ピアノとピアニスト
Bruce Duffie インタビューシリーズ(4)

ヴァン・クライバーン | Van  Cliburn

アメリカのルイジアナ州出身のピアニスト(1934年~2013年)。1958年、米ソ冷戦の最中にモスクワで開かれた、第1回チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で、会場の喝采を浴び、アメリカ人ながら優勝。この快挙によって一躍国民的英雄になりました。

ヴァン・クライバーンの長く、際立ったピアニストとしてのキャリアはよく知られています。彼が世界的に有名になる前に、我々の住むこの街で彼のコンサートが企画されたことは、シカゴ市民としての誇りです。

 

1958年にシカゴで開催されたグラント・パーク・ミュージック・フェスティバルへのクライバーンの出場決定と、実際に7月16日に演奏するまでの間に、モスクワでチャイコフスキー国際コンクールの優勝がありました。クライバーンはこのコンクールで優勝したことにより、世界的に知られる音楽家となったのです。ミシガン通りでのティッカー・テープ・バレード*などで、クライバーンは優勝を祝福され、グラント・パーク・ミュージック・フェスティバルで、注目の存在となりました。

*ティッカー・テープ・パレード:都市で行われるパレードの一形態で、膨大な量の紙吹雪(元はテープを裁断したもの)がビルの上などから投げ落とされる。

 

クライバーンは1994年6月、グラント・パークに戻り、60周年を迎えたフェスティバルで、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をレオナード・スラットキンの指揮で演奏しました。わたしが彼との会話の機会を得たのは、その訪問の際でした。彼は物静かで、わたしの質問に対して誠実に答えてくれました。そして彼の音楽や仕事に対する様々な思いや考えを、伝えてくれたのです。

 

以下にそのときの会話を記します。

(2016年 ブルース・ダフィー)

・クラシック音楽はプリズムのように変化するもの

・クラシック音楽に流行はない

・人の心に足跡を残すもの、それがクラシックとなる

・リサイタルで現代曲は弾きません

​・音楽を学ぶことで子どもの人生は変る

​・ピアノは素晴らしい楽器、でも音楽が目的です

クラシック音楽はプリズムのように変化するもの

ブルース・ダフィー(以下BD):若いピアニストの演奏を聞くとき、その何に注目するのでしょう。

 

ヴァン・クライバーン(以下VC):音楽との間にある対話でしょうか。そして伝えようとしている作品に対する愛ですね。人は演奏家であるとき、仕える身であると強く感じています。

 

BD:音楽にたいして、それとも聴衆に対して?

 

VC:あらゆるものに対してです。仕えるためにそこにいるんです。舞台に上がるのには二つの理由があります。印刷された楽譜から音楽を立ち上げること、そして様々な職業や背景をもつ聴衆にそれを捧げること。それが一番目の理由です。二番目の理由は、そういった聴衆の他に、音楽の専門家たちがいて、その人たちは演奏者がある曲をどのように見ているかを知りたいと思っています。この二つの理由によって、演奏家はその場にいるわけです。自分のためではありません。演奏しようとしている曲を、愛さなければなりません。同じことを言うにも、様々な言い方があり、耳を傾ける必要があるのは、対話の明瞭さです。

 

BD:同じことを言うにも、様々な言い方があるとおっしゃいました。どのように言うかの方法は、長年の間に変わるのでしょうか。

 

VC:いいえ、それはわたしはとても良い聞き手だからです。舞台にいるとき、わたしは奉仕する身です。コンサートに行けば、わたしはそこで養われます。

 

BD:でもわたしがお聞きしたいのは、曲への見方、考え、そしてそれをどう提供するかなんですが。

 

VC:いいえ。良い聞き手がすることは、たとえある曲を演奏した経験があったとしても、人の演奏を聞きに行くべきなんです。それはもしわたしが考えるのと同じように誰かが演奏した場合も、聞く人がその楽曲をどう感じるかはわからないからです。

 

BD:つまり違う演奏は、違う演奏者から生まれると?

 

VC:そうです、その通り。聞いてほしいと思うことが伝わる、それが大事です。

 

BD:でもあなたがそちらの方がいいのでは、と思う演奏を聴いたら、自分の演奏の仕方を変えようとしませんか?

 

VC:そこにクラシック音楽の美学があります。人は常にある楽曲を学んでいます。何度も演奏したことがあったとしても、優れた作品は聴くたびに、以前には聞いたことのないもの、見たことのないものを提供してくれます。これが優れた音楽の尋常ではない力です。だから「クラシック」と呼ばれているんです。

 

BD:では「尋常ではない」ものから、何を取り何を捨てるかどうやって決めるのでしょう。

 

VC:人生において何かを捨てるということはないと思います。その時々で、何かを取り除くことはするでしょう。時間の経過の中で、様々な自分の見方が一つになっていくからです。クラシック音楽はプリズムや万華鏡のようなものです。プリズムを回転すれば、いろいろな色が現れます。変わりつづけるわけで、その永遠性、不老不死性によって、同じ音楽のさまざまな側面を見ることができるのです。

 

BD:ではあなたはプリズムに光を当てていると、違う色が現れるように?

 

VC:音楽そのものが光です。だからそれ自身、光を発します。とても素晴らしいことで、わたしはこれについて何度も考えてきました。紀元前385年以来、プラトンがアテネに学園を創設してから、履修課程に三学科と四学科が設けられました。三学科は文法と修辞学と論理学です。四学科は算術、幾何、天文、音楽です。音楽はこの七学科の中で、最高位のものでした。偉大な音楽のことを考えるとき、それが真に普遍的な芸術の形であることがわかります。翻訳不要なのです。しかしその頂点にあるのは、破壊が不可能だということです。その作品が偉大であれば、悪い演奏ですら、傷つけることができません。

クラシック音楽に流行はない

BD:何がある楽曲を偉大なものにするのでしょう。

 

VC:基準は二つあります。あなたなりわたしがどんな人であれ、何かを見る場合、まず知性ではなく、感情で見ます。知性は二番目にきます。でも感情と知性が同等であれば、それは名作になります。感情過多になれば、設計概念がもてません。知性や知力が過多になれば、実体がなくなります。

 

BD:このバランスが取れている音楽は、たくさんあるのでしょうか。

 

VC:優れた作品はどれも、感情と知性のバランスが同等だと思います。

 

BD:(あえて異を唱えるように)しかしクラシック音楽には、偉大な作品以上に、たくさんの楽曲がありますが。どうやって多くの作品を追いやるのでしょう。

 

VC:どの作品も端に追いやられることはないと思います。もしある作品が世界から深く愛され、受け入れられるなら、その音楽を注意深く見れば、そこには納得のいく理由があるでしょう。優れた構造、設計があり、偉大なる率直さや素晴らしい感受性、そして人を惹きつける質の高さがあるでしょう。偉大な、素晴らしい、本当に普遍的な作品にはそれがあります。

 

BD:でも作品によっては流行からはずれてしまうこともあります。

 

VC:クラシック音楽には流行はないです。人は流行をつくるのが好きですが、音楽をよく知る、深く知る演奏家や感受性の高い人々には、流行というものはないです。

 

BD:クラシック音楽の量は、増え続けていくでしょうか。

 

VC:時間の経過によってしかわかりません。他の芸術と同じように、クラシック音楽についても、時間の経過がそれを決めます。

 

BD:あなたは作曲の未来について、楽観的でしょうか。

 

VC:はい、作曲家の人が、あらゆる偉大な作品は他者のために作られた、ということを心に念じているかぎりはね。

人の心に足跡を残すもの、それがクラシックとなる

BD:非常にたくさんの楽曲から、自分の演奏するものを選ぶ必要があります。どの曲を学ぶか、どうやって決めているのでしょう。

 

VC:これは主観的で、また個人的なことになります。まずは、演奏家の野心に関係します。自分のレパートリーで何もかもを弾きたいという演奏家もいます。それもいいでしょう。ただ絵画は余白を埋めるものですが、音楽は時間を埋めるもの、時間が必要です。わたしが大金持ちで、ギャラリーに行ってルノアールの絵を(あるいは他の画家の絵を)10点買い集めることができたとしても、わたしは人間なので、1点1点を同じように愛することはないでしょう。なので個人的な立ち場から言えば、心から愛するものすべて演奏したいです。素晴らしい曲を心の中に描くとき、それは永遠のものだからです。

 

クラシック音楽は神から与えられた仕事です。ビジネスではないんです。非常に小さな頃にひとたび音楽の探求に足を踏み出せば、人生をいかに歩もうと、永遠のものになること、それを心に記すことが重要です。素晴らしいことなんです。アメリカに移民としてやって来た、若い演奏家の話を読みました。記者がその人にこう尋ねました。「あなたのアメリカン・ドリームは何でしょう?」 すると彼はこう答えました。「この国で、わたしは生き残りたいです」(両者、笑) でもその後でさらりと言いました。「わたしのアメリカン・ドリームはとても小さなものですが、不変のものです。それは終生音楽家であることです」 深い言葉ですね!

 

BD:ではあなたは日々、音楽家であろうと精進しているのですね。

 

VC:そうです、音楽家としてね。

 

BD:あなたはクラシック音楽や楽曲についてずっと話しています、、、

 

VC:そうですね、過去の時間を少なく見積もっても、多くはクラシックです。ショパンのエチュードであれ、ごく小さなプレリュードであれ、背景には大きなものがあります。

 

BD:でもクラシック音楽という考えについて疑問があるんです。わたしたちの周囲にはあらゆる種類の音楽があるでしょう?

 

VC:そうですね、それは確かですけど、クラシック音楽はわたしの仕事ですから。つまり生き残ってきた音楽は何であれ、高い品質をもっています。アメリカのミュージカル劇場を考えると、そこで仕事をする作家はとても有名です。人々にメロディーを与え、歌を与え続けてきました。わたしたちの人生にはっきりとした足跡を残してきたんです。それはクラシックになります。

 

BD:ではそれはコンサートホールでも演奏されるべきなのでしょうか?

 

VC:そういう機会はたくさんありますけれど、わたしが話しているのは、長く愛されるだけの質をもつものがクラシックになるということです。今日の作曲家は、仲間の作曲家のために曲を書いているように感じています。それが正しいゴールなのか、わたしにはわかりません。人は美しさと激しさの両方をもつことができます。そのすべてを持つことは可能ですが、非常に知性がいります。音楽学校で仲間のために、評論家のためだけに、曲を書いていたとしたら、非常に危険があると思います。もしそういう対象のためだけに曲を書いていたら、自分の天職を忘れてしまうでしょう。

コンクール受賞当時、1958年のモスクワ音楽院での演奏。

リサイタルで現代曲は弾きません

BD:あなたの名前を冠したコンクールでは、新しい曲が含まれることをいつも主張されてます。

*ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール:日本では、2009年の第13回コンクールで、辻井伸行が優勝したことでよく知られている。

 

VC:はい、4年ごとのコンクールを9回やってきました。1997年は第10回になります。サミュエル・バーバーやアーロン・コープランドから曲を提供されて、とても幸運でした。

 

BD:前回はモートン・グールドでしたね?

 

VC:そうです、モートン・グールドです。彼はとても素晴らしい曲『ゴースト・ワルツ』を書いてくれました。

 

BD:あなた自身もこういった新しく依頼した曲を弾くのでしょうか。

 

VC:ええ、弾きます。レナード・バーンスタインからも素晴らしい曲を得ましたね。とても運がいいと思います。

 

BD:曲を依頼するとき、「曲を何か書いてほしいんです」と言うんでしょうか?

 

VC:いいえ。おおよその時間制限を伝えますが、曲の様式は問いません。大きな自由を与えています。

 

BD:では、どの作曲家に依頼するか、どうやって決めているのでしょう。

 

VC:通常わたしたちは、委員会のミーティングをもち、そこで決めます。ジュリアード音楽院にわたしがいた頃、ウィリアム・シューマンが学長でした。わたしは彼が大好きでした。ずっと彼に何か書いてほしいと願ってきました。そして彼に書く時間ができたのです。わたしが委員会の会議に出向いて、「ウィリアム・シューマン」と名をあげたら、みんな「なんて素晴らしい!」って言いましたね。

 

BD:すべて一般によく知られた作曲家なのでしょうね。

 

VC:そうですね。ある年はリー・ホイビーの素晴らしい曲を得ましたし、ウィラード・ストレート、ノーマン・デロ=ジョイオ、ジョン・コリリアーノ、ウィリアム・ボルコムなどもいます。

 

BD:ソロのリサイタルをするときは、プログラムに現代曲を入れるのでしょうか?

 

VC:(ため息)そういう試みはしていません、ないです。わたしがやりたいと思ったり、その晩のプログラムに合うと思ったら、そうします。

 

BD:たくさんある短い楽曲と、長大なソナタのような曲がありますが、どうやって選択をするのでしょう。

 

VC:わかりません。演奏家が何年もやってきたやり方で決めると思います。過去のプログラムを見返せば、どの演奏家も、バラエティに富んだ曲を演奏してきました。

音楽を学ぶことで子どもの人生は変る

BD:あなたはたくさんの録音をしてきました。聴衆の前で生演奏するときと、スタジオで演奏するときと同じように弾くのでしょうか。

 

VC:ライブのレコーディングをしてきたし、またスタジオでもレコーディングしてきました。演奏家は音楽を届けます。ありがたいことに、繊細なマイクの設置が可能です。ある意味でそれはマイクセッティングではなくて、つまりスタジオはコンサートホールにいるように設えられます。ただ演奏家は集中しなくてはならないし、コンサートホールで演奏しているかのように弾く必要があります。

 

BD:あなたはリスナーのいる場、彼らのリビングルームに身を置くのでしょうか?

 

VC:そうですね、いつもそうなるようにしていると思います。何かを演奏するとき、人はその晩のホストになります。だから音楽をそこで提供するのは義務でもあります。

 

BD:あなたは完璧に楽曲を演奏したことはあるんでしょうか。

 

VC:そういうことを成した人がいるとは思いませんね。ラフマニノフは二つの素晴らしいことを言いました。「人生は、音楽をやるために充分な長さではないが、音楽は人生を充分に満たす」というのと、「偉大な音楽は素晴らしいものだが、その地平線(到達点)は常に遠ざかっていく」とね。だから人は探求をするけれど、完璧にはなり得ない、それはわたしたちは不完全な世界に生きているからです。わたしたちは人間なんです。

 

BD:あなたは小さな演奏会、非常に大きな演奏会の両方で演奏されています。あなたが演奏する音楽は、すべての人々のためのものでしょうか。

 

VC:ええ、そうです。素晴らしいことじゃないでしょうか。普遍的なことと言っていいでしょう。プラトンは音楽は解放された、自由の身であると言いました。

 

BD:どのようにしたら、コンサートホールにもっと多くの聴衆を呼べるのでしょうか。

 

VC:これは教育との関係に帰するものです。音楽は一つの言語であるということを認識する必要があります。読むことができ、書くことができ、物語ることができます。小さな子どもがその人生で音楽と触れ合うことで得られる喜びを、想像できるでしょうか? 音楽、純粋な音は目をもちます。もし子どもが音への眼差し、純粋な音や音楽の基本であるメロディー、ハーモニー、リズムに集中するよう導かれたら、その子の人生は大きく変わります。それは音楽は右脳、左脳の両方を刺激するからです。ある状態を生み、集中に必要なものを作り出します。集中というのは無意識の訓練になるのです。

 

BD:集中のレベルというのは、少数の聴衆においても、非常に多様なものですね。

 

VC:人間によって違いますが、集中自体は不変のものです。もしここアメリカで(他の国々も同様ですが)、学校を卒業するまでに、話している言葉を学ぶのと同じように音楽の言語を学ぶことを義務にしていたら、人々の生活は変わるはずです。アメリカは豊かな国ですが、それでも経済的な後退がときに起きます。最初に公立学校の授業から削られるのは、芸術や音楽です。これがどれだけ良くないことか! なぜそれが削られるかの理由はただ一つ、その効果を計れないからです。精神面での重要さがどれほどあることか。プラトン自身こう言っています。「数学の最高の形は音楽だ。数学的である一方で、それは崇高な精神でもある。つまり魂を高めるものなのだ」とね。

 

BD:音楽はあなたにとって宗教なのでしょうか。

 

VC:宗教ではないです、違います。人間にとっての使命です。

 

BD:では宗教に付加されるものであると。

 

VC:そうです、その通りです!

 

BD:宗教と隣り合うものなのか、それともそれを包みこみ、混ざり合うものなのか。

 

VC:音楽は人生の一部です。人間性の一部なのですが、人間性を強化するものでもあります。音楽は宗教に仕えますが、音楽は人生の不可欠な要素でもあります。

ピアノは素晴らしい楽器、でも音楽が目的です

BD:コンサートをするとき、ピアノを旅に連れ出すことはできません。ホロヴィッツはそうしてましたけど、あなたはそうではないのでは。ピアノを前にして、それが自分のものになるまでに、どれくらいの時間がかかるのでしょう。

 

VC:どれくらいの時間、それを試せるかにもよります。わたしの母は、わたしが17歳になるまで唯一のピアノ教師でした。彼女はニューヨークで、ある先生のもとで素晴らしい体験をしました。リストの弟子のアルトゥール・フリートハイム(1850~1932年)に教わったのです。母がいつも言っていたことの一つは、「旅に出たら、どんなピアノが用意されていても、それを使いこなす義務があるのよ」とね。

 

BD:あるピアノは、明らかに他のものより弾きやすい?

 

VC:このピアノとあのピアノはほぼ同じと感じるかもしれないけれど、試す必要があります。その楽器がよくなるよう、すべてのことをしなければなりません。これはだめだとか判断せず、与えられた場で、他のピアノと比べたりしないことです。自分が手をくだし、ピアノを使えるようにしなくては。

 

BD:ただあなたが各都市で弾くスタインウェイは、とても品質の高いものではないかと。

 

VC:そうですね。わたしはスタインウェイのピアノがとても好きです。彼らは優れた調律師を抱えています。もちろんピアノも、いろいろな意味で人間のようでもあります。行く先々で素晴らしいピアノと出会うでしょうが、いくつかは心を寄せたり、また弾きたいと思わせるようなものもあります。

 

BD:しかしながら、ここシカゴでやるような野外コンサートで弾くときは、空調で管理された室内コンサートに比べて、暑さや湿度の影響を受けるのでは。

 

VC:そうです、野外の場合は違ってきますが、どこであれ状況はそれぞれです。

 

BD:コンサートホールでも???

 

VC:そうです、ええ。そういうことはあります。何であれ確かなことはないです。同じホールでのオーケストラのリハーサルであっても、それを素晴らしいと思うかもしれないし、ピアノが好きとか嫌いとかあるからです。コンサートが始まってからも、ピアノが気に入るとか気に入らないとかでてきます。非常に興味深いです。

 

BD:それは気まぐれに起きるのか、それともあなたが気まぐれなのか。

 

VC:いえいえ、違います。その一瞬、ヴァイブレーション、聴衆からの刺激、その晩全体の磁力といったものは変化します。何度もわたしは体験しました。

 

BD:あなたはスタインウェイのピアニストです。ボールドウィンやベーゼンドルファーも弾いたことがあるのでしょうか。

 

VC:いいえ、コンサートではないですが、弾いたことは何度もあります。

 

BD:他のピアノも卓越したものなのでしょうか?

 

VC:わたしの母がシンシナティ音楽院に行っていた頃、学校にはボールドウィンがありました。うちの家族は学校と関係が深かったですが、家ではいつもスタインウェイでした。わたしはスタインウェイがとても好きなんです。

 

BD:人は様々な楽器で学んで成長します。他の楽器でも、その人たちは良い音楽家になれるのでしょうか。

 

VC:もちろんそうです。楽器はそのことと関係しません。ピアノはピアノに過ぎません。音楽が目的です。

 

BD:他の人のコンサートに行きますね。オーケストラやオペラを聞いて楽しみますか?

 

VC:オペラはわたしの好きな音楽様式です。人の声というのは、あらゆる楽器奏者がそこから手がかりを得るものです。それは声は最初の楽器だからです。だから何をやるにしろ、、、少なくともわたしの場合は、人の声にいつも注目しています。どうのように息をつぐか、どのようにフレージングするか、どのようにメロディーを紡ぎ出すか、といった観点からいつも注目しています。歌わなければならないから。偉大な文学の中に、朗読によるものがあります。フォートワースで素晴らしい歌によるコンサートシリーズがあります。リサイタルのための非常に優れた歌い手が揃っているんです。

 

BD:あなたはそれに参加しようとするんでしょうか?

 

VC:いいえ、わたしは聴き手として参加します。わたしにとってその方がずっと大きな喜びです。

 

BD:ピアノを弾くことは楽しい?

 

VC:ピアノを弾くことは大好きです。8歳から11歳まで、わたしはボーイソプラノでたくさんのコンサートに出て、それをとても楽しみました。歌うことを心から楽しみましたね。そうできたことに感謝しています。歌うこと以上のことはないですよ。人間の声は本当に素晴らしいし、特別なものです。他にはない特質がありますが、そのあと、ピアノが完璧な楽器になりました。

 

BD:音域の広いオルガン以上にでしょうか?

*パイプオルガンでは音域は5オクターブでも、パイプ操作によって9オクターブ以上の音が出せるものもある。ピアノの音域は7オクターブと1/4。

 

VC:オルガンは、当然ながら、雷鳴のような楽器ですけど、今話しているのは完璧な楽器としてのピアノです。

 

BD:オーボエやフルートをも超える?

 

VC:そうです、はい。ピアノの前に座れば、オーケストラのスコアでさえ表せます。ピアノは完璧な楽器なので、非常に広い音域のものが演奏できます。わたしは音楽を全体として見ているのだと思います。単に演奏家としての観点とか、舞台芸術としてではなく。自分がピアニストであることを感謝しています。わたしはピアノを愛しています、でもそこで奏でられる音楽を愛しているのです。

 

BD:シカゴにまた来てくださってありがとうございます。

 

VC:シカゴにいるとワクワクしますよ。1958年のグラント・パーク・ミュージックのことは生涯忘れないでしょう。非常に素晴らしい聴衆でしたから。

 

BD:モスクワに2度、3度と行っていたら、同じだったでしょうか、たとえコンテストに出なかったとしても。

 

VC:人生がどうなっていたかはわかりません。いつも言っているのですが、コンクールは機会を得ることです。それは一つの扉であり、部屋ではないんです。扉を通過したとき、その部屋が自分のものになります。

 

BD:今日はわたしと話していただいて、ありがとうございます。

 

VC:こちらも楽しかったです。