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幻覚、それともリアル?!

メヒス・ヘインサー  [エストニア] 短編小説集

アーティストと年齢 | ARTIST AND AGE

メヒス・ヘインサー | Mehis Heinsaar

だいこくかずえ訳

Photo by Eesti.pl(CC BY 2.0)

ネンレイ導師がカフェの入口に現れた。グレーのスーツの下に紺色のシャツを着たこの男、年は48歳くらいか、ワシ鼻で、白髪がブラシのように逆立っていた。腕を組んで戸口にもたれかかり、席にいる人々を見渡した。それほどたくさんの人がいたわけではないが、そこそこはいた。客の中にアーティストのイマッがいた。

 

イマッは顔をあげると、すぐに入り口にいる男に気づいた。パッと見、普通のようでいて、鋼のように冷たく鋭い視線と耳につけた銅のイヤリングから、危険な存在であることが見てとれた。

「あいつは俺のためにここに来たにちがいない」 イマッはそう思った。なぜならカフェにいるのは、自分より年配の人間ばかりだったからだ。イマッは、41になったところだ。

 

パーティーやら乱痴気騒ぎにうつつを抜かしてきた自分の暮らしを考え、イマッは読んでいた新聞を少し上にずらし、その陰から導師を監視した。あいつは誰を選ぶだろうか?

 

ネンレイ導師にはたっぷり時間があった。そこにいる人々にじっくりと目をあて、足元に転がってきたボールを子どもに返し、カフェの外の遠方に視線を移したと思ったら、突然、アーティストのイマッに目を据えた。導師が自分を選んだことは即座にわかった。イマッの手は震え、額には冷や汗が滴った。足は鉛のようだった。

 

導師のことに詳しい友人たちから、こいつに選ばれたなら、必ず何かこうむると聞かされていた。次の日にはもう、昨日の自分ではなくなっていると。これを受けいれるのはイマッにとって難しいことだった。絶対受けいれられないことだった。イマッは面白おかしい暮らしをつづけたかった。

 

それで抵抗しようと決めた。逃げること。実際のところ、ネンレイ導師から逃れることができた者などいないのだが。

 

それでイマッはコーヒーをもう一杯頼むふりをして立ち上がった。導師に疑われないよう、帽子とコートは席に残したままにした。イマッが入り口のところで、導師のそばを通り抜けたときも、向こうがこちらに手をかけることはなかった。イマッはカウンターに着くやいなや、そばの出口から外に飛び出した。2、3段飛ばしで階段を駆けおりると、大学通りを走りはじめた。鳥が羽をバサバサいわせるように心臓が激しく波打った。大学通りを曲がってムンガ通りに入り、そこからヤコビ通りへ、さらにトーメの丘につづく階段を駆け上がり、その向こうのカッシトゥーメへと走りつづけた。走り出して3分とたたない内に、背後に足音が聞こえてきた。振り返った肩越しに、ネンレイ導師のゆがんだ顔が見えた。追手は窮屈なスーツにエナメルの黒い靴をはいているのに、簡単には振り切れないスピードと執拗さを見せた。

 

しかし恐怖が羽を与えたのか、イマッは充分なスピードを手にしていた。カスタニ通りからリーア通りに向かいながら、追手を脇道でまいてしまいたいと願ったが、そうはいかなかった。イマッは息を切らせ、能力オーバーの警鐘が鳴るのを聞きながら、フェンスを超え、公園のベンチを飛び越え、アーチの下をくぐり抜けた。それなのにネンレイ導師はどこまでも追ってきて、あっちの街角こっちの街角に姿を現した。道端にいた子ども連れの人々は、この二人の追跡劇を見ていたが、ある理由からみんな追っ手の味方だった。イマッが泥棒か何かだと思ったのだ。勇気ある者は、イマッの行く手を防ごうと、足を踏み出したりした。しかし死にもの狂いのアーティスト、イマッはそれを蹴散らして我が道を進んだ。

 

カスタニ通りを逃亡者と追っ手は行き、カルロヴァ地区へ、狭い路地へと向っていると、街の中心地にまた戻ってきたとわかった。イマッはもう疲れきっていて、胸が苦しかった。ネンレイ導師はどんどん近づいてくる。とそのとき、イマッは町役場の前の広場で、群衆が何かやっているのに気づいた。ハンサ市場に違いない。なぜなら多くの人が中世の仮面と羽をつけていたからだ。イマッはその群衆の中に紛れ込んだ。小さな男の子の手から農夫の仮面を奪いとり、それを顔につけると追っ手の姿を探した。あいつはどうするだろう?

 

導師の顔に激しい怒りが浮かぶのをイマッは見た。導師の鋼色の目が、群衆の中のイマッを探しまわり、歯ぎしりの音が聞こえるほどだった。しかし人々は導師を見てニコニコしていた。この男の時代がかった顔は、仮装パーティにぴったりだったからだ。アーティストに一杯食わされたと気づいて、ネンレイ導師は苦々しい気持ちでいっぱいになり、復讐心を燃やした。ただそれ以上騒動を起こすのはやめて、そばに立っていた3、4人の人間に噛みついた。そして悪意に満ちたうなり声をあげて消え去った。手にかかった者は年をとり、悲しみの感情に襲われた。

 

一方イマッの方は、喜びに満たされていた。ネンレイ導師を一杯食わせた者は、ここからの11年間、今の若いままでいられると知っていたからだ。

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