DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第39章

『良心の呵責』

いくつかの秘密は
墓までもっていく
いくつかは告白し
勇気があればだが
そしてぼくは
とても残念だ
あのことについては

 

 出ておいで、出ておいで、どこにいるにしろ。ここに小さな記憶がある、、、。さあ出てくるんだ。さあここに出ておいで。もうきみの姿が見えてるよ、、、、。
 あー、セミコロン、マイラブ。痛い記憶というのは、深いところに埋められてしまうことがある。他の人に話したいと思っても、拒否される。隠したままにして、秘密にして、スーダンの苦境みたいに明かされない。オレンジボールで行われるサッカーの試合のラテン系の人みたいに、たまに出てくることもある。それ以外のときには、議会聴聞会の真相のようにしっかりと隠れている。しかしこういうものはある時点で外に出てくるはずだ。それは確かだ。忍耐こそすべて、とあの長生きしたボブおじさんはよく言っていた。
 さてと、これでフリーダおばさん、ボブおじさん、殴打へと話は流れる。
 以下は彼らについてのちょっとしたこと。
 

フリーダおばさん

 フリーダおばさんは本当のおばさんではなかったけれど、おじさんが同棲している人のことを何々おばさんと呼んでいた。そしてフリーダおばさんは30代初めの頃、ボブおじさんの一番長い同棲相手になって、ぼくらの親戚の一員と見なされていた。フリーダおばさんはただ太っているだけでなく、ぷくぷく膨らんでいた。ずっしりと重くもあった。もしおばさんが月にいて、ぼくが地球にいたなら、ぼくらはほぼ同じ重さになるんじゃないか。ぼくはただ座って、おばさんをじっと見ていることがあった。フリーダおばさんはじっと見ているに足る、印象的な女性だった。ときに自分がおばさんの息に同調しているのに気づいた。人があのように太っている場合、一息一息からだが空気を取り入れているのが伝わってくるからだ。でもぼくはおばさんがとても好きだったし、ぼくによく話をしてくれた。
 おばさんは主婦だった。夫がいなくても、妻とか主婦ということはできる。おじさんがおばさんと結婚しようとはなかった、というのは明らかな事実。でもすぐにそれ以上のものになった。
 フリーダおばさんは可愛いというタイプじゃない。
 フリーダおばさんは、巨大なからだのうしろに誰か隠れてはいないかと、いつもまわりを見まわしていた。脅かされるのが嫌いなのだ。
 おばさんは不妊症だった。ある種のマンゴーの木は実を結ばないし、ある種の人々の脳はアイディアを生み出すことがない。ある種の女の人の子宮は、泣きわめく小さな物体をもたらそうとしない。少なくとも、ボブおじさんが言うには、おばさんは不妊症だった。知られているように、ロバというのは鳴きわめき、走り、重い荷を運び、荷車を引き、とたくさんのことをする。しかしロバは鍋を火の上に置いて、自分で料理することはない。ロバがそこで料理のことを考えていたとしても(ロバが何を考えてるかなんて誰にもわからない)、そのことに変わりはない。ロバには料理はできない。そこに問題はない、皆は彼をロバと呼ぶ。フリーダおばさんに子どもはできない、とおじさんが言い、フリーダと呼ぶかわりに、おじさんは子無しと呼んでいた。そしておばさんは読み書きができない、と言って、フリーダと呼ぶかわりにアホと呼んでいた。こんな風におじさんが呼べば呼ぶほど、おばさんは自分への自信ををなくしていったように見えた。そして失った自尊心は、その分脂肪としてからだに蓄えられた。

 

ボブおじさん

 

 ボブおじさんのことはすでに少し話したと思う。長生きしたじいさんだ。おじさんはがたいが大きいわけでなく、実際のところ男として、北米のホテルでつくられたまずいラムパンチみたいだった。たえまなく屁をこき、げっぷをし、腹をさすっていた。ずんぐりむっくりだった。鼻の毛、耳の毛が、帝国への野望をあらわにしながら、ゆっくりと不気味に顔面に侵入してきていた。しぐさも外見も、類人猿に近かった。つまり、無神論者が、長生きのボブおじさんを指して、キリスト教徒に「この男があなた方の神のつくろうとしたものなのか?」と訊けば、優勢に立てる。
 片思い:おじさんはお金がもう好きでたまらなかったけど、お金の方はおじさんと関わりなど持ちたくなかった。
 もしおじさんに子どもがいたら、いっしょに学校まで歩いていきたくはなかっただろうということを、ここで強調しておきたい。そんな風だから、若くて健やかで、魅力ある女性を見つけるのは、おじさんにとって簡単ではない、ということも想像できるだろう。ゆえにおじさんは、手に入るもので我慢した。太っていて、自尊心の低い女たちだ。
 


二人を並べる

 この二人に関係する宇宙の真理がある。(金、魅力、容貌、力を)持てる男に対して、女は小さな存在になる(裏切られたり、なめられたりする)ことをぼくらは知っている。同様に、ほとんど何も持たない男に対しては、女が虐待することがある。偉大な哲学者たちが、民主主義というのは、普通の財力をもつ普通の人々による一定の中間層によって支えられる、と熱心に論じる理由はここにある。それは極端なものしかない状況下では、ものごとは分裂するからだ。そしてここに、二つの極端がともに住む。結果は野蛮なことになる。もう一つの宇宙の真理がそれはなぜなのかの理解を助けるだろう。ぼくらがもつ寛容さとか理解力といった良きものは、その人の限界を広げることがあるが、残酷さのような悪いものは、そうはならない。そういうわけで、おじさんのぶっ叩きと残酷さには終わりがない。
 それでときどき喧嘩がはじまる。おばさんはやたら大声を出しまくる。おじさんは、おばさんの顔の裂け目から漏れてくる空気を見ている。そしてすべて吐き出され、夜がやって来て、ぼくらが家に寝に帰ると、ぶっ叩きがはじまる。
 おばさんの叫び声を聞いてごらん。ピシッ、ピシッ、ピシッ。おばさんのすすり泣きを聞いてみて。シク、シク、シク。
 くる夜もくる夜も。ぼくら男子は、なんでおばさんがおじさんを抑えつけないのか、おじさんを苦痛から解放しないのか、なんで自分の巨大なからだがあるのに、おじさんに何一つ抵抗せず、打たれるままにされているのか、不思議だった。
 そして二人が最後の喧嘩をする日がやって来た。その争いの最中に、おばさんは、自分は不妊症ではないと主張した。静寂。どういうことだ?
 そのとおり。彼女は不妊症じゃなかった。おじさんの方だった。
 何かそこで言われた言葉をぼくは捉えた。皆もそれを聞いた。「屁みたいなファックしやがって」 翻訳すると「ファックするよりファックしない方がまし、あんたのファックは屁みたいなものだった」
 おじさんは「1分男」だったと言った。静寂。当惑。驚嘆。
 おじさんはタネなしだったと言った(あとでこれは確認された)。
 おじさんは夜が来るのを待たなかった。
 その日おばさんがここを出ていくとき、自分で荷物を運び出したが、その方が誰かにそれを運ばせるより、ずっと痛みは少なかった。おばさんは自分で歩いて出ていったが、その方が誰かに送らせるより、ずっと痛みは少なかった。そしてぼくら皆に、さよならを言うことはできただろうが、出てくる言葉を考えれば口の開きようがなかった。
 ぼくがこの出来事を話すのは、別のもっと大きな出来事と関係があると思ってるからだ。ミリセントとぼくらが全く予期してなかったこととの関係。それについて書いたものがこれ。

 

 

『全く予期してなかったこと』

子どものロバートは、母親の子宮から、見た目、普通の子となんら変わりなく生まれてきた。くすぐられれば笑ったし、宙に投げられればキャーと叫んだし、適度な間合いで布おむつを濡らした。子ども時代の何年間かは、普通の少年のように暮らしていた。鳥を撃ち落したり、ニワトリを追いかけたり、友だちを川に突き落としたり、女の子たちとお医者さんごっこをしたり、マンゴーを食べたり、スパイシーなジャークチキンや、カニのカレーや綿菓子、年上のいとこのふっくらしたクーチーといったご馳走を目にすれば、気絶するふりをした。いちばん最後のやつには騒々しく笑いこけもした。元気いっぱいで健康で、笑いもいっぱい、いたずらもいっぱい、お腹の虫もいっぱいだった。昔人間たちが言うには、普通じゃないところなどなかった。ぼくはまだ生まれてなかったから、もちろん何一つ確証はなく、ロバートの子ども時代のことは、人伝えに聞いたことではあったのだけど。

 

あざはロバートが13歳のとき、ペニスに現われた。昔人間たちが言うことにはそうだった。ぼくはそこにいなかったし、ブツを個人的に見たこともなかった。でも13歳のときに現われたということは、昔人間たち皆がよく覚えていることだった。揚げた豚のしっぽを食べ、塩一つまみ入れた濃いコーヒーを飲むばあちゃんのそばに座って、話に耳を傾ければ、あざはファージング(直径約2cmのイギリスの旧硬貨)くらいの大きさだったと言うだろう。ばあちゃんは今も、植民地だったときの硬貨のことをよく持ち出すのだ。ばあちゃんはぼくらの国が独立には相応しくないと思っていて、ぼくらに起きたことは最悪のことと見ていた。

 

ジェレミアおじさんはもっとモダンだったので(ばあちゃんと同じく読み書きはできないが)、アメリカの5セント硬貨以上だったとあざのことを話した。おじさんは入植者がアメリカ人になったことに、特に不満はなかった。いずれにしても、ばあちゃんもおじさんも、だいたい同じくらいの大きさを示した。昔人間たちはまた、あざのことを、ピンクっぽい新しい皮膚のようだったと言った。

 

皆はそれを見たときがいつだったか覚えていた。そして全員がそれを見た。なぜならロバートはおじさんの一人に連れてこられて、年寄りたちがずらりといるところで、一人一人に診断されたからだ。ロバートは自分の不安を鎮めてくれないかと期待した。しかしそれが「あれ」であるのは間違いなかった。

 

誰もがわかっていたけれど、そのことを母親に話す者はいなかった。ロバートの母親はすでに大変な人生に耐えてきた、と皆は言っていた。彼女の意見は何であれ、自分の男(ロバートの父親)が生きていたときは、その手ですべてはたき落とされていた。それで彼女は、生まれもった能力をつかわず、自分の人生を何一つ実現できなかった後悔とともに、『主人(神)』の元についに帰ることになった気の毒な者として、哀れみをかっていた。皆はそこからまた17年かそこいら、料理したり掃除したり洗濯したりの生活があると思っていた。そして村の誰もが、自分たちに明らかに見えることが、彼女の残りの日々を苦しめたりしないことを望んでいた。

 

それは見間違いようがなかった。邪悪なことが村にやって来たのだ。それはロバート少年の一部屋を、ベッド一つ、椅子一つ、シーツ一枚、窓一つの家を選んだ。そして日が暮れるのを待った。13歳の少年が眠りにつくのを待って、ベッドに忍び込んだ。そしてその肉をあじわった。あざはそこにあり、何が起きたのか、あるいは何がこれから起きるのかは明らかだった。

 

1978年までに、すでに症状は顔に現われていた。「異常な」「変な」という表現は、選挙じゃない時期に自分の地区にやってくる政治家を描写するのにふさわしい言葉だ。しかしミスター・ロバート・ラブレイスが座って、ぼくら子どもが遊んでいるのを毎日見ているときの顔つきを表す言葉はなかった。ヒゲは伸び放題、髪はボサボサ、風呂に入らず、弁護士の屁と同じくらいひどく臭かった。いつも火のついていないマリファナを、口の端から胎児の手が突き出ているみたいにくわえてそこにいた。また髪の中では何かが育っていて、人に話しかけられるくらい成熟し、近づけばこっちに手をかけてくるだろう、とぼくらは確信していた。

 

1985年にそれは始まった。昔人間たちは、先祖が奴隷から解放されて以来、一番辛い日々だったと言った。財務省からの発表によれば、国は大変な不景気に陥っていた。ぼくらの村ではマンゴーだけでなく、娼婦も半値で叩き売られた。実際、一番生産的な1日の時間が、糞をするときだった。そのときだけ、自分の労働の実りを目にすることができた。でも当時ぼくらはまだ子どもだった。1日は長く、川はひんやりして、木になる実はすべてぼくらのもの。そして人生で一番の甘くおいしいものは、イーストインディアン・マンゴーか女の子の胸だった。

 

ミリセントは1985年にまだ9歳だった。彼女も目立つ印をもっていた。でもミリセントの場合は、悪魔のせいではなく、人間のせいだった。ぼくらが庭でクリケットをやっていたとき、それを見ていて片目をなくした。ぼくはそこにいて、起きたことを見ていた。固いクリケットのボールが勢いよく飛んで、ミリセントの鼻の右側の柔らかな組織に当たった。当時、このような出来事は悲しむべきことだったが、大層な悲劇とは言えなかった。誰も、ミリセントが(あるいはぼくらの誰であれ)、将来医学や法律の学校に入るのに両目が必要になるなどと、想像もしなかった。彼女が視力を失ってから3ヶ月後に論争の中心になったのは、あのとき起きたことを、ミリセントが両目で見えていたかどうかだった。

 

それが起きた日、ミリセントは古いリーボックのスニーカーを履いて(海外の親戚が送ってきた)、ひまわりのワンピースを着、アフリカ大陸を両耳につけていた。80年代初頭、ブラックパワーと「アフリカ回帰」がミリセントのかあさんにとって重要だったころ、娘につけたイヤリングだった。

 

ぼくら男の子たちはその日、そこで遊んでいた。ドミノをしたり、サトウキビを食べたり、中国の外交政策には影響しない問題を議論したりしていた。草むらから突然、マーティンが出てきて、路地を通ってまっすぐぼくらのいる庭まで、大声をあげながらやって来た。注目を集めようとしているのでも、最新のニュースを伝えようというのではないことが一目でわかった。ちょっとした日々の刺激的なニュースは、大人たちから最初に聞きかじった者によって、仲間が集まるグツグツ煮えたぎる鍋の中に投げ込まれた。マーティンは庭に走りこんできて、地面にバタリと倒れて(ペンテコステ派ではないが)、今でもぼくの血を凍らせるような叫び声をあげた。ぼくらにはわかった、想像もつかないような、何か恐ろしいことが起きたと、ぼくら皆はわかっていた。

 

K.ラブレイスの短編小説(1995年)

 

 ぼくはここで本名をつかった。それはこれを書いたときには、誰もがその出来事を知っていたからだ。
 それは(ぼくにとって邪悪な)木曜日ではなかった。土曜日だった。正確には土曜の夕方だった。ミリセントはそのときまだ片目があって、それは見えていたと思う。彼女は人生の多くをよく見えないままに暮らしたからだ。前にも書いたように、ぼくの両親は子どもたちに朝晩、ちょっとしたものを買いに店にやった。朝食には、卵二つ、パン4分の1斤、料理油半カップ、タバコ2箱。誰かれから砂糖を少し借りる。夕飯には、鶏の背肉900グラム、小麦粉450グラム、トマト二つ、タバコ2箱。レモネードをつくるのに氷を誰かから借りる。そしてもちろん、草むらを通って近道してはいけないと警告をうける。「近道は血を呼ぶ」からだ。草むらにはブラックハートマンがいて、ぼくらを捕まえ、心臓を切り出すからだ。
 この話を長々とすることはできる。家々の色、木々の葉、歩いているとき目にしたものを描写して。しかしそのどれも、起きたこととは何の関係もない。だから長くも話せるものを、短くして書くことにする。
 それは夕方もう遅い時間で、ぼくらは遊びをやめていたけど、ボブおじさんは(ぼくらが遊ぶのを見ていた)家の前にまだ座っていた。それから30分くらいして、ミリセントのママが、夕飯の材料を買いにミリセントを店にやった。それから少しして、ぼくのママが兄さんを同じ店に、同じ目的でやった。後でわかったのは、兄さんは近道の茂みの中を通っていったということ。兄さんは自分は大きいし、それほど怖くないのでそうした。その途中で兄さんは、くぐもった泣き声を耳にした。それで踏み固められた道を離れ、何が起きたのか見に、草むらに入っていった。
 あの頃、ぼくらの暮らしは単純なものだった。草むらや茂みは楽しみの源だった。昼の間、友だちと一緒であれば、愉快で楽しい遊び場となった。鳥をつかまえたり、マンゴーを採ったり、団子や鶏の背肉を料理したり。素朴な時代だった。車を見ることもあまりなく、電話もなく、テレビが1台、コンピューターはなし、冷蔵庫も、電気も、水道の水もなかった。生活も単純な行為で成り立っていた。畑に出て仕事をし、収穫したものを市場にもっていって売った。夕方5時には家に帰り、8時には眠りについた。1着だけ外出着をもち、それは主に教会に行くための服だった。学校の制服も1着、週の間に何回か洗濯をした。1部屋に家族みんなで住んでいた。1揃いの歯で一生過ごした(インプラントも、ブリッジもポーセリンも、ベニアもかぶせ物も差し歯もなかった)。またこの沈下地区から出ていく希望を一つ、胸に抱いていた。アメリカのビザ、それに宝くじを当てるという人生の夢。
 草むらは鳥を、蚊を、薬草を、名もない果物を、知らない脇道を、大きなトカゲを、子ども時代の魔法を擁していた。そこは刈り込まれて公園にされたり、道にならされたり、遊び場がつくられたりすることはなかった。さっきも言ったように、アメリカからファーストフード店が雨後の筍のように出てくる前は、何もない素朴な生活だった。草むらはただ、草むらだった。
 あの時代は、誰も自然に、あるいは事故で死ぬことはなかった。その理由は簡単。邪悪な霊の仕業で死ぬからだ。それは死んだ人から妬みや恨みをかった人にもたらされるものだった。病気というのは医学的なものではなかった。ぼくのおばさんは「悪い心臓」もちだったが、それは冠動脈疾患ではなく、天国で自分の番号が呼ばれて、ただ「死に落ちていった」だけだった。「重度の心臓機能不全」ではなかった。脇腹の鋭い痛みが2、3日つづくのは、盲腸炎とは見られず、からだの中の「悪いガス」を取り除くため、熱いお茶を親戚の者が差し出す理由となった。ぼくのじいちゃんの頭は、おかしなことばかり考え出していた。誰も老人ボケとは思わなかった。「役立たず」になった男は(今は不能と言う)改善するためのバイアグラを知らず、たくさんの恥を負った。巨大なペニスときつきつのマンコ礼賛の我らが国では、そういう人間は行き場を失った。
 あのような素朴な時代には、素朴な人々は素朴な道を歩んだ。人は生まれ、頑丈に育ち、畑で働き、お金をもっている人だけ治せる病気にかかり、死に、自分の魂にふさわしい場所に埋められる。
 そしてそこに生きる人々そのものは:
 知的興味のレベル:いったい何について?!
 ものの見方:新しい考えは追い出す、古い考えこそ仲間!
 認識のレベル:こう言うことは可能「あいつらは馬と象の区別はつく」、でもこうは言えない。「当然ながら、あいつらは馬と象の区別はつく」。この二つは非常に違うことなのだ。
 教育に対する見方:絵に描いたもち、レーダー、ジャイロスコープ、馬の糞
 ぼくらは草むらの部族だった。 
 いいかい、セミコロン、草むらの中でたくさんのことが起こった。たとえとして、ちびのティムのことを話そう。

 

やつらは鉈をもっていた! やつらは鋭いクソ鉈をもっていた! そしてやつらは口をきかなかった!

 

 その子の名前はティモシーだったけど、みんなはちびのティムと呼んでいた。その理由は、チャールズ・ディケンズの『クリスマスキャロル』の登場人物のせいではない。前にも話したと思うけど、ティムがでかいペニスをもっていたからだ。ぼくらにはちょっと変な習慣があって、その一つに、その人の特徴と反対のニックネームをつけるというのがある。身長196センチの親戚がいれば、その人は「ちび」と呼ばれるだろう。みんなが悪魔のように腐ってると思う人がいれば、その人は「神さま」として知れ渡る。だからこんな風に「おい、薄汚くてムカつく鼻つまみのハゲワシやろう、オマエここデなにしてやがんだ?」と言うときは、心温まる喜びにあふれた「あー大大大好きなおまえ、おまえにまた会えてどんだけ俺が嬉しいかわかんないだろうな」という挨拶の言葉を伝えてることになる。あらゆる点で相手を侮辱するようなこういう表現は、血筋と地縁を共有する、この同じ敷地に住む人間の口から、いとも簡単に流れ出す種類のものなのだ。そんなわけで、ティモシーはちびのティムになった。大人くらいのデカさをもつ少年だ。 
 ちびのティムはぼくのいとこだった。ここまでにぼくがいかにたくさんのいとこをもっているわかってるだろうから、きみは驚かないだろうね。
 皆は、ちびのティムがアフリカの王の家系か、強い戦士の子孫であることは確かだと思っていた。それは彼が傑出した祖先の印をすべてもっていたからだ。地獄のような黒さ、強さと荒々しさ、そして9歳にしては恐ろしいほどの大きさのちんちんのせいだ。
 そんなわけだから、この子どもは宿命として、皆のように外で遊ぶことをしなかった。他の子どもたちが雨の中、ぬかるみの中走りまわっていても、自分の部屋に引きこもり、喘息でぜいぜいとあえいでいた。小さな場所に、小さな家に、小さな部屋に、小さな未来に閉じ込められて、いつでも邪悪な霊がこの子を襲うことができた。そしてここにいるのは闘士(広大なアフリカのサバンナを肉をもとめて歩きまわる)の子孫。
 で、ちびのティムが治療を受ける必要があったことも自明のことだった。最初に、ティムの両親は科学の信ぴょう性を試した。現金と鶏で払える医者に助けをもとめたのだ。あるいは月極めで払える医者に。両親はどんな長い針の注射器であれ、ひどく苦い薬であれ、バカでかい丸薬であれ、治るものなら試そうとした。また両親はティムを「雨季の前半、ナイル川東岸に住むドブネズミの子どものライフスタイル」というテーマで博士論文を書いたに違いない「医者」にも連れていったと思う。いずれにしても、どれも全く効かなかった。まあそれはいい、科学の信ぴょう性を信じる人はあまりいなかったのだから。
 白人の科学を試してみたのなら、今度は黒人の科学を試してみる価値はあった。この全く違う世界への認知から生まれた科学は、大西洋を渡ってきた奴隷船に乗って、ぼくらの祖先たちによって持ち込まれた。
 ティムの両親は木や花の葉っぱや樹皮にある、神秘の力をつかって治療をはじめた。葉っぱや樹皮を一緒に煮たり、別々に煮たりした。どれも効き目はなかった。 
 つぎに両親はネズミを試した。ちびのティムを治すため、ぼくら子どもを兵士のように放って、ネズミ狩りをさせた。家賃や光熱費の支払いに晒されている汚い木の家に住む普通のネズミではない。そうではなくて、ラスタファリアンのように暮らす、純粋で汚れのないネズミだ。サトウキビ畑に住んでいるネズミだった。そこのネズミはこんな風にハッピーな顔をしている。

 このようなネズミでつくったスープしか、喘息の子どもを治す手立てはないという言い伝えがあった。これがちびのティムが何度も何度も飲まされたネズミのスープだ(どこかの上流社会に住んでいる人なら、子どもへの虐待だと思うかもしれない。でも覚えていてほしい、これは普通のネズミじゃない。汚れのないベジタリアンのネズミなのだ。それに、今では、よその国の人たちは、ネズミよりもっと胸くそ悪いものを食べているのを知っている)。
 残念ながらこのスープも効かなかった。聞いたところによると、子どもによって効くものが違うのだ。木の皮や葉っぱで、あるいはネズミで治った子どもがいないというわけではなかった。効いた子もいた。ちびのティムに効くものを見つけることが第一だった。ティムの中にはおそらくアフリカの戦士がいて、様々な治療実験に対して、何でも受けて立つ勇敢さがあった。
 それから両親はティムをオベアマンのところに連れていった。オベアマンの家は、誰でも見つけやすいように、家の前の敷地に長い棒の先につけた大きな赤い旗を掲げていた。オベアマンは庭で、大きなバケツにティムを入れて沐浴させた。皆の見てる前で。ぼくは年上のいとこから、からだにくっついている邪悪なものを洗い流すためだと聞かされた。ベイビーダピーやクーリーダピーのようなものが、ティムの首にしがみついていたり背中に乗っていたりするからだ。こうしてすべての悪運を洗い流す。それからティムは、オベアの小さな家の中に入って、儀式とお祈りのしるしになるもの(雄鶏を殺し、その生き血をヒキガエルの腸とネズミより気持ち悪いものと混ぜたもの)を授けられる。そしてこの混合物を飲む。これまでにちびのティムは、あらゆる葉っぱ、何やかやの混合物を飲んできたと思う。ティムのからだは内も外も澄みきっていた。それからちびのティムは、すでに飲んだ混合物の固形部分から作られた特別な魔よけを与えられた。それを生きている限り、あるいは生きようとしている間ずっと、毎日、毎時間、毎秒、手放さないよう言われた。この魔よけは、邪悪なものを追い出す力があるからだ。悪霊はとても早いのだ。もしティムが魔よけで守られていないと知れば、やつらは1秒もたたない内に、再びティムにとりつくだろう。そしてからだから息を吸いとる。そして喘息にさせる。
 オベアマンがちびのティムに飲ませたものは、あまり効果がなかったのは明らかで、1ヵ月の内に喘息は戻ってきた。とはいえ、オベアマンを薦める人たちは、今日に至っても、ちびのティムがその1ヵ月の間に、魔よけを手放したから喘息がぶり返したと見ている。たとえそれが1秒だったとしても。
 というわけで、彼らは鉈を手にしていた。きらめきを放つ鋭い鉈を持ち、口を閉じた。ボブおじさんが、その2、3日前に鉈を研いでいるところを見た。ぼくのおじさんたちは皆、よく鉈を研いでいたから、特別驚くことはなかった。ボブおじさんはいつもより長い時間かけて鉈を研いでいた。でもこれも特に気にはならなかった。それはぼくは違いを知っていたからだ。

 (a)畑に行って草を刈るだけのときに、あるいは冷たいココナッツ水を飲むために、木からココナッツの実を切り落とすとき、ボブおじさんが、どれだけ鋭く鉈を研げばいいか。というのと、
 (b)ヤギかブタを殺すとき、ボブおじさんが、どれだけ鋭く鉈を研げばいいか。
 
 もし(b)の場合は、鉈を研ぐのにずっとたくさんの時間をかける。
 今回は(b)の研ぎ方だった。おじさんはその鉈を手にし、一同は草むらの中に入っていった。ちびのティムはママに手を引かれていた。誰も口をきかなかった。ちびのティムは恐怖に囚われていた。この話の続きにすぐにまた戻ってくるけれど、ここでちびのティムがものすごく、ほんとにすごく、すごくすごくすごく恐がっていたことを言っておきたい。ぼくも恐かった。他の子どもたちは、大人たちが草むらに向かうのについていった。ぼくもついて行こうと決めた。
 雨が振りだした。
 一行はさらに草むらを歩いていった。
 一同は今なお口を開かなかった。
 鉈はかわらずクソ鋭かった。
 ぼくはちびのティムのことが心配だった。そしてティムは何を考えているだろうと思いはじめた。このような状況下では、ちびのティムが心配で固まっていても不思議はない。自分は家族や祖先にとって、期待はずれの出来損ないだったと心配する。もう両親は自分を恥じかきのまま、ぜいぜいいいながら死んでいくのを放っておかないだろう。そうではなく確実な死が必要だ。
 ちびのティムが心配している間も、一行は歩きつづけた。黙って。雨の中を。ぼくらは草むらの深いところに到達すると、ヒマラヤスギのそばでついに歩みをとめた。雨が降ると、知らない人のために言うと、この木は雨が降ると、全能の神がつくったどんな木よりひどい臭いがする。
 ボブおじさんが、ママの手からちびのティムの手を引きとって、皆のそばから連れだし、ヒマラヤスギの下にティムを据えた。
 ちびのティムは逃げようとしなかった。走りだすこともなかった。ぼくはどうしてかわかる。ティムはぜいぜいといって、家に引きこもり、治療にも失敗し、家族に大変な恥をもたらしたのだから、行ないの責任をとる場面になって、臆病者として恥の上塗りをすることは許されないことだった。そのこと、あるいはパパのしつけによる恐怖から、自分が求められていることに失敗することは、ヒマラヤスギの下で待っている運命に対する恐怖より、ずっと大きかった。
 そして次の瞬間、ただ一つの言葉が発せられた。それは鉈を手にしたボブおじさんの口から出たものだった。これがおじさんの言った言葉。
 「静かにそこに立つんだ、坊主」
 おじさんの左手は、ちびのティムを木にしっかり押さえつけていた。そして鉈をもった右手をぐっと後ろに振りあげた。ぼくは鉈の刃が空中で弧を描くのを見た。鉈が上向きになり、雨粒を正確に切りつけた。ぼくはちびのティムの目を見た。その目には深い恐怖が宿っていた。鉈がティムの頭に向かって鋭く振り下ろされたとき、その目には混ざり気のない恐怖が、冷たく、暗く、震え光るものがあった。そしてボブおじさんの左手がティムのからだから離れた。ちびのティムは微動だにせず、木を背に立っていた。目だけが震え動いていた。
 鉈はヒマラヤスギを深く切りつけ、それはちびのティムの頭の上10センチのところだった。
 静けさが広がった。そこにいた人間にとって一瞬のことだった。そして人々は話しはじめた。皆が話していることから、ボブおじさんがやったことは、「木の下にいる何者かを叩き斬る」ための古くからの医術の儀式だとわかった。この儀式は、喘息に効くと考えられていた。木が成長すると、木の切り口が上昇し、切り口が上昇すると、喘息も上昇して、子どものからだから離れる、と信じられていた。ぼくはこれは効くのではないかと密かに思った。あれだけビビらせたのだから、ちびのティムの喘息も逃げていったと思えた。そしてあれが効いたことがわかった。ちびのティムは2度と発作に襲われなかったので、実質的にあの魔術は効いたことになる。ティムはまる1週間の間、誰にも口をきかなかった。似たようなことがぼくの兄さんにも起きた。草むらでくぐもった声を聞き、ミリセントを見た日のことだ。
 兄さんは草むらから出てくると、まっすぐに家に帰り、口をきかなかった。ママに頼まれたものを買ってきていなかった。ベランダに立って、動揺している風だった。兄さんの中で、何か動揺するようなことが起きているのがわかった。
 それが起きたときのことだと思う。蝶番がはずれた瞬間だ。でも確かなことはわからない。
 兄さんは何が起きたのか、何を見たのか、いっさい話さなかった。ミリセントも草むらから家に連れもどされてから、一言も口をきかなかった。でも誰もが気づいていた。今は一人寂しく暮らす、好色で邪悪なロバート(ボブ)・ラブレイスおじさんがやったのだ。2、3日たってミリセントはキングストンの親戚の家に送られ、そこで暮らすことになった。
 その後ミリセントがどうなったか、ほとんど耳にすることはなかった。当時ぼくは、彼女のことを、銀河系の旅に出て迷子になった宇宙船が、エンジンの故障で動けなくなり、そのまま静かに宇宙の果てまで流されていったように感じていた。
 ミリセントの話を今までしたことはなかったけど、するべきだったと思う。