幻覚、それともリアル?!

メヒス・ヘインサー  [エストニア] 短編小説集

実りの季節 | THE HIGH SEASON

メヒス・ヘインサー | Mehis Heinsaar

だいこくかずえ訳

Photo by manuel m. v.(CC BY 2.0)

ロバート・Hは、謎めいたところのある我の強いカフェ詩人だった。愛好者たちの小さなサークルの外では、あまり知られていなかったが、それさえも我々の尊敬の理由になっていた。街でロバート・Hを見かけると、遠くから会釈をし、身振りでご一緒しませんかとこちらに招いた。最初の頃は、誘いに応えてこちらにやって来て、しばし笑顔でおしゃべりすることもあった。どこの出身か、何を勉強してきたのかと聞くと、ロバート・Hはいつもカフェが自分の大学であり、生涯の学校だと答えた。少しすると、ロバート・Hは我々の誘いに応じるのをやめ、一人でいることを好むようになった。カフェの隅にからだを埋め、じっとすわってインスピレーションを待っている姿がよく見られた。尖った鉛筆を耳にのせ、湯気のたつコーヒーを口元にかかげていた。

 

1年前に、ロバート・Hは彼の大学であるタルトゥの古いカフェをしばしば訪れるようになり、それは我々にとって、唯一無二の喜びとなった。しかし次第にむっつりと不機嫌な様子を見せるようになったので、彼をわずらせることもなくなった。我々は遠くからロバート・Hを観察するのみ、それで満足していた。

 

そんな風ではあったものの、ごくたまに、たいていは静かな午後のひとときだったが、ロバート・Hは席を立つと、詩の朗読をはじめることがあった。今でもそのときのことはくっきり鮮やかに思い出すことができる。息継ぎの間さえよく覚えている。

 

わたしたちは朝のコーヒーを飲む

静けさの中で

あなた、わたし、

そして死とともに

 

表情はまだ眠たげだ

子どもたちがそうであるように

 

だれもにまだ時間はある。

 

昼ごろになって

半分開け放たれた窓

から、草木の生い茂る庭を

わたしたちは眺める

 

降っていた雨は

ちょうど

やんだところだ。

 

 

そんな風にして詩はつづき、あるいはそこで終わり、いずれにしてもわたしの心から去っていく。とはいえ、どんなときも、それは印象深いものだった。我々はスタンディングオベーションを彼に送った、でもロバート・Hの方はそれを喜んではいなかった。朗読が終わるとすぐさまカフェを出ていったのだ。

 

ロバート・Hの不機嫌さはますます酷くなり、我々を心配させた。カフェにすわって、コーヒーを飲み、詩を書く彼の姿を観察することが、長らく我々の趣味の一部になっていた。彼が気難しくなったのには理由があるはずだった。するとある日、仲間の一人が、本当に喜ばしいニュースをもって現れた。ロバート・Hが壮大なる詩を生む実りの季節を迎えた、という噂を耳にしたのだ。壮大なる詩は彼の中でどんどん成長し、膨らんでいっている、でもいつ発表になるかはまだわからない、と。

 

そのようなニュースはなにかの警告のように思え、我々を用心深くさせた。非常に慎重にロバート・Hの近くに忍び寄り、無愛想な詩人をこっそりと追い、遠くから見るようになった。彼が古びたカフェの大学に、今まで以上によく現れることに気づいた。かなり長い時間滞在し、終いには、お気に入りの大きくて柔らかなアームチェアのある隅のテーブルに、何日もつづけてすわるようになった。こっそり彼の行動を追う我々は、それからというもの、詩人がよく見えるカフェの反対側の席に陣どって、交代で彼の番をした。ときに無頓着な客がロバート・Hに近づきすぎたり、事もあろうに、詩人のテーブルにずうずうしくも同席しようとすれば、我々の誰かが神聖な場所へと走っていき、脅し言葉をベールにくるんで、礼儀正しくその場を離れるよう頼んだ。ロバート・Hがそれをありがたく思ってくれたならいいのだが。壮大なる詩を生むために引き起こされる彼の苦痛は、疑いようのないものだった。

 

じょじょにロバート・Hが隅のテーブルから離れることがなくなった。深い集中の中、黙想する頭は、コーヒーカップの方へと沈んでいった。針の先のように尖らせた鉛筆が、耳の上で待ち受けていた。1枚の白い紙がテーブルの端で急き立てていた。これが1週間ほどつづき、とうとうロバート・Hはその場所から動かなくなった。じょじょにからだが動かなくなり、ゆっくりと椅子に溶けていった。一度、ロバート・Hがコーヒーのおかわりを取りにいこうと立ち上がろうとしたら、椅子もいっしょに持ち上がり、カフェの反対側の席からでさえ、この男の腰と尻が椅子の中に埋まっているのがはっきり見てとれた。

 

このような状態によって、我々は干渉せざるを得なくなった。ロバート・Hはもう自分ではコーヒーを買いにいくことができなかったので、我々の誰かがテーブルまで運びましょうと遠慮がちに申し出た。壮大なる詩の誕生までの間ということで。

 

ロバート・Hは申し出を聞くと、こちらをにらみつけた。なんであれ助けはいらないと言ったが、我々が気を使いつつ何回もお願いすると、最後には折れて許容した。コーヒーをもってくるときは、集中を邪魔しないよう墓場のような静寂を、ときつく言い渡された。そうします、と我々は約束した。

 

みんな手放しの喜びようだった。いまや壮大なる詩の誕生に、直接手助けができるのだ。この神秘の世界、厳粛なる成果、予想のつかない壮大なものの参加者となり、まるで秘密結社の一員になったかのような気分になった。とはいえ、我々の役割とは、ロバート・Hを周囲の喧騒から守り、コーヒーを運ぶだけなのだが。この任務を我々は従順に、上手くやりこなした。それ以来、常連客が無頓着に大声でおしゃべりを始めたり、過度の注意をロバート・Hに向けてきたりすれば、カフェが安息の場でもあることを無視して、ことを荒立てないように配慮しつつ、そのような人をドアの外に追いやった。その際、店の空気を乱さないようにした。我々の誰かがロバート・Hのコーヒーを毎正時に買い、静かにお辞儀をして詩人のいるテーブルに置くと、すぐにその場から消えた。

 

もちろん、仕事や自分のするべきこと、あるいは家族のために、ときおりカフェの外に出ることはあった。夜には、ロバート・Hをひとり置いて、カフェを出なければならなかった。昼の時間しか店を開けていないので、そのきまりに従った。ある意味で、ロバート・Hもそのきまりに入っていた。彼の背中や尻は、詩を待っている間に、境界がないくらい椅子に溶けこんでおり、怪我を覚悟で切り離す以外、分離することは不可能だった。そのような状態でも、ロバート・Hは壮大なる詩を書くことに集中しており、この状態に苦しめられることは全くないようだった。

 

そうであっても、壮大なる詩は気まぐれだった。この世界に出てきたくないかのようで、その結果、ロバート・Hは(多量のコーヒーを飲んだことで興奮し)さらに深く深くアームチェアの中に溶け込んでいった。そして3週間後には、どこまでがロバート・Hでどこからが椅子なのか、見分けられなくなっていた。

 

ロバート・Hの上半身全体は、すでに椅子の背のクッションに溶け込んでおり、下半身は座面のクッションの中に消えていた。そしてすねは椅子の細く華奢な脚と同化し、ロバート・Hの靴は椅子が履いているように見えた。似たようなことがこの詩人の頭部でも起きていた。ロバート・Hの首は完全に椅子の背もたれの中に沈みこみ、顔の輪郭だけが外に浮き出ていた。そのため、誰かが人間のお面を椅子にくっつけたような見映えだった。とはいえそのお面は生きており、息をしていたし、まわりの環境に極度に感じやすかった。それで我々は、ロバート・Hの椅子から、野次馬や崇拝者を追い払うため、常に構えている必要があった。

 

と同時に、我々の詩人を助ける任務が、もう一つ増えた。具体的に言うと、ロバート・Hはもうコーヒーを自分で飲むことがかなわなくなっていた。腕や手はこの1ヶ月のうちに動かなくなり、椅子の肘掛けと見分けがつかなくなっていた。指だけは別で、そこだけ突き出して、機能も独立を保っていた。とはいえ、コーヒーカップに手が届くことはなかった。ロバート・Hはそれでも、集中をとぎらせないよう、コーヒーを定期的に要求した。壮大なる詩とは、巨大な生きもののようだった。警告なしに攻撃してきそうだった。最後の瞬間まで、詩人と椅子のどっちがどっちを追い詰めているのか、わからない状態だった。それで我々は、ロバート・Hがコーヒーを飲むのを手助けする責任を引き受けることを決めた。

 

最初、我々の中の勇気ある者が、充分注意を払いながら、詩人の顔の部分にコーヒーをもって近づいた。ロバート・Hはくちびるをキュッとすぼめ、眉やほおを動かして顔をゆがめた。しかし我々が、これはあなた自身の欲求であり、覚醒を保つために重要なのだとていねいに説明すると、詩人の表情はじょじょに柔らかくなった。ついにロバート・Hは口を開けることに同意した。5分程度の休憩に、一口ずつすすり、1時間かけてコーヒーカップを空にすることができた。しかし、コーヒーを飲み込むことはまた別の問題があった。ロバート・Hはもう頭を動かすことができず、背を反らすこともできなかったのだ。最後の一口が詩人の鼻に入らないよう、我々は椅子を(あるいは椅子の形をしたロバート・Hを)正確に2度か3度の角度で後ろに傾けなければならなかった。

 

そうまでしているのに、偉大なる詩はまだ出てくる気配がなかった。

 

さらに数日が過ぎた。季節は冬から春へと変化した。恋人になったばかりの若いカップルが、トーメの丘を散歩しているところに、あるいはシジュウカラがチュチュパーチュチュパーと朝から晩までさえずっているのに出会うだろう。ある天気のいい月曜日の朝(日曜日、カフェは休みだった)、我々は息をつめて、ロバート・Hが詩を誕生させたかもしれないという望みをもってカフェに入っていった。悲しいかな、我々の希望はかなえられてはいなかった。

 

ロバート・Hの姿がどこにも見えず、我々はショックを受けた。隅に置かれた椅子には詩人の形跡がまったくなかった。椅子の脚から靴もなくなっていた。顔の輪郭も、肘掛けの先から出ていた指も、見えなかった。ロバート・Hはすっかり椅子そのものになってしまったのか?

 

そんなこと、我々は信じたくなかった。そんなに素早くことが起きるはずがない。

 

レジにいた女の子、そして皿洗いの女の子を問い詰めた。それでわかったのは、週末にちょっとした宴会がカフェで開かれ、そのためすべてのテーブルが部屋の中央に寄せられ、そのまわりに椅子が置かれた、ということ。外国人の集団(デンマーク人だと思う)が、そこでワインを飲み、食事をした。そして宴会のあと、テーブルも椅子も、適当にあるべき位置に戻された。ただしそれぞれの椅子が、もとの場所に戻されたわけではなかった。

 

「だけど靴を履いた椅子があっただろうが」と我々は憤慨して訊いた。「椅子の背もたれに顔が埋まっていたのを見なかったのかい? 集中している顔があったろ、全然気づかなかったって? 団体がテーブルについていたとき、小さな悲鳴が聞こえはしなかったかい?」

 

しかしレジの女の子も、皿洗いの子も、肩をすくめるだけで、我々の質問には無関心のままだった。この子たちは何も見ず、何も聞かなかったのだ。

 

気の毒なロバート・Hよ、この週末にいったい何が起きたのか。

 

我々はどうしたらいいかを話し合い、カフェの椅子を一つ一つ調べることにした。1時間後、我々の中の一人が、窓のそばにある椅子の背の中央がほんの少し膨らんでいるのを見つけた。それはどこか鼻に似ていてた。よくよく調べ、黄色い糸と中のバネと詰め物を引き出したところ、ついに赤みがかった柔かな息をしている鼻に手が触れた。それを見て、我々の心は喜びでいっぱいになった。さらに縫い糸やかがり糸を鼻のまわりから取り去ると、二つの涙をためた、灰緑色の目が椅子の奥から現れた。その目はロバート・Hのものに違いなかった。しかしもっと大事なことは、ホコリや涙にもかかわらず、その目が天にまたたく星のようにキラキラとしていたことだ。このような目つきは、恋をした人間か、神聖なものに心打たれた者からしか発せられない。ロバート・Hの場合は、一つのことを意味する以外ない。ついに壮大なる詩が生まれたのだ!

 

声をあげて笑い、互いの肩をたたきあい、我々は子どものように喜び祝い、ロバート・Hにウィンクを送って偉大なる成果をあげたことを祝福した。カフェにいる人全員分のコーヒーをクリーム付きで注文し、ロバート・Hには2杯分を差し出した。彼こそがこの素晴らしいことを成した当人だからだ。我々はテーブルについて話をはじめたが、次第に重苦しい空気に包まれた。ロバート・Hには詩を朗読するための口も、手もないことに気づいたからだ。いま彼に残されたのは、椅子、それだけ。いったいどうやったら、椅子から詩を引き出すことができる? 誰もそんなことはしたこがなかった。

 

我々はロバート・Hの鼻の下にある椅子の詰め物をとりだし、もしかしたらそこに口があるかもしれないと願った。するとついに、椅子の背の中に口に似たものを見つけた。しかしながら、詰め物の繊維がくちびるのまわりにきつく絡みつき、詩人に耐えがたい苦痛を与えていた。他に何か方法はあるはず、と我々は熟考した。

 

と、突然、椅子の中から蚊がブンブンいうような奇妙な音が聞こえてきた。それは痙攣のような、でも耳のいい人はそこにかすかなリズムを聞きとった。それはロバート・Hの口から発せられたものだった。その音というのは、くちびるをギュッときつく締めつけられ、縫い合わされたところから出てくる種類のものだ。低い音域につづいて高い音域のヒューヒューいう音が出て、次に低い音、高い音と続いた。間に長い静寂がはさまり、そしてまた低い音、高い音、と繰り返した。ロバート・Hは何を伝えようとしているのだろうか。本当に彼は詩を披露しようとしているのか。腫れた目の中で燃え上がるもの、激しい呼吸、椅子の座面近くからの振動といったロバート・Hの必死の訴えを見て、これは彼が詩を読んでいるのだという結論に達した。すると誰かが紙と鉛筆を取り出し、詩人の口からこぼれるリズミックなヒューヒュー音を書き取った。

 

4分後、次のような模様が紙に記された。

 

     ~ー~ー~ー~ー

      ~ー~ー~ー

      ~ー~ー~ー~ー

      ~ー~ー~ー

 

最終的に、12の弱強音律の詩のパターンが、間に切れ目をはさんで出来上がった。12節の詩だ! 簡単にできることではない。そこにはロバート・H(すなわち椅子)が一語一語に想いをこめて詠んだ詩があった。彼がシューシューとリズムを刻むとき、その目線はどこか遠い世界に向けられていた。詩人だけが見ることのできる遥か遠く、そこで舞っている一語一語をじっと見ているようだった。少しずつ、壮大なる詩の衝撃が聞いている人々の中にも入り込んでいった。ある者は肘をつき、考え深げに壁にもたれて詩を聞いていた。別の者は衝撃を受けて顔をテーブルに埋めていた。またある者は目に涙をため、手で顔をおおっていた。口をあけて喘いでいる者もいた。口をあけ大声で笑っている者。自分が雷に打たれたわけでないことに衝撃を受けている者。一人として無関心のままではおかない、壮大なる詩の誕生だった。

 

ロバート・Hの詩、あるいは興奮につつまれた息の流れが終わると、ロバート・Hは正反対の状態に陥った。その目は靄がかかったようになり、息はほぼ完全にとまった。

 

我々は夜まで、彼のそばにとどまり、椅子が詩人を飲み込み、鼻のふくらみさえ見えなくなるまで、悲しい気持ちで見守った。それとも、カフェが、偉大なるカフェの世界が、ロバート・Hを受け入れたということなのか。この先、どんな空間が、どんな香りが、どんな明かりが彼を待ち受けているのだろうか。我々にはわからなかった。できるのは推測することだけ。できることはすべてやったとの思いから、カフェを出る前に、我々の友である詩人のロバート・Hをみんなが記憶し、彼に惜しみない賛辞を送るため、すべてのテーブルに大カップのコーヒーを新たに注文した。