ウィリアム・J・ロング著 「森で、子ジカたちと」 だいこくかずえ訳

子ジカたちが知っておくべきこと II

小枝を踏む音は、森を歩く者にとっての大きな指針となる。面白いことだが、足元で小枝を踏んで、警告を発する動物は他に二つとない。クマが足元で鳴らす音は、獲物を追っているときを除けば、ドスドスと無頓着なものだ。ムースのひづめは小枝を押しつぶすが、何かを伝える前に音を詰まらせる。森の道を歩くシカの場合、足元で小枝が声をあげるとき、その音は小さく鋭く鳴り、警告となる。湖にポツンと落ちる雨音のようだ。いまわたしたちの後ろで鳴った音は、間違いようがない。子ジカたちの母親が戻ってきたのだ。(前回「子ジカたちが知っておくべきこと I」より)

 母ジカを驚かせたくはなかったし、それによって子ジカたちの信頼を失うのも嫌だった。だからわたしは急いで彼らの巣に戻った。小さな子ジカたちはわたしについてきた。その途上、再度小枝が鋭く鳴らされた。藪の中で素早く動く音がした。母ジカは自分たちの住処である丸太を見て、低い声をあげながら飛び出してきた。わたしを目にすると、からだを大きく震わせて急停止した。自分の敵が子ジカたちを両脇にたずさえ、その無垢な首の上に手を置いている。それを見て、母ジカの目は恐れに満ち、人が誰かを糾弾するときのように、耳を前に突き出した。母ジカはジャンプしようとからだを後ろにそらしたが、足はその場にしっかりとどめていた。わたしの方に目を据えながら、ゆっくりとからだを後方に引いた。そして危険な臭いを鼻で感じとると、また後ろに身を引いた。しかし足はその場にとどめていた。母ジカは動くことができなかった。どうすべきか確信がもてなかった。わたしが静かにその場にとどまって、目で親しみの感情を精一杯送ろうとしたとき、激しい警戒の鳴き声、シカの危険を伝える鳴き声、カァーーー、カァーーーを発した。森を突き抜けるトランペットの炸裂のような激しさだった。母ジカは後ろに跳んで逃げた。

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Photo by Neil DeMaster(CC BY-NC-ND 2.0)

 その音にチビたちはつつかれたように飛び上がり、背後の草むらの中に頭を突っ込んだ。そしてその見知らぬ場所におののいた。森を震撼させる母ジカの激しい鳴き声が、子ジカたちをわけのわからない不安に陥らせた。少しして子ジカたちはこちらに戻ると、わたしのところに身を寄せ、手で優しくからだを撫でてやると落ち着きを取り戻した。

 

 わたしと子ジカのまわりでは、見えないところで、恐怖に捉えられた母ジカが何度も声をあげながら走りまわっていた。母ジカは頭を出して、恐怖をたたえた目でこちらを見たと思ったら、白旗*をかかげて後ろに戻り、子ジカたちにこちらに来るように道を示した。しかし子ジカたちは最初の警告を聞き入れなかった。子ジカたちは変化を感じていた。耳を不安でピクピクさせ、わたしに問いかける目は、未知の恐怖に満ちていた(まだ距離を素早く計り、母親がいる場所を見つけられるまでになっていなかった)。母親の警告を受けてもまだ、子ジカたちはわたしに対する親しみを失っていなかった。猟犬に追われ、猟銃で狙われたことのある母ジカにとって、これは未知のことだった。子ジカたちはその場にとどまった。母ジカの賢さを超える、深い分別によって、自分たちは安全だと知っていた。

*白旗:オジロジカの尾の裏側は真っ白な毛で覆われており、危険を察知して逃げるときなど、尾を持ち上げ、暗い森の中で目印として後につづくものに通るべき道を示す。

 

 わたしはゆっくりと子ジカたちを隠れ場所に導いた。わたしの手の最後のひとなめをさせ、アメリカツガの覆いの下へと優しく背を押した。子ジカたちがまた出てこようとすると、わたしは押し戻した。「そこにいなさい。かあさんのいうことをきくんだ。そこにいて、かあさんのいうとおりにしなさい」 そうささやいた。今日に至るまで、彼らは理解したと半ば信じている。言葉ではなく、その裏にある気持ちを理解したと。しばらくすると子ジカたちは静かになり、大きく目を見開いて、問いかけるように外を見た。

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Photo by Mark Moschell(CC BY-NC 2.0)

 わたしは視界から消え、倒木を飛び越え、彼らが出てきても臭いが残らないよう、小川をわたり、藪の中へ入っていった。音の届かないところまで来ると、2、3メートル先の開けたところに向かった。そこは焼け野で、枯れた白い幹が大きな森の緑の中に点在する場所だった。わたしはそこを登っていって、子ジカたちが隠れている倒木が見える位置を探した。

 

 激しい警告の鳴き声はやんでいた。森は静寂を取り戻していた。藪の中で動きがあり、母ジカが小川の向こう側に姿を現したのが見えた。じっと立ってまわりを見、耳を澄ませていた。そして優しい声で鳴いた。アメリカツガの覆いが開いて、子ジカたちが出てきた。それを見て、母ジカは前に飛び出した。美しいからだの線に喜びがあふれ、子ジカたちの方へ走った。頭を下げ、敏感な鼻を子ジカたちのからだに滑らせ、耳にさわり、からだの両脇をさぐり、また背中へと戻した。自分の子どもに間違いないと、どこも怪我していないことを何度も確かめた。その間、子ジカたちはちょっと前にわたしにしていたのと同じように、母ジカにからだを預けていた。そして頭を上げると、母ジカの脇腹に鼻を寄せて、どういうことなのか、なぜ母ジカは逃げていったのか、子ジカたちの小さな頭で問いかけた。

 

 母ジカは藪のところから人間の臭いがするのを感じると、次の危険がやってくる前に、子ジカたちが従わなかった二番めの教えを徹底して伝える必要を感じた。母ジカは大きく脇に飛び出すと、激しくカアーーーー、カアーーーーの声を森に響かせた。尻尾をピンと持ち上げ、白旗を灯台の灯りのようにかかげて跳んでいった。その後ろで、子ジカたちはびっくりし、新たな不安にふるえて立っていた。すると子ジカたちも白旗をかかげ、細い足をグラつかせながら、うっそうとしたでこぼこの森の道を、元気いっぱいに自分たちのリーダーのあとを追った。そして隠れ場所から見ていたわたしは、子ジカたちはもう自分のものではないという残念な思いが胸をよぎり、それはあとを引いた。わたしはただ、藪があちこちで揺れて、光る白旗が出たり入ったりするのを見ているしかなかった。そうやってシカの親子は丘を登り、視界から消えていった。

 

 一番目の教え:じっと静かにしていること。二番目の教え:白旗に従うこと。大きな森で生きて、成長していくために知る必要のある二つのこと。次にわたしがこの子ジカたちに出会ったときは、母ジカが警告を発してこの教えを思い出させる必要はなかった。