ピアノとピアニスト
Bruce Duffie インタビューシリーズ(4)

ラン・ラン(郎朗)| Lang Lang

中国出身のピアニスト。1982年生まれ。幼少時からピアノを習い、14歳のとき父親とアメリカに渡り、カーティス音楽院でピアノを学ぶ。17歳のとき、ラヴィニア音楽祭でチャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』を代役として演奏。それをきっかけに、アメリカのみならずヨーロッパでも注目を集めるようになる。

このインタビューはラン・ランがまだ20歳のときに、シカゴで行なわれたものです。以来、ラン・ランは芸術性においても音楽の理解に関しても、大きな進歩を見せてきました。とはいえ、まだ若かった当時においても、自信にあふれ若々しい見識を見せていました。
以下に2002年の秋のわたしたちの会話を記します。(2020年 ブルース・ダフィー

 

・ピアノは友だち、デュエットみたいな関係
・ピアノはシンフォニーであり、オペラでもある
・ひらめきを感じたら、聞いたそばから弾いていく
・中国の音楽を世界の舞台に乗せたい
・国や言葉が違っても、みんな同じ魂をもつ人間
・6000人の聴衆前で、魂とハートを感じた
・若い世代のために、バーンスタインの仕事を受け継ぎたい

ピアノは友だち、デュエットみたいな関係

2002年10月11日、シカゴにて

ブルース・ダフィー(以下BD):あなたは街から街を渡り歩き、次から次へとピアノに出会っています。ピアノの前にすわってから、どのくらいの時間でそのピアノは自分のものになるんでしょうか。

 

ラン・ラン(以下LL):いい質問ですね。まずピアノの状態をなるべく早く知ろうとします。集中して、ピアノからインスピレーションを得ようとするんです。それがいつもやることです。ときに馴染むのに時間がかかってしまうこともあります。で、ピアノに馴染んできたら、何か弾いてみて、手慣らしをします。それによって心がほぐれます。つまり音楽の流れに身をまかせ、その音楽に浸るんです。

BD:フレンドリーに感じるピアノもあるんでしょうか。

 

LL:そうですね、自分の内面とうまく調和するピアノがありますし、他のピアノと比べてより身近に感じるものもありますね。

 

BD:ピアノとできるだけ協調したいのに、ピアノがちゃんと反応してくれなかったらどうするんでしょうか。

 

LL:そういうときはさらに調整する必要がありますけど、何とか自分に近づけようとします。

 

BD:弾いたとたんにピッタリくるピアノはありますか。

 

LL:はい、あります。わたしは中国から来ているので、他の人と少し違うと思います。小さかった頃は、もうとても悪い状態のピアノを弾いていて、でもそれをいいピアノだと思っていたんです。いいピアノというものを知らなかったので。そういうピアノで10年間レッスンを受けていたので、基本的にどんなピアノでも弾けますよ。とてもいい教育を受けたってことですね。

 

BD:これから出てくる若いピアニストはみんな、状態の悪いピアノを弾いてみたほうがいいんでしょうか? そうすれば問題を解決できるようになるから。

 

LL:ヨーロッパやアメリカはとても豊かな国ですから、そうするのは難しいんじゃないかな。でもときに悪い状態のピアノを弾くことはいいと思います。どんな音がするか、どんな感じなのか知ることができるから。そんな状態の楽器でも、音楽を生み出すことはできるってね。

 

BD:そんな楽器でも、本当に音楽を生み出すことはできる???

 

LL:(にっこりして)できますよ。

 

BD:では音楽はあなたの中にあるんですね、ピアノの中にじゃなくて。

 

LL:そうです。デュエットみたいな関係かな。まず自分が何をすべきか知ること、それから友だちであるピアノに話しかけます。(笑)

 

BD:あなたとピアノと作曲家ということでしょうか。

 

LL:そのとおりです。わたしにとって一番重要なことは、まず作曲家に尊敬の念をもつこと。それからできる限り、楽曲がもつ内面性や意味を探します。そしてその時代の社会について考えます。歴史的なことを知るのはとても大事です。作曲家が住んでいた国々に行くのが好きですし、行ってその街を歩いて、どんな建物があるか見たりします。それは音楽も建物のような構造を持っているからです。ドイツのボンだとか、オーストリアのウィーンを歩いているとき、わたしがそうであるように、他の人も作曲家がそこから美しさを得ていたと感じるのではないでしょうか。

 

そうすると大きな構造が見えてきて、そういうことを知るのはとても大切ですね。誰も感じたことのない新たな道をどうやってつくるか、そこから考えはじめます。誰も見つけていないものを発見することは大変なことです。毎日のように何かを発見するような、知性のある人々はいつも存在しますから。それでも、聴く人が特別なものを見つけられるようなものを、手にしようと努力します。聴く人はメロディはよく知っていいても、そのような演奏は聞いたことがないといったね。

 

BD:新しいものをいつも見つけることは、あなた次第?

 

LL:毎日新しいことを発見するのが好きですけれど、楽曲の中に何か見つける人というのはたくさんいます。昨日、わたしは何も見つけられなかったかもしれない、でも今日はとても新しい発見があるかもしれない。そうなったらとても幸せです。もし毎日のように新鮮な気持ちで、適切なときに、適切な構造で、適切な気分で新しいことができたら、とても素晴らしいんじゃないでしょうか。

 

BD:そうやってあなたは作曲家が曲に託した新しいものを見つけます。ではあなたも、自分自身をそこにつぎ込むんでしょうか。

 

LL:作曲家はこちらにひらめきを与えます。それをこちらは自分のからだの中で変換します。まず作曲家の魂を取り込む必要があり、と同時に(それは自分の手であり心ですから)そこにはエネルギーも存在します。といっても、もちろん、作曲家の考えや意向も手にします。そういったすべてを一つにするわけです。

 

BD:あなたは演奏のたびに、新しいものを発見すると。すべてをその曲から吐き出してしまった、というときは来るんでしょうか。

 

LL:発見にはたくさんの時間がかかります。ある楽曲ではたくさんのことを見つけられても、すべてを取り出すことはできません。今はもう生きていない作曲家たちがいます。その人々についての本を読むことはできるし、曲の解説もです、でもさらなる時間がいります。ある日、わたしはすべてを取り出すかもしれないけれど、さらにそれを続けます。とても助かっているのは、わたしにはわたしを助けてくれる偉大なメンターとなるピアニストの方々、そして指揮者の方々がいます。マエストロ・バレンボイムであるとか、エッシェンバッハさんといった人たちです。そういった方々に出会えて、とてもとても幸運でした。

 

BD:ではあなたは何であれ、どこであれ学べるだけ学んでいると。

 

LL:そうですよ、ほんとにいつでも、どこでもね。(両者、笑)

 

Petzold: Minuet No. 2 in G Minor (Formerly Attrib. J.S. Bach as BWV Anh. 115)
ピアノはシンフォニーであり、オペラでもある

BD:まだあなたは非常に若いですが、自分のキャリアにおいて、ソロのリサイタルとオーケストラと演奏することを、どうやって割り振っているのでしょう。

LL:大きな違いはないですよ。オーケストラとのコンチェルトでは、演奏するところは短いですから。ソロの半分くらいですね。でもいろいろな問題がそこにはあります。室内楽をやるときのようなね。そして指揮者の人々とともに仕事をする必要があります。と同時に、他の楽器を注意深く聴き、フレージングに注意する必要もあります。すべてのことをピアノと統合しなくてはなりません。だからたくさんのことが求められます。ただそれと同時に、リサイタルで弾くときも、いつもシンフォニーの(あるいはオペラの)響きや活気を心に描きます。ピアノを弾く場合、そこにあるのはシンフォニー的なことだけではなくて、全体がオペラみたいなんです。ピアノが全身全霊、歌うのですから。

ピアノというのはたくさんの弦からできています。声で歌うようには歌えません。でもいつも歌うことを考えている必要があります。でもピアノで歌うことを思っても、そうはならないこともあります。ピアノは歌う楽器ではないからです。でも自分の想像力をつかうことで、どのようにハーモニーの変化を扱えばいいか、ペダルをどうつかうかがわかります。上手くいくこともあるけれど、手にするのに時間がかかります。非常に静かで、とても情熱的な時間ですね、ベッドルームにいるときのような。わたしにとって、それは特別な雰囲気に包まれた感じです。

BD:その理由の一つは、あなたが弦楽器の弓をひくようにできないからでしょうか?

LL:そうですね、あとビブラートもかけられません。

BD:ピアノは弦を打つハンマーで弾きます。ピアノを歌わせるために、指のテクニックをつかうことをしたいわけですね。

LL:そうです。充分に指に感性があれば、歌わせることができます。わたしはそれを懸命にやっています。ピアノが歌う声をもてば、暖かな響きがつくれるからです。そうなれば他の歌う楽器のように、ピアノを歌わせることができます。

BD:(軽く突きながら) 息つぎをうまくやらなくてはね!(そう言って笑う)

LL:うまくいくときもありますよ。フレーズで息つぎをすれば、歌っているみたいでしょ。そういう感じですよ。


 

ひらめきを感じたら、聞いたそばから弾いていく

BD:レパートリーを選ぶとき、選択肢はたくさんあります。どれを弾くか、どれを弾かないか、どうやって決めるのでしょう。

 

LL:コンチェルトをやるとき、わたしが決めることもありますが、他の者がやりたいものを選ぶこともあります。今は、自分のやりたいものを選べるようになってきました。ソロ・リサイタルではわたしが選びます。演奏する必要があるものがありますから。

 

BD:ある曲をやってみたいというとき、何がそこにあるんでしょうか。

 

LL:音楽を聞いているとき、わたしが心を寄せるのは素晴らしい作曲家による作品です。バッハからバルトークまで、今活躍中の作曲家も含めて、わたしは彼らの曲を愛しています。わたしにひらめきを与えてくれる音楽を聞きますし、聞いたそばから弾いていきます。いつもそんな風です。古い楽曲、あるいは演奏する必要がある楽曲に取りかかる場合、新しいものそこに見つければ、すぐに試してみます。毎日のように新しい曲を手にできるし、新しい興奮も手にします。

 

BD:どの曲と言わなくていいですが、弾いてみた結果、これはやらないと決めた(少なくとも今は)ものはあるんでしょうか。

 

LL:(しばし考えて) 答えるのが難しいです。わたしはいつも挑戦をしてますから。9歳のとき、チャイコフスキーのコンチェルトに取りかかりました、そして10歳で、ラフマニノフの3番をやりました。正気じゃないでしょ。

 

BD:あなたの手は、当時、それを弾くのに充分な大きさがあったんでしょうか。

 

LL:わたしの手は弾くのに充分でした、それは確かです。でも同じ年にわたしはショパンのエチュードも弾いてました。だからちょっと正気じゃないところがありました。今はいくつかの楽曲(ベートーヴェンのソナタのような)があって、もう練習はしてきましたけれど、コンサートで弾くのは少しあとになります。弾けないからではなくて、最高の仕上がり、最高の状態にまでもっていきたいからです。ブラームスのコンチェルトについても、同じことが言えます。

 

BD:演奏する準備が整ったと、どう判断するのでしょう。

 

LL:毎年、いろいろな曲を学んでいるとき、自分が将来何をするかわかってきます。それと同時に、難しい楽曲(ベートーヴェンのソナタとか、バッハのゴルトベルク変奏曲とか)をやっているとき、他のレパートリーで学んだことをすでに手にしています。たとえばベートーヴェンのコンチェルト『皇帝』を来月弾きますが、今、準備ができていると感じています。それでもしわたしがベートーヴェンのソナタを弾けば、コンチェルトで得たものがそこにはたくさんあります。調性が違っていても、ベートーヴェンの個性がそこにはあります。

 

『ワルトシュタイン』や『月光ソナタ』、『ハンマークラヴィーア』を見れば、どれもとても似ています。もちろんそれぞれの曲を練習する必要はありますが、すべて繋がりがあります。曲の構造や調性は違っても、持ち味がとても似ているんです。それぞれの曲にはそれぞれの物語がありますが、それぞれの物語の中で、同じ言葉がたくさん使われているのです。

中国の音楽を世界の舞台に乗せたい

BD:あなたは今、譚盾(タン・ドゥン)の新しい曲をやっていますね。

 

LL:(熱意を込めて)そうです。わたしは現代の音楽が好きですが、まずそれぞれの曲をよく見なければなりません。それからわたしは作曲家の人と直接話すのが好きで、それは現代曲の世界では、ときに理解が難しいことがあるからです。とても現代的で、それぞれの作曲家のイマジネーションによるところが大きいのです。狂気のような箇所がたくさんあったり、創造性がとてつもなかったりして、それが何なのか理解する必要があるんです。曲が何をやっているのか、よくよく知る必要があって、そうじゃないと迷子になってしまいます。

 

BD:中国出身ということで、タン・ドゥンとあなたの間には特別なつながりを感じていますか。

 

LL:もちろんです。とても関係が近くて、兄弟みたいです。彼はわたしより年上ですが、二人とも北京の中央音楽学院を出ています。彼は中国南部の、わたしは中国北部の出ですが、いつも感じるのは彼は北部の気性や持ち味をもってると思うんです。南部がよくないという意味じゃなくて、北部と同じように好きです。

 

わたしと彼は考えていることがとても似ていて、二人とも中国の音楽を世界の舞台に乗せたいと思ってるんです。そうすればいろんな場所にいる人々が、中国の音楽をよく知ることができて、それを楽しむことができて、モーツァルトを彼らが聴くみたいに、彼らの文化の一部にできます。

 

BD:ソロでリサイタルをするとき、中国の音楽を入れるようにしてるんでしょうか。

 

LL:はい。来年、わたしは彼の『湖南の8つのスケッチ』(のちに『水彩による8つの思い出』となる)を初演します。その作品は、湖南省にある彼の故郷の街の水彩画のようです。1978年に作曲された彼の最初の作品ですが、まだ誰も全部を演奏してないもので、だからわたしの演奏が世界初演になります。

 

この曲は彼が学生のとき書いたもので、北京の中央音楽学院時代の作品です。とても美しい作品で、、、ちょっとフランス風で、でももちろん中国音楽的で、中国の民謡も含まれています。それにフランス風の色合いが加わって、またスクリャービンのような現代音楽的な、現代的な狂気が少しあります。

 

BD:あなたは彼の新しい曲を演奏したいと思ってるんでしょうか。

 

LL:はい。わたしたちはもっと現代的な作品も一緒にやろうとしていますし、また彼はピアノ協奏曲にも取り組んでいるんです。

Tchaikovsky: Children's Album, Op. 39, TH 141 - 21. Sweet Dreams

国や言葉が違っても、みんな同じ魂をもつ人間

BD:あなたの演奏する音楽(コンサート音楽)は、みんなのものでしょうか。

 

LL:もちろんです。

 

BD:60億人のための???

 

LL:世界中の人みんなという意味でしょうか? わたしが演奏する音楽はクラシック音楽で、英語を理解するより易しいです、そうでしょう? 中国にあなたが行くとして、言葉で話すより、ピアノで話す方がうまくいくからです。世界共通の言葉なんです、素晴らしい言葉なんです。いつも音楽を聞いていても、演奏家の言うことがわからないこともあるでしょう。

 

もし音楽が好きなら、そしていつも学びたいと思うなら、いつも音楽が好きでいたいなら、心を少しつかえば、音楽の意味するところを理解できます。なぜならそれは人生だから。人間性なんです。たとえ国が違って、考えも違い、言葉が違っていても、みんな人間です。そして誰もが同じような魂をもっています。それが人間だと思います。

 

BD:では音楽はわたしたちを一つにできる?

 

LL:そのとおりです。それは確かです。わたしたちは古い時代の音楽を必要としています。インド音楽、中国音楽、日本音楽、すべてをです。なかでもクラシック音楽はとても崇高で繊細で、知識豊富な音楽なので、あらゆる人に理解されやすいと思います。わたしは子どもたちと、クラシック音楽の世界を理解するために、彼らに刺激をもたらす音楽プロジェクトをやっています。レクチャーをしたり、彼らのために演奏したり、とても成功しています。

 

彼らに何が好きか、どんな音楽をやりたいか聞きます。幸せになりたいか。どんな映画が見たいか。ピアノ音楽は映画のようなものでしょ。ピアノで何か演奏すると、心に絵を描くでしょうし、物語のテーマが浮かびます。でももちろん、作曲家にもよります。聴く人は物語を心に描き、わたしは自分の物語を語ります。まず演奏して、それから話をし、また演奏し、また別の曲について話をします。小さな子どもたちは、それがとても好きです。それでピアニストになりたいって思うわけです。

 

BD:ではわたしたちはみんなピアニストになりますね。わたしたちは、聴衆をもっと得られるでしょうか。

 

LL:もっともっと聴衆を手にするでしょう、そう、それからピアニストもです。ピアノはとても人気のある楽器です。

 

BD:あなたは座って演奏しているとき、自分の右手にいる聴衆を意識しますか。

 

LL:しません。聴衆を見たいとは思いません。「ほら、これが聞こえるかな?」とは言わない。そうはしません。でももし音楽がそれを必要とするなら、演奏家は方向づけをしなければなりません。音楽というのはときに飛んでいってしまいますから。

 

自分が方向づけをしたいとか、自分を見せつけるというのではありません。そうではないんです。音楽は水平的であり垂直的であるからです。そして方向を定めるために、充分な形を与える必要があります。そうやって理解されるのです。そうでなければ、そこにいるだけで、理解するのも難しくなります。

 

BD:あなたは種類の違う聴衆の前では、違った風に演奏しますか。それが子どもたちであるとか、音楽をよく知る聴衆であるとかによって。

 

LL:いつも自分にとっての演奏であり、一つ一つがその晩の演奏会のためにあります。リサイタルではいつも、いろいろなレパートリーを弾きます。本物の古典音楽から、盛大にロマンチックなもの、愛らしい小さなロマンチックな曲、印象派のもの、いくつかの現代音楽ものといった。そういうものを混ぜて演奏したいんです。だからあらゆる聴衆、すべての年齢の人のものになります。

 

友だちや子どもたちのために演奏するかもしれないけれど、クラシックな曲を弾くのがとても好きですね。そこには魂があるから。それから聴衆に向かって言います。もう一つの扉を開ければ、別の様式、別の時代、別の世紀とたどれば、音楽がどう発展してきたかがわかるとね。古い時代から現代までの映画を見るような感じですね。ワクワクするでしょう。

6000人の聴衆前で、魂とハートを感じた

BD:あなたは2つのレコーディングをしています。一つはコンサートのライブです。他の録音はコンサートのものなのか、それともスタジオ録音なのか。(このインタビュー時、ラン・ランはまだ20歳だったことを忘れないでください!)

 

LL:すべてコンサートのものです。

 

BD:コンサートが録音されているときは、違った風に演奏するんでしょうか。

 

LL:マイクがあろうとなかろうと、わたしは気にしません。でもマイクなしの演奏の方がずっと好きですよ。だからライブ録音をするんです。マイクなしで演奏していると感じられるし、より人々と分かち合えるからです。聴衆の前で演奏するとき、特別な雰囲気に包まれます。どうしてなのか、わかりません。

 

2回目のレコーディングのときは特にそうでした。ラフマニノフのコンチェルト3番です。ロイヤル・アルバート・ホールで6000人の聴衆の前で演奏しました。コンサートのあとで、みんな立ち上がっていました。特別な感じでした。まるでスタジアムでイギリスのすごいサッカー選手たちを見ているみたいな。人々は立ち上がって、すごい雰囲気でした。彼らは音楽が本当に好きなんです。クラシック音楽がとても好きなんです。彼らの魂なんです。彼らのハートなんです。聴衆はわたしをただただ支援してくれます。彼らはもう最高です、それを感じて本当に嬉しかった。

 

BD:この先のレコーディングもコンサートのライブにするつもりでしょうか。

 

LL:わからないです。時と場合によるでしょうね。わたしはライブ・レコーディングが好きですが、それができない場合もあります。またスタジオを使う必要もあります。完璧な演奏家である必要もありますから。ライブ・レコーディングは自分にとって非常に難しい面もあります。たとえばたった1回のチャンスに賭けるわけですから。6000人の人がいて、音響がうまく調和しなくても、変えることはできません。

 

BD:他の演奏から持ってきては?

 

LL:このケースでは、ただ1回の演奏のみです。そういうことです。うまく演奏するか、ひどいゴミみたいな演奏になるか。

 

BD:録音には満足していますか?

 

LL:1回性のものですから、満足です。でも将来、もっといい演奏をします。でも今のところ、いい演奏だと思ってます。好きな演奏です。

若い世代のために、バーンスタインの仕事を受け継ぎたい

BD:ピアノ以外の自分の自由な時間はありますか?

 

LL:ありますよ、もちろん。一般の若い人と同じで、普通の生活をするのが好きですし、楽しいことをしたり、バーに行ったりとね。まだ21歳になってないので、バーに行ってもソーダ水を飲んでますけど。(両者、笑) 友だちとぶらぶらするのが好きだし、おしゃべりしたり、バカなことをしたり、映画を見たりします。誰でもそういうことは必要でしょ。そういうことなしに、どうして生きていけるのか。人と離れて暮らせば、人間らしく生きられない。誰にも好かれないで、誰からも友だちになってもらえなかったら、音楽もさびしいものになります。

 

BD:あなたは毎日のように練習しなければならないでしょう。

 

LL:練習は必須ですね、でも猛スケジュール(今年は140回コンサートをします)というのは、ちょっと正気じゃないでしょ。

 

BD:減らそうとしないんでしょうか。

 

LL:契約済みなんで、それに父と一緒に演奏することがあって、父は二胡を演奏するんです。父はとても素晴らしいプロの演奏家です。父とわたしはラヴィニア(イリノイ州ハイランドパークにあるシカゴ交響楽団の夏の本拠地)でこの夏演奏しました。演奏は聴衆に愛されました。本当に素晴らしかったし、ちょっと大変ではあったけど、こういう本当に大事なコンサートがあるときは、できないとは言えません。でももちろん、将来にとっていいことです。でももっと気を配る必要もありますね。

 

BD:世界を旅することは好きでしょうか。

 

LL:はい、大好きです。聴く人を幸せにし、いい気分にさせます。この世で人ができる最高のことじゃないですか。

 

BD:他の人を幸せにするでしょうけど、あなた自身は幸せを感じます?

 

LL:(笑)もちろん! 最初に幸せになるのはわたしじゃないかな。そうじゃないと他の人も幸せになれません。(両者、笑)でももちろん、音楽はただ幸福になればいいものじゃありません。それがクラシック音楽の素晴らしいところですね。あらゆる感情が含まれるでしょう。尊いのは、それが生きた体験になるときです。

 

BD:あなたはあらゆる契約にサインしてきました。2、3年後のある木曜日に、どこかのホールで、ある曲を演奏することがわかっているのをどう思います。

 

LL:そうですね。確かに2006年のある月に、どこかでわたしは演奏しているというのを知っています。

 

BD:気持ちのいいことなのか、恐ろしいことなのか。

 

LL:ワクワクすることですよ。

 

BD:でもその場合、もちろん、いい演奏をずっと続ける責任が生まれます。

 

LL:そのとおりです。で、それはいいことです。先のことを考えて準備する必要があります。最近わたしが一番よかったと思っていることは、ドイツのシュレースウィヒホルシュタイン州で、第1回レナード・バーンスタイン賞をとったことです。バーンスタインはわたしの最も好きな指揮者でした。彼は何もかもが素晴らしいです。バーンスタインは偉大な音楽家、指揮者でピアニスト、作曲家であるだけでなく、偉大な教育者でした。

 

彼は世界で最高のコミュニケーションをした人です。どんな人とも意思疎通ができるから、みんな彼の音楽を聴くのが大好きでした。クラシック音楽における彼の仕事を知ること、クラシック音楽に未来を開いたことを理解することはとても重要だと思います。彼の歩いた道を継続するのは、そして彼の成さなかったことをやることは、とても名誉なことです。彼はもういませんが、バーンスタインが若い世代のためにやったことを、これからの世代に向けてわたしはやっていくと思います。

 

BD:あなたが彼の仕事をつづけるんでしょうか。

 

LL:彼の仕事をつづける、そうです。

 

BD:あなたの名前を発音してください。

 

LL:中国語で?

 

BD:中国語で、そして英語で。

 

LL:中国語だと「ラウンラウン」みたいな感じです(最初のラウのところは二つの音節をスラーでつないだような)。英語の場合は「ランラン」(二つのランを素早く言う)。片方は「アウン」もう一つは「アン」。おかしなことですね。自分の名前が場所によって変わってしまう。ドイツにいくと「ロンロン」で、アメリカでは「ラアンラアン」、日本では「ラーラー」みたいな。(笑)

 

BD:どれが一番好きです?

 

LL:「ランラン」(素早く同じランをつづけて言う)が好きですね。

 

BD:わかりました。生まれは何年です?

 

LL:1982年6月14日です。

 

BD:あなたはキャリアにおいて、現在の立ち位置に満足でしょうか。

 

LL:とても満足です。この位置にいるのはとても運がいいと感じてます。わたしの背後にはたくさんの人々がいます。家族、先生、マネージャー、レコード会社、素晴らしいマエストロたち、そして過去の素晴らしい音楽家たちがいます。この世界に生きていることを感謝する必要があると感じてます。わたしにとって、特別なことですから。アメリカで暮らすことを心から楽しんでいます。わたしの音楽生活にとって、わたしのキャリアにとって、かけがえのない国だからです。いつも特別な感謝をしています。

 

BD:今はどこに家があるんでしょう。

 

LL:フィラデルフィアです。

 

BD:またシカゴに戻ってきますか?

 

LL:はい、今度の夏、それから来シーズン(2003/2004)も、さらにそのあとのシーズンもです。とてもワクワクします。

 

BD:それはよかった。今日は来ていただいて、お話しいただいて、ありがとうございます。幸運を願っています。

 

LL:楽しかったです。どうもありがとう。

日本語訳:だいこくかずえ

Khachaturian:Andantino "Ivan Sings"