Tarra
サーカスの人気者がサンクチュアリに来るまでの日々
タラ、1974年ミャンマー生まれの雌のゾウ。体高2メートル50センチ、好物はスイカ。サンクチュアリができた1995年に最初の住人となったゾウです。
タラ(左)とミスティ(2016.4.13.死亡)
タラがなぜ最初の住人になったかといえば、それはサンクチュアリの創設者の一人、キャロル・バックレーが所有していたゾウだから。タラは生後6ヶ月のとき、家族と暮らしていたミャンマーの森から連れ去られ、木箱に入れられて貨物飛行機でアメリカにやって来ました。そして南カリフォルニアで、 タイヤ商のボブという男に売られました。1974年当時、このようにゾウを国際取引で売り買いすることは違法ではありませんでした。ボブはデリバリー用のトラックに子ゾウを乗せて、マスコットとして町を連れて歩きました。
キャロル・バックレーは当時、カレッジで外来動物の飼育・管理を学ぶ学生でした。ある日、窓の外をのぞいたキャロルは、小さな子ゾウが男に連れられて道を行くのを目にしてびっくりして外に飛び出します。こんなに間近で本物のゾウを見るのは初めてだったのです。キャロルは子ゾウの世話を手伝いたいとボブに申し出ます。ボブは子ゾウをフラッフィーと呼んでいました。フラッフィーは高さ1メートル足らず、体重300キログラムの赤ちゃんで、からだ全体が濃い黒い毛でおおわれていました。小さなマンモスのようだった、とキャロルは 本(Travels with Tarra/2002)に書いています。町じゅうの人々が、そして子どもたちが、フラッフィーを見にタイヤ商の店までやって来ました。
野生のゾウは赤ちゃんのとき、お母さんや家族のそばで暮らし、寝るときもいっしょです。7年間はお母さんの乳を飲んで過ごします。ボブとキャロルはミルクとピーナツバター、バナナなどを混ぜた飲み物を哺乳瓶からあげていました。また獣医の勧めで野菜や果物、干し草や穀類も食べさせました。キャロルは子ゾウが眠っているすきに、授業に駆けつけるようになります。目が覚めたとき、キャロルがいないとフラッフィーが寂しがるからです。
キャロルと子ゾウは絆を深めていきます。野生のゾウたちは、母子、兄弟、いとこなど家族で暮らし、互いを鼻で撫でることで愛を確かめあっています。キャロルを家族と思っている子ゾウのフラッフィーは、服やからだ、くつなどを鼻でさわってキャロルの存在を確かめました。鼻と鼻をからませるのはゾウのあいさつ。でもキャロルの鼻はそうするには短すぎました。
やがてボブの許しを得て、キャロルは子ゾウを夜の間、家に連れ帰るようになりました。そうすれば次の朝までいっしょにいられます。ボブのところでは、子ゾウは夜、トラックの荷台でひとりで寝ていました。
このようにしてキャロルと子ゾウはさらに深い関係を築きます。フラッフィーが2歳のとき、キャロルは貯めていたお金で、この子ゾウをボブから買い取る決心をします。渋るボブを説得し、ついにキャロルは子ゾウと暮らしはじめます。子ゾウにはタラという新しい名前がつけられました。タラは好奇心旺盛な上、物覚えがよく何でもすぐにこなしてしまうので、キャロルはタラが飽きてしまわないよう、新しい遊びや課題を次々に考える必要がありました。タラは木琴を棒でたたいて音楽を奏で、それを聞いて楽しんでいるようでした。目を輝かせ、長いまつげをパタパタさせました。鐘をたたいたり、ホイッスルを鳴らしたり、ハーモニカをきちんと鼻に収めメロディを奏でました。
タラは評判を呼ぶようになり、キャロルとタラはアメリカじゅうをショーをして旅するようになります。サーカスやアミューズメントパーク、動物園、テレビや映画などで、芸をするゾウとして人気を博します。中でもローラースケートをするゾウとして、アメリカじゅうにその名が知れ渡りました。キャロルはタラのために、特注のローラースケートシューズをつくっていました。
“Baby Tarra on roller skates” Los Angels Times、1980年2月12日、カリフォルニア州オーハイ
ある日、ショーが終わったあとで、一人の女性がキャロルのところにやって来ると、怒りをこめてこう訴えました。「あなたは動物を虐待している」。キャロルはその女性に虐待などしていない、と反論しますが、言われた言葉をその後何度も考えるようになります。そして自分がタラにさせていることが、世の中にどんなメッセージを送っているかに思い至ります。また将来のことを考えたとき、タラが70歳まで生きれば、自分が先に死ぬことになる。そうしたらタラはどうなるのか、そんな心配が心を占めるようになります。
タラにとっての幸せとは何か、キャロルは考えつづけます。家族と住んでいたミャンマーの森に、タラを帰すことは可能でしょうか。それは難しいことだとすぐわかりました。生まれ故郷には何があるでしょう。そう考えたとき、動物園やサーカスを引退したゾウたちが、家族のようにいっしょに、心地よく安心して暮らせる場所があればいいのでは、と思いつきます。広々とした自然豊かな、ゾウの生息地に近い気候の土地に、ゾウのためのサンクチュアリをつくったらどうだろう。そうキャロルは考えました。そこはゾウの幸せを一番に考えた場所になるはずです。それまでもキャロルは、旅の途中の森や草原で、トレイラーからタラを降ろして遊ばせることがありました。そんなときタラは元気いっぱいに走りまわって遊びました。このような環境がタラには必要だとキャロルにはわかりました。
キャロルはその後、タラとともに、雄のゾウがいるカナダの動物公園に行くことになります。タラはそのとき、子を産み家族をもてる年齢になっていました。そこでタラは妊娠しますが、出産は死産、失敗に終わります。キャロルはこの動物公園で、スコット・ブレイスという若い飼育員と知り合います。スコットはゾウを優しく扱う飼育員で、タラともすぐに仲良くなりました。スコットと意気投合したキャロルは、サンクチュアリの話をもちかけます。スコットの賛同を得ると、二人でサンクチュアリのための土地探しをはじめました。そして1995年、キャロルとスコットはテネシー州ホーヘンウォルドに土地を買い、そこをゾウのサンクチュアリにします。最初の住人はタラ1頭でした。こうして110エーカー(東京ドーム10個分弱)の土地でElephant Sanctuaryは出発します。
タラはこのサンクチュアリでも、あることで世界中の注目を集めました。サンクチュアリにやって来た迷い犬とタラが大の仲良しになり、その様子が絵本やビデオになって人々に知られたのです。日本でも「タラとベラ~なかよしになったゾウとイヌ~」(小錦八十吉訳)というタイトルで絵本になっています。タラとベラはいっしょに食べ、眠り、遊び、とともにたくさんの時間を過ごし、ベラが死ぬ2011年までその友情はつづきました。タラはキャロルの家で暮らしていた幼児のころ、飼い犬のタシャと仲良くなりました。それでどんな犬ともすぐに友だちになれるのです。
Tarra & Bella: Summer 2010(CBSニュースで紹介され人気者に)
タラはサンクチュアリに来て、今年(2017年)で22年目を迎えようとしています。タラは動物園などからやって来る新参者たちを、いつも温かく迎えてきました。ゾウを乗せたトレーラーが到着すると、プーーッとトランペットを鳴らすように声をあげ、グルグルまわって嬉しさをあらわします。サンクチュアリの世話係たちはタラを社交家だと言います。サンクチュアリでは、タラはアジアゾウ居住地の中を、ひとりでブラブラと、あるいは友をもとめて何キロも歩きまわります。ミスティがまだ生きていた頃は、シャーリーとともに3頭でいっしょに過ごすことが多かったのですが、シシーやウィンキーとも仲良くしています。サンクチュアリのElecam(ソーラーシステムによるライブカメラ)には、タラが湖を泳いで渡ったり、ひろった木の枝で水をかき混ぜているところが記録されています。
タラが初めて居住区内の湖を泳いで渡ったときの映像(2016年8月)
タラが遊びに興じているとき、どんな鳴き声を出しているか聞いてください。Tarra Talking & Playing(2004年)
タラの見分け方は、濃い肌色と丸々としたからだつき。頭にもほおにも、背中や尻尾にもたくさん毛が生えています。このような外見は、タラの生まれ故郷のゾウたちの典型的な特徴です。タラの吠えるような鳴き方も、世話係たちにすぐそれとわかる特徴の一つです。好奇心が強く、身のまわりで何が起きているか、いつも関心を寄せています。
今年(2017年)43歳になるタラは、サンクチュアリのアジアゾウの中でもっとも若い部類に入ります。タラは生まれてからの半分以上を、このサンクチュアリで過ごしてきたことになります。
Shirley's Patience with Tarra
ある午後、シャーリーがおやつの干し草を食べていると、タラがやって来ます。自分の分を食べたあと、タラはシャーリーの干し草に目をつけ、ゆっくり後ずさりの姿勢で近づきます。シャーリーはタラの戦法に気づきながらも、しばらく我慢していますが、あまりのしつこさに最後には、いいかげんして!と追い払いました。
Elephant SanctuaryサイトのElecam(Asian Habitat)でタラの姿を見ることができます。
サイト内にあるELECAMをクリックすると、リアルタイムのライブ映像ページにいきます。テネシー州ホーヘンウォルドの日本との時差は14時間(夏時間)。日本時間の朝7時がサンクチュアリの前日午後5時、日本時間夜9時がサンクチュアリの同日朝7時となります。