わたしの名前は導火線 文:温又柔

  我的名字是一根導火線 文:溫又柔 譯:郭凡嘉

 

 

わたしの名前は導火線

温又柔


 わたしの名前は、温又柔。
 中国語だとウェンヨウロウ。「温柔(ウェンロウ)」という言葉が中国語にはある。「おとなしくて、やさしい」という意味なのだそう。だから、「又柔(ヨウロウ)」は「温(ウェン)」という苗字と呼応させたときに最も素晴らしい響きを備える名前。でも、そんなことはわたしには関係なかった。わたしは「ウェンヨウロウ」じゃなくて「おんゆうじゅう」として育った。「ヨウロウ」だったのなら素敵な名前かもしれないけれど「ゆうじゅう」だとどことなくヘンテコ。仲良しの友だちの名前と比べても、なんだかふつうじゃない(でも、ふつうって何?)。
 それもそのはず。わたしは台北で生まれた。2歳のとき東京にやってきた。それからずっと、東京に住んでいる。両親が台湾人なのだからわたしだって台湾人なんだけど、もう長いこと東京に住んでいるし、ことばだって両親の母国語である中国語よりも、育った日本で身につけた日本語のほうがずっと、自分のものなんだって感じている。台湾ではみんなが、わたしのことを日本人みたいだっていう。日本では、仲良くなるにつれて、わたしが台湾人だってこと、友だちは忘れちゃう。そりゃ、そうよね。わたしだって、しょっちゅう忘れている。自分が台湾人だってこと。日本人ではないってこと。もちろん、わたしは台湾も大好き。祖母がいて両親が育ってわたしの生まれた土地。台湾はわたしにとって日本と同じぐらい大切な土地。それでもわたしは、自分は台湾人というよりも日本人であると感じずにはいられない。
 ところがある日、「日本人とは菊の紋章のついたパスポートを持っている人たちのことだ」という人がいた。その人は、「日本語は日本人だけのものだ」ともいった。わたしは、悲しくなった、それから腹が立った、だんだんおかしくなって、とうとう、笑いだしてしまった。
 日本語って、日本人だけのものじゃないわ。わたしという存在が、なによりの証拠よ。日本人の両親から生まれたわけじゃない、日本のパスポートを持っていない。でも、日本人みたいな喋り方をする、日本人みたいに笑う、日本人のような息継ぎの仕方をする。わたしの中心は日本語が占めている。日本語で生きているーーー
 わたしの名前、温又柔。
「おんゆうじゅう」だけど「ウェンヨウロウ」。どちらもわたしの本当の名前。だけど、わたしは「おんゆうじゅう」として日本で生きてきた。ちょっと、ふつうじゃない(でも、ふつうって何?)この名前は、わたしが日本で育ってきた証。そして、導火線。日本語は日本人だけのものなんだって決めつける人たちと闘うための。そして、わたしみたいな日本人もいるんだよって謳うための。
 わたしの名前、おんゆうじゅう。
 この名前は、わたしが日本で育ったという証。そして、わたしがどんなふうにして日本で育ってきたかについて語りだすための導火線。覚悟していてね、いちど火が点くと炎は燃えあがるいっぽうなんだから。

 

 

 

初出:「多文化共生センター」機関紙の巻頭エッセイとして掲載されたものです。

*多文化共生センターは、国籍、言語、文化や性などの違いを認め、尊重しあう「多文化共生社会」を実現するための活動をおこなっている特定非営利活動法人。「外国にルーツを持つ子供たちへの学習・生活支援を目的としたものだったので、子どもたちが元気になるようなものをめざして書きました。」と温さんは言っています。

温 又柔(おん・ゆうじゅう)

1980年、台北生まれ。家族とともに1983年から東京在住。『好去好来歌』で2009年すばる文学賞佳作受賞。2011年『来福の家』(集英社)を、2015年『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社)を出版。前者は2016年、白水Uブックスとして復刊された。後者は2016年、日本エッセイストクラブ賞を受賞。葉っぱの坑夫からは、デビュー前の初期エッセイをまとめた『たった一つの、私のものではない名前』(2012年、Kindle版)が出版されている。

 

 

 

 

 

 

我的名字是一根導火線

 

文:溫又柔 譯:郭凡嘉

 我的名字是「おんゆうじゅう(On Yu Ju)」。

 中文則是溫又柔。中文裡有一個形容詞叫做「溫柔」,據說是「既溫和又柔順」的意思。所以「又柔」這個名字,可以說是呼應「溫」這個姓氏最適合的名字。不過,這種事和我並沒有什麼太大的關係。因為我並不是以「溫又柔」,而是以「おんゆうじゅう」這個名字長大的。如果是「又柔」的話,或許真的是一個非常美好的名字吧。但是「ゆうじゅう」這個名字卻讓人覺得有點奇特,而且和其他朋友的名字比較起來,這個名字也似乎有點不太普通。(但是,要怎麼樣才算是普通呢?)

 的確如此。我是在台北出生的,但是在2歲的時候就去了東京,並且從那之後就一直住在東京。我的父母都是台灣人,所以我當然也是台灣人,但是因為我長久以來都住在東京,再加上我在日本長大的過程中所學習的日文,也比中文這個父母親的母語,對我來說更能夠讓我感覺到是自己的東西。

 

 在台灣,大家都會說我好像是日本人。在日本,朋友們只要跟我變得親近了之後,也都會忘記我是台灣人這件事。確實沒錯啊,因為就連我自己也經常會忘記。其實自己是台灣人,而不是日本人啊。

 

  不過,我非常非常喜歡台灣。不僅是因為我的祖母住在台灣,台灣這片土地也是養育我父母的地方。台灣對我而言,是一塊和日本同樣重要的土地。儘管如此,我還是總是禁不住的覺得,自己似乎是個日本人,而不是台灣人。

 但是有一天,有一個人說:「持有封面印有菊花徽紋護照的人,才可以稱得上是日本人。」這個人甚至還說:「日語是專屬於日本人的東西。」我感到很哀傷,也覺得很憤怒,接著越來越激動,最後甚至笑了出來。

 日語才不是只屬於日本人的東西呢。像我這樣的存在,就是比任何事物都更有利的證據。我既沒有身為日本人的父母,也沒有日本護照。但是,我卻有著和日本人相同的說話方式,笑得和日本人一樣,也和日本人同樣呼吸著。日語存在於我的身體裡,而我也以日語生活著。

 我的名字是溫又柔。

 既是「おんゆうじゅう」,也是「溫又柔」。這兩者都是我真正的名字。但是,一直以來,我都是以「おんゆうじゅう」這個名字在日本生活、成長的。這有一點不太普通、不太正常的名字,就是我在日本成長的證據(然而,又要如何才能叫做正常呢?)並且,這個名字也是一根導火線。這根導火線讓我能夠和那些人奮鬥,那些認定日語是只屬於日本人的東西的人。甚至,這也讓我能夠傳遞一個訊息:也就是除了我之外,還有很多和我一樣的日本人。

 我的名字是おんゆうじゅう

 這個名字,就是我在日本成長的證據,也是讓我可以開口和大家討論,我是如何成長於日本的導火線。請做好心理準備吧。因為一旦點燃了火苗,這火焰就會越燒越烈。

 我的名字是一根導火線。

作者 溫又柔

1980年出生於台北,1983年與家人一起移居日本,目前定居於東京。2009年以《好去好來歌》獲得集英社昂文學獎佳作。2011年出版小說集《來福之家》、2015年出版《我在台灣出生,在日語中長大》(中文譯名暫定)。前者在2016年由白水社出版再刊,後者於同年獲頒第64回日本隨筆作家俱樂部年度大賞。出道之前的作品由leaf miner(葉っぱの坑夫)集結成作品集《獨一無二,不屬於我的名字》(2012年Kindle版)出版。

 

譯者 郭凡嘉

台灣大學日文系畢業,東京大學語言學研究所博士班。關注日本外籍兒童之教育議題。譯有溫又柔《來福之家》、陳舜臣《青雲之軸》、中村地平的殖民地小說《霧之蕃社》、森見登美彥《空轉小說家》、角田光代《肉記》等,並撰有日本小說家評論數篇。