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小さなラヴェルの
​小さな物語

作:コンガー・ビーズリー Jr. 絵:たにこのみ

訳:だいこくかずえ

ラスパイユ大通り 〜 紙人形 [1ー3]

The Japanese version of this story is created by courtesy of the author's wife, Betsy, and Eckhard Gerdes of JEF Books.

 

ある日、小さなからだのモーリス・ラヴェルは、フィリッペ・バザンという名の香水売りのコートのポケットに迷い込みました。パリのラスパイユ大通りにあるレストランで、いっしょにランチを食べているとき、バザンのポケットに落ちたのです。ちょっとトイレへと席を立ったとき、ラヴェルはスプーンにつまづいて、バザンのレインコートのポケットに真っ逆さまに飛び込みました。レインコートは椅子から床にすべり落ちました。

 

バザンは財布からお札を出していて、友だちの姿が消えたのを見逃しました。バザンは数分間、テーブルを指でポンポンと鳴らして待っていました。ウェイターがお釣りをもって戻ってきました。バザンはさらに待ちました。ラヴェルが戻ってこないとわかると、バザンは立ち上がり、レインコートをはおりました。モーリスは帰ってしまったのだろう、そう思ったのです。

 

ラスパイユ大通りは雨がふっていて、雨粒がバザンのレインコートに音をたてて落ちました。そのポケットの中で、ラヴェルは放心状態でした。目はあいていたのですが、眠っていたも同然だったかもしれません。

 

実際のところ、ラヴェルは起きていました。バザンのコートに落ちる雨音は、音楽のように感じられました。ラヴェルは帳面とペンをとりだしました。ポケットの中なので暗かったのですが、なんとか音符を二つ三つ書くことができました。パラパラという雨音は、車のクラクションと、バザンのドシンドシンという足音と混ざりあいました。

 

サン・ミッシェル大通りにある香水ショップにつくと、バザンはレインコートをぬいで、オフィスのくいにかけました。コートは古びていて、袖はすりきれ、裏地は穴だらけでした。モーリスはその日の午後ずっと、ポケットの中にいました。そこにいることに不満はなかったのですが、時計が4時をまわると、お茶を一杯飲みたくなりました。

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オフィスの中は静まり返っています。ムッシュー・バザンは店に出て、お客の相手をしていました。香水の匂いがドアの下から忍びこみ、ポケットの中のラヴェルのところまで届きました。お茶が飲みたくてしかたなくなった頃、モーリスはなにか変な音を耳にしました。花火のようなパンパンという音です。いったい何の音だろう、とモーリスは太いまゆを寄せました

 

カサカサ、クシュクシュ、ビリッ、ザワザワ、、、

 

それが何かわかったとき、モーリスは大爆笑しました。バザンのレインコートはとても古くなっていて、からみあった繊維がゆっくりばらけ始めていました。もう少ししたら、袖も裏地もえりも形を失い、ボロボロになって垂れ下がるでしょう。

 

夕方の6時になると、ムッシュー・バザンはオフィスに戻ってきて、レインコートを着ました。「じゃあ、帰るよ」 店員二人に声をかけ、12ブロック離れた自分のアパートへとむかいました。エレベーターがガタガタと音をたてて4階につくと、口笛をふきながら、美しい妻のこと、家についたら飲もうと思っているワインのことを考えました。ワイングラスを片手に、窓ぎわにあるお気に入りのアームチェアでくつろぐのです。

 

ドアのところでレインコートのポケットに手をいれて鍵をさがしていると、温かな人の肌のようなものに触りました。ネズミでもいるのか、と思いました。しかし取り出してみると、それは友だちのモーリス・ラヴェルでした。

 

「モーリスじゃないか!」 バザンは声をあげました。「こんなところで何をしてる?」

 

「ちょっと変わった音を聞いてたんだよ」 モーリスは廊下の灯りに目をパチパチさせながら答えました。「いやー、ほんとに、フィリッペ、きみのレインコートは雨の日には面白い音楽を奏でるねぇ」

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モーリスはリュクサンブール公園をみおろすアパートの一番上の階に、一人で住んでいました。天井はとても高く、春に風のふく日があると、モーリスはそこでカイトを飛ばして遊びました。窓をいっせいに開け、玄関のドアも開け放ち、風がよく通るようにしました。アパートに住む子どもたち全員を招いて、カイトを飛ばして遊びました。

 

モーリスにとってとても楽しい時間でした。アパートの最上階は、子どもたちの喜びの声であふれました。5メートル弱の天井の高さで、カイトを飛ばすのはかなりの技術がいります。モーリスはコンテストを開催し、一番長くカイトをあげていた子どもを表彰しました。そのあとでクッキーとフルーツパンチをふるまい、ピアノでメヌエットを弾きました。

 

ピアノは、鉢植えのシダやさまざまなグリーンが吊り下げられた部屋の隅にありました。そこに行くのにモーリスは、緑のジャングルの中を通っていきます。ピアノはストラスブールの熟練工によって、モーリスのためにつくられた特別製でした。モーリスのからだのサイズに合わせ、アンティークのタイプライターくらいの大きさでした。でもきちんと打鍵すれば、黒檀と象牙の鍵盤からこくのあるたっぷりした音がでました。

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タルという名前の年配の女性ハウスキーパーが、家の世話をしていました。タルはブルターニュ出身で、話すとき強いなまりがありました。タルはみすぼらしい服と形のさだかでないウィグを身につけていました。ほおにあるイボからは硬い毛が何本ものびていました。タルは家の中をきちんと保ち、モーリスのために適切な食事を整えました。

 

タルはモーリスのプライバシーを守っていました。モーリスが邪魔をされずにいることはとても大事なこと、とくに作曲をしているときには。モーリスは心優しかったので、いまは忙しいと人に言うことができませんでした。モーリスは礼儀正しくて、寛大で、みんなが一緒にいたくなるような人だったのです。あちこちから招待を受けるので、どれに行ってどれを断るか決めなければなりませんでした。招待はとても嬉しかったので、すべてを受けたかったのですが、それはできないことで、たとえモーリスが100回生きたとしても無理でした。

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その冬、パリはとても不快な天候でした。薄暗い日が毎日つづき、モーリスは気が沈みました。リュクサンブール公園の枯れ草の下で眠る虫以下の気分でした。それでみんなの期待に反して、モーリスはいっさい外に出ないことに決めたのです。電話にも出ず、ディナーの誘いが入った封筒もあけるのをやめました。タルがピアノの上に手紙を置くと、モーリスは窓の外に投げ捨てました。

 

朝起きてベッドから這い出すと、歯をみがき、キルトで肩をおおいました。自分でローズヒップティーをつくり、窓辺に置かれた古い室内履きに潜り込んで、からだを丸めました。窓の外では、陰鬱な空を、ハトがパタパタを飛びまわっています。ときどき窓枠のところに舞い降りると、食べものはないかと歩きまわりました。モーリスはハトたちに、パンくずや豆、リンゴの切れ端、レーズンを与えました。ハトたちはガツガツとモーリスの与えたものを、カシューナッツやチーズも含めてすべて食べました。クークーと満足げな声が、聞こえてきました。

 

モーリスの落ち込みはかなりひどく、作曲もすっかりやめました。モーリスの聴覚は硬直して鈍感になり、タルが室内で履いているずっしり重い木靴のようでした。ピアノの前にすわって新しいメロディーをつくるのではなく、画用紙で、ひん曲がった顔や猫背の奇妙なヒト型を切り抜いて過ごしました。タルがそれを画鋲でキッチンの壁にとめました。

 

タルはその切り抜きが好きだったのです。故郷のブルターニュの村の人々を思い出させたからです。タルは一つ一つに名前をつけて、そばを通るときには、小さく声をかけていました。ときにタルは、家族の様子を尋ねたりもしました。紙の人形は、この陰気な冬をいくらかでも楽しいものにするのに、役立っていたのです。

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3月のある晩、アンドレ・ブションが玄関のドアをノックしました。アンドレは洒落者で、よく言えば「ダンディな男」でした。アンドレは派手な服を着て、おかしなことを口にしては年配の女性たちを笑わせ、お金を恵ませるようなことが好きでした。

 

タルはアンドレを中に入れませんでした。ドアのすき間から「きうはたれにもあいたくないすうです」と怒鳴りました。

 

「お願いだから、名前だけでも伝えておくれ」とアンドレは怒りをおさえて言いました。

 

「きぷんがいくないんです」 タルは内側からドアを押さえつつ説明しました。

 

「タル」 部屋の中から弱々しい声がしました。「誰なんだ?」

 

「わたしですよ、、、、アンドレ・ブションです!」 オペラ歌手のような轟く声が響きわたりました。

 

「お通しして」

「ふんとに?」

「そうだ、、、うん」

 

シルクの裏地のマントを翻し、タルのガランゴロンいう木靴の音を引き連れて、アンドレが中に入ってきました。

 

「モーリス、、、モーリス、、、モーリス」と歌うように言い、「どこに隠れていたんです?」

 

モーリスは気分が落ち込んでいたので、室内履きの中から顔を向けるのがやっとでした。「こっちへ」とモーリスはため息をつきます。「もっとこっちに」

 

「ここで充分」とアンドレは言い、椅子にマントをポンと投げました。「シャンゼリゼ大通りの新しくできたレストランで、今晩、お食事でもと思って来たんですよ」

 

タルがマントを取り上げ、玄関ホールのクローゼットにしまいました。モーリスは頭をふって、「外に出る気分じゃあないんだよ」と答えました。

 

「あーそうですか、でも行くべきです」 アンドレはさらに言いました。「そこはすごいことになってて、みんなが押しかけてるんですよ」

「アンドレ、行けないよ、行きたくないんだ。無礼な真似はしたくないけど、一人でいたいんだ」

「ひとりで?」

「そのとおり」

 

アンドレは窓に近づきました。グレーの靴覆いにピンストライプのズボン、銀色の光るボタンのついたベスト、黒のフェルトジャケット、その襟にはブートニエール(ピンブローチ)と華麗な装いでした。まるまるした頬からは、ロシア風のエキゾチックなコロンが漂ってきます。アンドレはモーリスの背後に立って、窓から見える風景に目を奪われていました。

 

リュクサンブール公園には電飾がともり、雨模様の風景に無数の光の輪をつくっていました。リュクサンブール(ルクセンブルク)はフランスの隣りにある小さな国です。モーリスはそこに行ったことがなく、行こうとしたこともありませんでした。もしここがスペイン公園と呼ばれていて、ブドウ園やヤギや心ときめくギターの調べがあったなら、モーリスの興味を引いたかもしれません。窓の外にスペインがあったなら、パリの冬はもっと耐えられるものになったでしょう。

 

モーリスはスペイン国境近くの小さな村の出でした。子ども時代はとても幸せなものでした。フランスとスペインを分けるピレネー山脈のふもとで遊びました。遊んでいるとき、モーリスは紫の山々を見上げて、あの向こう側はいったいどんなだろうと想像しました。日差しがもっと強く、ここより暖かだと知っていました。段々畑の斜面には、ブドウの木、オリーブの木が密生し、ヤギの群れが砂ぼこりをあげながら村々を通り抜け、あたりの高い木低い木には花が咲き乱れ、いい香りを放っています。こういったことを、たとえ自分の目で見たことがなくとも、よく知っていました。行ったことはなくとも、その気分を音楽の中で表そうとしたので、モーリスの書く曲の多くは、スペインを熟知しているように聞こえました。

 

「モーリス、君は何ひとつためになることをやってない、まるで冬眠中のクマみたいだ。確かに天気はひどいもんだが、パリの街はかわらず素晴らしいよ、こんな冬のさなかでもね」 

 

モーリスは繊細で美しい手をもっていましたが、その手を力なく振りました。「アンドレ、、、申しわけないが、こんな風に気落ちしてるときは、ひとりでいたいんだ」

 

「だけど友だちが待ってるんだ、モーリス。みんな君がどうしてるか心配してるよ。病気じゃないかってね。それとも恋に落ちたのだろうかとね。君の知らないところであれこれ言いはじめているんだ」

 

「なんともしようがないね」とモーリスはため息。

 

「いいや、そんなことはない。今晩、わたしと一緒に姿を現せば、噂を吹きとばすことができる。レストランにご登場!ってわけだ。あのレストランの支配人を知ってるんだよ。彼がわれわれに最高のテーブルを用意してくれるだろうね」

 

「そういう気にはなれない、アンドレ、、、」

「お願いだから」

「いいや、、、今晩はだめだ。また今度いつかということで」

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「そういうことか、わかったよ」 アンドレは少し憤慨してました。「もっと暖かくなったら、また来るよ。君が眠りから覚める頃にね」

 

アンドレは自分のマントはどこかと探しました。タルはアンドレをぼんやり見つめています。

 

「わたしのマントをたのむ」

タルの視線はアンドレを通り過ぎ、窓の横の壁に画鋲でとめられた紙の人形を見ていました。その紙の人形が兄のアルフレッドを思い出させたのです。タルの目に涙がたまりました。

 

「わたしのマントだよ、シルブプレ!」

タルはクローゼットをかき分けて、アンドレのマントを取り出しました。タルのくつ下は足首のところまでずり落ちていました。すねから、草色の毛が束になって飛び出していました。

 

いったいどこでモーリスはこの無愛想な変わり種を見つけてきたんだ、とアンドレは思いました。

 

「ありがとう、アンドレ、理解してくれて、、、」

アンドレはマントをさっとはおると、ドシドシと玄関の方に歩いていきました。

 

ドアがバタンと閉められ、モーリスはその音にビクリとしました。

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