MJP:ええ、そうです。アメリカには4、5回演奏のために来ただけで、住んだことはないです。

 

BD:今もポルトガルに住んでいるのでしょうか。

 

MJP:いいえ、フランスに住んでいます。田舎にね。でもパリにもとても近いんです。

 

BD:パリっ子の生活やスタイルに馴染んでいるのでしょうか。

 

MJP:いいえ、ぜんぜん! そこからかなり隔たってますよ!(笑) パリには、そしてフランスにも、仲のいい友だちがいっぱいいて、おそらくドイツや北部の国々よりフランスやフランスの人々との関係が深いです。それはわたしがポルトガル人だからね。でも今はパリの近くに住んでいる。パリにはあまり住みたくないし、そもそも大きな都市には住みたくないの。わたしは自然とか、戸外の生活がとても必要な人間なんです。

 

BD:もっと田舎の方がいいと。

 

MJP:ええ、そう、とてもね。農場に長く住むという経験はこれまでなかった。ポルトガルに何年か前に、農場を買いました。農場を維持して、そこに家も建てました。そこをいいものにしようとしていて、そうすれば農場に行って、2,3ヶ月練習したりできる。でもまだ準備ができていないの。

現代音楽は自分では弾かない

BD:ポルトガルの作曲家の作品をやっていますか? 注目すべき作曲家はいますか?

 

MJP:いいえ、真に素晴らしいというポルトガルの作曲家はいません。ポルトガルは文学ではとても特別な、そして広大な伝統があります。だから書籍はポルトガルではとても重要で、重要な作家や詩人もいます。でも音楽では、ポルトガルから素晴らしい才能は生まれなかったですね。ポルトガルよりスペインの方がいます。ポルトガルにも、他の国々とさほど違わない作曲家が同時代にいて、学生のころには、現代や古い時代のポルトガルの作曲家の作品を演奏したことはあります。今も頼まれたからといって演奏することはあまりないですけど、本当に面白いというわけではないので。

 

BD:リサイタルで、1、2曲、そういうものを弾くのかな、と思ったんです。

 

MJP:ポルトガルには、とても素晴らしい新しい世代の作曲家がいます。現代音楽は、わたしも素晴らしいと思うのですが、自分では弾きません。何度も弾いてみたいと思ったし、同時代の(20世紀の)作曲家の作品を弾きましたけど、先端的な現代曲は勉強したことがないんです。その理由の一つは、それをやる忍耐がないから。そういうものをやらねば、という風に感じられないのです。わたしがとても必要としているものではあるのですけど。だから来るべきときを待っています。(笑)もう一つの理由は、演奏したい作品で他の時代のものがたくさんあるから。いつも練習する時間があまりなくて、他のものを優先してしまいます。もし1年に3ヶ月、4、5ヶ月と時間ができたら、新しい現代の楽曲をやってみると思います。

 

BD:もし誰かがやって来て、「あなたのためにピアノ曲を書きたいのです」と言われたら、その作曲家に、どんなアドバイスをしますか?

 

MJP:まず、わたしの手をよく見てね、大きくないでしょ、と言います。大きなものを書いてはだめ、と。

 

BD:10度とかはだめ!

 

MJP:そのとおり!(両者、笑い)

レコーディングはリラックスして演奏できる

BD:今週、シカゴであなたはショパンのコンチェルトを4回演奏します。3回目、4回目を新鮮な気持ちで弾くために何をしているのでしょう。

 

MJP:もし同じものを20回演奏するとなったら、おそらく問題がでるでしょうね。でも4回というのはそこまで多すぎるということはありません。それはわたしがこの曲をとても好きだからということ、そして自分の演奏に満足することがないからです。最初に演奏すると、それに不満が残ります。そしてその次は少しよくなるだろうと思います。こことあそかが良くないと思い、2度目の演奏をしますが、なんと1度目よりひどいということもある。(笑) それで次こそはと思う。これが一つ。もう一つの理由は同じ曲を毎回、初めて弾くような気持ちで弾くから。自分のやったことの記憶をなくすみたいにね。とても重要な瞬間です。楽曲の中に深く入りこむ必要があって、自分のできることすべてを捧げるよう集中します。それには慣れるということがないのです。弾くことに慣れる、ということがない、少なくともわたしの場合は。1年の間に、わたしはたくさんのコンサートをするけれど、舞台で演奏することに慣れることはないんです。「今日は2度めだからとか3度目だからとか、100回目だから」などと言うことはないの。

 

BD:ルーティンにはならない?

 

MJP:ならないです。

 

BD:コンサートのステージで、毎回なにか新しいものをつくっていると感じるのでしょうか。

 

MJP:そうね、そうでなくては。それは努力してそうなるのではないけれど。もしそうなれなかったら、弾くのをやめると思う。ルーティンのようにして演奏はできません。

 

BD:あなたはコンサートホールでやるように、録音スタジオでも弾くのでしょうか。

 

MJP:ふつうはそうです。はっきりとは言えないけれど。多分、一つ違いがあるかも、、、レコーディングのときは、そこまで神経質になりません。それは聴衆がいないから、だから少しリラックスできます。だからレコーディングはとても好きですね。だからといって、ステージで弾くことを恐がっているわけじゃないんです。わたし以上に舞台で演奏することに神経質なピアニストや演奏家を知っていますけど、わたしの場合は、多くの人がそうであるように、少しだけ神経質になるし、少しだけ恐いと思う。酷い演奏をして、聞いている人をがっかりさせてしまうのではないか、とね。聴衆は何かを期待して来るでしょう、そして演奏にがっかりしたとしたら、その気分のまま家に帰ることになる。それはちょっといやですね。だから舞台で演奏するとき、少し恐くなります。でも録音ではまったく違います。リラックスして弾けて、でも自分が人々のために、聴衆のために弾いている、と感じることができる。それはとてもいい気分です。違いは自分にあるし、違う風に感じて弾くことにある。心からリラックスして弾くか、少し恐れをもって弾くか。わたしはリラックスして弾くのが好きだけど。

 

BD:あなたはレコーディングで、長いテイクをとるのでは?

 

MJP:いつもそうです。カットが必要になります。だけど楽章の全部を弾き直しますよ。それはとても大事。

 

BD:ここまでに録音してきたレコードに満足してますか?

 

MJP:それについては、わたしはとても変わってると言わなくちゃね。自分のレコードを聞かないの。一度も聴かないのは、無責任でしょうね。一度は聴いて、問題ないと言うべきだと思う。承認すべきだと思う。だけどそれはわたしにとって耐えられない時間で、それはまともに聴くことができないから。多分いつか、自分で聴かないままに、「いいでしょう」と言えたらいいけどね!(大きく笑う) 聴くとき、自分のした演奏に対してとても恐くなる。何かをし終えたあとに、もっとよくできたはずと思うわけ。とはいえ、完璧な人はいない。だけど他の人は自分よりもっといい演奏している、と思うわけ。でも自分が必要としていることは何か、どうすべきか考えだしたら、何もできなくなってしまう!(また大きく笑う)

 

BD:最高の演奏をするだけの勇気をもたねばならない?

 

MJP:そうね、わたしがやっているのはそれです。目をつむって、できる限りのことをする、それでOK。

 

BD:あなたは何年も前に、モーツァルトのピアノソナタ全曲を録音しました。そして今またそれを録音しようとしていますね。この二つはどう違うのでしょう。

 

MJP:演奏して、完成しました。この6月にリリースされます。その違いについては、あなたがわたしに言ってほしい、わたしに聞かないで!(両者、笑) どう思うか、どういう評価をするか、聴く人次第ですね。人が生きている中で変わるように、大きな違いがあると思う。変化は小さいかもしれないけれど、変化はあると思う。

 

BD:過去に演奏したものを否定したりはしたくないでしょう?

 

MJP:それはないです! そうする理由はないから、それはない。聴く人にとっては比べることは面白いのかもしれないけれど、わたし自身にとっては、かなり違うものだと思う。20年も前のものだから。すごく前になるわね。

 

BD:音楽家として成長してきたと。

 

MJP:そうね、年をとったし、20年というのはとても長い年月でしょ、そして音楽への見方が変わったと思う。感じることが変わるし、スコアの背後にあるものを読む方法も違う、音楽を分析して理解するやり方も違う。その関係性が違うと思う。たくさん変わったところはある。

音楽は自然であり、超自然でもある

BD:哲学的な質問をさせてください。音楽の目的はなんでしょう?

 

MJP:なぜ音楽は存在するのかについて?

 

BD:そうです。

 

MJP:音楽は宇宙からの問いに答えを与えてくれる芸術だと思う。これが宇宙というものから受けるわたしの感じ方。調和や均衡、数学的なもの、宇宙が抱えるすべてにとても深い秘密がある。また音楽は言語を必要としないものだと思う。他の芸術は時代様式に頼るけれど、音楽はそうじゃない。もちろん音楽も時代とか様式といったものの中にあるわけだけれど、音楽の本質の背後にあるのは別のものだと思う。わたしにとって宇宙を翻訳するものなの。わたしは昔からずっと、天文学や物理学、星のことに興味をもってきたから、音楽に対してこういうイメージをもっているのだと思う。

 

BD:音楽は自然なのか、それとも超自然なのか。

 

MJP:両方だと思う。自然と超自然、人間と人間以外、物質と非物質をつなぐものなの。そのすべてがあって、現実と非現実、論理と非論理の間をつなぐ最良のものじゃないかな。音楽の中にある強力な関係性が、一見反対に見えるものがそうではないことを示していると思う。

 

BD:音楽は反対のものをも一つにすると?

 

MJP:そう、その通りだと思う!

 

BD:またシカゴに戻ってきますか?

 

MJP:そう思います、戻ってきますよ。

 

BD:リサイタルで、それともオーケストラとの演奏で?

 

MJP:多分、オーケストラとだと思います。また来るよう頼まれているから、おそらくオーケストラとの共演になるでしょうね。ここでリサイタルをしたくないって意味じゃないけれど。

 

BD:様々な都市を行き来していて、そこにあるピアノに慣れるのにどれくらいかかるのでしょう。

 

MJP:ふつうはそれほど大変じゃないですね。わたしたちピアニストは日々、違うピアノを弾くのに慣れているから。ピアニストはみんなそう。でも酷いピアノにあたることもありますよ。新しいピアノで、まだ固くて弾きにくいといったね。そうだと辛いけど、それにも慣れてくる。それも人生の一部だし、仕事やそこで起きる問題でもあり、誰もが経験することだから。

 

BD:それに慣れるのみ?

 

MJP:それに慣れるのみよ!

 

BD:ここシカゴでは二つか三つのピアノがあったでしょう?

 

MJP:いいえ、今回はヤマハが送ってくれたピアノです。

 

BD:ヤマハが特別に?

 

MJP:録音をすることになっていたから、彼らは送ってくれたの。でも指揮をすることになっていたアンドレ・プレヴィンが病気になったので、それはキャンセルされました。わたしはヤマハのピアノをたくさん弾いています。とてもいいピアノだし、調律師も素晴らしいから。日本の調律師はとても優れていて、またアシスタンの人も優れてて。ときにあまりよくないピアノに当たった場合でも、優れた調律師を送り込んできて助けてくれたりもする。とても助けになるの。

 

BD:ではあなたはヤマハのアーティスト?

 

MJP:ヤマハと契約を交わしているわけではないの。いいピアノでできるだけ弾きたいと思っているだけで、それは演奏を助けるから。彼らはいつも助けになるし、契約書のようなものなしで、双方が合意してるわけ。

*その後、ヤマハは「ピレシュのセレクトしたサイン入りピアノ」を制作、販売。奨学金プログラムなど、次世代のピアニストの教育をサポートする目的があるようだ。

 

BD:シカゴに来てくださって、そして今日わたしと話しをしていただき感謝しています。

 

MJP:わたしも楽しかったです。ありがとう。