ウィリアム・J・ロング著 「森で、子ジカたちと」 だいこくかずえ訳

夜の森に鳴き声がひびく II

 今回の発見のあと、午後になると、子ジカたちの隠れ場所がある湖によく行った。そして母ジカが出てきて、どこに子ジカたちを残してきたか教えてくれるのをカヌーの中で待った。子ジカたちが大きくなり、乳をやる量が増えると、母ジカはいつも腹をすかせているように見えた。カヌーで待っていると、母ジカが湖のところまでそそくさと降りてきて、藪木をカサコソと鳴らす。そして水際の藪木の端から、顔を出す。岸辺が安全かどうかほとんど見もせず、臭いをかぐこともせず、スイレンの葉に飛びつく。ときにわたしのカヌーが丸見えのときもあったが、母ジカは汁気たっぷりの芽に食いつくとき、何の注意も払わず、腹ペコのオオカミのような食欲で夢中になって食べていた。それを見て、わたしはカヌーを出し、母ジカが来た道をたどり、子ジカたちを見つけようと探索に励む。

(前回「夜の森に鳴き声がひびく !」より)

 このようにして子ジカたちを見つけたのは、たった2、3回あるかないか。チビの子ジカたちはすでに野生に生きていた。2匹ともわたしとの最初の出会いを忘れていた。わたしが姿を見せたり、近くで小枝の音をさせると、2匹ともすぐに藪の中に走って消えた。一方の子ジカは即座に走っていき、教わったように白旗を掲げていた。もう一方はジグザグの歩みで、立ち止まってはこちらを振り返り、わたしの方を見ていた。

Photo by Mark Moschell(CC BY-NC 2.0)

 このような反抗心は、一つの結論に結びつくしかない。もしわたしが荒野を徘徊する獰猛な生きものだったら、焼け野を影のように徘徊するアップウィーキス(インディアンのリンクスの呼び名)の荒々しい手にかかって、小さな森の仲間が短い生涯を終えるところを目にしたのは明らかだ。わたしがシカの通り道をたどって湖へ向かい、尾根までやって来たのは、午後も遅い時間だった。そこでわたしはベリーの藪におおわれ、焼け枯れた木がそこここに立っている細く長い谷を見下ろした。うら寂しい荒れ地の極地のような場所だった。

 

 わたしのすぐ真下にシカが1匹いて、ガツガツと草を食べていた。藪からは尻のあたりが少し見えているだけだった。わたしはしばらく観察したのち、四つん這いになって、そのシカの方へ這っていった。どこまで近づけるか、何か新しい発見があるかと思ってのこと。しかし最初の動きで(それまでわたしは、尾根の上で古い切り株のように立っていた)、1匹の子ジカがわたしの姿に目をとめていたようで、突然藪の中から飛び出し、鋭い警告を発した。母ジカが頭をあげ、わかっているよとでもいうように、わたしの方をまっすぐに見つめた。すぐさま警戒心を見せることはなかった。母ジカの目はまっすぐにわたしの方を見ていた。「かあさんのうしろ、にばんめのいわのそばのみちにいる」 そう子ジカの鳴き声が告げていたとでもいうように。その後、母ジカはバネに弾かれたように、木の根っこや岩を超えて、山の反対側に向かって、荒い息を吐きながら跳んでいった。そして注意を怠らない子ジカを従えて、見事な跳躍で去っていった。

 

 危機を察知した母ジカの最初の鼻息で、彼女が立っていた近くの藪が揺れて、2番目の子ジカが飛び出てきた。わたしはすぐにわかった。無頓着な方の子だ。この子ジカは白旗に従わずにずっとやってきた。この子は戸惑い、驚き、キョトンとしていた。シカの通り道を間違った方向へ、わたしの方へと、ジャンプ二つで飛び込んできた。そして自分の目の前で、男がひざまづいて静かに自分を見ているのに気づいた。

 

 わたしを見てびっくりし、急停止すると、この子はからだを縮ませていった。子ジカは大きな切り株の方へとジリジリと寄っていき、木の根もとの間に隠れ、身じろぎもせず立っていた。トウヒの切り株のからみあう根っこに縁どられて、無垢と好奇心にあふれたその表情は絵のように美しかった。これは隠れて静かにしている、という一番目の学びだった。しかしこの子は2番目の教えを、それが最も必要になったとき、すっかり忘れてしまっていた。

 

 わたしと子ジカはたっぷり5分間ほど、瞬き一つせず、互いを見つめ合った。すると一番目の教えはどこかに行ってしまった。もう一度通り道に戻ると、わたしの方にきゃしゃな、たどたどしい足取りで2歩進み、左の前足で可愛らしく土を踏み鳴らした。この子はまだ幼い雄ジカで、何も学ぶことなく、足踏みのまねごとをしていた。これは大昔からの相手を向こうへ追いやる動作で、足踏みの音で相手を驚かせ、自分が誰か、何を目論んでいるかを示す脅しの行為なのだ。   

 

 ところがこの男は逃げようとはしなかった。子ジカはこの反応に恐れを感じ、道を走って後戻りした。山の反対側から、母ジカが呼んでいる声が聞こえた。しかしこの子は聞き入れなかった。自分でものごとを決めたかったのだ。子ジカはまた道に戻り、わたしの方を見つめてきた。わたしはハンカチを取り出し、やさしく振ってみせた。それに驚いて、子ジカは小走りで後戻りし、すぐに立ち止まると、またこちらを見て、ちっとも恐くなんかないと見せようと、小さな足を踏み鳴らした。

 

 「勇敢な子だ、きみが好きになったよ」 そうわたしは思った。優しい目と可愛らしい顔でそこに立ち、小さな足を踏み鳴らしているのを見て、わたしはすっかり心惹きつけられた。「しかし」とわたしは考えた。「尾根の向こうからクマかルーシーフィー(インディアンのヤマネコの呼び名)が覗いていたら、何が起きていたかな? 来月には、あー、自然の法則が働くだろうな。そしてこの森に妻や子たちを残してやって来るハンターたちがいる。そいつらを信じることはできない。わたしを信じなさい、おチビさん。おかあさんは正しい。ここに来る者たちを信じてはいけない」

 

 夜がすぐにやって来た。母ジカの呼び声はさらに心配げに、より執拗になって、暗くなった山の斜面をおおった。「もしかしたら」とわたしは、良心の呵責とともに考えた。「あの日、わたしはきみに間違ったことをしてしまったね、おチビさん、塩の味を、そしてこの森で出会った者を信用することを教えてしまった」 母なる自然は何かするとき、適正なやり方をもっているが、わたしたち人間が介入すると、それを犯してしまうことがある。「いや、ちがう! あの日倒れた丸太の下には2匹ともいたはずだ。そしてもう一方の子ジカは母親といっしょに逃げた。きみもそうするべきだった。あの子は考えついたことより、古くからある決まりの方が安全だと知っている。なかでもその考えついたことが、まだ幼い愚かな頭で考えられた場合には。きみは間違っているよ、おチビさん、そのあどけない好奇心も、わたしの心を捉えた小さな足を踏み鳴らすやり方も。つまり、わたしの責任だ。これからはもっと良いことを教えるようにしよう」

 

 そう考えて、わたしは大きな石をとりあげ、投げつけると石は斜面を飛び跳ね、転がってまっすぐ子ジカの方に向かっていった。一瞬のうちに、子ジカの空威張りは消えた。白旗をかかげ、斜面の丸太や岩を超えて走りさった。その近くでは、母ジカが子を探してあたりを走りまわっている音がしていた。そして母ジカは臭いで息子を見つけた。森の使いと風の伝令のおかげで、子ジカは危機を逃れることができた。

 

 目を見開き、耳を澄ませて荒野で数週間過ごす者は、そこが偶然や無秩序に支配されているのではなく、自然がもたらす法と秩序のまっただ中に自分がいることにすぐに気づく。ものごとの規則や秩序は、人間に馴染みある習慣などよりずっと古いものだ。馴染みあることではうまくことが進まない。

 

 薄暗がりの静けさの中をシカの通り道を追っていて、不安になった。わたしの不安と心配は増していった。最初に子ジカを見つけた場所から50メートルくらい離れたところに、倒木の丸太があり、そこでオオヤマネコの印を見つけた。たくさんの子ジカの毛と小さく砕かれた骨があり、彼がこの夜、ここで何を食べたかを告げていた。

 

 そのシカの通り道をずっと降りていったところは、動物たちが水を飲みにくる湖で、小さな流れがあった。この小川の流れ出るところ、岩の間に、深い池があり、そこには大きなマスが住んでいた。2週間ほどしたある夜のこと、朝食用に大きなマスを釣ってやろうと、わたしはそこにいた。

Photo by John Karwoski(CC BY-NC-ND 2.0)

 マスは賢い魚だった。昼にマスを獲るのは叶わなかった。彼らは本に載っているフライはすべて知っていた。新しいジェニー・リンドからマルハナバチまで、フライを水に投げ込む以前に察知した。そして本能と経験の両方によって、すべてニセモノだと完璧にわかっているように見えた(フライはジェニー蜂とマルハナ・リンドとも呼ばれることもある)。こういうことに加えて、水は温かく、マスは動きが鈍く、水面に上がってこようとしない。

 

 しかし夜には、状況が変わった。マスの何匹かは深い池を離れて、浅い岸辺の方へとやって来る。何かおいしいものを闇が運んでくるかもしれない、と。夜に出る虫や甲高い声で鳴くカエル、眠たげな雑魚などが。そして浜に火をたいて、焚き火の明かりの向こうに白い羽のフライを投げれば、大きなマスが獲れることもある。

 

 マスが現れようと現れまいと、いつでもこれは心奪われるスポーツだった。待つばかりでも、1時間後にその瞬間がきたら、釣り人は耳をつかい頭をクリアーにし、素早く力強く魚を引き上げなければならない。この間、釣り人は魚の方を見ようとしないが、マスがフライを旋回させるときには、糸を引く激しい音を耳にする。それ以外のときは、反応して糸を引くと、フライだけ戻ってきたり、水中の沈み木にからまってしまったりする。そして湖のずっと向こう、焚き火の灯りが闇に溶けるあたりに、鋭い波のくさびが走っていくのを見るだろう。それが告げているのは、マスだと思ったものはニオイネズミだったということ。音もなく泳ぎ去りながら、ニオイネズミは火のそばにいるわたしを見て、尻尾を強く水面に打ちつけて、こちらをびっくりさせる。それがニオイネズミの夜のやり方だ。そうやってそこにいる変なやつは何者か、何をしているのかを知ろうとするのだ。

 

 この間ずっと、釣りをしている間、深い闇つつまれた森がわたしを取り囲み、沈黙して、耳を澄ませている。空気が湿り気を帯び、夜にしか嗅ぐことのできない匂いがあたりに立ち込める。奇妙な鳴き声、叫び声、キーキーいう音、斜面を走るカサコソという音、水中から沸き上がる何か、あるいは頭の上から落ちてくるもの、こんな時間にいったい森の住人の誰が徘徊し、何をしようとしているのか、と不思議に思わせられる。だからたとえびくが空っぽのままであったとしても、昼だけでなく夜に釣りをするのは、心も頭も満足して家に帰れるからいいことだ。