ウィリアム・J・ロング著 「森で、子ジカたちと」 だいこくかずえ訳

子ジカたちが知っておくべきこと I

 完璧に姿を隠し誰の目にもとまらないものを、わたしがどうやって見つけられたのか、未だに理解できないでいる。

 

 わたしは小川の歌にさそわれて、大きな森のずっと奥にある深い渓谷までやって来ていた。巨大な倒木がわたしの行く手をさえぎり、流れに橋をかけていた。この橋はいまや、小川を渡るためのものだった。森の住人たちも皆ここを渡っているだろう。どんな動物たちが住んでいるのか、小さな足がどのようにこの王様のハイウェイを通っていくのか、見てやろうと思って苔むした倒木の上にこしかけた。

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Photo by Andrey Zharkikh(CC BY 2.0)

 わたしのかたわらにあるカビにおおわれた木の皮には爪痕がある。こんな強くて深い爪跡を残すのはクマ以外にない。ほら、やっぱりそうだ! クマの体重で苔がはげ落ちているのがわかる。歩きまわる足跡はムーウィーン(インディアンがつかうクマの呼び名)のもの。まったりした気分は冬のためにとっておき、夏の日には、丘から丘へ60キロも歩きまわって足跡を残す。

 

 小川の向こう側には、緑に輝くトウヒの松かさのくずが散らばっている。リスのしわざだ。ムーウィーンがやって来たときに、あわててミーコ(インディアンがつかうリスの呼び名)が黄色いエプロンから払ったみたいな散らばりようだ。さらに向こうには、ミンクの印がある。チェーオクヘス(インディアンがつかうミンクの呼び名)が朝ごはんのカエルを食べたあと、そこにすわって休んだのは、火を見るより明らかだ。

 

 わたしが足を流れの上でブラブラさせていると、倒木についた黄色いカサカサした毛がひじについた。インディアンのシモーが呼ぶところのエリーモス(小狡いキツネ)が、足を水につけたくなくて、仲間のキツネがしているように、この倒木か石をつたって小川をわたっていったのだろう。

 わたしのちょうど目の前に、もう一本倒木があり、流れにそって倒れている。辺りをうろつくミンクより危険な動物が、この倒木を使うことは考えにくい。倒木の根っこの下、小川の反対側に、隠れた小さな住処があった。入り口はアメリカツガの枝がななめにおおいかぶさっていて、目隠しになっている。「巣にはもってこいの場所だな」とわたしは思った。「誰にも見つからずにすむだろう」 するとわたしに異議をとなえるように、ちらちらと太陽が光をそこにそそぎ、倒木の根っこの下のところで、光と影をつくって踊っていた。光が茶色いところに落ち、白と黄色のまだら模様をつくっているのを見て、「なんてきれいなんだ」とわたしは声をあげた。太陽光線がそれたあとも、その明るい輝きは残っていた。金茶色のものが根っこの下にとどまり、白と黄色の斑点も消えずにそこにあった。近くでよく見ようと、わたしは屈みこんだ。

 

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Photo by Deb Watson(CC BY-NC 2.0)

 手を伸ばすと、その茶色の箇所が、突然やわらかな毛並みにかわった。白と黄色に輝いていたのは、2匹の子ジカの斑点だったのだ。子ジカはその場にじっと寝そべったまま、驚いていた。そこは母さんジカが外に出ている間、子ジカを隠していた場所だった。

 わたしが見つけたとき、2匹の子ジカは生まれて2、3日目くらいだった。どちらもからだに斑点模様があった。子ジカたちは魔法のマントをまとっていたのだろう。それがあれば、どこにいても見えない存在になれる。木漏れ日がつくる光と影のダンスが、小さな子ジカたちを完璧に隠していた。彼らがじっとしていれば、からだの上で太陽光線が踊り、格好の模様となる。子ジカたちの美しい頭部は、画家がスケッチするに値する。繊細で、優美、見事な色合いだ。そして大きく見開いた優しい目は、こちらを見て、無垢に問いかけてくる。その視線はまっすぐにわたしの心に届き、この美しい生きものはわたしのものだ、と言いたくなった。この森で、このような幼い子ジカの顔ほど、人の心を虜にするものはない。

 

 子ジカたちは最初は臆病で、身を寄せ合い、まったく動かなかった。母親が戻るまで、じっとそこにいること。この世界に生まれたすべての生きものがもつ最も大事な本能、親に従うこと、子ジカたちはそれに従っていた。だからアメリカツガの枝が払われて、わたしの目が彼らを捉え、わたしの手が彼らに触れたあとも、子ジカたちは頭を地面におしつけ、自分たちは地面の一部であるかのように、明るい毛並みの斑点は夏の日差しによるものであるかのように、静止していた。

 

 わたしは自分が侵入者だと感じた。すぐに子ジカたちをこの場に置いて、去るべきだった。しかし気持ちよさそうな巣の中で横たわる小さな2匹は、あまりに美しかった。そしていたずらっ子が「いないいないばあ」をするように、わたしの方に顔を向けたとき、恐れと驚きと問いが優しい目の中で踊っていた。近寄って、見て、触り、自分のものにすることなしにはいられない。こんな美しいものは他にない、人間に対する贈りものだ。わたしが侵入者だったとしても、ここにいるのはめったに見ることのできない美しいものだ。わたしはその場を離れることができなかった。

 

 小さな野生の生きものに触れた手は、危険を感じさせるものではなかった。その手はビロードのような耳のうしろにある箇所を探り当てた。そこはシカが撫でられるのが好きな場所だ。手はじょじょに子ジカの背中の方へと降りていった。そして湿った鼻先のところで手のひらを丸め、かすかな手の塩っけで、子ジカの舌を誘った。すると突然、子ジカたちが頭を突き出した。隠れん坊はこれでおしまい。子ジカたちは、一番目の教え、隠れていることを忘れてしまった。彼らはこちらを向くと、その大きな無垢な目を見開いて、問いかけてきた。なんという喜び。ああ、もうだめだ。こんな風に一度でも見つめられたら、必要とあらば、この小さな命を守るため、自分の命さえ捨てるかもしれない。

 

 満足いくまで子ジカたちを撫でて、わたしがやっと立ち上がると、細い足をグラつかせながら、子ジカたちが巣から出てきた。母ジカは家から出るなと言っていたはず。ところが別の大きな生きものがここにいて、その生きものは信用してもよさそうだった。「神様がくれた贈りものをいただくだけ」と小さな頭で考えたかもしれない。わたしの手をなめて味わったものは、未知のおいしさだった。わたしが背を見せると、子ジカたちは行かないでと悲しげな声をあげ、わたしのあとを追ってきた。立ち止まると、子ジカたちはわたしの両脇に身を擦り寄せてきた。そしてもう一度なでてほしいと、頭を持ち上げた。

 

 外に出て初めて見るこの世界は、好奇心のかたまりの子ジカたちにとって、完璧な学習の場となった。子ジカたちは耳をピクピクと敏感に動かし、すべての音を捉えようとしていた。葉っぱのカサコソいう音、小枝の折れる音、枝が流れをとめると大きくなる小川の歌、すべてに子ジカたちは耳を澄ませた。まわりで起きていることに、目が、耳が、鼻が反応し、問いを発していた。それから子ジカたちは、目をわたしの方にゆっくりと向けた。

 

なんてすばらしいせかいなの。このおおきなもりはおんがくでいっぱい。

わたしたちはなにもしらないこじか。どうぞおしえてください。

 

わたしの方に顔を向けた美しい目は、そう語っていた。生きる喜びにあふれ、無邪気さと輝きに満ちていた。優しく両方の手を子ジカたちそれぞれの柔らかな首に置くと、耳元から湿った鼻先のところまでゆっくり降ろしていった。すると森の不思議と素晴らしい音楽は、子ジカたちの心からまたたく間に消えさった。子ジカたちの目から、問いかけが消えた。さっき味わった懐かしい味、手の中に秘められた素晴らしい味。舌を突き出し、わたしの手のひらをなめたいという新たな興奮に、不思議な森の音は忘れ去られた。背後でかすかな枝を踏む音がしたとき、子ジカたちはわたしに身を寄せ、わたしの手のひらをなめつづけていた。

 

小枝を踏む音は、森を歩く者にとっての大きな指針となる。面白いことだが、足元で小枝を踏んで、警告を発する動物は他に二つとない。クマが足元で鳴らす音は、獲物を追っているときを除けば、ドスドスと無頓着なものだ。ムースのひづめは小枝を押しつぶすが、何かを伝える前に音を詰まらせる。森の道を歩くシカの場合、足元で小枝が声をあげるとき、その音は小さく鋭く鳴り、警告となる。湖にポツンと落ちる雨音のようだ。いまわたしたちの後ろで鳴った音は、間違いようがない。子ジカたちの母親が戻ってきたのだ。